2014年12月18日

短歌でつづる吾が半生ーやすらぎ(平田義男) 一冊の戦争を歌った松川浦に住む人の歌集



短歌でつづる吾が半生ーやすらぎ(平田義男)


一冊の戦争を歌った松川浦に住む人の歌集

yasuragiii123.jpg

この歌集を出したの70歳の時であり1976年(昭和51年)であった。今は2014年だからこの人は生きていたら108才だから死んでいるだろう。この人は別に教師でもない学者でもいない、松川浦の漁師であり農民であった。
でそのことは紹介されているが歌も稚拙な所もあるがそれなりにうまい、普通はなかなか訓練しないと歌も作れない、この人はそれなりに才能があったともなる。
何か万葉集の防人の歌とにていたのである。防人の歌も戦争するわてでなかったか古代に九州まで行かされるのはまさに外国に行くと同じだったのである。

赤紙を手にとり受領の印おせど吾が心も心ならず
今日だけはオゴモとらむと舟出せど心も空にオゴモは見えず
父さんはいつ帰るのとさびしげに涙ぐみつつ吾を見つめる
万感を胸に車の人となる釜山の駅よ会う日もあらば
幾月か吾がを追う吾が妻の便りの文はすでに汚れぬ

赤紙を受け取った気持はみんなこうだったみたいだ。突然のことであり思いもかけないものとして受け取ったのである。自分の姉もシンガポールに四年従軍看護婦として行って辛酸をなめた話を認知症になってからも延々と聞かされたから嫌になった。
同じことを何度もしゃべるのが認知症なのである。千回も同じことを聞かされたら嫌になるし聞きたくなくなる。そして遂に死ぬ間際でそのシンガポールの辛苦の四年間を語り続けて死んだ。それだけ忘れられないものとなっていたのが戦争の思い出なのである。
だからどうしても戦争というとき姉のことを思い出してダブってくるのである。
この人は松川浦の人であり漁師でもあり農業もしていた。そして妻と子があったからそのことに思いがあり歌っている。ただこのオゴモとは

オゴノリ(海髪、学名:Gracilaria vermiculophylla)は、紅藻の1種で、潮間帯付近の岩場に生育する。単にオゴ、ウゴなどとも呼ばれる。食用として、刺身のつまなどに用いられる

このことだろう。
赤紙をもらってからは落ち着かなくなったということがありそのことを書いている。
生業が身につかなくなったという感じである。
ともかく招集命令はと急なものだったのである。それは万葉集の防人の歌と通じるものがある。防人の歌も何か急に命令が下ったのでにた心境があった。
ここで妻と子と別れを惜しむというのは姉とは違っていた。
しかし姉も母と別れて帰った時は母は死んでいたのである。
その別れが最後になったのが多かった。それは戦死したためにそうなった。
ただ姉の場合は戦地から帰ってみたら母が死んでいたのだから違っていた。
普通は戦場に出て行って帰らずに死んで帰ってこなかったのである。

赤紙の急ぎ受け取り戦場へ永久の別れとなるを知らずに

ベートベンの運命ではないが突然に運命的なことが起きる。今回の津浪でもそうだし自分が突然病気になったこともそうである。戦争に招集された人や戦争の経験した人達は共通したものをもっている。この人は満州に出征した。

万感を胸に車上の人となる釜山の駅よ会う人もあらば

釜山から日本が敷いた鉄道があり満州鉄道に通じていた。釜山とか満州に旅したからその跡を見てきた。朝鮮総督府も残っていた。今はなくなった。

地平の彼方 雲映えて
コーリュンの波 果てもなき
満目千里広茫の ここ北支邦の大平野

満州はどこまで行ってもトウモロコシ畑だった。こんなにトウモロコシを食べきれないと思った。満州はそして相当に寒い、北海道より寒い場所である。

銃音の絶えて静けき陣営に残月あわく霜に光れる

この短歌はいい、戦争中にこうした短歌を作れる余裕があった。でも無惨な戦争の場面も目撃している。ただ歌が作れということはまだ人間的な状態があった。
もし悲惨な人殺しばかりしていたらこんな余裕はないだろう。
そもそも戦地では常に命が脅かされているから短歌とか詩を作る余裕がなくなるのが普通だからである。

