2015年04月26日

春の日の新幹線の旅の不思議 (仙台から青森まで二時間だったことの驚き)


春の日の新幹線の旅の不思議


(仙台から青森まで二時間だったことの驚き)


東北新幹線と夕日
http://sakana114.exblog.jp/16757926/


新幹線盛岡とまり春の月
春の灯や盛岡すぎぬ新幹線
春星や新幹線に乗れる人
きらめきぬ旅路帰るや春の星

逢隈駅とまりてしばし残る花車窓に見つつ過ぎ行きにけり
とうとうと北上川の蛇行して岸辺の広く芽吹く樹々かな
みちのくの奥の深きも春の朝連なる山の霞けるかな
新幹線二戸にとまるタンポポの明るく映えてはや走り去る
新幹線樹々の芽吹きや風ゆれてひた走るかな青森までを
八戸に新幹線のとまるかな春田の見えてしばしのどけき
みちのくの春の山々残る雪新幹線の車窓に見ゆかな
みちのくの春や夕日のきらめきて新幹線の車体に反射す
仙台と青森結ぶ新幹線二時間なりし春の夜かな
十三湖西風強し春なれど新幹線にはや帰り来ぬ

新幹線は自分はあまり乗らなかった。旅する時間がなくなり最近東北新幹線でも乗った。青森まで開通して三年たったというけど行っていなかった。八戸までは行っていた。
ただ錯覚していたのは新青森まで三時間以上かかると思っていたことがである。
このことが大きな錯覚だった。
鉄道で三時間となると遠く感じるのである。暇な時間があるときはそうして電車で旅をしていた。それはぜいたくな時間だった。
急行にもあまり乗らず普通車で旅していたのである。

だから今回新幹線で青森まで二時間で到達したことに驚いた。
二時間ということはほぼ原町から仙台に行く感覚である。
それは前は相馬市からも通勤していたように通勤できる時間でもある。
それは一時間20分くらいである
それにしても二時間は本当に早い、距離として遠いという感覚が全くもてなかった。
それは今まで経験しない不思議な旅になった。

新幹線だと見えるのは山だけなのである。
だから新幹線から見える山を紹介するサイトがあったことでもわかる。
不思議なのはその山が連なってるように見えることなのである。
それは山と山の距離は相当にあっても新幹線は早いのだからその距離を短縮してしまうのである。
だから山の間が遠くても連なっているよように見えるのだ。
それで仙台から岩手山が見えるという詩を書いたりした。
今回は青森から仙台まで夜に来たが街の灯でもその間の間隔がないように感じる。
一つの街にきんきてもすぐまた街に来ているから街の間隔がない
街の灯が次々に見えてくる感じ蜷のも不思議な経験であった。
つまり盛岡の街の灯や一関の街の灯でも連続して見えるのである。
新幹線は空間の間隔を変えてしまった。

というのは津軽鉄道で終点の中里町から十三湖をタクシーで見に行った。
十三湖には西風が強く吹いていた。
ここに今ころこんなに強い西風が日本海より吹いてくるのかと意外だった。
ただ太平洋も春になると東風が吹くから海からは風が吹きやすいのである。
その西風をに見に受けて今日のうちに帰ってきたことも不思議である。
あそこは本州の最果ての地だけでも仙台からだって前はそうだった。
新幹線でゆくとそういう感覚がない、距離の感覚がもていなのである。
それでこの感覚はなんなのだろうとなる

技術はやはり人間に新しい感覚をもたらす、パソコンでもインターネットでもそうだった
ただ前から乗り物は車であれバイクであれ自転車であれ乗った感覚は違ったものとなる。見える景色もそれで体験するものは違ったものとなることはわかっていた。
新幹線も乗り物だからやはり同じだったのである。
いづれにしろ電車の旅が長いから新幹線にも鉄道ファンなら愛着を覚えるようになる。
その流線型の車体に春の日がさして反射する、何かその車体も愛おしとなる。
こういう感覚は自分は車にはもてないのである。
でも車をもっている人はそういう感覚をもつことは同じなのである。

ともかくこれだけ早いと青森が一段と身近に感じた。
青森は日帰りもできる距離にあるのかと驚いたのである。
一日泊まったがかなりの所を回ることができたのである。
そして7年間旅から遠ざかっていたからまた旅ができたことはうれしかった。
旅した感覚を忘れていたがよみがえった。
一時は身体障害者になりは旅もできないと悲観していたからうれしかった。
旅はまだまだできる、ほとんど休むこともできなかったがかなりの所を今回は効率的に回った。
こういうのは旅ではないにしろ青森までこんなに近いとすると青森が身近になったのである。
それが新幹線の効果なのかもしれない、青森の一日旅行でもかなり効率的に回れるということである。
今までなら行くだけで半日以上かかり一日かかっていたら長すぎたからである。
行きに一日帰り一日となると長すぎたのである。
新幹線は遠くを近くさせて一体感をもたせる効果があるのかもしれない。
だからまた青森には一日の旅をしたいと思ったのである。

新幹線にケンジが乗っている
このつづきだった、青森まで乗ってやはりこういう感じになる
空間感覚を新幹線は変えたのである。

 
タグ:新幹線

弘前城の桜満開 (城にひかれのは現代に失われたものが城にあるから)


弘前城の桜満開


 
(城にひかれのは現代に失われたものが城にあるから)

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天守閣より

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パノラマ写真

(弘前城天守閣十句)

