2015年01月01日

新年おめでとう(2015)

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南相馬市鹿島区「花幸」の今年の正月の作品

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青い花は水に青い染料を入れて吸い込ませて色をだした
やはり花屋はいろいろてことをしっている

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新年おめでとう


大輪の菊こそ映えて幸あれや新年迎え健やかにあれ


去年は楽な一年でした。
今年は体も回復してさらに元気に活動したい
ただ介護があるので遠くには行けない
つくづく人間は健康第一です
健康だったら長寿も何ら問題ない
若い人にも負担はかけないのである
高齢化社会の問題はいかにして健康に長生きするかにある
死ぬとしたら元気に活動しているような状態で死ぬの理想である。
仕事していてその後一二週間で死んだ人がいる
そういう死に方が理想である。
寝たきりとか介護とかになると長すぎるし負担をかけすぎる
高齢化は負の面のみ言われるが
何かを成す創作する人にとっては時間が余計に与えられるからいい
旅をしてもある場所を理解するには時間がかかるのである

現代はグローバルであり世界のことを知ろうとしたらさらに時間がかかる
現代が長寿になったということはグローバル社会に適応するためだともなる
江戸時代辺りだったら理解することは少ないから短命でも良かった
今は理解することが多くなりすぎている、何でも理解することは時間がかかるのである。自分も今になるといろんなことを理解できる
これはこういうことだったのかと理解できる
本などもこれは何を言おうとしているのかわかる
そしてそこから自分なりの見解に導くことができる
「少年老いやすく学なりがたし」というのはその頃高齢社会ではない
文字通り老いやすい時代だったのである。
現代は70でもまだ現役だとか元気な人が多い
学なりがたしとはならない時間がさらに与えられることで学が成るということもある
それが高齢化社会の利点と言えば利点である。

それにしても人生は短い、電車で旅していたのもあきて自転車で旅し始めたのが40代である。それから50代で世界旅行していたら還暦であり人生も終わりのかと思った。
人間は遊んでいても何もしなくても時間はまたたくまに過ぎ去ってしまうのである
ゲームやっていても時間は過ぎ去る、何かをしようとしたとき時間も体力もなくなっているのである
人生に与えられた時間はそれほど短かったというのも現実だった

高齢化社会は団塊の世代が退職してこれからはじまっているのである
まだ本当の高齢化ではない、これからの十年とかが高齢化社会なのである。
その中で団塊の世代は何らか数が多いから社会に影響する
批判が多いが今度は新しい老人文化を作るということもありうる
ただそのことはまだわからないのである
老人が金を持っているということは消費の面で影響する
そのことは何かを新しい消費の形態を作り出すということにも通じている
白い髭をはやした老人がバイクで疾走しているのも高齢化の光景である。
盆栽などをしているのはまれな方だろう。
ただ様々な老後の過ごし方があってもいい
今年はともかく体が回復して健康になり活動したいとなる
そういう希望がでてきたのである

今年も一年よろしくお願いします

 
タグ:新年

2015 新年の短歌十首 (大晦日は霰、元旦は北風、地震もあったー羊年は天候が荒れる?)


2015 新年の短歌十首


(大晦日は霰、元旦は北風、地震もあったー羊年は天候が荒れる?)

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羊年穏やかなれや月に石

夜になり北風やみぬ月に石

去年(こぞ)置きし石の一つや新年のめぐりてここに親しみよりぬ

我が庭に新しく置く石一つ月の照らして年改まりぬ

玄関に枯木の影や勤めにし苦労のみの重なる女かな

大晦日霰ふりにき老いてなお苦労の消えぬ故郷の女

元旦に北風唸るもここにしも我が家にあれ守り受け継ぐ

故郷に重荷なる人誰が背負ふ年の明けしも変わらざるかも

悲しさはただ重荷としてある人や誰が負うべしやカルマなるかな

新年や介護の日々のなおつづく石の一つを月の照らしぬ


今年はどうなるんだろう、大晦日は霰だった。今日は北風が一日唸りどこにも出れなかった。
羊年だと何か穏やかであるような感じではあるがこれもわからない、そうあってほしいというだけである。
結局自分にしても介護になってからずっと家族でも自分でも重荷を負う生活である。
それは何ら変わりない、今年もそうだろう。
一生重荷を背負わされた女性もいる。それで十年ふけてしまった。
障害者の子供とかもち一生重荷から解放されない女性である。


人の世は重き荷を背負うて遠き道を往くが如し 徳川家康


小高でも他でも津波の被害地も誰が重荷を背負うのか、誰も背負いたくないとなってみんな若い人も町を出てゆく、補償金もらって出た方が楽だとなる。
そこで家族もばらばらになり町をになう人がいない
誰かが重荷を背負わねばならない、でも誰も嫌だとなり家族はばらばらになり町は放棄される。それはもともとそうした絆が失われいたからとも言える
なぜなら戦国時代でもなぜ死んでまで主君に尽くすのかとかなるからである。
そういう一体感がすでに広域化グローバル社会でなくなっていたともいえる

個々人にしてもそうである。。なぜそうなったのか?いろいろ考えてもわかりにくい。
結局カルマなのかもしれない、それぞれの人が負っているカルマなのかもしれない
結婚の相談とか離婚の相談している女性が結局結婚もカルマだといっていた。
離婚もまたそうである。
身近な人でもなぜあの人は夫で苦労する女性なのかというとそれが親子二代だからカルマだったとなる。これもそうしか解釈しようがない例だった。
自分も介護とかなっているのは明らかにカルマである。
カルマは借りでありその借りを返すことを要求されているのである。
どんな人も何らかのカルマを背負いカルマを負わされているのである
それから逃れることはできないのである。
見栄とかで借金した人が他人に借金をおしつけて解決するのか
そのカルマは自分で払わない限り返せないのである。
もしそうだったら人生はあまりにも楽だとなってしまうからだ。

