2015年04月10日

南相馬市の春の絵になる景色 (橲原や大原や大谷まわりてー写真を絵画風に)


南相馬市の春の絵になる景色

(橲原や大原や大谷まわりてー写真を絵画風に)

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真野川の岸辺

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小池

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小池の墓地
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遠くへと咲きつづくかな朝桜
故郷の墓地に眠るや花の影
梅匂ふ一つの村や山に墓地
墓を継ぐ人あれ側に土筆生ゆ
磐を打つ流れのひびき芽吹きかな
四五本の枝垂桜の大原に

朝日さし桜の映えて風そよぎ紫木蓮あまた今開かわとす
朝日さし立目石かな橲原に桜の咲きて動かざるかも

(大原)

春の日の石にさしにき大原に知る人死して我がしのぶかな
大原に草の萌えるもここに死す農家の人の家のみ残りぬ
大原に老木一本春日さし我がたずぬかな田の畦の道
大原に朝風吹きて散りそめぬ山桜かな流れひびきけり
大原の山の小径にひそけくもキクザキイチゲとスミレ咲くかな
大谷に水芭蕉咲き赤々と散りし椿や朝に映えにき
山吹も咲きいずるかな大岩のずしりとここに大原の朝
竹藪椿の赤く二三輪隠さるごとに大原に咲く
大原の竹藪の小径椿散り我がひそけくも通り去りにき
大原に一軒の家のひそけきや小径に朝散る椿かな
大木戸に天保の墓や我がよりて菜の花匂ふ道を行くかな
石神の奥に社やここにしも暮らしのありて草萌ゆるかも
春の日や木の橋を渡り社あり村の暮らしここにありしも
一時は城にありしや牛越城山桜咲き映えにけるかな
一ケ月病院にありて大原を想いし人の今はなしかも
新田川流れの浅く朝ひびき芽吹きや東風の海より吹きぬ
この土手に小蝶一つやとまりけり春の草ふみ街の中かな

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新井田川の向かい側の景色



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大谷の八坂神社に水芭蕉が咲いていた


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高倉ー明治以降武士が開拓に入ったのか?
この紋は妙見神社であり八沢浦の社にもあった


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天保とある
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牛越城


昨日は天気よかったので小池から橲原(じさばら)から大原から高倉から大木戸辺りを回って写真をとった。
写真が良くとれたので絵になるなと思ってパソコンで加工した、そしたら一枚一枚絵ハガキのようになっていた。
これは今なら絵ハガキにもできるフォトブックにもできる。
ただ手間がかかるのである。
この一連の作品はフォトブックにしやすいのでまた試しに相馬市のイオンでもできるし
パソコンでも今でもは簡単にできる
つまり自宅が放送局であり出版社にもなっているのが現代である。
大原は新田川の奥に入ると発電所がありいい石があった。
発電所があるので自然そのものではない、真野川にしてもダムがあるそうである
自然そのものなど今はないだろう。
どこかしら人工化している。
ソーラパネルだって景観を乱すので嫌なのである。
なんか山里にそぐわないのである。
この辺はあとは放射性物質の廃棄場が多いのも自然でなくなっている

大原は南相馬市立病院で一カ月入院していてちょうど何か大原の中心の位置にある斉藤さんの家が今は空家になっている。斉藤さんは死んだからである。
でも一カ月毎日大原の方を病院から見ていたことは自分も一体となり忘れられない
だから何か大原が親しくなったのである。
大原は相当に広い、新田川を渡った向かい側もそうだろう。
竹藪があり椿が咲いていたのも絵のようである。
大谷という所には八坂神社があり水芭蕉が咲き椿が散っていた。
これも絵のようだった。
大原に老木があるのはふさわしい、人間は自然でもそこに人間を見ているのである
大原の老人は長老のような人は死んだのである。
長老というときその土地に根ざした人である。
だから会社というのではない、その土地と密接に暮らした人である。
それは農家の人なのである。
でも今は跡継ぐものもなく空家になっているのが淋しい

高倉の方に行くと社があり木の橋をわたるのも何か素朴な感じになる。
妙見の紋が屋根にあったから明治以降武士が開拓に入った地かもしれない
山側に真宗系統の移民の人たちが集まった墓地があった。
あの辺はまだわかりにくい所である。
それから大木戸辺りに出たら天保の墓があったから古い
石神に出ると何か石上第二小学校もあり原町市街の延長になる。
大原高倉押釜大木戸は市街から離れ山側になる。
原町区はもともと人口も多いから市街だけではない、山の方も広いと思った。

ともかく人間はある土地に故郷でなくても住んでいればその土地と一体化してくる。
それには相当に長い時間がかかる。
こうして未だに故郷でも知らない土地があり今日はじめてたずねたのである。
人間はこうして故郷といっても原町でもさらに小高でも浪江でも拡大してゆくと
知らない土地がまだまだある。発見されていない場所があるのだ。
人間は自然でも人でも土地になじむには相当な時間がかかる
回りにこんな美しい場所があったのかと今ころ気付いているのである。
すでにこの世から去ろうとするときに知ることがある
そうなると一段と長く住んだ土地に親しみと愛情を感じるのである。
つまりますます住んでいる土地と一体化アイディンティティ化してゆくのである。

だからこそ原発事故の最大の悲劇はそうして長く親しんだ土地から離れなければならない、住めなくなったということなのである。
そのことは老人が一番影響を受けたのである。
いくら億の金をもらっても癒されない傷を負ったのである。
なぜなら老人は慣れ親しんだ所の記憶に生きるようになるからである。
自分は旅したことの記憶してまた旅しているというのも不思議な感覚である。
老人になると新しいことができない、記憶された過去を生きているのである。
その記憶が一体化した場所と切り離されることは老人にとっては過酷なのである。
そのことが認知症になったりすることもある。
認知症の特徴は新しいことが記憶できずにただ過去の記憶に生きることになるからだ。

ともかく今の季節か日本では一番いい、また晴れたら出かけたい、今日も寒い
明日は晴れるとかなんか変わりやすいのも困る。




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