2015年01月22日

冬深む(この辺の状況)



冬深む(この辺の状況)


冬の灯や働く場あり道に松
冬の夜や二両の電車に人の影
寒雀みな生きなむと風に耐ゆ
いつくしむ盆栽あまた冬深む
石一つ徹し動かず冬深む


原町の高松の藤倉ゴム工場は大きい、あそこではかなりの人が働いているだろう。
そもそも農業で働いている人は少なかった。
だから農地が原野化しても生計が成り立つ人が多いとなる
農家の人でもある人は農家に嫁いでも何の農作業もしていない
田んぼは人にやらせているだけでありその人も会社員だとなる
農村風景がどうしても田畑でありだから農家が多いと錯覚する
今は農業だけで暮らしている人はまれである
ただ風景がそうなっているから原野化すると生活がどうなってしまうのだろうと思う
でも実際は会社があれば今は生計が成り立つのである。
全体の経済の割合からしたら農業しなくても市町村は成り立つ社会である。
むしろ会社が倒産したりするとその影響が働き口がなくなるなど大きいのが現代である。堅実に働くとかでは松があっている


寒雀が電線に一列に並んで北風に向かって耐えていた。あれは写真にとればよかったがカメラがなくとりのがした。意外とシャッターチャンスを逃すとあとは同じものはとれないから常時カメラは持ち歩く必要がある
子猫に餌やっているが意外と寒さに強いと思う、部屋に入れないで寒い所で耐えているからだ
普通寒さで死ぬようにさえ思ったからである。
冬深む・・というのはちょうど今の季節だろう。12月では早い、でもなんか冬に疲れたという感じもする、大寒のよう寒さをすでに経験して体調壊したので苦しかった。
でも医者には行くなかった、自然と直るものだろう。
ともかく本当に最近遠くにも行かなかった、やっと昨日原町に行った
イオンでいい冬用のものを買った、LLで着心地が良くふんわりしている。
前のは厚着になっていたからLではふんわりゆったりしなかった
これは3000円でありこういうものは通販では買えない、着るものとバッグなどは手にとってみないとわからないから失敗するのである。

今日は風は吹かない、浜通りは北風がこれからも毎日吹く、会津は雪である。
自転車はあまり寒くなったり風が吹くと出にくいのが弱点である
車はほとんど天候に左右されないのがいい、でも運転は危険なのである。
二両の電車に灯がともり何人かの乗客の影が見える、何か二両の電車は人間的なのである八両だとそれなりに人が乗っていると人間的にならない
ましてや東京のような混んだ電車はもう誰が乗っているなど関係ない、物ののようにつめこまれだげである。
ただ二両の電車は相当に贅沢である。金もかかっているが相馬市と原町間は人口も多いので走らせている。
原町から大野までの乗り継ぎのバスが31日から出るらしい、そのバスで往復してみようかと思う、六号線を走るから辺りの状況が多少わかるかもしれないからだ。
やはり六号線が回復したことは復興するにはかなりの力になる
もともとイワキの方とはこの辺はつながりが薄い、でもそれなりに仕事で来ている人もいた。だから六号線が開通したことははずみがついたことはいえる

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神戸地震から20年の教訓 (災害時の心構えー人間が本性を現し狼になる)


神戸地震から20年の教訓

(災害時の心構えー人間が本性を現し狼になる)




「地震保険に加入していなくても、火をつけて全焼させてしまえば火災保険が下りる」(これ自体はデマです)として心無い人が自宅に放火したことから長田区の火災は始まった。


レイプの件は検証していって
噂のもとになった人までたどり着いたら、
電話相談員の創作だった。
この経緯は本になってたはず。

窃盗は多発したけどな。特にサラ金ビルが狙われてた。



 商店街の店主は4、5人単位で武装し、略奪者から商品を守るため不寝(ねず)の番をしていました。
 大地震は、生き残ってからが本当のサバイバル。アドバイスはこうです。