今年の元旦は月が光り北風がなる、そして新しい石を思う
石となるとなにか穏やかであり月もそうである。
「石と月」の元旦であり朝日が昇る元旦はなかったのも不思議である。
羊年とは何かこれもわかりにくい、ただ羊は月なのかもしれない、太陽とは違っている。獅子だったら太陽だが羊は控えめだから月になる、だから月と石と羊はあっているかもしれない。
元旦で天候はいつも違っているし心境も違ってくるのである。


羊年は天候的に荒れるのか?
細かい枝というのもそうなのか、干支などで運勢などわからない
ただ羊とかはどういう性質なのかということは通じている。
羊は穏やかであり従順だということである。
その年の運勢とはそれがどう関係してくるのはわからない。
今年は穏やかになるとは限らない
そう願ってもどうにもならない、
確かに天候は大晦日に霰であり元旦に北風で地震もあったから
やはり荒れ模様なのかともなる
ただ月は光り穏やかであった。
天候がわからないのは地球全体と関係しているからである
一局所を見てもわからないのである。
地震なども地球全体が関係しているかわからなくなる
人間は地球でも宇宙でも全体になるとわからなくなるのである


タグ:羊年

2015抽象画


2015抽象画

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歪んでいる宇宙に銀河

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夕焼け

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宇宙の花



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波紋

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湖の道

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鏡の眼


抽象画の強みはいくらでもできることである。
変化が容易にできるからである。
まず具象画でなければ一流の画家と認められない
それでも抽象画を一流の画家が描いている
するとこれは素人レベルなのかとなってしまう
つまり抽象画は誰でも描けるからである
特にパソコンとインターネット時代はそうなった
それで著作権違反になるのかという問題が起きた

今年は抽象画は暇つぶしにやるだろう
やはり波なら波とか抽象画も具象画を基本にしているのである
タグ:2015

2015年01月02日

新年の短歌 (今年は月が死がテーマ)



新年の短歌


(今年は月が死がテーマ)

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故郷の山の端に没る冬の陽や棚引く雲に寂けき

新年に陽の没り静か月いでぬ穏やかなれや水面に写りぬ


毎年新年でも感じが違ってくる。今年は何か月が出ている。新年は普通は太陽がテーマになる。今年は月である。月ということは今年は穏やかなのかもしれない
未年は荒れるともいうが未の性格は穏やかである。素直であり従順なのである。
一面は月と似ている。月は女性であり素直で従順な感覚になる。

今日山の端に太陽が沈んだあとは雲がその沈んだ太陽の光を受けて赤くなっていた。
その光がいかにも「寂光」という感じになっている。
カメラではその状態がそのつま写っていなかった。カメラは安い方をもっていったので写りが違っていたのである。
やはり高い方のカメラは違っていた。そのままを写しだしていた。

新年だけど何かこの情景は死を感じた。静寂が極まってゆく死を感じた。
題は「静謐な死」である。



静謐な死

故郷の山の端の棚引く雲に
冬の陽は没り光り寂けき
あたかも静謐なる死を思わしめぬ
人の苦しみよ
やがて終わらむ
汝は深い眠りにつく
何ももはや言わざれ
汝の幕は下ろされたり
汝はここに眠るべしかな



最後はどこで死ぬのか?これも大きな人間の問題かもしれない、故郷に生きた人はやはり故郷で死ぬのが幸せだとなる。だから原発避難者でも帰りたいというのは老人なのであるそれは生物としての本能のようなものである。
帰巣本能である。それでも客死したとか結構あるし故郷から離れた人も多い。
ただ故郷は別に生まれた所ではない、長く住んでいれば愛着がでてきてそこが故郷になるしかしそこに自然がなければ故郷にはなりえないだろう。
東京のような所が故郷にはなりえない、自然につつまれて死んでゆくより高層ビルの谷間で死んでゆく人工的空間の中の死になる。
それは生物の本能に反している、安らかな死にはならないのである

新年に死のことを言うのも縁起が悪いというのもあったが人間の心境もその時々変わってゆく。冬はどうしても死の季節なのである。



タグ:冬日没る

2015年01月03日

満月の新年(満月は縁起がいいのか今年の平安を祈る)



満月の新年


(満月は縁起がいいのか今年の平安を祈る)


寒椿月の光りて石一つ

津波後朽ちにし木のなお残りつつ年は明けにき家もなきしに
門標に名の残りて家もなし誰が家なれや四年はすぎぬ
誰が参る八竜神社海を見つ残るも家せ人もなしかも
年明けて満月光る良き徴し今年の平安我が祈るかも
我が町に除染に尽くす人のあれ年も明けにき仕事始めむ

今日は寒い、烏崎の方に行った。
満月が夕べでていた。今年は満月の新年だった。
こういう年もめずらしいかもしれない、満月となると縁起がいいとなる
何らか天候とか天体は地球と関係している。
だから古来日月に祈ってきた
天皇も祈ってきた、日月の旗をかかげるのもそのためである。
あれだけの津波も何らか天体と関係していたとも言われる。

烏崎の八竜神社は今も津波をまねがれ残っている。
でも烏崎は壊滅したから誰も参る人もないとなる。
ただ鳥居は新しく建てていた。
烏崎は八竜神社だけが残り海老村は墓地だけが残ったという景色も不思議である。
村は消滅して神社が一つと墓地は高台にあり残ったのである
この風景も不思議である。
そもそも人家が消えれば人がいなくなれば神社でも墓地でも無用のものと化してしまう。人がいなくなったわけではないが近くに新築した家がかなりある。だから以前として墓地でも神社でも参る人はいる。
ただ原発避難者でもそうだが人が町からいなくなれば神社という建物や墓地でも
無用化する。誰も参る者がいなくなるからだ。
人があって住んで神社という建物があり墓地がありうる
実際は建物より墓地より人の方が大事なのである。
いくら立派な建物があっても人が住まなければ無益なものとなるだけである

