2015年03月11日

南相馬市海老村の誤算 (津浪は同じ高さでは来ないー海底や陸の地形により複雑)



南相馬市海老村の誤算


(津浪は同じ高さでは来ないー海底や陸の地形により複雑)


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海老村は津浪の避難場所になっていた。NHKで今日放送していた。
40人あそこに逃げて助かったのは10人だった?
そんなに死んだのかという驚きである。
あそこに観音様の供養の像が立っている
そもそも海老村はや八沢とか右田からするとかなた高く感じられたのである。
だから自分もそれほど被害がないと思った。
しかし海老村は壊滅した。

津浪は一様の高さではおしよせない、あるところは高くなりあるところは津浪の圧力が強くなりと複雑なのである。
海底の地形も影響しているという、あるところではすごく高くなるのである。
宮古湾では湾の奥の方が高くなると思ったから東京にいた夫がそれで妻が死んだとあきらめたということを言っていた。
陸から見ると海老村は確かに高いがそれは陸の視点であり海からの視点ではない
海から見るとそれほど高いものでもなかった。
海老村にはなぜかせりあがるように高い波はおしよせたのである。

それであそこの崖の上に白河市から移り住んだという家族が三人死んだ。
八沢浦開拓記念の石碑から八沢浦をながめると確かに高く見える
でも海からだとそうでもないのかもしれなかったのである。
だからあそこが避難場所に指定したのは大きな過ちだった。
もう一カ所は前に書いた「命拾いの崖」だった。
あそこは結構高いから逃げれば助かった。
津浪は海老村をなぎたおして壊滅させて今度は右側に海水は下に向かって流れたのである一方は八沢浦の方に流れた。それで「命拾いの崖」の上から見た人は渦巻いておしよせたというから怖い。生きた心地もしなかったろう。

今回の津浪では想定を越えていて指定された避難場所こそ危険であり大勢の人がそのために死んだのである。
一カ所だけに避難するといきう考え方はよくない、何カ所でその時の情勢によって決めるべきだと言っていた。
そうはいっても人間は避難場所が決められると何か安全だと思うしそれが人間の心理である。
役所で決めたことは間違いないとか思うだろう。
しかし本当に政府とか役所がすべて安全を保証するのだろうか?
原発事故でもわかったように政府はあてにならなかったのである。
政府は必ずしも命の保証はしない、むしろ戦争のときのように民の命を勝手に奪うとういこともある。
政府でも本当に信じられるのだろうかということである。
あらゆる会社組織集団はその人たちの利益を第一にして動いている。
それは政府でも宗教団体でも同じである。
そういう大きな集団によって社会は動かされているがそれらは権力集団であり
その人たちの言いなりになっていると危険なことにもなる
東電は国と同じ権力をもっていたし行使できたしそれに歯止めをかけるものはなかったのである。そのことが事故にもつながっていたのである。

結局震災から四年すぎてもこの辺は何もかわらなかった。
津浪の跡は震災と同じままである。
津浪のその跡を日々見ていると人見ていない人の差も大きい
磯部村とか海老村とか烏崎村は一軒の家なく壊滅した状況である。
そこは何にも変わっていない、
そこでは大勢の人が一挙に死んだのでそこには何か草木も生えないとか
死霊がただよっているとか墓標のない墓地のうよにも見える
それほどその跡は以前として凄まじいのである。

津浪は本当に凄惨であり打ちのめされてしまった。
街自体が消失してそれを見たらとても住めないという感覚になる。
ただ以前として海の恵みがありそれで何とか復興しようとしている
料理店とかでもそうであり海の恵みがあるところではそれを糧に復興しようとしている
宮城県ではもともと水産関係は漁獲高も大きかったからそうなる
福島県の十倍はあったのである。

復興復興と言うけど人口流出がどこでも問題になり帰りたいというのは老人だけだとか
復興は進んでいない、街自体消失したところにどうして人を集めればいいのかとなる。
若者は復興している割合が大きい、年取るにつれて復興していないのである。
家を建てるにも資材の高騰とか人手不足とかなりそれもむずかしい
ローンで建てるのも年取ると返すのが容易でいなと嘆いていた。
その点原発の避難者は補償金があるから恵まれている。
それにしてもそこにも様々な問題があり金だけでは解決しない
家族がばらばらになったというのも苦しい
要するに復興は10パーセントくらいしかしていないのではないか?
それだけ広範囲な甚大な被害だったのである。

タグ:海老村
posted by 老鶯 at 14:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

春から冬にもどる朝の景色 (今とって来た写真)


春から冬にもどる朝の景色


(今とって来た写真)

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海から昇る大洋

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山は雪が降っている

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凍った荒地に日がさしてくる



雪舞いて朝日昇りつ雲雀鳴く津浪の跡の凍る荒野に

春の朝陽の昇り来る誰かしるかすかに月の残るを見ゆる

プログというかインターネットでは本当は実況中継ができるメデアである。
ただプログだと時間差がかなりあって読んでいる
まだテレビで実況中継を見ている。
プログはまずまだ読む人が限られている。
だから実況中継しても見られないから力を入れないということがある
一日の中でも朝、昼,夜と景色は変わっている。
その日の内に見るとしてもそこに時間差が生れる
テレビを見たら北海道が寒く雪がふっている
他も今日は寒い、ここは山が雪で風花が舞っていた。


ただ春だから雲雀が鳴いていたのである。
津浪の跡は凍っていた。
写真に写っている所には津浪はきていないがすぐ前に来ているし光景的には同じである。そしてこの景色が今のこの辺の状況を語らずしして示している
凍った荒地に朝の陽が昇る、何か荒涼としているが春だから雲雀が鳴いている。
その雲雀の声が春の訪れを告げているがまだ寒く津浪の跡の荒地は凍っている。
今日の風景なにか不思議であった。
写真からだけではその場の風景を状況を知るのはむずかしい。
立体的に369度の感覚で見れないからだ。
寒さとかも感じないから写真だけでは感じない
人間は肌で感じない限り本当に感じたとはならない

結局写生が短歌でも基本である。
今日の景色はそのまま変わっているから写生になる
この辺は津浪の被害で写生そのものが驚くべきものとなってしまった。
未だに津浪の跡は荒涼としているからだ。

月もかすかに見えた、朝日が上り月は沈んで消えてゆく
それは世代交代ということも感じる
自然も人間を象徴しているのである。
タグ:朝日