2015年03月28日

NHKスペシャル「プラントハンター 世界を行くを見て (グローバル化している花や植物の世界)



NHKスペシャル「プラントハンター 世界を行くを見て


(グローバル化している花や植物の世界)


プラントハンター(Plant hunter)とは、主に17世紀から20世紀中期にかえてヨーロッパで活躍した職業で、食料、香料、繊維等に利用される有用植物や、観賞植物の新種を求め世界を探検、冒険する人のことで、現在も存在する。

オレンジやレモンは北西ヨーロッパの貴族にとってあこがれの樹木だった。イタリアやスペインからアルプスを越えて運ばれ、夏の間だけ北西ヨーロッパの貴族の庭を彩った。イギリス人が、ヨーロッパ大陸に派遣され、サクランボやオレンジ、アネモネ、チューリップなどを購入したのが、プラントハンティングの起源だといわれている。
http://www.13hw.com/jobcontent/01_01_01.html

西畠清順さんは、数々のお金持ちの方からの依頼を受けていて、その1回の依頼料が、なななんと3000万円からだそうです。



プラントハンターはヨーロッパでは昔からあった。これはやはり金持ち国でないとできないだろう。
そもそも花を観賞する、生け花でも余裕がないとできないし鑑賞すらできない。
ヨーロッパでいろいろなもの芸術でも科学でも発達したのは生活に余裕ができたからだろう。
イギリスは寒い国だから南への憧れが強いし植物でも花でも南国のものを取り入れた。
花の種類はどうしても南国が多様だからである。

最近自分は家事とか介護に追われゆっくり花も観賞できないことに気づいた。
花見るにさえそれだけの時間的なゆとりが必要なのである。
だから時間の節約するにも金持ちだとできることがある。
家政婦を雇えば家事をしてもらうことができる。
でもこれは一日20万とか払う必要がでてくるし現代はできない
その代わり機械がその代わりをしてくれている。
オカユを作る機械は良くできているなと感心したのである。

金持ちが今何に金を使っているのか?
それは庭作りとかがあるだろう、世界の植物で飾る、花でもグローバル化しているから今は多様である。
ただ金があっても時間的余裕が無いと文化的なことがしにくいのてある。
あの人の出自が生け花の素材になるものを松の枝などを自然の中からとってくるなどが仕事だった。
つまり京都のそうした生け花などが盛んな所で文化的に鍛えられたのがグローバル化したのである。
前にも花を自由に活ける人がテレビに出た。
そういう人も京都などの文化があるところから出やすいのである。
田舎の花屋でも花の種類がふえたからグローバル化している。
それだけの知識も新しい技術も取り入れることが必要になる。

それにしてもあれだけ大がかりなことをしていることに驚いた。
樹齢千年とかのオリーブの樹とか酔っぱらいの樹とか飛行機で運んで日本で育てるのだから苦労である。
そんなことまでできる時代だともなる。
ただ残念なのは大阪とかであれ大都会で森の無いところで展示する
何本か植えるにしてもそもそもか都会には森がないのである。
一本のめずらしい樹があってもそれで森になるわけではない
森という全体があって一本の樹も生きるのである。
せめて公園きような所に小さな森でもあれば活きるのである
その点この辺は森がある、その森が深い、その森で樹も自然も野生の動物も野鳥も活きているのである。もちろんそこには岩もあり活きている。
都会のビルだらけの所ではそもそも樹も花も活きないのである
つまり森が無いということが致命的なのである。
森は作れないからである。

この辺では近くに深い森があるということは常に森を感じて生きていることにもなる。
森は瞑想的であり心を静める場所としてある。
放射能に汚染されても森は以前としてある。
飯館村は原始の森にかえるとしたら森にさらにおおわれた世界となってしまう。
双葉町でも大熊町でももともとあそこは明治まで深い森だったのである。
それが浪江町まで森にかえってしまうのか?
そうなると江戸時代にもどり広大な森におおわれることになってしまう。
森の国にになってしまうということてある。