今年はもう四年すぎて五年になるから早い、今年は一つの区切りだろう。
小高の仮設の人は帰るか帰らないか決めねばならない
どっちつかずではいられないだろう。
そうなると結構厳しいものになるだろう。
農業は怠け癖がついてできなくなっているという
他でも仕事ができなくなっているというのも仮設暮らし補償金暮らしは堕落させたのである、補償金かいつまでももらえると思うようにもなる
だからあとは生活保護だと言っている老人がいる
あの人は遊び人だった。働いた人もいたが大方は働かなかったのである。
とにかくこの辺に多いの除染の人である。今年もそうである。
これも無駄なのかもしれないが地元のために働いている
だからそれを無益だとも言えない
仮設で遊んでいる人より地元のために働いてくれるんだなとなる
この辺はそういう点でずっと何か変なものになっていたのである。

いづれにしろ満月が縁起がいいとすれば経済もそれなりにいいのかもしれい
そんなに悪くならないかもしれない
どういうわけか自分の運気と株の動きが同調しているのも不思議である
この七年間は苦しみと不運つづきだった
去年あたりから良くなり去年は楽だった
今年はただ平安を祈るだけである。
タグ:新年

2015年01月04日

家庭用の風力発電の風車も大きくて高い (ソーラパネルでも風力発電でも景観の破壊がある)



家庭用の風力発電の風車も大きくて高い


(ソーラパネルでも風力発電でも景観の破壊がある)

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この風力発電はめずらしい
ソーラーバネルは多いけどこれは初めて見た
ただここは原町に行く所で頻繁に通っているので景観的には悪くなった
あそこは空地だったからである。
池もあった一本松があった

ただこの辺は景観自体がいたるところで変わってしまった
津波の跡もそうでありその変化が大きすぎたのである。
ソーラパネルも田んぼでも隠されるように設置していたところはわからなかった
他でも隠されるようにあるとわからない場合がある
でも日本では広い土地がないからソーラパネルは向いていない感じもする
小高の農家の人がいつのまにかソーラーバネルが設置されていたとか怒っていた
でも小高辺りは農家の人でも帰らないとすると土地があまる
そこを何に利用するかとなるとソーラパネルとか放射性廃棄物の土地を提供して金をもらうとなってしまう
そうして金をもらっていて他に住めばその人は定期的に収入が入るから生活できるとなる
ソーラパネルとか風力発電など自然再生エネルギーの問題は定期的に電力を供給できない太陽でも風力でもそうである。それだと家庭くらいならいいが工業的には使えない
それでも家庭だけもまかなえればそれなりに有効だとはなる
電力会社で買い取りができないとなったのは大量の電気を定期的に供給できないからである。

自分は何か田園的風景がいいと思うからソーラパネルでも風力でもいやだとなる。
写真の風車一台でどれくらい電力がまかなえるのか?
これはかなり目立つ、支援があって作ったのか
前に産業廃棄物の会社があるからその関係だろう。

これからのエネルギー確保をどうするのか最大の問題になる
水素エネルギーは本当に使えるのかとなる
いづれにしろ風力発電でもあんな大きなものは目立つからあまり立ってほしくないとなるでもあれくらい高くしないと風を受けないからあんなふうになった
テレビでみる風力発電の風車と実際身近で見るのは違っている
本当に大きくて高いな実感する、家庭用でもこれだけ大きくて高いのである。

ともかく一番人間は景観を無視されやすい、景観に価値を認める人が少ない
つまり景観は全体であり個々の価値ではない、全体が作る価値だから無視されやすい
ここの土地とか家の価値をみるが全体を見る人は少ない
だから景観は常に破壊されやすい、京都でもどこでも古い街並みでも破壊される
自然景観も破壊されやすい、携帯電話の鉄塔でも何か立ちすぎていやなのである
景観を考慮して建てられていないのである。

景観が破壊されやすいのは大衆にとって景観は金にもならないからである。
それは具体的に金のなるものとして認められないからである
ただ景観が破壊されることは人間の精神まで破壊される
大都会は自然の景観を破壊して人工的空間になってしまったからである。


大都会より田舎がいいというとき田園的風景があってこそなのである。
だから浪江でも高瀬川や海があり飯館村でも森につつまれていたし景観的には良かった
それが原発事故で人が住まなくなったことはもったいないとなる



タグ:風力発電

原発事故はなぜ起きたのか (現代文明が破綻すると原発事故周辺のようになる)



 原発事故はなぜ起きたのか

 
 (現代文明が破綻すると原発事故周辺のようになる)

 
 ●資本主義民主主義社会は崩壊する

 資本主義民主主義国家において、各人が各人の利益を追求していくのが当然とされるようになる、その末路は、共同体の崩壊ではないのか?各人が責任を厭い、権利を振りかざして過剰にエゴを追求した結果、国家は空洞化するのではないのか?グローバル企業が国家を食いつぶすアメリカのような状態になるのではないか?


原発事故がなぜ起きたかというのはいろいろ探求してきたけどこれは現代文明の欠陥から起きたともいえる。一見関係内容に見えても個々人のありようが原発事故をもたらした。現代は公共のためとか全体のためにとか国家のために尽くすとかがまるで消失した。
だからなぜ戦争で国家のために天皇のために三百万人も死んだのか犠牲にされたのかわからなくなっている。なんか馬鹿げているという感覚になる。
国家より自分、天皇より自分、公共のためより自分、故郷より自分、家族より自分、すべてが自分のためにあり自分が最大の優先課題である。
それは共産党員でも創価などのカルト宗教団体でも同じである。
自分の欲望実現のために活動しているし馬鹿な奴は利用されているだけである。
上の人の欲望の実現に利用されているだけだである。

