2014年12月25日

今年も終わる2014年の南相馬市の現状 (南相馬市は補償金問題で分断して心も荒廃)



今年も終わる2014年の南相馬市の現状


(南相馬市は補償金問題で分断して心も荒廃)



南相馬の仮設住宅で女性死亡

 南相馬市鹿島区の仮設住宅で、東京電力福島第一原発事故に伴い小高区から避難している50代女性が遺体で見つかったことが14日、分かった。南相馬署は自殺とみて調べている。
 関係者によると、女性は13日朝に遺体で発見された。一人暮らしだったという。
 市によると、女性宅には市が委託した生活支援相談員や絆職員らが交代でほぼ毎日見回っていたという。

東京電力福島第1原発事故で避難区域となっている福島県南相馬市小高区の住民344人が避難生活を余儀なくされたとして、東京電力に総額60億円を超える損害賠償を求める訴訟を19日、東京地裁に起こした。
 原告側弁護団によると、原告1人につき、将来避難指示が解除されて3年が経過するまでの月額20万円と、ふるさとを失ったことに対する慰謝料1000万円を求めてい
 
http://www.sankei.com/smp/affairs/news/141219/afr1412190040-s.html (2014-12月)

2014年10月 南相馬市 交通事故多発
昨日、原町区仲町で女子高校生がダンプにはねられ命を落とした。
http://www.police.pref.fukushima.jp/oshirase/kikaku/jiko_minamisouma_141014_066.htm

避難区域外で作付けする農家の戸数は76戸と、昨年の146戸から半減した。市は「賠償金の有無が農家の意欲をそいでしまった可能性がある
http://www.minyu-net.com/osusume/daisinsai/serial/140511/news1.html

熊井さんは「南相馬市の避難指示解除準備区域の場合、暫定的に支払われる2年分(の賠償金)だけで先は見えない。移転費用の全額賠償をしてもらいたいのが本音だが、浪江町のように区域の別に限らず6年分を一括して支払う配慮がほしい」と話した。(小沢地区)
http://www.minyu-net.com/osusume/daisinsai/serial/130904/news3.html

郡山市の高校に通う長男が同級生から「賠償金もらっているんだろ」とからかわれたと聞いた。「帰れないなら、市民になるしかない」と割り切り、新居への入居と同時に同市に住民票を移した
http://www.minyu-net.com/osusume/daisinsai/serial/fukkou-kage/130920/news.html

被災地域の自治体職員の心の病が深刻になっているらしい
新聞などで読んではいたけど、このままでは業務に差し支えかねないとか何とか

ここ小高区も、20から30%の人が帰らないと考えているそうだ
特に郡部より、線量の低い街場の人が多いらしい

近所のスーパーの募集も、年齢の上限が70歳まで引き上げられた
70過ぎても働けるって、なんて老人にやさしいんだろうって話じゃない、
働く人がいない、のではなく働かない人が多いんだという

この頃原町では立派な車がたくさん走っている
外車なんか、医者かヤーサンの乗り物だと思っていたが、、、
Lのマークの車とか他にも高そうな車
相馬郡医師会(此処ら辺のお医者さん)の平均年齢が、
65歳を超えたそうだ、他所がどう何だか知らないが、
南相馬市は、超高齢化にまっしぐらだが、


ここのプログは地元で詳しい
http://musentou2.blog.fc2.com/



今年をふりかえると南相馬市はやはり津波原発事故の混乱状態が継続している。
むしろ深刻になってきた面もある。
一人暮らしの女性が自殺したというのも仮設暮らしに疲れたのか避難生活が長引くとそういう人もでてくる。
女高生がダンプにひかれて死んだというのもこの辺はともかく毎日ダンプが多い。
鹿島区のローソンでもダンプが横転した。昨日も鹿島区で交通事故があった。
これもダンプが多いから事故になりやすいのである。
南相馬市の最大の課題は補償金で分断されて精神的に荒廃してしまっていることである。農家でも米を作っても補償金をもらっていた方が得だとか高齢化もあり米を作りたくないとなる。
前々から米を作っても金にならないとか言ってやりたくない人が多かった。
でも円安になると日本人はいい米は輸出して米さえ食べられなくなるとか週刊誌に書いてあった。
後進国では輸出するために養殖したエビなどは食べていないのである。

