2015年01月29日

人質交換劇で考えたこと (極限状態で人間の命がやりとりされる意味)



人質交換劇で考えたこと


(極限状態で人間の命がやりとりされる意味)


日本人が二人人質になったとき盛んに二人がどういう人物かとりざたされた。
一人は何か軍事オタクなのか、何のなのかわからないので死んでもいいとかされた。
それでもその人なりの過酷な人生があった。
妻をガンで亡くしたということは厳しいしずいぶん若くて死んだなと思った。
ただなぜあんなところに武器を売りたいとか行っていたのかよく分からない
でも県議会議員とか何か名だる人も関係していたとなると余計不可解になる

もう一人ジャーナリストでこの人は生かしたいとかが多かった。
それなりのジャーナリストとしての実績があったのか?
これも良くわからないにしろ世界中でケンジを助けろとまでなった。
そしてこんなに世界中で有名になったということも人質になったからである。

そしてなぜこれは劇のように展開したことである。
あと72時間で決めないと殺すとかなるとその命のことを誰でも見守る
あと72時間の命なのかとなると人間は誰でもその人がどんな人であれ
その人のことをかたずをのみ見守りその生死に関心をもつ
人間は結局いつ死ぬことなくだらだらと生きているから生に緊張感がないのである。
戦時中はいつも死ととなりあわせだから生きるということに緊張感があった
そういう時かえって生の意味を真剣に考える
それで特攻隊のような若い人が死んだことで最後の手記を残している

人質問題はさらに人質交換へと展開する、その時も一対一の交換だとか言われイスラム国の自爆テロの女性を解放をイスラム国は求めている。
他にも仲間の釈放を求めている
ヨルダンではパイロットの解放を国民全部で求めている
ケンジよりパイロットの解放が先だとヨルダンでなるのは当然である

ここで考えたことは人間の命が時間を区切ってやりとりされていたことなのである。
人間の命はその時双方にとって価値ある貴重なものとなっていた。
ヨルダンのパイロットの命とイスラム国の女性の命は等価として交換される
これは何か戦争でただ殺し合いパタバタ誰かわからずに死んでゆくのとは違う。
双方にとって敵同士が互いに生かしたいということから人質交換劇生まれた。
戦争はたいがい相手を殺すことが目的でありこのように互いに生かすということは例外的である。
ここでは互いに生かして敵同士で交換が成立する
一方でアメリカのようにテロ集団の要求をのむとまた人質になる危険が増してくるから
要求にのるなということも要求される

ここで不思議に思ったのはただ敵を多数殺すということではなく互いに人質を生かすということに焦点があてれていたことである。
敵同士でも双方にとって命は大事であり生かして交換しようとなった
考えてみると双方にとってヨルダンのパイロットにしろまた生かせば飛行機で攻撃してくるから殺した方がイスラム国にとっては戦争しているのだからその方が戦力をそぐことになるからいい、一方でヨルダン側でも自爆テロしたような女性は解放すれば危険なのである。
ケンジになると解放しても別にそれほど害を与えられることはない
敵同士の人質交換になるとその人の命がまたあとで害を与えられるというリスクがある交換である。
一方で貿易は双方で利益を得る交換なのである
戦争になると命までが交換対象となりそれは双方にとって利益にならない
戦争そのものが双方にとって利益にならない
ただ今回の人質劇ではなんとか双方の命を生かすということでやりとりされている
だから戦争にしてはそこに人間的なものが生まれたということを感じた

人間はただ戦争で相手を殺せばいいんだとはならない、それで戦争という極限状態から戦国時代から武士道も生まれた。人を殺すにしても物のように扱うのではなく作法があるとかなる、ヨーロッパでもただ殺せばいいというのではないルールが生まれた。
騎士道もそうだろう。だから一見現代というのは中世とか戦国時代とかが首を切ったりと野蛮に見えるが一番野蛮になったのは現代である。
大量に機械で殺戮するからそこには人間が一対一で戦うことから生まれる人間的なものがなくなる
一見イスラム国のやっていることは残虐であり戦国時代だと思った。
でもアメリカやヨーロッパがそうではないのかとなる飛行機で無差別に爆撃して大量殺戮を行う,こっちのほうがどれだけ残虐なのか意識されないのである。

結局文明も何か人間として進歩したものとして発展したものとして考えられるが兵器でも技術改良されて人間を効果的に殺す道具を発展させたという側面がある。
その最たるものが原子爆弾だったのである。
現代文明が一番野蛮な文明になっていたのである。
ともかく人間が一挙に百人でも千人でも津波でも2万人死んだとかなると今回のように一人一人の人間の命のことなど考えない、だから死んだ人がどういう人だったのだろうとか数が多くて詮索しようがなくなる
今回の人質交換劇には数人の人質の命のことを貴重なものとして世界中で考えたのであるケンジをいろいろ言うにしてもケンジ助かって良かったな世界中でそうなっている
そんなこと一人の人間が世界から思われることはないのである。
人質劇は殺すということではなく生かすということが目的だからそうなったのである

そもそもイスラム国とは何なのだというと世界中でも謎でありわからない人が多いだろう単なる暴力的集団なのか、何を目指しているのか良くわからない、その内部もわからない、なぜシリアがあんなふうになってしまったのかも第一わからない。
いづれにしろ国が何であれなくなり無法地帯になると人間社会は暴力が露骨に出てくる
それは戦国時代と同じになるのである。
戦国時代にも人質があり城主の子供まで殺されたりしていたことでもわかる。
あの辺は戦国時代化した危険地帯になった。
あれも実際はイラク戦争の生き残りの残党が多いとするとアメリカが作り出したとも言える。 それはベトナムの地獄の黙示録とにている
戦争はそういう人間の極限状態になるからにてくるということである。
タグ:人質交換
posted by 老鶯 at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層