花また花花に染まりし天守閣
花の色重なり濃しや天守閣
花風に吹き舞い散るや天守閣
天守閣装う花の尽きぬかな
松風の鳴りて花散る天守閣
岩木山春の日映えて天守閣
石垣にくねれる松や枝垂桜
天守閣ものさび古りて松に花
松影に夜散る花や天守閣
花に月弘前城の天守閣
弘前城門の古しや花に月
堀写る月に桜や夜もふけむ

門古く枝垂桜の色濃くも城の内にしくねる松かな
二本の枝垂桜や城の内色を深めて天守望みぬ
樅の樹の直ぐに立ちしも城の内岩木山映え花盛りなり
花の影長々とつづく弘前城枝垂桜の石垣による
花に明け花にそまりて花に暮る弘前城に尽きぬ花かも
弘前城北の守りと古りにけり枝垂桜の色を深めぬ
岩木山天守に望む花盛りや我も望みてみちのくの春
門いくつ堅固に古りて北の国守りのかたく松と花かな


 
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月が出ていた

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クリック拡大しないと鮮明に見えません

 

●城にひかれる理由

大名や藩主の政治上の拠点であり、居住の場所であり、攻守の要であり、城下や近隣の人々の命や生活を左右する、まさに命運が決せられる場所であった

城を守ることは国を守ることと同義であり、それはすなわち、戦国時代には藩内の各人の命が城の存続と共にあったということを意味するのである。そのようなわけで有事の際には武将はおろか、一兵卒、農民や町民に至るまで、城内に暮らし、敵の襲来に備えたのだhttp://japan-web-magazine.com/japanese/castle/index.html


城の美学

徹底的に無駄を省いた造型
簡素簡潔の極みの美
潔白の四面の白壁
忠誠の主君の天主閣
質実の土台の石垣
貧しさの中の無駄のない美
武士道の結晶の美
身を律して静粛なり
冬樹のように張りつめて
ここに自ずと人格は陶冶され
一本筋の通りぬ
城下町の細い道
身を引き締めて
侍の威を正し歩む

建築はただの建物ではない。物質ではない。確かにそこには精神が外に現れた具象化であり建築を見るとその時代が凝集して現れている。日本の城もそれは美を意図して作られたものではない。あくまでもその時代の実用のために戦いに備えるために効率を第一に造られたのである。美を意識して作られたわけではない。後の世にそれが美として認識することになった。日本の城は本当に寸分の無駄もない。貧しかったので無駄ができなかったのだ。それは茶室にも通じるものである。日本という狭い国土ではすべて無駄ができないのだ。ヨーロッパには無駄と思える贅沢な建築がある。装飾過剰と思えるバロック建築などである。ヨーロッパには日本にはない贅沢な建築がある。それはとりもなおさずヨーロッパには日本にない富の蓄積があったからだ。日本にはそうした富の蓄積がない故無駄を徹底的に省く建築が志向された。日本の城は大きい城より小さい城に本来の姿があるのかもしれない。地方の多くの城は小さい城だったからだ。とにかく侍はいなくなっても城は侍の精神の結晶として残り確かにその城から侍が出てくるのだ。

 一方現代の建築の貧困は大きいばかりでそこに精神の表象化したものが感じられない。単に効率化でありビジネスと事務のための箱に過ぎず精神がない、ただ利益を追求するためのもので精神を感じられないのだ。建築からみると現代は貧困である。これほどの建物がひしめきあっているのにどれも個性もなく一様である。
現代をみるとき常に過去にもどり現代をみるから歴史が重要になる。
復古の精神が明治維新でもそうだったように革命になっているのが世界でも同じである。フィレンツのルネサンスがローマなどの復活だったようにローマももともとは武士道と通じるものをもっていたのである。それは建築にも現れていたのである。
ローマの兵士と侍は似ているのもやはり共通している。
今にないものが失われたものが昔にあったから歴史が見直されるしそれはくりかえされてきた人間の営みである。
城に魅力を感じるのは現代が失われたものがそこにあるからである。
高層ビルを見て何か不満がある。ただ高いというだけで何かが欠けている。
おそらくこうした現代のビルははたして後世の歴史的遺産となるのかと考えたらならないだろう。そこには何か人間の営みとして大きく欠落したものがあるからである。
一方城には小さくても単純でも根本的に違ったものがある。
それは何か?歴史的遺産とか物はただの物ではないのだ

●当時を生きた人々の思いがこもっている城

物にはすでにその城とともに生きた人たちの思いが残されているから単なるものではなくなっている。
だから何かもともと城もないのに観光用に城を作っても感動しないのである。
雲雀が原に野馬追城など作ってもそこにはもともと城がなかったから観光用であり感動しない、今なら城は秀吉とか名乗る人が個人で城を造ったように作れるのである。
今なら豪邸は城である。でもそこに何かが大きく欠落している。
城は小さくても単なる物ではない、その時代に生きた人たちの思いが集積して残っているから違っているのである。
そういうものが本当の歴史的遺産であり後世に残るものである。

城にはそういう人々の思いが共同性の象徴としてあったから違っている。
建物は共同性の象徴としてあった。
村の共同のために神社があり武士の時代になると城になり明治以降は家が共同性の象徴となり天皇家と家意識が結びついたのである。
なぜなら一家の墓が生れたのは明治以降だからである。
それまでは個人墓と夫婦墓が多いのである。それは明治になっても受け継がれているから夫婦墓は明治になっても多かったのである。それは・・・家という家の墓ではないのである。明治以降はこのように共同が村から城から変わっていったのである。
今なら会社が共同性の要だから城と同じになる。企業戦士と呼ばれたのもそのためであるでも会社が高度成長の時は会社に家族もまるごと従属したが今はそうではなくなった。
武士の社会では身も心も城と一体化して従属していたし家臣は君主に忠誠を誓っていた。そこに強いモラルが形成されて命をともにしたから違っていたのである。
そういうものを城にはあり単なるものではないからひかれるのである。

