2015年03月10日

恩恵には災いがついてくる (日本は自然の恩恵があり災害の歴史でもあった)


恩恵には災いがついてくる


(日本は自然の恩恵があり災害の歴史でもあった)


つくづく津浪とか原発事故で考えたことは恩恵が大きいとまた災いも大きいということである。
原発の恩恵は実際は大きかった。もう原発なしでは自治体では成りたたなくなっていた。だから大熊町では原発を再稼働しろとまで今でもなっている
収入がなくなれば自治体も成り立たなくなり公務員は失業する
公務員がこれからは自治体が縮小したり消滅して失業する
そういう人口減少と縮小化時代に突入しているのである。
実際は海でも農地でも山でも自然の恩恵があった。
ただ金にならないということで無視されてきたのである。
だから海の恵み山の恵や水の恵や自然の恵みに感謝する人はなかった。
農業でも金にならない金にならないしかなかったし漁業は原発の補償金で優雅な暮らしをしていたとなる
つまり海の恵めや大地の恵みや水の恵や森の恵みやと自然の恵みに感謝する人などいなくなっていた。
それらはまさに意識しなくても自然にあるものだから感謝しない
空気のようにあって当然だとなるからだ。
それは故郷もそうだった、それは意識しなくても普通にあるものだったからである。
だから故郷があることに感謝する人などいなかったのである。

その無意識に普通にあったものが根こそぎなくなったときそれらの自然とか故郷を意識するようになったのである。
魚もとれない、米もとれない、野菜も作れない・・・そうなったとき始めて海や大地や山や森や水の恵みを意識したのである。
工業化社会はやはり自然の恵みをないがしろにしてきた
つまり自然の恵より人間が作り出したか科学技術の恵みが大きなものとなっていたのである。
そこでは科学者は神官となり支配者となりえた、実際の神官は科学者であり技術者であるそれに付随して政治家とか官僚とかマスコミかその利権にあづかったのである。
原発事故のあとでも科学者は技術者はあまり批判されないのは現代の文明に科学者や技術者なしで成り立たないからである。
現代文明の恵みは自然より科学技術によってもたらされたものなのである。

ただ何でも人間には恵みがあったとすると必ずそこには災いがついてくる。
これもどういうわけかわからない、石油がいいものでもそのために戦争にまきこまれるような状態になるし戦争は石油をめぐって起きる
原子力でもその恵みは大きかったのである。
自然よりも大きい恵みがあった。電気社会であり電気がなくなったら何もできない社会である
震災のとき自分は米がありそれを電気釜でたくことができた。水道も通っていた。
もし電気がとまれば米さえたけないからお手上げになる。
そういう場所もありそこでは裏山から薪をとり水をくんできて米を炊いていたのである。昔の自給自足生活にもどったのである。
米があれば何週間は生きられる、その米が尽きたとき町の方で古米を支給してくれたのである。
緊急のときもし電気かとまれば何もできなくなる。
だから電気の恵みは大きいし原子力だって大きな恵みとなっていたのである。

でも海の恵みも大きかったとするとその災いも大きかった。津浪はその恩恵の裏返しなのである。恩恵が大きければ大きいほど災いも大きくなる
石油の恩恵はあまりにも大きいからそこから戦争も起きる
原子力の恩恵もあまりにも大きいからその災害も人が住めなくなるほど大きかった
こういうことは何か人間の普通の生活でも起きている。
恩恵があるところに災いが必ずある。
車は便利でも交通事故があり便利なことがみないいとは限らない
これは人生でも親の恩恵が大きいとすると今度は介護させられる
今や親は長生きだから世話になった分今度は介護で苦労させられるのである。
だから兄弟でも一番可愛がられたものがめんどうみろとなるのも当然だとなる
自分は二人を介護してひどいめにあったし今も継続している
恩恵には必ず災いがつきまとっている

国々でも地域地域でも恩恵は与えられている。日本にも海の幸山の幸に恵まれた大きな恩恵が与えられた国である。
その反面は災害が多い国だということである。
それも海の幸山の幸が大きいからこそ災害も大きいとなる。
そういう両面性が必ずつきまとっているのだ。
日本では山が急峻で美しいのは火山国だからである。でも火山の被害があるのも日本である。
こうした風土を考慮しないで危険な原発を建てたことが問題なのである。
その風土にあった恵みがどこでもある。
石油がなければ何もできないとか原発がなかったら何もできないとならない
温泉が多いから地熱発電がいいとかにもなる
ソーラパネルとか風力発電はどうかとなるとそれも風土と関係している
やはり技術も風土にあわせる必要がある。
風車が生れたのは中東だというのもわかる
砂漠では風がいつも吹いているから向いている。
日本ではトンネルの技術が発達したのは山が多いからである
要するにその国の風土にあわせた科学技術の応用が必要だということである。

