2015年04月19日

花吹雪(新地に散る桜)



花吹雪(新地に散る桜)

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六号線それて街道蛙鳴く
街道に薬師堂あり花の影
六万石城跡に鳴く夕蛙
古き碑をたずねてあわれ花の散る
風荒く鳥けたたまし花吹雪
花に雲沖に船行く新地かな
風狂に一代に終わる花吹雪


山桜朝風ゆれて六号線走りゆくかな北に向かいて
満開の桜咲きにつ飛び交える燕の増えて海を望みぬ
二色の花の映えにつ相馬市に我は来たりて城をたずねぬ
街道の松に交じりて桜咲く朝に風の唸り吹くかな
山近く海の望める新地かな朝に桜の風に散るかな
風荒く一時に散る桜花夢にしあれや世は変わりゆく
新地なれ伊達と境の攻防の城跡古りて春の日暮れぬ
伊達の裔墓に謂われや新地かな海を望みて春となるかな
新地には伊達と相馬と交わりぬ文禄の碑の古く春の日さしぬ
城跡の桜ははやも散りにけりいくたりかたずね帰りゆくかな


昨日は新地まで行った。風が荒く桜がほぼ散った。花吹雪だった。
花吹雪というのはなかなか見れない、静かに散るのとは違っていた。
一斉に散る花である。昨日は一日風が荒いから桜がいたるところで散っていた。
新地は海と山が接近している。だから高台があり海が見えやすいのである。
「鹿狼山に住む手の長い神が海に手を延ばして貝を取って食べ、その殻を捨てた場所が貝塚になった」と伝説を紹介している。
貝塚のある場所も高台でありそこに縄文人が住んでいた。
そこはかなた高い場所なのである。新地はそういう場所が多い。
山と海が接近しているからそうなる。
そういう地形だから海の幸と山の幸に恵まれていたから最初にこの辺で大勢の人が住んだと思える。
つまりこうした地勢がわからないと歴史もわからない
伝説でもそれは架空のことではない、歴史的根拠があって生れている。

新地は相馬地方では特殊な地勢である。たいがい海と山は離れているからである。
手を伸ばして貝をとっていたというのはそれだけ海から高い場所に貝塚があったからである。
日本は地勢に変化が多いから狭い土地でもあきない、新地まで地勢に変化がある。
新地から山元町に宮城県に入ると地勢が平凡になる。丸森町は変化に富んでいるから魅力がある。この地形というか地勢は地図見てもほとんどわからない
実感しないかぎりわからないのだ。これは電車でも車でもわかりにくいのである。
つまり坂を峠を苦労して上ってみるとわかる。
ここを越えるのには苦労だなと思うときそこが国境になっている。
川俣から水境峠を越えて飯館村に入る所がそうである。
鹿島とか原町から飯館村に行くには八木沢峠がありこれは車でも越えるのが大変だから実感できる。土地の高低というのも実感するのがむずかしい。
特に遠くなると地勢はわかりにくくなる。

地勢を知るには何度もその地を踏む必要があるがそれができないから余計にわかりにくいのである。
新地はもともと伊達藩が支配していた。それで墓をたずねたら黒田氏の墓があり謂われが書いてあった。確かに伊達藩の子孫なのである。
文禄の碑があり古いがそれは伊達藩で行った検地の記念の碑だった。
相馬藩では明暦から検地を行っているからである。そのことは新地の歴史の本に書いてあったのでわかった。だから新地の役場でその本を買うことにした。
郷土史研究はは資料を集めないとできないのである。

地勢を実感すると同時に風を感じるのにも車では電車でもできない、風を感じることはまさに風土を感じることなのである。
風を感じるのには徒歩か自転車でないとできない、雨も感じるのも旅である。
それも車ではできないのである。車は快適でも自然を感じることができないのである。
ただ自転車となると今は疲れる、介護とかになって遠くに行くことができない
前は余裕をもって行けたができない、帰った食事の用意であり二重に疲れるのである。
年もあり自転車も相当に疲れる。
でも自分は風狂でありそれで人生も終わることが見えてきた。
風狂とはまさに風に狂うだから風のように旅することである。
自分の人生はドンキホーテでもあった。
そういうことができたのも結局家族に恵まれたことであった。
普通だったら働けとか言われてできない、そういうことが強いられなかったからできたのである。
今ではニートとか普通だから珍しくない
団塊の世代は企業戦士に普通なっていた時代だからめずらしいのである。

いづれにしろ風を感じるとき

吹く風をなこその関と思へども道もせにちる山桜かな(千載103)源義家

これを今回の風で感じたのである。これは車では感じられないのである。


 
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