●弘前城の天守は当時のままのもの

弘前城は天守でも江戸時代から現存しているまれなものなのである。
だから余計にそこにこもっている思いがその城に感じるのである。
城でもきれいに改装されると何か違ってくる。たいがい城は改装されて新しくなっているすると何か作られた観光用のものと感じてしまうのである。

ともかく弘前城に残っているものは少なくても往時のままに現存していたから貴重である桜は別に江戸時代は咲いていなかった。枝垂桜のことは信長に滅ぼされた朝倉氏の城で歌われたからあった。糸桜として歌われている。
桜はそもそも山桜であり城には咲かない、染井吉野はあとから作られた品種である。
明治以降に城が公園化して桜で飾られるようになったのである。
弘前公園の桜もそうである。

春高樓の花の宴
めぐる盃かげさして
千代の松が枝わけいでし
昔の光今何處

これもだから明治以降に桜が植えられて咲いたからできた歌だった。
それでもなぜこれほど城には桜が映えるのか、それは城と桜が一体化する日本的文化のためである。当時も桜が咲いていたように錯覚するのである。
第一桜そのものが日本人の心でありもう単なる花ではないからそうなっている。
弘前城の桜はやはり一番見応えがある。岩木山を見えるし自然と調和することでさらに引き立つのある。それは二本松の城と同じである。
街中にある城はビルに埋もれたりしたら映えないのである。
自然と調和しないものはどんなことしても美を作り出せないのである。



弘前城に現存する門は、間口の高さが他の地域の城門に比べて高く作られています。これは、積雪時にも槍を掲げながら門を通過できるようにしているためだと言われています
http://tamutamu2011.kuronowish.com/hirosakijyouootemonn.htm

ここの写真を見ればわかる、これだけ雪がつもっている

この写真は4月24日のものです
 
今年は風が強いし早く咲いたので散るのも早いらしいです

偶然ホテルのキャンセルが一室あってとまれた

新幹線も盛岡まで立っていた

この時期はこむが桜の時期は短いから無理をしても見るべきである
タグ:弘前城

2015年04月27日

fotoskecherで加工した弘前城の桜の写真


fotoskecherで加工した弘前城の桜の写真


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クリック拡大して鮮明に見える

写真は今や絵画化する、写真は今や膨大になっている
デジカメの場合は記録してとる場合がある
芸術としてとり加工することもある
この両方がデジカメにはある。
写真と絵の見分けがつかなくなったのも現代である。
タグ:弘前城の桜

弘前市は喫茶店の街 (コーヒーは薬だったー何でも歴史があると違ってくる)


弘前市は喫茶店の街


(コーヒーは薬だったー何でも歴史があると違ってくる)

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弘前の喫茶店かな城の側夕べ灯ともり花の夕暮

幕府の命を受け、北方警備のため蝦夷地に赴いた勇敢な弘前藩士。厳冬下、浮腫病の予防薬として飲んだ「蘭療法」に基づく珈琲を再現したのが「藩士の珈琲」です。安政4年(1857)、蝦夷地勤務の幕臣に配られた仕様書(蝦夷地御用留「二」)によると、「黒くなるまでよく煎り、こまかくたらりと成迄つきくだき弐さじ程麻袋に入、熱き湯にて番茶の如き色にふり出し、土びんに入置、さめ候得ばよくあたため、砂糖を入用るべし」と記されています。これはドリップ方式の原形ともいえる淹れ方。色や味は番茶に似た薄味の珈琲で、とろりとした舌ざわりが特徴です。珈琲の街弘前で、今の味と飲み比べてみませんか
http://www.hirosaki-kanko.or.jp/web/edit.html?id=pamphlet#coffee

弘前市はやはり城もあり歴史がある。青森市は新しいから歴史がない、その相違は観光であれ大きいのである。城跡があるだけでも歴史があるということで魅力がでてくるのである。歴史とは何かというと過去との対話である。
過去との対話というとき城とか目立つものではなく墓でもそうである。
墓を通じて故人と対話する。それが人間の営みである。
だから街の魅力として城があるのとないのとでは相当に違ってくる。
相馬藩たと城があったのは相馬市であり南相馬市になったが原町は明治以降に発展した新しい街である。街の中心部が江戸時代は野馬追いのための広大な牧になっていたことでもわかる。
原町は城下町ではない、いち早く近代化した新興の街でありそのシンブルが大正時代に建てられた巨大な無線塔であった。それは関東大地震の時、アメリカに無線で伝えたということでも有名である。
この新旧の市町村の歴史は常にみておく必要がある。
村でも必ず新旧がある。古町とあるときそこはもともと栄えた町であった。それが山の中の村にもあるし町には必ず古町がある。どこが古いのか新しいのか知る必要がある。
会津でも会津は城がありそこが古いのは誰でもわかる。でも明治以降発展したの商業の街の喜多方なのである。会津の北にあるから喜多方になった。
外国でも歴史のある街と新しい街は明確に別れていて観光するのは古い街なのである。
そこでは歴史があり昔を知ることができるからである。
これは外国でもそうだし日本でも同じなのである。

