2015年01月14日

平泉四季の俳句連作(詩)(新春ー2015) (平泉に集約されたみちのくの歴史)



平泉四季の俳句連作(詩)(新春ー2015)


(平泉に集約されたみちのくの歴史)



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春の虹切れ端残る平泉
一陣の風に花ゆる義経堂
平泉花の盛りに荒れる風
時は過ぐ無量光院跡花の影

杉林木陰の深く金色堂

平泉旅人去りぬ秋の蝉
三代の栄華の跡や秋の蝉
みちのくに秋草の花曲水の跡
平泉旅人とまる夕紅葉

三代の栄華の跡や冬の雨
みちのくや冬の雨ぬる弁慶松
金色の御仏雪に光るかな
池凍り金色堂の光輝かな
大泉が池百羽の鴨の騒ぎけり
柱跡苔に雪ふる平泉
金色堂ミイラ眠りぬ冬深む


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冬の平泉

平泉激しく炎上してのち
みちのく遠く忘れられるかも
観自在王院の池は雪に閉ざされ凍りけり
飄々と樹々は風邪に鳴り
我がその雪踏みてたずねぬ
みちのくの京よりいかに遠きや
西行の歌は心に凍みて残れり
平泉藤原一族は滅びて
残りし千歳の形見なれ
その栄華の日の夢の跡
贅を尽くして匠を残しぬ
螺鈿の巻柱、瑠璃の玉、象牙に硝子
須弥壇の孔雀の生き生きと
はるか富はここに集められぬ
三体の黄金の仏はかがよい
ミイラは納まり眠りにつきぬ
みちのく遠く栄華の日も三代の間
雪に閉ざして凍れる池や
みちのく遠くさらに冷えてあれ
その空気は張りつめ澄みて
塵もあがらず雪も凍りぬ
ただしんしんとみ空より
雪の結晶は舞いつつ浄められぬ
黄金の御仏遠つ世の徴し
みちのくの金色堂形見なるかな

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みちのくというときやはりそこには歴史がありその歴史を背景として自然が映える。
原生の自然とは違い人間の歴史的なものが反映される美となる。
北海道には歴史がない、原生の自然があるのが魅力である。
でもやはり歴史があるのとないのとはかなり違っている。
近江の魅力は様々な歴史に彩れて自然があることである。
京都もそうなのだが都会化しているから意外とその魅力を感じることがむずかしい。
ただ人間には共有された地域地域に歴史がある。
それは相馬藩という小さな単位でも400年くらいの歴史が刻まれている。
それで今回のように避難して人が住めなくなったとき歴史が問題になる。
人間は歴史を共有して自然を共有するのである。
それが生きるアィディンティティとなる

みちのくと言っても広いからなかなか共有しにくい
ただ平泉が古都でありそこに歴史を共有するものがあることは確かである。
最初のみちのくの統一国家の象徴としてあった
つまりみちのくの王として藤原氏があった。
ただそれもはかなく三代で終わってしまった。
それでも単なる夢ではなくみちのくの統一国家としてあったからこそリアリティがある
ともかく地元でも相馬藩でもその歴史を理解するのには時間がかかるのである。
近くだと四季を通じて行けるから理解が時間的に深めることができる
旅だと一回くらいしか行けないとあとで忘れ安いのである。
ただ芭蕉が優れていたのは一回の旅でみちのくの歴史を知り自然を知り俳句を残したことである。
その俳句が極めて深く陸奥的なものになっていたのである。
みちのくの歴史と自然の特徴を一回の旅で会得したというのも不思議である。

もちろん元禄だから今の時代とは違い鎌倉時代もまだ違ったものと感じていたのだろう。ただ時代をリアルに感じるのは自分の生きている百年くらいかもしれない
今だと明治維新からは祖父母が生きていたということで身近である。
江戸時代になるとなにかイメージできないから誤解が多くなるのである。
芭蕉はただみちのくだけではない、中山道でもその特徴を俳句にしていた。
「月の友」とかいうのもそうである。中山道は月がにあっていたのである。
自分も中山道を旅してふりかえると月があっていたしその時期に旅したので会得したのである。
俳句はそもそも一句だけではあまり芸術としては短かすぎるから現すことがむずかしい
ただ連作として読むとそれなりのつながりがあり読みごたえがてくる
芭蕉の句も奥の細道として連続として読むから一つの文学古典となったのである。
ただそれがみちのくを特徴づけるものとして後世に残った。
芭蕉によってみちのく的なものが顕著にされたというのも不思議である。
みちのくというと必ず奥の細道をイメージしていることでもわかる
それほど芭蕉の旅の俳句でみちのくがイメージ化されるようなったのである。

みちのくというと寒い辺境なのだから冬がふさわしいともなる。
冬のみちのくはまたみちのく的になる。それでもみちのくは広いからどこがみちのくかがわかりににくい、福島県はみちのくと感じるものが今はない、会津の方はまだ雪国になっているから違っている。中通りには奥の細道を感じるものがないのである。
新幹線が通っているのもそうだし宮城県もそうである。
平泉とか山寺には感じる。要するに現代が旅がつまらないというとき遠さの感覚がなくなったからである。
みちのくが江戸時代でもどれほど遠かったということが実感できない
新幹線で二時間ちょっとかとなる、はい行ってきたよ帰ってきたよでは何も旅にならないし印象にも残らないのである。
だから石巻の方の石捲線を来るとその電車の便も不便だからみちのくの広さを感じるのもいいのである。早く着きすぎることによってその土地のことがわからなくなっている
それをするにはつくづく自分がふりかえってみて時間が暇が必要だったなと思う。
余程の暇人でないとできないことだったなと本当に思う。
今や近くすら介護とかで行けなくなりわかった。
一日旅することができない、旅は金より時間だったのである。


みちのくは冬にふさわしいとなると岩手県はより寒いし辺境になるから雪もふるからいいと思う。福島県はまだあたたかいということもあり雪も中通りでもそれほどふらないからである。冬は空気も澄んで雪におおわれると浄化された世界になる。
そこに金色堂が映えるのもいい、四季に金色堂は映える。
ただ金色堂は金閣寺とは違い外にないから自然に映えないのである。
みちのくの冬はやはり他の冬とは違う。
みちのくは何か霊場として眠る場所としてふさわしいのかもしれない
そういう歴史的風土であり何か産業や商業の土地ではない

その土地がもっているものがありそれにあったものとして文化もあるのがいいのである。その土地の役割があるのがいいのである。みんな同じだったらつまらなくなる。
だからみちのくは騒々しい活動の場となるのも問題なのである。
だから癒しの場とか霊場、安らぐ場所としてあるのがふさわしい。
みちのくといってもすべてがそうではない、みちのく全体の特徴としてであり個々にはまた違っている。
ともかく回想の旅というのはあることに気づいた。
旅しなくてもこれだけ旅していれば以前として旅がつづいていることに気づいたのである芭蕉のように生きているそこにあることも旅であり旅の一過程一行路になってしまうのである。





 
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