2015年01月01日

新年おめでとう(2015)

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南相馬市鹿島区「花幸」の今年の正月の作品

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青い花は水に青い染料を入れて吸い込ませて色をだした
やはり花屋はいろいろてことをしっている

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新年おめでとう


大輪の菊こそ映えて幸あれや新年迎え健やかにあれ


去年は楽な一年でした。
今年は体も回復してさらに元気に活動したい
ただ介護があるので遠くには行けない
つくづく人間は健康第一です
健康だったら長寿も何ら問題ない
若い人にも負担はかけないのである
高齢化社会の問題はいかにして健康に長生きするかにある
死ぬとしたら元気に活動しているような状態で死ぬの理想である。
仕事していてその後一二週間で死んだ人がいる
そういう死に方が理想である。
寝たきりとか介護とかになると長すぎるし負担をかけすぎる
高齢化は負の面のみ言われるが
何かを成す創作する人にとっては時間が余計に与えられるからいい
旅をしてもある場所を理解するには時間がかかるのである

現代はグローバルであり世界のことを知ろうとしたらさらに時間がかかる
現代が長寿になったということはグローバル社会に適応するためだともなる
江戸時代辺りだったら理解することは少ないから短命でも良かった
今は理解することが多くなりすぎている、何でも理解することは時間がかかるのである。自分も今になるといろんなことを理解できる
これはこういうことだったのかと理解できる
本などもこれは何を言おうとしているのかわかる
そしてそこから自分なりの見解に導くことができる
「少年老いやすく学なりがたし」というのはその頃高齢社会ではない
文字通り老いやすい時代だったのである。
現代は70でもまだ現役だとか元気な人が多い
学なりがたしとはならない時間がさらに与えられることで学が成るということもある
それが高齢化社会の利点と言えば利点である。

それにしても人生は短い、電車で旅していたのもあきて自転車で旅し始めたのが40代である。それから50代で世界旅行していたら還暦であり人生も終わりのかと思った。
人間は遊んでいても何もしなくても時間はまたたくまに過ぎ去ってしまうのである
ゲームやっていても時間は過ぎ去る、何かをしようとしたとき時間も体力もなくなっているのである
人生に与えられた時間はそれほど短かったというのも現実だった

高齢化社会は団塊の世代が退職してこれからはじまっているのである
まだ本当の高齢化ではない、これからの十年とかが高齢化社会なのである。
その中で団塊の世代は何らか数が多いから社会に影響する
批判が多いが今度は新しい老人文化を作るということもありうる
ただそのことはまだわからないのである
老人が金を持っているということは消費の面で影響する
そのことは何かを新しい消費の形態を作り出すということにも通じている
白い髭をはやした老人がバイクで疾走しているのも高齢化の光景である。
盆栽などをしているのはまれな方だろう。
ただ様々な老後の過ごし方があってもいい
今年はともかく体が回復して健康になり活動したいとなる
そういう希望がでてきたのである

今年も一年よろしくお願いします

 
タグ:新年

2015 新年の短歌十首 (大晦日は霰、元旦は北風、地震もあったー羊年は天候が荒れる?)


2015 新年の短歌十首


(大晦日は霰、元旦は北風、地震もあったー羊年は天候が荒れる?)

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羊年穏やかなれや月に石

夜になり北風やみぬ月に石

去年(こぞ)置きし石の一つや新年のめぐりてここに親しみよりぬ

我が庭に新しく置く石一つ月の照らして年改まりぬ

玄関に枯木の影や勤めにし苦労のみの重なる女かな

大晦日霰ふりにき老いてなお苦労の消えぬ故郷の女

元旦に北風唸るもここにしも我が家にあれ守り受け継ぐ

故郷に重荷なる人誰が背負ふ年の明けしも変わらざるかも

悲しさはただ重荷としてある人や誰が負うべしやカルマなるかな

新年や介護の日々のなおつづく石の一つを月の照らしぬ


今年はどうなるんだろう、大晦日は霰だった。今日は北風が一日唸りどこにも出れなかった。
羊年だと何か穏やかであるような感じではあるがこれもわからない、そうあってほしいというだけである。
結局自分にしても介護になってからずっと家族でも自分でも重荷を負う生活である。
それは何ら変わりない、今年もそうだろう。
一生重荷を背負わされた女性もいる。それで十年ふけてしまった。
障害者の子供とかもち一生重荷から解放されない女性である。


人の世は重き荷を背負うて遠き道を往くが如し 徳川家康


小高でも他でも津波の被害地も誰が重荷を背負うのか、誰も背負いたくないとなってみんな若い人も町を出てゆく、補償金もらって出た方が楽だとなる。
そこで家族もばらばらになり町をになう人がいない
誰かが重荷を背負わねばならない、でも誰も嫌だとなり家族はばらばらになり町は放棄される。それはもともとそうした絆が失われいたからとも言える
なぜなら戦国時代でもなぜ死んでまで主君に尽くすのかとかなるからである。
そういう一体感がすでに広域化グローバル社会でなくなっていたともいえる

個々人にしてもそうである。。なぜそうなったのか?いろいろ考えてもわかりにくい。
結局カルマなのかもしれない、それぞれの人が負っているカルマなのかもしれない
結婚の相談とか離婚の相談している女性が結局結婚もカルマだといっていた。
離婚もまたそうである。
身近な人でもなぜあの人は夫で苦労する女性なのかというとそれが親子二代だからカルマだったとなる。これもそうしか解釈しようがない例だった。
自分も介護とかなっているのは明らかにカルマである。
カルマは借りでありその借りを返すことを要求されているのである。
どんな人も何らかのカルマを背負いカルマを負わされているのである
それから逃れることはできないのである。
見栄とかで借金した人が他人に借金をおしつけて解決するのか
そのカルマは自分で払わない限り返せないのである。
もしそうだったら人生はあまりにも楽だとなってしまうからだ。

今年の元旦は月が光り北風がなる、そして新しい石を思う
石となるとなにか穏やかであり月もそうである。
「石と月」の元旦であり朝日が昇る元旦はなかったのも不思議である。
羊年とは何かこれもわかりにくい、ただ羊は月なのかもしれない、太陽とは違っている。獅子だったら太陽だが羊は控えめだから月になる、だから月と石と羊はあっているかもしれない。
元旦で天候はいつも違っているし心境も違ってくるのである。


羊年は天候的に荒れるのか?
細かい枝というのもそうなのか、干支などで運勢などわからない
ただ羊とかはどういう性質なのかということは通じている。
羊は穏やかであり従順だということである。
その年の運勢とはそれがどう関係してくるのはわからない。
今年は穏やかになるとは限らない
そう願ってもどうにもならない、
確かに天候は大晦日に霰であり元旦に北風で地震もあったから
やはり荒れ模様なのかともなる
ただ月は光り穏やかであった。
天候がわからないのは地球全体と関係しているからである
一局所を見てもわからないのである。
地震なども地球全体が関係しているかわからなくなる
人間は地球でも宇宙でも全体になるとわからなくなるのである


タグ:羊年

2015抽象画


2015抽象画

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歪んでいる宇宙に銀河

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夕焼け

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宇宙の花



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波紋

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湖の道

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鏡の眼


抽象画の強みはいくらでもできることである。
変化が容易にできるからである。
まず具象画でなければ一流の画家と認められない
それでも抽象画を一流の画家が描いている
するとこれは素人レベルなのかとなってしまう
つまり抽象画は誰でも描けるからである
特にパソコンとインターネット時代はそうなった
それで著作権違反になるのかという問題が起きた

今年は抽象画は暇つぶしにやるだろう
やはり波なら波とか抽象画も具象画を基本にしているのである
タグ:2015

2015年01月02日

新年の短歌 (今年は月が死がテーマ)



新年の短歌


(今年は月が死がテーマ)

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故郷の山の端に没る冬の陽や棚引く雲に寂けき

新年に陽の没り静か月いでぬ穏やかなれや水面に写りぬ


毎年新年でも感じが違ってくる。今年は何か月が出ている。新年は普通は太陽がテーマになる。今年は月である。月ということは今年は穏やかなのかもしれない
未年は荒れるともいうが未の性格は穏やかである。素直であり従順なのである。
一面は月と似ている。月は女性であり素直で従順な感覚になる。

今日山の端に太陽が沈んだあとは雲がその沈んだ太陽の光を受けて赤くなっていた。
その光がいかにも「寂光」という感じになっている。
カメラではその状態がそのつま写っていなかった。カメラは安い方をもっていったので写りが違っていたのである。
やはり高い方のカメラは違っていた。そのままを写しだしていた。

新年だけど何かこの情景は死を感じた。静寂が極まってゆく死を感じた。
題は「静謐な死」である。



静謐な死

故郷の山の端の棚引く雲に
冬の陽は没り光り寂けき
あたかも静謐なる死を思わしめぬ
人の苦しみよ
やがて終わらむ
汝は深い眠りにつく
何ももはや言わざれ
汝の幕は下ろされたり
汝はここに眠るべしかな



最後はどこで死ぬのか?これも大きな人間の問題かもしれない、故郷に生きた人はやはり故郷で死ぬのが幸せだとなる。だから原発避難者でも帰りたいというのは老人なのであるそれは生物としての本能のようなものである。
帰巣本能である。それでも客死したとか結構あるし故郷から離れた人も多い。
ただ故郷は別に生まれた所ではない、長く住んでいれば愛着がでてきてそこが故郷になるしかしそこに自然がなければ故郷にはなりえないだろう。
東京のような所が故郷にはなりえない、自然につつまれて死んでゆくより高層ビルの谷間で死んでゆく人工的空間の中の死になる。
それは生物の本能に反している、安らかな死にはならないのである

新年に死のことを言うのも縁起が悪いというのもあったが人間の心境もその時々変わってゆく。冬はどうしても死の季節なのである。



タグ:冬日没る

2015年01月03日

満月の新年(満月は縁起がいいのか今年の平安を祈る)



満月の新年


(満月は縁起がいいのか今年の平安を祈る)


寒椿月の光りて石一つ

津波後朽ちにし木のなお残りつつ年は明けにき家もなきしに
門標に名の残りて家もなし誰が家なれや四年はすぎぬ
誰が参る八竜神社海を見つ残るも家せ人もなしかも
年明けて満月光る良き徴し今年の平安我が祈るかも
我が町に除染に尽くす人のあれ年も明けにき仕事始めむ

今日は寒い、烏崎の方に行った。
満月が夕べでていた。今年は満月の新年だった。
こういう年もめずらしいかもしれない、満月となると縁起がいいとなる
何らか天候とか天体は地球と関係している。
だから古来日月に祈ってきた
天皇も祈ってきた、日月の旗をかかげるのもそのためである。
あれだけの津波も何らか天体と関係していたとも言われる。

烏崎の八竜神社は今も津波をまねがれ残っている。
でも烏崎は壊滅したから誰も参る人もないとなる。
ただ鳥居は新しく建てていた。
烏崎は八竜神社だけが残り海老村は墓地だけが残ったという景色も不思議である。
村は消滅して神社が一つと墓地は高台にあり残ったのである
この風景も不思議である。
そもそも人家が消えれば人がいなくなれば神社でも墓地でも無用のものと化してしまう。人がいなくなったわけではないが近くに新築した家がかなりある。だから以前として墓地でも神社でも参る人はいる。
ただ原発避難者でもそうだが人が町からいなくなれば神社という建物や墓地でも
無用化する。誰も参る者がいなくなるからだ。
人があって住んで神社という建物があり墓地がありうる
実際は建物より墓地より人の方が大事なのである。
いくら立派な建物があっても人が住まなければ無益なものとなるだけである

今年はもう四年すぎて五年になるから早い、今年は一つの区切りだろう。
小高の仮設の人は帰るか帰らないか決めねばならない
どっちつかずではいられないだろう。
そうなると結構厳しいものになるだろう。
農業は怠け癖がついてできなくなっているという
他でも仕事ができなくなっているというのも仮設暮らし補償金暮らしは堕落させたのである、補償金かいつまでももらえると思うようにもなる
だからあとは生活保護だと言っている老人がいる
あの人は遊び人だった。働いた人もいたが大方は働かなかったのである。
とにかくこの辺に多いの除染の人である。今年もそうである。
これも無駄なのかもしれないが地元のために働いている
だからそれを無益だとも言えない
仮設で遊んでいる人より地元のために働いてくれるんだなとなる
この辺はそういう点でずっと何か変なものになっていたのである。

いづれにしろ満月が縁起がいいとすれば経済もそれなりにいいのかもしれい
そんなに悪くならないかもしれない
どういうわけか自分の運気と株の動きが同調しているのも不思議である
この七年間は苦しみと不運つづきだった
去年あたりから良くなり去年は楽だった
今年はただ平安を祈るだけである。
タグ:新年

2015年01月04日

家庭用の風力発電の風車も大きくて高い (ソーラパネルでも風力発電でも景観の破壊がある)



家庭用の風力発電の風車も大きくて高い


(ソーラパネルでも風力発電でも景観の破壊がある)

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この風力発電はめずらしい
ソーラーバネルは多いけどこれは初めて見た
ただここは原町に行く所で頻繁に通っているので景観的には悪くなった
あそこは空地だったからである。
池もあった一本松があった

ただこの辺は景観自体がいたるところで変わってしまった
津波の跡もそうでありその変化が大きすぎたのである。
ソーラパネルも田んぼでも隠されるように設置していたところはわからなかった
他でも隠されるようにあるとわからない場合がある
でも日本では広い土地がないからソーラパネルは向いていない感じもする
小高の農家の人がいつのまにかソーラーバネルが設置されていたとか怒っていた
でも小高辺りは農家の人でも帰らないとすると土地があまる
そこを何に利用するかとなるとソーラパネルとか放射性廃棄物の土地を提供して金をもらうとなってしまう
そうして金をもらっていて他に住めばその人は定期的に収入が入るから生活できるとなる
ソーラパネルとか風力発電など自然再生エネルギーの問題は定期的に電力を供給できない太陽でも風力でもそうである。それだと家庭くらいならいいが工業的には使えない
それでも家庭だけもまかなえればそれなりに有効だとはなる
電力会社で買い取りができないとなったのは大量の電気を定期的に供給できないからである。