弘前市でコーヒーを薬として飲んでいたことが面白い。もともとお茶も薬だった。その原産は中国の雲南であった。そこに山茶花などの原木がある。山茶花は茶とあるごとく茶の原木なのである。ただコーヒーが薬だったことは意外だった。
また弘前藩が北方警備のために蝦夷地に赴いたというのも本州の最果てだから北海道がすぐ先なのだから地理的に蝦夷とは深い関係があった。
それで良くアイヌ語地名が青森の地名の基だと言われる。青森の地名は確かに別とかつく地名が多い。今別とかもそうでありそういう傾向があることは確かである。
ただそれがアイヌ語由来なのかどうかはまた不明なのである。
青森県の面白さは北海道と蝦夷との関係がもともとあったことは確かである。そういう地理的位置にある。
だから青森市が青森県が明治以降函館が大きな港として機能して青森が繁栄しなかったとか恨みを言うのもわかる。
明治以降は北海道が発展して函館が中心になっていたからである。
明治以降は函館の方がめざましく発展したのである。
青森県が青森が中心ではない、弘前城がある所が中心だったのである。
ともかく城がある所が古いということはわかりやすいのである。
福島市には城がないが二本松には城があり二本松県となるところだった。
会津にも城があり会津県になるところだった。
それはわかりやすいのだがなぜ福島県になったのかはわかりにくいのである。
福島市には城がないしどうして福島県になったのか謎になっているし青森県も青森という小高い森があって青森県になったというけどそれも納得いかないのである。
弘前県だったらわかりやすいとなる。ただ合併するのとにていて弘前市が中心でない広域になると別な名前が必要になり必ず合併した市町村の一字をとり名前にするのとにている会津県となったら会津以外は入らないとなってしまうからである。

いづれにしろ歴史は別にむずかしいものではなくコーヒーのこと一つとってもここではこんな歴史があったのかと興味深いものとなる。
会津藩でも藩士が北方の警備にあたっていた。


会津藩でも藩士が北方の警備にあたっていた。それで明治維新で薩摩長州と対立したとき会津藩・庄内藩が、蝦夷地をプロイセンに売却しようとしている文書が最近発見された。会津・庄内藩は、軍事支援の見返りに、北海道を売り渡す計画していたのでしょうか
http://blog.livedoor.jp/chachachiako/archives/28769788.html

ここのプログの中に北海道を管理していた地域の藩の図がでている。北海道は東北列藩が管理支配していたのである。津軽藩も一部をまかせられていた。会津はオホーツクの方で領域が広いことがわかる。
つまり薩摩長州連合軍と幕府軍が榎本長けようお函館に星型の城郭を築いて北海道共和国を作ろうとしたことに呼応している。
東北列藩と幕府軍と北海道とプロイセン連合が成り立てば薩摩長州に対抗できたのである。
それがまとまらなかったのはやはりそれをまとめるだけのものがなかった。
だから薩摩長州連合軍に敗れたのである。

青森県について津軽について弘前の城下町についての知識は自分は不足している。
函館には五六回行っているから函館は知っているのである。
青森とか弘前市については良く知らないのである。
弘前市に冬に行ったとき雪が朝に明るくきれいな雪だなと見た。
会津とか新潟などの雪はなにか暗く感じる。その雪は朝明るく本当に白く降っていた。
それほど寒いとも感じなかったことを覚えている。
ただ津軽の方の雪になると地吹雪であり全く違ったものになっている。
弘前市は都会であり城下町であり文化の街でもあるから喫茶店の街だとなる

自分は旅をして良く喫茶店によったし喫茶店が好きだった。そこでなにか休んで旅のイメージをふくらませる瞑想的な空間としてある。
でも今はそういう喫茶店は極端に減った。飲み食いするだけの場所が経済的に多くなったのである。純粋の喫茶店というのは全国でかなり少なくなったのである。
喫茶店というのは場所が大事である。
東京とか大阪とか混雑した大都会では喫茶店は入ってもリラックスしない。
京都辺りだと歴史があるから喫茶店でも違ったものとなる。
何でも自然と歴史が魅力を作り出しているのである。
南相馬市の鹿島区の農家の納屋を喫茶店にした所も北海老のニコニコ堂も場所としてはいい。
でも幹線道路からはずれた山陰にあるので場所としてはいいのだが利便性がないので外の人は知らないと入らないだろう。
あの場所は隠されているからいいともなるけど知っている人しか行けないのが問題である弘前が喫茶店の街だといとき場所としてはあの城のお掘りの側がいいと思い一度は入りたいなと思った。
人間は田舎的なものと都会的なものを常に求めている。
それはわび、さびと秀吉の黄金の茶室に通じている、都会的なものがないと文化も育たないのである。
盛岡という都会があり賢治も啄木も生まれたのである。
仙台市は都会としては今は大きくなりすぎた。盛岡市とか弘前市くらいの地方都市が文化的な香りがするし城下町ならなおさらである。
仙台市は何か商業都市であり歴史があっても歴史が感じられないのである。

自分は北海道に十回くらい行っているから北海道と結びついている青森県に興味をもった一つの県だけを見ても一地域だけを見てもその地域性はわからない、常に他県とか他のかかわりがあるからつながりを常にみないとわからない。
ただ歴史的地点として城があるところからその土地をみるのはわかりやすいのである。
だからある土地を旅したとしても旅も積み重ねであり前にあそこに行って今度別な方向に行こうとなりその土地の空間認識が広がる。
そして時間認識として歴史認識も必ず必要なのである。
今回はコーヒーの歴史を知った。インターネットはこういう点で便利である。
「津軽学」という本があってもそれをそろえるのも難儀だし調べることが本ではめんどうなのである。
知識もまた蓄積であり旅も蓄積だった。記憶して思い出してその土地のイメージをふくらませるのである。
青森まで行ったら北海道は近くなるから行きたいとなるのが旅である。
北海道には十回とか行っている、函館も何回も行っている。
ただトラピスト修道院まで行って松前に行っていなかったのが失敗だった。
北海道で江戸時代からあったのは松前藩だからそこに行くべきだった。
北海道の日本の歴史は松前からはじまっていたからである。

