2015年03月27日

ジャーマンウイングス機墜落は副操縦士が故意に機体を破壊させようとしたものだった (原発事故ともにていた密室化された操縦室の危険)


ジャーマンウイングス機墜落は副操縦士が故意に機体を破壊させようとしたものだった


(原発事故ともにていた密室化された操縦室の危険)


人間の世界はどんなことしたって万全な安全は計れないことを今回の飛行機事故でも事件でも示していた。
飛行機を操縦している人に問題があったらお手上げになる。
外からの侵入は防げても内部の人だったら防ぎようが無い
だから人間は完全な安全は計れない、いくら計ってもそこに落とし穴があり意外な結果で事故が必ず起きているのである。
それは日常的にも起きている
自分の母親は危険なことなどしない人だった。
家にいれば安全だと思うのが普通である。
ところが水害になって水が家まで入ってきて米をもって逃げようとして炬燵の穴に落ちて骨折したのである。
つまり家にいても人間は安全ではない、地震も来るし津浪も来る
泥棒も入ってくるしどこで事故事件にあうかわからないのだ。

原発の安全神話というのはだから人間のこれまでの経験から見れば絶対な安全などないことが計れないことがわかるはずだった。
ではなぜそんな安全神話ができあがったのうかというとそれは原発にかかわるものが権力化していたからである。
それ5は危ないんじゃないかと実際に福島県の前の知事が指摘していたのである。
でもそんなことを聞く耳をもたなかったし無視できた権力かがあったからである
そして科学の専門家によって閉鎖された世界にもなっていた。
現代は専門家によってもう素人は口出しできない社会になった。
お前らごときが原子力のことなどわかるかと言われればそれまでである。
それは医療の世界でもそうでありどこでもそうなのである。

今回の飛行機事故をみても操縦室は二人とかの密室で行われている。
乗客も他の乗務員でもかかわれない、すべては二人にまかせられる。
そこで一人が意図的に墜落することを計った。
それはどうにも防ぎようが無いのである。
良くバスだと暴走したのを見て乗客がハンドルをきって操作して助かったことがある。
それは地上であり危険が乗客にもわかったからできた。
まず飛行機では急降下しても気づかないのである。
墜落寸前になって気づくのだという。
つまり乗客には何ら危険を察知することもなにもできないのである。

そのことは原発でも同じだった。
原発と地元の人たちとは完全に切り離されている
そこは密室化した空間であり地元の人たちが入れない
ただ許可を得て原発で働く人はいても肝心な操作する室内には入れない
そして原発のことを全部知り得る人間はいないという。
それだけ複雑なものとなりコンピューター制御で動かしている。
今回の飛行機事故も実際運転しているのはコンピュターであり
コンピュターの方が正確であり自動運転していたのである。
人間は補助役である。
だからコンピュターにまかせていれば事故は起きなかった。
人間がかかわって事故が起きたのである。
つまりコンピュターでいくら自動運転して事故が起きないようにしても
人間が最終的に運転するものとしてかかわっている限りその人間が事故を起こす原因になるから事故は起きる。
人間がかかわるかきり事故は起きるのである。

原発だって人間が最終的には判断して動かす、その人間が原因で事故は起きるのである。意図的に原発事故を起こすことも今回のようにできるのである。
だから本当に飛行機が密室で二人だけの操縦者でしきられあとは誰も入りこめないとなると安全面でこれも怖いものだと思った。
一人が何かの病気で倒れたならいいが意図的に爆破させるとか墜落させるとか計られたら防ぎようが無いのである。
「みんななんとかしてくれ」と乗客に叫ぶこともできない
その二人にまかせきりだからである。
原発にもそういう危険性があった。
原発の回りものは誰もかかわれないようになっていたからである。
テロで飛行機も爆破されたりしたから厳重なテロ対策で操縦室に入れないようにしていたそれが裏目ともなり事故が起きたのである。
だから人間は事故を完全に防ぐことはできない
それで原発のような危険なものは一旦事故が起きたら今回のように親類破滅までなるからやめるべきだとなる。

ともかく飛行機は乗客と操縦室が分離していて操縦室のことは何が起きているか全くわからない、そこに二人しかいなかったので一人が意図して墜落を計ればできたのである。
それは原発でも操作する人たちとそこの住民は分離されている
何を操作しているのか?中がどうなっているのかも全くわからない
何かを言えばお前ら素人にはわからないとか権力で無視できる
飛行機内も操縦室は密室化して誰も入れないのである。
テロ対策もあったが今度はそれが裏目になったからいかに完全な安全など計れないかわかる。

結局人間に完全な安全など平和時でもない、いつ交通事故にあうかもしれないし、家にいても地震であれ水害もあるし津浪もある
また家にいても泥棒は入ってくるし強盗だって入ってくる。
都会だと道を普通に歩いていてもさされることがある。
ただ飛行機は一度に大勢が死ぬから怖いとなるが交通事故の方があう確率が格段に高いのである。
だから乗り合わせた人たちは不運だったとなってしまう。
原発事故の場合は不運ではすまされないものがあった。
そこに住めなくなるような広範囲な大被害になったからである。

まず完全な安全を計るなら飛行機に乗るなとか車に乗るなとかなる
原発の安全は原発を作るなとなるべきものだった。
いづれにしろ便利なものには危険をさけることはできない
それは宿命としてそうであり人間の力では防ぎようが無いのだ。
それで「安全神話」というのがこれまでのことを人間の歴史をふりかえれば
ありえないことでありそれが通っていたこと自体問題だった。
権力化して奢りとなっていたために起きた事故だったのである。

posted by 老鶯 at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連