2015年03月14日

暁に鳴く雲雀 (俳句は写生が基本であり評価する方が力量が試される)


暁に鳴く雲雀

(俳句は写生が基本であり評価する方が力量が試される)

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暁に雲雀鳴きそむ一羽二羽
暁に月光冴えて春寒し

暁に残月光り津浪後残る社や春寒しかも



 「暁(あかつき)」というのは夜なのか朝なのか。これを
「明け方の頃」と理解して「朝」と思っている人がかなりいる
が、正しくは「夜」の範疇に入るものである。


暁と曙はまぎらわしい、暁のあとに曙がくる。
暁はまだ夜である。
今日は暁のときだった。今日は結構寒く春という感じがしなかった。
「春は曙・・」があるがそんな感じではなかった。
実際にまだ暗かった。それでもすでに雲雀が鳴いていたのである。
ずいぶん早く鳴くものだと思った。
二三羽鳴いていた。

俳句は写生が基本である。なぜ俳句がつまらないものが多いのか。
やはり写生に徹しないからだろ。
何か意味ありそうな深いものを現しているようでも俳句では俳句にならない
そういう意味ありそうな俳句がまた多いのである
だからそれがなにかいいように思えるのである。

要するに俳句は単純に写生に徹した方が深い趣が出る日本的芸術なのである。
暁に雲雀が鳴いている、一羽、二羽、三羽と鳴いているとなる
それは明らかに写生なのである。
ここで例にだした俳句も写生ではないから鑑賞にたえないのである。
俳句の評価はむずかしいが写生を基本にすれば評価しやすいとなる
つまり俳句は作るより評価する方がむずかしい芸術なのである。
誰でも作れるから評価する方が深く読む力のある人が優れているとまでなる芸術なのである。

暁(あかつき)の 紺朝顔や 星一つ
                 高浜虚子
                 
これは写生だからいいのかも、朝顔が咲いていて星が暁に一つ輝いていた。
説明もないし写生だから評価できる。
虚子も写生でないのが多いのである。
でもが暁に紺朝顔が開いていたのか、まだ開かない朝顔だったのか?
普通は開いた朝顔をイメージする、でも写生になれば開いていないかはもしれない
そこまで読む必要がでてくるのが俳句なのである。
朝顔は光がささないとやはり開かない・・・とすると厳密には写生ではないことになる
でも開かなくてもそれが紺朝顔として認識されていたことは確かである
これから開く紺朝顔として・・・
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2015年03月17日

日本語は縄文定着文明に由来しているのか? (言葉から東西文明の相違を探る一つの試み)



日本語は縄文定着文明に由来しているのか?


(言葉から東西文明の相違を探る一つの試み)


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現代の学問はグローバル化しているからなかなか素人学問では追いつけないだろう。
「地球環境史学」というのは世界史を環境の分野から見る壮大なものだからである。
その中で日本の縄文定着文明が一つの文明として見直される。
縄文が文明だったのかという疑問があるがそれも一つの文明として見直される。
そんなに縄文文明が世界的に優れていたのかとなる。
日本人のアイディンティティのルーツは縄文時代一万年にあるというときその長さに驚くだろう。
ではその縄文人として受け継がれたものが何か残っているのだろうかとなる。
それは日本語に残された言葉にあるのかもしれない゛日本語自体が孤立語であり他の言葉と関連していないから未だに謎である。
たたその言葉がどういう成り立ちがあるのかというとその言葉を成り立たせたものその生活自体にあったということは推測できる。

その一つとして日本語はとるというのが基本語としてある。英語でも外国語でも基本語がありそれはインドヨーロッパ語族だと牧畜狩猟を基本にしていた生活から生れていることははっきりしている。have get cache drive ・・・・とか獲物を捕らえるという感覚の動詞が主体になる。haveだとこさはあまりにも多様な意味がある。単にもつだけではない、養うとかありそれは家畜を養うに通じているのである。
haveは明らかに基本語でありそれはその生活と密着しているからそうなる。
だから言葉は研究することはその民俗のありようとか考え方文化に通じることになる。
ただそれがあまりにも多様だから言語の研究はたいがい嫌になりあきらめることになる。
日本語もまたいろいろその起源を探ってみても実際は不明である。
だから結局徒労になる。あくまでもみんな仮設にすぎないからである。

言語を知るには返ってその生活のありようにこそ注目して言語をみるべきなのである。
日本だったらどういう生活をしていたかというと魏志倭人伝る。
魏志倭人伝には、「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」とあるごとくく牛とか馬とか羊でも知らなかったのである。
この相違は大きい、大陸では遊牧民はすべて牛であれ馬であれ羊であれそれを基にした生活でありそれが文明に発展したからである。
日本人は確かに鹿などを狩りしていたけど基本的には漁労民族である。
海の幸と山の幸に恵まれていた民族なのである。
山の幸は森の幸に通じている。だから牛とか馬とか羊は知らない民族だったのである。
最初に日本に来た人が中国人が日本人の特徴を的確にとらえていたのである。

ここで一つの基本語としてとるというのを例にすればここから発展する言葉が様々ありこれが日本語の基本語として発展する。
とるとは森などで栗でも木の実をとるということに通じている。
日々の暮らしが木の実をとることになっているからとるという言葉は基本語になる。
そのとるからとまるがありとむ(富む)がありとち(土地)がありとち(栃)が生れて派生語が生れてくるのである
最初に定着文明があったということになると人間は移動してばかりいたら豊かにはなれない、貯えることができないと富むことはできないのである。
だからとるからとむに発展した。縄文時代が縄文土器を作ったのはまさに富むための器を貯える器を作ったということで富むことになったのである。