自分は何か田園的風景がいいと思うからソーラパネルでも風力でもいやだとなる。
写真の風車一台でどれくらい電力がまかなえるのか?
これはかなり目立つ、支援があって作ったのか
前に産業廃棄物の会社があるからその関係だろう。

これからのエネルギー確保をどうするのか最大の問題になる
水素エネルギーは本当に使えるのかとなる
いづれにしろ風力発電でもあんな大きなものは目立つからあまり立ってほしくないとなるでもあれくらい高くしないと風を受けないからあんなふうになった
テレビでみる風力発電の風車と実際身近で見るのは違っている
本当に大きくて高いな実感する、家庭用でもこれだけ大きくて高いのである。

ともかく一番人間は景観を無視されやすい、景観に価値を認める人が少ない
つまり景観は全体であり個々の価値ではない、全体が作る価値だから無視されやすい
ここの土地とか家の価値をみるが全体を見る人は少ない
だから景観は常に破壊されやすい、京都でもどこでも古い街並みでも破壊される
自然景観も破壊されやすい、携帯電話の鉄塔でも何か立ちすぎていやなのである
景観を考慮して建てられていないのである。

景観が破壊されやすいのは大衆にとって景観は金にもならないからである。
それは具体的に金のなるものとして認められないからである
ただ景観が破壊されることは人間の精神まで破壊される
大都会は自然の景観を破壊して人工的空間になってしまったからである。


大都会より田舎がいいというとき田園的風景があってこそなのである。
だから浪江でも高瀬川や海があり飯館村でも森につつまれていたし景観的には良かった
それが原発事故で人が住まなくなったことはもったいないとなる



タグ:風力発電

原発事故はなぜ起きたのか (現代文明が破綻すると原発事故周辺のようになる)



 原発事故はなぜ起きたのか

 
 (現代文明が破綻すると原発事故周辺のようになる)

 
 ●資本主義民主主義社会は崩壊する

 資本主義民主主義国家において、各人が各人の利益を追求していくのが当然とされるようになる、その末路は、共同体の崩壊ではないのか?各人が責任を厭い、権利を振りかざして過剰にエゴを追求した結果、国家は空洞化するのではないのか?グローバル企業が国家を食いつぶすアメリカのような状態になるのではないか?


原発事故がなぜ起きたかというのはいろいろ探求してきたけどこれは現代文明の欠陥から起きたともいえる。一見関係内容に見えても個々人のありようが原発事故をもたらした。現代は公共のためとか全体のためにとか国家のために尽くすとかがまるで消失した。
だからなぜ戦争で国家のために天皇のために三百万人も死んだのか犠牲にされたのかわからなくなっている。なんか馬鹿げているという感覚になる。
国家より自分、天皇より自分、公共のためより自分、故郷より自分、家族より自分、すべてが自分のためにあり自分が最大の優先課題である。
それは共産党員でも創価などのカルト宗教団体でも同じである。
自分の欲望実現のために活動しているし馬鹿な奴は利用されているだけである。
上の人の欲望の実現に利用されているだけだである。

原発事故の原因というとこれは誰が一番あったのかというと東電の幹部にあった。
では東電の幹部も上役も社長でも会長でもその人たちの欲望の実現のために会社があったのである。そこには公共性というのがなくなっている。
では政府でも官僚でもそうである。東電には検察が天下りしているから会長でも社長でも罰することができず海外でのうのうと暮らしていける。
検察が警察があったとしてもそれは個々人の特に上層部の人達の欲望を実現することが最優先されるとなるとそうなる。
検察自体がそうだとするとあとはみんな同じだとなる。
ではそういう支配階級がすべて悪いのか責任があるのかとなるとそうでもない
地元の人達も同じである。結局上も下も自分の欲望の実現のためしかない。

資本主義民主主義国家において、各人が各人の利益を追求していくのが当然とされるようになる、その末路は、共同体の崩壊ではないのか

資本主義民主主義のシステムがそもそもそういうシステムであり個々人の欲望を是認してさらに欲望を開発して刺激してゆくのが資本主義である。
個々人の欲望をどこも否定していない、カルト宗教団体も自分の個々の欲望実現のために神仏に祈っているのが現代である。
「もっともっと拝め、題目あげろ、お前の欲望はかなえられる」それは別にカルト宗教団体だけではないみんなそうである。

●地元の個々人の欲望も事故の原因になっていた

原発事故もそうした個々人の制御できない欲望の実現として作られたということもある。
「原発は金になるぜ、危険じゃないのか、馬鹿を言え、危険より金だよ、政府も科学者も安全だと言っているじゃねえか、金になればいいんだよ」
地元の一人一人を見てもいかに強欲になっているかわかる。
なぜあの人は大工でもいい腕しているしかなりいいときはもうけたのにさらにもうけようとしてブラックなものに手を出してさらに金を得ようとしているのか
あの人はなぜ事業を起こして見栄で借金までして自分を成功者に見せたいのか
そうして弱者になったものから今がチャンスだと借金をしてむしりとる。
相手のことなどかまわない、借金に追われているいる人は相手のことなどどうでもいいのである。保険金殺人者のような心境になり人間でなくなっている
実際にあいつが死んだら金が入ると思うことは殺意があり殺人者と同じである。
そういう地獄となっているのが現代であり自分が経験したことなのである。

一人一人を見ればなぜそんなに強欲なのかとなるか
でも資本主義民主主義社会ではそれは是認されたことであり奨励されていることだから誰も批判などできないのである。
科学は人間の欲望を実現させるものとしてありだからこそ現代文明では信仰にまでなっているのである。
サイエンスとは真理とか哲学であったが現代の科学は人間の欲望実現のためにある。
サイエンスだったら宗教ともにている。
だから科学者は実益なものだげでなく何か原理とか法則性とか科学の発見として見ていて実益性には関心がないという。でも大衆が求めているのはそんな抽象的なことではない、具体的な実益なのである。たからこそ現代の宗教までに科学がなったのである。

原発事故はこうして個々人のきりない欲望を解放して実現させるために起きたという側面がある。今の社会には公共性とか全体とか社会を統一させるものがない
ただ個々人の限りない欲望が刺激され解放され追及しろという社会である。
ただそういう社会が最終的にどうなってしまうのか?
それがまさにその見本となり現実化したのが原発事故周辺だったのである。
故郷という共同体、共同性は消失し家族もばらばらになり人も住めなくなった。
その後も補償金で金でもめて市自体の共同性もなく分裂している。
結局「お前らはたんまり金もらっているんだから金でめんどうみてもらえ」となり協力も絆もなくなっているのである。
金を個々人で求めその金を得たのだがそれでこの辺はかえって分裂してしまった
そもそも家族すら社会すらすでにそうした金による広域社会とかグローバル社会で分裂させられていたのである。
だから容易にコミニュティが市町村が解体したような状態になった。

●現代文明の破綻した状態が原発事故周辺にある

なぜ十津川部落は貧乏なのに一体感を強い絆をもって北海道に村ごと移住できたのかを考えればわかる。援助が多少あっても多額の補償金をもらっていない、要求もしていない、
ただ一丸となって結束して北海道に移住して新しい村を作ったのである。
その正反対の現象が今の原発避難地域とか他の津波の被害地でもある。
十津川部落とは違ってコミニュティが広域化とかグローバル社会で破壊ささやすかったのである。
この世の中金さえあればどうにでもなる、故郷など固執しなくてもいい、土地にも家にも固執しなくてもいい、金があればどこにでも住めるしかえって便利な方に移動した方がいいとなり現実に川内村では郡山市に移住して補償金でいい暮らしした方がいいとなったのである。
だから根本的にそうした強欲資本主義とかグローバル社会が何を目指しているのか?
そういう文明自体を問うものとなったのである。
でもそうなると問題が大きくなりすぎて手に負えなくなる
世界自体がグローバル経済に組み入れられているからそれを個々人が反逆しても徒労になる。


ただこういう個々人のあくなき欲望の追及の社会を見直す時代に来ているし大変革が世界恐慌とか資本主義の崩壊現象が起きてくる。
個々人のあくなき欲望の追及を神を自然は許されないからである。
そういう自分もアメリカの株でもうけているから矛盾している。
「お前も同じじゃないか」となればそうなってしまう。
ただ金は下々のもののためにも使っている。
ただ自分は別に前から贅沢などしていない、家があったし家を建てるために苦労していない、旅行しても金は最低しか使っていない、食べるものを節約して旅行していた。
それが海外旅行でも同じだった。
もともと自分はそんな贅沢する金などなかったのである。

いづれにしろもうこうしたグローバル資本主義社会は限界にきて破綻に向かっている。
その現象が現れるのは意外と早い、そういう破綻した現実が原発事故周辺を見ればわかる食料さえ自給できず水も安心して飲めない、田畑は草茫々になっている。
津波も重なって荒涼たる風景となってしまったのである。
本当に「猿の惑星」でありそれが現実になっていることの驚きである。
これが現代文明の破綻が現実化した世界なのである。
人間の心もばらばらになり荒涼とした荒野が広がる、それはまさに自然災害だけではない、人工災害も加わってそうなった。それは現代文明が作り出した荒涼とした精神の現れなのである。

十津川村の教訓ー移住する意志と覚悟と決意があった
(原発事故周辺は補償金だけをもらうことしかないので復興はできない)

 
posted by 老鶯 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年01月06日

沖縄の石垣島に明和の大津波(1771年) (総合的学問が喪失していることの危険)



沖縄の石垣島に明和の大津波(1771年)

(総合的学問が喪失していることの危険)


●石垣島にはまだ過去の津波の記憶が一般レベルであった



石垣では海の近くに家を建てないという認識があるのだが、それは明和の大津波によるものが大きい。

東日本大震災の時と同様、もしくはそれ以上の大津波を体験した島民はあまり海の近くに家を立てたがらないという歴史が島民には根強い。
http://shinjitsuokinawa.org/?p=84
ここのプログは沖縄の裏事情を語っていて面白かった。

石垣島だけで8439名もの死者を出しました。その後も飢餓や伝染病などの二次災害的な死者も加わり、八重山の人口は地震前の三分の一まで減少しました


この被害も凄まじかった。相馬藩の天明の飢饉と同じである。その時三分の一に人口が減ったからである。これだけの被害があれば伝承も残る。
しかしそれでも忘れられてゆく、慶長三陸津波は1611年だから400年前であり明和は300年前だった。百年の差があるにしろこの記憶はなかなか消えないはずである。
それで石垣島ではそういう言い伝えがあり海岸沿いに家を建てないということがあった。
津波の問題は300年前とかなるとどうしても記憶が薄れてゆく、それが最大の問題だったのである。宮城県であれ岩手県百年前に巨大な津波で大被害になっている、それで高い防潮堤を建てたからその記憶が生々しいからである。
それでも警戒しないで被害があれだけあったことの不思議である。

●科学者が津波を警告しても東電は聞かなかった

相馬藩内ではまずそうした慶長津波の記憶はほとんどない、相馬藩政記に一行700名溺死と記されていたがそれも忘れられていて今回の津波で発見されたのである。
今回の津波で常に話題になったのがなぜ危険な海岸に住んでいたのかということである。まずこれくらいの津波の経験が過去にあれば誰も住まないからである。
少なくとも警戒して住んでいる。
ところが三陸でさえやはり海岸沿いが便利だから津波の後も住んでいたのである。
400年間津波の被害がなかった忘れられた地域ではもともと記憶も伝承もなくなって忘れられているのだから余計に海岸沿いに津波の警戒もなく住んでいても不思議でないとなる
宮城県でも津波に警戒がなくなっていたのは海岸沿いが仙台市の新興住宅地化していたこともある。それで最近ボーリング調査で津波が奥深くまで来ていたことが実証されていたのである。それで学者が警告したら不動産屋が地価が下がるから津波のことなど言うなと脅されたという、そこにもともと住んでいた人も忘れ新しくそこに住む人はもちろん警戒もしない、海岸沿いは涼しいし眺めがいいとかで新興住宅地化した。
でもやはり昔から江戸時代とかその前からも人が住んでいたという地域にはその土地のことを伝えるものが残っている。
それを一番意識するのがその土地に代々住んでいる人達なのである。
それが郷土史である。

 
現代はグローバルに無規制に世界が拡大している。空間が拡大するのは容易である。
一日で地球すら一周する。ところが時系列を過去にさかのぼるその土地の歴史は簡単に理解でない、時間がかかるのである。
だから確かに自分は日本全国を旅したしその場所を空間的に地理的にわかる。
しかし時間的なものは歴史などを理解するのはやはり旅した後でいろいろその場所のことを調べて考察していると徐々にわかってくる。それは時間をかけて徐々にしかわからないのである。それが外国だったら余計にそうなる。
あの場所はそういう場所だったのかと理解するのは相当に時間がかかる。
だから今では7年間近くすら自由に外出もできないが旅した場所を思い出してその場所を
回想で旅して歴史を知ろうとしているのである。

例えば石垣島に行ったとしてもあそこで津波があったとか関心をもつ人はまれだろう。
今回は地元でこれだけの津波の被害があったから日本でも世界でも津波に関心をもつようになったのである。人間の弱点はたかたが一人の人生でも過去はわすさ安いのである。
また忘れないとしたら嫌なことも忘れないから困ることになる。
ただ忘れてならないことがあった。それが津波のような大災害は忘れてならないものだったのである。
宮城県では慶長津波のことは比較的残っていた。でもあれだけの被害があったのは海側に向かって宅地開発が無造作に行われたためである。
その土地がどういう土地なのかなどかまわない、津波の危険を警告しても無視された。
そこも金儲け第一主義であり学者が警告したら不動産屋が脅してきたことでもわかる。
それは福島の原発と同じだった。
最近の津波のことで学者が東電に警告していたのである。それは歴史学者とかではない、科学者が最近のボーリング調査で津波が奥の方まで来ていたその砂が発見されたので警告していたのである。

