2015年02月01日

ゴトウケンジ死す (イスラム国とは国ではなくテロ集団なのか)


 
ゴトウケンジ死す


 
(イスラム国とは国ではなくテロ集団なのか)


ゴトウケンジが殺されたけどイスラム国に現代の文明のルールなど通用しないことがわかった。
最初は人質交換などで命を生かすための交渉かと思っていたのである
そんな甘い考えなどイスラム国には通用しなかったのである。
何か不思議なのはイスラム圏社会はそもそも近代化できなかった。
近代化とはいろいろあるが一つは工業化できなかった。
イスラム社会から何か工業製品を作り出していない
日本は近代化したというとき技術的な面で工業化しているのである。
日本は江戸時代の鎖国から中世的世界から近代国家に飛躍したのである。
それができたのはアジアでは日本だけだったのである。

だから不思議なのはイスラム国の出現はまるで中世の暗黒時代の戦国時代へ逆戻りしているように見える。首切りとかの残虐性もそうだし何か近代のルールも全く通用しない
そもそもがイスラム国というけどそれは国家でもない
すると国家とは何なのかとなる、国家と民族は違っている。
その象徴がクルド人は国家はないけどクルド人としての強固なアイディンティティがあり結束している
国家がなくても民族は存在しているのである。
日本では国家も民族も島国で一体化しているからそういうことがわかりにくいのである。
大陸的には国家というのはいつも同じではない、民族は同じでも国家はそうではない
国家は大陸では島国でないから絶えず拡張したり収縮したりしているのである
だからイスラム国が目指しているのは中世のカリフ制である


この地図を見るとリビアであれエジプトのシナイ半島でテロが起きたことが納得がいく。イスラム国はかつてのカリフの時代を再現しようとしているのだ。
その残虐性は中世の戦国時代のように見えてもまた近代的なものも取り入れている。

イスラム国は民衆に、自分たちを受け入れる限り悪いようにはしないと言っている。シリアの支配地域では商人たちから2ヵ月に1回20j相当の税金を取るのですが、律儀に領収書を出す。アサド政権時代には税金はもう少し高く、領収書も出さなかったため、一度税金を払ったのに別の徴税官が来て、税金を出せと言ってくる不正もありました
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41813?page=5

ここで不思議なのは領収書を前のアサド政権で出していないのにイスラム国では出していて二重にとったりしないというのもかえって近代国家的なのである。
要するに中世や戦国時代と近代がまじりあったようなものになっている

ただ国家という概念は近代が作り出したものであり国家の範疇に収まらないものがかつてはあった。
だから国家とはなにか、イスラム国は国家なのか何なのか?単なるテロ集団なのか?
だから殲滅すべきだという議論がでてくる。
つまり国家としての交渉はありえない、だから人質交換など国家を相手にするものではないから通用しないとなる。
国家には元首がいるがイスラム国にはいない、だから誰と交渉しているのかもわからない責任を持つものか誰かもわからないからそもそもまともな交渉ができない
それで簡単に都合で残虐に殺すだけだとなる
日本でも江戸時代は他国から入るものと入鉄砲入女とか関所で調べていた。
他国から入るものは常に危険だったから移動の自由もなかった。
こういう時代が世界でもあった。

今のグローバル化社会というのはやはり近代化して一方で人類的には進歩したものとしてあった。
そこに様々な問題が生まれるにしてもどこの国へでも安全に行けるということ自体格段の進歩だったのである。
江戸時代であれ世界でもそんなことが簡単にできなかったからである。
それでいかに世界を安全に行けることが恵まれたことなのかこの事件で認識した。
これまでは当たり前だと思っていたのである。
ともかくこの辺に起きたこと津波であれ原発事故で故郷に住めなくなったことなど
当たり前なこと意識しないことか恵まれていたとか意識するようになったのとにている。世界を自由に行けるということはそれは人類の進歩であり恵まれたことだった。
イスラム国の出現でもはや安全に日本人も渡航できなくなったことでわかったのである。
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グローバル社会の暗と明 (国内の格差、世界の格差が拡大する)


グローバル社会の暗と明


(国内の格差、世界の格差が拡大する)


●入鉄砲はテロリストのこと

今回の事件はグローバル社会から起きたものである。そもそもテロ自体が人が世界を自由に出入りできるから起きている。
歴史をふりかえればそんな時代はない、人の出入りは厳しくチェックされて出入りできない
江戸時代のように世界でも同じだったとなる。
「入鉄砲」というのがまさにそうである。これと他国から来るもののテロを恐れていたから厳しくチェックしていたのである。
パスポートとだけで自由に世界の国を出入りできることは人類にとって相当な進歩だったのである。

その暗黒面として自由にテロリストも出入りできるということである。
これはとめることができない、ちょうどウィルスと同じようにできない
それだけグローバル社会になっているからできない
世界中に誰でも自由に出入りできるからテロリストの温床になる
すでに日本だってイスラム系の人がかなり住んでいるしそこからテロリストが生まれるかもしれない
これだけ人間も世界で混じり合っていれば防ぎようがないのである。

そもそも不思議なの江戸時代は何であんなに藩ごとに別な国になっていたのかということである。関所がなぜあんなに多かったのか?
それを考えればわかる、それだけ他国の見知らぬ人間は信用できない、危険だからそうなった。
信頼関係がないから信用できないからそうなった。
今でも沖縄の島ではそういうことがある
まず外から来た人は怪しいとなり信用されない
ただ木陰に休んでいただけで怪しいと警察が自分を職務質問に来たのである。
これは江戸時代だと思った、見知らぬものがうろうろしていたらすぐに怪しいと見られる時代だったのである。
これが人間社会で普通のことだったのである。

●テロリスト集団と人質交渉になぜ失敗したか?

最初は人質交換はたがいの命を生かすものとして交渉するように見えた。
しかし考えてみると物を交換するのとは違う、商売するにしても互いに信用がないとできない、金を払っても金を本当にもってくのとかなる。
こういうことは悪人の麻薬の売買とかでもそうなる
あいつ信用できるのかとなる。
それとにていて互いに殺し合いしている人間の間では信用はできない
人質交換するにしてもそもそも信用できないからできなかった

ともかく人間は信用することほどむずかしいことはない
それは人を雇う立場にある人であれ共同事業する人であれ
どうして相手を信用するかが最大の問題になるのだ。
だから借金している人とは組まないとか経験している人は判断する
借金している人はすでに危険な信用できない人物なのである。
それはつきあうにしてもそうである。
相手の弱点があったら借金を請求してくるから怖い。
もちろん横領もするかもしれない、そういうふうに見られてしまう。

お互いに信用して命のやりとりもできる。その根底がないからただ互いに疑心暗鬼になっていたから失敗した。
イスラム国ではリシャウイとかの死刑囚を重要視していなかったのだろう。
それより人質をとりヨルダン政府をゆさぶり日本をゆさぶり分断するとか何かそうした別の意図があった
だからもともと人質交換する気がなかった
だからすでに人質を殺すことは予定されていた。
ヨルダンのパイロットも殺されているのだろう。
結局イスラム国への見通しが悪かったのかもしれない
でもなぜアメリカとイギリスと日本人が殺されたのかわかりにくい
日本はアメリカとイギリスと同列に見られていたのかとなる

