2015年02月20日

事業(原発など)の失敗と戦争の失敗はにている (撤退すること負けること失敗することを事故を想定しない)



事業(原発など)の失敗と戦争の失敗はにている


(撤退すること負けること失敗することを事故を想定しない)

failllll123444.jpg

失敗の構図は事業でも戦争でもにている。
なぜ日本軍はこんなに無謀な戦争をしたのだろうかとなる
シンガポールを落とすということは計画的に戦略としてありえた
でもアジア全域に戦線を拡大したのはまさに無謀だった
そしてもう負けることも撤退もなくなっていった
要するに最後は原爆を落とされるまで突き進むほかなかった
なぜなら負けるということが計画にもないし
撤退することもありえない、一億総玉砕の戦争だったからである。




事業というのは経営はあらゆる人間的なことにかかわる。
だから技術者だけで理系だけでは運営できない
職人だったらその技をひたすら磨けがいいとなる
でも経営となると全体にかかわるし一部の狭い分野だけ
を追及しても成功しない
理系だったら何かマニアックでもオタクでも雇われているなら別にかまわない
でも経営となるとまた別なのである。
それは人間的なものモラルとか人格とか何かそうした幅広いものがかかわってくる
だから事業に失敗した人に接してみるとわかる。

その人はなぜ事業に失敗したのか、その人は最高にむずかしい資格をとっていた。
理系の職人として優れていた。
でも事業をはじめたとき、経営をはじめたとき失敗した。
その原因はよくわかないにしろ理系として職人として優れていたから事業も成功するものと思ったのだろう。
だから最初から設備投資も多額であった。それも金を借りてしたのかどうかわからない
その経営にしてもどういう目的があってよりただ金をもうけるということしかなかった
何かのためにするというものはなかった
なんらかの理念にもとづく経営もなかった
経営と商売はにている。成功した商家では家訓とか残っているから経験からそういう家訓が残された。
家訓というときそういう家のものでもやはり歴史の教訓ともなる

人間は事業するとしても戦争でもまず失敗がある負けることもあると想定しないのであるもちろんそんなことをマイナスの面ばかり見ていたら事業などできないというのもわかるでも一方で事業には何が起きるかわからない、だから失敗も負けるということも想定しなければならない
戦争でも負けるということを想定しないから日本軍は負け戦なのにどんどん戦線を拡大していった
それは経営でも事業を拡大して失敗しているのと同じである。
つまり小規模にとどまっていればかえってその経営が成り立つ、あまりに拡大するとかえって失敗するということも常にあることは素人でもテレビなどで紹介ししているからわかる
小規模でもその店のいい点を味わいを出すというのがいいとなると規模を拡大しすぎるとそれができなくなる。

日本軍の失敗は事業を拡大しすぎたことなのである。戦線を無計画に拡大しすぎたのである、朝鮮とか台湾辺りまでに限っていればあんな大失敗にはならなかった。
その人も全国の人を相手に事業をはじめたのも失敗だった。
それも一人でやろうとしたのだから無謀だった。
それは大きな会社ならできるが一人ではとてもできない相談である。
そして事業から撤退できなくなっていた。
事業が実際は失敗していたのに成功を装っていた。
内実は借金で首が回らなくなっていたのが最近まで家族も借金のことを知らなかったのである。
「俺は成功者だ」と装っていたしみんなもあの人は頭がいいから成功していたと思っていたのである。
早めに失敗したのだから撤退していれば傷も浅くてすんだ。
これは日本軍の失敗と同じだった。
早めに負け戦だと悟り戦争をやめて撤退していればあんなに犠牲者が出なかったのであるそれは最近になって盛んに言われるようになった。
負けているのに勝った勝ったという大本営発表しかなかったのである。
事業に失敗していたのに成功していたと装っていると同じだった。
だから事業と戦争はにていると思った。
早めに負けを認め撤退することはそれだけむずかしいということである。

その人は正直職人として技術者としてやっていれば成功者だった
事業経営者や商売人になったとき失敗したのである。
東北人は職人としては向いている。
でも商売人とか事業経営者には向いていていない
商売や事業経営者に向いているのは関西である。
そこにはそれだけの歴史もあるからである。
近江商人とかもそうであり大阪商人もそうである。
そこではそういう人を育てるのである。
東北では農民とか職人は育てられても事業者とか商売人は育てられない
そういう歴史もないのである。
伊達政宗などは何か東北人に思えないのである。
宮城県人は東北人でないというときそういうことなのかとも思う

原発事故でもこれもあまりにも一職人とか理系の技術者とか科学者だけでやれるものではない
総合的なものであり国家的事業でありその指導者も戦争を指導するような人でないとできないというのもわかる。
文系なんか何の役にもたたないとか常に言われるけど原発は理系的なものだから
文系など何の役にもたたず必要ないというのが現実だった
ただそこにも盲点があった。
一見モラルなど関係しない世界のうように見えて関係していた。
科学者は嘘をついてたとかだましていたとかなっていたのである。
科学者は素人は科学のことはしらない原発のことを知らないから簡単にだませるともなっていたのである。