松前に我は行かじも春なれや弘前よりや松前に行かむ

旅は終わることはない、季節によっても春夏秋冬があり旅はしきれるものではない、旅は今や一度だけではない何回か行って過去の記憶をつないでゆく旅になる。
人間ほど忘れやすいものはないのである。
旅でもすぐに何十年前とかなり記憶が朧になってしまうのである。
とにかく一日泊まっただけでもこれだけの旅ができた。
やはり旅が一番である。そこに住めば人間は誰しも鬼となる
ただ通りすぎて行くなら旅人なら花を見て去るだけだとなるからいいのである。

弘前の桜に染まり帰りける旅人にあれまた来たらむかな

まず弘前であれどこであれそこに住むということはどうしてもどんなところでもいいものではない、悪い面が露骨に見えてくるのである。旅だったらいいころだけ見てされるからいいのである。
それにしても一日泊まるだけで大変なことだった。それでも二日泊まれば北海道まで行けるとなる。こんなに旅ができないということも信じられないことだったのである。
勤め人だったりすれば自由な旅ができないのだから自分のようには感じない、それで退職した人が今は相当に旅している。
たまたまレストランで待っていて会った人もそうだった。高速バスで気ままな旅をしていたのである。
そして自分が気ままな旅ができないのもまた人生だとなる。
自由な旅をしているのは勤めをやめた退職した人たちだったとなる。

 
タグ:弘前市

2015年04月29日

情緒ある弘南鉄道(黒石のこみせ通り) (春と冬をたずねてその土地のことがわかる)



情緒ある弘南鉄道(黒石のこみせ通り)


(春と冬をたずねてその土地のことがわかる)


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黒石弘南鉄道こぶし咲く
境松弘南鉄道夕桜

青森の山間の里知らじかななほ雪残り電車行くかも
春なれど雪の厚きや青森の山々車窓に写りてすぎぬ
駅の名を一つ覚えぬ浪岡や電車過ぎゆく春の朝かな
黒石のこみせを歩みあわれかな弘南鉄道に帰る春かな
松の湯と確かに松あり古りにけるこみせ通りや春の暮かな
黒石のこみせに昔を偲ぶかな買い物をして春となるかな
雪の日に温川(ぬるかわ)温泉に泊まるかなここより遠し春になたしも
黒石より小国は遠き雪うもれトンネルくぐり一度通りぬ
弘前城の雪を踏みにつ古き門入りて桜の根を見て帰るかな
弘前城古木のごとく三つの門雪を踏みしめ帰りし日かな
大館に泊まりしことあり冬の日や汽笛の鳴りて寒き日なりし

城下町時代、秋田から蝦夷・松前へ抜ける街道の中間にあったため、物資の交流など商業が大いに栄えた。豪壮な構えの商家・造り酒屋の妻入りや平入りの屋根のラインが、雪国独特の木のアーケード“こみせ”の上に姿を見せ、独特の景観を見せる。
http://www.jalan.net/kankou/spt_02204ad2150016774/

青森は東北では最果ての国となり情緒がある。青森県は湖があり海があり歴史もありいろいろ変化に富んでいる。鉄道も変化に富んでいる。
そして新青森で乗り換えて弘前に行ったのだがここだけが山間に入り雪が凍り残っていたのである。
やっぱりここは寒いのかとそこだけは最果ての国でまだ寒いからなのかと思った。
その山間をめけると雪はなく春であり今年は暑く夏にもなっていて気候は福島県とか東京とも変わりなかった。気候の変化を感じないから余計に距離感を感じなかった。
ただ十三湖で西風が強く吹いていたときだけ荒涼としたものを感じた。
そこは一四度くらいで寒かった。

黒石は前も一度行ったがこみせ通りには行っていなかった。
それでタクシーを頼んで行ったら松の湯があるところの古い通りとか言ったらすぐわかった。
松の湯のところはそこは工事中だったが松があるから松の湯になっていたのである。
これも地名と場所がぴったりとあいそれがこみせ通りに通じていたから情緒あると思ったこういう情緒はスーパーなどでは作れないのである。
そこには人間の営みとしての歴史があるためである。
歴史は現代では作り出せないものである。長い年月で作られたものだからである。
だから観光するとなると新しい通りはつまらないとなるしスーパーはただ買い物するだけだとなるからつまらない。
あそこを歩いて何か買ったりすると昔の情緒が味わえるのである。
だからあそこで松の湯に入ると癒される、いろいろ温泉をたずねあるいていた人がいた。温泉が熱いのかとしきりに聞いていた。
あれは相当な暇な人でありこれも退職した人であり温泉をたずね歩いているのである。
秘湯をたずねあるいている人もいる。退職した団塊の世代が今は相当に旅しているのである。
金と暇ができたからそうなる。

弘南鉄道もローカル線でありあれで黒石まで行くのも情緒がある。
「境松」とかありそうした駅名と地名がどういうわけか旅では心に残る
黒石という地名も何か青森では黒のイメージになるからあっているのだ。
あそこから冬には温川(ぬるかわ)温泉に行き二日泊まった
途中「小国」という所をトンネルをくぐり一軒宿の温川温泉に着いたのである。
小国という地名はどこにでもある、日本特有の地名である。
それは山深い所に多いのである。
小国というのは一つの国であり昔は自給自足していたからそうした地名が作られたのかもしれない。
福島県でも飯館村へ峠を越えて下がった平坦な盆地のような所が小国となっている。

