2015年01月03日

満月の新年(満月は縁起がいいのか今年の平安を祈る)



満月の新年


(満月は縁起がいいのか今年の平安を祈る)


寒椿月の光りて石一つ

津波後朽ちにし木のなお残りつつ年は明けにき家もなきしに
門標に名の残りて家もなし誰が家なれや四年はすぎぬ
誰が参る八竜神社海を見つ残るも家せ人もなしかも
年明けて満月光る良き徴し今年の平安我が祈るかも
我が町に除染に尽くす人のあれ年も明けにき仕事始めむ

今日は寒い、烏崎の方に行った。
満月が夕べでていた。今年は満月の新年だった。
こういう年もめずらしいかもしれない、満月となると縁起がいいとなる
何らか天候とか天体は地球と関係している。
だから古来日月に祈ってきた
天皇も祈ってきた、日月の旗をかかげるのもそのためである。
あれだけの津波も何らか天体と関係していたとも言われる。

烏崎の八竜神社は今も津波をまねがれ残っている。
でも烏崎は壊滅したから誰も参る人もないとなる。
ただ鳥居は新しく建てていた。
烏崎は八竜神社だけが残り海老村は墓地だけが残ったという景色も不思議である。
村は消滅して神社が一つと墓地は高台にあり残ったのである
この風景も不思議である。
そもそも人家が消えれば人がいなくなれば神社でも墓地でも無用のものと化してしまう。人がいなくなったわけではないが近くに新築した家がかなりある。だから以前として墓地でも神社でも参る人はいる。
ただ原発避難者でもそうだが人が町からいなくなれば神社という建物や墓地でも
無用化する。誰も参る者がいなくなるからだ。
人があって住んで神社という建物があり墓地がありうる
実際は建物より墓地より人の方が大事なのである。
いくら立派な建物があっても人が住まなければ無益なものとなるだけである

今年はもう四年すぎて五年になるから早い、今年は一つの区切りだろう。
小高の仮設の人は帰るか帰らないか決めねばならない
どっちつかずではいられないだろう。
そうなると結構厳しいものになるだろう。
農業は怠け癖がついてできなくなっているという
他でも仕事ができなくなっているというのも仮設暮らし補償金暮らしは堕落させたのである、補償金かいつまでももらえると思うようにもなる
だからあとは生活保護だと言っている老人がいる
あの人は遊び人だった。働いた人もいたが大方は働かなかったのである。
とにかくこの辺に多いの除染の人である。今年もそうである。
これも無駄なのかもしれないが地元のために働いている
だからそれを無益だとも言えない
仮設で遊んでいる人より地元のために働いてくれるんだなとなる
この辺はそういう点でずっと何か変なものになっていたのである。

いづれにしろ満月が縁起がいいとすれば経済もそれなりにいいのかもしれい
そんなに悪くならないかもしれない
どういうわけか自分の運気と株の動きが同調しているのも不思議である
この七年間は苦しみと不運つづきだった
去年あたりから良くなり去年は楽だった
今年はただ平安を祈るだけである。
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