だから何でも買っていたら高くつく、前だったら米とか野菜は自給していて食べ物には困らないとなっていた。
いくら補償金をもらっていてもいつまでももらえないし金はいつ紙屑になるかわからない、その恐怖が常にある。
小高の人はまた補償金の増額を要求した。ところがこれも南相馬市内部では特に鹿島区では反発が大きくなるのだ。
まだ補償金もらいたいのか、鹿島区じゃたいしてもらえないで終わっているのにとなる。要するに南相馬市全体で補償金の増額を要求すらならいいのである。
なぜって南相馬市は小高も原町も鹿島も合併して一つになったのだ。
それが前のように補償金でばらばらになってしまったのである。
鹿島区では小高の人に反発が大きい、小高の人は鹿島区に一番多く住んでいるからそうなる。
小高の人達は若い人が帰らないとしたらあとは老人が帰り残るだけになる。
そんなところにすでに老人も帰りたくない、特にその気力もなくなってくるからそうなるでは土地を買って新しく家を建てるとなると原町区の小沢の人のように金がないとなる。鹿島区の大内の人も90才で金がないから家が建てられないと言っていた。
でももうその年になったら新しい家は建てる必要もない、あと何年生きているかわからないからだ。そういう人はかえって施設のようなものに入った方がいい。
相馬市では津波の被害にあった一人暮らしの老人が入れ施設を作った。
一軒の家を作るのはもうあきらめるほかない。

でも新しい家が建ったのを見ると庭の松に雪をつみ海の方から朝日が昇り日がさしてくるそれが新しい生活のはじまりだと感じる。
だからどうしても新しい家を建てた人はうらやましいとなるだろう。
それでも新しい家を建てられる人は恵まれているし少ないだろう。
百軒以上は軽く鹿島区でも建った。これからも建つが建てられない人もいる。

役所の人も様々な問題に対処しなければならないから疲れるというのはわかる。
問題が山積みであり解決方法が簡単に見つからないのである。
小高に帰れというとき水の問題があったのである。
津島の方から水道水を使っていたとなるとその水が大きな問題になる。
そして街場の人は帰らないと言う人が多く農村部の人は帰りたいというのはわかる。
なぜなら農村部は代々土地をもって土地を耕し利用して生きて来たから愛着が深いのである。
街場の人は自分でもそうだが二代目であり農家じゃないから土地に愛着がまだないのである。だから離れやすいということは言えるのかもしれない。

南相馬市は一体これからどうなるのか?
復興事業で除染などで外部からの人がまだ多い。
それで活気あるなと見ている人がいた、それは地元の人でないし錯覚していたのである。地元の人は働かずパチンコ通いだというのも矛盾しているのだ。
働かないで心も荒廃しているのである。
補償金があるから働かなくてもいいということになるが人間は金のためにだけに働いているとは限らないからだ。
働くことには様々な意味があるからそうなる。
南相馬市であれ原発事故周辺の問題は簡単には解決しない。
復興するといっても簡単ではない

何か前々から思っていたのだけど津波や原発事故だけが原因ではない
高齢化とか地方の衰退とかそういったものが津波や原発事故で極端化した
衰退する市町村に最後の一撃を与えたという感じになっている。
もし高度成長とか人口増大の昇り調子の時代だったらこうはならなかったかもしれない
戦争後焼け野原になったのに復興したことは奇跡とされた
それはそのとき人口が増大していたのである。
今は人口が減退して高齢化になっいる。
だからスーパーでも70才まで働く人を募集しているというが働く人手がいないのである。鹿島区のスーパーでは退職した60代の人が働いていた。
簡単な掃除だけど働いていた。必ずしも金銭のためではないらしい。
相馬市の人だからまた南相馬市とは事情が違っている。

いづれにしろ介護でもそうだし医者も高齢化だとかこの辺の環境は悪くなる。
結局何か暗い感じになるし未来が感じられない場所になっている
ただこれまで書いてきたように原発事故周辺は何か現代文明の負の部分が集約的に現れた場所なのである。
だから何か哲学的になり社会運動家を養成するとかいろいろなことを考えさせられる政治的場所にもなってしまった。
だから他とは違った文明を見直すという場を目ざすという場を指向する。
それが何なのか?再生エネルギーとかいろいろあるがそれだけではない
思想的な面で考え方を変えるという場所にもなる。
だからといって山尾三省きようなパンも食えない場所になったら誰も住まないのである。若い人は広域社会になっているから今でも帰らないといっているから本当そんなふうになったら修道士になってしまうし誰も住まなくなる。
でもそうは言ってそういうことを強いられている場所だということもあるのだ。
ここは他とは違ったことを原発事故で指向せざるをえないのである。

自分のことを今年をふりえってみるとこの七年間の介護人生では一番平穏だった。
一回はもめたがまた回復した。
体も楽だし介護していてもさほど問題はなかったから楽だった。
ただ家事に追われることは変わっていない、だから今年は仙台に一回しか行っていない
こんなことはなかったがバスだと行きにくいし何かと用事がかならずあって行けないのである。
ともかく自分の一年は今年は一番平穏だった。
来年はどうなるのか?
また家事に追われあと創作したものをまとめる作業がつづく
本作りというか自家本作りがある。パソコンでできるが全部自分でやるのはめんどうである。
プログにしたって膨大なものを書いているから整理する必要があるのだ。
この整理するのが家のことでも創作のことでもめんどうなのである。





 
posted by 老鶯 at 17:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連