2015年02月28日

津浪原発事故で文明の崩壊現象が先取りして起きた (それは世界的に波及する文明崩壊の予兆になるのか)



津浪原発事故で文明の崩壊現象が先取りして起きた


(それは世界的に波及する文明崩壊の予兆になるのか)


数百年にわたる恐るべき人口減少の時期がはしまる、それは頂上から崩壊し始める。
第一に世界都市がつき次に地方都市が最後に農村が崩壊する。
農村の最良の住民が度はずれに離村してゆく・・・・

文明とは都市の勝利であって文明はこれによってと土地から解放されるとともに自ら没落してゆくのでてある。
「西洋の没落第二巻ー都市と民族」

 津浪や原発事故の被害を受ける前からすでに農村は崩壊していた。
だから津浪や原発事故によってだけでなくすでに農村は崩壊していて原発事故がなくてもそういう崩壊状態にあった。
つまり何か津浪や原発事故が崩壊原因のように見えても実はすでに崩壊状態にありそれをたまたま津浪や原発事故か早めただけにすぎないという見方もある。
ローマ帝国であれインカ帝国であれなぜ滅びたかということを研究している人は内部からすでに崩壊していたのであり外部からの力で崩壊したのではないという。
インカ帝国にしても一団の荒くれ者によって崩壊させられたのてはない、帝国内に内部崩壊が進行していたからそうなった。
それもそうなのか、例えばなぜ戦争で三百万人も死んで焼け野原になり日本は復興できたのだろうか?
これは津浪や原発事故より被害が桁違いに大きいのである。
食べるものさえない状態からはしまったのである。
でもその時は子供が多く生まれた。それが団塊の世代である。
ミルクさえなく親は並んで買っていたという。
だから何もないのに良くそれだけ大勢の子供を養えたというのが不思議である。
アメリカから配給されたまずい脱脂粉乳などで育ったのである。
それは津浪や原発事故より絶望的な状態だったのである。
それも一部ではない日本全国でそうだったからである。

百年にわたる恐るべき人口減少の時期がはしまる

少子高齢化時代がはじまりそれが深刻なものになってゆく、それが文明が衰退してゆく原因である。つまり津浪や原発事故だけでは文明は衰退しない
その前に衰退するものがありそれに拍車をかけたのが津浪原発事故だという見解である。なぜなら農村はすでに崩壊していた。老人が農業していても跡継ぐものもいない、補助金がなければとやっていけない、漁業もそうであった。
だからこそ東電の原発を誘致したのである。
地方自体が衰退しているからこそ原発が必要だったのである。
その原発も事故になり本当に市町村は崩壊状態になった。
港は壊滅して田畑は原野化した。人々は離ればなれになり離散した。

地方の崩壊が原発事故周辺で文明の衰退崩壊を先取りして現象化したともとれる
陸前高田市のことなど放送していたが以前として先が見えない、人口は20パーセント減った。市街は更地になったままなのである。
そういう所でどうして復興できるのかとなる。
でも戦後東京でも焼け野原になったのである。その時仮設住宅な用意されていない。
食べるものもない状態から出発して復興したという不思議があるのだ。
その相違は何なのだろうとなる。
もしその社会が上昇曲線にあれば戦争でも自然災害で大きな原発のような事故でも復興するということなのだろうか?
もし下降曲線、衰退曲線にあればそうした災害や事故とも関係なく原因ではなく下降してゆくだけであり衰退して崩壊してゆくだけだとなる。
それは人口に現れている、明治から大正から昭和から戦後も日本は人口は上昇してきたのである。
戦後も団塊の世代がそれを象徴していたのである。

日本の少子高齢化の速度は早く恐怖なのである。なぜなら空家が7軒に一軒都会でもそうであり全国で800万軒という数になるからそのことが如実にしめてしている
つまり住む人か日本かいなくなるということさえ言われる衝撃的な事実なのである。
限界集落とか自治体が消滅するとか少子高齢化のことでは盛んに言われている。
まさにそういう現象がこの津浪と原発事故でこの辺に起きたのである。
村や町が消滅してしまうということである。
そしてそこは原野化して森に還ってしまうというのが事実となっている。
飯館村でも葦におおわれやがて前の森に還ってゆく
双葉とか大熊とかはもともと江戸時代は森であり明治に開墾された土地だった。
だからそこも人が住めなくなり森に還ってゆく、自治体は消滅したのである。
マヤ文明が神殿だけが取り残されてまた森におおわれてしまった。
原子炉の廃墟を残してこの辺も森におおわれてしまうのか?