原発事故の原因というとこれは誰が一番あったのかというと東電の幹部にあった。
では東電の幹部も上役も社長でも会長でもその人たちの欲望の実現のために会社があったのである。そこには公共性というのがなくなっている。
では政府でも官僚でもそうである。東電には検察が天下りしているから会長でも社長でも罰することができず海外でのうのうと暮らしていける。
検察が警察があったとしてもそれは個々人の特に上層部の人達の欲望を実現することが最優先されるとなるとそうなる。
検察自体がそうだとするとあとはみんな同じだとなる。
ではそういう支配階級がすべて悪いのか責任があるのかとなるとそうでもない
地元の人達も同じである。結局上も下も自分の欲望の実現のためしかない。

資本主義民主主義国家において、各人が各人の利益を追求していくのが当然とされるようになる、その末路は、共同体の崩壊ではないのか

資本主義民主主義のシステムがそもそもそういうシステムであり個々人の欲望を是認してさらに欲望を開発して刺激してゆくのが資本主義である。
個々人の欲望をどこも否定していない、カルト宗教団体も自分の個々の欲望実現のために神仏に祈っているのが現代である。
「もっともっと拝め、題目あげろ、お前の欲望はかなえられる」それは別にカルト宗教団体だけではないみんなそうである。

●地元の個々人の欲望も事故の原因になっていた

原発事故もそうした個々人の制御できない欲望の実現として作られたということもある。
「原発は金になるぜ、危険じゃないのか、馬鹿を言え、危険より金だよ、政府も科学者も安全だと言っているじゃねえか、金になればいいんだよ」
地元の一人一人を見てもいかに強欲になっているかわかる。
なぜあの人は大工でもいい腕しているしかなりいいときはもうけたのにさらにもうけようとしてブラックなものに手を出してさらに金を得ようとしているのか
あの人はなぜ事業を起こして見栄で借金までして自分を成功者に見せたいのか
そうして弱者になったものから今がチャンスだと借金をしてむしりとる。
相手のことなどかまわない、借金に追われているいる人は相手のことなどどうでもいいのである。保険金殺人者のような心境になり人間でなくなっている
実際にあいつが死んだら金が入ると思うことは殺意があり殺人者と同じである。
そういう地獄となっているのが現代であり自分が経験したことなのである。

一人一人を見ればなぜそんなに強欲なのかとなるか
でも資本主義民主主義社会ではそれは是認されたことであり奨励されていることだから誰も批判などできないのである。
科学は人間の欲望を実現させるものとしてありだからこそ現代文明では信仰にまでなっているのである。
サイエンスとは真理とか哲学であったが現代の科学は人間の欲望実現のためにある。
サイエンスだったら宗教ともにている。
だから科学者は実益なものだげでなく何か原理とか法則性とか科学の発見として見ていて実益性には関心がないという。でも大衆が求めているのはそんな抽象的なことではない、具体的な実益なのである。たからこそ現代の宗教までに科学がなったのである。

原発事故はこうして個々人のきりない欲望を解放して実現させるために起きたという側面がある。今の社会には公共性とか全体とか社会を統一させるものがない
ただ個々人の限りない欲望が刺激され解放され追及しろという社会である。
ただそういう社会が最終的にどうなってしまうのか?
それがまさにその見本となり現実化したのが原発事故周辺だったのである。
故郷という共同体、共同性は消失し家族もばらばらになり人も住めなくなった。
その後も補償金で金でもめて市自体の共同性もなく分裂している。
結局「お前らはたんまり金もらっているんだから金でめんどうみてもらえ」となり協力も絆もなくなっているのである。
金を個々人で求めその金を得たのだがそれでこの辺はかえって分裂してしまった
そもそも家族すら社会すらすでにそうした金による広域社会とかグローバル社会で分裂させられていたのである。
だから容易にコミニュティが市町村が解体したような状態になった。

●現代文明の破綻した状態が原発事故周辺にある

なぜ十津川部落は貧乏なのに一体感を強い絆をもって北海道に村ごと移住できたのかを考えればわかる。援助が多少あっても多額の補償金をもらっていない、要求もしていない、
ただ一丸となって結束して北海道に移住して新しい村を作ったのである。
その正反対の現象が今の原発避難地域とか他の津波の被害地でもある。
十津川部落とは違ってコミニュティが広域化とかグローバル社会で破壊ささやすかったのである。
この世の中金さえあればどうにでもなる、故郷など固執しなくてもいい、土地にも家にも固執しなくてもいい、金があればどこにでも住めるしかえって便利な方に移動した方がいいとなり現実に川内村では郡山市に移住して補償金でいい暮らしした方がいいとなったのである。
だから根本的にそうした強欲資本主義とかグローバル社会が何を目指しているのか?
そういう文明自体を問うものとなったのである。
でもそうなると問題が大きくなりすぎて手に負えなくなる
世界自体がグローバル経済に組み入れられているからそれを個々人が反逆しても徒労になる。


ただこういう個々人のあくなき欲望の追及の社会を見直す時代に来ているし大変革が世界恐慌とか資本主義の崩壊現象が起きてくる。
個々人のあくなき欲望の追及を神を自然は許されないからである。
そういう自分もアメリカの株でもうけているから矛盾している。
「お前も同じじゃないか」となればそうなってしまう。
ただ金は下々のもののためにも使っている。
ただ自分は別に前から贅沢などしていない、家があったし家を建てるために苦労していない、旅行しても金は最低しか使っていない、食べるものを節約して旅行していた。
それが海外旅行でも同じだった。
もともと自分はそんな贅沢する金などなかったのである。

いづれにしろもうこうしたグローバル資本主義社会は限界にきて破綻に向かっている。
その現象が現れるのは意外と早い、そういう破綻した現実が原発事故周辺を見ればわかる食料さえ自給できず水も安心して飲めない、田畑は草茫々になっている。
津波も重なって荒涼たる風景となってしまったのである。
本当に「猿の惑星」でありそれが現実になっていることの驚きである。
これが現代文明の破綻が現実化した世界なのである。
人間の心もばらばらになり荒涼とした荒野が広がる、それはまさに自然災害だけではない、人工災害も加わってそうなった。それは現代文明が作り出した荒涼とした精神の現れなのである。