歴史は地理だというとき地球が地の球だと日本人は翻訳した。earthは土という意味があったから地球とした。地理となると地の理なのである。地から理を割り出す、地形や地勢からその土地の成り立ちを見る。そこに理があるというのである。
最近地理が「地歴」になったのはうなづける。地理と歴史は一体だからそうなる。
日本人はつくづく翻訳がうまいと思った。
最近「環境史学」が生れたのもグローバル化で地球的視野をもてるようになったからである。
庶民でも貧乏人でも日本なら外国旅行できる時代でありこの変化も大きかった。
海外旅行は安いホテルにさえとまれば金はかからないのである。
地球の歴史はその地理とかその地の風土と一体となりある
だから「地歴」という新しい科目は現代的だとなる
郷土史でもまず最初に地歴が問題になる、地歴がわからないと何もわからない
その地歴を知ることは簡単にできないのである。

津浪でも原発事故でも学問として科学にばかり注目していたのである。
地歴の分野に注目していない、津浪は千年単位になれば巨大な津浪がきていた。
相馬藩内にもきていた。
それは土のボーリング調査でわかった。
相馬市の奥までも津浪でもたらされた砂が発見されたのは最近だったのである。
津浪が来た何年か前だった。でもそれて津浪を警戒することにはならなかった。
学問的に「地歴」の分野は新しいからそうなった。
いづれにしろグローバル社会のいい面は地球全体を視野にした学問が必然的に発展するということである。
そういうことが実地を調べることがてきる時代でもある。

ともかくそれぞれの国には恵みがあるが災いもある。
人間は恵みだけを求めてその反面の災いを無視するのである。
その災いがどこから来るのかを知るべきなのである。
それをないがしろにすると今回のような大災害になり文明が崩壊するような危機に直面する
恵みを求めるのはいいとして恵みにつきまとう災いも前もって考慮すべきだったのであるつくづく日本の天皇が自然の災害から守るために神々に祈る祭司だったというのもわかるそれだけ日本では有史以来自然災害の大きい国であり災害の国だったのである。



posted by 老鶯 at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

抽象画(夏の色)


抽象画(夏の色)


crosss123.jpg

十字路

hhhhhhhhh123.jpg

sunnnnn1234.jpg
夏の夕焼け

これは夏の夕焼けとして見れば見れるのである。
題がないとなにこれとなる

sssssssssssssss122.jpg

夏の色
sssssu12345.jpg

夏の山

base11111111.jpg

変化する地盤

クリック拡大

sssssu123.jpg

夏の山から変化したもの



抽象画は化学変化なのだろう。名前をつけるがそもそもつけにくいのが抽象画である。
これが何なのとなる。
でも不思議なのは十字路と名付ければ確かにそうしか見えないとなる。
夕焼けと名付けてはじめてこれは夏の夕焼けだと見る
名前がないとどう見ていいかわからないのがあるからだ
このなかの一つは変化させた元の絵が判明されやすいから問題がある。
色がきれいなのでだした。
パソコンの色は絵の具にはない色なのである。
電気の色でありそれが新しいart(技術)なのである。
タグ:夏の色

津浪はやはりノアの大洪水にも匹敵していた (縄文海進海退の時のような変化に直面している)


津浪はやはりノアの大洪水にも匹敵していた


(縄文海進海退の時のような変化に直面している)


4.千〜2千年前
  気候の冷涼化始まり、クリ栽培の衰退:2千年前。
海退が進行。貝塚衰退、北部九州で水田稲作開始:2千500年前。
 約4千年前、列島の気候は温暖な安定期から冷涼な不安定期へと移行した。三内丸山のクリ林などの人為的な生態系は衰退し、代わってトチの実の利用が各地で活発化した。
 これは、自然に対する人間の影響力の低下と自然林の回復を示すものとも考えられる。
 僅かながら海面の低下も進み、内湾や干潟の縮小によって貝塚も次第に衰退した。
 やがて縄文晩期後半に北部九州へと伝わった水田稲作は、弥生時代の入ると各地に普及し、稲作農耕社会への転換が一気に進んだ
http://www14.plala.or.jp/bunarinn/plala/DaieryAB/sizennkannkilyou/sizennkannkilyou.html#nihon

気候変化が人間に及ぼした影響は大きかった。それによって文明が消滅してまた新たな文明も生れるようになった。
ノアの方舟の洪水は実際にあったことを基にしている。
古代文明の崩壊には塩害、干ばつ、森林資源の消滅、そしして大洪水といった自然災害が決定的な意味をもっていたのである。
しかもその自然災害の大半は文明の発展の中で人間が自然を破壊したそのつけの上にひきおこされた。
あたかも人間の欲望が地に満ちた時、神が大洪水を引き起こし文明を崩壊ささられる。
(安田喜憲)

気候変動が文明の発展と消滅を決めていた。それはとりもなおさず自然の力が人間の力(文明、技術)を越えていることの証明なのである。自然に逆らえないというときそれは神に逆らえないということにもなる。
今回の津浪で経験したことは恐るべきことだった。それは本当にノアの洪水だったのである。
津浪の跡に山鳩が飛んできたときまさにノアもオリーブの葉をくわえた鳩が来たとき洪水はやんで陸地に到達した。
津浪には人間の想定を越える自然の力をまざまざと見せつけられたのである。
その前になす術もなかったともいえる。
原発にしてもそこには人間の奢りがあり科学者が神のようにふるまう奢りがあった。
科学者が現代ではあらゆる分野で神官になったからである。
その奢りも津浪によって打ち砕かれたのである。