●アメリカの責任も大きかった

イスラム国というときそれはイラクをアメリカが攻撃したことから生まれた。イラクの残党だとなる。
そもそも9・11のアメリカのビルのテロはイラクとは関係なかった、でもそれを口実にイラクを攻撃した。そういう権力の横暴が常にアメリカにはあった。
だからどうしてもアメリカへの反感が世界に生まれる
権力をもつものは常に悪用されるのである。
権力をもって黙らせることができるからである。
それは原発でも同じだし前の戦争でも同じだった。
そして権力は人間が悪だとすると悪代官のように悪用される


そしてグローバル社会というのは国内格差だけではない、世界的格差を拡大化して露骨にする、世界的に富は数バーセントのものに集中するとかある。
イスラム国になぜ若者が集まるのか、本当はあんな所に行きたくないだろう。
豊かな生活をしていればあんな危険な所に行きたくないというのが普通である。
そうでないから食い詰めているとか浪人のようになっていると一旗あげようとか集まってくる、給料も高く家まで与えているとなるとそうである。
イスラムの国々は貧乏な人が多い。するとそこに閉塞感が生まれる
それがイスラム国へ人をひきよせる

別に格差は日本国内でもあり深刻になる。
泥棒にも三分の理があるというのもつくづくわかる
なぜこんなに自分たちは貧乏であいつは裕福なのだとなる
そこには実際は合理的な理由があってもそれを認めるものはいない
イスラムでは近代化できない、工業化できないということがあった
中国が豊かになってきたのは工業化してきたからである。

格差社会というのは本当は治安を悪くするし深刻なのである。
自分もそういう経験をした。
生活に困っていれば強盗でも何でもするのが人である
今食べるものが内となれば相手を殺しても一日食べるもののために人も殺す
そういう切羽詰まった人間と接してきたからわかる
家に入ってきたものに強奪され借金しているものは病気のときも脅迫してきた。
もう相手のことなど何も見えない、自分のことが優先される
そういう追い詰められ人間は怖い
それがイスラム国の人間だということである。

 
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廃墟の大都会の幽霊電車(ショートストリー)


廃墟の大都会の幽霊電車(ショートストリー)


そこはその国では一番大きな大都会だった。不夜城のように灯はともり高層ビルが林立していた。人々でどこもごったかえししていた。夜も眠らない大都会だった。
女性は華やかなカルフルなファションで通りをさっそうと歩いていた。
一千万の大都会に人々は日夜働いていた。回りに畑や田んぼはないのでどうして食べ物をがあったのか不思議となった。
一千万人の食料を供給することは信じられないものだった。
でも人々は豊かに暮らしていたのである。
それがどうしてなのだろう。そこは突然誰も人も住まない都市となってしまった。
その国では原発事故がありいくつかの町と村に人が住まなくなり廃墟と化した。
ただそこは自然豊かな田舎だったので葦がぼうぼうと繁る元の原野にもどったのである。そこには野生の動物が増えて元の自然にもどったのである
しかし大都会はすべてが人工化した空間だから人工の廃墟と化している
地下鉄が縦横にめぐらされているがそこをもう電車と通らない、ただ地下鉄は洞穴のように残り通じている、上からは雨がしたたり錆びた鉄路が通じている
そのくねり曲がった通路は今になると何か神秘的である
懐中電灯で照らすとそのトンネルは延々とつづいている。駅もあり駅名もある。
ただ人は全くいない、時々コウモリとかが飛びネズミがはいまわる。
この地下鉄を多くの人が利用して混雑していたのだ。
それが信じられない、誰も人はいずもぬけの殻のようになっている
今は廃墟となり死の世界となってしまった。
本当にそこは不気味である、懐中電灯を照らしてゆくと誰か向こうから人が来るのだろうか、時々幽霊列車がここを走るという、そして影のように人が乗り降りするという。

「おい、あなたは川上君じゃないか」
「あなたは誰ですか」
「僕は山下だよ、大学時代一緒だったろう」
「ええ、そんな人いました?」
「なんだ、忘れたのかい、それもそうだな、あれから50年もたったからな」
「まだ題目唱えているのか」
「・・・・・」
「電車にサリンがまかれた事件あったな・・あれもまたこんな大都会から生まれた事件だった」
「確かに大学には行っていたけどな、時間がたつの早い、いろんなことを忘れてしまうよ」
「電車が来たみたいだよ、じゃさようなら」

こうして二人の影は別れてしまった。
あのころは学生運動があってこの地下鉄をゲバ棒をもった人達が歩いていたとかあった。それもずいぶん昔となった。
それから時間はまた数百年はすぎたのだろう。
その大都会がどうしてそうなったのか人が住まなくなったのか不明である。
ただその何百年前にそこから300キロ離れた原発で事故があり回りの町や村に人が消えたそのことがあったからそれが放射能が影響したのかもしれない、放射能汚染で住まなくなったとも言われる。数百年後にこの国の人は事故のことなど忘れたときまた原発事故があったらしいからだ。
ただ今になるとどうしてそんな廃墟になったか不明なのである。
それはマヤ文明が廃墟の階段ピラミッドを残したのとにている。

地下鉄を出ると高層ビルが今もそそりたち不気味であり影を伸ばしている。
なぜこんなに高いビルに人は住んだのかととりざたされる
辺りを見回しても人っこ一人いない、ただ幽霊がここで出会うらしい。
かすかに街灯がともる一角がある。
そこに幽霊が何人か集まる。そしてひそひそささやいている

「ここであなたと良くあっていたわね」
「う、なつかしいね」
「あの日はもうもどらないね、悲しいわ」
「青春なんかたちまち過ぎてしまうんだよ」
「そう、人間なんかはかないもんだよ、一場の夢なんだよ」
「まあ、こんなところで毎日あくせく働いていたんだよ、地下鉄でも電車にギュウギュウ詰め込まれてな、あれはなんなんだったのだろう」
「そういうことね、私も夫を会社に送り出すために忙しかったけど・・・みんな昔のことよ」

こんな会話が幽霊の影がささやいていた。この巨大な廃墟の跡を継いだものはネズミと蟻でもあった。こいつらは何かしら食べ物を見つけて生きている。
蟻はどこからでも這い出して巣を作りやはり働き続けている。
ここで働いていたものも蟻ともにていた。だから蟻がここでは生き続けている。
ともかくその大都会は地下鉄であれどこであれ迷路が延々とつづき抜け出れないのであるこれだけの大都会が廃墟となることは今では信じられない、でもその信じられないことが人間社会には起きる。
そしてなぜ人が住まなくなったのかが謎となる。
ただ幽霊電車が地下鉄であれ地上であれ時々忘れたように走っている。
その時一瞬この大都会に人が住み活動しているように錯覚するのである。



飯館村が原初の葦原になり伝説化した (葦笛の詩として引用構成)
http://musubu2.sblo.jp/article/57094940.html


これも相当読まれている。飯館村関係の人が読んでいるとしか考えられない
原発事故で起きたことは本当にドラマでもない映画でも小説でもない
現実だという驚きである。こんなことがありうるのかという驚きの連続だった。
そもそも津波もそうでありこれが現実なのかというが信じられないということがつづいていたのである。
津波で村ごと何もなくなるなど想像すらできなかった。
でも人間社会にはこういう想像もできないことが起こるということをまざまざと見たのである。
伝説というのはだから真実を基にしているのだ。
何かしらの真実があって伝説になっている
だからそれがなかったとは言えない、ただ小説やドラマのようにフィクションだったとは言えない、現実があってフィクションがある
「事実は小説よりも奇なり 」である。