それから恵み(めぐみ)という言葉がある、そのめぐみはめぐるからきている。
日本では恵みはめぐることである。めぐるとは水がめぐるように循環することなのである季節がめぐり恵みが与えられる。時もめぐるが水もめぐり大地を潤し恵みを与える。
それは弥生時代にも稲作になってもその生活は受け継がれた。
稲作も定着文明だから共通していたのである。
遊牧民は広範囲な大陸を移動する生活である。その生活のありようが根本的に違っていたのである。

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「地球文明の寿命」安田喜憲

東西の文明を考えるとき西洋の起源は狩猟牧畜に由来している。
そしてここで安田喜憲氏が指摘しているように大きな獲物を追って捕らえ食していたからその石器も大きかったというのも興味深い。
石器時代から東西の文明は根本的に違って発展したのである。
西の文化はそもそも石器時代からそれだけ動物を殺す道具が東より優れていた。
つまり西の文化は動物を殺す文明として石器時代から発展した。
それは現代と何の関係があるかというとその動物を殺す道具としての石器が巨大な殺戮機械に核兵器まで発展したといもはることができる。
西では戦争が歴史でもありたえまなく戦争していたから兵器の技術も発展していたのである。
西洋文明というとき科学技術文明のことでありそれは道具によって機械によって自然でも人間でも支配しようとするコントロールする文明である。
それは男性的原理からなる文明である。
それに比べ東は女性的原理かなる文明である。採集文明が木の実をとるのだからそれは狩りをするのとは違う動物を飼育するのとは違う馬にのるモンゴルのような生活とは違う、極めて女性でもできる作業なのである。

ともかく西洋文明と東洋文明とは何かというとそのテーマが大すぎるからそれを解くとなると様々な視点が必要になる。
ただなぜこれまで西の文化が優越になったかというとそれはやはり神が定めたものだろう聖書が生れたイスラエルは遊牧民のアジアの端だった。
では東洋となると東洋とはどこなのかなになのか明確ではない、そういう文明論などまだ解きあかせないからである。
日本は東洋文明だとしてもまた島国であり特殊な漁労採集民族だった。
それは西にはない文化を縄文文化を育んだ。
でもそういう日本の文化はないがしろにされてきた。
圧倒的な西洋文明により日本の文明は埋没して見捨てられていたとなる。
だから縄文文明が新しく見直されるときそれは国風文化の再興(ルネサンス)になるのである。
ただ縄文時代が遅れた文明のように見られているし日本の文化は圧倒的な西洋文明一色になっているからその発掘をすることが日本の発見にもなるのである。
だから外国語にばかり注目しているが「恵み」という言葉に何か日本文化の基本的なものがある。それは採集文化の女性のやさしさみたいなものが恵みにはある。
それは弥生時代の稲作文化の山から水がめぐり大地を潤しめぐる文化に通じている。
循環再生の文化である。

いづれにしろ今回の原発事故は様々なことを文明の転換すら要求される巨大事故だった。それは西洋文明すら見直すものとなったのである。
西洋文明の科学技術文明がたどりついたのが原子力だったとも言えるからである。
それは石器時代にすでにその萌芽があり今日いたっているという歴史の連続性がある。
一見世界を支配した科学技術文明が原発事故によって崩壊の危機にさらされたともいえるなぜなら原発事故であれ核戦争は人類滅亡に導くからである。
では東洋文明とは何かというとそれはあまりにも大きなテーマだし実際は日本文明が縄文時代でも文明と見ていないように発見されていないし日本人自身評価がしていないのである。野蛮なアフリカのような土人の作ったもののように見ていることでもわかる。
そして聖書のエデンの園では動物は食べていない、果実と木の実を食べていたのである。
そこには野獣はいない、ライオンとか肉食獣など獰猛なものいない、おだやかな草食獣とともに暮らしていた。
それは縄文人が一万年平和な暮らしをしていたというときまさに木の実や果実を食べていたからである。
肉食獣をとったり食べたりしている遊牧民から牧畜民から発した西洋文明はそうした東洋的平和な文明とは根本的に違っていて
弱肉強食の原理の世界、現代のような世界を作り出したともなるのである。
ただそれはあくまでも文明の相違であってそれぞれの良さがありそれを融合させるのが新たな文明なのである。
それがいち早く西洋文明化した日本にあると明治時代に指摘された。
それから百年以上すぎて原発事故がそういう西洋文明の転換をうながすものとさえなったのである。







春霞(今日は海は霧で山は霞)



春霞(今日は海は霧で山は霞)
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パノラマ写真


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朝霧に雲雀の鳴くや数羽かな
真日さして野梅匂うや里の山
春霞家点々と里の山
紅梅に里の雀の映えにけり
この家の土蔵の古りて落椿

春来たり雲雀は鳴けど淋しかも里の田畑は荒れにけるかな

今日は海の方が朝は濃霧が流れた。海側は良く霧になる。午後からも霧が海には流れていたが山の方は霞がかかっていた。
今日は春らしい春であたたかい、野の梅がそちこちにありにおっていた。
ただ田んぼは荒れていた。この辺は除染で普通ではない
その田んぼの土をとるだけで大変な作業でありその土の置き場があちこちにあって普通ではない
だから何かのんびりしとした田園風景ともなっていない。
車も多いから余計にそうなる。

春霞に点々と家があるのどかな風景が普通なのだかそれが除染作業でそうはなっていないともかくこの除染は土をとるのだから容易じゃない、その量も莫大なものとなる。
田舎ののどかな風景はそれで壊されている面がある。
ただ梅は咲いてにおっている。