あたかも人間の欲望が地に満ちた時大洪水を大きな自然災害が起きたということを自分も書いてきた。原発は人間の欲望の象徴でもあったのだ。
現代文明は限りなく欲望の増大を容認した社会である。
資本主義でも民主主義でもグローバリズムでもみんな人間の欲望の無制限の解放だったのである。
欲望を制限する思想がないのである。もっと欲望をもてもっと消費しろとか欲望をもっと刺激して物を売れ消費させろとかなっていた。
それが科学や機械の発達によって世界的に無制限になっていた。
そのたどりついたのが原発事故だったのである。

個々人をとっても自分が接した人でもなぜこんなにみんな多額の借金してまで立派な家を建てたりいい車を何台ももち贅沢しているのだろうと思った。
その借金が自分で始末するならいいが自分にも他者にもその借金を負わせようとしていたそれで自分は病気のときに苦しめられたのである。
つまり自分の欲望のためには他者などどうでもいいというモラルの荒廃が起きていたのである。
自分に起きたことは犯罪にもあったしモラルの荒廃が顕著となった時代なのである。
残酷な少年の殺人とか異常なほどのモラルの荒廃がありそれは大人にあり子供にその害が及ぶ、今やモラルの荒廃は頂点に達していたのである。
末世にはそうした異常なことが起こるというのは本当なのだろう。
それは田舎も何ら変わりない、その欲望は度はずれたものともなっている。
でもそれが資本主義や民主主義ではかえって奨励されるのだから根本的におかしいとなる

車なら一台あればいいようにも思う。田舎では一人一台だから都会より贅沢である。
今や都会と田舎の生活は医療をのぞいて何ら変わりない、田舎の方が贅沢である。
浜通りの人は会津とかより欲が深くなっていたかもしれない。
それは原発があり漁業者は補償金で暮らせる。
今回の津浪でも宮城県とか岩手県の方は原発の補償金がないから復興住宅に入れないとか高台の土地を与えられても家を建てる金がないとなっている。
原発事故周辺は補償金で家をイワキとか他の土地に建てた人が多いのである。
それで土地は何倍も高騰している。

原発事故は文明を崩壊させるほどの事故だった。
人が住めなくなり人口が流出して荒野化する。それはかつての文明が森を破壊して砂漠化したともにている。
森は残っていてもそこには人は住んでいないのである。
津浪が縄文時代と何の関係があるのかというと縄文海進があり縄文海退がある。
その時も大きな変化があった。貝塚が現在の海よりずっと奥にあるのは縄文海進時代に内湾で貝をとっていたからである。
新地の貝塚もそうであり海よりずっと奥の台地にある。あそこには貝をとっていた巨人の伝説がある。その伝説は勝手に作られたものではない、憶測でもない、明確な事実の上に作られていた。伝説は何かその基になる事実があってみんな作られている。
だから伝説を架空のものとするのは間違いなのである。
そして歴史を知るのには地理が大事である。地理を知らなければ歴史も知り得ない、相馬藩内でも歴史を知ろうとしたら地理を知らなければ根本的なことはわからないのである。それはどこの地域でもそうなのである。

だから津浪で本当に驚いたのは縄文海進時代が再現されたことである。
有名な万葉の歌の真野の草原の歌があるがその時は縄文海進時代が継続していて海は塩崎まで海だったのである。塩崎というのが海であったから名付けられた。
そこに船着とある地名も現実にそこに船が入ってきてから名付けられたのである。
そこの手前まで烏崎から船が流されてきたことには驚いた。
縄文海進時代は海に依拠した漁労生活になり縄文海退の時は山の幸に依拠する生活になった。ドングリや栃の実や山菜などである。
海の幸、山の幸が日本の国の恵みである。
そして縄文海退の時は平地が湿地帯が広がりそこに稲作する地ができたので弥生文化が稲作文明が発展したという。この説はやはり日本がいかに海側に平地が多く湿地帯が多いかでわかる。釧路湿原を見ればその時代が今でもわかる。あの広い湿地帯が田に変わってしまったのである。

つまり縄文海進とか縄文海退という海の変動が大きな文明の変化までもたらしたのであるそれは今回の津浪による変化ともにている。
気候変動とか自然の大災害は文明自体を変えてしまうような変化をもたらすのである。
相馬藩内の三分の一の人口が流出してそのあとは荒野化している。
それは宮城県とかでも人口が流出している。
それはもう一個人とかの手に負えない大きな変化に見舞われている。
だから田がなくなったあとに何を作るのかなどイメージできないことでもわかる。
縄文海退のときはそこで稲作文明が入り縄文文化から弥生文化に移行した。
今回は何に移行するのかとなるとそれもイメージできない。
稲作文明は自然のサイクルを利用した自然循環文明であり今の高度に科学化した機械化した文明とは根本的に違っているからである。
それでその先がイメージできない、見えないのである。



 
posted by 老鶯 at 02:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係