この七年間の自分のことを書いてきたけどこれもそうだった。
認知症などとという訳のわからないものに家族がなるとは思いもよらなかった。
そしてまわりで起きたことも全く信じられない連続だったのである。
だから人間は想像することは現実化するというのも本当になる。
ただ現実の方が人間の想像より驚くべきものとなる。
いづれにしろ東京が廃墟になるということはありうることなのだ。
それが放射能なのか何かわからないにしてもなりうる。
そして謎として伝説として語られるようにさえなる。


結局東京そのものが現実に見えないのである。イリュージュンのようにみえるからだ。
これが人が住む世界なのかとなる。
だからある時巨大な廃墟のうよも見えてしまう。
最近すでに十年は東京に行っていないから本当に昔になった。
結局人生そのものがイリュージュンだったのである

 
タグ:廃墟
posted by 天華 at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年02月02日

イスラム国が生まれた理由 (アメリカがイラクの国家主権を踏みにじった結果)



イスラム国が生まれた理由


(アメリカがイラクの主権国家を踏みにじった結果)


なぜイスラム国が生まれたのか?イスラム国とは何なのか、盗賊集団なのか、テロリスト集団なのか、いろいろ考えてもわからない
ただわかっていることはそもそもイスラム国が世界で認めた国家ではないことは確かである。
だから国家とは現代の世界でどういう位置づけになるのか問題になる。
アメリカが国家の主権が大事でありヨルダンと日本政府で対処しろと言うのも矛盾しているのである。
イラクはれっきとして国家であり主権をもっていた。
フセインの独裁であれ何であれ世界が主権国家と認めているものはアメリカの一方的都合で攻撃してきたことが事のはじまりだったのである。
9・11のテロとイラクは関係ないともされていた。
ただアメリカのあの犠牲のスケープゴートにされたのである。
あれだけのアメリカの犠牲があると国民も納得するものが必要になった。
それがイラク攻撃を許したのである。

アメリカが主権国家たるものを簡単にふみにじったことがイスラム国の出現になっていった経過がある。
イラクはふみにじられ分裂してイスラム国が生まれた。
フセインの独裁であれ主権国家が簡単に破壊されたから無法地帯となりイスラム国があるそもそもフセインの独裁であれそれが嫌なら主権国家ならイラク国民が倒すのが現代の国家論である。
他国は内政干渉してはならないのが国家間の約束なのである。
アメリカの一方的いいがかりで主権国家が簡単に破壊されたことの罪は大きいのである。だからイスラム国はわからないにしてもすべてアメリカやヨーロッパの言っていることが正しいとはならないのである。

不思議なのは真珠湾攻撃は9・11のテロとにていた。死んだ人数も同じくらいだった。
それが契機となって太平洋戦争に突入した。
ところがその時も日本はアジアの大義を主張していたのである。
アジアの大義というのは中国など認めないにしろその当時は欧米の反発を日本が一心に引き受けてそうなっていたのである。
そのことはイスラムに関しても同じなのである。
中東は欧米に植民地化されて蹂躪されてきたのである。
するとイスラム国がイスラムの大義を言ってカリフの時代に復古するというのもそれなりに理屈がある

ただイスラム国は世界では主権国家として容認していない、それはだから盗賊集団なのか、テロ集団なのかなんなのかとなる。
でも中国では盗賊の頭が中国の王になっている
盗賊が王になれるのかとなると現実になっているのだ。
国を盗めばれっきしてと国王になれるということを証明している
つまり国家的盗賊になればバイキングであれイギリスの海賊であれ国家から栄誉を与えられるのである。
欧米が植民地化したときそれは盗賊集団だったともなる。
アメリカ自体原住民のインデアンからアメリカを奪った盗賊集団だともなる。
オーストラリアもそうなる。

日本がその当時アジアの大義を主張する理屈はそれなりにあった。
それはイスラムの大義にも通じているものがある
ただそこにアメリカ介入しして破壊された。
だからそこにアメリカの義があるのか、アメリカはなんのために日本をねらいうちにしたのか?
強大なアメリカが介入することによりアジアの大義は失われイスラムの大義も失われた。だから欧米側にどういう理屈があって軍事介入してくるのかその理屈が通らないのである要するに軍事力があるから力に従いとだけになる
つまりどっちが盗賊集団なのかテロ集団なのかわからないのである。
国家主権を大事にしろといってイラクのように気にくわないと強大な軍事力で国家主権をふみにじる。ただ力が正義だとなってしまう。

そしてアメリカにイラクでは爆撃で相当数の家族が殺されている、その恨みも深いしそれがイスラム国へ若者を集める。
要するにこの世の中が力を行使するにしても力が正義になったら必ず反発が生まれる
それで法律が生まれたのだが国際法ではそうした法が通用しない
「力が正義」になってしまうことが問題なのである。
イスラム国のやっていることは容認できない、ではアメリカのやっていることが容認できるのか?それも容認できないのである。

ともかく国家の一員であれば今回のように何かわからないにしろ人質になったりしたら国家がそれだけ救出に努力する。それは日本国家の一員であり義務だからである。
国家が安全を守るためにあるからである。
国家がなくなると無法地帯になり誰も安全を保証できない、だから難民などは悲惨な状態になる。安全を保証してくれる国家がなくなったからである。
シリアの難民は人身売買されたり悲惨な結果になっているのだ。
要するに何であれ日本はアメリカに負けたのでありアメリカの属国という立場から今もぬけだしていない、そして敗戦から戦争などしたくない、そうした気力もない
ただ石油がほしい、経済的な豊かさも維持したいから欧米についた方が得だという判断なのである。
イスラム国を応援などしたくない、そうなれば今あるものをすべて失うことさえありうるそこまでしてアメリカに負けてからやる気がないのである。

でもイスラムの大義にしても本当にあの辺を武力で支配しても豊かになれのか?
自力で工業力とか技術力をつけないとイスラムは豊かになれないだろう。
武力では国は豊かになれない、その国が自力で生み出すものがないと豊かになれない
イスラムにはそれがない、石油があっても精製する技術かないから欧米や日本に頼る
ただ砂漠と石油とアラーだけでは豊かになれないのである。
そういう反省もなく不満だけを武力でぶつけるのも問題なのである。
日本の戦後の成長は奇跡だというときやはり日本はそもそも明治維新があり
それてけアジアで唯一近代化した国だということは日本が世界で認めているし誇るべきことだったのである。
それはどこの国でもできることではなかった。
イスラムというのは以前として何か中世から脱していない感じなのである。
ともかく日本の歴史も負の部分だけではないプラスの部分も見直すべきなのである。


 
posted by 天華 at 10:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

イスラム国は国家ではない (近代国家とは何だったのか?)


イスラム国は国家ではない

(近代国家とは何だったのか?)


