2015年01月14日

平泉四季の俳句連作(詩)(新春ー2015) (平泉に集約されたみちのくの歴史)



平泉四季の俳句連作(詩)(新春ー2015)


(平泉に集約されたみちのくの歴史)



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春の虹切れ端残る平泉
一陣の風に花ゆる義経堂
平泉花の盛りに荒れる風
時は過ぐ無量光院跡花の影

杉林木陰の深く金色堂

平泉旅人去りぬ秋の蝉
三代の栄華の跡や秋の蝉
みちのくに秋草の花曲水の跡
平泉旅人とまる夕紅葉

三代の栄華の跡や冬の雨
みちのくや冬の雨ぬる弁慶松
金色の御仏雪に光るかな
池凍り金色堂の光輝かな
大泉が池百羽の鴨の騒ぎけり
柱跡苔に雪ふる平泉
金色堂ミイラ眠りぬ冬深む


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冬の平泉

平泉激しく炎上してのち
みちのく遠く忘れられるかも
観自在王院の池は雪に閉ざされ凍りけり
飄々と樹々は風邪に鳴り
我がその雪踏みてたずねぬ
みちのくの京よりいかに遠きや
西行の歌は心に凍みて残れり
平泉藤原一族は滅びて
残りし千歳の形見なれ
その栄華の日の夢の跡
贅を尽くして匠を残しぬ
螺鈿の巻柱、瑠璃の玉、象牙に硝子
須弥壇の孔雀の生き生きと
はるか富はここに集められぬ
三体の黄金の仏はかがよい
ミイラは納まり眠りにつきぬ
みちのく遠く栄華の日も三代の間
雪に閉ざして凍れる池や
みちのく遠くさらに冷えてあれ
その空気は張りつめ澄みて
塵もあがらず雪も凍りぬ
ただしんしんとみ空より
雪の結晶は舞いつつ浄められぬ
黄金の御仏遠つ世の徴し
みちのくの金色堂形見なるかな

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みちのくというときやはりそこには歴史がありその歴史を背景として自然が映える。
原生の自然とは違い人間の歴史的なものが反映される美となる。
北海道には歴史がない、原生の自然があるのが魅力である。
でもやはり歴史があるのとないのとはかなり違っている。
近江の魅力は様々な歴史に彩れて自然があることである。
京都もそうなのだが都会化しているから意外とその魅力を感じることがむずかしい。
ただ人間には共有された地域地域に歴史がある。
それは相馬藩という小さな単位でも400年くらいの歴史が刻まれている。
それで今回のように避難して人が住めなくなったとき歴史が問題になる。
人間は歴史を共有して自然を共有するのである。
それが生きるアィディンティティとなる

みちのくと言っても広いからなかなか共有しにくい
ただ平泉が古都でありそこに歴史を共有するものがあることは確かである。
最初のみちのくの統一国家の象徴としてあった
つまりみちのくの王として藤原氏があった。
ただそれもはかなく三代で終わってしまった。
それでも単なる夢ではなくみちのくの統一国家としてあったからこそリアリティがある
ともかく地元でも相馬藩でもその歴史を理解するのには時間がかかるのである。
近くだと四季を通じて行けるから理解が時間的に深めることができる
旅だと一回くらいしか行けないとあとで忘れ安いのである。
ただ芭蕉が優れていたのは一回の旅でみちのくの歴史を知り自然を知り俳句を残したことである。
その俳句が極めて深く陸奥的なものになっていたのである。
みちのくの歴史と自然の特徴を一回の旅で会得したというのも不思議である。

もちろん元禄だから今の時代とは違い鎌倉時代もまだ違ったものと感じていたのだろう。ただ時代をリアルに感じるのは自分の生きている百年くらいかもしれない
今だと明治維新からは祖父母が生きていたということで身近である。
江戸時代になるとなにかイメージできないから誤解が多くなるのである。
芭蕉はただみちのくだけではない、中山道でもその特徴を俳句にしていた。
「月の友」とかいうのもそうである。中山道は月がにあっていたのである。
自分も中山道を旅してふりかえると月があっていたしその時期に旅したので会得したのである。
俳句はそもそも一句だけではあまり芸術としては短かすぎるから現すことがむずかしい
ただ連作として読むとそれなりのつながりがあり読みごたえがてくる
芭蕉の句も奥の細道として連続として読むから一つの文学古典となったのである。
ただそれがみちのくを特徴づけるものとして後世に残った。
芭蕉によってみちのく的なものが顕著にされたというのも不思議である。
みちのくというと必ず奥の細道をイメージしていることでもわかる
それほど芭蕉の旅の俳句でみちのくがイメージ化されるようなったのである。

みちのくというと寒い辺境なのだから冬がふさわしいともなる。
冬のみちのくはまたみちのく的になる。それでもみちのくは広いからどこがみちのくかがわかりににくい、福島県はみちのくと感じるものが今はない、会津の方はまだ雪国になっているから違っている。中通りには奥の細道を感じるものがないのである。
新幹線が通っているのもそうだし宮城県もそうである。
平泉とか山寺には感じる。要するに現代が旅がつまらないというとき遠さの感覚がなくなったからである。
みちのくが江戸時代でもどれほど遠かったということが実感できない
新幹線で二時間ちょっとかとなる、はい行ってきたよ帰ってきたよでは何も旅にならないし印象にも残らないのである。
だから石巻の方の石捲線を来るとその電車の便も不便だからみちのくの広さを感じるのもいいのである。早く着きすぎることによってその土地のことがわからなくなっている
それをするにはつくづく自分がふりかえってみて時間が暇が必要だったなと思う。
余程の暇人でないとできないことだったなと本当に思う。
今や近くすら介護とかで行けなくなりわかった。
一日旅することができない、旅は金より時間だったのである。


みちのくは冬にふさわしいとなると岩手県はより寒いし辺境になるから雪もふるからいいと思う。福島県はまだあたたかいということもあり雪も中通りでもそれほどふらないからである。冬は空気も澄んで雪におおわれると浄化された世界になる。
そこに金色堂が映えるのもいい、四季に金色堂は映える。
ただ金色堂は金閣寺とは違い外にないから自然に映えないのである。
みちのくの冬はやはり他の冬とは違う。
みちのくは何か霊場として眠る場所としてふさわしいのかもしれない
そういう歴史的風土であり何か産業や商業の土地ではない

その土地がもっているものがありそれにあったものとして文化もあるのがいいのである。その土地の役割があるのがいいのである。みんな同じだったらつまらなくなる。
だからみちのくは騒々しい活動の場となるのも問題なのである。
だから癒しの場とか霊場、安らぐ場所としてあるのがふさわしい。
みちのくといってもすべてがそうではない、みちのく全体の特徴としてであり個々にはまた違っている。
ともかく回想の旅というのはあることに気づいた。
旅しなくてもこれだけ旅していれば以前として旅がつづいていることに気づいたのである芭蕉のように生きているそこにあることも旅であり旅の一過程一行路になってしまうのである。





 
タグ:平泉

2015年01月15日

怨念の継続が歴史 (明治維新での幕臣の怨念ー心に青雲の著者の怨念ーイスラム国の怨念も同じ)


怨念の継続が歴史


 
(明治維新での幕臣の怨念ー心に青雲の著者の怨念

ーイスラム国の怨念も同じ)


●明治維新以来長州系の政治家支配の怨念

汚職の大元締めみたいな書き方をされていた田沼意次の再評価は大石の考察による。私の母方の先祖は田沼意次の家来だった関係であったから、田沼が実は清廉であって、彼の経済施策が評価され、むしろ松平定信の改革が失敗だったとされ、ささやかながら嬉しかった。実に意次の墓には、明治になって金網がかけられ、死後も犯罪者扱いされていたようだが、つまりは明治政府の元下級武士どもはそこまで性悪だったのである。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/8 (心に青雲)