春なれや名もなき山の薄霞   松尾芭蕉

写真に撮ったのは薄霞である。

今朝行きて明日には来ねと言ひし子が朝妻山に霞たなびく柿本人麻呂

冬過ぎて春来るらし朝日さす春日の山に霞たなびく

春霞は万葉集ですでに使っている。霞はやはり春になるとかかり春らしいとなる。

夕陽映え遠くに霞む春の冨士


写真で俳句にするのはたいがいいいものはない、俳句は写生でも写真から作れるようでも作れない、現実に見えるのは立体だしその雰囲気は写真では全部わからない。
でも写真はいいのが今ではいくらでもある。
富士山が見えたら気持いいだろう。富士山は良く見ていないからだ


霞とはもやとか霧なのか?海側は霧が流れていてしめっていた。
だから山側も霞になったのか?何か粒子にさえぎられるか霞む
それが科学的解説になる。
タグ:春霞

2015年03月18日

南相馬市鹿島区の最近の状況 (除染の作業が延々とつづく)


南相馬市鹿島区の最近の状況


(除染の作業が延々とつづく)


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ここは杉林だった、かなり切られてしまった
木でも飯館だと3マイクロあったから木の汚染もやっかいなのである。
木を切らないといつまでも放射性物質は減らないからである


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小池の仮置き場は広い、これもいつまでも置くようになるのか?
景観の破壊でもある

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ここに切った木を集めたのか


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牛舎は壊されるが多い


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これもいい風景ではない

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この家には古い蔵があった


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堀で4・1だから高くない

堀は泥にたまっていると思ったがそうでもない

まず堀から除染している

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田んぼの中もこの辺は低い

道路では0・2以下である

でも室内でも0・2とかあるから放射線量は変わらない面もある

ただ外では前からすると半分くらいに減っている



南相馬市で米の作付け面積が鹿島区で6倍にふえたとか全体でも増えている。
ただどれだけ収穫されるか不明である。土地が放置されて荒れているからだ。
元通りの収穫は望めないがいつまでも荒地にしておくわけにはいかない
米を販売することも許可するようになった。
今も除染しているが堀で0.4とか田んぼの中で0・3とか低いと思った。
堀は泥がたまり高いと思ったからである。
もともとこの辺は田んぼでも0・5くらいしか最初からなかった。
ただ山の方になるとどこでも高くなる。
まず堀から除染しているがその土の量が膨大になるのだ。
だから借り置き場がそちこちにある。

そしてその土を運ぶにしても量が多いからひっきりなしにダンプが通る
そういう点で落ち着かない場所なのである。
それからソーラパネルがところどころあり何か田舎の景観を乱していいものではない
これはここだけの問題ではなく全国的にソーラーパネルがふえたのである。
これの問題は景観を乱すことなのである。
その良い例が農家の前にソーラーパネルがあり古い土壁の蔵があるというアンパランスな景観となっている。
何かこれは田舎的景観ではないのである。
ともかく南相馬市まで除染作業しているが隣の相馬市になると何もしていない
これも変だなと思う、なぜなら相馬市でもそれなりに放射線量は高いからである。
さほど変わりないということもある。
南相馬市までは補償金をもらったが相馬市になると全くもらっていないから損なのであるそういう不満は福島県全体にある。

いづれにしろこの辺が落ち着くのはもっと先である。5年後とかになるかもしれない
それまでは外部の人の出入りがありにぎわっていることにはなる。
食堂なんか作業員でこんでいるからである。
スキヤは自給200円でも集まらない、どこも今は全国的にも人手不足なのである。

 
タグ:除染
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言葉に大昔の生活の痕跡が残されている (値(あたい)は生産することから生れていた)



言葉に大昔の生活の痕跡が残されている


(値(あたい)は生産することから生れていた)


「値・価(あたい)」の由来
あたいは、「相当する」といった意味がある動詞「あたう(能う)」が名詞化したものであるとか「あたあい(当合)」が変化して「あたい」になったと考えるのが妥当らしい。
「値」の漢字の「直」は、「まっすぐ」や「まとも」といった意味をもち「値」になると、「(人が)何かにまとも」といった意味を持つのだそう
あた・う〔あたふ〕

言葉はそもそも歴史がはじまったときからある。言葉は詩の化石化したものだというときそれだけ古いということである。
あたいが与えるから生れた言葉だというとき原始とか古代では人間はみんな生産者であり消費者ではない、戦後十年までは農家では納豆まで作っていたし自給自足していたのである。消費することが極めて少ない社会だったである。
現代の消費社会というのはここ五十年くらいつに起きたことであり人間はもともと生産者であり消費者としての歴史は極めて浅いのである。
何か生産しない限り生きていけないのが人間だった。
つまり自分で生産したものを消費したのであり自給自足であり他人が生産したものを消費していたのではない。
だから消費するという概念すらなかった。
それであたいという言葉が与えるから生じているのは自分で生産したものにこそ値が価値があるということであり他人が生産したものを消費するということに価値は生れないのである。
第一消費するというとき費やすとなるが費(つえ)えるとは

1 財物などが使われてひどく減る。「投機で家産が―・える」
2 時間や労力がむだに使われる。「いたずらに歳月が―・える」
3 (潰える)つぶれてすっかりだめになる。崩壊する。「災害に―・えた街」「計画も夢と―・えた」
4 (潰える)戦いでことごとく負けてしまう。
「是(ここ)に於て南軍大(おおい)に―・え」〈露伴・運命〉
5 やつれ衰える。
「年頃いたう―・えたれど」〈源・蓬生〉