●大学の本来の役割が消失する危険

普通は科学者だったら科学者のことは冷静に判断する、郷土史家のことなどは無視されやすい。だからそのことは東電で科学者の集まりがなぜ無視したのかわからない。
結局人間の欲望が利益が優先されて科学者もその欲望のために操られる。
STAP細胞騒ぎも何かそうした人間の欲望がからんで起きた事件だった。
科学も社会の中では人間の欲望とかかわりゆがめられてしまうし科学者もその欲望のためにゆヴめられてしまう。
研究費が欲しいとなるとそこに金がかかわり金が欲しいとなり科学者もその金のために働かせられることになるのである。
科学がいかがわしい錬金術になるようになった。金を作るということはそこに人間の深い欲望を実現するものとして科学が変質した。そこに科学の呪いが生まれたのである。
例えば本当の科学者は青色発光ダイオートとかSTAP細胞が実用的にどう利用されるかよりそれが新しい科学の発見であり法則の発見であるとき、実用性よりその法則が発見されたとかの方に興味をもつという、つまり学問と実用は別なものとしてあった。
大学とかは企業とかと違うのだからそうした実用とかと離れて原理とか法則とか純粋に科学を追及する場なのである。そこからたしかに実用的なものが生まれたとしても本来は実用から離れたものとしてある。

大学がすべて実用ばかり追及したらそれは企業になってしまう。
大学の意味は実用とと離れて人間としての教養とか全体的な人間としての知を追及する場である。これもまた象牙の塔などと言われて現実社会と遊離しているとかなるが大学の役目は一面はそういう現実の利益から離れたところにあることも社会としての役割なのである。

デカンショ、デカンショで半年暮らす、アヨイヨイ、あとの半年ぁ寝て暮らす、ヨーオイ、ヨーオイ、デッカンショ♪」
デカンショとは、デカルト、カント、ショウペンハウエルをまとめて略したもの

そういうことが人生の内でも若い内があってもいい、実用ばかりだったら味気ないとなる大学の役目は幅のある教養のある人間を作ることである。
高校とはまるで違った場所だったのである。
それは帝大性となるとエリートだからできたことであったが団塊の世代からは大学も実際は大衆化していたのである。
大衆レベルで帝大生のような境遇を味わえたというのはそれなりに意味があった。
今なら半分が大学がでているからまた違っている、それが悪いとは言えないのである。
文科系大学は税金の無駄だともなり廃止すべきだというのはまさに今の社会にそうした余裕がなくなっているからである。何か実用性がなければ無駄となるのはまた危険である。何か無駄なのかなどこの世ではわからないのである。
無用の用がこの世で必ずあるからそうなる。
津波とか原発事故を考えるにしても何か総合性が必要だった。
それは科学だけではわからない、郷土史なども関係していたしそれは総合的に判断するものだった。その総合性が一番欠けているのが現代でありそれが津波であれ原発事故で問われたのである。


タグ:沖縄の津波
posted by 老鶯 at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

30年前から原発で働いていた小高の人の話 (原発のために道路作る時から働いていたー仲間はみんな放射能で死んだ?)


30年前から原発で働いていた小高の人の話


(原発のために道路作る時から働いていたー仲間はみんな放射能で死んだ?)


今日はなぜかあたたかい、昨日まで寒かった、そこで土手で休んでいる小高の人の話を聞いた。
その人は80才であり福島の原発に道路を作る時からかかわっていた。原発を建てるために道路の工事していたときからかかわっていた。
だから今になるとずいぶん古い話だなと思った。
その時まだ六号線もできていないし車も相当に少ない時代である。
そして面白かったのは加藤建材は今はこの辺では大会社だがその時真野川の砂利を運んでいたという、砂利を選別するような作業をしていたという。
あの加東建材がと今になるとそんなことしていたのかと驚く
それは松下幸之助も電球を作っていてあれだけの大会社になったのとにている。
ホンダでももともと自転車に電動付きのものを作りバイクを作ったのが会社の始まりだった。今は大きな会社でもそれだけ小さい時があったから想像すらできなくなる。
成田モヤシは有名だけどあれも自分の家で店をやっていたとき一軒一軒卸していた小規模なものだったが東京の方に売り出して大会社になり社長になっているから驚く
そのモヤシは他のモヤシとまた違ったもので売れたのである。
加東建材の場合は原発ができて工事があり真野川の砂利を運んだことが会社を大きくする要因になっていたことも意外である。

そもそも浜通りで原発はそれだけ経済にとっては大きな力となっていた。
だから原発に勤めていた人が意外と多いのである。
自分もすでに10人くらいあって話を聞いたからである。
話聞くにしても調査しているわけでもない、20人くらいしか聞いていないだろう
それなのに10人くらいも原発に勤めていたというのはやはりこの辺では原発が働き口になっていたのが多いのである。
親戚だった浪江の人も原発の下請けでありそういう人もかなり多い。
原発関連の仕事も多く原発がまたこの辺の高校生の就職先にもなっていたのである
これは女川原発でも同じである。
農業とか漁業ではもう豊かになれない時代になっていた。
原発で働くことは高収入になっていた。だから事故があった後も一様に原発で働いた人は東電をあまり悪く言えないんだよなと言っていることでもわかる。
その恩恵も大きかったからである。

その人はそれだけ原発とかかわっていたのだから原発のことを知っていたともいえる。
ただなぜか原発では俺の仲間はみんな死んだという
放射能汚染で死んだけどそれは肺炎とか別な病気にされて死んだという
そんなに死んだのというのが納得いかなかった
でも盛んに危険な原子炉で働いた人は死んだという。
何でもそうした危険な場所に入るには試験があったという
その試験もでたらめであり合格させて危険な場所で働かせていたという
でもみんな金が欲しくて九州辺りとかホームレスとかを入れて働かせていたとかいう
原発というのはともかく金の成る木だったのである。
だからそこには様々な人々がかかわっていた。
まず浪江とか小高になると原町でもそうだが原発にかかわる人は多かった。
原町だって結構離れているからそうではないようにみえてもかかわる人が多かった。
その人が言うには電源を地下にもっていったのは危険だと自分も見てわかった。
専門家でもない普通の労務者がみてわかることは危険が目に見えていたのか
それだけ危険に対して危機管理がなかったともなる

それから原発を建てる土地をもっている人が最後まで反対していたという
それも津波が来たらどうするんだと反対していたという
かえ、津波のことを土地をもっている一般の人が言っていたということは驚いた。
そして土地を最後まで売らなかったというのもそんな人がいたのかと思った。
最後は売らない土地は囲い込まれてしまったという。
これもどういうことなのかわかりにくい、その人は別に原発に反対する左翼的な人でもないが何か反対して土地を売らなかったのである。
最後は強制収容のようになってしまったのだろう。

それにしても津波のことを言っていたのかというのが良くわからない
津波のことなどこの辺ではみんな無関心だからである。
「津波が来たらどうするんだ」
と東電とかに詰め寄って土地を売らない人がいて最後に囲いこまれた人がいたということは特筆すべきことでないか?
そういう人は他に北海道辺りではいた。
何か反対する人はいるものである。
それは地元でもただ変わり者とされるだけでありマスコミも取り上げたりしない
まずマスコミは本当のことは取り上げない
もしそんなことを取り上げて危険を言うと宣伝費が入らなくなるから取り上げない
でも今になるとなぜもっとマスコミでも原発の危険性を言わなかったのかとなる
それは過剰でも言っても良かったのである。
反対に絶対に事故は起こらないという安全神話が形成されてしまったのである。
それは東電とか政府とか一体になり強制的に作られたものだったのである。

その人は町内だけと小高に帰るという、若い人は帰らなくて困るだろうと聞いたら徐々に帰ってくるだろうといっていた。親を放っておけないだろうとも言っていた。
そして土地と家ある人は帰らざるをえなくなるとも言っていた。
何でも小高の山の方で国民年金を6万くらいしかもらえない女性が補償金を800万くらいため込んで喜んでいるとか言っていた。
確かにそういう人もかなりいるし補償金もらって良かったという人もいたのが30キロ圏内ではあった。もらえない人はそれで不満なのである。
その人は年だからあまり先のことは考えないというのもわかる
ただ年取るとこういう変化に対応しにくく疲れたとも言っていた。
それもわかる、老人は変化に一番弱いからである。
結局小高の人は半分は帰るという、そのあとに帰る人は増えるともいう。
小高の場合は浪江とかと違いそれほど放射線量は高くないからそういえる。
老人は帰りたいという人が多い、でも若い人も親が帰ったら帰るというのはどうかなとも思った。他で暮らしをたてるようになったら簡単に帰ってこれなくなるだろう。
ただ土地と家をもっている人はやはり帰ってくるのかもしれない
あと一年は早いというとき確かに早い
すでに小高の人は帰る準備に入る年になったのである。
他の津波被害地でも5年たてば仮設にいられなくなるからそこからまた大きな区切りとなり問題が生まれてくる。5年はどっちにしろ一つの区切りになる。


あとがき

80才だから死ぬ時期の人もいて死んだと言ったのだろう
放射能で死んだということは肺炎でも心筋梗塞でも証明できない
仲間が放射能で死んだというとき放射能ではなくて
その年だと本当にその病気であり放射能が原因とは言えないだろう
いづれにしろ放射能で死んだなどもうわからない
これからもわからない、そもそも証明できないからである。
だから放射能汚染の責任は問われなくなる

posted by 老鶯 at 16:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2015年01月07日

時間の謎 (時間の感覚は環境により変化させられている)



時間の謎

(時間の感覚は環境により変化させられている)


時間のことを考えると本当に理解できない、時間が何かという定義はできない
時間はそれぞれの人の解釈だともなる。
なぜ現代は時間が急速に流れていると感じるのか?
その一つの大きな原因が乗り物、運送するものが変わったからである。
人間は江戸時代でも歩いて移動していたし荷物も運んでもいた。
それをみていたらゆっくりしたものを感じたろう。
でも歩いている人からみれば長い距離をゆくのには急いで歩いていたのである。
旅人は早立ちである。40キロ一日歩くとしたら朝早く起きて早足で歩かねばならなかった歩いている人は急いでいたが見ている側からする早いとは見えない

のろのろと汽車が行く
ここは山のふもと
あたりいちめんのなのはな
まえへうしろへでさへづるひばり
そのなかをのろのろと
汽車はゆく
その汽車の後からついてゆく私の幻想よ
鱒は泥田に身を隠した
それをとろうとした子供は腹をたて
小石をひろい
汽車をめがけてなげた
それをみてだるそうな
汽車は汽笛を吹き鳴らした
この汽車はどこへゆくのか知れたものか
なんという長いレールだ

山村暮鳥

だから不思議なのは明治大正時代でも汽車がのろのろと走っていたという表現があったことである。
汽車がのろのろと行くなど考えられない、その当時の汽車はそういう感覚だったのであるもちろん急行もないから遅かった。でも汽車だったら馬などよりずっと早いのにのろのろという表現を使っているから不思議である。

子供は長い長い貨物列車を見ていた
その貨物列車はいつまでも尽きるように見えなかった
いつまでも貨物列車を見ていた

子供の頃まだ長い貨物列車が通っていた、それは長かった、子供にとっては余計長く見えた。その時間感覚が消えた。あのころは輸送の主役が貨物列車だったからである。確かに今も貨物列車は時々通る。

長々と貨物列車の通りゆく老人寝ている病院に見ゆ

貨物列車と高齢化社会の老人、それが重なって見えた。貨物列車は何か重い、老人もそうした荷物に見えるから重なって見えたのも現代である。何でも時代によって見え方が変わってくるのである。
乗り物でもゆっくり走っていれば時間もっくりとすぎてゆく
現代は電車でも新幹線になり車になり飛行機になり何でも早い、車だと毎日目まぐるしくすぎてゆく、ぐるぐる時計が回っているように時間がすきてゆく
一方で徒歩とか馬だとかはゆっくり進んでいる、自転車も遅いのだがこれも徒歩からすると早いのである。
車社会になると毎日めまぐるしく時間がすぎてゆくようになる。
時間に追われてすぎている感じになる。
だから環境が時間感覚を作っている。
汽車もなかった江戸時代に住んでいればさらに時間感覚は遅いものとなる。


カチカチカチ
時計の歯車が刻む音
古い柱時計がボーンボーンと時を打つ
裸電球一つの
トタン屋根のがらんとした古い家
外では北風が唸っている


子供の頃の時間感覚は遅く長かった。それは子供ではみんな同じである。
そしていつのまにか急速に時間はすぎてしまった。
そんなところにいたことさえ定かでなくなった。
柱時計の時間感覚は今とは違っている。おじいさんの古時計という歌が流行したがあんな感じであった。江戸時代なら寺の鐘が時間感覚になる。
この差も大きいのである。その時間感覚だけはもう経験することができないのである。

もう一つは処理する情報量と時間感覚は関係している。グローバル化した世界ではニュースに目を通すだけで時間がかかる。世界のニュースの量は莫大なものでありそれを知るとなると時間がかかる、江戸時代の百倍とか千倍の情報を処理するとなるとそれだけで時間がかかるから時間が早くすぎる。学習にしても江戸時代の千倍の量を学ばねばならないとなると時間が必要になる。
江戸時代には漢字を習っていても英語など習っていないからである。
英語に費やす時間だけでも膨大になる。
江戸時代の学習は詠み、書き、そろばんであり学ぶ量が極端に少ないのである。
だから時間がかからないから一生で学ぶものが少ないから時間がゆっくりすすむのであるつまり時間的に余裕がある社会である。
それは農耕社会とか自然に則した生活にあっていた。
例えば林業でも50年で木が育つとしたらとても一代では仕事にならない
次の代で収穫があるとしたらそれだけの長い時間感覚もたねばならない
すると時間感覚も相当違ってくる
現代はそうした先を見通した長い時間感覚をもていなのである。
スピードが第一になるとき早く仕事を達成しなければならない、成果を出せねばならないからである
それで現代人は絶えず何かに追われていて落ち着かなく余裕がないのである。
人と人も対話しない、車の人と人も対話しない、一瞬にすれ違い去ってゆく
時々危ないとかどなりちらす声を発して去ってゆく
徒歩だったら互いに歩きながらコミニケーションもありうる
旅は道連れになるが車だったらないのである