心に青雲ではなぜあれほどユダヤとかキリスト教に怨念すら持っているのか不思議だったそれが今日のプログでわかった。そして天皇も批判しているのかわかった。
つまり著者の先祖が幕臣だったということである。明治維新に勝利した薩摩長州に恨みを抱いていた。
それで天皇を祭り上げて権力をとった薩長を激しく批判するようになった。
明治維新でもそこには権力争いがあり負けた方には犠牲が出たから怨念を持つようなりその怨念が消えないのである。会津は有名であり怨念を売りにしているとういこともある。それだけの恨みをもつのも当然だとなる。
それで未だに長州に対して山口県と仲が悪いとなり実際につきあわないとかなっている。


人間は何であれ怨念は簡単に消えない、百年過ぎても消えない、怨念はその子孫にも継続されているのだ。
自分の家などはそうした家柄でもないから祖父母のことは明確にわからないからそうした怨念はない、むしろ母方の系統は祖父が事業に失敗したことで良く見ていない
するとなんか墓参りでもあまり誠意をもってしないということにもなる。
父方の墓とは全然違うものとなっている。母自体も父親を良く思っていなかったのである父親の失敗で散々な苦労を強いられたからである。
明治時代ならまだ祖父母を知っているということもまだある。
でも田沼意次となるとそこまでたどれるのかとなる。
もちろん京都辺りだと江戸時代前から先祖をたどれる家柄もあるから違っている

では「心の青雲」の著者が明治維新で権力を手にした特に長州を批判しているかとなると長州が天皇を祭りあげて江戸幕府を倒したという怨念をもっているからである。
天皇と長州は一体でありそれらが権力をとったことでその後の日本はゆがめられたという怨念があったのだ。
幕臣だった人には明治政府に怨念をもっていた武士は相当いた。西郷隆盛が官軍だったのに武士の身分制を廃止するのに反対して天皇にも逆らうことになったことでもわかる。
実際に長州の系統が今日まで政権をとってきたのである。
歴代の首相をみれば長州系が政治を牛耳ることが明治維新以来つづいてきたのである。
明治以来まで権力の継続があった。今の安倍首相も長州系である。
そして長州系の支配者は何らかの縁戚関係にあることも明らかなのである。

●イスラムのテロも怨念

そしてなぜあれほどキリスト教とユダヤ教を批判しているのか?
それは欧米がキリスト教でありユダヤ教だからである。
太平洋戦争は欧米の植民地化するものの戦いであるとしているからである。
ただ明治維新の起こったのは上海で高杉晋作がアヘン戦争を経験していて植民地化されるとして明治維新を推進したのだから長州でも最初は攘夷であった。
明治維新は紆余曲折していたからわかりにくい、ただ歴史を怨念としてみるとき個々人でもその犯罪の動機がわかりやすい、まず動機がある人はどうししても最初に疑われるのである。殺人までになると相当な恨みとか動機があるとされるからである。
私憤か公憤ともなりやすいのが人間である。

イスラムのテロでもそれは宗教的な理由だけではない、単純にみれば怨念なのである。
イスラムでは欧米に植民化されたのだから当然恨みをもっている。
また今も貧乏だしそれも欧米に対しての恨みとなる。
それは日本国内であれ格差社会になれば必ずそうした不満が怨念にもなる。
イスラムではアメリカ軍に欧米軍に殺されているのだから当然だとなる。
家族が仲間が爆撃で殺されたら恨みをもち復讐したいとなるのが当然である。
だからフランスのテロでもテロの犯人が仲間とか師が殺されたから復讐だと言っている。宗教の対立というよりそこで現実に殺し合いが行われることで怨念をもつのである。
動機はもともとそうした怨念なのだけと神をもちだして正当化しているのが真実である。創価なども様々なことで怨念をもつものが集まり信仰もその怨念の宗教となる。
神様、仏様怨念をはらしてくれと祈っているのだ。
それは個々人でもそういうことがあるし集団でもそういことがある。
人間は何らか必ず怨念をもつものであるからそうなっている。

欧米がキリスト教とかユダヤ教とかでありそうなるとその宗教まで怨念の対象になる。
それはイスラム教が悪いと欧米でテロで殺されるとなるのと同じなのである。
一見宗教の対立のように見えるけど双方にすでに殺されたということから深刻な怨念をもつようになっていて宗教対立になる。もし殺し合いをしなければそんな深刻なものにはならないのである。偶像崇拝は別にユダヤ教でもキリスト教でも固く禁止している。
そもそもイスラム教はユダヤ教からアブラハムの教えに基づいているのである。
だから似た者同士なのである。
その根底にあるのは宗教というより植民地化されて搾取されたとか差別されたとかそうした怨念があり宗教対立になっている。
宗教にこだわるとここに死にそうな人がいたとしてもお前は宗教が違うから助けないとなる。だからフランス革命自体が宗教から分離した政教分離を目指して人権主義(ヒューマニズム)になったのである。それは宗教と関係なく人権があるとなるからみんな平等となるということである。これも問題があるにしろそれも宗教があまりにも政治まで支配したから起きてきたヨーロッパの歴史から必然的に生まれたのである。

●蝦夷の怨念、幕臣の怨念、中国韓国の怨念

ともかく明治維新で幕臣だった武士は北海道に開拓に入ったとか辛酸をなめた。会津は特にひどかった。だからその怨念は継続されている
また古くは蝦夷があり蝦夷も滅ぼされた、その怨念も東北の地で継続されている。
蝦夷の歴史が消されたのは大和王権によって消されたのである。
だから東北には蝦夷の怨念がありそれを鎮めるのが祇園祭の起こりだったとも言う。
歴史は権力争いだから必ず勝者と敗者がいて敗者は怨念化する。
京都にはそうした怨霊を鎮めるための神社がそちこちにあるとか京都は政争の場だからそうなっている。
テレビで未だに寺の柱に応仁の乱で争った槍の傷があるのだから歴史も古いのである。
明治維新でも勤皇と新撰組とかの熾烈な争いの舞台となったのは同じである。

ただキリスト教にしても内村鑑三は武士の出であり盛んに薩摩長州の明治政府の腐敗を告発しつづけてきた。だから別にキリスト教だからと言って全部が欧米憎しとはならない。それでもほとんどの教会は欧米と通じているということで財政援助されているから宗教も利害関係にこの世では必ずまきこまれる。
韓国のキリスト教関係はこれも日本を支配するためだというのも統一教会などはそうだろう。そういうふうに宗教も背後に権力があとおしするから警戒される。
内村鑑三はアメリカに留学してもアメリカの拝金主義を嫌っていた。
反アメリカでもあったから何ら援助受けていないのである。
明治維新では幕臣だったからその出自から薩摩長州に反発した。
武士道キリスト教を唱えたのもそのためである。

いづれにしろ個々人も怨念がありそれが大きくは歴史の怨念となって継続される
怨念が様々に一団化して共有化されそれが歴史として継続されるのである。
中国でも韓国でも怨念が継続され日本を攻撃する。
日本は日本で戦争で死んだ人の怨念が深く刻まれている
これは欧米とイスラム国との対立ともにている。
こうした歴史の怨念は消えないし解消されないのである。
経済的に優位にたち今度は逆に日本でも中国に支配されるとその怨念を晴らしたとなる。現実に最近日本は経済も低迷して中国から売春ツアーがきているというから
日本も同じであり一旦おちぶれればどこでもそうなってしまう。
これもカルマだともなる、さんざん日本人は外国でそうしてきたから当然だともなるのである。
「汝の敵を愛せ」と言ってもキリスト教国でも実行されていない、むしろその逆である。殺されたら殺せというのが国同士とかなるととめられないのである。

 
タグ:怨念の歴史
posted by 天華 at 16:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2015年01月17日

船旅の思い出(詩) (ロ-マからギリシャのオリンピアへ)


船旅の思い出(詩)


(ロ-マからギリシャのオリンピアへ)


