2015年01月02日

新年の短歌 (今年は月が死がテーマ)



新年の短歌


(今年は月が死がテーマ)

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故郷の山の端に没る冬の陽や棚引く雲に寂けき

新年に陽の没り静か月いでぬ穏やかなれや水面に写りぬ


毎年新年でも感じが違ってくる。今年は何か月が出ている。新年は普通は太陽がテーマになる。今年は月である。月ということは今年は穏やかなのかもしれない
未年は荒れるともいうが未の性格は穏やかである。素直であり従順なのである。
一面は月と似ている。月は女性であり素直で従順な感覚になる。

今日山の端に太陽が沈んだあとは雲がその沈んだ太陽の光を受けて赤くなっていた。
その光がいかにも「寂光」という感じになっている。
カメラではその状態がそのつま写っていなかった。カメラは安い方をもっていったので写りが違っていたのである。
やはり高い方のカメラは違っていた。そのままを写しだしていた。

新年だけど何かこの情景は死を感じた。静寂が極まってゆく死を感じた。
題は「静謐な死」である。



静謐な死

故郷の山の端の棚引く雲に
冬の陽は没り光り寂けき
あたかも静謐なる死を思わしめぬ
人の苦しみよ
やがて終わらむ
汝は深い眠りにつく
何ももはや言わざれ
汝の幕は下ろされたり
汝はここに眠るべしかな



最後はどこで死ぬのか?これも大きな人間の問題かもしれない、故郷に生きた人はやはり故郷で死ぬのが幸せだとなる。だから原発避難者でも帰りたいというのは老人なのであるそれは生物としての本能のようなものである。
帰巣本能である。それでも客死したとか結構あるし故郷から離れた人も多い。
ただ故郷は別に生まれた所ではない、長く住んでいれば愛着がでてきてそこが故郷になるしかしそこに自然がなければ故郷にはなりえないだろう。
東京のような所が故郷にはなりえない、自然につつまれて死んでゆくより高層ビルの谷間で死んでゆく人工的空間の中の死になる。
それは生物の本能に反している、安らかな死にはならないのである

新年に死のことを言うのも縁起が悪いというのもあったが人間の心境もその時々変わってゆく。冬はどうしても死の季節なのである。



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