バス泊まる梨の花咲く小国かな

そこてバスが泊まりしばらく待っていたことがあった。小国町というのもあるから小国という地名は日本全国で多いのである。
雪に埋もれた小国をバスが通ったときこんな奥深い所に人が住んでいて村があったのかと思う。今はどこでも行けるから秘境もなにもなにもない,実際に車でどこでも行けるから秘境などないのである。
秘境と思ったら観光地化していたというのが普通である。
ただ現代の交通の便がいいと何回も行ける、そしてその土地を知るには最低でも春と冬にたずねるべきである。
特に青森のような雪国は冬にたずねて春にたずねるとその風土が実感しやすいのである。冬に行くと全然違った感じになる。
弘前城でも冬に行った時、城内の雪を踏みしめて桜の根っこをみてきた。
そして春に訪れて桜が満開になっていたのを見た。
冬に耐えて一斉に一時桜は咲き散ってしまうのである。
そしてあの古い門が雪で埋まって通れないために高くしたというのも雪国らしいとなる。
弘前城に現存する門は、間口の高さが他の地域の城門に比べて高く作られています。これは、積雪時にも槍を掲げながら門を通過できるようにしているためだと言われています
これも風土であり何かそうした風土によって形成されたものが趣深いものが自ずから生まれる。都会は一様化するからつまらないのである。
どこにいってもビジネスのビルや観光用のものしかなかったらつまらないのである。
弘南鉄道とかあういうローカル線は情緒がある。
でも経営的には苦しい、津軽鉄道もそうである。
ただバスは情緒がない、車窓から見える景色も違ってくる
自分は電車の旅が好きである。バスでは移動したくないのである。
ただそういう恵まれた時は終わった。

今は思い出す旅である。
思い出を編むというかつないで一つの模様にするという作業である。
だからインターネットはそういう思い出す旅の役に立つ
検索できるからちょっとした知識でも役に立つのである。
弘前でコーヒーが薬としてはじめられたというのもそうだった。
旅というのはそうしたちょっとした知識を知っているのと知らないのではまた鑑賞の度合いも違ってくるのである。
だから芭蕉は平泉をその歴史ある場所として事前に調べていてあれだけの紀行文と俳句を残したとなる。
一面知りすぎても旅はつまらなくなるかもしれない、何か知らない意外のものとの出会い、未知(道)との出会いも旅だからである。
必ず旅にはそういうことが起きてくるのである。
決まったルートを行くだけではそうしたことは起きない、たから現代は交通が便利なのだけど観光地をただ回って終わるだけでつまらないとなる。
旅はその過程にあり目的にあるとはなちない、奥の細道は平泉が目的としてもその長い過程にあったからである。






タグ:黒石市

原発事故や津波で奪われた生きがい (何でも金では買えない)



原発事故や津波で奪われた生きがい


(何でも金では買えない)


双葉町辺りで農業していて避難している人で65才の人が農業する代替地を用意してほしいという。
放射性廃棄物とかになるのは困るとかも言っていた。
その人は時々帰って農機具などの手入れをしている。
その人は生きがいを欲しいという、多額の補償金をもらうより生きがいが欲しいという
その生きがいは田んぼで米作りをすることであった。
でも考えてみると65才で農業ができるきかとなると確かに80才でも農作業している人はいるからいちがいには言えない
でもこれから先どれくらい農業ができるかとなると疑問である。
ただ避難民は田植えして収穫したとき喜びがあった。
毎日補償金でパチンコなどしていたら心も荒廃してくるだろう。
飯館村でも多額の補償金でギャンブラーになったという。
お前は金あるんだから何にもしなくていい遊んでいれというのも一見いいようでそれが人間の生活とかなる。
浪江の会社経営の人もたんまり金もらったんだから仕事はやらなくていいよと言われたのにはがっかりしたというのもそうである。
何億円もらったから仕事は回してもらえない、その金で遊んでいればいいだろうとか言われるの補償金から生まれた問題であった。
補償金でそんなふうにしてギャンブルなど遊んでいると回りから良くみられない

「なんだあいつら、補償金をたんまりもらって遊んで暮らしている
俺たちは補償金ももらえず汗水たらして働いているんだよ、あいつらのためにも働いているんだよ」

そう回りから見られる、つまり金もっていて金で買うのだからいいとはみんなならなかったのである。

これは少人数だったらあまり回りからの目が厳しいとは必ずしもならない
そんな変わり者もいるな、ほうっておけとかなる。
現実今の時代はニートとか働かない人が普通にいる時代なのである。
ただ補償金は高額でありそれは国の税金からでているから回りの人は良く思わない
だから原発避難民に対しては回りの人の見る目は複雑なのである。
避難民貴族ともなっているからである。避難民とか言うと世界ではそんなことなどありえないのである。
アフガニスタンの避難民やシリアなど避難民などとはあまりにも違いすぎるのである。
ふういう人たちが生きがいが欲しいなど言わない、
もう毎日が生きるか死ぬかに追い詰められているから生きがいもなにもないのである。
金より生きがいを求めることは贅沢なのである。
そして一億円もらったからとそれで生きがいは買えないのである。