時間の不思議は回りの環境に時間の感覚が左右されている、エジプト文明の時代はさらに時間の感覚も違っている。それはとても今では経験しえない時間感覚で生きていた。
第一人力でピラミッドなど作るのはそういう時間感覚があったからだろう。
機械もない時代にあれだけのものを作るのは相当な時間感覚の相違があった。
時間感覚は機械によっても変わったのである。
時間が時計によって計られ時も変わった
昔の柱時計だと時間がゆっくり進んでいた
それはネジ回しの機械だからそうなっていた。
今は電気式になり何か機械も何が動かしているかもわからないのである。
時間感覚は環境によって作られている。
だから江戸時代の時間感覚はそこに生きている人しかわからなかったのである。
時代が違うというとき何が変わったかというとき時間の感覚だということがあまり指摘されていない


時間をゆっくりしたいなら逆にその環境を変える他ない、それが一番むずかしい。
なぜなら環境自体か変えられないからである。
車社会も変えられない、もし車が走っていないと時間感覚が昔にもどる
江戸時代にもどる、一時原発事故でそうなった。
車が走らない環境はまさに江戸時代なのである。
そして遠くにゆくことにはめったにない、近くで過ごすことになる
生活も戦後十年のように回りにある薪とか炭とかを燃料として自給自足的生活となる。
そうすると時間はむっくりとすぎて時間に余裕ができるのである。
そうなると刺激も少ないからいろいろと情報とかにふりまわされなくてもいいともなる
株をししていると外国まで常に気になりニュースを追っていなければならないのである。
現代はだから長生きの時代でも老人にとっては住みにくいのである。
老人になると環境も変化しない、長いゆっくりした時間感覚の方が安定する
なぜ盆栽趣味が江戸時代に発達したのか?
それは盆栽も育てる時間感覚があったからである。
盆栽は最低5年くらい手入れしてみていないと育たない、意外だったのは江戸時代からの盆栽があり樹齢5百年とかもあるのに驚いた。
そんなに長く生きているのがあるという驚きである
盆栽は小さいから寿命が短いと思っていたからである。
盆栽は時間感覚が長いゆったりした江戸時代に向いていたのである。
江戸時代の時間感覚から生まれた趣味だった。
だから実際は現代にあっていないのである。

いづれにしろ時間にしても本来の人間的時間をとりもどそうとしたらやはりそうした環境を恣意的に作るほかない、それは一番むずかしいものとなる。
ただこれからの高齢化社会では明らかに時間感覚も変わる
老人の時間感覚は遅久手からである。遅い方を好む、だから現代の早すぎる時間感覚の歯止め役にもなる。
それは車社会にはあわない、老人は危ないから運転するなとかなる。
すると老人は別な方向に向かう、運輸手段でも昔のバスとか利用したり近くを大事にして近くで用をたしうるようなものを指向する。
そういうことはすでにはじまっている。東京辺りでは老人人口が多いから配達してくれるとか近くで何でも用がたせて車も利用しないで生活できる。
田舎ではかえって広範囲に住んでるから車がないと生活できない
ともく高齢化社会は社会の環境を変える、それは時間感覚を遅くするのである。
それは昔にもどることになる。
また老人の仕事は昔を回想することでもある。
その回想することが精神生活になる。それも絶えず新しいものを経験している若いときは相当違うのである。
過去の経験を生きるということもありうるのだ。
それでじっくり読書するとか自分の場合だと日本を世界を旅行したことをふりかえり
やはり回想で旅がつづいている不思議があるのだ。
それもまた旅だったのである。
この七年間は介護とかで本当に遠くに行かなかった、旅もしなかった。
すると回りが大事なになる。近くで用足すことが大事になる。
それは江戸時代でありそれが人間として正常であり現代の時間感覚は異常だとなるのである。


おじいさんは冬の日がさして
ひなたぼっこしている
隣に猫がいる
石のようにじっとしていて
冬の日がさしている
そうして動かない
外は枯野である
故郷に長く暮らし歳月
おじいさんは石のように
そこを動かない
人間も生物だから木のように石のようになる


だから老人になると移動したり変化することが苦手になるのである。
それで原発でも津波でも避難した老人には辛いのである。

タグ:時間の謎

2015年01月08日

マクドナルド、京都の店舗でも異物混入 (グローバル化の食、工場の大量生産に疑問)



マクドナルド、京都の店舗でも異物混入


(グローバル化の食、工場の大量生産に疑問)
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●グローバル化経済は食でも見直される時代

自民党の渡辺美樹参院議員が創業したワタミグループの弁当宅配事業「ワタミの宅食」で、
弁当に金属製のネジなどの異物混入が相次いでいることが、現役社員の告発でわかった。

現代の食の疑問はいろいろある。食もグローバル化していることが問題なのである。果たして人間はそんなに世界中のものを食べていいのだろうかという疑問である。
結果的に食が欧米化した結果として欧米人がなりやすいガンでも何でも増えてきたのである。
今回の事件もグローバル化の食と関係している。中国で生産されたとかタイでされたとか日本ですら作っていない、そしたらそこで何が起きてもチェックしようがない、もともと中国産には何か入っているのか疑問であり怖いから食べないという人はいた。

自分がテレビを見て違和感を感じたのはベルトコンベアーで大量生産されていたことである。口に入るものがあんなふうにして大量生産されることに違和感を感じた。
もちろん今では食料もそういうことが多くなっている。
あんなふうに食料でも大量生産されていたからこそ何か混入されても不思議てはない、
そうなりやすいということである。
食のチェーン店には疑問を感じていた。特に安い食のチェーン店はそれだけのものだとも思っていた。まあ、納豆定食くいだったら別に家のものと変わりないからいい。
でもマクドナルドとかのは嫌だった。そもそも牛肉を自分は極力食べないからマクドナルドと食べない、でも外国では安く食べる所がなくしかたなく食べていた。味気ない食だった。安いから腹を充たせばいいという感覚である。

結局食の大量生産とか食を大企業にまかすことが何か人間的に変なものではなかったか?
まず何でも即席に買って食べるようになったのが食が変わったことである。
みんな大量生産されたものを食べ家庭料理も手料理もお袋の味もなくなり家ごとにあった味もなくなった。農家では納豆すら自家生産した時代があり味噌も作っていたとき味噌でもその家ごとに違った味になっていたし漬け物でもそうである。自家生産していたからそうなった。どこにもお袋の味があったのである。
そういうものがなくなり大量生産されたものを消費するだけになるとそうした自家生産の文化も消失する。それで郷土料理などもなくなる。
江戸時代だったら旅したら郷土料理が食べられたろう。今でも長野県のオヤキとかが名物となっているがそれはもともと郷土料理でありキリタンポなどもそうである。
その土地でとれたものを工夫して作るのが郷土料理である。
だから貧しくてもその土地でとれた素材を活かしたものであった。

つまりグローバル化経済というのは人間の根本的な食まで破壊したのである。
コカコーラが世界中で飲まれのもグローバル化の結果である。
それにあわないも国でも飲むようになった。それはアメリカの企業の戦略でありおしつけられたという面もある。日本のテレビを車を買っているんだからアメリカの牛肉を買いとグローバル化経済ではなってしまう。必要でないものすら買わされるのが現実なのである確かにグローバル化経済で貿易で必要なものはある。
それを全部は否定できない、でも食のこと関してはその国々の長い歴史があって作られてきたものである。だから食は文化なのである。
体すら欧米と日本では違っていた。欧米人は肉を消化する酵素を出しやすいという、日本は逆に肉を食するには適していない、むしろ米などを消化するために腸が長くなっていたのである。体自体がそうして長い時間の中で作られてきた。
それは日本なら縄文時代からのものだろう。
そういう文化を無視することは文化を無視することなのである。
法律や科学でもグローバル化してもいいものはあるしそうすべきである。しかし食などはできないのである。グローバル化というよよ国内ですら一様化できないものをもっている家庭家庭で味が違っていたことがそれを物語っている。

●作る過程が見えない現代の生産

そして現代の問題は食にしてもそれが作られる家庭がまるで見えないのである。
ベルトコンベアーで大量生産する場面をみて何か食欲すら湧かなくなるだろう。
厨房で料理しているのとは違うからである。
料理はしてみればわかるけど料理するときから食欲が湧いてくるのである。
料理は料理する時点からはじまっているのである。
それは自分が毎日料理して気づいたことである。
プーンと香りしたりグズグズにたてたりしている過程があってこそ料理なのである。
現代は何でも作るものが見えないのである。
どうして物がありそれがどうして作られてくるのかわからない
食料でもただ買うだけでありそれがどういう過程を通ってもたらされているかわからないだからこそ異物混入されてくるということも普通にある現代的な問題だったのである。

江戸時代とか職人が物を作っているのだからそさも一人一人だとその作るものがどうして作られているから見える世界なのである。
今はどうして作られるのかあらゆるものが見えない世界なのである。
食さえそうでありだからこそ異物混入されてくる。
それは食だけではない原発などどうして電気が作られるのかわかる人などいない
一般の人は立ち入ることもできないし見えないし知ることもできない
だからそこで何が起きてもわからないのである。
現代ではそういう見えない所で機械で操作されていたりして専門家でないものは立ち入ることすらできないようになっているのが多すぎるのである。
そこに危険があっても異物が混入されてもどうにもならない
危険なのは工場で大量生産されているのだから強力な細菌とかしこまれたら大量の人が死ぬテロにもなる。
グローバル化経済では様々な細菌の恐怖にも晒されている。エボラでも何でも人と物が自由に出入りするとなると防ぎようがないのである。

●現代の物作りも食も大量生産消費の時代は終わる曲がり角

いづれにしろグローバル化経済というのは全部ではないにしろ否定されるべき見直されるべき段階に来ている。
まずコンビニとかの弁当なども食べるべきではない、あれは栄養的にも良くない、やはり工場で大量生産されていて薬も使っているしあれは人間の料理ではない、腹を充たすだけのものである。マクドナルドと同じである。
自分は料理はめんどうでしていないけど野菜だけは何とか新鮮なものを食べようとしている。ただ最近野菜高いから困る。野菜は冷凍だとかなると栄養も味も落ちるだろう。
冷凍食品などもいいのではない、昔だったら農家の人は前の畑から新鮮な野菜を食べていた、それは農薬もないものだったのである。今でも農家では農薬を使わないものを食べているのだ。一旦大量に売るとなると農薬づけになってしまうのである。

とにかくグローバル化経済とかはコンビニでもチェーン店でも普及したが果たしてそれがいいのかどうかは見直される時期に来ている。
手作りの味とか郷土料理とか何か昔あったものが人間的であたたかいとか手なってゆくかもしれない、それで地域のものも見直されることもありうる。
チェーン店でもコンビニでも何かそうして普及したものも今は限界であり新たなものが求められるというときそれは昔あったものが見直されるということである。
つまり新しいものとは昔からあったものでありそれを現代に新たに活かすということなのである。生け花でもフラワーアレンジメントで和洋折衷となっているように食もそうなのである。手作り的なもの郷土料理などその土地土地に根ざしたものがこれからは見直されてゆく、地方再生というのは地方に昔からあったもの見直して再生することである。
そういう時代になりつつあるから食の大量生産などはこれからは向かないのである。
食の宅配便なども向かない、やはり新鮮なもので手作り的なものがいいとなる。
大量生産消費の時代は終わっているからその境目でみなん模索しているのである。
もはや大量に同じものを作っても売れない時代なのである。
物が豊富にあればやはりその土地にしかない作れないとかそういうものが価値がでてくるのでてある。


posted by 老鶯 at 14:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2015年01月09日

正月(松と葉牡丹)


正月(松と葉牡丹)

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正月や松に葉牡丹末永く
残月や百才生きて冬芒
大原に老木一本冬の暮

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正月は松がいい、松はときはぎ【常磐木】である。
これの元の漢字は
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常緑だからそうなった。松は日本では一番親しんでいる樹である。
葉牡丹も冬にふさわしくこれも花というものでもないが何か質実で長持ちする
つまり末永くということにふさわしいのである。
人間はやはり交際でも末永いことを望む、簡単に切れるのはいいことではない
ただ人間の付き合いは長続きしない、切れやすい、現代は特に切れやすい
大勢の人と交わっても一過性なのである。ネットでもそうだしそもそもそういう一過性の中で日頃暮らしているからそうなる。


要するに正月は農耕時代の時間の中で生まれたものなのである。その悠長な自然のリズムで今は生きていない、だから松でももともとは正月に飾られたのは農耕的なものの中から生まれたもので常磐木となった。
正月がなぜただ年が変わるだけのものになったかというとそういう農耕的生活が消失してしまったからである。農耕はただ米を生産するだけではない、生活全般にわたる文化であった。それは精神生活にもなっていたのである。
今の職業は多様であり農業が主役ではない、だから都会だと余計に農業的なものから離れるし自然とも遊離しているから正月が何であったのかもわからなくなる。

人間はともかく何でも末永くあることを望む、現代は何でも変わりすぎるから精神が安定しないのである。老人になると変わらないもののなかで暮らすことが安定する。
だからめまぐるしくく変わる現代は向いていないのである。

百才生きていたら枯芒から冬芒になる。朝に残月がでていたけど最近毎日のように見ていたから百才となるとあの残月であり冬芒だと思った。
冬芒は死んだわけではない、故郷の大地に根付いている。だから萱根とかいう地名もあるのも面白い、萱の根っこはかなり強く張るのである。

人間は明らかに長く住んでいるとその土地と一体化してくるから大原の老木は一人の老人に見えるのである。あそこで知り合った老人も死んだけどそうした老人を思うのでてあるともかくまだ正月の内、松の内だけどどうしても正月の気分はたちまち消えやすいのが現代である。「松の内」などどんと言う言葉も死語になっているのだ。
そういう農耕的生活が消えれば自然とそれとともに言葉も死語化してゆくのである。


タグ:正月

原発事故はなぜ起きたのか?(続編) (アメリカの歴史との対比でみるーそれは文明の発展で世界共通の問題)


原発事故はなぜ起きたのか?(続編)


