2015年01月12日

浜通りに三カ所原発ができるところだった (なぜこんな危険なものに反対運動も起きないのはなぜだったのか)


浜通りに三カ所原発ができるところだった


(なぜこんな危険なものに反対運動も起きないのはなぜだったのか)


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この辺に避難してきてる20代から40代だと、イチエフやニエフ(福島第二原子力発電所の通称)やそれらの関連企業で働いてる人も多い
その中でも富岡町は“お役所町”って言われるくらい保守的な町で。原発の恩恵を受けすぎていて、自分たちで積極的に何かを変えようとか、動かしていこうっていう姿勢が薄いんだよ。
http://www.thefuturetimes.jp/archive/no06/hirayama/

『富岡町史』は、次のように語っている。
発電所の立地に伴い、働く場も増え所得が向上した。
生活の向上にあわせて、大型店の建設や、店舗の整備には目を見張るばかりであり、また、駐車場の整備等により消費者へのサービスに努め、商工会の働きも活発化している。



富岡町長が津波で流された金庫に5億円入ってとかかが話題になった。
真意はともかくそれだけ原発は町長であれ議員であれ金が回ってくることを示した象徴的な話題だった。
原発事故のあとも巨額の補償金が入ってくる。それでイワキなどに一早く家を新築して顰蹙を買ったとかある
浜通りは南相馬市でもそうだが原発の影響が大きかった。
原発で働く人も思った以上に多かった。
小高の人は原発を作るときからかかわっていた。
そして鹿島の加藤建材の社長が砂利を真野川から運んで財を築いたというとき原発の恩恵が建設関係にもあった。
社長はその時砂利を手でふるいにかける仕事をしていた。
そういう現場を見ていたことが子供の時にあったみたいだ
今は機械化しているから手ですることはないかもしれない。

原発は工事するときから回りへの経済的影響が大きかったのである。
だから小高の大工さんが小高に原発ができれば景気良くなるというのは本当である。
だから不思議なのは小高に共産党系が多いのになぜ反対運動が起きていなかったのか?
それから原町にも左翼系統が多い、先生とか多いのである。
そういう人は小高に原発を建つことを知っていた
でもあまり反対という声は聞こえなかった
富岡町の共産党員は原爆の実験で船が被爆して帰ったことを盛んに言っていた。
共産党系や左翼はそういうことにうるさいのに何か目立った反対運動もない
原発建てるからと抵抗もほとんどなかったのではないか?
その時小高は別な町だったからできないという事情もあった。

新潟県の巻町といいますと、日本中そうでありますが原子力発電所を造ろうという地域はどこの地区でも革新勢力の一番弱い所ですね。これがまずねらわれます。巻町も圧倒的に保守の強い町だったんですね。人口三万、社民党、かつての社会党、共産党もありますが町長選で独自の候補をたてますとだいたい二千票しかとれなかったところです。

巻町の町民ほど原発問題を熱心に研究し、長い時間をかけて自分の身につけて判断をする力をつけてきた町民はいない、だから、巻町の町民が出した判断は正しいと思います」と、こういって通産省にも老原発をやめるように申し入れました
http://daemon.co.jp/~nagai/kenminkaigialles/fujimaki.htm


巻町の例があり原発を小さな町の人達が勉強してやめること決めたのである。
だから浜通りはまるで違っていたのか、原発を大熊町だったか事故後も原発を稼働させろと要求していた。これほど原発にどっぷりとひたり原発経済からぬけでられなくなっていた。
それにしても今になるとこんなに原発が浜通りに近接して建つということは異常なことではなかったか?
それに疑問もなくたいして反対運動も起きなかったのはなぜなのだろうという疑問がでてきた。
自分も30キロ圏外でも原発には無関心だった。小高に東北電力の原発が建つことも知らなかったのである。
大工さんが小高に原発建つと景気よくなるよと言っていたのでそうかなという感じだったただ原発で働いている人は意外と多かった。
仮設でもそういう人かまたいたのかと思って意外に多いなと感じた。
小高になるとかなり近いから余計に多かったことは確かである

