2015年04月27日

弘前市は喫茶店の街 (コーヒーは薬だったー何でも歴史があると違ってくる)


弘前市は喫茶店の街


(コーヒーは薬だったー何でも歴史があると違ってくる)

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弘前の喫茶店かな城の側夕べ灯ともり花の夕暮

幕府の命を受け、北方警備のため蝦夷地に赴いた勇敢な弘前藩士。厳冬下、浮腫病の予防薬として飲んだ「蘭療法」に基づく珈琲を再現したのが「藩士の珈琲」です。安政4年(1857)、蝦夷地勤務の幕臣に配られた仕様書(蝦夷地御用留「二」)によると、「黒くなるまでよく煎り、こまかくたらりと成迄つきくだき弐さじ程麻袋に入、熱き湯にて番茶の如き色にふり出し、土びんに入置、さめ候得ばよくあたため、砂糖を入用るべし」と記されています。これはドリップ方式の原形ともいえる淹れ方。色や味は番茶に似た薄味の珈琲で、とろりとした舌ざわりが特徴です。珈琲の街弘前で、今の味と飲み比べてみませんか
http://www.hirosaki-kanko.or.jp/web/edit.html?id=pamphlet#coffee

弘前市はやはり城もあり歴史がある。青森市は新しいから歴史がない、その相違は観光であれ大きいのである。城跡があるだけでも歴史があるということで魅力がでてくるのである。歴史とは何かというと過去との対話である。
過去との対話というとき城とか目立つものではなく墓でもそうである。
墓を通じて故人と対話する。それが人間の営みである。
だから街の魅力として城があるのとないのとでは相当に違ってくる。
相馬藩たと城があったのは相馬市であり南相馬市になったが原町は明治以降に発展した新しい街である。街の中心部が江戸時代は野馬追いのための広大な牧になっていたことでもわかる。
原町は城下町ではない、いち早く近代化した新興の街でありそのシンブルが大正時代に建てられた巨大な無線塔であった。それは関東大地震の時、アメリカに無線で伝えたということでも有名である。
この新旧の市町村の歴史は常にみておく必要がある。
村でも必ず新旧がある。古町とあるときそこはもともと栄えた町であった。それが山の中の村にもあるし町には必ず古町がある。どこが古いのか新しいのか知る必要がある。
会津でも会津は城がありそこが古いのは誰でもわかる。でも明治以降発展したの商業の街の喜多方なのである。会津の北にあるから喜多方になった。
外国でも歴史のある街と新しい街は明確に別れていて観光するのは古い街なのである。
そこでは歴史があり昔を知ることができるからである。
これは外国でもそうだし日本でも同じなのである。

弘前市でコーヒーを薬として飲んでいたことが面白い。もともとお茶も薬だった。その原産は中国の雲南であった。そこに山茶花などの原木がある。山茶花は茶とあるごとく茶の原木なのである。ただコーヒーが薬だったことは意外だった。
また弘前藩が北方警備のために蝦夷地に赴いたというのも本州の最果てだから北海道がすぐ先なのだから地理的に蝦夷とは深い関係があった。
それで良くアイヌ語地名が青森の地名の基だと言われる。青森の地名は確かに別とかつく地名が多い。今別とかもそうでありそういう傾向があることは確かである。
ただそれがアイヌ語由来なのかどうかはまた不明なのである。
青森県の面白さは北海道と蝦夷との関係がもともとあったことは確かである。そういう地理的位置にある。
だから青森市が青森県が明治以降函館が大きな港として機能して青森が繁栄しなかったとか恨みを言うのもわかる。
明治以降は北海道が発展して函館が中心になっていたからである。
明治以降は函館の方がめざましく発展したのである。
青森県が青森が中心ではない、弘前城がある所が中心だったのである。
ともかく城がある所が古いということはわかりやすいのである。
福島市には城がないが二本松には城があり二本松県となるところだった。
会津にも城があり会津県になるところだった。
それはわかりやすいのだがなぜ福島県になったのかはわかりにくいのである。
福島市には城がないしどうして福島県になったのか謎になっているし青森県も青森という小高い森があって青森県になったというけどそれも納得いかないのである。
弘前県だったらわかりやすいとなる。ただ合併するのとにていて弘前市が中心でない広域になると別な名前が必要になり必ず合併した市町村の一字をとり名前にするのとにている会津県となったら会津以外は入らないとなってしまうからである。

いづれにしろ歴史は別にむずかしいものではなくコーヒーのこと一つとってもここではこんな歴史があったのかと興味深いものとなる。
会津藩でも藩士が北方の警備にあたっていた。


会津藩でも藩士が北方の警備にあたっていた。それで明治維新で薩摩長州と対立したとき会津藩・庄内藩が、蝦夷地をプロイセンに売却しようとしている文書が最近発見された。会津・庄内藩は、軍事支援の見返りに、北海道を売り渡す計画していたのでしょうか
http://blog.livedoor.jp/chachachiako/archives/28769788.html

ここのプログの中に北海道を管理していた地域の藩の図がでている。北海道は東北列藩が管理支配していたのである。津軽藩も一部をまかせられていた。会津はオホーツクの方で領域が広いことがわかる。
つまり薩摩長州連合軍と幕府軍が榎本長けようお函館に星型の城郭を築いて北海道共和国を作ろうとしたことに呼応している。
東北列藩と幕府軍と北海道とプロイセン連合が成り立てば薩摩長州に対抗できたのである。
それがまとまらなかったのはやはりそれをまとめるだけのものがなかった。
だから薩摩長州連合軍に敗れたのである。

