2015年01月24日

何事にも因果の法則がカルマがつきまとう (原発事故にもあった)



何事にも因果応報のカルマがつきまとう


(原発事故にもあった)


人間の社会は何でこんなに不公平なんだと思わない人はいない
特に不遇で貧乏な人はそう思っている
それは社会のせいだとかなんだとかいろいろ言う
でも何でそうなっているのか謎であり解明できない
本当に社会の不公平だけなのか、それも確かにある
金持ちの家に生まれるのと貧乏な家に生まれ差は大きすぎる
そういう生まれつきの格差は常にあり
ではなぜそういう親から生まれたのだろうとなる
それは親の因果が子に報いとなるしか説明しようがないのだ

今回の原発事故の不思議は何かその因果がカルマとなり数式のように配分された。
大熊とか双葉は一番被害か大きいのは当然だった
その恩恵も一番受けていたからだ。
大熊と双葉は競争して原発を誘致していた
あっちだけが得するのは許せない
こっちも得するべきだと誘致した
そして事故後も原発を稼働させろと言っていることが信じられない
だからここは同情できないことがある
お前らは恩恵を一番こうむっていたのだからしょうがないとなる

では浪江町になるとまた別である。でも何か原発からの距離に比例して被害があった。
距離に比例してカルマが課せられたのが今回の原発事故である
因果応報が距離に比例していたのである
30キロ圏内がやはりあとから放射性物質がもれたときホットスポットができていたことでもわかった。もちろん飯館村はやはり高かった
そして福島市かあれほど被害があるとは思わなかったろう
そこは県庁がある本丸だったのである。
今回の責任は県の責任も大きかったこともわかった
だから被害をみて因果応報だったなとつくづく思った。

ただ飯館村は何か恩恵を受けていないが被害が大きかったのは原発と福島市の線上にあったことである。
それでその災いを受けたのである。とばっちりを受けたのである。
小高も東北電力の原発を誘致してすでに工事がはじまろうとしていた。
それは浪江と小高の両方にまたがる地点にあった。
だから双方に責任がありカルマが課せられていたのだ
小高町は南相馬市と合併したがその前のことであり南相馬市はとばっちりを小高から受けた。
だから小高は補償金問題で嫌われているし責任を課せられているのも因果応報である
他にも富岡町であれ楢葉町でも同じ因果応報があった。
何かそれがまるで数式のように因果応報があった不思議である

それから漁業権者も相当に責任があった。
事故前も補償金をもらい原発御殿が建っていたとか恩恵があったし事故後も手厚くある。漁業権を売り渡してそれだけの利益を得ていたのである。
それで津波で港が壊滅したときそれは天罰だったという人が普通にいたのである
例えば港で船をみんなもっているわけではないし漁業に従事している人達だけでていからである。
結局浜通りは原発があった回りは他より強欲な傾向があった
原発が金になるということでそうなった
その因果応報があった

カルマは簡単に清算されない
介護もカルマであり延々としていねばならない
それも誰か代わってくれない
カルマは負うべき人が負い清算しないと解消できない
事業の失敗した人はが自分に借金を負わせようとしていた
それも自分が病気のとき弱ったとき迫ってきたのである。
借金もカルマであり人に肩代わりできない
なんらか犠牲が強いられる
家を売るとかなんか自分で負わねばならない
でも誰かに肩代わりさせようとしてはカルマは清算できない
もし誰かに肩代わりさせようとしたら二重三重にカルマが追加させられるのである

結局原発事故周辺は放射能というカルマを背負わされたのである。
それは自らのカルマもあった、そのカルマは子孫まで負わねばならない
プルトニウムの毒が2万年消えないとかもう百年は消えないとか
そういうカルマを背負った地域になったのである。
だから何事にも因果応報はある
一見不公平に見えても公平な因果応報の原理が世界には働いている
タグ:カルマ
posted by 老鶯 at 08:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連