浜通りは原発事故が起きた周辺は何か他とは違っていたのだろうか?
何かそもそも巻町のようなまともな住民意識かない
ただ原発で金が入るとかそうした欲ばかりが増大してそれが麻薬のようになっていた
だから事故後までその麻薬からぬけでられず再稼働しろとかなった
原発とは補助金が入るから麻薬的なところがあった
それは今補償金をもらって暮らしている人達にも共通している。
補助金がいつまでも入る感覚になっている。
いたりつくせりに補助金が入る
避難区域では帰る度にいろいろと補償金が入るのである。
もちろん漁業補償も事故前も事故後も大きかった。
だから浪江の請戸の人が相馬市の病院で特等室に入り家を建てると言っていた。
磯部の人も原発補償金で家を建てた漁業関係者がいたというのもそのためである。
自分の家の近くにも家を建てた人がいた。
それは確かに言えるのである。

そしてなんか浜通りの人は金使いが荒いというとき、会津に入った仮設の人が言うとき、前からそうだったのだろう。原発関係で金が入っていた人が多かったからそうなる。
巻町では原発は町を豊かにはしない箱ものをつくるだけだと反対して建てさせなかった。これは全国的にはめずらしい例だろう。
この辺は何か異常な原発の麻薬にとっぷりと浸っていたのである。
「もっと原発作れ、事故あっても原発再稼働して金を落とせ」
こうなっていたのだからこの辺の感覚は正常な感覚が原発で麻痺していたのかもしれない
浜通りは一人一人を見ても強欲になった人達が多かったのかもしれない
もちろんそれは現代ではそういう人が普通だから簡単には言えない
でも何か富岡町長の五億円の金庫に象徴されるように金の亡者のようになっている人も多かったかもしれない
一人一人を見てもそういう傾向が他よりは強い場所だったかもしれない
お前はどうなんだというと自分もまたやはり金は欲しいが自分は金は使っていない
家はあったから別に金は使っていない、百万の金を使ったことがなかった
他のひとは自分で一代で家を建てるとなると金がかかるのである。
立派な家を建てて借金しているとか借金して贅沢している人もいた

●原発金が麻薬のようになり麻痺していた
●全体的に欲深くなっていた
●住民自治意識の低さ

いろいろな要因があった。新潟県の巻町が反対できて作らせなかったというのと比べるとそうである。
新潟県にこの辺から避難した人は新潟県の人は人情が厚いと言っていた。
福島県の浜通りはどうなのか、人情もない、貪欲な人間が多くなっていたのでは?
欲が深くなると人情も薄れるのである、自分の欲望をどこまでも満たそうとして他人の苦しみも何も関係なくなるのである。
相手が苦しいならこのさい自分の欲望を満たしてやろうとさえなる。
そういう経験をこのて七年間地元でしたからわかる
ただこの辺の人がみんな裕福でもないし貧乏な人が多いのは他と同じである。
要するにこうした人情があるとかは統計的にはわからない
ただ一人でもそうしたいい人に会えばあそこはいいところだとかなってしまうからである

 
とにかく原発は本当の富をもたらさなかった。原発で豊かになることはできなかった。
浪江の請戸の農家の人は10町の畑で野菜を作り四人の娘を大学にあげた。
平に野菜を売って財を築いた、それは本当の実りであった。
それは自慢していい実りだった。でも原発で金が入っている人は今は批判されている
事故の後でも補償金をもらった人は批判されている
お前たちは原発に積極的賛成してそのために金も入ったろうと批判される
それも確かに自業自得だったとされる
第一三カ所も原発が建ったらどうなるのか?
これは空恐ろしいことでありそれでもこの辺では反対運動もなかったのである。
なにかが完全に麻痺していたのである。