●国民軍の形成が近代国家を作る

騎士階級(封建領主)を完全に没落させ、歩兵が小銃を持って集団を構成して進撃し、大砲がそれを援護する戦争形態を一般化させた。当初はそのような歩兵集団として各国の君主は傭兵(特にスイス傭兵が有名)に依存していたが、次第に徴兵制による国民軍を持つに至る。マキアヴェッリの『君主論』は君主にとって有用な兵力として傭兵制に代わる国民軍の創設を主張している。

16〜17世紀までのヨーロッパにおいて、徴税機構を中心とした行政組織と常備軍をもち、明確な国境内の領域を一個の主権者である君主(国王)が一元的に(中央集権体制的に)支配する「主権国家」と、それらの国家間の国際関係が形成されたこという
http://www.yk.rim.or.jp/~kimihira/yogo/04yogo09_4.htm

近代国家として形成された歴史的経過があった。
ヨーロッパの歴史は日本の歴史とにているのである。
封建制があり城が多いことなのである。
城下町が多いのである。ヨーロッパだと城壁内の街となるのは違っている。
中性的な封建制支配と近代国家は違っている。

騎士階級(封建領主)を完全に没落させ、歩兵が小銃を持って集団を構成して進撃し、大砲がそれを援護する戦争形態を一般化させた・・
この形態は戦国時代の戦いから明治維新の戦い方の変化である。

鎧などの重いものをつけないで軽装で集団戦になり槍などは使わない
近代の軍隊になって明治維新が生まれた。
その時高杉晋作がひきいる奇兵隊は農民や一般庶民が加わっていたから国民軍の前進だった。伊藤博文が首相になったことがそれを象徴している。
君主の子でもないものが一国の元首となったからである。

日本が本当に国民国家を形成したのは西南戦争だった。
その時武士階級を残そうとしたさ西郷隆盛等のひきいる武士団で形成されたものと
庶民が国民が武装して戦い勝ったのである。
そもそも武士には庶民が国民軍が勝てないと思っていたのである。
なぜ武士は戦争のプロだからである。
ただその時会津の藩士も加わって西郷軍と戦ったのである。
武士も国民軍に交じっていたのである。
こういう歴史もヨーロッパとにているのは封建制がヨーロッパにあり日本にもあった。
他の国には封建制というものがそもそもないのである。
封建制のもとで日本は藩に別れて城があり君主がいて安全が保たれ300年の鎖国の平和の時代があった。これもまた特異な日本の歴史だったのである。
藩があり藩が今で言う国家でありその藩の一員として安全が保証されていた。
だから300百年間も入鉄砲などを警戒していたのかと思う
その時すでにもうテロなどしてくるものはないはずだったからである。
藩同士が多少もめごとがあっても戦争になることなどなかったからである。
そもそもがなぜ急速に近代国家になることに成功したのかというのも不思議である。
だからこそ西郷隆盛の反乱があった。
武士が徳川幕藩体制と同じように支配すべきだということで明治政府に反乱したからである。
だから今でも幕臣は薩摩長州に対して恨んでいるのである。

●テロはグローバル社会ではなくせない

このことと今回のイスラム国に日本人人質が殺されたことと何の関係があるのかとなる
イスラム国は国家ではない、だから国家として扱えない、国家として交渉できないとなる日本はせんそうしてアメリカに全面降伏してからテロなどアメリカにしていない。
それは日本が近代国家であり戦争に負けて理不尽でも勝者に従うということをしたからである。国家間の正式な戦争だから正式に勝者と敗者が確定してあとは戦争はしなかったのである。

イスラム国はテロ集団であり国家でないとしたらイスラム国がなくなってもテロ集団はなくならない。日本のように国家として全面降伏して従うということがないからである。
して奇妙なのは一体今の世界でどこかの国に所属していない人はいない
無国籍がいいというけど無国籍だったらパスポートもないのだから外国に行くこともできなくなる。
そしてイスラム国にはイギリス国籍やフランス国籍や他の様々な国籍の人がいる多国籍軍なのである。
国家の一員であるものが勝手にそうした行動をとることは国籍を離脱してできることである。なぜなら今回の日本人人質のことでわかったように他国に日本人がとらえられれば国家の責任で救出しなければならなくなるからである。

一方でなぜ国家はそうした危険人物をとりしまらず放置しているのか、それは国家の責任だとなる。
つまりテロなくならないのは国家が責任をもてとりしまらない、国家の責任でテロリストをとりしまらないからだとなる。
だから入鉄砲をテロリストを厳しくチェックしなければならないとなる
日本の江戸時代のようにしないと安全は保てないとなる。
国家の命令に反して離脱してテロリストになれることが問題なのである。
江戸時代のように入鉄砲を厳しく関所でチェックしていれば安全なのである。
グローバル社会ではそれができないから安全が保てないのである。
テロは国家を離脱しているからテロがなくならないのである。
国家といっても様々な人種でも混じり合うし物も人も自由に行き交うからできないのである。
イスラム国でも国家だったら国家との戦争であり勝敗があり負けたら従うとなる、あとはテロはないとないとなる。国家でないからまたグローバルにテロは展開できるとなる。
つまりテロを掃討する方法がないとなる

●イスラム国は長続きしない

そもそも国家は簡単に形成できない、ヨーロッパだって封建領土支配がありその前にも様々な支配形態を経ている。それだけ時間をかけて近代国家の基があり形成された。
日本だって江戸時代の徳川幕藩体制の三百年の蓄積がありその上に近代国家が生まれた。封建制から近代国家は連続している。断絶しているようで歴史は必ず連続しているのである。
だからこそイスラム国が中世のカリフ制の復古を目指していることでもわかる。
ところがイスラム国が近代化できないのはカリフ制とか中性的なものから近代国家になれないものがあったからである。
その辺の歴史は詳しくないからわからないにしろ中国でも封建制がなく欧米に植民地化されたのは封建制がなく近代国家を形成できなかったからだとなる。

日本は唯一アジアで近代国家を形成できた国だから誇りをもつべきだとなる。
戦争で負けて日本のいい点も否定されたのが戦後だった。
高度成長だって焼け野原からそれだけ経済的に復活したのだから誇りになる。
第一イスラムでは以前として近代化できず停滞していることでわかるのだ。
歴史にはどこ国だって明と暗がある、その暗ばかりが日本では指摘されすぎたのである。このバランスが大事なのである。
要するにイスラム国が意外と早く解体するだろうと言われるのは国家の形成は簡単にできない、長い歴史的経過のなかでできるものだからである。
カリフ制といってもそれをそのまま復古は近代ではできない
そうなると新しい国家が作れるのかとなるできない
それは武力だけでもできない、石油だけでもアラーだけでもできない
そこに限界があり早く解体するのではないかと言われる
なぜなら内部は恐怖政治でありそんな政府に誰も従わなくなり内部分裂崩壊になる
結局庶民は欧米の植民地の方が良かったとさえなるしなっている人々もいる。
膨大な難民がそれを象徴しているのである。
タグ:イスラム国
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アメリカの前に主権国家はない (アメリカが世界の覇権を握り逆らうものはつぶす)


 
アメリカの前に主権国家はない

 
(アメリカが世界の覇権を握り逆らうものはつぶす)

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主権国家といってもアメリカに逆らった主権も何もなくなる、それが戦争に負けた日本でありイラクだった。主権国家でありうるのはアメリカに承認されてありうる。
それは徳川政権で徳川幕府に逆らう藩はつぶされるのとにている。
アメリカというのは江戸時代だったら徳川幕府なのである。
アメリカの意に逆らうものはつぶされるのである。
世界史をどういうふうにみるかはアメリカか世界の覇権国だからアメリカ中心に見ないとわからない。
アメリカが正義だとか関係ない、徳川幕府が正義とかでもない、強大な権力をもって支配できるから徳川幕藩体制ができたのである。


だから世界はアメリカが覇権国でありアメリカの支配下にありアメリカに逆らうものは徳川幕藩体制のようにつぶされる。そこには強者の論理しか世界になるとないのである。
徳川幕府の下で300年の平和が実現した。
アメリカが世界の警察官となり世界の平和もまた実現するとなる。
ただ世界になるとアメリカの覇権を脅かすものが常に存在する。
かつてはソビエト連邦でありこれもアメリカ帝国の前につぶされた。
しかしまだロシアが残りアメリカにわずかに抵抗している。