(1)まず、避難所には行ってはいけない。留守宅が強盗や放火被害に遭う恐れが高いからです。家族の誰か最低1人、自宅に残る必要があります。
(2)男手を失った家族は、近所同士で固まる。警察官OBの活用と自警団の組織も重要です。
(3)自転車やスクーターは危険。地震発生から数日、真っ先に狙われるのは移動手段です。金属バットでいきなりボカッとやられることもあり、気をつけるべきです。
(4)女性1人は絶対に避ける。ビルの間、仮設トイレなどは特に危険。
(5)帰宅困難者の移動は、同じ方向の者同士で10人単位の集団を組み、夜間の行動は控える。


神戸の地震の長田区の火事が延焼したのは火災保険をおりるからと自宅に火をつけた。
あの火事はテレビで見ていても恐ろしかった。アナウンサーが焼けた骨を手にもっていたのだから異常だった。
しかしそんな時金の計算ができるものなのか?
ただ人間が火事場泥棒など必ずある、ちょっとした災害でもある。
自分の家で店していたとき水害で流されたものを盗まれた
それはもう誰のものかわからないからそうなる。
災難が起きたとき怖いものは何か?それは人間だということがある
人間が本性を現して狼になる
自分も突然の病気でその恐ろしさを経験した人間の悪質性を具体的に知った。
要するに火事場泥棒に合い、病気をいいことに借金を要求されて責められた

つまり人間が災難であれそういう時はチャンスになる
もう抵抗できないし周りも無防備になり無法地帯になる。
そういう時人間はどうなるのか
人間の本性があからさまになる。やりたいことをやれるとなったらどうなるのか?
人間は狼としての本性を現してしたいほうだいになる
人間はまた善人から悪人に容易に変質する存在でもある
看護師が天使から悪魔に変質しやすいのもそれを示している
なぜなら弱者が相手だと自分の思う通りになるからである
突然の災難にあった人は守る術がない、やられるままだということである。
それを自分が家族の介護とか病気で身をもって経験してきたのである。
ただ今でも自分にそうした人はすぐ近くにいるのである。
だから復讐ができるがしていない
相手もさぼど感じていないのかもしれない

外部から入ってきた人がそういうとき荒らしたというが近くの人もしていた
その例が自分の家に火をつけて保険金をもらおうとしていたというのもそうである
例えば神戸全域で被害があったわけではない、被害が少ない所もありない所もある。
だから神戸内の人からの被害もあったかもしれない
金持ちの家などがねらわれたかもしれない
あんな状態になったら何があっても不思議ではないとなる
ただ噂もありデマが広がる。
人間はマスコミの報道だってそれって本当なのとかなぜ特別そんな一人の言うことをとりあげるのかとかマスコミの報道は誇張されて惑わされやすいのである。
マスコミは本当は事実だけを伝えればいいのである。
その事実に対していろいろい言うと各人が判断できなくなる

人間は本当のことを知るということがむずかしい。
何か事実があっても直接本人から聞くことができない
ニュースで報道していたよとかある人から聞いたよとかその当事者に聞いたわけでないからである。
原発の現場で直接働いている人から聞いたことを書いた。
でも自分の書いたものを読むものはそれが本当なのかわからなくなる
要するに自分が信用しないと本当かどうかわからないともなる
2ちゃんねるなどが信用されないのは誰だかわからないからデマも放置されているからだ

ではマスコミが信用できるかというと信用できない
例えばこの辺で暴力団関係の人達が入り入れ墨の人が風呂や温泉に入って飯坂辺りでは観光に悪影響だとかでていた。
では入れ墨の人が入っているの見たのかとなると見ている人は少ないだろう
自分は近くのホテルの湯で実際に見たからそれは本当だと信じることができる
ではすべてのことがマスコミから報道されていても信じられるかとなるとできない
直接その本人から聞けないからである。
だから何人か津波の被害者から直接聞いたことで津波のことをリアルに知った
戦争のことも直接聞いたことがリアルなものとして心に残る
直接経験した人から聞いたことは本当のことだと思ったからである