十津川村の教訓ー移住する意志と覚悟と決意があった
(原発事故周辺は補償金だけをもらうことしかないので復興はできない)

 
posted by 老鶯 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年01月06日

沖縄の石垣島に明和の大津波(1771年) (総合的学問が喪失していることの危険)



沖縄の石垣島に明和の大津波(1771年)

(総合的学問が喪失していることの危険)


●石垣島にはまだ過去の津波の記憶が一般レベルであった



石垣では海の近くに家を建てないという認識があるのだが、それは明和の大津波によるものが大きい。

東日本大震災の時と同様、もしくはそれ以上の大津波を体験した島民はあまり海の近くに家を立てたがらないという歴史が島民には根強い。
http://shinjitsuokinawa.org/?p=84
ここのプログは沖縄の裏事情を語っていて面白かった。

石垣島だけで8439名もの死者を出しました。その後も飢餓や伝染病などの二次災害的な死者も加わり、八重山の人口は地震前の三分の一まで減少しました


この被害も凄まじかった。相馬藩の天明の飢饉と同じである。その時三分の一に人口が減ったからである。これだけの被害があれば伝承も残る。
しかしそれでも忘れられてゆく、慶長三陸津波は1611年だから400年前であり明和は300年前だった。百年の差があるにしろこの記憶はなかなか消えないはずである。
それで石垣島ではそういう言い伝えがあり海岸沿いに家を建てないということがあった。
津波の問題は300年前とかなるとどうしても記憶が薄れてゆく、それが最大の問題だったのである。宮城県であれ岩手県百年前に巨大な津波で大被害になっている、それで高い防潮堤を建てたからその記憶が生々しいからである。
それでも警戒しないで被害があれだけあったことの不思議である。

●科学者が津波を警告しても東電は聞かなかった

相馬藩内ではまずそうした慶長津波の記憶はほとんどない、相馬藩政記に一行700名溺死と記されていたがそれも忘れられていて今回の津波で発見されたのである。
今回の津波で常に話題になったのがなぜ危険な海岸に住んでいたのかということである。まずこれくらいの津波の経験が過去にあれば誰も住まないからである。
少なくとも警戒して住んでいる。
ところが三陸でさえやはり海岸沿いが便利だから津波の後も住んでいたのである。
400年間津波の被害がなかった忘れられた地域ではもともと記憶も伝承もなくなって忘れられているのだから余計に海岸沿いに津波の警戒もなく住んでいても不思議でないとなる
宮城県でも津波に警戒がなくなっていたのは海岸沿いが仙台市の新興住宅地化していたこともある。それで最近ボーリング調査で津波が奥深くまで来ていたことが実証されていたのである。それで学者が警告したら不動産屋が地価が下がるから津波のことなど言うなと脅されたという、そこにもともと住んでいた人も忘れ新しくそこに住む人はもちろん警戒もしない、海岸沿いは涼しいし眺めがいいとかで新興住宅地化した。
でもやはり昔から江戸時代とかその前からも人が住んでいたという地域にはその土地のことを伝えるものが残っている。
それを一番意識するのがその土地に代々住んでいる人達なのである。
それが郷土史である。

 
現代はグローバルに無規制に世界が拡大している。空間が拡大するのは容易である。
一日で地球すら一周する。ところが時系列を過去にさかのぼるその土地の歴史は簡単に理解でない、時間がかかるのである。
だから確かに自分は日本全国を旅したしその場所を空間的に地理的にわかる。
しかし時間的なものは歴史などを理解するのはやはり旅した後でいろいろその場所のことを調べて考察していると徐々にわかってくる。それは時間をかけて徐々にしかわからないのである。それが外国だったら余計にそうなる。
あの場所はそういう場所だったのかと理解するのは相当に時間がかかる。
だから今では7年間近くすら自由に外出もできないが旅した場所を思い出してその場所を
回想で旅して歴史を知ろうとしているのである。

例えば石垣島に行ったとしてもあそこで津波があったとか関心をもつ人はまれだろう。
今回は地元でこれだけの津波の被害があったから日本でも世界でも津波に関心をもつようになったのである。人間の弱点はたかたが一人の人生でも過去はわすさ安いのである。
また忘れないとしたら嫌なことも忘れないから困ることになる。
ただ忘れてならないことがあった。それが津波のような大災害は忘れてならないものだったのである。
宮城県では慶長津波のことは比較的残っていた。でもあれだけの被害があったのは海側に向かって宅地開発が無造作に行われたためである。
その土地がどういう土地なのかなどかまわない、津波の危険を警告しても無視された。
そこも金儲け第一主義であり学者が警告したら不動産屋が脅してきたことでもわかる。
それは福島の原発と同じだった。
最近の津波のことで学者が東電に警告していたのである。それは歴史学者とかではない、科学者が最近のボーリング調査で津波が奥の方まで来ていたその砂が発見されたので警告していたのである。

●大学の本来の役割が消失する危険

普通は科学者だったら科学者のことは冷静に判断する、郷土史家のことなどは無視されやすい。だからそのことは東電で科学者の集まりがなぜ無視したのかわからない。
結局人間の欲望が利益が優先されて科学者もその欲望のために操られる。
STAP細胞騒ぎも何かそうした人間の欲望がからんで起きた事件だった。
科学も社会の中では人間の欲望とかかわりゆがめられてしまうし科学者もその欲望のためにゆヴめられてしまう。
研究費が欲しいとなるとそこに金がかかわり金が欲しいとなり科学者もその金のために働かせられることになるのである。
科学がいかがわしい錬金術になるようになった。金を作るということはそこに人間の深い欲望を実現するものとして科学が変質した。そこに科学の呪いが生まれたのである。
例えば本当の科学者は青色発光ダイオートとかSTAP細胞が実用的にどう利用されるかよりそれが新しい科学の発見であり法則の発見であるとき、実用性よりその法則が発見されたとかの方に興味をもつという、つまり学問と実用は別なものとしてあった。
大学とかは企業とかと違うのだからそうした実用とかと離れて原理とか法則とか純粋に科学を追及する場なのである。そこからたしかに実用的なものが生まれたとしても本来は実用から離れたものとしてある。