そしてヨーロッパでもアメリカに抵抗するものとしてアメリカは警戒している。
ヨーロッパでも第二次世界大戦でドイツがナチスが台頭して世界の覇権をねらったのである。ドイツ民族は優秀なのである。今でもそうである。
ナチスにはいろいろ見方があるにしてもアメリカからの一方的な見方には注意すべきである。
なぜならヨーロッパ統合の大義としてドイツ民族がゲルマン民族が支配するというのは歴史にあったからだ。
だからヨーロッパが統合するEUをアメリカは覇権を脅かすものとして警戒している
世界の機軸貨幣としてドルを維持しようとするのにそれも脅かされるので警戒している。
そして世界史を改めてみてみるとアメリカの覇権の下で世界の秩序が作られてきたのである。
第二次世界大戦はまさにヨーロッパの大義をかざしてナチスドイツがヨーロッパの統合を目指したのである。
それは日本がアジアの大義としてアジアの統合を目指したのとにているのである。
世界史をふりかえると何だったのか新たに見えてくるものがある。
日本の戦争はナチスドイツとにているのもそのためである。
アメリカがなんかいろいろ印象づけられるから見えなくなる。
アメリカのことは日本から良く見えないしアメリカ批判は日本は負けたのだからできないアメリカを世界史の中で客観的に見れないのである。
アメリカが覇権国になったのは第二次世界大戦以降でありその前はヨーロッパでもソビエト連邦でもアジアでも日本が台頭して分断されていたのである。

要するにヨーロッパの大義としてゲルマン民族の台頭がありアジアの大義として日本民族の台頭があった。それとソビエト連邦が第二次世界大戦後にアメリカの覇権を脅かすものとしてアメリカに冷戦でつぶされたのである。
要するにここ60年くらいの歴史はアメリカを機軸として世界史が形成されていたのであるその前はイギリスを機軸として形成されていた。
今アメリカの覇権を脅かすものはロシアより中国である。
すると中国の力をそぐことをアメリカは考える、中国と日本を戦争させるようなこと考える
アメリカにとってそれによって漁夫の利を得るのである。
イスラム国もイスラムの大義として台頭したのかもしれない、カリフの時代にもどろうとしているからそうなる、アメリカにとっては覇権を脅かすものとなる
ただアメリカにとってEUもそうであるからEUとイスラムを争わせてEUの力をそぎたいとなる。
日本も一役かわそうとしているのが今回の人質事件だとなる
だからアメリカの意にそうことばかり安倍首相は言っているのだ。

世界の覇権国のアメリカに逆らったらもう繁栄はない、日本の敗戦がそれを示している
日本は以前としてアメリカの属国であり世界を独自には見れない立場にあるのだ
だから世界をどうみるか最近70年くらいの歴史をどうはるか再検証が必要になっているのだ。
アメリカが世界の覇権国として世界の国々にどう対処するかを見ればわかるのである。
アメリカは世界の覇権国から脱落すること脅かされることを最も恐れているのである。
そのためには核兵器でも使うのである。
ソビエト連邦とアメリカが核戦争一歩手前までいったことでもわかる
アメリカの覇権をつぶそうとすると核がもちだされるのである。
かといってアメリカが覇権国から脱落したまた世界がどうなるのか?
中国は覇権国になるのか?結局世界が三国志になるのかもしれない
EUとアジア(中国)とアメリカとそれにロシアとイスラム勢力になる。
今アメリカの覇権は維持しているけどそれもできなくなるときまた一つの歴史の転換期になる

歴史はその当事者には見えない、日本の戦争にしてもその時は何なのかわからないことがある。
でも50年とか100年たつと見えてくるものがある。
それは世界の様々な変化の中で見えてくるのである。
イスラム国はわからないにしてもそういう一つの事件からまた新たな世界が過去も未来も見えてくることがある。
だから今回の人質事件は日本にとって大きな事件だったかもしれない
日本国家が世界にかかわる事件だったとなるかもしれない。
いづれにしろアメリカの前に主権国家などないのである。
アメリカに逆らえば主権は国家でもなくなる、それに抵抗するには戦争しかないとなる。いづれにしろ世界史の興亡は70年であれ100年単位であれ常に起きている。
その変化が何になるかはわからないのである。
アメリカの繁栄は覇権はあと100年はつづくと言う人もいる。
そのアメリカもまた世界の覇権から脱落するという人もいる
そのあとに日本が世界の覇権に再び浮上するというのも今の状態はありえないと思う。
日本もアメリカの覇権の衰退と共に衰退する
次はどこが興隆するのかそれはアジアだということは確かかもしれない
イスラムにはただ石油とテロとアラしかないから興隆しないのである。

 
posted by 天華 at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2015年02月04日

母の百才の祝い 南相馬市(小林トミ子)


母の百才の祝い-南相馬市(小林トミ子)

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会津塗りは県から授与された

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百歳は百(もも)で桃色のちゃんちゃさになる。
赤は還暦であり他のもそれぞれの年の祝うのは色が違っている。
通信販売ですぐ買えたのが便利だった
ひはり百歳は記念になるだろう



立春に母の百才の祝いかな

我が家に過ごす長き年月

今日は百才の祝いで民報と民友で来た。事前に連絡がないからあわてた。
県から許可得ているというけど取材は勝手に民間ではてきない
取材拒否だってできる、そもそも一個人が新聞にのせてくれといってものせない
それは出版でも本屋でもそうである。
公共の図書館でも拒否されたことがある。それは地元だったなのである。
こうして権力をもたないものは取材でも何でも権利がないのである。
そういうところから原発事故も起きて来たのである。
インターネットは誰ものせるなとか言う人がいないのが不思議なのである。
だからイスラム国の首切り映像もでているのである。
それもまた世界的報道の自由なのだけどインターネットでも世界的に影響力をもったことが今回の人質事件だったのである。


ともかく百才は一つの大きな区切りであり峠を越えたという感じである。
百才で死んで終わるわけではないけど何か一つの大きな区切りであっんる
それもちょうど立春であり日にちが良かったということがある
母はすでに小林家に嫁いでから70年ほどになる
この歳月も長いなと思った
実家で暮らすより長かったのである。
南相馬市で最高齢は108才だそうである。
まずこれからは百才の人が増えてくる
なぜなら90才の人が多いからである。90才以上はめずらしくもない時代である。
その人たちが百才まで生き残る割合が大きいからである。


長生きの秘訣は何かと聞かれたが80才まで店をやっていてそのあとも台所仕事をしていただから仕事を休んだことはない、働きづめで趣味も何もない、それはある意味で異常だった。
ただそれだけ働いていたからボケにならなかったのかと思う。
ただ認知症になるかどうかわ誰もわからない、原因がわからないからだ。
別に趣味が豊かだからならないとは限らない、頭のいい人もなっている
言えることは台所仕事でもしないと確実に体も頭も退化しして認知症になりやすいことは確かである。

母を見ているとなにかマラソンランナーに見える、たいして早く走らないのだがどこまでも長距離を走る姿である。それは日常的にもそうなのである。
真面目にごはんを食べて規則正しい生活をずっとしてきたからだた。
体は細く激しい運動はできない、力もないが長距離にはマラソンに向いているということがあった。
日本人は女性でも忍耐力があり持続力があり一時トップにたったのかとも思った。
百才生きるとなとマラソンランナーである。

