音もなくふる雪(詩)
(詩はテーマごとに分けて選別する作業が必要)
音もなくふる雪
しんしんと音もなく
雪はふるかな
雪に雪はつもりぬ
しんしんと音もなく
雪はふるかな
この世の汚れよ
この世の欲よ
放射能の汚染の村や町よ
もはや人は住まず
しんしんと音もなく
雪はふるかな
雪にうもれけるかな
その美は変わらずに
しんしんと雪はふるかな
ただ人は住まずに
雪にうもれけるかな
人よ その前に何も語るなかれ
大自然の粛清浄化は
このように音もなくくる
騒ぎ立てて来たりはしない
大いなる静寂の中に来る
雪はふるかな
雪に雪はつもりぬ
しんしんと音もなく
雪はふるかな
この世の汚れよ
この世の欲よ
放射能の汚染の村や町よ
もはや人は住まず
しんしんと音もなく
雪はふるかな
雪にうもれけるかな
その美は変わらずに
しんしんと雪はふるかな
ただ人は住まずに
雪にうもれけるかな
人よ その前に何も語るなかれ
大自然の粛清浄化は
このように音もなくくる
騒ぎ立てて来たりはしない
大いなる静寂の中に来る
山を思へ、大地を思へ、
そこに真の力が宿っている
不動の力が宿っている
神の業(わざ)には無駄はない
完璧にして寸分の狂いもなし
精密にして計り知れなく深く大きい
神の業は人間の思いを越えて大きい
音もなく深い空から来る
仰々しきものにあらず
いとも静かに来る
おやみなくふる細かき雪のごとくに
そのあとに世界は一変する
純白の雪におおわれる
その時いまわしき過去は消えさり
白無垢の雪のみ映えぬ
ああ しんしんと
音もなく雪はふるかな
そこに真の力が宿っている
不動の力が宿っている
神の業(わざ)には無駄はない
完璧にして寸分の狂いもなし
精密にして計り知れなく深く大きい
神の業は人間の思いを越えて大きい
音もなく深い空から来る
仰々しきものにあらず
いとも静かに来る
おやみなくふる細かき雪のごとくに
そのあとに世界は一変する
純白の雪におおわれる
その時いまわしき過去は消えさり
白無垢の雪のみ映えぬ
ああ しんしんと
音もなく雪はふるかな
今日はここも大雪だった。かなり積もった。このころ必ず雪が降る、この辺は東京がふると浜通りもふる。でも一日限りであり何日もふらない、それが会津や新潟などと違っている。
浜通りでは雪のことがわからないのだ。毎日雪がふるという感覚が実感できないのであるだから雪の俳句とか短歌でも詩でも雪についての文学が生まれない
雪はやはり毎年ふったとき雪について感じるからだ
ただ詩というのはあまりにも読まれない、今や誰が詩を書いているのかもわからない
この詩がいいとか評価するものもいない、それだけ詩はマイナーすぎるのである。
だから誰かがいい詩を書いていてもそれが評価されないしわからない
すでに十冊詩集出したという人がいてもその中味はない
でも今では詩集でも簡単に作れる時代になった
ただ詩を評価することはされていない
詩というのは誰でも書けるしわざわざ何をいいたいのかわからないようにむずかしくしているものもある
わからない故にかえってこれはいい詩なのかもしれないと思う人もいるだろう。
詩を評価するにはやはり自然をどう詩にしているかが目安ではないか?
自然は神の業でありそれをどう言葉にしているかをみる
とはいえ自然でも人間化するから自然を通じて人間の心を示すのである。
雪だったら純白でありけがれない美を示すのである。
詩というのは自分でもいくら書いても不満が残る
表し得ない自然の美に直面している
この詩でも誰かが同じようなもの書いているような気もするのである。
この辺では放射能汚染になったけどおそらく雪がふってまた放射能物質がふってきて放射線量が高くなる
放射能の不思議は何ら見た限りではどこも空気が汚くなったように見えないのである
火力からもうもうと煙が出ているから二酸化炭素で空もよごれているなとみただけで実感する、放射能は何も汚していない、その美は変わりないのが不思議なのである。
かえって火力発電所の煙突の煙の方がずいぶん空を汚しているように実感するのである。
もし放射性物質で黒い雪とか黒い雨とかふってきたらショックだろう。
それがないことが不思議であり何が汚染されているのかも実感できないのである。
ただ数字だけの世界であり実感できない
そのことがかえって怖いということになる
それがないことが不思議であり何が汚染されているのかも実感できないのである。
ただ数字だけの世界であり実感できない
そのことがかえって怖いということになる
なぜなら汚れていれば危機感をもつからである。
放射能汚染は危機感をもつことができないのである。
奇形児でも動物でも生まれれば具体的にわかるがこれもわからない。
ただ美が変わらずにあるということは救いである
まず自分は空でも山でも海でも川でも汚くなったら住んでいたくない
東京に住みたくないのはそのためである。
田舎に住みたいというとき自分は自然の美に常にふれていたいというためである
だから自分は故郷といってもここだけにはこだわらない
富士山でも高い山などある所でそれを毎日見ていたら心も高くなくなる
この辺にはその高い山がないから大きなものが欠けているのである。
放射能汚染は危機感をもつことができないのである。
奇形児でも動物でも生まれれば具体的にわかるがこれもわからない。
ただ美が変わらずにあるということは救いである
まず自分は空でも山でも海でも川でも汚くなったら住んでいたくない
東京に住みたくないのはそのためである。
田舎に住みたいというとき自分は自然の美に常にふれていたいというためである
だから自分は故郷といってもここだけにはこだわらない
富士山でも高い山などある所でそれを毎日見ていたら心も高くなくなる
この辺にはその高い山がないから大きなものが欠けているのである。
詩というとき詩を書くにしても参考にするとき「雪」というテーマで東西の詩を集めて学び書くことが必要になる
それが詩については本もまれにしか出ないしわからないのである。
また無数のつまらない詩で混乱させられる
いづれにしろ現代は詩であれ音楽であれ何であれ芸術が衰弱してしまった時代なのだろう雄大なものが生まれない時代である。
それも東京のようなゴミゴミした雑踏を歩いていたらネズミのような感覚しか生まれてこないだろう。
東京から詩人が生まれるとは思えないのである。
ただ東京はあれだけの人口があるか文化人は生まれるのである。