大学がすべて実用ばかり追及したらそれは企業になってしまう。
大学の意味は実用とと離れて人間としての教養とか全体的な人間としての知を追及する場である。これもまた象牙の塔などと言われて現実社会と遊離しているとかなるが大学の役目は一面はそういう現実の利益から離れたところにあることも社会としての役割なのである。

デカンショ、デカンショで半年暮らす、アヨイヨイ、あとの半年ぁ寝て暮らす、ヨーオイ、ヨーオイ、デッカンショ♪」
デカンショとは、デカルト、カント、ショウペンハウエルをまとめて略したもの

そういうことが人生の内でも若い内があってもいい、実用ばかりだったら味気ないとなる大学の役目は幅のある教養のある人間を作ることである。
高校とはまるで違った場所だったのである。
それは帝大性となるとエリートだからできたことであったが団塊の世代からは大学も実際は大衆化していたのである。
大衆レベルで帝大生のような境遇を味わえたというのはそれなりに意味があった。
今なら半分が大学がでているからまた違っている、それが悪いとは言えないのである。
文科系大学は税金の無駄だともなり廃止すべきだというのはまさに今の社会にそうした余裕がなくなっているからである。何か実用性がなければ無駄となるのはまた危険である。何か無駄なのかなどこの世ではわからないのである。
無用の用がこの世で必ずあるからそうなる。
津波とか原発事故を考えるにしても何か総合性が必要だった。
それは科学だけではわからない、郷土史なども関係していたしそれは総合的に判断するものだった。その総合性が一番欠けているのが現代でありそれが津波であれ原発事故で問われたのである。


タグ:沖縄の津波
posted by 老鶯 at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

30年前から原発で働いていた小高の人の話 (原発のために道路作る時から働いていたー仲間はみんな放射能で死んだ?)


30年前から原発で働いていた小高の人の話


(原発のために道路作る時から働いていたー仲間はみんな放射能で死んだ?)


今日はなぜかあたたかい、昨日まで寒かった、そこで土手で休んでいる小高の人の話を聞いた。
その人は80才であり福島の原発に道路を作る時からかかわっていた。原発を建てるために道路の工事していたときからかかわっていた。
だから今になるとずいぶん古い話だなと思った。
その時まだ六号線もできていないし車も相当に少ない時代である。
そして面白かったのは加藤建材は今はこの辺では大会社だがその時真野川の砂利を運んでいたという、砂利を選別するような作業をしていたという。
あの加東建材がと今になるとそんなことしていたのかと驚く
それは松下幸之助も電球を作っていてあれだけの大会社になったのとにている。
ホンダでももともと自転車に電動付きのものを作りバイクを作ったのが会社の始まりだった。今は大きな会社でもそれだけ小さい時があったから想像すらできなくなる。
成田モヤシは有名だけどあれも自分の家で店をやっていたとき一軒一軒卸していた小規模なものだったが東京の方に売り出して大会社になり社長になっているから驚く
そのモヤシは他のモヤシとまた違ったもので売れたのである。
加東建材の場合は原発ができて工事があり真野川の砂利を運んだことが会社を大きくする要因になっていたことも意外である。

そもそも浜通りで原発はそれだけ経済にとっては大きな力となっていた。
だから原発に勤めていた人が意外と多いのである。
自分もすでに10人くらいあって話を聞いたからである。
話聞くにしても調査しているわけでもない、20人くらいしか聞いていないだろう
それなのに10人くらいも原発に勤めていたというのはやはりこの辺では原発が働き口になっていたのが多いのである。
親戚だった浪江の人も原発の下請けでありそういう人もかなり多い。
原発関連の仕事も多く原発がまたこの辺の高校生の就職先にもなっていたのである
これは女川原発でも同じである。
農業とか漁業ではもう豊かになれない時代になっていた。
原発で働くことは高収入になっていた。だから事故があった後も一様に原発で働いた人は東電をあまり悪く言えないんだよなと言っていることでもわかる。
その恩恵も大きかったからである。

その人はそれだけ原発とかかわっていたのだから原発のことを知っていたともいえる。
ただなぜか原発では俺の仲間はみんな死んだという
放射能汚染で死んだけどそれは肺炎とか別な病気にされて死んだという
そんなに死んだのというのが納得いかなかった
でも盛んに危険な原子炉で働いた人は死んだという。
何でもそうした危険な場所に入るには試験があったという
その試験もでたらめであり合格させて危険な場所で働かせていたという
でもみんな金が欲しくて九州辺りとかホームレスとかを入れて働かせていたとかいう
原発というのはともかく金の成る木だったのである。
だからそこには様々な人々がかかわっていた。
まず浪江とか小高になると原町でもそうだが原発にかかわる人は多かった。
原町だって結構離れているからそうではないようにみえてもかかわる人が多かった。
その人が言うには電源を地下にもっていったのは危険だと自分も見てわかった。
専門家でもない普通の労務者がみてわかることは危険が目に見えていたのか
それだけ危険に対して危機管理がなかったともなる

それから原発を建てる土地をもっている人が最後まで反対していたという
それも津波が来たらどうするんだと反対していたという
かえ、津波のことを土地をもっている一般の人が言っていたということは驚いた。
そして土地を最後まで売らなかったというのもそんな人がいたのかと思った。
最後は売らない土地は囲い込まれてしまったという。
これもどういうことなのかわかりにくい、その人は別に原発に反対する左翼的な人でもないが何か反対して土地を売らなかったのである。
最後は強制収容のようになってしまったのだろう。