つくづく人間の豊かさとは何なのだろうと思う
都会では森が無いのだから外国からでも一本の樹をもってきても活きない
そもそも森が無い自然が無いことがどんなにしても都会が貧しいことにもなる
都会にはそもそも森でも自然でもそんなもの作れないからである。
そういう人工的空間にめずらしい樹を外国からもってきても活きないのである。
ただ都会には金持ちがいるからやはりヨーロッパのように昔と同じくそうした職業が生れている。
金持ちに対して需要があるからそういう職業も生れている。
田舎では別に森があるのだからそんな職業は必要ないともなる。
ただ街路樹などはやはり都会でも自然を感じさせる。
仙台には欅並木がありやはりそれは自然を取り入れたもので気持いいとなる。
自分がしてみたいことは庭作りだった。ただこれも大変な労力が必要でありもうできない水やるだけでも手間であり家事から介護からやっていたらそれも手間になる。
だから金持ちでも時間に追われて仕事している人は時間がなくて旅もできない、自由にならないといっていることもわかる。
本当の金持ちは自由な時間がもてる人なのだからそういう金持ちは金持ちとも言えない
仕事の奴隷ともなっている。
日本人は豊かになっても何かそうした本当の金持ちがいないから文化も育たない
ヨーロッパのような貴族が生れないということである。

 

小高の原発で働いていた人の話(2) (東電の部長と並んで歩いて一目置かれた話)


小高の原発で働いていた人の話(2)

(東電の部長と並んで歩いて一目置かれた話)

前にも聞いたけどてあの人の話は興味深い。戦争についても詳しい。
原発で30年働いていた。でも下請けではないから待遇が良かった。
今のサブドレインとかがありその穴堀りしていたとういう
その仕事をもらったのは何らかの小高の人の関係で東電の上層部と関係がもてた。
何でも工事現場を歩くとき部長と一緒に歩いたら偉い人に見られたとういう。
そこで鹿島建設から仕事をもらうことができたという。
東電の幹部ともなると鹿島建設より上だったのである。
東電の社員は事故前はどこでも偉い人たちだったのである。
事故後は東電社員お断りとかも飲食店であった。
そして鹿島建設は東電より大きい会社だったというが東電が建築関係を受注したから上だとなる。
東電はまた政府と関係していたから上になる

ただ原発は東電だけではない、大手の建設会社や原子炉関係では東芝とか三菱とか日立とか日本の主なる大企業がかかわり総合的なものとして作られていた。
そして建設会社は地方でもそうだが利権になりやすいのである。
だから時の政治権力者がかかわりそこに大金が動くのである。
地方の選挙では奄美大島だったか二つの陣営に別れ争い負けた方には建設会社が受注できないとなり必死だった。
選挙に負けた方には利権が入らないのである。
建設会社がゼネコンが一番利権にかかわりやすいのである。
それにしても東電の部長と並んで歩くだけで東電の幹部のように見られた、特別な人と見られたというのもそれで鹿島建設から一目置かれて仕事がもらえたというのもこれは今でもあくことだろう。
それだけ東電の幹部となれば鹿島建設でも頭が上がらないという権力をもっていた。

それから前にも聞いたけど何度も言っているのは浪江と小高の間の東北電力が原発を建てる場所の土地をもっていた人がその土地を売らないと抵抗していたという。
その人の名前もあげていた。その人はなぜ高いところに電源を置かないのだ、津浪が来たらどうするんだとしきりに言っていたという。
津浪のこと言うこと自体この辺では全くなかった。
津浪が来るなど話も聞いていないのである。
だから津浪が来るから危ないということを言うこと自体不思議だった。
地元の人でも津浪のことを言っている人はいないからである。
ただ小高と浪江の間の東北電力で建てる原発は工事が開始されようとしたが今回の事故で中止になった。
その建設予定地には津浪は来ていなかった。

双葉や大熊の原発を建てるときは最初からしきったのはアメリカである。
なぜなら日本では原発を建てる技術も知識もないから最初はアメリカの指示通りにして建てたのである。
GEが設計から建設を指示して建てた、だから相当にアメリカの責任も重かったのである。電源を地下にしたのもアメリカの指示だった。
アメリカは津浪のことを想定しなかったからである。
そのことが命取りになったのである。
アメリカの指示通りにするというとき日本は戦後70年過ぎてもアメリカの占領下と同じになっていた。自主的に判断させられない、アメリカの指示通りにする他ない、
そのアメリカの指示通りにして事故になった。
ただアメリカのことはあまり批判されないのである。
電源を地下に置いたのはまず致命的過ちだったのである。
一素人が津浪に危ないとか指摘して電源を上に置くべきだということを言っていたのだから東電でもわかっていてンたかアメリカの指示だから従ったのだろうか?
その辺の真意がまだわかりにくい、つまりアメリカの責任はあまり問われないからである
原発がなぜ日本で廃止できないかというとアメリカの指示がるからだとなる。
それは単に原発として電力としてではなく核の利用とかアメリカのためになるからだろう防衛上の理由もある。つまりアメリカの指示で原発は廃止できない
それは沖縄の基地ともにている。アメリカの指示で基地も廃止できないのである。
それは戦後70十年変わらなかったのである。
だから戦後70年過ぎてアメリカとの関係を見直す時期になった。
それは中国の強大化もあり外交政策を見直す時期になったのである。