こうした悪いものとしての意味しかないのである。
何か消費するというとき買うことになるが買うは代えるであり物々交換の名残りを残した言葉である。
買うとは自分が生産したものを交換することを意味していたのである。
だから消費という観念すらないのである。
こういうふうに言葉からふりかえると現代の生活がいかに異常なのかわかる。
もう自分でも毎日買うこと消費することが生活なのである。
何一つ生産せずに買うことが生活なのである。様々なものを買うことに費やされているのである。
江戸時代からしたら千倍とか買って消費している生活なのである。
人間は何一つ生産する能力を失っているという指摘も確かである。
それが豊かな生活かとなるとそうではない、何も生産できないということは何も価値をあたいを生まない生活にもなる。
何かを生産したとき自ら作りだしたときあたいが価値が生れたからである。
だからこういう消費生活はいづれは破綻する予感がするのである。
何も作らないで買ってばかりいたらいづれは食料すら手に入らなくなる。
何も生み出さないとしたらあたいが生れないからである。
つまりついえる・・・となってしまう。

うむとかあれば売る(うる)という言葉が基幹語から生れる。生む(うむ)があって売るとなると最初にやはり生産することがあり次に売るになる。その言葉にも消費するということはない、あくまでも生む、生産することに重点がある。
うみとは海はうむものとしてあるからうみになった。
うみーうむーうる・・・は関係している。最初に売ったものは魚だったらしいからであるそもそもそういう生活だからこそ言葉もそういうふうにできあがってくる。
だから現代の消費社会というのは無駄が膨大にありゴミをだしつづける。
それは自然の資源も無駄に消費する社会である。
原発もやはり核のゴミをだしつづける。それはプルトニウムだったら二万年消えないとかなる恐ろしいものだったのである。

とにかく費やすーつええるーことになる社会なのである。
最終的には現代の社会は文明はあらゆる資源を費やして遂についえる社会になる。
二十世紀とかは本当に膨大なの地球資源を消費した異常な社会である。
それは人間すら戦争で膨大な命が費やされてついえた社会なのである。
資本主義であれそれは何か現代では異常化している。
資本主義が修道院からはじまったというとき消費ということは頭になかった。
資本の蓄積をするプロテスタントシズム、勤勉にして神に仕えるということから資本主義がはじまったとなると消費という無駄に費やすということはなかったのである。

ともかく現代文明は科学技術文明でも核兵器や原発でもその頂点に達して崩壊する危機に直面している。現実に原発事故周辺は文明が崩壊した場所となってしまったのである。
だから文明の転換が望まれるし新たな文明の創造が望まれる場所にもなるしただ文明の廃墟として捨てられる場所にもなりうる。
つまり費やされついえた場所にもなるのである。

2015年03月20日

南相馬市の鹿島の仮設の食堂について (くつろぐ場とはなっていない)


南相馬市の鹿島の仮設の食堂について


(くつろぐ場とはなっていない)


鹿島の仮設食堂でバイキングにしたのはめずらしい。原町ではしていた。でも千円だから高い、コーヒーは無料であるからそれほど値段は変わらないかもしれない
バイキンク形式は毎日変わるから常連になっても今日は違っているなとなり来る
ただレストランとかは意外と雰囲気とかが大事である。
仮設では狭いし作りにくい、あそこは他より広いがレストランのような雰囲気が作りにくい、ただ食べるだけだとなる
まあ、仮設だと狭いのだからしょうがないとなる。
今は半分くらいは除染とか外部の人が入ってきている
それでどこでもレストランとか食堂はにぎわっている。

レストランとかは本当はいろいろなものがある。
ただ腹を満たせばいいというのも普通にある。
一般的な食堂はそういうのが多い
ただ人間は腹を満たすだけではない、そこにいろいろな付加価値を求める
もちろん腹を満たせばいいという人もいるし金をかけられない人もいる
スキヤなどはただ安く食べられればいいとなっている
あこも人手不足で時給1200円でも集まらない
この辺は特にそうだが全国的に人手不足が深刻である。
人手不足で熱海では経営難になったとか他でもそうである。
介護関係はますます人手不足になる

つくづく人手不足というとき人手は必ずしも金を高く払っても補えないということがあるまず人間はロボットのように機械のようには使えないのである
家で働いてもらうような場合、経験があるからちょっとしたことでも人を使うことの大変さがわかった。それで大損にもなった。
家で働いてもらうにはまず信頼関係が一番大事なのである。
これは簡単にできない、それなりの金を払ってもできない
例えば信頼関係ができているのはその家に十年とか働いている人なら信頼できる
その十年の間にはなんらか金だけでな人間的やりとりができているからである。

ともかくあつみ食堂は前は弁当屋だったのでその時も買っていたから料理がうまいことはわかっていた。今でも料理はいい、どっちかというとバターとかで味付けしているから若者向けというか現代風にしているのだろう。
料理はいいとして何か仮設食堂はくつろげる場所ではない空間がない
それがそんなに問題あるとは思っていなかったが何かくつろいで食事できないことを感じた
もちろんそれは個人的な好みもありかえって場末の飲み屋のような所でくつろげるという人もいる
そこのマスターとかと親しいとくつろげるとかといろいろ要素が入ってくる
つまり食堂であれレストランであれ食べるだけではない付加価値が必要になる
そして現代の商売はものがあふれているから付加価値の面が大事になる
でもそこまで考慮して商売するとなると大変な作業になる

