2015年01月06日

30年前から原発で働いていた小高の人の話 (原発のために道路作る時から働いていたー仲間はみんな放射能で死んだ?)


30年前から原発で働いていた小高の人の話


(原発のために道路作る時から働いていたー仲間はみんな放射能で死んだ?)


今日はなぜかあたたかい、昨日まで寒かった、そこで土手で休んでいる小高の人の話を聞いた。
その人は80才であり福島の原発に道路を作る時からかかわっていた。原発を建てるために道路の工事していたときからかかわっていた。
だから今になるとずいぶん古い話だなと思った。
その時まだ六号線もできていないし車も相当に少ない時代である。
そして面白かったのは加藤建材は今はこの辺では大会社だがその時真野川の砂利を運んでいたという、砂利を選別するような作業をしていたという。
あの加東建材がと今になるとそんなことしていたのかと驚く
それは松下幸之助も電球を作っていてあれだけの大会社になったのとにている。
ホンダでももともと自転車に電動付きのものを作りバイクを作ったのが会社の始まりだった。今は大きな会社でもそれだけ小さい時があったから想像すらできなくなる。
成田モヤシは有名だけどあれも自分の家で店をやっていたとき一軒一軒卸していた小規模なものだったが東京の方に売り出して大会社になり社長になっているから驚く
そのモヤシは他のモヤシとまた違ったもので売れたのである。
加東建材の場合は原発ができて工事があり真野川の砂利を運んだことが会社を大きくする要因になっていたことも意外である。

そもそも浜通りで原発はそれだけ経済にとっては大きな力となっていた。
だから原発に勤めていた人が意外と多いのである。
自分もすでに10人くらいあって話を聞いたからである。
話聞くにしても調査しているわけでもない、20人くらいしか聞いていないだろう
それなのに10人くらいも原発に勤めていたというのはやはりこの辺では原発が働き口になっていたのが多いのである。
親戚だった浪江の人も原発の下請けでありそういう人もかなり多い。
原発関連の仕事も多く原発がまたこの辺の高校生の就職先にもなっていたのである
これは女川原発でも同じである。
農業とか漁業ではもう豊かになれない時代になっていた。
原発で働くことは高収入になっていた。だから事故があった後も一様に原発で働いた人は東電をあまり悪く言えないんだよなと言っていることでもわかる。
その恩恵も大きかったからである。

その人はそれだけ原発とかかわっていたのだから原発のことを知っていたともいえる。
ただなぜか原発では俺の仲間はみんな死んだという
放射能汚染で死んだけどそれは肺炎とか別な病気にされて死んだという
そんなに死んだのというのが納得いかなかった
でも盛んに危険な原子炉で働いた人は死んだという。
何でもそうした危険な場所に入るには試験があったという
その試験もでたらめであり合格させて危険な場所で働かせていたという
でもみんな金が欲しくて九州辺りとかホームレスとかを入れて働かせていたとかいう
原発というのはともかく金の成る木だったのである。
だからそこには様々な人々がかかわっていた。
まず浪江とか小高になると原町でもそうだが原発にかかわる人は多かった。
原町だって結構離れているからそうではないようにみえてもかかわる人が多かった。
その人が言うには電源を地下にもっていったのは危険だと自分も見てわかった。
専門家でもない普通の労務者がみてわかることは危険が目に見えていたのか
それだけ危険に対して危機管理がなかったともなる

それから原発を建てる土地をもっている人が最後まで反対していたという
それも津波が来たらどうするんだと反対していたという
かえ、津波のことを土地をもっている一般の人が言っていたということは驚いた。
そして土地を最後まで売らなかったというのもそんな人がいたのかと思った。
最後は売らない土地は囲い込まれてしまったという。
これもどういうことなのかわかりにくい、その人は別に原発に反対する左翼的な人でもないが何か反対して土地を売らなかったのである。
最後は強制収容のようになってしまったのだろう。

それにしても津波のことを言っていたのかというのが良くわからない
津波のことなどこの辺ではみんな無関心だからである。
「津波が来たらどうするんだ」
と東電とかに詰め寄って土地を売らない人がいて最後に囲いこまれた人がいたということは特筆すべきことでないか?
そういう人は他に北海道辺りではいた。
何か反対する人はいるものである。
それは地元でもただ変わり者とされるだけでありマスコミも取り上げたりしない
まずマスコミは本当のことは取り上げない
もしそんなことを取り上げて危険を言うと宣伝費が入らなくなるから取り上げない
でも今になるとなぜもっとマスコミでも原発の危険性を言わなかったのかとなる
それは過剰でも言っても良かったのである。
反対に絶対に事故は起こらないという安全神話が形成されてしまったのである。
それは東電とか政府とか一体になり強制的に作られたものだったのである。

