2015年03月12日

帰りたい、帰れない、避難者 4年目の選択 (NHKクローズアップ現代を見てー浪江の老人に見る悲惨な現実)


帰りたい、帰れない、避難者 4年目の選択

(NHKクローズアップ現代を見てー浪江の老人に見る悲惨な現実)

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家の庭も中も荒れ放題だった
でも蝋梅と梅のようてものが咲いていた

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窓から見える夜景



蠟梅の庭に咲きあわれ老夫婦家は荒れにき帰れざるかも
浪江にそ帰りたしとて帰れざる皺深く老い故郷思ふ
浪江にそともに暮らす歳月やその家荒れて壊すも悲し

クローズアップ現代で浪江の人は高層ビルに住んでいた。1000人住んでいるというのも驚きである。夜景がきれいだというのもそうである。
でも田舎からあのような東京のど真ん中に住んでいるのもなじめないだろう。
だから帰りたいとなった。この気持はわかる。
夫は東電の下請けで働いていた。二人で苦労して家を建てたという。
家を建てたというとき近くでも苦労して夫婦で家を建てたという人を知っている。
何もないところから建てたから自慢していた。
家がもともとある人はそう思わないのである。
だから人間の思いは家があってもいろいろなのである。
その家に思いが深い人もいればまたそれほどでない人もいる。
年代によっても違ってくるのだ。
久しぶりで家に帰ってみたら荒れ放題だった。ネズミにかじられるは泥棒が入るはそれを見たらもう壊す他ないとなり壊す費用が出るので壊すことを決心した。
その老夫婦は80越えているからどうしても家に帰りたいということがあった。
でも家は4年も放っておくと荒れ放題になり住めなくなる
しょっちゅう近くだと帰って手入れしている人はいい
東京だと帰りにくいからそうなる
その荒れた庭に蠟梅が咲いていたのである。
蠟梅というと何か老人にふさわしいというか長寿の花のうよに見える

浪江ては東電関係で働いていた人が多い。南相馬市も多い。
その家を建てたというとき東電関係で働いたから家も建てられたともなる。
そういうことで複雑であまり東電を批判できない
高層ビルも東電関係のものなのだろうか?
そもそもか浪江でも原発の被害の大きかった所は東電の会社の社員のようになっていたところがあった。
自治体だったそうである。東電から金が入るからぜいたくもできたとなる

でも今になると東電というのは地元の生活とほとんど関係しなかったろう。
地元と関係するということは田畑を作っている人や漁業している人や何かその土地に根付いて生活している人と関係しない
もし田畑を作っている人と関係していればもし事故が起きて放射能汚染したらどうなるのだろうかと考えたかもしれない、その土地と関係しないから考えない
だから事故が起きたとき原子炉は心配したけど住民のことは考慮しなかった。
それで津島とか一番放射線量が高い所に浪江町では指示して避難させたのである。
これは自治体とも良く話あっていないからだろう。
そもそも原発は東電とか政府の一方的なおしつけがあり住民はかかわれなかったのであるただ金をもらえるということで容認していたのである。
下請けも多いのである。そういう人たちは東電の社員と同じだったのである。

故郷とか田舎だともともとは自給自足でありその土地土地であらゆるものをまかなっていた。それが広域社会化してグローバル化した経済では第一次産業は一割りの生産を担うくらいになった。
農業でも漁業でも老人だけになり跡継ぎもいないとかなっていたのである。
でも今回の原発事故で故郷とか田舎とは何なのか見直すことになった。
田舎とはその土地が一つの世界となって食料でも資材でも自給できることが基本になっていた。
例えば米でも野菜でも自分の田畑で作り燃料でも薪を裏山とりとかそして料理も自分でしたらその土地の糧で生きているという感覚をもつ、すると土地に愛着をもつ
そうでないものは金だけが頼りになる。自分もそうだけど別に田舎に住んでいても今は会社勤めだからそういう人が多い社会なのである。
それが外部との交流の割合は多くなると外部依存になる
その時地域のつながりも薄れていたのである。
実際に収入を得るのは東電という会社があってだとなると特にそうである。
東電中心に生活があったとなる。

そして高齢化社会となっているから老人は故郷に家に帰りたいとしても若い人は移転先で生活をはじめているから余計に老人だけが帰りたいとしても帰れなくなっている人がいたつまり「老いては子に従い」になってしまった。
生活の中心が若い人になり若い人は未来に生きるからそうなる
そこで老人も若い人に従うほかないとなってしまった。
そうしてもう故郷に帰る人はますますへりただ老人だけが帰りたいとなっても帰れないとなっていたのである。
だから今回の原発事故は老人にとっては残酷だった。
そして現実に夫が死んで自殺した高齢の人もいたのである。
原町でも90何歳かの人が一時避難するようになったとき墓に入りますと言って自殺した人もいた。
老人はそれだけもう移転して新しい生活ができないのである。
ただその老人にしても生活がなりたったのは東電があったからである。
その生活も東電とともにあったということが複雑なのである。