一つの区切りを迎えたがこれで終わったわけではない。
ある意味でこっちの方が疲れてきたということがある。
まず介護は長くなるのか問題なのである。
介護を良くすれば寿命ものびる、介護する方になるとそれだけまた負担が増えるのである百才で頭がはっきりしている人はまれだろう。
例え長生きしても寝たきりとなっていたりすれば悲惨なのである。
とにかくこれから百才の人は増えてゆく、そしてこれからは百才といってもニュースバリューがなくなる。
新聞社さえこなくなるかもしれない、今はまだ百才でニュースバリューがある
だから福島の新聞社二社も来たのである
二社も来る必要ないからである。
南相馬市の広報にはのる、ただプログは全国版になる。

かといってどうしても知られるという点は広まることではマスコミである。
しかし今は本当にマスコミの情報だけではたたないのである
一つのことを報道してもほんの一部のことである。
細部にわたって報道することはできない
その点インターネットはできるが読まれる人は限られている
ただ「相馬郷土史研究」のプログが相当読まれている
原発事故で全国に散らばった人には意外と有効な情報の提供ができるということがあったそれで浪江でタブレットを配布したのである。
地元の情報が触れられないということで連体を薄れてゆくからである。

母の一生は何であったか?

それはまたすぐには解答はでない、これもまた郷土史の一遍だったのである。



南相馬市(原町市)で生きた)大正生まれのばあちゃん

大正生まれのばあちゃんは
関東大震災の揺れを経験した
原町ににょきにょきと雲をつくような無線塔
コンクリ-ト作りでアメリカに無線で助けを求めた
大正生まれのばあちゃんは
製糸工場(原紡)で十年働いた
女工哀史の語られる時代だった
東京からは蒸気機関車が原町にご-ご-と唸りをたててやってきた
燃料は石炭であり常磐炭鉱は東京に石炭を運んだ
最初は小名浜から船で次は常磐線で運んだ
石炭はいたるところで掘られた
鹿島の小池でも石炭掘りした大正生まれがいた
でももう死んでいなくなった
石炭は今の石油と同じだったのだ
原町機関区から木材や資材が東京に運ばれた
原町は一早く近代化した街
その象徴が東洋一の無線塔だった
原町の人は天をつくような無線塔を毎日見上げて暮らしていた
大正生まれのばあちゃんは戦争も経験した
農産(相馬農業学校))学校に爆撃があった
すぐ近くだから飛行機が家の上を通った
飛行機通るとばぐっと防空壕の蓋があいたとか
気丈夫な父親も飛行機に負けてたまるかと逃げなかったが
遂に防空壕に怖くて逃げた
農産学校は爆撃で燃えた
はるかに仙台空襲で空が真っ赤になりここからも見えた
雲雀が原には飛行場もあり飛行機も飛んだ!
大正生まれのばあちゃんは戦後まもなくの食料難も経験した
だか今でも庭に花より豆を植えているのか
戦後は丸三製糸工場ができてそこで弟は働いた
今もその煙が街なかにふきだしている
戦後60年もまたいろいろあった
みんな様々体験をした
戦後60年はまた長い
もう百歳もまじがになっいる
一人の息子は交通事故で死に
身内の一人は最後は認知症で死んだ
昭和の歴史も長かった
昭和天皇はすでに死んで平成の時代
大正生まれのばあちゃんはすでに90過ぎた
大正生まれのばあちゃんはそれでも元気な人が多い
かくしゃくと背も曲がらずに歩いている人もいる
しかしさすがに大正生まれの人は消えてゆく・・・
その刻んだ歴史は壮絶なものだった・・・・
だから今や大正生まれは貴重であり老人でも尊敬される



この詩のように南相馬市の前の原町市はまさに製糸工場とか無線塔とか丸三製紙とか原町機関区としての国鉄の拠点としていち早く近代化した街だった。だからこそ南相馬市という名前がそぐわなかったのである。現実にこうして原町市で生きた人々がいてそれが今や歴史となっているからだ。つまり大正生まれはすでに今や百年一世紀がたつのである。一世紀の近代化の歴史として原町市は作られていたのである。その百年を南相馬市という合併後の名前で消してしまったということがあるのだ。一世紀となれば相当に重い歴史なのである。特に明治以降は変化が激しいからそれだけ余計に重みがあるのだ。ともかく団塊の世代だってすでに高度成長は昔となりそんな恵まれた時代があったのかと回想する時代になっている。ただ大正生まれとかからすると団塊の世代は相当に恵まれていた。でも団塊の世代でも格差があり全部が全部ではない、中卒で苦労して退職しても退職金ももらえない、貯金もない人も結構いるのである。60年の歳月これもそれぞれの歴史だった。60年+30年の歴史となると一世紀でありこれだけのめまぐるしい変化を生きた時代はなかったのである
タグ:百歳

2015年02月05日

ももはなぜ百になるのか? (万葉集の大和言葉は日本の原自然から生まれた)



ももはなぜ百になるのか?

(万葉集の大和言葉は日本の原自然から生まれた)


ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨(かも)を今日(けふ)のみ見てや雲隠(がく)りなむ

巻三(四一六)
…………………………………………………………………………………………………
(百に伝う)磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日を最後に、僕は雲の彼方に去って行くのか
…………………………………………………………………………………………………
この歌は謀反の罪で処刑されることになった大津皇子が、磐余の池に鳴く鴨を見て読んだ一首と云われています。


日本語の一字で意味がある、もともと日本語は大和言葉は一音が基礎である。
二音はその一音から派生したものである。地名からこれを探求した人がいるし他にもいる
ヒという一音があり日があてられる。ネという一音があり根になる。
もの起源は藻であり藻屑に派生する。
藻は一杯あるものでありもも(百)になった。
チは地であり血であり千があてられる。
千歳がそうでありチは地であるから千歳と長いものに通じている。
千歳とは地(大地)から発したものである。
ネも極めて大和言葉的でありその痕跡は多く連なっている。
ネにつながる言葉があまりにも多いのである。
それでネから地名を解読する人もいる
もから動詞的にはモルがある。何かを盛ることである。名詞的にはモリ(森)がありモノ(物がある
つまり大和言葉でモから発する言葉はそれなりに主要語になっている。
第一モノは一番使われる言葉である。モノとは藻のように一杯あったものであり
それが物の起源だとなる。
一つの物をさしていたのではない、つまり原始の日本はモノにおおわれていたからそういう表現が生まれた。
ものがつく・・・表現は一つのものにつくのではなく・・・おおくの物がありそれにつく、おおわれることなのである。
つみが罪でありつつむから発したのも原始の日本では木であれ草であれ森であれ原始状態の自然につつまれていたからその言葉が発している。

この言葉を探求している人がいたけどこれも何か原始的な言葉である。
モモークキーネ・・・・これは原始状態の自然である。
たくさんのネがありクキ(茎)がありーネ(根)がある。
そこには道もなにもない原野の状態なのである。
地名は原野の状態をさしていることが多いのである。
この辺で山の奥の方の薔薇坂が何だろうと思ったら茨(いばらーうばら)だったのである。そこを開墾して住んだとき茨がありその名がついた。
茨城(いばらぎ)の由来も茨の中に足か住んでいたとか言われる。
万葉集時代は日本全国で二百万人くらいしか人が住んでいない
まわりはほとんど原野か山だったのである。
要する密生した木や草や森にとおわれていたのである。