(アメリカの歴史との対比でみるーそれは文明の発展で世界共通の問題)

延々とつづく原発事故の後遺症

津波とか原発事故が問うたことはな何なのか?そのことを現場から追及してきた。
それは現場ないと当事者でないと理解できなていものがあるからだ。
これは大きく考えれば文明そのものの問題でありそれが原発事故で露(あらわ)にされたということがある。そういうことも書いてきた。
ただ様々な要因があるにしろそれが全部原発を作った政府とか東電に全部責任があったかとなるとそれも簡単に言えない奥深い問題があった。
お前たちは原発で金が入って恩恵を受けている、事故の後も多額の補償金をもらっている特に避難区域とかその周辺への風当たりは国民からも強い。
福島県内でもイワキでは大熊や双葉への風当たりは強い
多額の補償金で高騰した土地を買い家を建てているとかそこで険悪にもなった。
それも南相馬市でも小高、原町、鹿島と補償金でもめた。
鹿島区は一番補償金をもらっていないのに小高の人が一番多く仮設に入っているので反発があった。
原町区はそれなりにもらっているのでない、だから原町区に小高の人が入る仮設を建てれば良かったというのも一つの解決策だったかもしれない。
ただ土地が確保できないので鹿島区になったのである。
大玉村で農家の人が風評被害などで米が売れないと東電に訴え裁判にもなったが中通りでは補償金すらもらっていないからそうなる。
中通りは広いからそこに補償するともう莫大になりできないから切り捨てられたのである未だにこうした金の問題は解決していない、これは一番具体的でかりやすいから見えやすいのである。

自分がこの原発事故で追及したのはその深層でありその原因が現代文明そのものにあったということを追及した。
そういうことはめんどうになるのであまり関心がないことはいえる。
でもなぜ原発事故が起こり故郷に住めなくなるまでなったのかという深刻な事態を追及してゆくとその最も根本的な原因が何であったのかとなる
それを追及するのは現代文明そのものグローバル化経済でもそうだしそれらを問うことになるのだ。
何かしらないけど春の塩の道をたどる(二本松までの絵巻物(塩の道をたどる)とか(飯館村が原初の葦原になり伝説化した (葦笛の詩として引用構成) ・・・・・とかが読まれていることはやはり故郷を失った人達が読んでいるのかもしれない、飯館村ではそうだろう。第一今まではまず故郷に住めなくなるなどいくら原発があっても考えた人はいないだろう。自分も原発には無関心だった。
時々原発で働いて金になるとかは聞いていたが何かあまりにも情報不足だった。
もちろん知っている人は知っていたし関心をもっていたのだろう。
原発は県単位でも回りの市町村でもその影響が実際は大きかったのである。
働いている人も三分の一までいかなくても何らかかかわる人が多かったのである。
そこは何よりも金の成る木であったからだ。
不思議なのは原発に土地を提供した人がいて県で認可すれば許可されたとかいうのもあまりにも原発が建てられるにしてはその許認可が狭い範囲で決められてたのである。
これも大問題だった。そういう様々な問題がクローズアップされたのが原発事故だった。

●石油文明が戦争を起こしたように原子力文明も犠牲を強いた

]原発事故がなぜ起きたのか?
それは歴史的にもさかのぼり検証せねばならない文明的問題でもあった。
それはエネルギー問題であり石炭→石油→原子力と国を世界を左右する問題だからである例えば太平洋戦争がまず石油輸送が石油が入らなくて日本はアメリカに真珠湾攻撃を強いられたという解釈もある。
戦争の前に石油利権が石油が断たれることはすでにそこで国自体が成り立たなくなるほどの力をもっていたのである。
アメリカが中東を大事なものとするのは「石油を制するものは世界を制する」となっているからである。だからイラクにも敢えて攻撃して制圧したのである。
それは石油と深く関係していたのである。
石油をめぐって世界戦争が起こる要因があったし今もそうである。
象徴的なのか日本の零戦は片道の石油の燃料しかなく役に立たなかったとかなる
石油が燃料がないと今でもこの辺では石油が入らなくなりガソリンスタンドに長蛇の列ができてパニックになった。車があってもガソリンが入らなくなったら車社会は麻痺して
食料すら入らなくなったのである。
石油文明になっていれば石油に頼るのだから石油のために人間の命も犠牲にされるのが文明である。
マヤ文明とか何かわからないけど太陽のために太陽の光が消えたら終わりだと盛んに残酷な犠牲、人間の生きた心臓まで捧げられた。太陽がエネルギーを供給するものだから太陽のために命がささげられた。これは野蛮のように見えても石油のために戦争になったとしたらそれも何百万人も死んだら同じじゃないかとなる。
つまり石油文明は富とか便利さをもたらしてもそこに呪いが隠されていたのである。

でも考えてみれば日本は戦争に負けてどん底から這い上がり富を求めて富を手中にした。富を求めることが悪いとは思えないのである。
なぜ豊かになろうとして悪いのだとお前は貧乏がどんなに苦しいものか知っているのかと言われる。日本人は戦前も戦後十年も貧乏だったのである。
そんな貧乏からぬけだすために働いて豊かになろうとした。それが悪いと思う人は一人もいなかった。まずそんなことに気づく人もいなかった。
便利なこと富は全面的に肯定されるものだった。カルト宗教団体でも求めるものは富であり世俗的なものを得ることである。たから政治化して利権団体となっている。
もし欲望を抑えよとか富を求めるなとか言ったらあんな数にはならないだろう。
必ず反発がありあんな膨大て数にはならないのである。
だからどうして富が呪いとなり便利さでも呪いとなってしまったのかそのことを追及しなければならない。
その答えは過去を追及してゆくと過去から現代を見るとわかりやすいのである。
過去というのもその当時生きていた人にとってそれが普通の当たり前のことだったのである。
子供の頃、便所でも風呂でも外にあったからあれだと冬は寒いし相当に不便でありあんな生活に誰ももどりたくないとなるのが当然なのである。
だから過去の不便さとか貧しさがいいものではないのである。
ではそういう生活を今の豊かな便利な生活から問うとまた違ったものに見えるのである。

●アメリカの西部開拓時代は日本の江戸時代とにていた農民社会

それはアメリカでヨーロッパでも実は同じだったのである。
つまりアメリカでも江戸時代のような時があったのである。それは日本とは違っていても何かにているなと気づいた。
幕末から明治時代のころアメリカでは西部開拓時代である。
その時ホイットマンが「草の葉」を書いたときである。
江戸時代ではないにしろアメリカにも江戸時代的なものがあった。
それはホイットマンの詩に象徴されている。
そこで詩にされたのは讃歌されたのは農民であり個々の職人であり平民だった。
アメリカ社会はもともと王様がいないのだから平民が作った国である。
それはアメリカ英語にも反映されているのだか英語をわからない人はしりえないのである

日本では一見江戸時代は士農工商で身分制社会でありアメリカとは異質だと思っているがにている面があったのだ。
アメリカは西部開拓の時代は江戸時代の農民や職人などと同じように素朴であり質実な人間だったのである。だからこそホイットマンがそういう人達を讃歌して詩にしたのであるあらゆる平民が詩の対象となっていた。
そしてその時アメリカには今のような巨大都市がない、人工的なニューヨークのような都市がない、みんな牧畜とか農民とか職人であり自らの手を駆使して働く人たちだった。
アメリカでは学者とか自ら体を使い働かない人は軽蔑されていたのである。
アメリカは極端に実業の世界でありヨーロッバのような神秘的な宗教とか哲学を嫌う面がありそれが極端化すると金だけを求める現代と同じ人達だとなる。

ただその時すでにソローなどが鉄道のことを批判したりして機械文明がアメリカに入ってきてアメリカの原始の田園がそこなわれつつあったのだ。
ただ今から見るとアメリカも広大な田園がありそこで質実に働く人達がいた時代がありそれは江戸時代ともにていた。江戸時代も広大な田園の中で人々は暮らしていたからだ。
それは明治でも大正で昭和でもそうだった。第一大正時代が日本が6千万の人口だったとういことが信じられない、それだけの人口しかないとすると広々とした土地がまだ広がっていたのである。
だから世界の歴史は日本からだけ見なくても世界的に共通なものがあったことに気づいた世界の歴史は孤立していない、マヤ文明やインカ文明のように孤立しては存在し得ないのである。
だから同じ発展経路をたどることが見えてくる。

だからなぜ悲惨な膨大て戦死者を出した世界戦争が起きたのかという原因もそうした世界文明の発展経路の中で必然的に起きてきた。それは石油利権をめぐるとなると石油のために世界が戦争するということは石油文明そものものが戦争の原因だったなるのである。
それは原子力にも通じている。核は平和利用すれば問題ないというがやはりそれだけではなかった。原発でもだから原水協では平和利用ということで賛成していたのである。
石油にしろ原子力にしろそこには何か呪いが隠されていたのである。
電気は便利なものであり悪いというわけではないし車だってそうである。
ただそれが全面的にいいものではなくて何かしらの呪いが隠されていたからこそこんな事態になったのである。
石油文明原子力文明には呪われたものがあったということにもなるのである。
だからアメリカの西部開拓時代とか日本の江戸時代とか戦前の貧乏な時代などと今がどういう関係があのかとなる。でも今だからこそ過去が何であったか見える。
その当時を生きていた人は見えないのである。そこで生きることに夢中でありどういう時代を生きていたのかわからない、戦争で死んだ人達もそうだろう。
ただ巨大な時代の波にのみこまれて死んでいったのである。
それは戦争でなくてもその時代を生きることはただそれぞれが必死になってい生きるということである。
だから自分がどういう時代に生きているなどわからないのである。

大地を耕す人びとが道徳的に腐敗するこなどということはいかなる時代でもいかなる国民といえどもまだその例を見たことがない
そうした腐敗は農民のごとく生計のめに天を仰ぎ自らの土地を労働とに頼るものではなく顧客の偶然性や気まぐれにたよっているもので他への依存は金銭主義をもたらし特性の芽生えをつみとってしまう。(ジェファーソン)


ここではさらに大工とか石工とか鍛冶屋まで否定している。これは江戸時代の農本主義の世界であり安藤昌益の思想の実践された世界である。
それは戦前でもつづいていた炭や薪を燃料とした自給自足の世界なのである。
だから草創期のアメリカと日本の江戸時代には共通性があった。
アメリカでもその時代から見ると今の世界は何なのだとなる。
農本主義で培われた徳性など皆無であり金融資本主義とかになり自らの手で働かない人が巨利を得る異様な世界となっている。
それはその当時のアメリカから比べるとその変容ぶりがあからさまに見えてくるのである


参考ー「楽園と機械文明」ーL・マークス

次回は山村暮鳥の詩などから現代と過去から原発の原因を追及





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2015年01月10日

小高の人の話(2) (小高には共産党系が多い、でも小高の原発の反対運動が起きていない?)


小高の人の話(2)


(小高には共産党系が多い、でも小高の原発の反対運動が起きていない?)


小高は共産党が多く前に原町の同級生で衆議院の議員になった人がやめたという。
それより逃げた脱出したというのも驚く、今は住んでいない。
共産党系とか創価系はどこでも一団となる。
底辺層を組織化するが地方では田舎ではそんなに勢力化しないが小高は特殊だったのである。
都会に行くと市営住宅地とかが共産党系と創価系に二分されていた。
つまりそこの住民はどっちかの党に入っているし入らないと住めなくなる。
その社会が地域が党派化したらそれに入らないと住めなくなるということが現実にある。
そんなに小高では共産党が多かったというのは開拓に入った人達が多かったとか
その地域の特殊性があったのだろう。
小高と浪江の東北電力の建設で土地をもっていた人が反対したのは浪江の棚塩の人だったでも実際は東北電力で原発の工事を始めようとしていた。
それが今回の事故で中止になった。
共産党系とか左翼系統は原発に反対のはずだったのである。
だからそんなに共産党系統が多いのになぜさほどの反対もなく原発が建てられることが決まったのか理解できない

ただ原発に共産党も賛成でありただ安全を計ることを条件にしていた
つまり前の知事の佐藤のも原発に反対したわけではない
プルサーマルで追及したのは安全を計ってくれないと困るということだった。
ただその安全を言うことだけでかなりの抵抗があった。
安全をしっかりしてくれというだけで政府とか東電は聞かなかったのである。
それで佐藤 栄佐久が失脚されたとか言う人もいた。
東電でも政府でも原発に関しては何も言わせないという態度だったのである。

小高の人の話では原発で仕事していたが危険な場所に入るのは金になったといっていた。自分は危険な場所に入らなかったからあまり金にならなかったという。
仕事は実際は楽なものだったとも言っていた。
仕事は一分間しか何かするもできないという
放射線量を計るカウンターがつけているのでできない
それで一分間で交代するとなると一つのネジをとりつけるにも百人かかったとか言っていた。
原子炉のある場所ではそれだけの手間と人力が必要となる。
原子炉内ではもう人力ではできない
それで今は作業するのにロボットを利用するようにと開発しているのもそのためなのである

ただなぜ前も書いたけど棚塩の土地をもっている人がそんなに原発に反対していたのか不思議である。それは共産党系でもなく左翼系でもないのである。
話聞いてもどういう事情で反対したのか良くわからない
常に道路建設でも何か反対する人はいる。
でも巨額の金が入るのだから反対する理由がわからないのである。
そしてなぜ小高では共産党がそんなに勢力があるなら原発に反対しなかったのかわからない
すでに東北電力では建設を始めることになっていた。
それで小高の大工さんは景気良くなると言っていた。

しかし小高が南相馬市と合併することでそのこともあまり問題にしなかった。
すでに小高町のとき決められたものでありそれを受け継ぐことしかなかった。
もし南相馬市に合併したとき原発を建てるとなると反対も相当あったろう。
だからそもそも原発は狭い地域で決めることに大きな問題があった。
その土地の地権者とか県の許可があれば建てられるということも今から考えるとありえないことだった。
そうなれば土地の所有者がとても一軒くらいで反対できるわけがないからだ。