新年に異国の港に寄る船や我が旅せし日を思い出すかな

外国(とつくに)の街は古りにき教会の鐘の鳴りつつ船は去りにき

バスにのるトルコの人のキプロスにヨットを持つと金持ちなるかな


ヨットで世界一周した人のテレビ放送をみた。あんなふうにして世界を旅したらいいなとうらやましく思った。船旅でもヨットの旅は全く違っている。
地中海はヨットの旅に向いている。だからヨットをもって各地の港を回る人がいる
ただヨットは相当な金持ちしか趣味にもできないだろう。
ヨット一艘がどれくらいするのか何千万になってしまう。
だから冒険でも贅沢だなとみる。
それは貿易ではない遊びだからである。ヨットをもつ人は日本でも大金持ちだからである
ただ自分は電車でも自転車でも船旅をずいぶんしたからいつも旅しているからいつも旅している気分なのである。だからテレビをみてヨットで旅する人と一体となったということがある。
本当にあそこはアドリア海でも歴史があるから魅力がある
地中海は船旅に一番向いている海なのである。
トルコで出会った人はヨットをもっているというから相当な金持ちなのだろう
キプロスは半分はトルコの領土だからそうなっている。
キプロスには船で立ち寄って何時間で去った思いである。
一応よったので記憶にある。ヨーロッパは歴史があるからそれを調べたら尽きないものになるだろう。
地中海とにているのは瀬戸内海だが規模が小さいから大航海時代にはならなかった。
地中海は規模が適当で大西洋に出てゆく内湖のような役割を果たしたのである。

つまり歴史も常に地理なのである。地理によって制約されたり歴史が作られているのである。
ギリシャの魅力は古代の遺跡と自然が多様なことである。海あり島あり山ありと日本ともにている。変化に富んでいる。ギリシャは海に拡大して勢力をました。
植民都市を各地に作った。
ナポリはネオポリスでありギリシャ語から発している。そういうギリシャに由来するものか多い。だからギリシャのコインが発見される。
それより前はフェニキア人が商業の民として活躍した。
アルハベットと商業するのにどうしても必要だったのである。
つまり共通の言葉をしゃべり文字を書くことで商業が成り立つ
ちょうど英語のような言葉がグローバル化すると必要なのとにている。
地中海は商業の民をはぐぐみ大航海に向かったのである。
それは地中海があったからである。

イタリアのブランデシからギリシャに船で向かったとき、嵐だった。かなり船はゆれたのである。その時思い出したのは難破したギリシャの船が海底から発見されたことである。そこにギリシャの壺が大量にあった。それは貿易のために作られ運ばれたのである。
やはり船の旅は何かいい、なぜなら船は港港に寄ってまた去ってゆく、それは旅でも同じだが船の場合は到着するとき去ってゆくときそこに旅情が生まれるのである。
船の旅は時間がかかるからこれも時間がないとてきない
沖縄までぼろい船で東京から一週間かけて行った。
一週間もかかるということは今はないだろう。
結局自分はそれだけ暇でありそれが旅に費やされたのである。
これだけ旅してもまだ旅していないところは多いから世界を知るということはそれだけ時間がかかるようになった。

ヒマラヤとかはもっと見たいと思ったがこれも容易ではない、金より時間とか体力の問題になってしまったのである。
ブリンディジからギリシャのオリンピアに行ったのだがイタリアの南は北と違い相当貧乏らしい。電車で雨がふっていて中世の城も見えた。あの時も日本人が同乗していた。
外国旅行して日本人に会わないことはなかった。だから一人旅でも日本人にあう、そしてあのころはバックパッカーの時代でありどこかの安宿に長くいることになっていた。
そういう時代も終わった、ただ以前として外国は身近になってゆく
だからこれからも庶民レベルで外国の発見がある。
どっちかというとエジプトとか大陸は広いというだけでなじめない、中国もそうである。その広さが日本とあまりに違っているからなじめないのである。
あれだけ広いところに住んでいれば心も広くなるということは感じる
電車の時間でもルーズなのは大陸的などと言われるのはそのためである。


ローマからギリシャへ海を渡る

船はローマをいでぬ
地中海は荒れ船はゆれしも
かつて地中海をギリシャの船は
美しき壺を運びぬ
船は波浪にもまれ沈み
海底に破船は久しく埋もれ
そこに大量のギリシャの壺
ああ かの時波は荒れしも
かなた望むはギリシャの雪の高峰
清浄にしてゼウスの棲むや
船はギリシャに着きぬ
ドラクマを手にとり
そこよりオリンピアよ
巨木の根のようにゼウス神殿の
石柱の跡のここに残りぬ
競技場に春の野の花の彩り
そこに逞しき男等は力の限り競いぬ
その誉れはここに刻まれしかも
その観覧席の石の座席はいかにも古し
二千年の歳月はここに過ぎにし
熱き応援もここにありしや
その熱情は覚めて石のみ残りぬ
春の風はここに吹きそよぎ
悲しきやヒヤシンスの神話を語らむ



オリンピアはゼウスに捧げる宗教的行事だから今とは違っていた。なぜあんなに石の柱があるのか体育館の跡とか神殿の跡である。石だから二千年とか残っている。
それは本当に古い、石も相当古くなっている。雨風に二千年打たれて残っているのだから当然だともなる
オリンピアで競技が行われるとき戦争も中止されたのはゼウスへの宗教的行事だったからである。神聖な行事ともなっていたからである。
あの時はまたユーロではなくドラクマだった。だからリラとフランとか交換するのがめんどうだった。ユーロになってからは旅していない、ただかえって国が変わればコインも変わるというのが面白いともなる。みんな同じだと面白くないともなる。
ただ不便なことはありユーロだったら便利なことは確かである。


 
タグ:地中海

小高のジレンマ (南相馬市になっているから複雑になった)


小高のジレンマ


(南相馬市になっているから複雑になった)


小高のジレンマというときそれは小高だけではない、南相馬市全体がジレンマに陥っている。
浪江とか双葉、大熊やその他は町単位で補償金でも交渉している。
だからわかりやすいのである。
小高は合併して小高町ではない、南相馬市なのである。
いい面としてはイワキの方に移住した双葉とか大熊町とは違い南相馬市内に移住していれば以前として南相馬市民なのである。だからイワキのように激しい反発はないとはいえるただ鬱積した不満が補償金問題で特に鹿島区にある。
原町区とはない、原町区には仮設も少ないこともあるし原町区は一人十万二年二カ月もらっていると言われるから補償金には不満がないみたいなのである。
最初混乱していたとき、鹿島区に市の財政から金を出すということに反発した人がいた。その時は市の財政から緊急に出したから反発があった。
これも同じ南相馬市だったら何らかの配慮があるのが当然だったのである。
何か合併前の小高、原町、鹿島にもどってしまったのである。
南相馬市として何か対策がなかったのである。
だから南相馬市は補償金問題で分断されてしまったのである。
浪江とか双葉とか他の町はそういうことはないのである。

小高のジレンマが小高だけにあるのではない、原町や鹿島に住んでいる人達にもある。
なぜなら小高は南相馬市でありそしたら南相馬市として対策を考えるし参加しなければならない。
別に小高に住んでいなくても南相馬市民として考えざるをえない、それはジレンマなのである。
そもそも原発は福島県全体の問題であり原発が建つ町や市だけの問題ではなかった。
だから何ら関係ない飯館村まで悲惨な状態になったのである。

小高の人が仮設に住んでいて補償金で遊び暮らしているというときそれも反発された。
現実にすべてではないにしろそういう面が強く出たのである。
あの人達は補償金をがっぽりもらって遊び暮らしているからいいとかなった。
それは鹿島区では補償金もらえないから余計に反発が大きくなった。
実際に仮設では何かそういう人の方が多い感じなのである。
何もすることがなくなりギャンブルになった。
飯館村でもギャンブラーになったとか言われる。
飯館村にも馬券場があったのだからどこでもギャンブルはある。
鹿島区にも馬券場がありそこでは食事までできるから結構いい施設なのである。
そんなところが繁盛しているというのも異常である。