青森県について津軽について弘前の城下町についての知識は自分は不足している。
函館には五六回行っているから函館は知っているのである。
青森とか弘前市については良く知らないのである。
弘前市に冬に行ったとき雪が朝に明るくきれいな雪だなと見た。
会津とか新潟などの雪はなにか暗く感じる。その雪は朝明るく本当に白く降っていた。
それほど寒いとも感じなかったことを覚えている。
ただ津軽の方の雪になると地吹雪であり全く違ったものになっている。
弘前市は都会であり城下町であり文化の街でもあるから喫茶店の街だとなる

自分は旅をして良く喫茶店によったし喫茶店が好きだった。そこでなにか休んで旅のイメージをふくらませる瞑想的な空間としてある。
でも今はそういう喫茶店は極端に減った。飲み食いするだけの場所が経済的に多くなったのである。純粋の喫茶店というのは全国でかなり少なくなったのである。
喫茶店というのは場所が大事である。
東京とか大阪とか混雑した大都会では喫茶店は入ってもリラックスしない。
京都辺りだと歴史があるから喫茶店でも違ったものとなる。
何でも自然と歴史が魅力を作り出しているのである。
南相馬市の鹿島区の農家の納屋を喫茶店にした所も北海老のニコニコ堂も場所としてはいい。
でも幹線道路からはずれた山陰にあるので場所としてはいいのだが利便性がないので外の人は知らないと入らないだろう。
あの場所は隠されているからいいともなるけど知っている人しか行けないのが問題である弘前が喫茶店の街だといとき場所としてはあの城のお掘りの側がいいと思い一度は入りたいなと思った。
人間は田舎的なものと都会的なものを常に求めている。
それはわび、さびと秀吉の黄金の茶室に通じている、都会的なものがないと文化も育たないのである。
盛岡という都会があり賢治も啄木も生まれたのである。
仙台市は都会としては今は大きくなりすぎた。盛岡市とか弘前市くらいの地方都市が文化的な香りがするし城下町ならなおさらである。
仙台市は何か商業都市であり歴史があっても歴史が感じられないのである。

自分は北海道に十回くらい行っているから北海道と結びついている青森県に興味をもった一つの県だけを見ても一地域だけを見てもその地域性はわからない、常に他県とか他のかかわりがあるからつながりを常にみないとわからない。
ただ歴史的地点として城があるところからその土地をみるのはわかりやすいのである。
だからある土地を旅したとしても旅も積み重ねであり前にあそこに行って今度別な方向に行こうとなりその土地の空間認識が広がる。
そして時間認識として歴史認識も必ず必要なのである。
今回はコーヒーの歴史を知った。インターネットはこういう点で便利である。
「津軽学」という本があってもそれをそろえるのも難儀だし調べることが本ではめんどうなのである。
知識もまた蓄積であり旅も蓄積だった。記憶して思い出してその土地のイメージをふくらませるのである。
青森まで行ったら北海道は近くなるから行きたいとなるのが旅である。
北海道には十回とか行っている、函館も何回も行っている。
ただトラピスト修道院まで行って松前に行っていなかったのが失敗だった。
北海道で江戸時代からあったのは松前藩だからそこに行くべきだった。
北海道の日本の歴史は松前からはじまっていたからである。

松前に我は行かじも春なれや弘前よりや松前に行かむ

旅は終わることはない、季節によっても春夏秋冬があり旅はしきれるものではない、旅は今や一度だけではない何回か行って過去の記憶をつないでゆく旅になる。
人間ほど忘れやすいものはないのである。
旅でもすぐに何十年前とかなり記憶が朧になってしまうのである。
とにかく一日泊まっただけでもこれだけの旅ができた。
やはり旅が一番である。そこに住めば人間は誰しも鬼となる
ただ通りすぎて行くなら旅人なら花を見て去るだけだとなるからいいのである。

弘前の桜に染まり帰りける旅人にあれまた来たらむかな

まず弘前であれどこであれそこに住むということはどうしてもどんなところでもいいものではない、悪い面が露骨に見えてくるのである。旅だったらいいころだけ見てされるからいいのである。
それにしても一日泊まるだけで大変なことだった。それでも二日泊まれば北海道まで行けるとなる。こんなに旅ができないということも信じられないことだったのである。
勤め人だったりすれば自由な旅ができないのだから自分のようには感じない、それで退職した人が今は相当に旅している。
たまたまレストランで待っていて会った人もそうだった。高速バスで気ままな旅をしていたのである。
そして自分が気ままな旅ができないのもまた人生だとなる。
自由な旅をしているのは勤めをやめた退職した人たちだったとなる。

 
タグ:弘前市

fotoskecherで加工した弘前城の桜の写真


fotoskecherで加工した弘前城の桜の写真


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写真は今や絵画化する、写真は今や膨大になっている
デジカメの場合は記録してとる場合がある
芸術としてとり加工することもある
この両方がデジカメにはある。
写真と絵の見分けがつかなくなったのも現代である。
タグ:弘前城の桜