いづれにしろ浪江というと縁戚関係の人も多い、浪江は川が二つあり請戸漁港もあり高瀬川もあり大堀りで相馬焼きの窯元せあり風光明媚な所だったのである。
それが荒れ果ててしまった。
あの状態ではもう元の町にはもどらないだろう。
今回の津波であれ原発事故であれ街全体が壊滅したときそれから復興することは絶望的になる。
街自体が全部なくなったときその衝撃はあまりにも大きかった。
その前にたたずんだとき絶望的になるうちのめされてしまう。
そこで考えたことは街というのは村でも全体があって個々が成り立っていたのである。
今はどの市町村に住んでもあまりその市町村につながりとか感じないで住んでいる
田舎でも広域社会になると物は外部からいくらでも入ってくるから金の方が大事になる。でも一旦街でも村でもこんなふうに消失すると全体がないともう個々は維持できないということである。
商店でも街が衰退すれば人口が流出すれば成り立たなくなる。
それは大きくは国がなくなるとシリアのように難民となり悲惨なことになのとにている。でも国とか市町村とか普通はあまり意識しないのである。

ただ津波でも原発事故でもそういうこと市町村自体が消失して維持できないとなることなど想像もできなかったのである。
そしてもう老人だけが帰りたいとしても老人だけが残っても復興はできないのである。
小高などでも帰るのは老人てあり若い人は流出して帰らないとなると復興できない
補償金もらってもそれもいつまでもつづかないし老人だけでは復興できない
いろいろな悪条件が重なり復興するのは容易なものでなくなっている
それにしても80越えて東京で暮らすのは辛いとつくづく思った。
それから避難者は補償金でいい暮らししているだろうとか避難されているのも辛いというこれも小高の避難者に起きたことである。
それはあまりにも遊んでいるということが目立ったからである。
老人は田舎がいいくても若い人は都会がいいという人もでてくる。
だから原発事故は老人にとっては残酷だったのである。


浪江の高瀬川の近くで自分が一度だけ見た石は「皺石」と名付けた。
それはまさに皺を刻んだ老人の石に見えたからである。
浪江はまだ良くみてない所があった。
高瀬川は上流にダムもない自然の川だから名勝の地だった。
だから観光するのにもいい場所だったのである。


浪江の皺石と老人

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老人の一人一人はその顔の皺を深めて人生語る

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その石は存在し続けようとしている
その場その空間に定められて深く
その石は風を感じる
春の日に山の奥へ遠くへ道は通じている
春の風、夏に影なし涼しい風、秋の風、冬の風
あたたかな春の光、秋の光、冬の光を感じる
その風の色合いはそれぞれ違う
雨も雪もその石にふり動かざる
その石は苔むし皺が刻まれている
その深い皺は老人のようにも見える
その石はそこに存在しようとする意志
その場、その空間に歳月を経て深化させる
石はそこに重しのように意味をもつものとなる



浪江の高瀬川の近くで自分が一度だけ見た石は「皺石」と名付けた。
それはまさに皺を刻んだ老人の石に見えたからである。
浪江はまだ良くみてない所があった。
高瀬川は上流にダムもない自然の川だから名勝の地だった。
だから観光するのにもいい場所だったのである。

石でも人間が語っている
それが人間が住まなくなったらどうなるのか?
それは飯館村でも他でも言える
ただこの石そのものはなくならないのである。

posted by 老鶯 at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

春の朝(海老浜は津波の後に見晴らしが良くなった)


春の朝(海老浜は津波の後に見晴らしが良くなった)

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海広く朝鳴きあいぬ雲雀かな
春の朝山鳩二羽や平和かな
イヌフグリ津波の跡の海老の浜

海向かい観音様や朝日さし供養の碑かな鶯の鳴く
椿咲き海広ろかに見渡して津波の跡の海老の浜かな
海老の浜津波の跡に春の霜我が踏みにつつ残る松かな
三十人ここに死ぬとて春の霜津波のよする跡凄まじき
広々と海広がりて阿武隈の奥に雪の嶺春の朝かな

今日は昨日よりあたたかい、それでも春の霜でありまだ寒さはあった。
海老の浜は津波で家がなくなり見晴らしが良くなった。
今までにない景観になった。
松原もないから海か広く見えるようになった。
海老はもともと高い所にあったから見晴らしがいい。
でもこんなふうに広々と見えなかったのである。
家がないとこんなに景観が変わるものかと思った。

椿が咲いていてそこに海が広々として見える、あれは自生の藪椿である
景観的にはいいからあそこを海浜公園にすればそれなりに観光地になる
いづれはあのままにしておくことはできないから公園化するほかないだろう。
見晴らしがいいから気持ちいい
そういうとここで死んだ人を思わないのか死んだ人からするとまだ受け入れがたいだろうでもいつまでもそのままにしておくわけにはいかないだろう。
海老浜は烏崎より公園化しやすい、烏崎は火力発電所で景観が悪くなったからあそこは魅力がない、海老浜は前より景観的に良くなっているのだ。

防潮堤を高くして海が見えなくなるということで問題になった。
確かに海が見えないと海側に住んでいる魅力がなくなる
観光に来てもつまらないとなる
松原はなくなったのだが景観的にはまた違ったものとして魅力がでてきた
海が広く見えて阿武隈山脈が見える。
蔵王連峰も右田の方から見えたのである。

津波で景観が変わったのでそのことをずっと報告してきた。
椿は家並みに隠されて見えなかったのである。
意外は家が見晴らしを悪くしていることに気づいた。
何か家がなくなるとこんなに見晴らしが良くなると思わなかった。
家といってもあそこはビルなともないからである。
都会で景観を悪くしているのは家が密集してビルが建て込んでいるからである。
ビルがなくなり家も少なくなると見晴らしが良くなる
江戸時代は東京でもビルもないから富士山が見えて見晴らしが良かったのである。


タグ:海老の浜