2015年01月30日

音もなくふる雪(詩) (詩はテーマごとに分けて選別する作業が必要)


音もなくふる雪(詩)


(詩はテーマごとに分けて選別する作業が必要)



音もなくふる雪


しんしんと音もなく
雪はふるかな
雪に雪はつもりぬ
しんしんと音もなく
雪はふるかな
この世の汚れよ
この世の欲よ
放射能の汚染の村や町よ
もはや人は住まず
しんしんと音もなく
雪はふるかな
雪にうもれけるかな
その美は変わらずに
しんしんと雪はふるかな
ただ人は住まずに
雪にうもれけるかな
人よ その前に何も語るなかれ
大自然の粛清浄化は
このように音もなくくる
騒ぎ立てて来たりはしない
大いなる静寂の中に来る
山を思へ、大地を思へ、
そこに真の力が宿っている
不動の力が宿っている
神の業(わざ)には無駄はない
完璧にして寸分の狂いもなし
精密にして計り知れなく深く大きい
神の業は人間の思いを越えて大きい
音もなく深い空から来る
仰々しきものにあらず
いとも静かに来る
おやみなくふる細かき雪のごとくに
そのあとに世界は一変する
純白の雪におおわれる
その時いまわしき過去は消えさり
白無垢の雪のみ映えぬ
ああ しんしんと
音もなく雪はふるかな


今日はここも大雪だった。かなり積もった。このころ必ず雪が降る、この辺は東京がふると浜通りもふる。でも一日限りであり何日もふらない、それが会津や新潟などと違っている。
浜通りでは雪のことがわからないのだ。毎日雪がふるという感覚が実感できないのであるだから雪の俳句とか短歌でも詩でも雪についての文学が生まれない
雪はやはり毎年ふったとき雪について感じるからだ
ただ詩というのはあまりにも読まれない、今や誰が詩を書いているのかもわからない
この詩がいいとか評価するものもいない、それだけ詩はマイナーすぎるのである。

だから誰かがいい詩を書いていてもそれが評価されないしわからない
すでに十冊詩集出したという人がいてもその中味はない
でも今では詩集でも簡単に作れる時代になった
ただ詩を評価することはされていない
詩というのは誰でも書けるしわざわざ何をいいたいのかわからないようにむずかしくしているものもある
わからない故にかえってこれはいい詩なのかもしれないと思う人もいるだろう。
詩を評価するにはやはり自然をどう詩にしているかが目安ではないか?
自然は神の業でありそれをどう言葉にしているかをみる
とはいえ自然でも人間化するから自然を通じて人間の心を示すのである。
雪だったら純白でありけがれない美を示すのである。
詩というのは自分でもいくら書いても不満が残る
表し得ない自然の美に直面している
この詩でも誰かが同じようなもの書いているような気もするのである。

この辺では放射能汚染になったけどおそらく雪がふってまた放射能物質がふってきて放射線量が高くなる
放射能の不思議は何ら見た限りではどこも空気が汚くなったように見えないのである
火力からもうもうと煙が出ているから二酸化炭素で空もよごれているなとみただけで実感する、放射能は何も汚していない、その美は変わりないのが不思議なのである。
かえって火力発電所の煙突の煙の方がずいぶん空を汚しているように実感するのである。
もし放射性物質で黒い雪とか黒い雨とかふってきたらショックだろう。
それがないことが不思議であり何が汚染されているのかも実感できないのである。
ただ数字だけの世界であり実感できない
そのことがかえって怖いということになる

なぜなら汚れていれば危機感をもつからである。
放射能汚染は危機感をもつことができないのである。
奇形児でも動物でも生まれれば具体的にわかるがこれもわからない。
ただ美が変わらずにあるということは救いである
まず自分は空でも山でも海でも川でも汚くなったら住んでいたくない
東京に住みたくないのはそのためである。
田舎に住みたいというとき自分は自然の美に常にふれていたいというためである
だから自分は故郷といってもここだけにはこだわらない
富士山でも高い山などある所でそれを毎日見ていたら心も高くなくなる
この辺にはその高い山がないから大きなものが欠けているのである。

詩というとき詩を書くにしても参考にするとき「雪」というテーマで東西の詩を集めて学び書くことが必要になる
それが詩については本もまれにしか出ないしわからないのである。
また無数のつまらない詩で混乱させられる
いづれにしろ現代は詩であれ音楽であれ何であれ芸術が衰弱してしまった時代なのだろう雄大なものが生まれない時代である。
それも東京のようなゴミゴミした雑踏を歩いていたらネズミのような感覚しか生まれてこないだろう。
東京から詩人が生まれるとは思えないのである。
ただ東京はあれだけの人口があるか文化人は生まれるのである。

 
タグ: 雪の詩

メデアで英雄化されたゴトウケンジ (つまらない人間もメデアを通して英雄化される)



メデアで英雄化されたゴトウケンジ

 
(つまらない人間もメデアを通して英雄化される)



大勢の底辺を見捨てて切り捨てて得た利益と繁栄を謳歌し
その一方で一握りの有名人のピンチにキレイ事を並べ擁護ショーをくりひろげ
社会の清廉潔白を偽造する
それがメディア化された文明社会です
ほんの一握りが自作自演する資本主義企業社会です
底辺の犠牲には黙ってフタをしテレビ的な悲劇のみを取り上げ偽善する
それがショーアップ格差社会です