ただ津波があり原発の増発に歯止めがかかり原発廃止の方向への運動も強くなったことは津波が来て事故になったからである。
もしこのまま何もなかったらいづれ大事故になり日本は滅亡していたかもしれない
そういう歯止めはかかったことは事故のプラスの点だった。

戸港春の陽眩し船並び田畑広がる実りの地なりし

請戸というと港の方を見ているが実際は海側に広い田畑が広がっていたのである。
その風景も津波と原発事故で消失したのである。

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請戸港の船が鹿島の復旧した港に十艘くらい停泊していた



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フクシマ原発事故後の放射性物質のダストが飛散した問題 (3・11の事故と通じた分布を一応していたが違った面もあった)


フクシマ原発事故後の放射性物質のダストが飛散した問題


(3・11の事故と通じた分布を一応していたが違った面もあった)

放射性物質のダストの分布図
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クリック拡大

そもそも、放射性のダストは一様に存在するのではない。
  放射性核種は、風雨でそちこちで吹き溜まりになっていて、2014/3 頃、富岡町 夜ノ森地区の国道6号線の検問のところでは、地上1mで2μSv/h 程だが、その路肩の地表では50 μSv/h を超えた。

昨年 8/19 の3号機の解体工事によるダストの飛散の件で南相馬市の小高区で問題になった稲もそうだ
http://leibniz.tv/hironomachi.html

急激に放射線量があがった地点である。これをみると前の放射線量が広がった地図と重ねるとある程度一致しているのかもしれない
ただ放射性物質はブルームになっている、一つの塊りとなって飛散する
あるところに吹き溜まりのようにダストがたまりそこが高くなる
だから飯館村でなぜ佐須地域と霊山に顕著に放射性物質のダストがたまったのか?
それは地理的要因が大きい。

あの辺は自分が佐須で計ったが泥で20マイクロシーベルトあり
今も牧草地で5マイクロあったから高いと言える
今は5でも高いのである。
佐須から峠がありそこを越えると行合道に出ると霊山である。
あそこも高いダストが流れたのは何か地理的なものである。
つまり風がどう流がれているのか上空のことかわかりにくいし
風も谷間だと吸い込まれやいとかありわからない
ただ放射性物質のダストが一塊りとなって佐須に吹きつけ峠を越えて霊山に当たり
そこにダストの塊りが落ちて沈着したのかもしれない

一応二本松にもダストの黒い点があり福島市にも郡山市にもダストの小さい黒い点があるこれは前に風の流れから自分が放射性物質の流れを解析したのと通じている
春に東風が吹いて飯館村が被害が大きくなった
ただこれは別に春先のことではないから風の流れがどうなっているのかわからない
でも3月11日の東風の流れと共通している
だから春の東風だけの影響で飯館村が被害が大きくなったともいちがいに言えないのか
つまり風の流れが地形に影響されている方が強いということもいえる
ただ全く違ったものになっていたのは富岡とか広野、大野とか末続辺りに顕著にダストの大きな黒い点が集中している。そこには二回以上集中した。
これはなぜそうなったのか?
富岡に第二原発があるがそれは関係ないとするとこれも風の影響だったのか?
南風だったら南相馬市の方にも影響しているが小高近辺だけにダストの点がある
このとき風がどういうふうに吹いたかわからない

でも確かなことは30キロ圏内までが避難区域としたことは科学的根拠があるとなる
小高など20キロ圏内にダストがあり稲に影響したということでもわかる
小高はやはり原町区や鹿島区などより放射性物質の影響が事故の後も出たとなるから
避難区域に指定したのは正しかったともなる
ただ放射性物質は一様に分布しないのである。
ある所が高くなり他はそうでもないということがある
飯館村では草野辺りはこのダストの影響がないのである。
ダストが通過して佐須が吹き溜まりのうようになったともいえる

ともかく地理というのは地形はわかりにくい
磐城の方はかえってわかりにくいのだ
富岡から広野ー大野とか末次になっていたことが勘違いしていた
広野から富岡だと思っていたのである。
こういうことは旅していても常にある
地理は何かわからなくなってしまう
何回も行っていればわかる、佐須は事故の後も霊山回りで行っているし地理的にわかりやすいのだ。
富岡があんなに事故を起こした第一原発に近いとは思わなかった
それより富岡に第二原発がありこれも危険だなと思った。
浪江と小高の間に東北電力の原発ができることになっていた。
すでに工事がはじまるところだった。
だからこんなにこの辺に原発を集中させていいのかという疑問があってもいいはずだったもし第一から第二から新しくできる東北電力の原発ができたらそれらが地震で一挙に崩壊したりしたらどうなるのか?