その人は町内だけと小高に帰るという、若い人は帰らなくて困るだろうと聞いたら徐々に帰ってくるだろうといっていた。親を放っておけないだろうとも言っていた。
そして土地と家ある人は帰らざるをえなくなるとも言っていた。
何でも小高の山の方で国民年金を6万くらいしかもらえない女性が補償金を800万くらいため込んで喜んでいるとか言っていた。
確かにそういう人もかなりいるし補償金もらって良かったという人もいたのが30キロ圏内ではあった。もらえない人はそれで不満なのである。
その人は年だからあまり先のことは考えないというのもわかる
ただ年取るとこういう変化に対応しにくく疲れたとも言っていた。
それもわかる、老人は変化に一番弱いからである。
結局小高の人は半分は帰るという、そのあとに帰る人は増えるともいう。
小高の場合は浪江とかと違いそれほど放射線量は高くないからそういえる。
老人は帰りたいという人が多い、でも若い人も親が帰ったら帰るというのはどうかなとも思った。他で暮らしをたてるようになったら簡単に帰ってこれなくなるだろう。
ただ土地と家をもっている人はやはり帰ってくるのかもしれない
あと一年は早いというとき確かに早い
すでに小高の人は帰る準備に入る年になったのである。
他の津波被害地でも5年たてば仮設にいられなくなるからそこからまた大きな区切りとなり問題が生まれてくる。5年はどっちにしろ一つの区切りになる。


あとがき

80才だから死ぬ時期の人もいて死んだと言ったのだろう
放射能で死んだということは肺炎でも心筋梗塞でも証明できない
仲間が放射能で死んだというとき放射能ではなくて
その年だと本当にその病気であり放射能が原因とは言えないだろう
いづれにしろ放射能で死んだなどもうわからない
これからもわからない、そもそも証明できないからである。
だから放射能汚染の責任は問われなくなる

posted by 老鶯 at 16:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

沖縄の石垣島に明和の大津波(1771年) (総合的学問が喪失していることの危険)



沖縄の石垣島に明和の大津波(1771年)

(総合的学問が喪失していることの危険)


●石垣島にはまだ過去の津波の記憶が一般レベルであった



石垣では海の近くに家を建てないという認識があるのだが、それは明和の大津波によるものが大きい。

東日本大震災の時と同様、もしくはそれ以上の大津波を体験した島民はあまり海の近くに家を立てたがらないという歴史が島民には根強い。
http://shinjitsuokinawa.org/?p=84
ここのプログは沖縄の裏事情を語っていて面白かった。

石垣島だけで8439名もの死者を出しました。その後も飢餓や伝染病などの二次災害的な死者も加わり、八重山の人口は地震前の三分の一まで減少しました


この被害も凄まじかった。相馬藩の天明の飢饉と同じである。その時三分の一に人口が減ったからである。これだけの被害があれば伝承も残る。
しかしそれでも忘れられてゆく、慶長三陸津波は1611年だから400年前であり明和は300年前だった。百年の差があるにしろこの記憶はなかなか消えないはずである。
それで石垣島ではそういう言い伝えがあり海岸沿いに家を建てないということがあった。
津波の問題は300年前とかなるとどうしても記憶が薄れてゆく、それが最大の問題だったのである。宮城県であれ岩手県百年前に巨大な津波で大被害になっている、それで高い防潮堤を建てたからその記憶が生々しいからである。
それでも警戒しないで被害があれだけあったことの不思議である。

●科学者が津波を警告しても東電は聞かなかった

相馬藩内ではまずそうした慶長津波の記憶はほとんどない、相馬藩政記に一行700名溺死と記されていたがそれも忘れられていて今回の津波で発見されたのである。
今回の津波で常に話題になったのがなぜ危険な海岸に住んでいたのかということである。まずこれくらいの津波の経験が過去にあれば誰も住まないからである。
少なくとも警戒して住んでいる。
ところが三陸でさえやはり海岸沿いが便利だから津波の後も住んでいたのである。
400年間津波の被害がなかった忘れられた地域ではもともと記憶も伝承もなくなって忘れられているのだから余計に海岸沿いに津波の警戒もなく住んでいても不思議でないとなる
宮城県でも津波に警戒がなくなっていたのは海岸沿いが仙台市の新興住宅地化していたこともある。それで最近ボーリング調査で津波が奥深くまで来ていたことが実証されていたのである。それで学者が警告したら不動産屋が地価が下がるから津波のことなど言うなと脅されたという、そこにもともと住んでいた人も忘れ新しくそこに住む人はもちろん警戒もしない、海岸沿いは涼しいし眺めがいいとかで新興住宅地化した。
でもやはり昔から江戸時代とかその前からも人が住んでいたという地域にはその土地のことを伝えるものが残っている。
それを一番意識するのがその土地に代々住んでいる人達なのである。
それが郷土史である。