凍死しそうな毎日を送ってるホームレスが日本中にいる
こっちを先に救助しろ10億円もありゃこの冬乗り切れる



今回の人質問題でもなぜこんなにケンジが世界的に有名になりまるで英雄化されたのか?
それは明らかにグローバル化してメデアを通して極大化されてしまったのである。
その前に起きた異物混入して自分の動向をyoutubeに流していた19才の少年が英雄になりたいというのと一面にていたのである。
何でもないつまらない人間でもメデアを通して極大化されて世界的有名人になり英雄化される、それを腹ただしく見ている人たちがいても現実問題としてそうなっている。
つくづくメデアの影響がグローバル化では大きいことを実感した。
メデアを制するものは世界を制するということもある。
世界のことになると何が正しいのか何が真実かもわかならいからメデアに左右されやすいのである。
真実よりメデアによって作り出されたものが真実なのである。
それを今回の人質事件はまざまざと見せつけた。

本来は自己責任論でかたづく問題だった。国家までゆるがすような問題に発展する問題ではなかった。それがなぜこれほど国家をゆるがし世界までゆるがしたのか?
それはまさに世界的にショーアップされたからでてある。
みんな世界中の人が注目したからである。
その人が重要人物でもない、特別の人間でなくてもショーアップされた結果そうなった。つまりメデアの力がいかに現代では世界を動かすかということを示した事件でもあった。だからイスラム国もメデア専門部門を作ってプロパガンダしている
ケンジが重要人物でなくても世界のメデアが取り上げ有名になれば宣伝に使えるということで駒とされたのである。

世界のことになるとそもそも真実がどこにあるか判断しようがない
メデア頼りになる、それも欧米側から流されるメデアに左右されやすいのである。
そししてなぜこれほど今回の人質事件が注目されたのか?
それはショーアップされた現実のドラマ化したからである。
それが世界という舞台でショーアップされたから注目されたのである。
インターネットも一役かってショーアップされたのである。
イスラム国も今ではテレビ放送できなくてもインターネットで放送できる時代になった。それも大きな変化であった。
インターネットで個人がテレビ局も作れる時代なのである。
それを証明したのが19才の少年の逃走劇の実況放送だったのである。
プログをみてもらいたいと放火した少女までいた。
こういうことは今までもテレビとかのメデアでもにたことが行われている。
人々の興味をひくことを視聴率をあげるためにとりあげる
でもその中に重要であってもテレビでもどこでも無視されているものがある

確かにホームレスが凍死するような状態にしあってもメデアは取材はしない、放置される他にもアフリカで飢え死にする子供が無数にいてもそれも取材しない
全然しないというわけでもないが人質問題のように取り上げないのである。
今回の問題でもメデアでこんなふうに世界的なものとして取り上げてなければ日本人二人は自己責任であり死んでもしょうがないとかなっていた
日本国内だったら事業に失敗しても自殺しても誰も助けないし話題にもならない
みんな自己責任で終わりなのである。

ただこの人質問題はこれだけで終わらない、あの辺の緊迫した状態はさらに波及しているリビアの次にエジプトでもイスラム国に同調してテロが起きた。
そしてヨルダン政府自体が有志連合から離脱しろと国民と騒いでいることはいかにあの辺が緊迫した状態にあるかわかる。
単なる日本人人質問題ではない、イスラム国にとって日本人一人二人の命などどうでもいいのでてある。
有志連合そのものへの分断が目的化している
すでにヨルダン政府が存続の危機に直面している。
だからかえってイスラム国に譲歩することは危険になってくる
一人二人の人間の命の問題でもなくなっている
戦争だったら一人死んでもそんなこと誰も問題にしない
日本が戦争したときもそうだろう、いちいち死んだからと問題にしない
あの辺はそうした普通の状態とは違う命懸けの戦争をしているのだ
そういうところに傍観的な人が入ってゆくべきではない
ただ迷惑になり国家まで動かされ結局ケンジによってヨルダン政府まで危機に瀕する

日本は人道支援など言っているが今度は欧米から軍隊の派遣を要求される、
そしたら日本はイスラム国の敵となり常にテロにおびえるようになる
つまりもはや一人二人の日本人の命の問題でなくなっているのだ。
刻々と状況は変わっている
大きなテロは今までのとは違っている
散発的ではない、世界同時テロであり有志連合を分断させてヨルダン政府も破壊しようとししているのだ
だから今やまたケンジの一人の命にこだわっているとますます傷口を広げるということがある
日本はどっちつかずでもいられなくなりイスラム国と戦うの戦わないのか選択が迫られる人道支援などいい格好ができなくなる
人間はやはり命懸けで戦っているものは怖いということである
日本は傍観者であり何かショーのように見ているがそんなものじゃない
イスラム国でも生きるか死ぬかでありヨルダンでも実際に爆撃に参加しているのだから
命懸けなのである。
その相違は日本が甘い見方となってかえって敵を有利にして迷惑をかけていることになる

我が命我がものと思わず
武門之儀あくまで陰にて
己の器量伏し
御下命如何にても果す可し
尚死して屍ひろう者なし 死して屍ひろう者なし

ここまで自分を殺して主君に仕えるとなると凄いと思う
忍者の方が厳しくいさぎよい
人道支援などと何かその人が宗教者みたいな感覚になる
戦場ではそんなものが通用しない
諜報員がジャーナリストであり秘密を守るためには自死するのである。
だからケンジは舌をかんで死ねとか傍観者は言っていた。
何か結局敵に対してあまりにも有利にする駒となりすぎたのである。
ジャーナリストの使命とは何なのかも問われたのである。



 
posted by 老鶯 at 14:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層