今回の事故から考えると空恐ろしいものとなる
そんなことをなぜすすめられたのかという疑問である。
原発事故では30キロ圏内が住めなくなるからだ
原発は広い土地に点々と分散していれば30キロ圏内が住めなくなっても別な地域に住めばいいとなる。ロシアではそうして移住したのである。
日本ではそれができないのだから狭い国なのだから50以上あるということが異常なのである。
それは原発が必要だからではなく何か別な意図があった
原発を外国に日本が作るということでもわかる。
輸出産業としての原発事業のためだということもあるし核の保有国ということにもなる
原発の技術、原子炉は日本の東芝が作っているとかがありアメリカやフランスとか共同事業だからである。

なぜ原発が浜通りに三カ所も作り集中させたのか?
それは恐ろしい暴挙であり地域の破滅に通じていた。
それが今回の事故で歯止めがかかったが最悪はこの三つの原発が同時に事故になり
回りが30キロ圏内だけではない80キロ圏内も人が住めなくなるような事態になった。
そういうことを科学者が考えないということもおかしいのである。
原発の恐ろしさを知っているのにこんなことを許すということが科学者にも問題があった
今年も以前として原発問題の追及はつづく
posted by 老鶯 at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

小高はどうなるんだろう (それは無責任→各人がどうするのかが問題)


小高はどうなるんだろう


(それは無責任→各人がどうするのかが問題)


小高はどうなるんだろうーと書いたけど考えてみれば無責任だった。
それはよそ事であり自分とは関係ない言い方だった。
前にも書いたけど日本語には未来と過去がはっきりしない
英語では未来はwillでありこれは意志であり
未来は各人の意志で決まってくるものなのである
それは別に小高のことでなくても全部そうである
大きく考えれば日本はこれからどうなるんだろうと言うのも同じである。
日本をこうするんだと一人一人が意志をもつことが未来を決めてゆく
会社でもそうだろう、自分の会社がどうなるんだろうと言ったら
その会社員とは言えない、アルバイトととかならいいが正社員だったら
自分の会社を一員をこうしてゆくんだとならないと会社も成り立たない

小高を例にとると狭い範囲だからわかりやすいのである。
なぜなら一人一人がどうするのか問われているからである。
もちろんそれは南相馬市全体とも深くかかわってくる
南相馬市の一部だから無関心ではいられない
だから俺は帰って小高に住むというとき
それは小高の未来にもなる
俺はもう年だしめんどうだしかかわらないというのも意志である。
現実に早い時期から他に土地を買って帰らないと決めた人もいる
それはそれなりの意志をもって未来を決めたのである
その選択は許されているからどうのうこうのとはいえない
それは小高の一人一人が決めることなのである。
小高に帰れと自分は言ったが強制はできない
そう言ったのは補償金で遊んでいるからそう言ったのである


ただ小高をどうするのかというとき小高だけの問題ではない
南相馬市全体の問題になっている
小高がどうなるんだろうとか切り離して考えることはできない
それは相馬藩の歴史からもそうなる
人間は一人一人が歴史を刻んで生きている
ただそれがみずからの意志(will)で決めているかどうかはわからない
戦争のときでも一人一人の意志で決めたのかはわからない
権力に強制されたということもあるからだ
原発にしても一人一人の意志がかかわったとはいえない
権力に強制されたというのが現実だった
むしろ原発で得する豊かになるということで住民の意志は積極的誘致を決めたともなる。すると原発は住民の一人一人の意志の総合で決められたとなる。