 
現代はグローバルに無規制に世界が拡大している。空間が拡大するのは容易である。
一日で地球すら一周する。ところが時系列を過去にさかのぼるその土地の歴史は簡単に理解でない、時間がかかるのである。
だから確かに自分は日本全国を旅したしその場所を空間的に地理的にわかる。
しかし時間的なものは歴史などを理解するのはやはり旅した後でいろいろその場所のことを調べて考察していると徐々にわかってくる。それは時間をかけて徐々にしかわからないのである。それが外国だったら余計にそうなる。
あの場所はそういう場所だったのかと理解するのは相当に時間がかかる。
だから今では7年間近くすら自由に外出もできないが旅した場所を思い出してその場所を
回想で旅して歴史を知ろうとしているのである。

例えば石垣島に行ったとしてもあそこで津波があったとか関心をもつ人はまれだろう。
今回は地元でこれだけの津波の被害があったから日本でも世界でも津波に関心をもつようになったのである。人間の弱点はたかたが一人の人生でも過去はわすさ安いのである。
また忘れないとしたら嫌なことも忘れないから困ることになる。
ただ忘れてならないことがあった。それが津波のような大災害は忘れてならないものだったのである。
宮城県では慶長津波のことは比較的残っていた。でもあれだけの被害があったのは海側に向かって宅地開発が無造作に行われたためである。
その土地がどういう土地なのかなどかまわない、津波の危険を警告しても無視された。
そこも金儲け第一主義であり学者が警告したら不動産屋が脅してきたことでもわかる。
それは福島の原発と同じだった。
最近の津波のことで学者が東電に警告していたのである。それは歴史学者とかではない、科学者が最近のボーリング調査で津波が奥の方まで来ていたその砂が発見されたので警告していたのである。

●大学の本来の役割が消失する危険

普通は科学者だったら科学者のことは冷静に判断する、郷土史家のことなどは無視されやすい。だからそのことは東電で科学者の集まりがなぜ無視したのかわからない。
結局人間の欲望が利益が優先されて科学者もその欲望のために操られる。
STAP細胞騒ぎも何かそうした人間の欲望がからんで起きた事件だった。
科学も社会の中では人間の欲望とかかわりゆがめられてしまうし科学者もその欲望のためにゆヴめられてしまう。
研究費が欲しいとなるとそこに金がかかわり金が欲しいとなり科学者もその金のために働かせられることになるのである。
科学がいかがわしい錬金術になるようになった。金を作るということはそこに人間の深い欲望を実現するものとして科学が変質した。そこに科学の呪いが生まれたのである。
例えば本当の科学者は青色発光ダイオートとかSTAP細胞が実用的にどう利用されるかよりそれが新しい科学の発見であり法則の発見であるとき、実用性よりその法則が発見されたとかの方に興味をもつという、つまり学問と実用は別なものとしてあった。
大学とかは企業とかと違うのだからそうした実用とかと離れて原理とか法則とか純粋に科学を追及する場なのである。そこからたしかに実用的なものが生まれたとしても本来は実用から離れたものとしてある。

大学がすべて実用ばかり追及したらそれは企業になってしまう。
大学の意味は実用とと離れて人間としての教養とか全体的な人間としての知を追及する場である。これもまた象牙の塔などと言われて現実社会と遊離しているとかなるが大学の役目は一面はそういう現実の利益から離れたところにあることも社会としての役割なのである。

デカンショ、デカンショで半年暮らす、アヨイヨイ、あとの半年ぁ寝て暮らす、ヨーオイ、ヨーオイ、デッカンショ♪」
デカンショとは、デカルト、カント、ショウペンハウエルをまとめて略したもの

そういうことが人生の内でも若い内があってもいい、実用ばかりだったら味気ないとなる大学の役目は幅のある教養のある人間を作ることである。
高校とはまるで違った場所だったのである。
それは帝大性となるとエリートだからできたことであったが団塊の世代からは大学も実際は大衆化していたのである。
大衆レベルで帝大生のような境遇を味わえたというのはそれなりに意味があった。
今なら半分が大学がでているからまた違っている、それが悪いとは言えないのである。
文科系大学は税金の無駄だともなり廃止すべきだというのはまさに今の社会にそうした余裕がなくなっているからである。何か実用性がなければ無駄となるのはまた危険である。何か無駄なのかなどこの世ではわからないのである。
無用の用がこの世で必ずあるからそうなる。
津波とか原発事故を考えるにしても何か総合性が必要だった。
それは科学だけではわからない、郷土史なども関係していたしそれは総合的に判断するものだった。その総合性が一番欠けているのが現代でありそれが津波であれ原発事故で問われたのである。


タグ:沖縄の津波
posted by 老鶯 at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係