だから前の親戚がパチンコ屋に借金返済のために勤めていて忙しい忙しいと
自分が苦しいとき言っていたのもこの辺の異常な状態を示していたのである。
パチンコするための人に働いていて困っている人はないがしろにされていた。
それも金のためそうなったのだから仕方ないにしてもそういう異常なことが
一身上でも起きていたのである。
金になってパチンコ屋でも働く場所があるからいいじゃないだけではすませない問題だった。
第一人手不足のときパチンコ屋に人がたりないなどと言っていること自体おかしいのである。でもパチンコ屋が繁盛してそうなっていたのである。
これはここだけではない、避難した地域でどこでも起きている問題だろう。
他でもプィリンピン女性を連れ込んでいるとか知人が言っていた。
東京まで行って競馬であれ風俗でも遊んでいた人がいた。
なんか仙台とか遠くで目立たないように遊んでいたという。
そういうことがあると何なのだろうとなる。

そういう人達は復興など考えないだろう。現実に年だからあとは生活保護だといっていたそういうのもまた南相馬市民だから困るのである。
そういう人達を市でかかえると負担になるからである。
要するに小高のジレンマは一つは小高は小高で復興しろと言っても南相馬市民だから南相馬市民がかかわるから違っている。行政でも小高には立派な市役所がありそこで仕事している。そこでは小高の人だけが働いているのではない、南相馬市民が働いているのであるだから行政でも南相馬市民として対処しているのである。
それは行政でなくても普通の市民でも小高は小高町だけで復興しろとはならない
だから小高に対してきついこともいい、何とか真面目にやれよはか苦情を言うことになるそれは同じ南相馬市民としてあるからそうなる。


そもそも原発の問題は双葉とか大熊とか小高とかが町単位で考えるものではなかった。
これだけ広い範囲にわたって被害が出たからである。
県政の問題であり一つの町や市の問題ではなかった。
だから県の責任も大きいのである。
地権者の許可があり漁業権者の許可があり県の許可があると建てられたというのも
原発という重要課題を決めるにはあまりにも変なものだったのである。
現実に県庁のある福島市まで被害があったのをみてやはり福島県は自業自得だなと思った何か今回の原発事故では被害者も自業自得だと思った。
なぜなら原発の被害を受けたところは何かしら恩恵もあり福島市だって県庁があるから
責任があったとなる。そこが被害を受けたのも自業自得だと思ったのである。
福島市では遠いから関係ないと思っていたろう。

小高もすでに東北電力で原発の工事がはじまろうとしていた。
それも中止になり避難区域になったのも自業自得だったのかとなる。
それは合併する前でありだから小高町だけで原発を建てるということも問題だったのである。でも実際は小高町の許可があれば建てられるというふうになっていた。
原町や鹿島は関係ないとなっていたのが原発だったのである。
いづれにしろ原発はむしろそういう市町村の枠をとりはらい結束して反対するものだったのである。
自分たちが利益になればいいというのは問題だった。
現実に双葉町と大熊町は競って原発を誘致したのである。
大熊町で利益を得ているから双葉町にも利益を得るべきだとなっていたのである。
これまたこの辺は原発でただ利益のみを金をのみを求めていたのである。

結局このジレンマの解決はどうするのか?
それは小高の問題であり南相馬市の問題である。
もちろん小高に帰れと言っても強制はできない
でもやはり小高だけではない、南相馬市の問題だから困るのである。
現実に南相馬市民が小高の市役所で働いているからである。

ジレンマ、ディレンマ (ギリシャ語:δί-λημμα、英dilemma) とは、
ある問題に対して2つの選択肢が存在し、そのどちらを選んでも何らかの不利益があり、態度を決めかねる状態。
タグ:小高
posted by 天華 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年01月18日

原発事故で失われたもの (家や故郷もそうだが仕事も失われた)



原発事故で失われたもの


(家や故郷もそうだが仕事も失われた)


●仕事も失われてはじめてその価値をしる


漁師の人が「自分がどうしてこの浜にいるのかわからない」とテレビで言っていたが漁師なのに魚をとらないとしたら自分はなんなんだという疑問が生まれた。でも手厚い補償金がでているから別に生活には困らないのである。補償金で暮らせるけど魚をとらない漁師は漁師なのか、ただ毎日海をながめて何もしない、それはもう漁師ではないだろう。農家でも補償金がもらって働かなくてもいいにしても毎日暇だからパチンコばかりしていたら農民なのかとなる。働くということが単に金を得るという行為ではない、自然界の中で働くことは第一次産業は自然と直接かかわるものでありその仕事自体が他の仕事と違っていたのではないか?何かそうした根源的なことが問われたのが津波であり原発事故だった。
http://musubu2.sblo.jp/article/74006067.html

原発事故で失われたものはいろいろある。その中で注目されなかったのが仕事だった。
仕事など漁民でも農民でも苦労の割りには金にならないとか今は不満ばかりだった。
現代人はたいがい仕事には不満であり金のために働く消費の方に重点が置かれるからそうなる。いい車が欲しい、家が欲しい、うまいものが食べたい、子供にいい教育をさせたいとか仕事そのものに価値を見いだしている人が少ないのである。
仕事は当たり前にあるものでありむしろ苦労なものやっかいなものとしてあるようになった。
でも今回の原発事故で補償金で仕事もしなくても食べていける、食べるだけなら前より贅沢している人が増えたのである。

ただ仕事がなくなったときどうなったのか、飯館村でもギャンブラーになったというけど何もすることがなくそうなったのである。
前から馬券売り場は飯館村にすらあった。なんかそぐわないと思っていたがギャンブルはやめさせることかだできない、だから農村でも別にしていたのである。
下々の考えることは何か食べて金になればいいじゃないかとなるのが多い。
この辺で馬券場ができるとき反対した人達もいたが大方は賛成だった。
その火とが言うには馬券場でも掃除の仕事でもできるからいいんだよなと言っていた。
ともかくその人は生涯貧乏なのでそういう発想しかできないのである。
ギャンブルは必ず何か弊害がでてくる。回りも悪影響を及ぼすのである。

現実に自分もそういう被害を受けたのである。
この辺ではパチンコ屋が仕事しない人で繁盛した。
その時パチンコ屋で人手がたりないたりないと勤めている人が言っていたがその時病院であれスーパーであれどこでも人手不足で困っていたのである。
そういうときみんなが補償金あるからとパチンコ屋におしかけてパチンコ屋で人手たりないから人手が欲しいというのはこの辺の事情にそぐわないものたったのである。
そういうことをパチンコをしている人は感じないのである。
そんなものハチンコししている人が掃除なり何なりしていればいいのである。
その時自分は病気で苦しい面があり腹ただしくなったし怒りを覚えたのである。
だから小高の人は帰れと言ったのである。

●仕事の意味を問うことはなかった

結局原発事故で失ったものに仕事があったのである。
仕事の意味を意識している人は少ない、仕事も普通にあるものであり苦労なものと感じていた。それが一旦仕事をしなくてもいい、遊んでいてもいいよとなったときギャンブルになったのである。飯館村すらギャンブラーになったのである。
その弊害は周りの人にもでてくる。
あいつらは遊んで暮らせる、金がもらえるから立派な家も建てた、俺たちは働かせられるだけだとかなってイワキで原発避難者にいやがらせになった。
金があるからいいじゃないかというのが現代の生活である。
でもこの辺の事情ではそうはならなかったのである。
それによって周りに迷惑をかけていたのである。
ただギャンブルしている人はそのことは感じていない
普通の前のような状態だったら馬券場で掃除の仕事できるからいいよ、この不景気で困っている人はいくらでもいるんだから仕事ができることはいいことだとなる。
でも原発事故ではあらゆる場で人手不足の時、迷惑になっていたことに気づかないのである。

