2014年12月19日

冬の日 (横手から栃窪に大原の幽霊屋敷をたずねる)


冬の日

(横手から栃窪に大原の幽霊屋敷をたずねる)


栃窪村

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鴨百羽餌のありしも争わず

昨日(きぞ)の雪山陰に残り墓地のあり栃窪村や誰か眠らむ
栃窪に相馬藩士大谷氏の五輪塔や冬の日暮れぬ
栃窪に冬の日さして重なれる石やここにしいつきけるかな
昨日の雪山陰に残り磐を打つ流れのひびく朝の清しき
昨日の雪大原に残り川の土手竹にそよげる風の清しき
病院にともにありにし大原の人の空家や冬の日さしぬ
かつて棲む人のありしも冬日さし煉瓦の風呂に炬燵残りぬ

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大原の幽霊屋敷

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レンガの風呂

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横手に70歳の老人がいたので話した。70歳だと別に自分とたいして変わらなくなった。
何か今では80歳くらいにならないと老人という感覚がなくなる。
どういうわけかその人は栃窪村の大谷(おおがい)は飯館村で争いがありその功績で栃窪村に土地を報償としてもらって居ついたという。
確かに写真にとったように大谷氏というのは相馬藩士として墓地がある。そこは大谷氏の墓地なのである。


飯館村は山中郷としてあり相馬藩であった。伊達藩と境をなしているから伊達藩との争いがあった。それで前に飯樋で森林資源をめぐり一族の争いがあったことを書いた。
これは親戚同士で争った。伊達氏もかかわったというがそれより一族が別れて紛争になった。これで実際に人が死んでいるのだからそれなりに深刻なものがあった。
飯館村は森林資源が豊富だったのである。
横手には岩松氏系統の子孫が住んでいる。折笠氏などがそうだとかいう、その墓もある。最近わかったことは北郷は相馬氏が進出する前は岩松氏とかの支配領域であり相馬氏はあとから進出してきたのである。
深野(ふこうの)にも在地の勢力があり中世の館があり進出できず大原に入ったのである。大原は未開の原っぱでありそこから今度は小池の方に回った。
郷土史というとき本からだけではわからない、その土地の人のみが知っていることがかなりある。
大谷氏というと自分の家の身内が大谷氏と親交があったからなじみの姓である。
栃窪に大谷の姓が多い。
その人が言うには米なんかとっても金にならねえ、安いよと言っていた。
補償金もらっていたほうがいいなと言ったらそうだなと言っていた。
こういうことは前から何度も言われてきたのである。

大原の病院で知り合った農家の人もそうである。跡継ぎがいないと一人住んでいた。
息子はいても街に住んで父親の家には住んでいなかったのである。
栃窪からじさばらを通り大原に出たがここでも昨日降った雪が残っていた。
やはり山の方になると寒いから雪でも消えず残っている。
大原でいつも注目するのがあの幽霊屋敷のようになった空家である。
今日は中をのぞいてみた。そしたら煉瓦の風呂があった。
これは結構贅沢なものだったと思う。煉瓦で作った風呂はなかなか作れないだろう。
五右衛門風呂のようでも煉瓦になっていたのである。
だからこの家はそれなりに財力があったのかとなる。
とにかく何かのぞいてみると柱時計があり時がとまっている。
そこに炬燵があり壁は土壁だろう、なんとも不思議なの光景である。
なんかあそこは前も思っていたが幽霊が住み着いているように本当に思う。
あそこはそもそも空家になってから相当な年月が過ぎていると思う。
だから幽霊屋敷のようになってしまったのである。
空家とか廃村をたずねている人がいるがその廃村というときぶっと山奥の感じがする。
ここは別に山奥ではない、村自体が廃村になってはいない、第一市街も遠いと言っても
車て行けばそれほどではない、車がない時はかなり離れた場所だったのである。

この辺は田畑が田んぼが荒れ地になってしまったから余計に何かこうした空家が余計にふさわしい場所になっているというのも変だがそうである。
新田川の土手には竹林がつづいているがあれは竹は深く根付くから堤防代わりになっている。そういう話を南相馬市立病院で大原の人から聞いたのである。
その人は死んでしまい空家が残っている。

 

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