なぜ大和言葉や言葉の驚異が言霊が失われたかというと言葉が生まれた日本の原自然が文明化とともに失われたからである。文明というとき弥生文明は稲作文明が原自然を破壊することから生まれた。
だから津波で松原が根こそぎ破壊されたことには驚いた。
松原は稲作で潮風を防ぐために作られた人工林だったのである。
杉林もそうである。楢とかブナがあるのが普通である。混成林が自然の状態なのである。
語源は不明。役に立たない木として、木へんに無でブナと読ませた。別名で、ソバの名があるのは、実が蕎麦の実に似ているため。
実は野生動物の食料になっていた。

ブナは用材にならないから役たたないから切って杉林にしたということがある。
それが自然破壊になり洪水が起きて麓の村が住めなくなったということもある。
原自然を破壊して文明化することは常に自然災害を作り出す基を作る。
松原ではなく混成林だとすると特に竹林だと根が強く張るから津波をある程度弱めたのではないかと混成林を新たに作る作業をした。
つくづく津波で感じたことは原自然がどうなっていたか?
縄文時代の自然を知ることが大事だったことを痛感したのである。
つまり海側に開拓した稲作文明自体が自然を無視した危険なことだったことを知ったのである

いづれにしろ百(もも)伝う・・の歌がなぜ不思議なのか
ここには日本の原始の自然の状態がありそれがなぜか理屈をこえて訴える
ただこの池は人工的な池だというときため池のようなものだというときまた違っている。ももづたふ磐余(いはれ)の池・・というとき大和言葉の理屈ではない言霊を感じる
磐余(いはれ)とはなにかわからないにしても磐と関係しているから重厚感がでている。万葉集の魅力は日本の原自然とイメージさせるから魅力的なのである。
枕詞でもそうである。現代はもう文明化が極端になり万葉集とかけ離れた環境になっているから万葉集を理解できないのである。


百才が(もも)であり桃色のちゃんちゃこになっている、でも江戸時代でも明治でも百才まで生きた人はいないだろう。90才まで生きた記憶はある。百才まで生きた記録はないだろう。
だから百才まで生きてモモが何だろうと自分なり解読した

日本(ヤマト)にそ百歳生きなば何思ふ大和心を汝(な)は知るべしかな

そもそも大和心は何なのか今やわからない、唐心が欧米の心が優勢になりすぎたのである
ただ日本人として生まれたらやはり大和心も知るべきなのである。
ただこういう文化的なことを理解するのは時間がかかるのてある。
百歳まで生きる時代になれば大和心を理解するということはある。
文化の時代は平和の時代であり吉田松陰の大和魂とか戦争中の大和心とは関係ないのである。
これまた戦争に利用されたのである。吉田松陰については最近疑問をさしはさむ人がでてきている。
そもそも大和魂とは何なのかとなるとこれまたわからないのである。
大和魂となると何か外に向かって攻撃的なのである。
それが外国の圧力に対して生まれた言葉だったのである。
原発の時も東京の消防隊が決死で水をまいた時に大和魂が言われた。
あれは何にも効果ないものだったからおおげさだったが犠牲的精神のことだったのだろうしかしこれも誤解されやすいものだった。
つまり大和心と大和魂は全く違ったものに由来している。
大和魂は吉田松陰が造語したものである
大和心に平和があるが大和魂は戦闘的なのである。
明治維新は海外に向かって戦闘的にならざるをえなかったからこの言葉が生まれたのである
時代によって言葉が死語となり新たな言葉の意味が生まれる、言葉は一定していない、常に時代によって解釈が違ってくる。



タグ:百(もも)
posted by 天華 at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 万葉集

郷土史の意義とは (時間軸を基本にして故郷に生きる意義の探求)


郷土史の意義とは

(時間軸を基本にして故郷に生きる意義の探求)

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郷土史の意義とは何か?それはある範囲での総合的価値の追及である。
現代の文明は複雑化して職業も無数に分化してつながりとか一体感が感じられない。
郷土史というとき自然をベースにしてアイディンティティを見いだし構築してゆく。
その自然というとき昔なら自然から糧を得ていたし80パーセントが農民だという時代は
自然そのものを意識することはない、自然がどうのこうのなどあまり考えない
生きることが自体が自然なしではありえないからである。
それが現代では自然から遊離して生活できる環境を文明が作った。
だから東京のように一千万の都会でも自然がなくても暮らせる
ところがその東京ですら水は自然があって供給されているのである
水は利根川の奥とかいくつかのダムから水を供給している
そのダムの水が実は今回の原発事故で放射性物質で汚染されたのである。
フクシマに原発を作れば東京は安全だと思っていてもそうではなかったのである。

郷土史というと何か狭い範囲の学問だと思っている。好事家がしているうよてうなものだと思っている。それが自分がプログで「相馬郷土史研究」で発信しつづけてわかったが
広範囲な知識と学問が必要でありこれだけ狭い相馬藩内でも自分一人では手に負えない
知識が必要になる。
今回の原発事故では自分は科学に弱いから放射能汚染について何か伝えることができなかった。
郷土史というといとき土から成るということも書いたから土と密接に結びついてある。
とすると地質学だって関係してくるともなる。そうなると自分には手に負えないとなる。地質学は地震とも関係してくるし地盤とも関係してくるから重要だとなる。
だから街中の墓地の前に復興団地が建ったときここは地盤が弱いというとき
そこは沼地だったらしいからそうなる。そういう江戸時代辺りの自然がどうなっていたかも知る必要があるのだ。あそこは地震に弱い地域だとなる。

それから郷土史というと史であるから長い時間軸で形成されたもののなかで人間の生きてきた価値とかこれから生きる価値を見いだす、意義づけることなのである。
自分の母親が百歳になったというときその人の生きた意味は何なのか?
一つは個人として価値づけるものがありもう一つは家族として生きた価値づけがあり
もう一つ故郷に生きたという価値づけがある。
さらに広域的になると戦争を経験したりすると国家的価値付けが問題になる
一人の人間の生きる意義とか価値は重層的なのである。

まず人間が生きる価値というとき自然があり人間の価値も生まれてくるのである。
それが大都会にはない、海があり大地があり山があり森があり川があり・・そこにまず人間の価値が生まれてくる。江戸時代でも戦前でもその地域地域で自然の糧を得て生活していたのだからそういう自然のことを意識していなかったろう。
戦後十年も炭で生活していたのだから地域が資本になってい生活していたのである。
地域地域の自然を糧として生きているとき自ずと精神的価値も自然に人間が付与するのである。

例えば石の詩を自分が百編書いたというときそうである。
石はその土地の要のように千年とか千歳とかあるから重みがあるとなる
石とか山にアイディンティティをもつのは人間として極めて自然なのである。
とても高層ビルにアイディンティティをもつことはできない、それは非人間的人工物となるからだ。
石にしてもそれは山とか大地にあるものでありビルの谷間に石一つあっても庭にあっても活きてこないのである。
石は四季の風雪の中で千歳の磐として重みを増してくるのである。
つまり自然は人間に食を与え養い美を与え神道のような信仰を与え哲学を与える
人間は自然からアイディンティティを見いだして人間形成するのが自然なのである。
都会のビルの谷間ではそうしたことができない、毎日がビジネスでありただ金を計算しているだけになる。それが人間の営みだろうかとなる。
そういう疑問ももたないというとき人間は何なのだろうとなる。
だから自然から離れた文明は奇形文明だとしたのである。