それにしても津波のことを言っていたのかというのが良くわからない
津波のことなどこの辺ではみんな無関心だからである。
「津波が来たらどうするんだ」
と東電とかに詰め寄って土地を売らない人がいて最後に囲いこまれた人がいたということは特筆すべきことでないか?
そういう人は他に北海道辺りではいた。
何か反対する人はいるものである。
それは地元でもただ変わり者とされるだけでありマスコミも取り上げたりしない
まずマスコミは本当のことは取り上げない
もしそんなことを取り上げて危険を言うと宣伝費が入らなくなるから取り上げない
でも今になるとなぜもっとマスコミでも原発の危険性を言わなかったのかとなる
それは過剰でも言っても良かったのである。
反対に絶対に事故は起こらないという安全神話が形成されてしまったのである。
それは東電とか政府とか一体になり強制的に作られたものだったのである。

その人は町内だけと小高に帰るという、若い人は帰らなくて困るだろうと聞いたら徐々に帰ってくるだろうといっていた。親を放っておけないだろうとも言っていた。
そして土地と家ある人は帰らざるをえなくなるとも言っていた。
何でも小高の山の方で国民年金を6万くらいしかもらえない女性が補償金を800万くらいため込んで喜んでいるとか言っていた。
確かにそういう人もかなりいるし補償金もらって良かったという人もいたのが30キロ圏内ではあった。もらえない人はそれで不満なのである。
その人は年だからあまり先のことは考えないというのもわかる
ただ年取るとこういう変化に対応しにくく疲れたとも言っていた。
それもわかる、老人は変化に一番弱いからである。
結局小高の人は半分は帰るという、そのあとに帰る人は増えるともいう。
小高の場合は浪江とかと違いそれほど放射線量は高くないからそういえる。
老人は帰りたいという人が多い、でも若い人も親が帰ったら帰るというのはどうかなとも思った。他で暮らしをたてるようになったら簡単に帰ってこれなくなるだろう。
ただ土地と家をもっている人はやはり帰ってくるのかもしれない
あと一年は早いというとき確かに早い
すでに小高の人は帰る準備に入る年になったのである。
他の津波被害地でも5年たてば仮設にいられなくなるからそこからまた大きな区切りとなり問題が生まれてくる。5年はどっちにしろ一つの区切りになる。


あとがき

80才だから死ぬ時期の人もいて死んだと言ったのだろう
放射能で死んだということは肺炎でも心筋梗塞でも証明できない
仲間が放射能で死んだというとき放射能ではなくて
その年だと本当にその病気であり放射能が原因とは言えないだろう
いづれにしろ放射能で死んだなどもうわからない
これからもわからない、そもそも証明できないからである。
だから放射能汚染の責任は問われなくなる

posted by 老鶯 at 16:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年01月07日

時間の謎 (時間の感覚は環境により変化させられている)



時間の謎

(時間の感覚は環境により変化させられている)


時間のことを考えると本当に理解できない、時間が何かという定義はできない
時間はそれぞれの人の解釈だともなる。
なぜ現代は時間が急速に流れていると感じるのか?
その一つの大きな原因が乗り物、運送するものが変わったからである。
人間は江戸時代でも歩いて移動していたし荷物も運んでもいた。
それをみていたらゆっくりしたものを感じたろう。
でも歩いている人からみれば長い距離をゆくのには急いで歩いていたのである。
旅人は早立ちである。40キロ一日歩くとしたら朝早く起きて早足で歩かねばならなかった歩いている人は急いでいたが見ている側からする早いとは見えない

のろのろと汽車が行く
ここは山のふもと
あたりいちめんのなのはな
まえへうしろへでさへづるひばり
そのなかをのろのろと
汽車はゆく
その汽車の後からついてゆく私の幻想よ
鱒は泥田に身を隠した
それをとろうとした子供は腹をたて
小石をひろい
汽車をめがけてなげた
それをみてだるそうな
汽車は汽笛を吹き鳴らした
この汽車はどこへゆくのか知れたものか
なんという長いレールだ

山村暮鳥

だから不思議なのは明治大正時代でも汽車がのろのろと走っていたという表現があったことである。
汽車がのろのろと行くなど考えられない、その当時の汽車はそういう感覚だったのであるもちろん急行もないから遅かった。でも汽車だったら馬などよりずっと早いのにのろのろという表現を使っているから不思議である。

子供は長い長い貨物列車を見ていた
その貨物列車はいつまでも尽きるように見えなかった
いつまでも貨物列車を見ていた

子供の頃まだ長い貨物列車が通っていた、それは長かった、子供にとっては余計長く見えた。その時間感覚が消えた。あのころは輸送の主役が貨物列車だったからである。確かに今も貨物列車は時々通る。

長々と貨物列車の通りゆく老人寝ている病院に見ゆ

貨物列車と高齢化社会の老人、それが重なって見えた。貨物列車は何か重い、老人もそうした荷物に見えるから重なって見えたのも現代である。何でも時代によって見え方が変わってくるのである。
乗り物でもゆっくり走っていれば時間もっくりとすぎてゆく
現代は電車でも新幹線になり車になり飛行機になり何でも早い、車だと毎日目まぐるしくすぎてゆく、ぐるぐる時計が回っているように時間がすきてゆく
一方で徒歩とか馬だとかはゆっくり進んでいる、自転車も遅いのだがこれも徒歩からすると早いのである。
車社会になると毎日めまぐるしく時間がすぎてゆくようになる。
時間に追われてすぎている感じになる。
だから環境が時間感覚を作っている。
汽車もなかった江戸時代に住んでいればさらに時間感覚は遅いものとなる。


カチカチカチ
時計の歯車が刻む音
古い柱時計がボーンボーンと時を打つ
裸電球一つの
トタン屋根のがらんとした古い家
外では北風が唸っている


子供の頃の時間感覚は遅く長かった。それは子供ではみんな同じである。
そしていつのまにか急速に時間はすぎてしまった。
そんなところにいたことさえ定かでなくなった。
柱時計の時間感覚は今とは違っている。おじいさんの古時計という歌が流行したがあんな感じであった。江戸時代なら寺の鐘が時間感覚になる。
この差も大きいのである。その時間感覚だけはもう経験することができないのである。