ともかく食事は何かくつろぐ時でありただ腹を満たすだけだと人間のような気がしないとなる。
介護になってからずっと一人だけで食事であるが家で食べている方が落ち着く
ただ食事の用意がめんどうなのである。
だから家事に時間がとられる、家事はいろいろあって時間がとられる
それで外で食べた方が時間の節約になる。
食事でもレストランでも一人で食事すると嫌で一人暮らしの人が良く女性の友達を誘っているのもわかる。
その相手によっても食事の楽しさは変わる
結局人間は機械でないのだから人を雇うにしても誰でもいいとうわけではない
家で手伝ってもらうにも相性とかかえってめんどうなのである。
人手不足の時代だけとどこでも誰でもいいというわけにはいかないから人手不足はこれからもつづくだろう。
極力機械化するとしてもやはり人手が必要であり人手不足はつづくのである。


タグ:仮設食堂
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2015年03月21日

春の日(真野ダムで倉敷の人と出会う)


春の日(真野ダムで倉敷の人と出会う)

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真野ダム展望台

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クリック拡大すると大きくはっきり見えます

一軒一軒復興住宅に春日さす
飛び来る鳥に匂える朝の梅
初蝶や栃窪に見てうれしかな
椿散り今し流れて消え去りぬ

イヌフグリ畦に満ち咲き田起こしの土黒々と田植えはじめむ
紛々と里には梅の香りかな草も萌えにつ我が踏み歩む
大岩の春日をあびて蕗の薹あまたいでにき流れひびきぬ
それぞれの形に石の並べられ春日をあびて所得るかな
石二つまた石二つ並びつつ夫婦のごとく春の日さしぬ
春日さし石に腰をおろしつつ我は休みつ人また来る
真日さして紅梅映えゆ赤々と椿もここにあまた散るかな


復興住宅も一軒一軒の方が景色にあうし春の日がさしてのどかな感じになっている。
団地だとやっぱり何か一軒一軒の家とは違っている。
今日は真野ダムの方まで行ってきた。春らしい春だった。
蕗の薹が一杯でていたし梅がいたるところでにおっていた。

真野ダムの展望台で倉敷の人と出会った。
その人は鹿島に実家があると言っていたが鹿島で育ったわけではない、自衛隊の関係でいたのだが今は倉敷に住んでいるという。子供連れだった。
倉敷はずいぶん遠いですねというと1200キロあるというから本当に遠い
常磐高速を来たという、それにしても遠い。
「倉敷は瀬戸内海は海が穏やかでいい、こっちは海が荒いから」
「このダム湖のように静かですよ」
「でも瀬戸内海は潮が勢い良く流れているだよな」
「ええ、潮の流れの強い所では魚が大きくなるんですよ」
「ええ、そうですか、やっぱり潮の流れにさからうとかで筋肉がつくのか」
「まあ、そういうことかも」
「鮎でも流れの強いところでは育ちますから、天然の鮎は肉がしまらないからうまくない」
その人は城に興味があるという。そういえば西の方は城がそれも大きな城が多い。
そして瀬戸内海に海と通じている城が結構多いのである。
それで相馬藩の初代の殿様が瀬戸内海の城をみて海に通じていることを見て一時小高の村上に城を築こうとしたのである。あそこはその時港があった。蔵まである港があった。
それは瀬戸内海の城を見聞してまねたのである。
瀬戸内海の城では明石城などが淡路島などが見えて気持よかった。
東北では海に面した城はないからである。

自分の場合たいがいその人が住んでいる場所に実際行っているから話を合わせられるのである。倉敷にも行っているし瀬戸内海も行っている。
日本全国ほとんど行っているからその人がどういう場所に住んでいるかたいがいイメージできるから話を合わせられるのである。
ただ海に通じている城が多いとしてもなかなかそこまで見るのは一回らいではむずかしいのである。海が近くでも見えない場合があるからである。
明石城ははっきり見えるからわかりやすかったのである。

田起こしされた田んぼが今年は多い、でも栃窪のほうになるとない、山側になるとまだ放射線量が高いからである。
南相馬市でも今年は6倍くらい作付き面積が拡大するというから相当に増える。
これも復興になる。常磐高速で来たというのも復興になる。
ただ飯館村などは復興しないだろう。草茫々に埋もれているだけである。
城に興味あるんだけどどこがいいですかと聞かれたから二本松の城は天守閣が高いところにあるから見物だと言った。
だから二本松の城に行くと言っていた。あそこの城は本当に高い所にある。
東北では城が少ないし小さいから見るべきものが少ないとは言える。
とにかく外からの人と話すと何か得るものがある。
いろいろな面で比較できるからである。
そもそも日本のことは外国と比べないとわからない
日本のことを日本人自身がわからないのである。
自分の土地のことも他の土地と比べてわかるのである。
ただそれにはその土地のことを知らないと話できないのである。
自分の場合たいがいその地を実際に踏んでいるから話ができるのである。
いづれにしろ倉敷は本当に遠いなと思った。

真野ダムの展望台にはいろいろな石が並べてあった。あの石も面白いと思った。
石に興味があるからそれぞれの石にも個性がありみんな形が違ってる。
形が違っていても調和するのである。
あそこは石の庭として面白い場所である。

ともかく飯館村でもアイノサワでもあそこに石がありあそこも人が来れば以前として活きることになる。人が来ないとそこは死んでしまう。
石すらそこに春日がさして人が座るとき活きたものとなる。
だから飯館村でも人がいなくなっても人が入る必要があるのだ。
そうすれば全く無人の死んだ村にはならないのである。
今日は何人かあそこに来ていたから活きている場所になっていた。


タグ:真野ダム

2015年03月23日

日本は戦後70年過ぎてもアメリカの属国だった (原発もアメリカの意向のもとに作られ事故になった)