そういうモラルの欠如が事故に結びついていたのである。
科学者も正直であることがむずかしいのである
科学的におかしいことでも曲げて発表する
御用学者は事故が起きたとき盛んに原子炉は安全だと言っていた。
メルトダウンはしないと言っていた。
でもメルトダウンしていたのである。
人間は成功ばかりみて失敗を想定しない、いいことばかりみて悪いことを見ないようにする、そこに落とし穴があった。
悪いこと想定して事業もはじめねばならなかったのである。
戦争でもそうである、負けることがあり負けたらどうするかとういことを想定する必要があった。
しかし天皇教となり神国だから負けないとなっていて撤退もできなくなっていたのである。それで百万人死んだというからその罪も重いのである。
原発は戦争と違う、事故が起きたらと明らかに科学者なら放射能のことを知っているのだからシュミレーションできたし事前に訓練もできたのである。
そんなことをすると安全でないと原発を作れないのでしなかったのである。

つまり戦争も原発事故もリスクがあることを正直に言わなかった。
株なんか元金がなくなることもありますよとリスクを言っている。
だから元金までなくなっても株している人は文句いわないのである。
そういうものだとしてやっているからである。
もちろんそうなると戦争でも原発でもできないことになるかもしれない
戦争で負けるかもしれませんと言ったら誰もついてこないかもしれない
原発でも危険を言ったら誰も建てろと言わない
でもそのリスクの責任をとらされるのは国民であり住民なのである。
だから300万人も戦死した責任を誰をとるのかとなる
もし国民がそういうリスクを納得して戦争するならいい
原発でもそのリスクを納得して建てるならいい
そのリスクを隠して全くないようにして事をすすめることは誰の責任となるかである
国民が主権の時代なら国民に知らされないとしたら誰が責任をもつのかとなる。
要するに戦争でも原発でも事業でも重大な責任が課せられている。
だからこそ失敗したときどうするのかとかマイナスの面も想定しておく必要があった。
そうすれば犠牲も最小限ですんだとなる。


 
タグ:事業の失敗
posted by 老鶯 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

寒もどる (地理的一体感がもてるの30キロ圏内ー相馬藩の規模がほぼそれにあたる)


寒もどる

(地理的一体感がもてるの30キロ圏内ー

相馬藩の規模がほぼそれにあたる)

iiiiiii234.jpg
クリック拡大

300000.jpg


飯館の方に雪ふり寒もどる東風吹くあとに北風の吹く

今日は朝は晴れて気持ちいいなと思ったら午後からは曇り山の方を見ると厚い雲におおわれ雪になっていた。
飯館村の方である。飯館村は標高が高いから寒いし山陰には雪が溶けず積もっていることがある。
それでも山の方を見れば南相馬市からは飯館の方を望む
すると飯館の方を思うから地理的一体感がもてる
飯館村に行くには標高が高いから自転車だと苦労するのである。
でも何度も自転車で峠を越えて行ったのである。
でも最近は一年は行っていない、葦がしげる原野になってしまったからだ
相馬藩は何か小さいから距離的に自転車でも日帰りで行ける範囲だから一体感がもてる。でも30キロ圏内が浪江まででありその辺までが地理的一体感がもてる
双葉や大熊になると何か相馬藩内でも遠い感じがする
そこはもともと相馬藩の境だったことでもわかる
そこは明治まで原野であり森であり開墾された地域だった。

この辺の気候は今日の気候に顕著に現れている。
最初東風(こち)が吹いたのである。
次に北風が吹き山の方は飯館の方は雪だったのである。
これは今頃の典型的なこの辺の気候なのである。
この辺のこうした気候が原発で災いした。
ちょうど東風が吹きその風に乗って飯館村から二本松市や福島市まで放射性物質を運んだのである。
その時雪がまた降っていてその雪と共に放射性物質がふったのである。
だから一番気候的に悪いときに原発事故も起きたのである。
悪いことには悪いことが重なるというのは本当である
ともかく30キロ圏内まで放射性物質の汚染で危険な地域とされて避難した。
鹿島区はちょうどその30キロからわずかにはずれていたのである。
そしてその30キロ圏内が地理的一体感をもてる所だったのである。
人間的感覚では30キロ圏内が地理的一体感を感じる
風土というとき風なのだがまずその地方地方の風を感じるのは住まないかぎりわからないまず会津とか浜通りは全く違った風土なのである。
雪がふらないということでも全く違っている。
だから地理的にも気候的にも会津は別な世界である。

ともかく原発から30キロ地点まで避難区域になったが地理的一体感をもてるのは自分の住んでいる所から30キロ圏内が標準である。
ただこれは距離で計られるものではない、地形は複雑だから距離だけでは計れない
その土地の風土を知るのは肌で知るというか実地にしるというか実測で知るというか
人間的感覚で知るとならないとわからない
だから自分が自転車で阿武隈高原を越えて猪苗代湖の福良を湖南を回り会津の市街に出たとき地理を人間的感覚でわかってのである。
車だとまた風とか峠の感覚とかがわからなくなるから旅にならない
地形を体で感じたとき地理もわかるのである。
今日の天気はこの辺の典型的な気候が顕著に現れた。
まだまだ寒もどるであるが東風が吹いてくるから春も近い。
天候は自分の住んでいる30キロ圏内では共通性があるが
どこでも30キロを越えると共通性がなくなるかもしれない
天候は30キロ内で共通性があってもそれを越えるとないとなれば
天候は日本だけでもいかに多様かわかる
いづれにしろ風を感じることがまた季節を感じることなのである。


タグ:寒もどる