郷土史というとき相馬藩での権力争いとか戦争とかがやはり国の歴史と同じく主要なもののように見えてくる。でも一般庶民でも郷土に生きる生きた意義を追及するのが歴史である。
自分の母親のことばかり例にとるのもなんだがそれは一つの例である。
他にも自分は庶民の話を聞いて郷土史に書いてきた。
郷土に生きることの意義がそれぞれある。それは国の歴史とも関係している。
製糸工場で働くということは地域史であり日本の歴史でもあった。
原町にある原町紡績は一つの大きなこの辺の歴史をになっていたのである。
原町市は近代化の歴史をになった街として明治から形成されていたのである。
原町の歴史をたどれば雲雀が原の野馬土手であり馬の放牧場であり次に原町村とあり宿場町として発展して明治以降は近代化した街として無線塔など原町機関区があり発展した。相馬藩内でもそういうふうに村でも町でも市でも違ったものとしてある。

郷土史はまた現代と関係ないということはない、歴史は必ず連続しているのである。
連続していない歴史はない、過去が全く消え去ることなどないのである。
江戸時代から明治になり何でも変わったかというそうでもない、実質生活は変わっていないものがかなりあった。農民の生活はほとんど変わっていなかったのである。
農民が八割もいたとなると当然だとなる。農本主義になるからそうなる。
万葉集だって以前として理解不能な面もあるがその当時の自然が喪失しても日本という自然がある限り理解しえる、富士山でもなくなれば理解不能になるにしても現実にその土地は継続しているのだから理解できるのである。
新しい意味と価値を帯びて継続されているのだ。


郷土史というときだからこれは現在と結びついてどこでも不可欠であり時間軸から思考して意義を見いだす作業なのである。
原発事故がなぜ起きたのか、これも明らかに時間軸で郷土史を探求しておくものだったのである。
400年前に慶長津波で相馬藩で700人溺死したという一行でも貴重な記録だったのである。そこから津波の危険を察知して郷土史関係の人が警告できたのである。
宮城県の学者の人がすでに科学的て発見とともに警告していたのである。
人間は時間軸で考えるのは苦手である。人間はともかく忘れやすいのである。
それが人間の弱点だから文書とかに記録していないとますます忘れてしまう。
なぜ地震国なのに危険な原発が多く作られたのか?
それは日本の風土の歴史をないがしろにしているから起きた天罰だともなる。
ともかく郷土に生きる人間一人一人の意義をみいだしてゆく作業が郷土史でもある。

     立春に母の百才の祝いかな我が家に過ごす長き年月
    
    
この我が家を故郷か日本と置き換えると郷土史とか日本史とかに通じるのである。
「長き年月」のなかに意義が見いだされてくる。
それは個人的にも家族的にも地域的にも日本的にまた世界史的なものとして意義を見いだすことが歴史である。
だから今はいろいろ日本史でも世界史でも見直す作業がなされようになったのである。

 
タグ:郷土史
posted by 天華 at 15:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2015年02月06日

都道府県別百歳以上お高齢者数(2014)は何を意味している (あたたかい辺境の県に多い理由)



都道府県別百歳以上お高齢者数(2014)は何を意味している


(あたたかい辺境の県に多い理由)


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男性の百歳の多い県

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百歳で人口割合で4000人以上は富山県、鳥取県、島根県,山口県、香川県、愛媛県、高知県、佐賀県、長崎県、熊本県、宮崎県、沖縄県、鹿児島県 である


ここで多いのは明らかに暑い地方である。九州が多いことでもわかる
富山県とか鳥取県とか島根県に日本海側でも温暖な方なのだろうか?
富山県は結構寒いかもしれない、島根県は一番割合的には高い。
そしてなぜ四国が多いのか、あそこも冬は結構寒いかもしれない、ただ比較的温暖な地域が百歳の割合が高い。
ここで注目すべきは大都市圏がある東京とか名古屋が低いことである。
人口が多いのだから百歳も数としては多くても割合的には少ないのである。
その原因はなぜなのか?何か理由があるのだろうか?
大都会はやはり便利であり医療も恵まれているにしろ精神的な面でストレスをかかえるからかもしれない、何か百歳の割合が高いのは経済的に恵まれていない辺境地域になる。
ただそうした辺境地域でも東北は少ないのは寒いからだろう。
寒いのは体に答えるのである。
浜通りは比較的福島県ではあたたかいのである。
雪もほとんどふらないから気候的に住みやすい所である。


何か百歳以上の割合の多い県は経済的には活動している地域ではない、それでも何か昔ながらの共同体が生きやすいような所である、そこはあたたかいということが住みやすいとなる。
でもこのごろ暑すぎるので35度とかなるので嫌だなと思った。
自分はともかく暑さにも寒さにも弱いからだ。
今年も一時寒くなりすぎて体調壊したからである。
暑いときも苦手であり体に答える
自分がこれまで生きてこれたのは母も無理しないと言っていたが無理しなかったことなのである。
そもそも無理できる体ではなかった、ただ20代はかなり無理してその時老人のうよになってしまったのである。
それだけ体力がなかったともいえる。
その後は楽な暮らしをしていたら体力が回復したのである。
やはり加重な労働などしたら寿命が縮まることは確かである。
ここ七年間は介護や自分の病気の負担で寿命が縮まった思いをしたことでもわかる

結局東京とか大阪とか名古屋が経済の一大日本の活動地域だがここでは長生きするのはストレスが多くなるからむずかしいのかもしれない。
長生きするのは温暖であり何か昔ながらの共同性があるところであり田舎的な県である。自然環境にも恵まれた県である。
ただ茨城県などは東京にも近くそれなりに田舎だから住みやすく百歳が多いと思ったがそうではない、茨城県はかなりあたたかい地域でもある。
この原因も茨城県も東京圏になり何か昔ながらの共同性が失われた地域からかもしれない東京近辺の県は4000人の百歳が割合的にないことでもわかる。
結局長生きしたかったら大都市圏とか寒い地域はさけるべきである。
福島県でも会津などは冬は雪に埋もれるし寒い。
同じ県でもこれから百歳が増える地域は違ってくる。
おそらく医療に恵まれなくても昔ながらの共同性というかそういう人間関係が落ち着いている所は長生きするとなる
長生きするには人間関係も大事である。
まず夫婦でも妻に早く死なれたら早死にするというのは本当だし一人暮らしなどはとても百歳は生きられない、早死になるのは当然なのである。

まあ、長生きするのも良し悪しがあるからいちがいに百歳生きたからといっていいとはならない。介護する方の負担が長く大きすぎるからだ。金も社会的負担も大きくなるからだただ百歳はこれからうなぎのぼりに増えているしその数はどのくらいになるのか?
それも人間がどれくらい生きられるのかの一つの指標を示すのが高齢化社会である。
平均寿命がすでにへっているというとき将来のことはわからないからである。
実際に百歳生きたからといって人間が充実して生きたともならない
それでも人間というのは何かを究めるというか知るというか身につけることに時間がかかりすぎるのである。
だから健康で長生きすればそれだけあらゆることの理解が深まるのである。
熟達できるようになるのである。
それが長寿社会の利点である。
第一本一冊を書くにしても相当な労力であり一生かかるともなる
人間はそれだけ一つのことを究めるのに時間がかかりすぎるから
「少年老い安く学なりがたし」となるのである。

  
タグ:百歳