日本は戦後70年過ぎてもアメリカの属国だった


(原発もアメリカの意向のもとに作られ事故になった)


津波で電源がアウトになることを東電は予期していたが
補助電源の位置を変えたいと言ったら設計者の米国企業が断ったんだよ
「電源の位置を変えたら保証対象から外す」ってね

結局、米国企業に言い負かされて電源を動かせなかった
 アメリカはハリケーン対策で補助電源を地下に設置するが
 それが津波に対して脆弱であることを米国は全く考慮しなかった
 この事実は震災当初は何度か報道されたのに
以後はさっぱり報道されなくなったな
 アメリカに都合が悪いので報道管制が敷かれたようだ
 
 
福島の原発事故の原因をいろいろ探求したけど様々な要因があり科学に弱いから自分には究明できなかった。
もう一つわかりにくくしているのはアメリカがどうかかわったのか?
アメリカの責任は問われないことがまた謎にしているのである。
アメリカはハリケーンのことを考えて補助電源を地下に設置することを強制したというがそんな力があったのかとなる。
だとするとこれは日本の風土を無視したことから起きた事故だともなる。
アメリカはアメリカのことしか頭になかった、そのアメリカでハリケーンの被害が多いからと日本にもおしつけたというのも大きな問題になる。
でもアメリカの原発は地震の多い西側ではなくほとんど東側にある。
とすると地震のことはアメリカでも気にしていたのである。
そもそもなぜアメリカが日本で原発を作るのにそんな権限があるのだろうか?
そのことにこそ原発事故を起こした主要な原因があったとなる

それで最近出版された「日本はなぜ基地と原発をとめられないのか 矢部宏治」という本がそのことを言っていた。それは盛んにネットで言われていたことであるがそれがネットだと陰謀論になり信用されなくなる。
ただネットでは常に裏にアメリカの圧力があってアメリカを批判できないと言っていた。だからアメリカの批判は表に出にくいのである。
結局日本は戦後70年過ぎて独立国ではない、アメリカに占領されたアメリカの属国になっているから原発でも一方的におしつけられらても何も言うことができない
官僚も検察も表と裏があり裏ではアメリカの植民地と同じであり独立国ではない、
まず外国人の基地があり外国の軍隊が駐屯している国は独立国ではないというのは本当だろう。
それは沖縄がなぜ基地をなくすことができないのと同じだというのもわかる。
日本には決めることができない、アメリカが決めることだからである。
日本の憲法もアメリカによって決められたものでありそれが戦後70年すぎてもそうなのである。
日本は以前としてGHQが支配した時と同じままなのである。
日本人が日本人で意志決定できないようになっている。だから独立国ではないとなる。
それは原発でも同じだったのである。

政治で決定するにしても鳩山由紀夫首相が基地を移転するときもアメリカの反対にあいできなかった。それは民主党ならアメリカの意向に逆らうことができた政権だった。
でもそれができないというのは日本はいくら政治でも時の政権でも自らの意志決定をできない、その上の権力が裏の権力がとりしきるからできないという。
それはアメリカと一体となった官僚でありせ検察でありそれが実質支配しているからできないという。だから日本はアメリカの植民地国であることは戦後70年過ぎても同じだったのである。
だからこそなぜ東電の会長とか社長が検察が逮捕しないのか裁判にもならないのかということもわかる。
そこにはアメリカの意向がありアメリカと検察が日本を支配しているからである。

結果的に日本国民が原発事故でも犠牲にされということである。
世界情勢でもアメリカ側からしか見れない報道になる。
ウクライナでもクリミアでロシアはアメリカの一方的おしつけからただ防衛しているだけだという専門家の意見があった。そうなのかとなるがその意見はなるほどと思った。
だから鳩山由紀夫前首相の言い分も一理はあるのだと思った。
アメリカ側の言い分しか報道されないからアメリカ側の見方がおしつけられているのだ。それにはマスコミも加担しているからアメリカを批判できないのである。
イスラム国の問題ももともとは一方的にアメリカが主権国家を侵略したことからはじまっていたのである。でもそのことをあまり大々的には言えないのである。

根本的な問題として日本は戦争に負けて以来アメリカの植民地であり独立国ではなかっただから原発でもアメリカの政策としておしつけられて事故につながった。
原発問題と基地問題は共通していたのである。
アメリカの属国となったことから日本が解放されていないからである。
戦後70年過ぎてもそうなのだから今はそうしたことを見直す変革期に来ている。
ただ日本という国はウクライナであれ朝鮮半島が二分されたようにそれが他国のことのように見えても日本も常にそうした分断される危機がある。
戦後もアメリカとソビエト連邦により分断される危機があった。
朝鮮半島の悲劇は大国の綱引きで分断されたのである。
それが日本でも起こりうるのである。つまり日本は中国とかロシアとか大国に囲まれているからである。国力でも中国とかロシアと比べると今でも劣るからである。
そして背伸びすると中国やロシアやアメリカとも争わねばならなくなる。
それが日本が戦争に負けた時と同じになるのである。
そういう回りの環境は変わっていないからそうなる。
そしてまた戦後70年過ぎてそのことが問われ日本の独立を志向する時代になったのである
タグ:アメリカ
posted by 老鶯 at 15:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

春彼岸で墓参りして思ったこと (人間は死んだとたんに忘れられるから無常である)


春彼岸で墓参りして思ったこと

(人間は死んだとたんに忘れられるから無常である)