もう一つは処理する情報量と時間感覚は関係している。グローバル化した世界ではニュースに目を通すだけで時間がかかる。世界のニュースの量は莫大なものでありそれを知るとなると時間がかかる、江戸時代の百倍とか千倍の情報を処理するとなるとそれだけで時間がかかるから時間が早くすぎる。学習にしても江戸時代の千倍の量を学ばねばならないとなると時間が必要になる。
江戸時代には漢字を習っていても英語など習っていないからである。
英語に費やす時間だけでも膨大になる。
江戸時代の学習は詠み、書き、そろばんであり学ぶ量が極端に少ないのである。
だから時間がかからないから一生で学ぶものが少ないから時間がゆっくりすすむのであるつまり時間的に余裕がある社会である。
それは農耕社会とか自然に則した生活にあっていた。
例えば林業でも50年で木が育つとしたらとても一代では仕事にならない
次の代で収穫があるとしたらそれだけの長い時間感覚もたねばならない
すると時間感覚も相当違ってくる
現代はそうした先を見通した長い時間感覚をもていなのである。
スピードが第一になるとき早く仕事を達成しなければならない、成果を出せねばならないからである
それで現代人は絶えず何かに追われていて落ち着かなく余裕がないのである。
人と人も対話しない、車の人と人も対話しない、一瞬にすれ違い去ってゆく
時々危ないとかどなりちらす声を発して去ってゆく
徒歩だったら互いに歩きながらコミニケーションもありうる
旅は道連れになるが車だったらないのである


時間の不思議は回りの環境に時間の感覚が左右されている、エジプト文明の時代はさらに時間の感覚も違っている。それはとても今では経験しえない時間感覚で生きていた。
第一人力でピラミッドなど作るのはそういう時間感覚があったからだろう。
機械もない時代にあれだけのものを作るのは相当な時間感覚の相違があった。
時間感覚は機械によっても変わったのである。
時間が時計によって計られ時も変わった
昔の柱時計だと時間がゆっくり進んでいた
それはネジ回しの機械だからそうなっていた。
今は電気式になり何か機械も何が動かしているかもわからないのである。
時間感覚は環境によって作られている。
だから江戸時代の時間感覚はそこに生きている人しかわからなかったのである。
時代が違うというとき何が変わったかというとき時間の感覚だということがあまり指摘されていない


時間をゆっくりしたいなら逆にその環境を変える他ない、それが一番むずかしい。
なぜなら環境自体か変えられないからである。
車社会も変えられない、もし車が走っていないと時間感覚が昔にもどる
江戸時代にもどる、一時原発事故でそうなった。
車が走らない環境はまさに江戸時代なのである。
そして遠くにゆくことにはめったにない、近くで過ごすことになる
生活も戦後十年のように回りにある薪とか炭とかを燃料として自給自足的生活となる。
そうすると時間はむっくりとすぎて時間に余裕ができるのである。
そうなると刺激も少ないからいろいろと情報とかにふりまわされなくてもいいともなる
株をししていると外国まで常に気になりニュースを追っていなければならないのである。
現代はだから長生きの時代でも老人にとっては住みにくいのである。
老人になると環境も変化しない、長いゆっくりした時間感覚の方が安定する
なぜ盆栽趣味が江戸時代に発達したのか?
それは盆栽も育てる時間感覚があったからである。
盆栽は最低5年くらい手入れしてみていないと育たない、意外だったのは江戸時代からの盆栽があり樹齢5百年とかもあるのに驚いた。
そんなに長く生きているのがあるという驚きである
盆栽は小さいから寿命が短いと思っていたからである。
盆栽は時間感覚が長いゆったりした江戸時代に向いていたのである。
江戸時代の時間感覚から生まれた趣味だった。
だから実際は現代にあっていないのである。

いづれにしろ時間にしても本来の人間的時間をとりもどそうとしたらやはりそうした環境を恣意的に作るほかない、それは一番むずかしいものとなる。
ただこれからの高齢化社会では明らかに時間感覚も変わる
老人の時間感覚は遅久手からである。遅い方を好む、だから現代の早すぎる時間感覚の歯止め役にもなる。
それは車社会にはあわない、老人は危ないから運転するなとかなる。
すると老人は別な方向に向かう、運輸手段でも昔のバスとか利用したり近くを大事にして近くで用をたしうるようなものを指向する。
そういうことはすでにはじまっている。東京辺りでは老人人口が多いから配達してくれるとか近くで何でも用がたせて車も利用しないで生活できる。
田舎ではかえって広範囲に住んでるから車がないと生活できない
ともく高齢化社会は社会の環境を変える、それは時間感覚を遅くするのである。
それは昔にもどることになる。
また老人の仕事は昔を回想することでもある。
その回想することが精神生活になる。それも絶えず新しいものを経験している若いときは相当違うのである。
過去の経験を生きるということもありうるのだ。
それでじっくり読書するとか自分の場合だと日本を世界を旅行したことをふりかえり
やはり回想で旅がつづいている不思議があるのだ。
それもまた旅だったのである。
この七年間は介護とかで本当に遠くに行かなかった、旅もしなかった。
すると回りが大事なになる。近くで用足すことが大事になる。
それは江戸時代でありそれが人間として正常であり現代の時間感覚は異常だとなるのである。


おじいさんは冬の日がさして
ひなたぼっこしている
隣に猫がいる
石のようにじっとしていて
冬の日がさしている
そうして動かない
外は枯野である
故郷に長く暮らし歳月
おじいさんは石のように
そこを動かない
人間も生物だから木のように石のようになる


だから老人になると移動したり変化することが苦手になるのである。
それで原発でも津波でも避難した老人には辛いのである。

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