2015年01月09日

原発事故はなぜ起きたのか?(続編) (アメリカの歴史との対比でみるーそれは文明の発展で世界共通の問題)


原発事故はなぜ起きたのか?(続編)


(アメリカの歴史との対比でみるーそれは文明の発展で世界共通の問題)

延々とつづく原発事故の後遺症

津波とか原発事故が問うたことはな何なのか?そのことを現場から追及してきた。
それは現場ないと当事者でないと理解できなていものがあるからだ。
これは大きく考えれば文明そのものの問題でありそれが原発事故で露(あらわ)にされたということがある。そういうことも書いてきた。
ただ様々な要因があるにしろそれが全部原発を作った政府とか東電に全部責任があったかとなるとそれも簡単に言えない奥深い問題があった。
お前たちは原発で金が入って恩恵を受けている、事故の後も多額の補償金をもらっている特に避難区域とかその周辺への風当たりは国民からも強い。
福島県内でもイワキでは大熊や双葉への風当たりは強い
多額の補償金で高騰した土地を買い家を建てているとかそこで険悪にもなった。
それも南相馬市でも小高、原町、鹿島と補償金でもめた。
鹿島区は一番補償金をもらっていないのに小高の人が一番多く仮設に入っているので反発があった。
原町区はそれなりにもらっているのでない、だから原町区に小高の人が入る仮設を建てれば良かったというのも一つの解決策だったかもしれない。
ただ土地が確保できないので鹿島区になったのである。
大玉村で農家の人が風評被害などで米が売れないと東電に訴え裁判にもなったが中通りでは補償金すらもらっていないからそうなる。
中通りは広いからそこに補償するともう莫大になりできないから切り捨てられたのである未だにこうした金の問題は解決していない、これは一番具体的でかりやすいから見えやすいのである。

自分がこの原発事故で追及したのはその深層でありその原因が現代文明そのものにあったということを追及した。
そういうことはめんどうになるのであまり関心がないことはいえる。
でもなぜ原発事故が起こり故郷に住めなくなるまでなったのかという深刻な事態を追及してゆくとその最も根本的な原因が何であったのかとなる
それを追及するのは現代文明そのものグローバル化経済でもそうだしそれらを問うことになるのだ。
何かしらないけど春の塩の道をたどる(二本松までの絵巻物(塩の道をたどる)とか(飯館村が原初の葦原になり伝説化した (葦笛の詩として引用構成) ・・・・・とかが読まれていることはやはり故郷を失った人達が読んでいるのかもしれない、飯館村ではそうだろう。第一今まではまず故郷に住めなくなるなどいくら原発があっても考えた人はいないだろう。自分も原発には無関心だった。
時々原発で働いて金になるとかは聞いていたが何かあまりにも情報不足だった。
もちろん知っている人は知っていたし関心をもっていたのだろう。
原発は県単位でも回りの市町村でもその影響が実際は大きかったのである。
働いている人も三分の一までいかなくても何らかかかわる人が多かったのである。
そこは何よりも金の成る木であったからだ。
不思議なのは原発に土地を提供した人がいて県で認可すれば許可されたとかいうのもあまりにも原発が建てられるにしてはその許認可が狭い範囲で決められてたのである。
これも大問題だった。そういう様々な問題がクローズアップされたのが原発事故だった。

●石油文明が戦争を起こしたように原子力文明も犠牲を強いた

]原発事故がなぜ起きたのか?
それは歴史的にもさかのぼり検証せねばならない文明的問題でもあった。
それはエネルギー問題であり石炭→石油→原子力と国を世界を左右する問題だからである例えば太平洋戦争がまず石油輸送が石油が入らなくて日本はアメリカに真珠湾攻撃を強いられたという解釈もある。
戦争の前に石油利権が石油が断たれることはすでにそこで国自体が成り立たなくなるほどの力をもっていたのである。
アメリカが中東を大事なものとするのは「石油を制するものは世界を制する」となっているからである。だからイラクにも敢えて攻撃して制圧したのである。
それは石油と深く関係していたのである。
石油をめぐって世界戦争が起こる要因があったし今もそうである。
象徴的なのか日本の零戦は片道の石油の燃料しかなく役に立たなかったとかなる
石油が燃料がないと今でもこの辺では石油が入らなくなりガソリンスタンドに長蛇の列ができてパニックになった。車があってもガソリンが入らなくなったら車社会は麻痺して
食料すら入らなくなったのである。
石油文明になっていれば石油に頼るのだから石油のために人間の命も犠牲にされるのが文明である。
マヤ文明とか何かわからないけど太陽のために太陽の光が消えたら終わりだと盛んに残酷な犠牲、人間の生きた心臓まで捧げられた。太陽がエネルギーを供給するものだから太陽のために命がささげられた。これは野蛮のように見えても石油のために戦争になったとしたらそれも何百万人も死んだら同じじゃないかとなる。
つまり石油文明は富とか便利さをもたらしてもそこに呪いが隠されていたのである。

