2015年04月14日

二本松城の桜の短歌二十首 (船岡の一目千本桜と二本松城の写真ー朝桜)



二本松城の桜短歌二十首


(船岡の一目千本桜と二本松城の写真ー朝桜)


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一目千本桜

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船岡城の桜

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こぶしがこれだけ咲いていたのはめずらしい

これは拡大しないとわからない

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城遠く見えて亘理や朝桜
船岡の朝の通りや花の影
滝に散る椿や赤し山の城
燕来てまた一駅途中下車
会津の方磐梯山や夕桜
みちのくに新幹線や芽吹きかな
新幹線西へ東へ桜かな
日本なれともに栄えむ桜かな



残雪の蔵王の映えて田起こしの土黒々と草萌ゆるかな
朝早み千本桜尽きず咲く我が歩みつ人の行き交ふ
長々と桜の古木枝垂れて残雪の蔵王映えにけるかな

(二本松城)
燕来る二本松街の通りかな坂を上りて城に向かいぬ
春の鳥さえづりけるや街中に切り通しの道上り下りぬ
切り通し坂を上りて隠されし二本松城花のよそおふ
大手門入りて城内に根ずきし松に桜映えにき
大手門春の日さしてよそよりもあまたの人の出入りするか
石垣の古りて添い立つ松にあれ朝の日さして枝垂桜かな
木蓮の白さに映えて桜花朝日におふ今盛りかな
城内のそちこちに散る椿かな上り下りして石垣古りぬ
洗心亭唯一残ると一服の茶を差し出して花見つ語りぬ
洗心亭残りてあわれあまた咲くキクザキイチゲ抹茶飲むかな
おおどかに安達太良山に春の日や吾妻峰を見えみちのくの春
天守台へ桜咲きにつ安達太良の残雪光り椿赤しも
車窓に花また花やみちのくの残雪光り峰々映えぬ
天守へと花咲き染めて残雪の安達太良光り椿赤しも
朝に映ゆ桜花かな残雪の峰の高くも天守台に見ゆ
山城やこぶしも咲きてこの城の山の守りて古りにけるかな
残雪の峰々朝に望むかなみちのくの春天守台に立つ
天守台残雪の峰浮かび見ゆ椿の映えて朝に立つかな
二本松少年隊の菩提かな朝咲く桜のはや散りそめぬ
安達太良の麓を染める桜花京より遠くみちのくの里

(二本松城)

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洗心亭(キクザキイチゲが咲いていた)
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天守台にのぼる道

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城の前の喫茶店は一番場所がいい

クリック拡大しないときれいに見えません



亘理にも駅が城になっいる。あれでも城があると何か街が歴史があくように見えるから不思議である。
あれは別に城があったわけではないが伊達藩がありやはり歴史があったから城を作った。城は遠くから見えるとき映える、目印になる。江戸時代は平屋しかないから城が今は低いようでも高く見えるのである。

一目千本桜は写真が相当でているから同じようなものがある。
でも朝桜として今回はデジカメが前よりはいいものなのできれいに写っていた。
写真で見るとまた違ったものとして見えるから不思議である。
人間の脳だけでは記憶が定着できないのである。

二本松城は切り通しの坂を上り下りてまた曲がるとある。あれも防衛のためにあそこに作った。要害の地にもともと中世の山城が作られそれが山城と平城の中間として作られたのが二本松城である。
江戸時代に桜は咲いていないが椿は咲いていたろう。
洗心亭の前にキクザキイチゲが一杯さいていたのもあっていた。
滝が自然の滝のようになっているのもいい、あそこは全体が絵になる風景になっている。山城だから自然が活かしているからそのまま絵になっている。

今回は新幹線で郡山から引き返して仙台につきバスで帰った、常磐高速が全線開通して原町から直通のがでている。九〇分だから早くなった。各駅止まりでも一時間三〇分だったから早くなった。これは便利だと思った。今までは二時間かかっていた。
新幹線から見えるのは山だけである。
郡山から磐梯山が見えた。郡山から会津に行く、それにしても会津の方にも十年くらい行っていない。
だから仙台に行ったのも一年ぶりくらいだったのだ。
そしたら何か残雪の蔵王も新鮮に見えたから不思議である。
自分はほど旅したものはいない、だから最初はどういう経験をしていたかというと
まず京都とか大阪とか西の方の桜を何回も見ていた。
それから東のみちのくに帰るとど。うなっていたかというと西の桜が散った時、東の桜が咲き始める。桜前線で面白いのは時間差があることがその土地の風土を感じるから桜咲く時期は日本独特のものが生れる。
実際に六月まで桜は日本では咲く、雨がふって稚内では六月に桜が咲いていたのである。その時間差が日本ではその土地の風土を感じるのである。

だから郡山で磐梯山を見た時、夕桜が見えたがかなたは会津に想いをはせた。
なんか会津も遠いなとつくづく思った。
ただ福島県だと会津も福島県だからテレビで会津のことは報道されることが違っている
「会津でも桜が咲き始めました」とアナンサーが咲き始めた城の前の桜を写すとき
会津も咲き始めたのか、やはり寒いから浜通りとか中通りとかより遅くなる。
そこにかえって奥深い寒い会津を感じる、ようやく雪国の会津も春なのかと感じる。

会津より桜の咲くと写されぬ城の前なる桜にしあれ

こうして桜の時期はいろいろ思うことが多いのである。
自分の場合全国を旅しているから桜の時期も旅しているからみちのくから京都や大阪をこの時期に想いをはせる。ただみちのくから都は遠くなったなとつくづく思う。
その遠さは距離ではなくそこに行く時間が与えられないということなのだ。
今ならでも新幹線で相当な距離を行けるが新幹線ではどうしても旅になりにくい
旅は途中下車がいいのである。気ままにゆっくり見て旅しない旅にならないのである。
それはしかし贅沢なことだったのである。
新幹線から見えるのは山だけである。
それで新幹線から見える山をインターネットに出ていたのは面白い
新幹線から見えるものはある、それが山だったのである。
それで盛岡に新幹線で行ったとき岩手山が近く感じた、仙台から見えるように感じた。
五〇分で行くとなると何か岩手山が仙台から近いように錯覚した。
これも新幹線の不思議だとなる。

ともかく日本は桜によって象徴される。それも桜もともに栄えることがないと映えない
アベノミックスなどは格差を拡大しているからいいものではない
日本の文化の特徴は仁徳天皇の時代から民の煙を天皇が歌ったように上も下も平等の感覚があった。

 高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどは賑ひにけり
 
江戸時代でも武士と庶民階級がそれほど差がない生活をしていた。
というよりは日本自体が平等に貧乏だったともなる。
日本はいい面として平等を追及する、それが悪い面になると何か突出したものは嫌われるヨーロッパとか中国とかアメリカとは大陸との相違は格差が激しくならない
日本自体が平等を志向する国土になっていた。
それが悪くなればどんぐりの背比べになる
いい方面としては分け隔てなく共に栄えるという平等を志向するうよになる。
桜を見るには一地域を見ていてはわからない、西の方から瀬戸内海でも大阪京都でも桜前線をたどるとき日本の桜は絵巻物の圧巻となる。
だからなんとかまだ見ていない弘前の桜を新幹線で次に見にゆこうと思った。



これは新幹線の視点の景色である。








 
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