つまり人間は相手のことを考えないことが多すぎるのである。
自分が病気で苦しんでいるとき、借金の請求にきてあわよくば財産を全部とれるとかまでなって迫ってきた。借金している人は相手のことなど考えない
かえって死んだら金が入るぞとかしかなくなっているのだ。
だから本当に今ではその人には怒りを覚える。
その人が事業に失敗したのは当然だと思った。
まず相手に対する気遣いのない人だったのである。
その人はすでに殺意すらあったのだから殺人犯に近いのである。
その人は技術的に能力あり優秀なことは誰でも認めていた。
でも人間的にモラルの面では相手をきづかうことなどない人だった。
そういう人は人を使えないだろうし大きな仕事はできない
経営者と技術職はまた違っていたのである。
東電の上に立つ人にも何か経営者としてそういうことがあった。
原発をたつ周りの人など眼中になかったのである。
地元の人との交流はただ金を通じてなされていただけなのである。
地元の人は人でそれでいいとしていたのである。

いづれにしろ弱者をいためつける弱さにつけこんで責めてくるのは効果的である。
何も言えないし従うほかないからである。それは病院でも医者や看護師は悪魔に変質するというのもそのためである
そういう弱者になった人は絶対にその恨みは深いし忘れないのである。
だからいつか復讐されることを恐れるべきである。
例え現実にはなにもなくてもその恨みの念を受けることになるから気をつけるべきである
ともかく人間は仕事について仕事そのものの価値について考えない、説く消費社会になった現代では金を稼いで消費することが生活になっているから考えない
より多く金をもらって消費することの方が価値になっているからだ。
過去をふりかえると仕事そのもの価値を見いだしていた時代があった。
その時は逆に極端な貧乏時代だったのである。

●農民自身に価値を見いだしていた時代


父上のおん手の詩

父の手は手というよりもむしろ大きな馬鋤(からすき)だ
合掌することもなければ
無論人の手をかすめることも知らぬ手
生まれたままの百姓の手
まるでじべたの中からでも掘り出した木の根っこのような手
人間のこれがまこの手であるのか
ひとは自分の父は馬鹿だという
ただその手を思うと自分の胸は一杯になる
その手をみると自分は涙で洗いたくなる
いまもその手は骨と皮ばかりになって
なおもこの寒天の痩せた畑地を耕している
ああ自分はなにも言わない
自分はその土だらけの手をとってとしいただき
この所ではるかその手に熱い接吻をしている
(山村暮鳥)

天日燦として焼くごとし、いでて働かざるべからず(三野混沌)



トルストイも農民の手に注目していた。手をみればその人のことがわかったという。

無論人の手をかすめることも知らぬ手

農民は人の手をかすめることがないというとき、それはその当時そうだった。
第一農民に国から補助などなかったのである。
この価値観は八割が農民だったときの社会に通じる価値観だった。
ただ今でも人の手をかすめるというとき例えば仕事をみると公務員だろうが銀行員だろうが政治家だろうがそういう人は人の手をかすめている職業である。
お前は何なのだとなるとその一員だともなる
農民が一割にも満たない社会はそうなる
でも最近野菜が二倍以上高くなるとまた考えも違ってくる。
この辺では野菜すら作っていない人が多いし補償金もらっても金だけが頼りになる生活は不安になるだろう。
どうしても現代の価値観は金で計られるのである。
米が安ければ農民は価値ないものとされるのである。

農業社会でなくなったとき農民を基本にした価値観は消失したのである。
農民社会だったら農民が一番価値あるものとなる
それは江戸時代からつづいてきたのである。
その時農民に価値あるものとなっていたのは機械が発達していないからでもあった。
今の農民はみんな機械でしている
すると人間の手に価値を置かないのである。
仕事は機械がするものだとなると人間の手には価値がないとなる
そういうことは社会全般で起きている
苦労仕事は機械にさせて楽をしたいとなる
だからこのように人間そのものに価値を置くことはないのである。

だから前から書いてきたけど原発事故はそういう社会状況が極端に現実化しただけではないかとも思った。
仕事なんかつらくて農業なんか金にならないからしたくない


息子も跡継ぎにはならんよ
漁業では暮らしていけんよ、今の時代はな
・・・・・・・・・・
じゃ、農業をするな、原発事故で補償金もらっていいじゃないか
仕事なんかするな、遊んでギャンブルしてろ

漁業で暮らせないから漁業権を東電に売り渡した
別にいいじゃないか、事故後も手厚い補償が継続されるんだから
仕事なんかしたくなかったのだし願ったりかなったりだろう

もともとお前ら故郷などどうでもよかったんだよ
一億円もらったら故郷を出てゆきたかったんだよ
これ幸いじゃないか、と出て行ったとなる


極端になればこんなふうになるのである。一見原発事故の災難からすべて来ているように思われる。その前からそういう社会状況がありそれが原発事故で極端な現象として現れたにすぎないともいえる。
だから過去をふりかえるとその価値観の相違が大きくあり果たして今の時代の価値観に生きることが良かったのかともなる。
貧乏はいやだというのがわかっていても何か根本的な価値観の相違が問題の根底にある。つまり人間には価値がない、労働には価値がない、それより機械に価値がある、金がすべてだとなる。
だからこの詩のように農民自体に価値を見いだす人は今はいないのである。
だからこういう時代が幸せなのかというとまたわからなくなるのである。
今の価値観が根本的におかしいのじゃないかとなる。
そういうところからも原発事故が起きてきたとも深く考えればあることが見えてくるのである。
ともかく漁民が久しぶりで魚をとったとき喜びにあふれていたし農民を収穫を手にしたとき喜びにあふれていた。それはそれが金になるというのではなく収穫そのもの仕事そのものの喜びだったのである。それを仕事を失って見いだしたのである
posted by 天華 at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年01月19日

寒鳥の写真二枚(写真はシャッターチャンスが勝負)


寒鳥の写真二枚(写真はシャッターチャンスが勝負)

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海老村の津波の跡


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宮本武蔵の絵

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鹿島区の墓地のある復興団地の公園

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山鳩や百輪赤し寒椿

山鳩に復興団地や寒椿

寒鳥の未明に一羽声もなし

この二枚はいい写真だろう。写真はいい場面に会えば別に写真の技術とは今はデジタルであり関係なくなった。自然でも写真はある一瞬なのである。
その一瞬をとらえたのが貴重なのである。
山鳩の写真は写真の方が椿が赤くきれいに写っていた。肉眼でこのように見えなかった
そういうことが写真の世界にはある。
なんかこの写真は傑作の部類に入るかもしれない、自分で言うのもなんだがそういう一瞬をとらえたということである。

枯枝にとまっている鳥は百舌なのだろうか?まさに宮本武蔵の絵と同じだった。
海老村の跡は津波で消失した、そこに一本の枯木が残り寒鳥がとまっているのもなんとも寂寥としている。
あそこは墓だけが上に残っているから奇妙なのである

今年は最初から体の災難があった。手術してから不思議に体が悪く感じたことがなかったそれが急激な寒さで体調を壊した結果また同じ所が悪くなった。
これも苦しいものである。
ともかく手術してからなんら問題なく二年間も過ごせたのは不思議だった。
この病気と同じ人がいるが別に十年を生きているからこれで寿命を縮めることはないみたいだ。
ただ病気になると一人暮らしとか介護しているときつくなる。
介護だとまず自分自身が病気になったり二人介護したりするとその負担におしつぶされるだろう。
何しろ病気でも誰も介護するものもいないのだからせざるをえないからである。
相手は食うこともなにもできないからそうなる

