2014年12月30日


来年は正念場の原発避難民の小高の人


(広域社会グローバル社会の矛盾が顕著になった場所)


●小高は帰らざるを得なくなる人もでてくる

来年でほぼ避難区域が解除にされると小高に帰るのか帰らないのか決めざるをえない
再来年にしろ来年で決めざるを得ない
補償金も打ち切られると厳しくなる
すると小高の外に住居を確保できない人は小高に土地と家があれば帰る他ないと決断する人もでてくる。
今日会った人は街内の女性だが帰るという、年配の女性であった。
今まで小高の人で帰るという人に会ったことがない
だからめずらしいなと思った。

仮設は後一年と何カ月かで撤去される、それで原町区に避難者を集める区域を作るというから住む場所を確保できない人はそこに集めるのだろう。
でもいつまでもそこちにも住めないとなるとどこかに住居を確保せねばならない
小高に帰らないとすると原町区と鹿島区だがみんなが土地と家を確保はできない
新しい家を建ったのはわずかだろう。
やはり年配の人は小高に帰らず家を建てたがめんどうなことに加わりたくないからそうしたという。
結局原発事故で起きた事は何なのか?
それか原発事故があったからではない、その前にあった社会の変化が極端な形で顕在化したのである。
広域社会とかグローバル社会が田舎であっても社会を変えてしまったのである。
そもそも原発自体がこの辺では社会を変えていたのである。

何か会津とか違って浜通りは羽振りがいいと言われたのは本当だったのだろう。
それは原発があったし火力発電もあったしそうした所から税も入っていたし働く場所もあった
ただそれでも不景気不景気だということは聞くことが多かった。
それは日本全国の問題でありここもそうした影響があったからである。
原発も出稼ぎしないとか過疎化をくい止めるとかそういうものとして積極的に受け入れられていたのである。
ただこの辺は東京に近いから結構工場も多いし岩手県とか青森県とか秋田とも違っている中通りの人はあそこは便利だから原発でも移住する人がいないというのも確かである。
中通りは一番交通の便が良く便利なのである。

●なぜ町や村全体が解体したのか?

原発事故だけでこんなに町や村が解体するようにはならなかったと思う。
放射能問題があるにしろ果たしてそれだけで町や村が解体して放棄されるたろうか?
現実に最近、大熊町でも双葉町でも老人などは帰りたいという人が増えているという。
やはり長く住んでいればそんな簡単に捨てられないだろう。
つまり現代が広域社会の中でグローバルの中で生きているということか相当に影響したのである
昔の自給自足の地域社会とは村社会とはあまりにも違った社会になっていた。
江戸時代だったらもう簡単に移動できない、飢饉のときはやむなく農民の逃散などがあったがそれも命懸けとかなっていた。
村を出たら生きられないような社会である。

明治時代になったとき鉄道の切符が手形代わりになりどこでも行けるようになった。
要するに今のように金かあれば移動が簡単であり住居も移すことができるようになったのである。その変化は実際は相当に大きかった。
日本のどこにでも行けるどこにでも住めるという社会は大きな変化だった。
そういうことができるようになったのは日本全国か金の力が大きくなった。
つまり日本全国で人も物を自由に流通するのだからそのために金が大きな力を持つようになる。それは今度は人も物を自由に流通するグローバル社会に進展したのである。
「金」さえあればどこの国でも住めるとまでなる社会である。
金さえあれば何でも手に入るという社会である。

この辺では原発事故でもなぜ補償金でもめたことでもわかる
仮設に住んで補償金をもらえて何ら生活に困らないのである。
これだけ人が移動すれば広域化やグローバル社会になっていなかったら移動した人は困窮して周りの人に助けを求めたろう。
それは最初わからずに雇ってくれと来た人がいた。
でもそれが逆だったのである。金をもっているのは避難している人たちで避難場所を提供した地域の人はかえって雇われる人になっていたのである。
「俺たちは金はあるぜ、お前ら金ないから雇ってやるよ、俺の元で家事をしてくれ」とかなっていたのである。
そういうことで南相馬市は小高、原町、鹿島で分断されてしまったのである。