近くで知っている人は小さな畑を作っている。
そこからとれるのはほんのわずかの野菜である。
一人分も間に合わない、一度ネギを二三本もらっただけだった。
でもその畑をするのに肥料代はかかる虫にはやられる盗まれる、草をむしらなければならない・・・延々とそ農業の大変さを言うだけなのである。
でもその人はもともと農家の出であり農業が好きなのである。
いろいろ文句は言ってもその小さな畑で農業することが好きなのである。
趣味の農業であるかそれか生きがいなのである。
だから金かけてでも農業がしたいとなっているのだ。
余裕がある社会になると例え金がかかってもうからなくてもやる
退職した人なども余裕があれば自分の生きがいになることをしたいとなる。
そういうことは人間として進歩していることである。
ただ強制的に食べるだけに働かせられと結局奴隷なんだよなとなる
なぜこんなに現代が働かない人がいるのかそれはそれだけの余裕があるからである。
高等遊民になれたのは戦前だったら本当に例外的でありほんのわずかな人だった。
その人たちかえって特別の人であり教養がある人で作家などになった。
今は普通の人が百万とか働かないのだから全く戦前の高等遊民とは違うのである。
要するに働きたくなければ働かなくてもいいとなっている社会なのである。


生きがいが欲しくて働くなど過去になかったと思う。
生きがいなどより現実として食べるものを生産しなければならないということだけである生きがいを求めるということは社会にそれだけ余裕があるからこそ生まれる
つまり生きがいをそもそも自覚しなかったのである。
農家の人が毎日補償金で働くなくてもいいとなってもそこに生きがいがないというとき
つまり働かなくてもいいということにされたからかえってはじめて生きがいを自覚したのである。
むしろ農業している時は小さな畑で農業している人のように文句が多かったのである。
米は金にならないとか苦労ばかりでなんだとかかんだとかしかないのである。
でも一旦もうあんたは金やるから働かなくていいよとされたとき生きがいが欲しいとなったのである。
漁業でも農業でも生きがいは自覚しないのである。
だから津波で漁師が久々に漁にでて魚をとったとき喜びにあふれていたのである。
農家の人が収穫したときも同じである。

プライムニュースで土地の値段が30年後辺りで三分の一となるとか家の資産価値がなくなるとか言っていたことで解説していたのが面白かった。
土地とか家は資産として資本として価値をもっていた。
ところが土地でも三分の一とか家でも空家が一千万軒時代になると土地も家も価値がないだから土地とか家を資産として考えることは変えねばならない
その土地を活かすものに価値があり土地自体には価値がない
資産として土地をもっていることは許されないとなる、なぜならそんな資産としてもっていても値上がりなどしないからである。
それよりその土地を有効活用してくれる会社に与えるべきだとなる。
空家にしても利用してくれる人の方が価値あるとなる時代である。
土地を家を使ってくれてありがたいとなってしまう時代になるという。

生きがいというのも土地や家をもっていても生きがいは生まれない
それを活用して社会のためになる人が生きがいをもつことになる
もともと地主と小作がいて地主はただ土地をもっているだけで豊かになっていたというのは理不尽なことだった。
その土地で働いて収穫する人の方が価値があったからである。
土地をもっているだけで裕福になるという社会は理不尽な社会だった。
そういう社会も土地が三分の一とか空家がこれだけ増えると何も価値がない
使ってくれるとありがたいとなってしまうのである。
土地をもっていたり空家をもっていても何の資産価値もないのである。
そこに住む人がいて土地も家も価値をもつ、利用する人の方が価値あるとなる社会であるそれが人間的なものであり公平なものである。
都会でも土地をもっているだけで家賃だけで暮らしているとかいうのは理不尽だった。
土地で家でも金でもそれを社会のために有効に活かせる人がもつべきなのである。
自分がプログを書いているのも生きがいのためである。
これは別に発表するのに金はかからないからできるのである。
これが本を出すとかなると個人ではできないからである。
たとえば画家にしても今は金のために描くなくてもいいとなる
自分の描きたいのを描かけばいいとなるときそれは余裕ある社会だからそうなる。

いづれにしろ生きがいが欲しいというのも仮設で四年もごろごろしていたらそう思うのも当然だとなる。
そういう生活にあきてしまうだろう。それでいいという人もいるし農家の人が言っていたが3年遊んでいたら仕事ができないというのもそうなきかもしれない
怠け癖がついてしまうのだろう。
この辺で当たり前のことが当たり前の価値がクローズアップされた、意識されないもきが意識され価値を認識するようになったのである。
故郷がなくなることなどイメージすらできなかった。
それが実際に故郷が消失したとき故郷ととは何かなど哲学的に思考するようになったのである。
津波や原発事故周辺はそうした人間のあらゆる問題を追及する場ともなった。
生きがいが欲しいというのもこの辺で避難暮らしになって特別意識されたことなのであるそもそも人が働くのは生きがいのためであることこそ人間本来の姿だった。
強制的に奴隷なんだよなというときは生きがいもないのである。
つくづく人間の社会の価値は常に変動している。
それは人生でもそうであり若いとき価値あると思うものが老人になると全く価値ないものとなる。

老人の考え方は若者とは違う。時間感覚にしても全く違ってる。
小さな庭に何を植えようかと思ったらもうすでに成長して葉が茂り花が咲いているのがいいとなる。
それが三年先に成長しているということに待てないのである。
そんな三年でも待っていたら死んでしまうかもしれないということが現実になる。
だからこの若者と老人の時間感覚の差は大きいのである。
復興するにしても若い人の意見を聞けというときそうである。
老人はもう何年後かに死んでいるかもしれないというとき十年後のことも考えられないのである。
もちろん十年後を考えて働くこともできない、十年後にここに木が成長して花が咲き実が実るだろうという希望をいだくことができないのである。
それより成長した木で花が咲いているのを見たいとなるのである。
だから避難民が帰るというとき老人だけになるときどうしてそこで復興できるのだろうかとなる。
あと何年がで人生も終わりだなとか長くても十年だなとかなると復興などできないのである。だから老人だけでは復興はむずかしいから避難区域になっているところは復興はありえないと思ってしまう。
はっきりいってめんどうだから小高に帰らないと鹿島に家を建てた人がいた人の気持もわかる。