なぜデマにまどわされるのか?
レイプの件は検証していって
噂のもとになった人までたどり着いたら、
電話相談員の創作だった。
この経緯は本になってたはず。


誰も事実があったとしてその本人から直接聞いてはいないからである
一体が誰がそんなことを言っているのかと聞いてゆくと真実がわかる
そのデマの発祥地までたどっていってつきつめてわかったのである。
ただ誰から聞いたよではその誰かは誰だったのというと普通はわからなくなる。
みんな誰からか聞いたよであり誰が一体そんなことを何の根拠があって言っているかわからないのである。
マスコミで報道したよとしてもマスコミすら本人に聞いたとしてもその本人に視聴者は聞いていないから本当のことはわからないが信じているのである。
NHKでもそういう報道があったがNHKは信じやすいからその報道も信じるのである。
自分の見たもの聞いたものの範囲はあまりにも狭すぎる

世界となるともうそこで起きたことがどこまで本当なのかわからない
例えマスコミで報道されてもアメリカから報道されたらアメリカの都合のいいことばかり報道されるとなる
そうして常に真実は歪曲されたり誤解させられるのである。
つまり個々人では本人からその場にも直接立つことができないとしたら真実があかりえないのである。
だからわけのわからないデマに人間は左右されやい
特に災害の時はそうである。誰が言ったかなど調べる余裕もないからである
現実に放射性物資はスピーディで津島方面に流れたことわかっていた。

浪江町では町長の指示で津島に一時避難したのである。
政府ですら的確な情報を災害時には伝えなかったのである。
飯館村は一カ月後くらいに避難した、村長が避難することを拒否したためでもある。
その時放射性物質は高濃度に流れていたのである。
災害時には必ずそうした過ち起こる。
情報が錯綜し混乱してくるからである
特に放射能の知識などもっている人は地元民ではほとんどいなかった
だから市町村で混乱して右往左往しているだけだったのである。
報道というときマスコミ頼りだけではだめである。
一般人がインターネットで発信できるようになったのは進歩である
これも問題あるにしろ例えば地元から発信できる、田舎でもできるということが強みである。
地方でも現場から発信することの意味は大きいのである
今回は自分も現場からプログで発信したことはそれなりの意味をもっていた。
現場からしか伝えられないものがある、それはどこでもある。
災害とか緊急の場合は特に効果的になるのである。


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イスラム国による日本人人質事件(2) (生きるか死ぬかで命が値踏みされる)


イスラム国による日本人人質事件(2)


(生きるか死ぬかで命が値踏みされる)


今回の事件では身代金200億円要求されてそれを支払う価値があるのかどうかと問われる
なにしにいったのかわからないものにそんな金あど払う必要がない
二人にはそんな価値はない、ジャーナリストには多少価値あるが・・・とか言われる

つまりここでは人間の価値が値踏みされているのだ。
こんなやつらを200億円も国で出して助けるべきなのか?
それだけの価値があるのか?
雪山などで遭難したときなども救助するがその額が違う
あとで家族もかかった金を払わされる
だからべつにそんなに助けるか助けないかは考えない
怒られても大問題とはならない

今回は金が巨額なだけではない、外交問題にも発展する
日本がどういう態度をとるか世界が見ている
日本からするとただ迷惑な人たちだから切り捨てろという意見が多い
要するにあの人達に200億円の価値があるのかということになる

人間の価値をではどうして決めるのかとなる。
ここでは一体あの人達はなんのために行っていたのかとなる
そんな危険なところに行って何しようとしていたのかとなる
一人は軍事関係で武器で金儲けするためだったとあり
ジャーナリストはその人を助けるためだという
すでにこの時点でなぜジャーナリストはそんな人を命をかけて助けなければならないのか?
特別な義理が友情があったのかとなる