この辺に起きていることは何も津浪や原発事故がすべての原因ではなくそうなることは予定されていたのかもしれない、それはここだけの問題ではない、大きく言えば日本だけではない、現代の文明の崩壊状態を先取りして示しているのかもしれない
家族が離散したというとき若い人はもともと田舎に住みたくないから姑と一緒に住みたくないからこれ幸いと補償金もらって流出した。
大内村などでも郡山市に住んでみたら都会の方が便利でいいとなる。
だから補償金をもらいつづけて郡山市に住んだ方がいいと帰らないとなる
家族自体が戦後核家族とかが奨励されたように大家族は崩壊していたのである。
ただ農家ではまだ親と住んでいる二所帯家族が多かったことは言える。
でも実際は一緒に住みたくないというのが現状だったからこのさい離ればなれになった方がいいとさえなった。

そして現代の最大の特徴は何かとなれば貨幣こそか金こそがすべてだという社会である。それは世界的にそうでありそのことも津浪や原発事故での市長村の崩壊に拍車をかけたのである。

金があるならどこでも好きなところに住んでください
その土地にこだわることは必要ありません

農民が土地にこだわるというときそれは植物的本能とも言える。それをシュペングラーは指摘していた。そういう生物的本能の否定の上に都市が巨大化して地方が農村が衰退させてきたのが現代の文明なのである。
田舎でも地方でも金がすべてであり金さえあればいいという社会になっていたのは変わりないのである。
田舎にはまだ田舎の人間的つながり助け合いがあると思っているがそれはすでにないのである。貨幣経済が支配するのは田舎でもそうでありそれは世界的にそうなったのである。ある一地域にこだわり住むという社会ではない、金かあればどこにでも住んでください、極端になると世界のどこの国にも住んでいいです、金さえあればとなる世界である。

そういうことがこの辺で現実に起きている。仮設に入った人は膨大だけど別に金さえあれば食料に困ることはない、いくらでも外から入ってくる。
そして仮設に入っている原発避難民は補償金で暮らしていけるから何も困らないのであるもし何も食べるものがないので何かめぐんでくださいとかなるなら別である。
何にも困らないしかえって補償金がもらえるから威張っているというのそのことを如実に示している。
だから金だけにものを言わせることにイワキでも他でも非難されることになったのである何でも金がもの言う社会になっているきだからいうことが矛盾しても起きてくるのである
だから貨幣経済の資本主義とか文明そのもの矛盾が現れたともなる。

金をやるからあなたがたはどこにでも住んでください

こういわれているのである。でもその金によって一億円もらっても代々住んでいた土地から離れて住むことは人間の根源的なアイディンティティを失うことではないか?
それを田舎から都会に移り住んだ人は感じているだろう。
ただそれを表現できないからその内面が良くわからないというだけである。
文化もそうだが人間はもともと生物なのだからその土地から生成されたものである。
だから都会というのはもともとその土地から遊離するということでもあった。
それを可能にしたのは貨幣経済のグローバル化でもあった。
ユダヤ人は土地をもたないから金にたより資本主義を生んだというのも一理あるわけである。金融業を支配しているのはユダヤ人であるとかいうのもそうである。
ただユダヤ人だけではない、そういうシステムの文明はすでにグローバルになっていてそれはまた世界がその文明を取り入れたからである。
文明とは普遍化であり世界的普遍化なのである。
ただそういう世界的文明もゆきづまり崩壊してゆくことは常に社会が変化したようにありうる。
だからそういう文明が崩壊してゆく現象が津浪や原発事故でこの辺に先取りして起きているのだと解釈もできるのである。

文明とは都市の勝利であって文明はこれによってと土地から解放されるとともに自ら没落してゆくのでてある

確かに都市は勝利したけど地方の衰退は都市に影響してゆく、地方がなくして都市も実際は成り立たないからである。そこは文化もない不毛地帯であり今若い人が田舎志向になっているのもそうした精神の不毛地帯を感じているしそれが具体化したとき今度は都市が衰退して崩壊してゆく、そして文明自体が崩壊してゆく・・・その次に新しい文明が生まれ、それはななのかわからないとなる。
小規模のかつてあった田園都市のの再興となるかもしれない、それはまた新しい地方の再生にもなるのである。




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