●広域社会グローバル経済社会の矛盾

広域社会とかグローバル社会の矛盾が極端化している場所にもなっていた。
「一億円補償金はらうからどこでもいいからそれでやり直してくれ、暮らしてくれ」
「それはかえってありがたいな、もっといい便利な場所で生活しよう
、姑からも離れられるからかえっていいんじゃない、・・」
若い人は特にそうなってしまったしそういう広域化グローバル社会はそういう精神になっていたのである。
もともともう故郷にこだわり住むということから離れていたからこういう機会にそれが現実化しやすかったのである。
ただ街場の人が帰りたいという人が少なく農家の人が帰りたい心情はわかる。
代々その土地に住んでいた人は帰りたいとなる。
そうは言っても今はみんな農家てはない、会社員化しているのも農家である。
だから代々その土地で住み執着するということでもなくなっている。

原発事故の原因はいろいろあった、現代文明そのものもの問題でもあった。
一人一人の生活をみると贅沢になりすぎたのである。
それぞれが何でこんなに欲深くなっているのかということがあった。
借金してまで立派な家を建てる、常に金がたりないたりないとなっていた。
だから金になれば何でもいいとなっていたのである。
原発でも何でもいい、金さえなればそれでいいとなっていた。
すべて金で計られる社会はそうなってしまうのである。

それで浪江の会社経営の人が仕事をくれと前の仲間に頼んだらお前らはたんまり補償金もらっているんだから仕事もいらないだろう。
こっちももらいたいわとかなって協力しないのである。
「絆」とかなんとか言われたがこれも言葉だけに終わってしまったのである。
地元ではほとんど協力していない、避難民をかわいそうだとか同情もしていない
あいつらたんまり補償金もらって得したなとしか思っていない
かえって金によって人の心も分断されたのである
それは別に原発事故が起きたからではない前からそうなっていたのである。
そういう社会が原発事故で極端なものとして顕在化しただけなのである。
ただ最初の内は物資が入らなくなり何とか運んできてくれ助けてくれと全国に呼びかけたその時物資を運ぶことが助けることだった。
でもやがて別に金を払えば何でも送ってきてもらえると前と同じになった。
物を運んできてくれたから助けてもらっているとは思わない。
金で運んできてくれるし金を払えばそういうことはしてくれるのは当然だとなって前と同じになったのである。

ただでは金さえあればいいかとなると避難した人はたちはそうはなっていない
前だったらそれでもいい面はあったが大挙仮設に住んで金があるからと使ってやるとか自分たちのために働けとなると回りから反発される。
それでイワキでは大熊や双葉の避難した人達ともめた。
なぜなら避難した人が土地を買い立派な家を建てて地元の人は建てられないからである。普通避難民とかなると戦争であれ何であれ悲惨なテント生活とかになっている。
それが全然違っている。かえって金が入り贅沢な食生活になったとかもある。
これも原発事故の変なことだったのである。
それも結局は現代の広域社会とかグローバル社会となったことがもともと原因していたのである。
結果的には飢饉になったら相馬藩内でしかたすけられないとかではなく全国から援助があから助かるともなる。
一方で広域社会グローバル社会の矛盾が顕著になった地域にもなってしまったのである。