ともかく東電とともに原発とともに人生があったという人たちもこの辺には多い。
だから東電をあまり批判できないとかなる
東電から利益を得ていた人も多いのである。
原発事故の周辺は議員も東電関係で勤めで関係していたとか何らか関係して恩恵を受けている。
だから大熊町長は原発を再稼働してくれとまでなおなっている。
もう原発なしでは経済も何も成り立たなくなっていたのである。

タグ:東電
posted by 老鶯 at 16:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

ジャーマンウイングスの旅客機墜落事故、副操縦士が故意に墜落させた可能性 (事故は人間が完全でないからなくすことはできない)


ジャーマンウイングスの旅客機墜落事故、副操縦士が故意に墜落させた可能性

(事故は人間が完全でないからなくすことはできない)

 
アンドレアス・ルビッツ副操縦士は女友達との関係で難しい状況に直面しており、これが旅客機を急降下させ山に激突させる行動に
 つながった一因ではないかと同紙は報じている。この女性の名前は明記していない。
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NLUKIL6TTDSG01.html


何か事故を起きる原因には共通性がある。韓国でのフェリーの事故もそうだった。
もうけを出そうと無理をして船を改造したりしていた。
原発事故でも清水社長がコストカッターでのしあがったというのもそうである。
今回の飛行機事故も安い航空会社でありパイロットを安くしようとしたとか
解雇できないとか言う人もいる。
何かコストカットするとどうしても安全面はないがしろになる。
安全に金をかけるともうからないからである。
でも一旦事故が起きるとその影響はあまりにも大きいものとなる。
会社の存続さえあやうくなるから安全対策しないと命取りになる。
でも韓国のフェリー事故でも今回の飛行機事故でも原発でも同じように
コストカットが優先され安全面がないがしろにされたことでは共通している
ただパイロット自身の人間的管理までは行き届かなかった。
人間が一番危険でありそれは会社でも管理できない
機械は管理できても人間は何か必ず不測の自体が起きるし予測もできない
だからかえって飛行機は自動運転の方が安全だとまでなる
人間は完全に管理できないからである。
 
それは人間の心を管理できないと同じである。
人間には悪意とかいろいろな恨みとか心にあってもそれは見えないからである。
このパイロットもまだ27歳で何かと動揺していた。
それは女性問題もあったようだ。
そういうことはパイロットの技術問題と関係ないのだがそうした心の問題も影響してくるだから理系だと技術者だとそんなめんどうな人間関係のことなど関係ないように見えても関係してくる。
医者でも手術するとき何か悩み事などかかえていると動揺して手術がうまくできないとかあるかもしれない、人間は機械ではないから感情的な面とかいろいろ精神に作用するからである。
感情がたかぶっいると車でも運転すると事故になりやすい。
だからどうしても人間は事故がさけられないのである。

また事故でも犯罪でも一つの原因では起きない、様々な複合的要因がかさなり起きてくるテロからの安全を計るためにドアをあけられなくしたのも裏目にでた。
実際自分の金庫も暗証番号を忘れて開けられなくなったとかそうした不都合が常に起きてくる。完全な安全はありえないのである。
思わぬ所に落とし穴があり必ず事故が起きる。
だから事故は宿命的だとかカルマだとかまでなるしそう考える人も多いのである。
なぜ事故が起きて死んだのかとなるとその人のカルマだったともなる
不運だったとなり運命論にまでなる。
実際自分の兄弟の一人は事故で死んだが父親が違うがその父親も事故で死んでいたのである。二代して事故死んだのはなぜだろうとなる。
事故のカルマがあり事故で親子二代死んだとなるのかと考えるのも不思議ではない