明日はともかく二年ぶりに医者にゆく他ないだろう。
こういうとき車もないし困るのである
田舎で一番困るのは医者なのである。
特に退職した老人が田舎暮らしにあこがれるがまず病気になったら本当にみてもらう医者がいない、元気な内は良くても一旦病気になったら地獄になってしまう
だから先を考えるといいとはならない
だから病気になったらまた都会に帰れるようにしておくのもいいとなる
今年はどうなるのか、この二年間は体に何ら変調がなかった
今回こうなったのははじめてなのである。
ただ老化現象による病気が起きてくるのが怖いのである。
別に運動はできるしむしろ運動をした方がいいみたいなのだがやはりかなりの苦しさが急にきたのである。
若いときはこんな病気にはならない、老化現象の病気がたいがいかかえる人が多いのである。
タグ:寒鳥

2015年01月20日

「イスラム国」が人質の日本人2人を殺害すると警告 (イスラム国の主張も否定できない、植民地化された恨みとすれば)


 
「イスラム国」が人質の日本人2人を殺害すると警告


(イスラム国の主張も否定できない、植民地化された恨みとすれば)

 
●喧嘩両成敗、双方に言い分がある

そもそも人間はなんでそんなことまでし殺してまでまたは殺されてまで行動するのか?
人間の動機が問題になる。喧嘩両成敗とういうとき必ず双方に言い分があるからだ。
自分も経験あるけど家族間のもめごとで親と子のもめごとで親が子を虐待していたと思っていた。それも親がすでに70とか子が40とかの年である。
その事情は複雑にしろ交流があまりないから子の話を一方的に聞いて失敗したのである。実際虐待していたのは子供の方だったのである。子供というってももう親を十分に虐待できる年である。
やがて85くらいになって病気になり子供はめんどうみず最後に「ひどい娘だあわ」と自分の家に電話してきてすぐに死んだのである。
複雑にしろここでの最大の問題は両方のことを聞かないで子の方の言い分だけを聞いていたからそうなったのである。
あとでその娘の本性があらわれ本当にひどい娘だったのである。
そんな人だったのかびっくりしてきれた。
だから人間が喧嘩したりするには必ず双方の言い分を聞かないとわからないなと思った。
イスラムのテロであれイスラム国のこうした残虐な行為の言い分や目的は何なのだろうと思う。ただこのことに同調しているのは右翼系である
アジアを植民地化したヨーロッパに対する恨みと共通しているのである。


日本と欧米の戦争も植民地化されることに対して起こったしそもそも明治維新も上海のアヘン戦争とかで植民地化されると危機感をもっていてヨーロッパに対抗するために起きた日本は唯一ヨーロッパに植民地化されないアジアの国だとい誇りと主張かあった。
そのことを考えてみるとイスラム国のイスラムの過激派思想集団と同じなのである。
彼らも同じことを主張している。日本はアメリカともあれだけの戦争をしたのだから協力してくれると考えるのも歴史からみればそうなる。
ただめちゃくちゃに金だけか欲しいとかだけでテロをしているのとは違う
その主張は日本の戦争の時と同じだし今でも反ヨーロッパや反米の主張がつづいている。だからフランス人が殺されたことでもお前らのしたことを見れば当然だと言う人も普通にいるのである
さんざん植民地化して虐待してきたのだからその仕返しをされるのも当然だとなる。
ともかく日本側の戦争での主張は植民地化されたことが言い分としていることでは同じなのだとから全く非論理的暴挙ではない。

●明確な目的や思想があるなら価値がある

いづれにしろ日本人が何のためにあんな危険な所にいたのか?
前は物見遊山で若者がイラクに入り人質になり無惨に殺された。身代金は払われなかったそれはただ物見だったからである。
今回の一人も何のなのかわからない、もう一人はジャーナリストである。
なぜあんろところにわざわざ行っているのかわからないところがある。
ジャーナリストにしろ別に日本国民から望まれて行ったのとも違うだろう。
スクープねらいで有名になり金を得たいという野心だってある
ただ日本人は宣伝効果が大きいから人質にしたとも解説している
安倍首相がこんなときヨルダンとかエジプトにテロに対抗するため金を支援したことも反発を買った。わざわざこんなときゆく必要がなかった。
だから安倍首相が名指しで批判された。


こういうことも前の戦争のことをふりかえり考えると見えてくるのものがある。
尖閣諸島の中国との対立でもそうだった。
日本の外交をどうするかということが同じ継続した問題として浮かび上がってくるのだ。日本確かに右翼系が欧米に反発して植民地のことを盛んにとりあげて批判する。
でも現実は欧米の一員になっている現実があるからイスラム国のテロの標的にもなる
だから本当はイスラム国に同調するなら個々人で義勇軍として参加するということさえありうるのである。
欧米でもそイスラム国の思想に同調する人がいて参加しているからだ。
欧米に反発する人々は世界にも多いからである。
イスラム国はそういう核になろうとしている
ただ今回人質になった人は何か特別な目的とか使命があったとは感じられない。
だから金を払う価値がないという意見が多い。


日本では戦争でそもそも300万にも死んだ、今二人の良くわからない人が生きるか死ぬかになっている。そのことが話題になるときでは300万人死んだ人の命の価値はどうされるaのかという問題が浮かび上がる。
その人達の命の価値はとをなるんだろうとなる。その人たちは明確な意志のもとに日本のために死んだのであり何かわけわからないものとは違う。
でも今になるとその価値は低くなり無駄死にだったとかされることも多い。
なぜそうなっているのかというと戦争に負けた結果として日本はアメリカに植民地化されてただ欧米のいいなりになる国になったからである。
つまり欧米からアメリカからすれば勝ったのだから勝者の論理が働く、アメリカの言い分が正しいとなり歴史になる。それは日本の歴史でも薩摩長州が勝ちやがて長州閥が日本の政治を天皇をまつりあげて支配者になった。
それは山口県の安倍首相もその系統であり吉田松陰をもちあげるのは間違っているという幕臣系統の人々がいたしそれも真実だと思う。

●日本人は利の国であり前の戦争のように犠牲にはならない

要するに日本の外交は曖昧なのである。利が基になり利にある方につくだけになったのである。イスラム国についたら損しかないからつかない、ただポーズとしてイスラムにも見方するような格好しているだけなのである。だからこうして深刻な事態になるとその本性が現れるのである。日本国民だってめんどうなことにはかかわりたくない損したくなんいというのが本音なのである。
欧米にいい顔を見せていればいいイスラムにも自分たちは敵ではないよとどっちにもいい顔を見せたいのである。
日本が欧米に反発しないのはそれだけの経済成長をしたことなど戦争に負けてからは利の国になったのである。
大義とか思想に殉じるという意気はない、金になればいいしかない、それは上層部だけではない、日本国民が全部そうなったのが戦後の状況だったのである。


だから団塊の世代はその最先端にあり高度成長をして豊かにしたのは自分たちだという主張がある、反発されるにしろある。
ただ何らかの思想に殉じるとか大義のためとかそういうことは国自体にもないし国民にもない、カルト教団などにもない、利を求めることしか教えられないから結局そんな自分を命を犠牲になるとしたら誰も入らないのである。
明らかに欧米が正しくないとしても利があるからついていた方が得だとしかない。
19才の若者が自分は英雄になりたいと動画を投稿して実況中継しているのに国民が騒いでいるのも何か平和なのだけど国家も個々人も利を求めるだけであり犠牲になるような大きな目的はないからだともなる。
結局人間社会は中庸の外交などない、どっちかにつけ、でなければ殺すと迫られることがある。そして結局どっちからも攻められて滅ぼされることだったありうる。
ただ穏便に穏便にと言っても相手は許さないという結果になることが怖いのである

 
ともかく個々人でも人生が一貫したものがないとその人は信頼できない
国でもそうである、右につき左につき真ん中だノンセクトだとかなると信頼できなくなる旗幟(きし)を鮮明にしないとどっちつかずでありどっちからも捨てられ攻められことがある。小国はどっちかにつくほかない、中庸などしりえなかったのである。
中庸ではいいように見えても生き残れないことがあったのである。
欧米を批判するとしても現実は欧米に従いその路線の中に組み入れられている。
だからいくら欧米を批判してもイスラム国のような命懸けの集団に迫られたら欧米を批判していても結局現実的には欧米側につくという判断しかできないのである。