東京辺りから老人か金があるからと田舎の施設でめんどうみてくれと言われる。
でも金があるからといって田舎でそうした人達を歓迎するのかとなる。
高級な金持ちの入る施設でもいいことばかりではない、金でなんでもかなえられるわけでもない、金を全面に出すと嫌われるし金があっても老人は弱者なのだからいじめられることもある。
だからいくら広域社会グローバル社会でもすべて金で解決することはできないのである。
原発事故周辺の問題はグローバル社会の世界的な問題でもある。一地域でもグローバル経済社会の中に組み入れられてしまっているからである。そもそも金がドルが世界中で通用していることことが如実に物語っている。自分にしてもアメリカの投資でもうけていることが矛盾なのである。そうした金の世界から批判しても離れて生活できない
だからもう資本主義は矛盾であり限界だから世界も破壊するから崩壊すると言われる。
資本主義社会の大崩壊がまもなくやってくる。
それで世界がどうなってしまうのか誰も予想はつかない、金は紙屑になり物々交換の世界にもどる。同じではないにしろ貨幣より物だとなる、具体的な使用価値があるものであり紙幣は通用しなくなる。そういう境目の時代にきている。
2015年は資本主義社会の破局のはじまり?



posted by 老鶯 at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

年の暮の短歌十首 (小さなる町に生きて・・・)



年の暮の短歌十首


 
(小さなる町に生きて・・・)

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今日の朝日


盆栽に根を張りしとと冬の雨

吾が母を介護しあわれ年暮れむ家を維持すと勤む我かな
掃除しつ料理をしつつ吾が家に勤めいそしみ年も暮れなむ
吾が家に勤む女あれ一年を過ぎて親しむ年の暮かな
我が町の花屋によりぬ新年を飾りを作る我が買わむかな
路地裏に誰が目をとむや残り菊日々に通れば目につきかも
この道を往き来して気になりぬ五賀の姓の墓年も暮れゆく
我が病癒えにけるかな新しき年迎えるに心剛しも
小さなる町にし生きてあわれかなそれぞれの勤めここにあるへし
仮設住む人の手入れす盆栽や日々に通りて年も暮れなむ
仮設住み働かざるは悲しかな我も働く一人にあれば
赫赫と朝日昇りて年終えむ我が体に力みなぎる

自分の仕事は介護と家に勤めていることである。これは仕事ではないといっても仕事なのである。何か生産しなくても買い物だけでも一仕事になるのが現代である。
何を作るかではなく何を買うかしること自体が現代の生活である。
それを否定しても現実にそうなっているのである。
料理でも何を買うかを知ることが大事になる。そもそも料理を覚える事はずかしいからである。買ったものですましてしまうからである。
ともかく今年一年も家の仕事に追われて終わった。一回しか仙台に行かないし遠くに行けないことは同じだった。
だから毎日一万くらいの町を行ったり来たりしているだけである。
そんな小さな町に暮らしてもやはり何か追われている。

花屋では新年の飾りつけをつていたがあそこの花屋は飾りつけがうまいので買う
川子の高台の墓には五賀の姓があるがこれは越中からの移民である。
この辺の墓には必ず三分の一は移民の墓である。
なんか仮設も四年にもなるけど盆栽を並べ手開く所を毎日通っているとその盆栽に情が移るというのも不思議である。盆栽を一つの樹のように見るということがある。
ただ仮設はもう終ったほうかいい、そこには生活はない
ただ補償金で暮らしているというのは生活ではない
毎日パチンコとか競輪とかギャンブルの生活になったらその街の未来はなくなる。
ともかく何か勤めているものがあればそこから力もでてくる
今年一年はやはり病が癒えたということが大きかった。
くるしかったのは自分の病気をみる人もなく介護とか家のことをしなければならなかったことであった。

年取ると一番怖いのは金がないこともそうだが病気になったら辛い
特に一人暮らしは病気になったら悲惨である。
誰もみるものがいないから余計そうなるのである。
その点では今年は体が回復したので力が湧いてきたので良かった。
そして来年も何か元気でやれると思うと違ってくる
実際は旅だってできるのだが介護でできないだけである
登山でも苦しいが低い山ならできるかもしれない。
病気になったらまず何もできなくなる。
そういう希望すらなくなる。
ともかく今年は自分の体の回復の年だった。



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