でも考えてみれば日本は戦争に負けてどん底から這い上がり富を求めて富を手中にした。富を求めることが悪いとは思えないのである。
なぜ豊かになろうとして悪いのだとお前は貧乏がどんなに苦しいものか知っているのかと言われる。日本人は戦前も戦後十年も貧乏だったのである。
そんな貧乏からぬけだすために働いて豊かになろうとした。それが悪いと思う人は一人もいなかった。まずそんなことに気づく人もいなかった。
便利なこと富は全面的に肯定されるものだった。カルト宗教団体でも求めるものは富であり世俗的なものを得ることである。たから政治化して利権団体となっている。
もし欲望を抑えよとか富を求めるなとか言ったらあんな数にはならないだろう。
必ず反発がありあんな膨大て数にはならないのである。
だからどうして富が呪いとなり便利さでも呪いとなってしまったのかそのことを追及しなければならない。
その答えは過去を追及してゆくと過去から現代を見るとわかりやすいのである。
過去というのもその当時生きていた人にとってそれが普通の当たり前のことだったのである。
子供の頃、便所でも風呂でも外にあったからあれだと冬は寒いし相当に不便でありあんな生活に誰ももどりたくないとなるのが当然なのである。
だから過去の不便さとか貧しさがいいものではないのである。
ではそういう生活を今の豊かな便利な生活から問うとまた違ったものに見えるのである。

●アメリカの西部開拓時代は日本の江戸時代とにていた農民社会

それはアメリカでヨーロッパでも実は同じだったのである。
つまりアメリカでも江戸時代のような時があったのである。それは日本とは違っていても何かにているなと気づいた。
幕末から明治時代のころアメリカでは西部開拓時代である。
その時ホイットマンが「草の葉」を書いたときである。
江戸時代ではないにしろアメリカにも江戸時代的なものがあった。
それはホイットマンの詩に象徴されている。
そこで詩にされたのは讃歌されたのは農民であり個々の職人であり平民だった。
アメリカ社会はもともと王様がいないのだから平民が作った国である。
それはアメリカ英語にも反映されているのだか英語をわからない人はしりえないのである

日本では一見江戸時代は士農工商で身分制社会でありアメリカとは異質だと思っているがにている面があったのだ。
アメリカは西部開拓の時代は江戸時代の農民や職人などと同じように素朴であり質実な人間だったのである。だからこそホイットマンがそういう人達を讃歌して詩にしたのであるあらゆる平民が詩の対象となっていた。
そしてその時アメリカには今のような巨大都市がない、人工的なニューヨークのような都市がない、みんな牧畜とか農民とか職人であり自らの手を駆使して働く人たちだった。
アメリカでは学者とか自ら体を使い働かない人は軽蔑されていたのである。
アメリカは極端に実業の世界でありヨーロッバのような神秘的な宗教とか哲学を嫌う面がありそれが極端化すると金だけを求める現代と同じ人達だとなる。

ただその時すでにソローなどが鉄道のことを批判したりして機械文明がアメリカに入ってきてアメリカの原始の田園がそこなわれつつあったのだ。
ただ今から見るとアメリカも広大な田園がありそこで質実に働く人達がいた時代がありそれは江戸時代ともにていた。江戸時代も広大な田園の中で人々は暮らしていたからだ。
それは明治でも大正で昭和でもそうだった。第一大正時代が日本が6千万の人口だったとういことが信じられない、それだけの人口しかないとすると広々とした土地がまだ広がっていたのである。
だから世界の歴史は日本からだけ見なくても世界的に共通なものがあったことに気づいた世界の歴史は孤立していない、マヤ文明やインカ文明のように孤立しては存在し得ないのである。
だから同じ発展経路をたどることが見えてくる。