 
タグ:日本人人質
posted by 天華 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2015年01月22日

イスラム国による日本人人質事件(2) (生きるか死ぬかで命が値踏みされる)


イスラム国による日本人人質事件(2)


(生きるか死ぬかで命が値踏みされる)


今回の事件では身代金200億円要求されてそれを支払う価値があるのかどうかと問われる
なにしにいったのかわからないものにそんな金あど払う必要がない
二人にはそんな価値はない、ジャーナリストには多少価値あるが・・・とか言われる

つまりここでは人間の価値が値踏みされているのだ。
こんなやつらを200億円も国で出して助けるべきなのか?
それだけの価値があるのか?
雪山などで遭難したときなども救助するがその額が違う
あとで家族もかかった金を払わされる
だからべつにそんなに助けるか助けないかは考えない
怒られても大問題とはならない

今回は金が巨額なだけではない、外交問題にも発展する
日本がどういう態度をとるか世界が見ている
日本からするとただ迷惑な人たちだから切り捨てろという意見が多い
要するにあの人達に200億円の価値があるのかということになる

人間の価値をではどうして決めるのかとなる。
ここでは一体あの人達はなんのために行っていたのかとなる
そんな危険なところに行って何しようとしていたのかとなる
一人は軍事関係で武器で金儲けするためだったとあり
ジャーナリストはその人を助けるためだという
すでにこの時点でなぜジャーナリストはそんな人を命をかけて助けなければならないのか?
特別な義理が友情があったのかとなる

あの人達は普通の社会から見ればはずれものだろう。
日揮のアルジェリアげ殺された人は石油をとる目的がありそれは国でも価値を認めているこの場合はそうした目的も何もわからない、私的な利害で動いていただけだとなる
そんな人を200億円かけて助ける必要があるのかという議論になる
第一普通の社会では建築現場であれ一万の日給稼ぐのにも事故で死んだりしている
原発の作業では最近二人連続して事故で死んだしすでに10人以上死んでいる
別にその人たちのことは特別扱いされないのである。

この人たの方が原発事故の後始末をしているのだから命の価値があったとならないか?
死んでもそんな巨額な金など払われない
これはどこでもそうである。人間の価値も金で計りえないとしても現実に計られている
もし一人百億円もらえるならもっているならその人は社会ではどうなるのか
それだけの金はどんなことしてもえられない金なのである
第一一人は武器を売ってもうけようとしていた人がいてかえってつかまり
今度は逆にイスラム国に人質になり自分がもうけたい金の百倍もの金が要求される
使われるというのも何か馬鹿げている

ただこの事件で考えたことは人間は生きる死ぬかとなるとき何であれ人間の価値が鮮明に問われる
それは老人が病院でこの人を生かすべきかどうか、延命治療でも問われている
この場合はそれと違って健康でありまだ40代とか若いのが違っている
一方で世界では飢えている地帯もあり子供が死んでいる
その時誰もこの子供生かすべきかどうかもない、生かすべきなことがわかっていてもできないこともある。それも幼い命なのだから老人の命とは違い未来があるから違っている
命の価値は明らかに子供と老人では違ってくる
だから幼い子供の心臓移植でも億の金が集まる
それはこれから生きるものに対して価値を認めているからである。

人間が何であれ一旦生きるか死ぬかとなるとどんな人間であれ最大の関心になり
その人物がどうだこうだとか何のためなんだとか問われる
不思議に重要人物としてとりあげられるのである。
普通の生活ではみんな誰もそんな重要人物にならないのである
みんな誰も注目されないで働いているだけなのである。
その人がどんな人なのか何をしているのかただ金を欲しいからだろうしか考えない
コンビニなどで働いている人に「なんで働いているの」などといちいち問う人はいないのである。

この人たちがこれほど注目されたのは、世界的問題の渦中に入ってしまったからだろう
その目的が不純でも現代の世界の問題の中に日本が問われる存在になった
本人にそういう意図がなくてもそうなったのである。
海外旅行でも別に観光目的でも日本を意識させられる
日本人としていやおうなく意識させられる、それが深刻なものとしてつきつけられる結果となった。
日本人の責任と覚悟みたいなものが外国にでると問われることがある
これはもともとそういう紛争地なのだから予想できていた
ジャーナリストは死ぬ覚悟だと言っていたがもう一人は金儲けにすぎないのだからただ日本に迷惑をかけるやつにすぎないとか批判される
つまりそんな危険な所に勝手にゆくな、日本にとって迷惑になるんだからとなる
だから殺されても仕方がない、自己責任論になる
その自己責任でも本当は行っていいものではない
結果的に自己だけすむならいい、雪山で死んでも助けに行きませんよとなれば誰にも迷惑かけないからである。だからといって死体が見つかれば連絡されて始末しなければならないことはある。

とにかくそうした危険地帯にゆく人は何の目的でゆくのかはっきりさせて第一日本でも許可しない許可しても助けないということを明確に記すべきだとなる
自己責任で誰にも迷惑をかけないならそれずすむならいいが海外になるとすまないからである。
観光に行って行方不明になった人がいるが家族が探すだけで国はかかわらない自己責任である。別に危険な場所に行ったわけでもない、それでも自己責任で国はかかわらないのである。今回のような大迷惑にはなっていない、だからそんな馬鹿高い金など払う必要がないというのがどうしても結論になる。
タグ:人質
posted by 天華 at 11:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

神戸地震から20年の教訓 (災害時の心構えー人間が本性を現し狼になる)


神戸地震から20年の教訓

(災害時の心構えー人間が本性を現し狼になる)




「地震保険に加入していなくても、火をつけて全焼させてしまえば火災保険が下りる」(これ自体はデマです)として心無い人が自宅に放火したことから長田区の火災は始まった。


レイプの件は検証していって
噂のもとになった人までたどり着いたら、
電話相談員の創作だった。
この経緯は本になってたはず。

窃盗は多発したけどな。特にサラ金ビルが狙われてた。



 商店街の店主は4、5人単位で武装し、略奪者から商品を守るため不寝(ねず)の番をしていました。
 大地震は、生き残ってからが本当のサバイバル。アドバイスはこうです。

(1)まず、避難所には行ってはいけない。留守宅が強盗や放火被害に遭う恐れが高いからです。家族の誰か最低1人、自宅に残る必要があります。
(2)男手を失った家族は、近所同士で固まる。警察官OBの活用と自警団の組織も重要です。
(3)自転車やスクーターは危険。地震発生から数日、真っ先に狙われるのは移動手段です。金属バットでいきなりボカッとやられることもあり、気をつけるべきです。
(4)女性1人は絶対に避ける。ビルの間、仮設トイレなどは特に危険。
(5)帰宅困難者の移動は、同じ方向の者同士で10人単位の集団を組み、夜間の行動は控える。


神戸の地震の長田区の火事が延焼したのは火災保険をおりるからと自宅に火をつけた。
あの火事はテレビで見ていても恐ろしかった。アナウンサーが焼けた骨を手にもっていたのだから異常だった。
しかしそんな時金の計算ができるものなのか?
ただ人間が火事場泥棒など必ずある、ちょっとした災害でもある。
自分の家で店していたとき水害で流されたものを盗まれた
それはもう誰のものかわからないからそうなる。
災難が起きたとき怖いものは何か?それは人間だということがある
人間が本性を現して狼になる
自分も突然の病気でその恐ろしさを経験した人間の悪質性を具体的に知った。
要するに火事場泥棒に合い、病気をいいことに借金を要求されて責められた