一面小高が何かと高校とか施設もあり優遇されていたのは東北電力の原発が建つためだったかもしれない、それは浪江でも同じである。
小高と浪江が土地の所有者でありそのために金が回っていた。
それが浪江で小高でも今回の事故で避難区域になってしまった。
やはり小高も浪江も責任があったとはなる。
原発はとにくか経済的恩恵が大きいのである。
大工さん言っていたように全体的相当に金回りが良くなる
だからそうなると反対することもできなくなる
それで共産党も反対ではなかったのである。
何かこの辺では原発のために個々人でも欲望が刺激されふくらんだということはある。
浜通り全体でそれは言えるかもしれない。

一番割りを食ったのは飯館村だった。
ここに原発の恩恵があったというが所得でも県内で最低線であり原発の恩恵はなかった。マデイな生活とかを村の標語にしていた。
原発はやはり県でも許可を出すとなる県にも相当な責任があった。
県というのもあまり関心がないが原発は福島県全体の問題だったのである。
福島県も広いからそれに無関心なのが多かった。
福島県は広いからそれだけ一体感がないことも問題だったのである。
でも中通りまで放射能の影響があったように福島県全体の重要な問題だったのである。
そんなことを会津の人達も遠いから無関心だったろう。
福島県の政治とかなると何かそうした地理的一体感がもてない、広いからそうなる。
例えば福島県人だと言っても会津とか浜通りは遠いし地理的にも気候的にも別な地域なのである。相馬藩はもともと伊達藩と宮城県と関係があり明治維新後もそうである。
仙台に近く通勤圏にもなっていたからそうなる。
会津は交通としては東京より遠い地域なのである。
だから福島県は会津県と二本松県と磐城県に別れていたのもわかる。
これらは別々な地域なのである。

 
タグ:小高の原発
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原発事故の原因は何なのか(続編3) (石油文明が世界戦争となり地獄を作り出した)



原発事故の原因は何なのか(続編3)


(石油文明が世界戦争となり地獄を作り出した)


●プルサーマルでは危険を指摘することすらできなかった

なぜ原発事故が起きたのかということを問うと政府とか東電の責任も重いことははっきりしている。
佐藤 が失脚させられたのはプルサーマルをしつこく追及したからである。
彼は原発そのものに反対していない、共産党も反対していない
でもプルサーマルの追及はしごく当たり前のことだった。
それでも佐藤栄佐久は政府と東電様に逆らうやつだからこらしめてやろうとなり
政府も検察も結託して失脚させたと言われる。
政府は戦時中は特高によって戦争に反対する者をとりしまったと同じである。
権力者にはどこでもそういうところがある。
ただこうした様々な原因があったのだけどマクロ的観点から見れば原発そのものに反対する人はいなかったのである。共産党もそうだからすべてそうだった。
ただ安全のことを追及していただけである。
その安全のことすら追及できないような雰囲気なっていたし実際にそこに権力によっておさえられていたのである。

ただそういうことがいろいろあるにしろではさらにマクロ的なもの時間軸で歴史的に考察するとまた違ったものとして見えてくる。
それは文明論としての原発事故の必然性なのである。
文明とかではない、単純に考えるとなぜ石油文明が悪いんだとか原子力文明が悪いだとはならない、電気はいいものだし石油だって悪いものてはない、いいものなのである。
その効用は計り知れなく現代の文明の基礎を作っているのである。
では何が問題だったのか?
要するに単純に考えれば石油でも原子力でも危険を犯してしか得られないものなのであるそれは石炭時代があったけどその時落盤事故があり大騒ぎしていた。
つまりそれらのものを得るには多大の危険と犠牲が強いられるのである。
そのリスクは見逃されているし個々には感じないが石油とるにしても現実にアルジェリアまで行っていた人を知っているがそこてテロで日本企業の人が十人死んだとか
石油を手に入れることはこうした危険がつきまとっているしコストもかかる。
そして戦争の原因が石油のために石油が入らないために真珠湾攻撃を強いられたと解釈する人もいる。アメリカの経済制裁が戦争の発端になっていた。
今でも必ずアメリカが敵対する国に経済制裁するから同じことをしている。

●アメリカが悪いのではない石油文明か悪い

世界の紛争があるとアメリカが諸悪の根元だという論調になる。
それは石油利権をアメリカを握っているからである。石油はドルでしか買えないから世界の機軸貨幣になっている。つまりドルは紙でも富と権力は石油という現物を握っているものが得られる。
いくら紙幣が支配するからといって紙は紙にすぎないし紙をすって豊かになれない
石油があり石油文明となり世界が石油のために戦争にもなり命が犠牲にされる。
アメリカが悪いのではない石油文明が悪いともなるのである。
では石油に頼らなければどうなるのか?
それは江戸時代であり鎖国たったけど貧乏だったけど世界中が戦争にまきこまれ何百万人とか死ぬ必要はなかったのである。
だからアメリカにしても江戸時代のような時代があった。それは建国時代の西部開拓時代である。江戸時代と同じ農民の社会、農本主義の社会である。
アメリカはその時、人間も質素であり質朴であり一つの巨大な自然に囲まれて楽園があったとなる。
その時は石油文明もない、江戸時代と同じ農民社会だったのである。

その時は世界で別にアメリカを諸悪の根元であるとか批判しない
アメリカは他国を支配したりもしない、自国で純朴な人達が楽園を作っていたとなる。
その状態をホイットマンが詩にしたとなる。
つまり世界か人間が腐敗したのはアメリカのせいではない、文明の発達とともにそうなったのである。
石油も原発も利用しない社会があり石炭とかでまかなわれた時代があった
その時は世界が世界戦争になるようなことはなかった。
石油は中東に集中するからそこから世界紛争になりやすいのである。
それは宗教問題だけではないのである。
具体的な石油文明を維持するために石油を得るためにそうなっている。

そうするとなぜ人間が堕落してまた世界戦争になり残酷に大量に殺し合いたのか、その原因は何なのかとなると石油文明による富の収奪戦争だったともなる。
それだけではないにしろ富をめぐって世界各国での衝突だったとなる。
石油にたよっていなければそんな大戦争にはなりえてかったともなる。
それは江戸時代でありまたアメリカの建国時代の西部開拓時代などである。
それは江戸時代とにているからだ。
つまり石油とか原子力でもそれ自体が悪いものでもない、鉄でも道具でもそうである。
斧でも何でもそれは生活を便利にする。
それが悪いもののようにされるのは人間側の欲がからみ斧で武器になり人を殺すことになる。
ただでは薪で炭をエネルギーとしたとき戦争が起こらなかったかというと起こっていた。木材の入会権をめぐり村同士が争いそれが火種となり藩同士の争いに戦争に発展した。
相馬藩でも丸森の木材資源をめぐり米沢藩と伊達藩と相馬藩が争ったのである。
飯館村では実際に人が殺し合ったからエネルギーを得るための争いは古くからあったのである。
だから燃料を薪や炭にしていれば争いがないということでもなかった。
ただそれらはどこにでも地元にあるものだから石油のように世界戦争まではならないということはいえる。

●石油や原子力が悪いのではない、悪く利用する人間が悪い

石油とか原子力でも本来は悪いものではない、ただ人間の欲心や野望などに利用され危険なものとなる。原子力は核兵器になりそれで人類滅亡だというときそれは核が悪いのではない、それを悪い方に利用する人間が悪いのである。
つまりアメリカが原子爆弾を落としたようにそこまで戦争になると人間はやる。
いかに戦争が残酷なものか、その真実を知ったらまさに戦争はこの世の地獄意外のなにものでもない
日本兵はいろいろ残酷だったといわれるのも本当だろう。
しかし日本人が捕虜になったとき本当にその仕返しなのか残酷無惨に殺戮された。
それは今明らかにされている。布をかぶせられて頭を何か道具でたたきつけられて殺されそのまま埋められたとか、飢えて脱走して近くの農民から食料を盗んだ日本兵を知っていて中国人がねらいうちして殺したとか、残酷な日本人捕虜がありシベリアへ連行された人達もそうだった。
それを知ったら戦争などどんな美名の下にやるにしてもやりたくないとなる。
もう人間が人間でなくなるのが戦争である。
それはどっちが正しいなどなくなる、やられたらやりかえせしかない
日本人の捕虜はそうして悲惨に撲殺されたのである、まるで屠殺だったから悲惨である
戦争とはそういう現実があることを知るべきである。
もう人間を人間と見なくなっている、相手は物か動物に等しいものにされていたのであるそういうことを知ったとき本当にそんな時代に生きたら最悪だったなとつくづく思う。
だから心底助かったと思う。それも時代的に団塊の世代はほんのわずかの差で戦後生まれになり平和を満喫したのである。
若い人が平和に不満な人がいるがまず戦争のことを良く知らないからそうなる。
血の気が多かったらスポーツでも登山でも激しい運動でもやればいいのである。

つまり石油文明にならない江戸時代とかアメリカの建国時代には西部開拓時代はそういう世界戦争が起こる余地がまだなかったのである。アメリカの建国自体がインディアン虐殺がありそういう血にぬられたものが根底にあった。
だから日本の江戸時代とは違っている。でもやはりその当時は農民社会の楽園を目指していたのである。だから自然との共生を目指す農民的モラルが支配的になっていたのであるアメリカ人が悪いとかではなく、結局世界文明は石油文明であり同じ文明になっている。としたらその文明自体が文明人がみんな同じように悪いとなってしまうのである。
だからこそ世界戦争となり人はもはや人ではない、獣性丸出しの残虐な殺し合いしかなくなっていた。20世紀はそういう人間大量殺戮の時代でもあったのだ。
それは石油だけではない世界が一つの文明を共有する文明人になったからである。
アメリカ人だ、中国人だ、日本人だという民族で分けることは通用しない
同じ文明を共有するものとして文明人だから殺し合いになったのである。
ともかく江戸時代のような生活とかアメリカの建国時代のような西部開拓時代のようであったならば人間がそこまで残酷にはなっていない、素朴な人達がいたとしたらそんな残酷なことを例え外国人でもできないのである。
ましてキリスト教徒だったらそんなことしえるだろうか?
異教徒は人間ではないというのもあるが「愛」を説いている宗教がそんな残酷なことをしえるのかとなる。「人を殺すな」とは外国人でも同じだからである。
たいがい宗教はそういうものであり人間が人間でなくなるようなことはできないのである

タグ:石油文明
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2015年01月11日

原発事故はなぜ起きたのか(続編4) (世界の平和のためにはエネルギー問題の解決が必要)



原発事故はなぜ起きたのか(続編4)


(世界の平和のためにはエネルギー問題の解決が必要)



一地方で起きることが世界でも起きるというとき、丸森の木材資源を米沢藩と伊達藩と相馬藩で三つ巴で争ったことがその象徴でもある。木材の入会権が大規模な戦争の発端、戦国時代を作る契機になったというのもそうである。
つまり古代からエネルギーが文明を作っていたのである。
だから文明史から世界史を見ればどこの国がどうだとかどこの国が悪いとかならない
そういう文明を採用した作り上げたことが争いの基になる。

なぜなら今は石油文明だとするともし石油がないとしたらどうなるだろうか?
石炭にすればいいというがその石炭すらないとするとどうなるだろうか?
まず石油がなかったら車も動かない、もちろん飛行機も動かない、船も動かないのである零戦は燃料のガソリンがなくて片道飛行であり帰ることができないのに突撃した。
そんな状態では戦争はできない、大和魂だけでは現代は戦争はできないのである。
その最も恐ろしい現実は原爆が落とされたことだったのである。
あれをみて完全に日本人はギブアップしたからである。
石油がないと車も使えない、もちろん最新式の武器も使えない、そうなるとどうなるのか結局歴史をさかのぼるとモンゴルの帝国のような馬が最大の輸送手段になり世界を制覇するとなる。

そういうふうに世界史を文明史の観点からふりかえると見えてくるものがある。
まず中東に石油がなかったらどうなっていたか?
何ら今のような紛争は生まれていないのである。
中東では世界とはかかわらない、砂漠をラクダの隊商が通っていたりあとは羊を追ったりして暮らしている、そんなところに誰も関心をもたないのである。
でもそこは江戸時代の鎖国のように平和が保たれていたのである。
ただ隊商は財を運んでいたから盗賊が生まれた。それは現代に通じている。
つまり石油があれば石油を欲しいために盗賊も生まれる
その大盗賊がアメリカだともなる。
丸森で木材資源を米沢藩と伊達藩と相馬藩で争ったことはそれはヨーロッパとアメリカとロシアが争っているとかとにているのである。
アメリカが圧倒的な軍事力で石油資源を我が物にしているから世界を支配できる。

桃源郷というけどそれは時代からも社会からも隔絶されて隠されていた所にあった。
それはまさに石油でもそうしたものがない素朴な生活で暮らしていたから桃源郷になっていたのである。
この辺では飯館村はそれと多少にていたのである。
あそこはやはり貧しい村であり不便な場所だからである。
そういう場所は秘境は昔はどこにでもあった。隣の村自体が秘境にもなっていた。
それは交通が不便で人々が今のように車で往き来したりしないからである。
たまに行ってみればそこは秘境になってしまう。
こんなところにも村があるのかと不思議になるのである。
時代の発展とともにそうしした昔が失われたからそれが桃源郷への憧れを作り出したのである。ただ人間は時代をさかのぼって生きることはできない、その桃源郷でも幻滅は必ずある。

ここで考えることは原発事故でなぜ故郷にすら住めなくなったのか、そういう悲惨なことが現実に起こった。では原発はいらないとしたらどうしても石油文明でも問題になる。
必ず江戸時代のような不便な時代にもどれるのかということになる。
それは書いてきたようにアメリカの建国時代の理想が江戸時代だったのである。
そこには身分制がないにしろ極端な農本主義の社会を目指していたのである。
そのような社会だったらそこは楽園であり広いにしても桃源郷になっていた。
でも今からすると誰も江戸時代などにもどりたいとはならない