町の空高く飛びけり初燕
めれにしも明るし昼間春時雨
我が墓に誰か花さす春彼岸
百輪ほど木蓮の蕾風にゆる

誰なれや我が家の墓に花をさす人のありしも春の彼岸に

初燕を見たのは昨日だった。今日は春時雨だった。春時雨などというのも実際にある。
今日は一時的に曇りぱらぱらと雨がふった。やはり時雨なのだろう。
春時雨となると全然冬の時雨とは違う。こういうのを季語にしているのも日本である。
春彼岸であり花を誰か自分の墓にさしていた。それははっきりと自分がさしたあとにさしているからわかった。
こうしてくれのは誰かわかる、どうしても姉が保健婦の時世話した人だろう。
それは近くに住んでいるし同じ墓だからだろう。
同じ墓地だとついでに花をさすということがある。

墓に花をさすということはやはり死んでからも忘れないといことでありそれはなかなかできない、たいがい人間は肉親すら忘れやすいのである。
墓参りするのは無償の行為であり本当にその人を思っていないとできない
一見花さすことなど簡単でも金がかからなくても人はしないのである。
だから墓地というのはやはりそうした人々の思いがある場所だから違っているとういことはある。
ただ墓も意外と今は遠くから墓参りしている人が多いから墓参りにくるのも大変だとなる墓参りとか掃除するにも近くでないとできないのである。
そういうことで土地の縁が薄れてしまったのが現代なのである。

人はいろいろである。恩を忘れない人もいれば忘れてしまう人もいる。
たいがい恩でも意識しない人も多いし忘れるのである。
人間はなんでも忘れやすいのである。死んだとたんにたちまち忘れられる
そんな人生きていたのかともなる
だから死んでも五年くらいたっても忘れないのはやはりありがたいとなる
正直金だけの関係で切れるのは悲しいけどほとんど今は特にそうなっている。
金がもらえないなら何の関係もないとなってきれている。
人間はそんな関係しか結べなくなったのかということが悲しい
それは肉親の間でも兄弟でも起きている

自分の一身上のことでも金、金、金・・・ばかりだった。回りも原発事故の補償金で金でもめて地域は分断された。それも金が原因であった。
なんでも人間関係も金だけだになると悲しい、何か金意外のつながりができたとき人間っていいなとなる。
それを作るのが今の時代はむずかしいのである。
かえって貧乏な時代の方がそういう人情にあつかったというのもあり人間は必ずしも豊かなことが幸せに通じるとはなっていない。
あるものは本当に金を盗むために来てあるものは金、金、金と自分の病気のとき要求してきた。
もう借金とかに追い詰められると相手のことなど見えない、金をしぼりとってやれとしかないのである。
だからすでに借金している人は人間でなくなっている。
借金のためにはなんでもする犯罪者になっているのである。
その餌食にされようとししたのが自分であり実際そうであった。

「金の切れ目が縁の切れ目」「地獄の沙汰ば金しだい」とか本当に諺は人間の変わらぬ真理だった。つまり人間は昔も今も変わらないからこそ諺も生きている
ともかく墓参りするということはやはり人間として欠かせないものである。
つまり墓参りは何か見返りぁう期待しないからいいのである。
それは花をさすだけでもいいのであり問題は心が問われている。
死者を思わないものは花一本もささない、それは親子でもそういうことあるから人間は肉親に対しても非情化する、そしてとにかく忘れやすいということである。
死んだ人を何十年も思いつづける人は肉親だろうが兄弟だろうが夫婦でもいないだろう。つくづくだからこの世は無常なのである。
肉親の関係すら死んでしまえばはかないとなる。それはやがて老人になればいやおうなく現実になる。
そもそも人間にそうした金意外とか利益意外の関係を求めること自体ありえない
ただその時々の利害関係しかないとなる
だから結局人間の関係も一時のものでありこの世の縁もそんなものでありたちまち人はみんな死んで二度と合わないとなっているのである。

人間はある点でつくづく犬や猫以下になっている面がある
なぜこれほど犬や猫に思い入れが深くなるのか?
それは人間の貪欲さや非情さから人間より犬猫の方が無欲でかわいいとなっているからである。
犬の方が恩を忘れないとなもなる。
人間は嘘をついたりと動物以下なのである。
だからどうしても人間嫌いになり犬猫の方がいいとなるのもわかった。
人間の醜悪さは悪魔的なものになってしまう。
他人などはもう人間とも見ていない、こいつからいくら金がとれるんだしかなくなっている
そういう世の中になったから極端化したから津波でも原発事故でも来て故郷も消失したのかもしれない
ずっとそのことは自分の一身上のことから思いつづけていたのである。
動物以下と化している人間は滅びるほかないとなるからである。
そんな人間の世は滅びても惜しくはないとまで思うようになるからである。

タグ:春彼岸,

2015年03月24日

失われた伝説の森の村(詩) (森におおわれていた飯館村)


失われた伝説の森の村(詩)


(森におおわれていた飯館村)

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人知れず花は草にうもれ咲き
石は頑なに太古の沈黙を守りぬ
森に覆われた村の家々は
一軒一軒隠されて森につつまれぬ
私はたずねぬ一日人も通らぬ木暗い道を
深い森に神秘の蝶は美しい羽根を広げ
ひそかに息ずき森に消えぬ
山鳩は睦み合い森につつまれ眠りにつく
その高原の村に銀河は流れ星々はきらめきあいぬ
ああ しかし今は人が住まぬ村となれり
住人は去り葦が茫々と茂るのみ
人散り散りになり消えにしや
いづこにありて故郷を思ふものなれ
人々の暮らしもここには絶えぬや
ただ寥々と葦笛の歌のみが奏でられる
森深く千歳の岩は再び沈黙に返る
伝説としてのみその村は語られるのみかも
石と石はなお相寄りてここに残りぬ
その村のことをなお語りつづけるや
石と石はやはりなお村の住人のごとく
ここに残りてなお動かざるかな
その一つの石は臥牛石なりしも
牛を飼い牛と共に暮らしありしも
そこを訪ねればやはり人の如く語るものかも
ただ失われた伝説の村の物語を・・・
ああ かつてはここにありしとなつかしく
帰れざる人々は哀しくも思うのみかも


