2015年02月08日

会津の方角地名 (方角地名がその土地を知る基本)


会津の方角地名

(方角地名がその土地を知る基本)

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塔寺の駅におりたちあわれかな秋の日さして豆たたく人
塔寺におりたち道の別れゆく西会津かな秋の夕暮
西会津道分け入れば芒かなかなたは越後や陽の没りゆきぬ

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地名の基本は方角地名である。南相馬市では合併して南相馬市になったのは相馬市から南だったからという、相馬郡はもともと相馬氏が小高に最初の城を築き在地の豪族を支配して行った、小高より北の北郷はみて南相馬市の鹿島区と相馬市の領域である。
相馬市はもともと伊達の支配地域であった。
だから北郷というときそれは歴史的地名としての北がある。
小高が中心として北郷がある。本郷というときもそこが中心の郷になるからである。
旅をするときまず方角がわからなくなる。方角がわかればその土地の全体の姿が見えてくる。滋賀県は琵琶湖中心だからわかりやすい、湖の西がありその方向の比良の山にが没る西は陽の没る地域である。西は何か淋しい感じを受けるのである。
東とつくと陽の昇る地域であり明るい感じがする。
京都でも方角地名から全体の姿をとらえると東山は陽の昇る山であり明るい感じになる。北山とかなると何か寒い感じになる。
だから会津の東山温泉となると京都の東山に通じるのかとなるとこれもどうしてあそこが東山なのかわかりにくい。
喜多方は北であるが北会津となるとまた違っている、どこから北会津なのだろうとなる
つまり方角地名はどこが中心なのかが問題なのである。
相馬地方だったら歴史的小高が中心だったからそこで北郷というのが歴史的方角地名として残っている。
histrical centered place がどこになるのかが問題である。

会津では西会津というのはわかりやすい、それは越後へ新潟へ通じているからである。
西会津は会津市街から離れた辺鄙な淋しい場所に感じられる。
秋に旅したときは芒がなびきそうだった。西会津の奥にも温泉があり新潟に出た。
バスだったので地理的にわかりにくかった。
白河街道は自転車で旅しているから地理的にわかる。
ただ白河街道が会津に出る場所が東山温泉だったことかわかりにくい。

いづれにしろ地名は方角地名が基本である。そもそも世界でも西と東(オリエント)に別れる、西はヨーロッパ
であり東はアジアであり中東となるとその中間とかなる。
日本でも西と東があり東はアヅマであり福島市には吾妻山がある。
遊牧民とか海洋民にとっては方角が一番大事である。
方角を知ることが生死を決する。砂漠で日本人の一団がラクダを率いて旅したが水のある方向がどっちかで苦慮した。幸い経験者がいて水のある方向に導いて助かった。
砂漠や平原とか大陸とか広いところを旅するには方角が一番大事なのである。
それで北斗七星と北極星が目印となり相馬藩でもそうだが野馬追いでも妙見信仰は北斗七星信仰が中国から伝わったのである。

不思議のなのは日本は最初ポリネシアとかの海洋民がわたってきたので日本語はポリネシアに由来するという説がある
海からみて船にのって日本列島を見る、海から方角地名が生まれる
ニシとはイニシであり太陽が去ってゆく方向にある。それは海から見てそうなのである。陸地ではない、だから日下石(にっけし)とはニシの方向にある海岸地帯だったのである。今回の津波で本当に日下石(にっけし)まで海なったことに驚いた。
あの辺は縄文時代は海だったであり海岸地帯だった。
鬼腰館という中世の砦があるがあれも鬼とは北の方角でありあそこは北風を受ける小高い山だった。

いづれにしろ方角地名からその地域をイメージさされることが多いのである。
奈良の西の京というとき何か西でありさびれた感じになる。

奈良市の西の郊外で、平城京の右京を西京と称したことに由来するといわれています。秋篠(あきしの)川西岸一帯をさし、薬師寺、唐招提寺・・・

ここは別にさびれた場所ではない、右京が西になっただけである。

赤々と椿の散りぬ西の京築地塀古り古(いにしえ)偲ぶ

西の京春の夕日影塀長く古偲ぶ堂塔の跡

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タグ:塔寺

北海道の抽象画(続き)


北海道の抽象画(続き)

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北の十字架
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冬の山脈

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残雪の峰



北海道的なものはまた本州とは違っている。手つかずの処女地として開墾された地であるつくづく日本は島国で狭いけど多様な風土から形成されている。
北海道から沖縄まで北国と南国がある。
だから日本を知ることだけで容易ではない
北海道には近いから十回くらい行っているから親しい地である。
九州とかは二回くらいしか行ってないから地理的にもわかりにくい
北海道の魅力も大きい
要するに北海道の自然というとき未開の原始林の風景がある
北海道の冬は厳しい、ここも冬を知らないと本当はわからない
ただ住むのは寒いから嫌だとなる

とにかく自分は日本はほとんど行っている、だからそこがどういうところかイメージできる。世界は無理でもやはり実際に旅しているから常に旅しなくても心があちらこちらと以前としてたそこに旅している、心がその土地に飛んでゆくというか浮遊しゆくというか
なんかそんな感じになっているのも不思議なのである。
旅はテレビとか本を読んだりしてもできない
実際にその場にゆくことである、それもあまり乗り物に頼らなければあとでイメージされてくる。
車だと電車でも記憶に残りにくいのである。
苦労して峠を自転車で上ればそれが体で記憶されるからあとでイメージが浮かんでくる

この抽象画も前のつづきである。西村計雄の絵は抽象画的だから抽象画に変化しやすいのである。
自分のしていることは創作とも違う、オリジナルなものがあってパソコンのソフトで変化させているだけである。
だから最近そのオリジナルなものが見つけられなかったから抽象画を描けなかったのである。
たまたまテレビで見た時、これは抽象画だと思いインターネットで見たらそうであり抽象画に加工したらできたのである。
タグ:北海道

抽象画(北海道の雪の紋章) (西村計雄の絵は抽象画的だから抽象画に加工しやすい)



北海道の雪の紋章

西村計雄の絵は抽象画的だから抽象画に加工しやすい

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地球創世記の地球



北海道共和町にある西村計雄記念美術館とあるけどこの人の絵は抽象画的なのである。
だから加工すると抽象画になる。
その当時はパソコンがないから人間がパソコン的な線とか光の感じとかだしていた
この人の作品は線を活かしたものだからである。
何か幾何学的なものと線のアートなのである。
だからこういうのは抽象画的だから加工しやすいとなる

要するに第二次第三次の作品としてパソコンとして加工しやすいいうことである。
それは創作というより新しいアートの楽しみ方なのである。
ただそれが著作違反とかになるのかどうかはわからない
でも何か北海道の共和町というとき何か北海道的な抽象画になっているのも不思議であるまずパソコンで加工するのはまさにart(技術)そのものである。
オリジナルなものがあり加工すると別なものになってゆく
抽象画になりやすいのがこの人の絵が抽象画的だからである。
タグ:雪の紋章