でも原発のない社会、石油がなくても世界戦争がない平和な世界を志向するとき
エネルギー問題が重要な課題となる。
それで太陽光エネマギーとか風力発電とか地熱発電とかシェールガスとか藻がエネルギーとなるとか水素エネルギー社会とか石油や原発に代わるエネルギー社会を模索する結果になった。
でも太陽光発電でも石油に代われるものではない、膨大な定期的な電力は供給できない、家庭をまかなうことが辛うじてできるくらいだからである。
石油に代わるものそれが危険でなくて得られるものだったら文明は変わる
石油や原発はあまりにも危険なものでありそのために犠牲が大きかったのである。

人間は平和に暮らしたい世界が平和であってほしいというときそれを実行するためには最も身近な所に日々の生活を見直すことにあった。
合理的に考えてゆくと石油や原発に頼ることが紛争の種になり災いとなっていた。
もちろん木材に頼っていても紛争にはなっていた。
それは国内とか一地域とか小規模にすんでいたのである。
丸森では殺し合いにはなっていなかったのである。
つまりエネルギーは燃料でもそうだが食料でも自国でまかなうことさらに地方地方でまかなうこと自給自足的なものがいいという結論になる。
過去の自給自足は村が単位だとすると広域化社会からすると極端に狭い範囲で生活していたからそんな狭い所で良く生活できたのが不思議だと今ではなる。

そういう狭い範囲で水道もなくガスもなく電気もなくて暮らしていたのである。
かえってそういう生活は回りのもので暮らしているから石油がなくなったら終わりだと電気がなくなったら終わりだとか戦争するしかないとかならないのである。
災害でも津波でも裏山の清水を運び薪で米をたいていた所があった。
外から物資が入らなくてもしばらくは生き延びたのである。
これが東京のような所だったら水も飲めない電気もないとなると生き延びられない
だから今回のような災害になったらいかに東京を脱出できるかが問題になる。
一切の交通機関は使えない、車も使えない、だから自家発電の災害用の自転車などが売り出された。自分も自転車で相馬市でスーバが開いたとき買い物した。
つまり便利な文明生活が断たれたときどうなるのか、徒歩か自転車かなどに交通手段ももどってしまうのである。それが最強の手段になってしまうのである。

いづれにしろ今まではこういうことを真剣には考えない、津波という大災害があり原発事故があり真剣に考えるようになった。
石油に頼る文明は危険なのである。そこで石油をめぐって必ず争いにまきこまれるからである。原発も危険である。だから身近にあるものをエネルギー源にしていれば世界紛争にはまきこまれない、現実に集団的自衛権で中東に自衛隊が派遣され戦争に加担させられるイスラムのテロでもなぜ起きたのかというとイスラム社会はイスラム文化圏で暮らしていればそうはならない、グローバル化経済で混じり合うからそこに無理が生まれ殺し合いまでなる。それぞれに棲み分けしていれば紛争は起きないのである。
グローバル化した結果20世紀は大殺戮の時代になってしまった。
誰でも平和を望んでいる、その平和がどうして保てるかとなるとその根底にエネルギー問題があり文明の問題があった。

 
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小高はこれからどうなるのだろう? (老人のみ帰ってシルバータウンになってしまう?)



小高はこれからどうなるのだろう?


(老人のみ帰ってシルバータウンになってしまう?)


鹿島区に移った仮設に住んだ人で土地を買って早く家建てた人は賢かったとういう。
もう小高は住めないと見切りをつけたのである。
そのときまだ混乱していて土地が高くないこともあった。
それから土地がもしかしたら三倍くらいになってるだろう。
津波の被害を受けた人もいるから余計に土地を求める人が増えたからである。
だから必ず土地がないかと避難した人に聞かれたのである。
今でもそうである。
だから西町などは住宅地だったけどいつもそこに立てられていた売りに出されていた案内を見ていた。
そこは70坪で700万だった。それでも高いから買えないなと自分は見ていた。
だからその土地はいつまでも売れなかったのである。
もちろん家を建てるとなると土地がまず必要だが家自体金がかかるから簡単には建てられない
しかし今になると70坪7百万は安かったなとつくづく思う。

あそこは鹿島区では一番いい場所であるからだ
その後大東建託とかでアパートが百室くらい何棟も建った
大手の会社だから高く買ったことは間違いない
あそこに土地をもっていた人は3倍以上で土地が売れたということになる
今なせ鹿島区では結構近くでも土地が余っているのに住宅地としての土地があるのに売れないのか?
それは高くなるので売らないのか?それが良くわからないのである。
住宅地として整備されていた土地がかなりあるからである。

小高ではあと一年くらいで仮設を出なければならない、すでに空室が増えているという。
そういう時になってきた。小高にも帰らない、住む所がない人は原町区に集められるらしい。
それだっていつまでもいられるわけではないからこれからはかえって苦しい状態になる。
だから補償金をもらっても貯金している人もいるとかそれよりもそんな先のことは考えない人も多いという。
人間一旦補償金でももらうと先の考えが甘くなる。補償金がずっともらえる、様々な援助もまたありうるとか考える
それは借金ともにている、借りた金は返さなくてもいい自分のもののように思うのである補償金というのは一つの麻薬ともなる。
働かなくても補償金が入ってくる、補償金をせびればいいとなる。
何か懸命に働いて金を稼ごうなどという気もなくなってくる。
毎日パチンコ通いでギャンブルラーになったとか飯館村の人ですらそうだとなると避難した人はそうなりやすい。
そして老人が多いということが問題なのである。
高齢化の悪い面が極端に原発事故周辺で現れている。

結局小高はこれからどうなるのか?
帰るのは老人であり若い人は帰らない、いづれ帰ってくるだろうと言っているが帰らない、
避難した先で就職したりして家を建てたりしたらもう帰らない
そうなる傾向が強いのである
すると小高はシルバータウンになる。老人だけの待になる。
シルバータウン構想というのもあったがシルバータウンというのはアメリカにあったが日本ではないのだ。
シルバータウンとなっているは施設になっている。
施設のことではなく街自体がシルバータウンになる。老人だけの街になる。
そういう街は日本ではなかった。
過疎地域でシルバービィレッジになっている。
子供が一人も生まれないとかいう地域がある。
そういう村はどうなってしまうのか,いづれは消滅するとなる。
外部から転入などがないとそうなってしまう。

小高は一万以上ある町だったから限界集落とも違っていた。
しかし小高は町自体が老人の町になることが見えている
そういう町が成り立つのか、そんな町がありうるのかとなる
もう一つは車社会だから原町の郊外化した町になる。
そこでは土地があるから農業などしても自給するものとか趣味にとどまる
もう米作りなどもしない,売るための農業はしないし高齢化でできない
車が運転できれば原町まで通えるから何とか生活できるとなるが車がないと生活ができない、まだスーパーが開くともなっていない。
そういう準備もできていないからだ

小高に外部から来た人がなんかにぎやかで人が多いから復興しているんだなと見たというこれも錯覚しているのだ。外部からの除染とかの人が大量に入っているから錯覚したのである。
とにかく除染の人がこの辺では本当に多い。
最近バイキング形式の食堂を仮設で始めたら一杯だった。
そこも外部から入ってきた除染の人達で入ってくるからそうなる
ホテル食堂関係は繁盛しているのである。
やはり人が多いということは新しいことを始める繁盛しふすいということがある。
まず小さな町では今は近隣だけを相手にしては商売は成りたたないのである。
あそこにも原町辺りからも来ているかもしれない
中に会議場のようなものまで用意したからである

相馬藩の歴史からすると小高は重要である。なぜなら小高に相馬藩の最初の城があったからである。浮舟城があったから大事なのである。
あそこから相馬藩がはじまったから大事なのである。
だから小高に人が住まなくなる、復興しないことは相馬藩の歴史が消失することになる。それで小高の浮舟城の城跡に立ったとき、蝉が盛んに鳴いていた
もしそこに人が住まないととなるとその蝉の声がひびくのも虚しいとなる。

城跡や人のもどれと蝉の声

こんなふうになる。一旦人が住んだ所が廃村とか廃墟となるとそこは何か幽鬼が漂ような異様なものになるのだ。
つまりもともと人が住まなければそうはならない、そこは原初のままの自然でありその方がいいとなる。でも一旦人が住み百年の歴史でも刻めばそこに人がいなくなると何か幽霊が彷徨うな状態になる。
それはやはり人間が住んだということでそうなっているのである。
ましてや小高は相馬藩の草創期からの歴史の場だったのである。
人がもどったとき何か蝉の声でもいきいきとひびきわたるとなる。
それは飯館村とか他の避難区域で無人化した所や廃村になったところでもそうである。
そんな場所を観光にしている場所もある。
廃墟マニアが訪れだけになるのも淋しいとなる。
いづれにしろシルバータウンでも人がまだ住んでいるのと住まないとは相当に差があると思う。ただシルバータウンが実際にはどうなるものなのかイメージできない
どれだけの人が帰り住んでどうなるのかあと一年以上しないとわからないからだ。
日本では町全体がシルバータウンになったという地区もないからである。
そうはいっても高齢化社会ではそういう町や村もあって不思議ではないとはいえる。


 
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2015年01月12日

小高はどうなるんだろう (それは無責任→各人がどうするのかが問題)


小高はどうなるんだろう


(それは無責任→各人がどうするのかが問題)


小高はどうなるんだろうーと書いたけど考えてみれば無責任だった。
それはよそ事であり自分とは関係ない言い方だった。
前にも書いたけど日本語には未来と過去がはっきりしない
英語では未来はwillでありこれは意志であり
未来は各人の意志で決まってくるものなのである
それは別に小高のことでなくても全部そうである
大きく考えれば日本はこれからどうなるんだろうと言うのも同じである。
日本をこうするんだと一人一人が意志をもつことが未来を決めてゆく
会社でもそうだろう、自分の会社がどうなるんだろうと言ったら
その会社員とは言えない、アルバイトととかならいいが正社員だったら
自分の会社を一員をこうしてゆくんだとならないと会社も成り立たない

小高を例にとると狭い範囲だからわかりやすいのである。
なぜなら一人一人がどうするのか問われているからである。
もちろんそれは南相馬市全体とも深くかかわってくる
南相馬市の一部だから無関心ではいられない
だから俺は帰って小高に住むというとき
それは小高の未来にもなる
俺はもう年だしめんどうだしかかわらないというのも意志である。
現実に早い時期から他に土地を買って帰らないと決めた人もいる
それはそれなりの意志をもって未来を決めたのである
その選択は許されているからどうのうこうのとはいえない
それは小高の一人一人が決めることなのである。
小高に帰れと自分は言ったが強制はできない
そう言ったのは補償金で遊んでいるからそう言ったのである


ただ小高をどうするのかというとき小高だけの問題ではない
南相馬市全体の問題になっている
小高がどうなるんだろうとか切り離して考えることはできない
それは相馬藩の歴史からもそうなる
人間は一人一人が歴史を刻んで生きている
ただそれがみずからの意志(will)で決めているかどうかはわからない
戦争のときでも一人一人の意志で決めたのかはわからない
権力に強制されたということもあるからだ
原発にしても一人一人の意志がかかわったとはいえない
権力に強制されたというのが現実だった
むしろ原発で得する豊かになるということで住民の意志は積極的誘致を決めたともなる。すると原発は住民の一人一人の意志の総合で決められたとなる。

ともかく原発事故以後に問われたことは本当に様々あるのがこの辺である。
住民の一人一人の意志によって決めるとしたらそれが民主主義だとしたら
原発に関して情報開示が必要だったがそれも成されないから決めようがない
また原発は地元の人でもかかわりえないという問題もあった
お前らには原子力のことなどわかりようがないから黙っていろで終わりになり
住民はかかわることもできないものだった。
そこにもはや民主主義もなにもなくなっていた
ただみんなそんなに小高の住人でもいろんな人達がいる。
遊び人もいた。そういう人は小高などどうでもいいのである。
どこでも補償金でももらって暮らした方がいいとなる
あとは生活保護だとか言っていた
そういう人も地元にとっては今は迷惑になるだろう
ただどうしてもそういう人は一定数どこでもいる
そういう人も排除できないのが現代社会である
かえってこんな事態になるとそういう人は目立つことも損だった
つまり小高に住むならそんな人はいらないとなるからだ

そういう人でなくても小高の人にもいろいろいてもう若い人なら帰らないと決めた人もいる
それも一つの決断であり未来を決めたのである。
つまり小高でも避難区域でも何かそこに住むということともう住まないという二つに分断される
その差が大きいのである。
そこに住むという人はやはり何かしらそこにこだわる愛着あり住みたいとなる
一方で一億円もらえたからもう他で住んだ方がいいという人はもう帰らない
そういう人も別に原発事故の前からいたのである。
現代は広域社会でありどこに住んでも自由だからである。
だから東京の年寄りが田舎で暮らしたい田舎の老人ホームで暮らしたいともなる
そういうふうに地域性が希薄になっているから金さえあればどこでも暮らしていいとなると移り住む人も遠くなるということである

ただ人間はこういう事態になるとそこに住むということはそれ自体が決断であり未来を決めることになる
ただ老人だとそこに住むという決断というよりそこに住むほかないということある
長年住んでいたからそこに住むということである
また土地も家もあるのだからそこに住むとなる
それでも小高に住むということは不便でありマイナスが多いから一つの決断になり意志になり未来を決めることになる

十津川村では全員が北海道に移住することを決めた、全員の意志で決めた、そして困難に立ち向かったのである。それがこの辺とはまるで違ったものとなっている
そんな条件の悪いことには参加したくないというのが多い
老人になると楽な方を選びやすいからである
だからシルバータウンになりそんなところで町が成り立つのかという疑問が生まれた
市としては行政としては小高に住んでもらいたいということはあっても
それを強制はできない、それか民主主義であり広域社会である
だから一地域で困難が起きればその地域が維持しにくくなる
ともかく何か小高だけではなくこういう困難な状態になると一人一人か問われるようになる
今までだったらそれぞれ勝手にやればいいですんでいたのである。