つまり人間が災難であれそういう時はチャンスになる
もう抵抗できないし周りも無防備になり無法地帯になる。
そういう時人間はどうなるのか
人間の本性があからさまになる。やりたいことをやれるとなったらどうなるのか?
人間は狼としての本性を現してしたいほうだいになる
人間はまた善人から悪人に容易に変質する存在でもある
看護師が天使から悪魔に変質しやすいのもそれを示している
なぜなら弱者が相手だと自分の思う通りになるからである
突然の災難にあった人は守る術がない、やられるままだということである。
それを自分が家族の介護とか病気で身をもって経験してきたのである。
ただ今でも自分にそうした人はすぐ近くにいるのである。
だから復讐ができるがしていない
相手もさぼど感じていないのかもしれない

外部から入ってきた人がそういうとき荒らしたというが近くの人もしていた
その例が自分の家に火をつけて保険金をもらおうとしていたというのもそうである
例えば神戸全域で被害があったわけではない、被害が少ない所もありない所もある。
だから神戸内の人からの被害もあったかもしれない
金持ちの家などがねらわれたかもしれない
あんな状態になったら何があっても不思議ではないとなる
ただ噂もありデマが広がる。
人間はマスコミの報道だってそれって本当なのとかなぜ特別そんな一人の言うことをとりあげるのかとかマスコミの報道は誇張されて惑わされやすいのである。
マスコミは本当は事実だけを伝えればいいのである。
その事実に対していろいろい言うと各人が判断できなくなる

人間は本当のことを知るということがむずかしい。
何か事実があっても直接本人から聞くことができない
ニュースで報道していたよとかある人から聞いたよとかその当事者に聞いたわけでないからである。
原発の現場で直接働いている人から聞いたことを書いた。
でも自分の書いたものを読むものはそれが本当なのかわからなくなる
要するに自分が信用しないと本当かどうかわからないともなる
2ちゃんねるなどが信用されないのは誰だかわからないからデマも放置されているからだ

ではマスコミが信用できるかというと信用できない
例えばこの辺で暴力団関係の人達が入り入れ墨の人が風呂や温泉に入って飯坂辺りでは観光に悪影響だとかでていた。
では入れ墨の人が入っているの見たのかとなると見ている人は少ないだろう
自分は近くのホテルの湯で実際に見たからそれは本当だと信じることができる
ではすべてのことがマスコミから報道されていても信じられるかとなるとできない
直接その本人から聞けないからである。
だから何人か津波の被害者から直接聞いたことで津波のことをリアルに知った
戦争のことも直接聞いたことがリアルなものとして心に残る
直接経験した人から聞いたことは本当のことだと思ったからである

なぜデマにまどわされるのか?
レイプの件は検証していって
噂のもとになった人までたどり着いたら、
電話相談員の創作だった。
この経緯は本になってたはず。


誰も事実があったとしてその本人から直接聞いてはいないからである
一体が誰がそんなことを言っているのかと聞いてゆくと真実がわかる
そのデマの発祥地までたどっていってつきつめてわかったのである。
ただ誰から聞いたよではその誰かは誰だったのというと普通はわからなくなる。
みんな誰からか聞いたよであり誰が一体そんなことを何の根拠があって言っているかわからないのである。
マスコミで報道したよとしてもマスコミすら本人に聞いたとしてもその本人に視聴者は聞いていないから本当のことはわからないが信じているのである。
NHKでもそういう報道があったがNHKは信じやすいからその報道も信じるのである。
自分の見たもの聞いたものの範囲はあまりにも狭すぎる

世界となるともうそこで起きたことがどこまで本当なのかわからない
例えマスコミで報道されてもアメリカから報道されたらアメリカの都合のいいことばかり報道されるとなる
そうして常に真実は歪曲されたり誤解させられるのである。
つまり個々人では本人からその場にも直接立つことができないとしたら真実があかりえないのである。
だからわけのわからないデマに人間は左右されやい
特に災害の時はそうである。誰が言ったかなど調べる余裕もないからである
現実に放射性物資はスピーディで津島方面に流れたことわかっていた。

浪江町では町長の指示で津島に一時避難したのである。
政府ですら的確な情報を災害時には伝えなかったのである。
飯館村は一カ月後くらいに避難した、村長が避難することを拒否したためでもある。
その時放射性物質は高濃度に流れていたのである。
災害時には必ずそうした過ち起こる。
情報が錯綜し混乱してくるからである
特に放射能の知識などもっている人は地元民ではほとんどいなかった
だから市町村で混乱して右往左往しているだけだったのである。
報道というときマスコミ頼りだけではだめである。
一般人がインターネットで発信できるようになったのは進歩である
これも問題あるにしろ例えば地元から発信できる、田舎でもできるということが強みである。
地方でも現場から発信することの意味は大きいのである
今回は自分も現場からプログで発信したことはそれなりの意味をもっていた。
現場からしか伝えられないものがある、それはどこでもある。
災害とか緊急の場合は特に効果的になるのである。


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冬深む(この辺の状況)



冬深む(この辺の状況)


冬の灯や働く場あり道に松
冬の夜や二両の電車に人の影
寒雀みな生きなむと風に耐ゆ
いつくしむ盆栽あまた冬深む
石一つ徹し動かず冬深む


原町の高松の藤倉ゴム工場は大きい、あそこではかなりの人が働いているだろう。
そもそも農業で働いている人は少なかった。
だから農地が原野化しても生計が成り立つ人が多いとなる
農家の人でもある人は農家に嫁いでも何の農作業もしていない
田んぼは人にやらせているだけでありその人も会社員だとなる
農村風景がどうしても田畑でありだから農家が多いと錯覚する
今は農業だけで暮らしている人はまれである
ただ風景がそうなっているから原野化すると生活がどうなってしまうのだろうと思う
でも実際は会社があれば今は生計が成り立つのである。
全体の経済の割合からしたら農業しなくても市町村は成り立つ社会である。
むしろ会社が倒産したりするとその影響が働き口がなくなるなど大きいのが現代である。堅実に働くとかでは松があっている


寒雀が電線に一列に並んで北風に向かって耐えていた。あれは写真にとればよかったがカメラがなくとりのがした。意外とシャッターチャンスを逃すとあとは同じものはとれないから常時カメラは持ち歩く必要がある
子猫に餌やっているが意外と寒さに強いと思う、部屋に入れないで寒い所で耐えているからだ
普通寒さで死ぬようにさえ思ったからである。
冬深む・・というのはちょうど今の季節だろう。12月では早い、でもなんか冬に疲れたという感じもする、大寒のよう寒さをすでに経験して体調壊したので苦しかった。
でも医者には行くなかった、自然と直るものだろう。
ともかく本当に最近遠くにも行かなかった、やっと昨日原町に行った
イオンでいい冬用のものを買った、LLで着心地が良くふんわりしている。
前のは厚着になっていたからLではふんわりゆったりしなかった
これは3000円でありこういうものは通販では買えない、着るものとバッグなどは手にとってみないとわからないから失敗するのである。

今日は風は吹かない、浜通りは北風がこれからも毎日吹く、会津は雪である。
自転車はあまり寒くなったり風が吹くと出にくいのが弱点である
車はほとんど天候に左右されないのがいい、でも運転は危険なのである。
二両の電車に灯がともり何人かの乗客の影が見える、何か二両の電車は人間的なのである八両だとそれなりに人が乗っていると人間的にならない
ましてや東京のような混んだ電車はもう誰が乗っているなど関係ない、物ののようにつめこまれだげである。
ただ二両の電車は相当に贅沢である。金もかかっているが相馬市と原町間は人口も多いので走らせている。
原町から大野までの乗り継ぎのバスが31日から出るらしい、そのバスで往復してみようかと思う、六号線を走るから辺りの状況が多少わかるかもしれないからだ。
やはり六号線が回復したことは復興するにはかなりの力になる
もともとイワキの方とはこの辺はつながりが薄い、でもそれなりに仕事で来ている人もいた。だから六号線が開通したことははずみがついたことはいえる

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