飯館村は7割が森であった。だから江戸時代から森林資源が豊富だから争いも起きた。
玉野の木材資源の争いは有名だが飯館村でもあった。
飯館村は江戸時代から森の村だった。
飯館村は森林資源も豊富だが意外と平地も多く稲作の面積が広い。
でも高原で冷害があった。標高が高いから夏だと涼しいのである。
八木沢峠を越えて見ればわかる。あれだけ高いということである。
八木沢峠ではなく大倉から入ることもできる、ただ共栄橋のところにでると新しい道ができて車が通り安くなった。

でも自分はあそこに道がないとき通っていた。そこには隠されるように小川が流れていたあそこは神秘的な所だった。未だ人が入らないという山陰にあった。
自分としてはあそこが道になったのは残念だった。
今になると人が住んでいないからあの道を作っても無駄だったように思える。
ただ七曲がりの道は車では行きにくいから車を通りやすくするために道路を造ったのである。
大倉からでも相当な峠道でありまるで秘境への道のようににもなっていた。

一方川俣から来るとそんなふうには見えない、川俣は街であり道路沿いには食堂とか暗たし家もずっとあったからである。
福島市から来ても秘境という感じはしない、ただ南相馬市など浜通りから来ると山深いところを通るから感覚的に相当違っているのだ。
特に高の倉ダムから入る道は確かにやっと車一台くらい通れるにしても森の中の道であり一日車一台くらいしか通らない、その森の道をぬけてゆくと家がある所にでる。
その家も森に隠された家である。飯館村はそうして森の中に家があるのが多かった。
あんなところに家があるというのも不便であり家があること自体不思議に思った。
あそこは森の中の本当に暗い道なのであ。舗装もされていない原始的な道だともなる。

人間は森があるということは森林資源としても有効だが人間の心に相当影響する。
昼なお暗い森が亜ということはそこは瞑想るき場であり心を静める場所になる。
だからそういう場所をもつことは心に作用する。
だから森がないとか自然がないところに生活していると自分は住んでいられない
心鎮める場所がないからである。
ビジネスだけの工業と商業だけの世界では心が疲れてしまうだろう。
だから良く東京のような所に住んでいられるものだと思う
特に自分は隠者的傾向が強いからそうなる。
飯館村もそうだが丸森もまさに森とあるごとく森が深いのである。
そこで森にまよって抜け出れなくなったとき恐怖した。
延々と森がつづいていたのである。日本は山国であり森が多い国である。
外国でははげ山が多い、日本は森におおわれた国である。

ともかく飯館村からは人が去り葦原にうもれ原始の森がおおいそこに放射能の廃棄物が埋められる。そこには人が住まなくなり葦と森におおわれてしまうのか?
それは原始の状態にもどるということにもなる。
葦原でもやがて日本では木が生えて森になってしまうのである。
最近一年くらい飯館村に行っていない、やはり休む場所がないと行きづらい。
飯館村で意外なのは工場がありそこでは人が通っている、住んでなくても通う人が結構いるのである。
つまり農業だけではない牛を飼うだげではない工場もありその工場は放射能の被害がないから人が通っている。
第一次産業は放射能で汚染されたから致命的だった。
工業なら影響はほとんどないから仕事ができているのである。
だから飯館村は無人の村とも違っている、人が普通に出入りしている。
でも家があっても人は住んでいないのである。

飯館村の人が仕事がなくなりギャンブラーになったというときそれもまたこの辺で補償金をもらったため起きたことである。
ただ飯館村でもまでいな村とか原発とは関係しないだろう。
南相馬市では働きに言っている人が結構いたから関係していた。
飯館村となると原発のある双葉は遠すぎる。
川内村は三分の一が原発で働いていたから関係が深かった。
飯館村はそういう村ではなかったのである。

それにしても飯館村は伝説の村になった。津浪で一瞬にして消えた村も伝説になる。
こんなふうになるとはイメージすらできなかった。
ただ森とか山とか川とか自然そのものがなくならない。
石でも残っている、自然を破壊するのはダムとか道路工事とかの方が影響が大きいのである。
飯館村は常磐高速道路ができることを待ち望んでいた。観光客が来るのを待ち望んでいた都会の人にとって森の村でありオワシスとなった。
それも消えてしまったのである。
ただ森はあるのだから森を活かすことはありうる。
自分の想像では電気も水道がなくても放射能など気にしない人が住むようになるかもしれない。それは昔の自給自足的な生活になる。
ただ放射能を気にする人は住まない、水が汚染されたことは致命的だともなる。
水を買っていては自給自足にならないからである。
除染しても七割が森なのだから焼け石に水であり放射能がへるまでほうっ,ておくしかないとなる。
そうなると百年とか人が住まないで原始の森にかえる、ただ森がはげ山にはならない
木の放射の汚染は簡単にはとりさることができないからやっかいなのである。

とにかく

飯館村が原初の葦原になり伝説化した
(葦笛の詩として引用構成)

これ相当に読まれている。自分でもこんな詩があったことは不思議である。
なぜか飯館村の人たちの心境に一致していたのだろう。
ただ詩はむずかしいから普通は関心ないけどこんな状態だから読んでいるのだろう。



タグ:飯館村
posted by 老鶯 at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村