要するに故郷は何なのだとかそんなこと問うことは今までありえない
第一故郷は普通にあるものでありなくなるということ住めなくなるなどありえないからである。
だからこの辺で問われることは深い哲学にもなるし歴史も関係してくる
故郷は何かなのかなどと問うこと自体それは深い哲学であり歴史をかえりみることにもなるからである。
そういうことは歴史をふりかえれば戦争の時最も深刻に現れた
なぜならその時は生きる死ぬかの選択を迫られたからである。
それも若い人がその選択を迫られたから故郷に住むか住まないかの選択より命懸けだとなった
それで若い人は苦悶したのでありその手記などか残っている
自分の命を国にささげることのを意味を真剣に問わざるを得なかったのである。
それと比べると今回は小高に住む住まないで生死を決めるわけでもない
そこまで故郷に愛着もしない、命があれば楽な方でもいいとなる
そういうふうに最初から決めた人はそれで良かったとなる
でも戦争だったらそうはならない
たいだい若い人も死んだのだからあとがない選択を決意させられたのである

 
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posted by 老鶯 at 13:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

フクシマ原発事故後の放射性物質のダストが飛散した問題 (3・11の事故と通じた分布を一応していたが違った面もあった)


フクシマ原発事故後の放射性物質のダストが飛散した問題


(3・11の事故と通じた分布を一応していたが違った面もあった)

放射性物質のダストの分布図
RRRRRRRRMAP11111345.jpg
クリック拡大

そもそも、放射性のダストは一様に存在するのではない。
  放射性核種は、風雨でそちこちで吹き溜まりになっていて、2014/3 頃、富岡町 夜ノ森地区の国道6号線の検問のところでは、地上1mで2μSv/h 程だが、その路肩の地表では50 μSv/h を超えた。

昨年 8/19 の3号機の解体工事によるダストの飛散の件で南相馬市の小高区で問題になった稲もそうだ
http://leibniz.tv/hironomachi.html

急激に放射線量があがった地点である。これをみると前の放射線量が広がった地図と重ねるとある程度一致しているのかもしれない
ただ放射性物質はブルームになっている、一つの塊りとなって飛散する
あるところに吹き溜まりのようにダストがたまりそこが高くなる
だから飯館村でなぜ佐須地域と霊山に顕著に放射性物質のダストがたまったのか?
それは地理的要因が大きい。

あの辺は自分が佐須で計ったが泥で20マイクロシーベルトあり
今も牧草地で5マイクロあったから高いと言える
今は5でも高いのである。
佐須から峠がありそこを越えると行合道に出ると霊山である。
あそこも高いダストが流れたのは何か地理的なものである。
つまり風がどう流がれているのか上空のことかわかりにくいし
風も谷間だと吸い込まれやいとかありわからない
ただ放射性物質のダストが一塊りとなって佐須に吹きつけ峠を越えて霊山に当たり
そこにダストの塊りが落ちて沈着したのかもしれない

一応二本松にもダストの黒い点があり福島市にも郡山市にもダストの小さい黒い点があるこれは前に風の流れから自分が放射性物質の流れを解析したのと通じている
春に東風が吹いて飯館村が被害が大きくなった
ただこれは別に春先のことではないから風の流れがどうなっているのかわからない
でも3月11日の東風の流れと共通している
だから春の東風だけの影響で飯館村が被害が大きくなったともいちがいに言えないのか
つまり風の流れが地形に影響されている方が強いということもいえる
ただ全く違ったものになっていたのは富岡とか広野、大野とか末続辺りに顕著にダストの大きな黒い点が集中している。そこには二回以上集中した。
これはなぜそうなったのか?
富岡に第二原発があるがそれは関係ないとするとこれも風の影響だったのか?
南風だったら南相馬市の方にも影響しているが小高近辺だけにダストの点がある
このとき風がどういうふうに吹いたかわからない

でも確かなことは30キロ圏内までが避難区域としたことは科学的根拠があるとなる
小高など20キロ圏内にダストがあり稲に影響したということでもわかる
小高はやはり原町区や鹿島区などより放射性物質の影響が事故の後も出たとなるから
避難区域に指定したのは正しかったともなる
ただ放射性物質は一様に分布しないのである。
ある所が高くなり他はそうでもないということがある
飯館村では草野辺りはこのダストの影響がないのである。
ダストが通過して佐須が吹き溜まりのうようになったともいえる

ともかく地理というのは地形はわかりにくい
磐城の方はかえってわかりにくいのだ
富岡から広野ー大野とか末次になっていたことが勘違いしていた
広野から富岡だと思っていたのである。
こういうことは旅していても常にある
地理は何かわからなくなってしまう
何回も行っていればわかる、佐須は事故の後も霊山回りで行っているし地理的にわかりやすいのだ。
富岡があんなに事故を起こした第一原発に近いとは思わなかった
それより富岡に第二原発がありこれも危険だなと思った。
浪江と小高の間に東北電力の原発ができることになっていた。
すでに工事がはじまるところだった。
だからこんなにこの辺に原発を集中させていいのかという疑問があってもいいはずだったもし第一から第二から新しくできる東北電力の原発ができたらそれらが地震で一挙に崩壊したりしたらどうなるのか?

今回の事故から考えると空恐ろしいものとなる
そんなことをなぜすすめられたのかという疑問である。
原発事故では30キロ圏内が住めなくなるからだ
原発は広い土地に点々と分散していれば30キロ圏内が住めなくなっても別な地域に住めばいいとなる。ロシアではそうして移住したのである。
日本ではそれができないのだから狭い国なのだから50以上あるということが異常なのである。
それは原発が必要だからではなく何か別な意図があった
原発を外国に日本が作るということでもわかる。
輸出産業としての原発事業のためだということもあるし核の保有国ということにもなる
原発の技術、原子炉は日本の東芝が作っているとかがありアメリカやフランスとか共同事業だからである。

なぜ原発が浜通りに三カ所も作り集中させたのか?
それは恐ろしい暴挙であり地域の破滅に通じていた。
それが今回の事故で歯止めがかかったが最悪はこの三つの原発が同時に事故になり
回りが30キロ圏内だけではない80キロ圏内も人が住めなくなるような事態になった。
そういうことを科学者が考えないということもおかしいのである。
原発の恐ろしさを知っているのにこんなことを許すということが科学者にも問題があった
今年も以前として原発問題の追及はつづく
posted by 老鶯 at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

浜通りに三カ所原発ができるところだった (なぜこんな危険なものに反対運動も起きないのはなぜだったのか)


浜通りに三カ所原発ができるところだった


(なぜこんな危険なものに反対運動も起きないのはなぜだったのか)


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この辺に避難してきてる20代から40代だと、イチエフやニエフ(福島第二原子力発電所の通称)やそれらの関連企業で働いてる人も多い
その中でも富岡町は“お役所町”って言われるくらい保守的な町で。原発の恩恵を受けすぎていて、自分たちで積極的に何かを変えようとか、動かしていこうっていう姿勢が薄いんだよ。
http://www.thefuturetimes.jp/archive/no06/hirayama/

『富岡町史』は、次のように語っている。
発電所の立地に伴い、働く場も増え所得が向上した。
生活の向上にあわせて、大型店の建設や、店舗の整備には目を見張るばかりであり、また、駐車場の整備等により消費者へのサービスに努め、商工会の働きも活発化している。



富岡町長が津波で流された金庫に5億円入ってとかかが話題になった。
真意はともかくそれだけ原発は町長であれ議員であれ金が回ってくることを示した象徴的な話題だった。
原発事故のあとも巨額の補償金が入ってくる。それでイワキなどに一早く家を新築して顰蹙を買ったとかある
浜通りは南相馬市でもそうだが原発の影響が大きかった。
原発で働く人も思った以上に多かった。
小高の人は原発を作るときからかかわっていた。
そして鹿島の加藤建材の社長が砂利を真野川から運んで財を築いたというとき原発の恩恵が建設関係にもあった。
社長はその時砂利を手でふるいにかける仕事をしていた。
そういう現場を見ていたことが子供の時にあったみたいだ
今は機械化しているから手ですることはないかもしれない。

原発は工事するときから回りへの経済的影響が大きかったのである。
だから小高の大工さんが小高に原発ができれば景気良くなるというのは本当である。
だから不思議なのは小高に共産党系が多いのになぜ反対運動が起きていなかったのか?
それから原町にも左翼系統が多い、先生とか多いのである。
そういう人は小高に原発を建つことを知っていた
でもあまり反対という声は聞こえなかった
富岡町の共産党員は原爆の実験で船が被爆して帰ったことを盛んに言っていた。
共産党系や左翼はそういうことにうるさいのに何か目立った反対運動もない
原発建てるからと抵抗もほとんどなかったのではないか?
その時小高は別な町だったからできないという事情もあった。

新潟県の巻町といいますと、日本中そうでありますが原子力発電所を造ろうという地域はどこの地区でも革新勢力の一番弱い所ですね。これがまずねらわれます。巻町も圧倒的に保守の強い町だったんですね。人口三万、社民党、かつての社会党、共産党もありますが町長選で独自の候補をたてますとだいたい二千票しかとれなかったところです。

巻町の町民ほど原発問題を熱心に研究し、長い時間をかけて自分の身につけて判断をする力をつけてきた町民はいない、だから、巻町の町民が出した判断は正しいと思います」と、こういって通産省にも老原発をやめるように申し入れました
http://daemon.co.jp/~nagai/kenminkaigialles/fujimaki.htm


巻町の例があり原発を小さな町の人達が勉強してやめること決めたのである。
だから浜通りはまるで違っていたのか、原発を大熊町だったか事故後も原発を稼働させろと要求していた。これほど原発にどっぷりとひたり原発経済からぬけでられなくなっていた。
それにしても今になるとこんなに原発が浜通りに近接して建つということは異常なことではなかったか?
それに疑問もなくたいして反対運動も起きなかったのはなぜなのだろうという疑問がでてきた。
自分も30キロ圏外でも原発には無関心だった。小高に東北電力の原発が建つことも知らなかったのである。
大工さんが小高に原発建つと景気よくなるよと言っていたのでそうかなという感じだったただ原発で働いている人は意外と多かった。
仮設でもそういう人かまたいたのかと思って意外に多いなと感じた。
小高になるとかなり近いから余計に多かったことは確かである

浜通りは原発事故が起きた周辺は何か他とは違っていたのだろうか?
何かそもそも巻町のようなまともな住民意識かない
ただ原発で金が入るとかそうした欲ばかりが増大してそれが麻薬のようになっていた
だから事故後までその麻薬からぬけでられず再稼働しろとかなった
原発とは補助金が入るから麻薬的なところがあった
それは今補償金をもらって暮らしている人達にも共通している。
補助金がいつまでも入る感覚になっている。
いたりつくせりに補助金が入る
避難区域では帰る度にいろいろと補償金が入るのである。
もちろん漁業補償も事故前も事故後も大きかった。
だから浪江の請戸の人が相馬市の病院で特等室に入り家を建てると言っていた。
磯部の人も原発補償金で家を建てた漁業関係者がいたというのもそのためである。
自分の家の近くにも家を建てた人がいた。
それは確かに言えるのである。

そしてなんか浜通りの人は金使いが荒いというとき、会津に入った仮設の人が言うとき、前からそうだったのだろう。原発関係で金が入っていた人が多かったからそうなる。
巻町では原発は町を豊かにはしない箱ものをつくるだけだと反対して建てさせなかった。これは全国的にはめずらしい例だろう。
この辺は何か異常な原発の麻薬にとっぷりと浸っていたのである。
「もっと原発作れ、事故あっても原発再稼働して金を落とせ」
こうなっていたのだからこの辺の感覚は正常な感覚が原発で麻痺していたのかもしれない
浜通りは一人一人を見ても強欲になった人達が多かったのかもしれない
もちろんそれは現代ではそういう人が普通だから簡単には言えない
でも何か富岡町長の五億円の金庫に象徴されるように金の亡者のようになっている人も多かったかもしれない
一人一人を見てもそういう傾向が他よりは強い場所だったかもしれない
お前はどうなんだというと自分もまたやはり金は欲しいが自分は金は使っていない
家はあったから別に金は使っていない、百万の金を使ったことがなかった
他のひとは自分で一代で家を建てるとなると金がかかるのである。
立派な家を建てて借金しているとか借金して贅沢している人もいた

●原発金が麻薬のようになり麻痺していた
●全体的に欲深くなっていた
●住民自治意識の低さ

いろいろな要因があった。新潟県の巻町が反対できて作らせなかったというのと比べるとそうである。
新潟県にこの辺から避難した人は新潟県の人は人情が厚いと言っていた。
福島県の浜通りはどうなのか、人情もない、貪欲な人間が多くなっていたのでは?
欲が深くなると人情も薄れるのである、自分の欲望をどこまでも満たそうとして他人の苦しみも何も関係なくなるのである。
相手が苦しいならこのさい自分の欲望を満たしてやろうとさえなる。
そういう経験をこのて七年間地元でしたからわかる
ただこの辺の人がみんな裕福でもないし貧乏な人が多いのは他と同じである。
要するにこうした人情があるとかは統計的にはわからない
ただ一人でもそうしたいい人に会えばあそこはいいところだとかなってしまうからである

 
とにかく原発は本当の富をもたらさなかった。原発で豊かになることはできなかった。
浪江の請戸の農家の人は10町の畑で野菜を作り四人の娘を大学にあげた。
平に野菜を売って財を築いた、それは本当の実りであった。
それは自慢していい実りだった。でも原発で金が入っている人は今は批判されている
事故の後でも補償金をもらった人は批判されている
お前たちは原発に積極的賛成してそのために金も入ったろうと批判される
それも確かに自業自得だったとされる
第一三カ所も原発が建ったらどうなるのか?
これは空恐ろしいことでありそれでもこの辺では反対運動もなかったのである。
なにかが完全に麻痺していたのである。

ただ津波があり原発の増発に歯止めがかかり原発廃止の方向への運動も強くなったことは津波が来て事故になったからである。
もしこのまま何もなかったらいづれ大事故になり日本は滅亡していたかもしれない
そういう歯止めはかかったことは事故のプラスの点だった。

戸港春の陽眩し船並び田畑広がる実りの地なりし

請戸というと港の方を見ているが実際は海側に広い田畑が広がっていたのである。
その風景も津波と原発事故で消失したのである。

ukedooo123.jpg
請戸港の船が鹿島の復旧した港に十艘くらい停泊していた



posted by 老鶯 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連