あの人達は普通の社会から見ればはずれものだろう。
日揮のアルジェリアげ殺された人は石油をとる目的がありそれは国でも価値を認めているこの場合はそうした目的も何もわからない、私的な利害で動いていただけだとなる
そんな人を200億円かけて助ける必要があるのかという議論になる
第一普通の社会では建築現場であれ一万の日給稼ぐのにも事故で死んだりしている
原発の作業では最近二人連続して事故で死んだしすでに10人以上死んでいる
別にその人たちのことは特別扱いされないのである。

この人たの方が原発事故の後始末をしているのだから命の価値があったとならないか?
死んでもそんな巨額な金など払われない
これはどこでもそうである。人間の価値も金で計りえないとしても現実に計られている
もし一人百億円もらえるならもっているならその人は社会ではどうなるのか
それだけの金はどんなことしてもえられない金なのである
第一一人は武器を売ってもうけようとしていた人がいてかえってつかまり
今度は逆にイスラム国に人質になり自分がもうけたい金の百倍もの金が要求される
使われるというのも何か馬鹿げている

ただこの事件で考えたことは人間は生きる死ぬかとなるとき何であれ人間の価値が鮮明に問われる
それは老人が病院でこの人を生かすべきかどうか、延命治療でも問われている
この場合はそれと違って健康でありまだ40代とか若いのが違っている
一方で世界では飢えている地帯もあり子供が死んでいる
その時誰もこの子供生かすべきかどうかもない、生かすべきなことがわかっていてもできないこともある。それも幼い命なのだから老人の命とは違い未来があるから違っている
命の価値は明らかに子供と老人では違ってくる
だから幼い子供の心臓移植でも億の金が集まる
それはこれから生きるものに対して価値を認めているからである。

人間が何であれ一旦生きるか死ぬかとなるとどんな人間であれ最大の関心になり
その人物がどうだこうだとか何のためなんだとか問われる
不思議に重要人物としてとりあげられるのである。
普通の生活ではみんな誰もそんな重要人物にならないのである
みんな誰も注目されないで働いているだけなのである。
その人がどんな人なのか何をしているのかただ金を欲しいからだろうしか考えない
コンビニなどで働いている人に「なんで働いているの」などといちいち問う人はいないのである。

この人たちがこれほど注目されたのは、世界的問題の渦中に入ってしまったからだろう
その目的が不純でも現代の世界の問題の中に日本が問われる存在になった
本人にそういう意図がなくてもそうなったのである。
海外旅行でも別に観光目的でも日本を意識させられる
日本人としていやおうなく意識させられる、それが深刻なものとしてつきつけられる結果となった。
日本人の責任と覚悟みたいなものが外国にでると問われることがある
これはもともとそういう紛争地なのだから予想できていた
ジャーナリストは死ぬ覚悟だと言っていたがもう一人は金儲けにすぎないのだからただ日本に迷惑をかけるやつにすぎないとか批判される
つまりそんな危険な所に勝手にゆくな、日本にとって迷惑になるんだからとなる
だから殺されても仕方がない、自己責任論になる
その自己責任でも本当は行っていいものではない
結果的に自己だけすむならいい、雪山で死んでも助けに行きませんよとなれば誰にも迷惑かけないからである。だからといって死体が見つかれば連絡されて始末しなければならないことはある。

とにかくそうした危険地帯にゆく人は何の目的でゆくのかはっきりさせて第一日本でも許可しない許可しても助けないということを明確に記すべきだとなる
自己責任で誰にも迷惑をかけないならそれずすむならいいが海外になるとすまないからである。
観光に行って行方不明になった人がいるが家族が探すだけで国はかかわらない自己責任である。別に危険な場所に行ったわけでもない、それでも自己責任で国はかかわらないのである。今回のような大迷惑にはなっていない、だからそんな馬鹿高い金など払う必要がないというのがどうしても結論になる。
タグ:人質
posted by 老鶯 at 11:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層