自分自身が何かこの辺でこんなふうになって問題だらけの所にいるのが嫌だとなる。
それは先が短いからそうなる。
もう最後はゆっくりして咲いている花を楽しみ実を食べたいとなるだけなのである。
今は耐えていれば十年後には花が咲き実がなるとか言われてもそれもできない
だからこういう所に住みたくないと正直自分も思っているのである。
普通の場所で少ない老後を楽しみ暮らしたいとなるのである。
この辺の老後の人生は破壊されてしまったのである。
いろいろなわずらわしいことが多い所には住みたくないのである。
だから息子娘が跡を継ぎ孫がいて曾孫がいておじいちゃんと呼ばれていて多少は農作業したりしているのがいいとなる。
そういう老後が破壊されてしまったのである。
確かに補償金があるにしても子供と親は別々になり老人だけが帰って老人だけの社会が成り立つのかとなる。
老人だけ帰って復興にならないのである。
だからこの辺の状態はあと五年くらいしたら相当に深刻になるだろう。
外部の人も極端にへり夕張のようになるか恐れもある。
シルバータウンになって跡継ぎがなく市町村が消滅してゆく、避難区域はすでにそうなっているからである。
タグ:生きがい
posted by 老鶯 at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年04月30日

初夏になっている (今年は夏が早い)


初夏になっている

(今年は夏が早い)
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これも原画があり変化させたものである。
原画がわからなくなるから出してもいいとなる


一時に七輪咲きぬ牡丹かな

道の駅燕交差し増えるかな

日立木の街道そいに蛙鳴く


山桜風に飛び散り海よりし東風(こち)吹きそよぐ新緑にあれ
 山桜昨日残ると見にけるもたちまち散りて東風の強しも
知られるざる道踏み分けて今年見る桜のあわれ夕日さすかな

 
今年は夏が早い、弘前の桜は連休に咲く、でも今はすでに散っている
このように桜の咲く時期に見ることがむずかしいのである。
今年は何か風が強かった、それでたちまち散ったということもある。
弘前の桜を見たい人は連休になってみれないとなると残念だろう
ギャンセルが増えるとうか土地の人は言ったいた
桜が咲いていないのに遠くからわざわざ新幹線でも金をかけてはこないとなる
だから弘前では商売的には今年の季節はいいとはならなかった

山桜が風に吹かれて飛びちる、それも山桜らしい、街の近くに山桜が咲いていたが今まで気付かなかった。
何か故郷でももう死ぬかもしれないというとき知らないことがある。
近くに咲いている桜さへ知らないのである。

知られるざる道踏み分けて今年見る桜のあわれ夕日さすかな

あそこの道は通ったことがなかった。それも近くだったのである。

今年はすでに夏である。新緑にもなっている。
道の駅に盛んに燕が飛び交い今の時期は一番活気がある
自転車は風を感じるから気持ちいい
車は風を感じないから季節感もなくなる
やはり自然とともに人間も生きるとき生きていることはすばらしいとなる
牡丹も今年は七輪も咲いた。
一時に命がみちあふれ花も開花して躍動的になるのが4、5月である。
この時期は一番いい時期である。
個人の人生であれ社会的歴史的にも花開く時がある
それがルネッサンスなのである
東北はまだルネサンスはなかったけどこれだけ富でも蓄積されて東北でも起きてくる
自分の庭のて輪の牡丹が一時に咲いたように経済を基盤にして栄える時がくる。

ともかく自転車に自分が乗れなくなったら最悪だった。
実際一時二年間くらいは自転車にのれても苦しかったからそうなっていたのである。


五月の風

五月の風を受けて自転車は颯爽と走れ
山桜の花が飛び散り
太平洋から東風が吹きそよぎ
新緑の季節に変わる
清冽な泉が大地より湧き出し
熱せられた銅の山の肌
体にも熱い血潮が巡り夏が来る
白い浪しぶきが遠くに見えて
燕は飛び交い蛙は鳴く
自然の躍動とともに汝はあれ
生命は今水々しく青々と輝いている
花々は今一時に祝福するように咲く
健やかな体に全身で自然の躍動とともに生きる
五月の風を受けて自転車は颯爽と走れ
水は轟き流れ風は唸り吹く
世界は広く究めることはできない
未知の領域は近くにもあり
汝の旅に終わりなし

自然と一体化して生きることが幸せである。そのためには体が健康でとないとだめであるどうしても病気になると表現するのも病的になるのである。
ただ自転車も疲れるようになった。筋肉痛になるから遠くは苦しい
結局体力がないと無理はできない、それができるのは若い内だけなのである。
今日は4月の最後だけど五月の風だった。


 
 
 
 
 
タグ:五月

抽象画(夏のイメージ)


抽象画(夏のイメージ)


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水と緑の地球

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新緑に風

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結局抽象画も具象画を知らずして鑑賞できないだろう。
なぜなら自分の抽象画が具象画をパソコンで抽象画にしているからだ
新緑となればいくらでも写真がでている
それを加工しているというとき変化させているのは具象画の新緑を抽象画しようとしている
だから新緑という具象画があって抽象画ありうる


ただ色の配合だけでも何かを現せるというのが抽象画である。
パソコンの色は電気の色だから今までの絵の具では現せない
だからアートは技術なのである
新しい技術で見方が変わるのである


だからなんか抽象画は創作しているという感覚が薄い
機械的作業である。でも変化して何か別なものになっているから創作だともなる
要するにその種がパソコン上にインターネットにいくらでもあるから尽きないとなる
インターネットが影響している芸術でもある
タグ:新緑