ともかく原発事故以後に問われたことは本当に様々あるのがこの辺である。
住民の一人一人の意志によって決めるとしたらそれが民主主義だとしたら
原発に関して情報開示が必要だったがそれも成されないから決めようがない
また原発は地元の人でもかかわりえないという問題もあった
お前らには原子力のことなどわかりようがないから黙っていろで終わりになり
住民はかかわることもできないものだった。
そこにもはや民主主義もなにもなくなっていた
ただみんなそんなに小高の住人でもいろんな人達がいる。
遊び人もいた。そういう人は小高などどうでもいいのである。
どこでも補償金でももらって暮らした方がいいとなる
あとは生活保護だとか言っていた
そういう人も地元にとっては今は迷惑になるだろう
ただどうしてもそういう人は一定数どこでもいる
そういう人も排除できないのが現代社会である
かえってこんな事態になるとそういう人は目立つことも損だった
つまり小高に住むならそんな人はいらないとなるからだ

そういう人でなくても小高の人にもいろいろいてもう若い人なら帰らないと決めた人もいる
それも一つの決断であり未来を決めたのである。
つまり小高でも避難区域でも何かそこに住むということともう住まないという二つに分断される
その差が大きいのである。
そこに住むという人はやはり何かしらそこにこだわる愛着あり住みたいとなる
一方で一億円もらえたからもう他で住んだ方がいいという人はもう帰らない
そういう人も別に原発事故の前からいたのである。
現代は広域社会でありどこに住んでも自由だからである。
だから東京の年寄りが田舎で暮らしたい田舎の老人ホームで暮らしたいともなる
そういうふうに地域性が希薄になっているから金さえあればどこでも暮らしていいとなると移り住む人も遠くなるということである

ただ人間はこういう事態になるとそこに住むということはそれ自体が決断であり未来を決めることになる
ただ老人だとそこに住むという決断というよりそこに住むほかないということある
長年住んでいたからそこに住むということである
また土地も家もあるのだからそこに住むとなる
それでも小高に住むということは不便でありマイナスが多いから一つの決断になり意志になり未来を決めることになる

十津川村では全員が北海道に移住することを決めた、全員の意志で決めた、そして困難に立ち向かったのである。それがこの辺とはまるで違ったものとなっている
そんな条件の悪いことには参加したくないというのが多い
老人になると楽な方を選びやすいからである
だからシルバータウンになりそんなところで町が成り立つのかという疑問が生まれた
市としては行政としては小高に住んでもらいたいということはあっても
それを強制はできない、それか民主主義であり広域社会である
だから一地域で困難が起きればその地域が維持しにくくなる
ともかく何か小高だけではなくこういう困難な状態になると一人一人か問われるようになる
今までだったらそれぞれ勝手にやればいいですんでいたのである。


要するに故郷は何なのだとかそんなこと問うことは今までありえない
第一故郷は普通にあるものでありなくなるということ住めなくなるなどありえないからである。
だからこの辺で問われることは深い哲学にもなるし歴史も関係してくる
故郷は何かなのかなどと問うこと自体それは深い哲学であり歴史をかえりみることにもなるからである。
そういうことは歴史をふりかえれば戦争の時最も深刻に現れた
なぜならその時は生きる死ぬかの選択を迫られたからである。
それも若い人がその選択を迫られたから故郷に住むか住まないかの選択より命懸けだとなった
それで若い人は苦悶したのでありその手記などか残っている
自分の命を国にささげることのを意味を真剣に問わざるを得なかったのである。
それと比べると今回は小高に住む住まないで生死を決めるわけでもない
そこまで故郷に愛着もしない、命があれば楽な方でもいいとなる
そういうふうに最初から決めた人はそれで良かったとなる
でも戦争だったらそうはならない
たいだい若い人も死んだのだからあとがない選択を決意させられたのである

 
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posted by 老鶯 at 13:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連