だからなぜ悲惨な膨大て戦死者を出した世界戦争が起きたのかという原因もそうした世界文明の発展経路の中で必然的に起きてきた。それは石油利権をめぐるとなると石油のために世界が戦争するということは石油文明そものものが戦争の原因だったなるのである。
それは原子力にも通じている。核は平和利用すれば問題ないというがやはりそれだけではなかった。原発でもだから原水協では平和利用ということで賛成していたのである。
石油にしろ原子力にしろそこには何か呪いが隠されていたのである。
電気は便利なものであり悪いというわけではないし車だってそうである。
ただそれが全面的にいいものではなくて何かしらの呪いが隠されていたからこそこんな事態になったのである。
石油文明原子力文明には呪われたものがあったということにもなるのである。
だからアメリカの西部開拓時代とか日本の江戸時代とか戦前の貧乏な時代などと今がどういう関係があのかとなる。でも今だからこそ過去が何であったか見える。
その当時を生きていた人は見えないのである。そこで生きることに夢中でありどういう時代を生きていたのかわからない、戦争で死んだ人達もそうだろう。
ただ巨大な時代の波にのみこまれて死んでいったのである。
それは戦争でなくてもその時代を生きることはただそれぞれが必死になってい生きるということである。
だから自分がどういう時代に生きているなどわからないのである。

大地を耕す人びとが道徳的に腐敗するこなどということはいかなる時代でもいかなる国民といえどもまだその例を見たことがない
そうした腐敗は農民のごとく生計のめに天を仰ぎ自らの土地を労働とに頼るものではなく顧客の偶然性や気まぐれにたよっているもので他への依存は金銭主義をもたらし特性の芽生えをつみとってしまう。(ジェファーソン)


ここではさらに大工とか石工とか鍛冶屋まで否定している。これは江戸時代の農本主義の世界であり安藤昌益の思想の実践された世界である。
それは戦前でもつづいていた炭や薪を燃料とした自給自足の世界なのである。
だから草創期のアメリカと日本の江戸時代には共通性があった。
アメリカでもその時代から見ると今の世界は何なのだとなる。
農本主義で培われた徳性など皆無であり金融資本主義とかになり自らの手で働かない人が巨利を得る異様な世界となっている。
それはその当時のアメリカから比べるとその変容ぶりがあからさまに見えてくるのである


参考ー「楽園と機械文明」ーL・マークス

次回は山村暮鳥の詩などから現代と過去から原発の原因を追及





posted by 老鶯 at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

正月(松と葉牡丹)


正月(松と葉牡丹)

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正月や松に葉牡丹末永く
残月や百才生きて冬芒
大原に老木一本冬の暮

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正月は松がいい、松はときはぎ【常磐木】である。
これの元の漢字は
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常緑だからそうなった。松は日本では一番親しんでいる樹である。
葉牡丹も冬にふさわしくこれも花というものでもないが何か質実で長持ちする
つまり末永くということにふさわしいのである。
人間はやはり交際でも末永いことを望む、簡単に切れるのはいいことではない
ただ人間の付き合いは長続きしない、切れやすい、現代は特に切れやすい
大勢の人と交わっても一過性なのである。ネットでもそうだしそもそもそういう一過性の中で日頃暮らしているからそうなる。


要するに正月は農耕時代の時間の中で生まれたものなのである。その悠長な自然のリズムで今は生きていない、だから松でももともとは正月に飾られたのは農耕的なものの中から生まれたもので常磐木となった。
正月がなぜただ年が変わるだけのものになったかというとそういう農耕的生活が消失してしまったからである。農耕はただ米を生産するだけではない、生活全般にわたる文化であった。それは精神生活にもなっていたのである。
今の職業は多様であり農業が主役ではない、だから都会だと余計に農業的なものから離れるし自然とも遊離しているから正月が何であったのかもわからなくなる。

人間はともかく何でも末永くあることを望む、現代は何でも変わりすぎるから精神が安定しないのである。老人になると変わらないもののなかで暮らすことが安定する。
だからめまぐるしくく変わる現代は向いていないのである。

百才生きていたら枯芒から冬芒になる。朝に残月がでていたけど最近毎日のように見ていたから百才となるとあの残月であり冬芒だと思った。
冬芒は死んだわけではない、故郷の大地に根付いている。だから萱根とかいう地名もあるのも面白い、萱の根っこはかなり強く張るのである。

人間は明らかに長く住んでいるとその土地と一体化してくるから大原の老木は一人の老人に見えるのである。あそこで知り合った老人も死んだけどそうした老人を思うのでてあるともかくまだ正月の内、松の内だけどどうしても正月の気分はたちまち消えやすいのが現代である。「松の内」などどんと言う言葉も死語になっているのだ。
そういう農耕的生活が消えれば自然とそれとともに言葉も死語化してゆくのである。


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