日本の国土のカルマとして必ず地震とか津浪とか台風とかで被害がある。
津浪は千年単位でみれば日本では起きている。
ただそのカルマを忘れていて大被害になった。
カルマは前世からだとか歴史的カルマがありそれは忘れやすいのである。
だから事故もカルマ論になると事故にあうべきしてあったとかまでなる
今回の事故ではそれにしても一人の鬱病とか女性問題の巻き添えになったというのも
あまりにも理不尽だとなる
ただこの場合でもサッカーチームはたまたま便を変えて助かったとかあり運不運がある。必ず事故でも災害でも運不運がある、この辺でたまたま家族が他に出かけていて助かったという人がいた。
一方で他からたまたま来ていて津浪で死んだ人もいるのである。
それも運不運だとなる。
だから守護霊に守られていれば助けられるとかまでなる。
誰でも60くらいまで生きると死ぬか生きるかとかそういうことを経験している。
交通事故だって歩いていても車にぶつけられるから安全ではないからだ。
自分がこれまで生きてきたのはやはり守護霊の作用があったのかと自分でも思っているのである。
なぜなら自分は何らか死んでもしょうがないことがあったからである。
神に守られたから生きていたとなる。

いづれにしろ事故の責任問題は必ず起きてくる。
人命がこれだけ失ったのだから避けることはできない
原発事故でも原因を追及してきたがその原因は広範囲であり一つにはならなかった
そして誰に一体責任があるのかとなるとそれもわからなくなっている
東電にあったとしても罰せられていないからだ
今回の飛行機事故の原因は誰にあるのか?
副操縦士にあるのか?その一人におしつけてんることができるのか?
会社の管理が悪かったともなり会社の責任もまねがれない
だから原発事故のように複雑ではない
韓国のフェリー事故の場合は宗教団体とか権力化した人たちの悪があり
それは原発事故ともにていた。
「安全神話」を作り上げたのは権力化したからである。
権力化して専門家による密室化して他者はかかわることはできなかった。
もちろん地元の人たちもかかわることはできない、ただ金を与えてそれで地元の人を黙らせていたし地元の人も受け入れたのである。

だから権力が密室化すると危険なのである。オープンにしないと権力をもつことは危険になる。
誰も外からチェックできなくなるからだ。
カルト宗教団体でもそうでありオームが密室化して宗教によって他者の批判を拒むことができた。
信教の自由を犯すのかとなる、それは創価などでも巨大宗教団体はみな同じなのである。権力集団であり権力化組織化した集団は危険な存在なのである。
だからそもそも宗教と権力(政治)が結びつくこと自体危険なのである。
無知な大衆は宗教より権力化した面だけをみる。政治だとその権力を誇示できるからわかりやすいのである。
首相の側にいれば偉いとなり中国の要人と対談すれば偉いとみるのである。
それは韓国のフェリー事故で露骨に現れたのである。
大衆をいかに操作するかということで権力を得る
それが事故にもなってゆくのが現代である。

ただ人間は要するに事故でも不測の自体が起きて予期できないから宗教もかかわる
あいつは事故にあったのは信心がなかったのだとか真面目に言っている。
ところが創価など何百万人もいるのだから事故でも不運に死んでいる人など無数にいる。そういう人をまじかに見ているだろう。
交通事故で死んだり破産したりとか近くで実際に見ている。
創価に入ればもし事故にあわないとなれば誰でも入るのである。
ただそうういことが信じられるのは結局人間は事故ですらそれがさけられず宿命的に起きるからである。
どんなに安全策をとってもやはりまた落とし穴があり事故が起きる
それは人間自身が一番のリスクだからである。

人間は神でもないし完全でもない、だからいくら理系的に優れていても人間的な弱点が女性問題とからでもでてくる。
飛行機は操縦しできても女性は操縦できず挫折して自暴自棄になるとかになる。
事故は不完全な人間のリスクから起きてくる。
だからもうさけられない宿命論にもなる
テロから安全を計ろうとしたらそれが裏目になり安全でなくなったということが象徴している。
いくら安全策をとっても不可抗力に不可避的に事故は必ず起きるものなのである。
それは人間が不完全だからでありそれは永遠にそうである。
だから原発とか飛行機でもどんなものでも事故はさけられないのである。
「安全神話」こそがいかに危険なものだったか反省すべきなのである。
それは権力化して成されたことであったからである。

 
 
タグ:事故の原因
posted by 老鶯 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連