幼児に罪のなければと携帯のパンかみくだき吾はあたえぬ

時々こういう子供をあわれむ歌がでてくるのは一人の親であったからである。
日本人は残酷だというけど日本人もまた人の情があった。ただ戦争という異常事態だからこそ一部には残虐な行為があった。戦争そのものが殺し合いなのだからどうにもならないその中でもやはり人の情がありこの人は子供に情けをかけていたのである。

今はなき戦友の写真にありし日の厚き情のしのばるるかな

戦争体験者にとって戦友というのは肉親と同じように重いものだったのである。
生死をともにしているからそれは今ではありえない親交があった。
姉もその従軍看護婦の戦友のことを語りつづけていた。
それは島根の人であり手紙のやりとりをずっとしていた。ただ最後に年賀すら読めないしわからなくなり途絶えた。
その人のことは三陸会とかの記録に残っている。その女性は文学少女だったのである。
だから短歌も書いている。だからそのことも次に紹介する。
まだ生きているかもしれない、90歳にはなっているたろう。
戦争の記録が膨大である。ただこれも忘れられてゆく。
ただ家族に戦争経験者がいたし故郷でも戦争に出た人の記録があったのかとたまたま埋もれていて本を整理したら出てきたのである。
郷土史研究というとき資料を集める必要がまずある。図書館では研究しにくいのである。

戦争に青春費やすシンガポールそのこと忘れず姉は死ににき

もう一つ戦争で問題になるのは戦死者のことである。靖国問題である。

強く雄々しき桜花 海の果てに 散りたれど

君がみたまは海越えて今ふるさとにへ帰り来ぬ

戦友の遺骨を迎えしときと題にある。この感覚もまた戦争経験者として共通のものがあった。
そういう心情は何か理屈を越えたものでありなかなか理屈では否定できない重いもの菜である。
なぜなら人が死んでいるから軽々しく言えなくなるのである。


故郷に一つの生の重みかなその跡たどり今年も暮れぬ

人間はやはり死ぬと何か一庶民でも重みがでてくることがある。
生前はそう思わなくても死んでかちふりかえり思うのは違ってくる。
死んだ人は確かに客観的に見やすくなるから書きやすいということもある。
生きているときは定まっていないから書きにくいのである。
戦争というとき常に全国民のことを思うけど実際は個々の戦争のことが刻まれている。
そこを読まないとわからない、人間は全体として見るとかえってわからなくなる。
何百万人死んだと言っても全然ひびかないのである。
こうして一人の故郷の戦争経験をふりかえると訴えるものがでてくる。
生の重みがでてくるのも不思議である。
いづれにしろ人間はなんらか生の跡を残すのである。
死んでからその生をふりかえることは人間にとって大事である。
この人は一人の人間としてやとり何か生の重みを残して死んだのである。
人間は何かしら必ず生の重みを残してゆく。
ただそれに後の人が気づかないし忘れられるのが多いのである。



この歌集を出したの70歳の時であり1976年(昭和51年)
終戦が1945年であるから70歳のときから31年前である
39歳のとき出征した。
だから妻も子供いた。普通20代を想像しているが最後の方ではかなりの年の人も招集された。若い人がいなくなっていたのである。
全体的に短歌を読んだら落ち着いているし戦地でも子供のことを特に気にかけていた。
こういうことはあまりないかもしれない。
この人は相当な大人でありだから若い人とは違っていたのである。
戦争をある程度客観的にも見ていた。
客観的にならないとまず俳句でも短歌でも作れないからである。
何かものを書くでも客観的に見ないと書けないのである。


一般的に戦争から生き残り長生きした人は戦争のことでもその後のことも語られるが若くして死んだ人はその後忘れられた人か多い。
なぜなら本人が生きていれば自分の姉のように千回も同じことでも戦争のことを語りつづけるから後の人の印象として残るからである。
もう20代で死んだ人は名前すらわからなくなっている。
300百万人も死んでいるのだからとてももう記録できないのである。


タグ:戦争短歌
posted by 老鶯 at 16:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

鍋一つもったいなということを家事して思った (労働通じてしかモラルなども身につかない)



鍋一つもったいなということを家事して思った


(労働通じてしかモラルなども身につかない)


この鍋を幾度洗ふ大切に捨てずに使う年の暮かな


人間の不思議は鍋でも物でもそれに愛着というか愛情を感じてくることがある。
物なんか使って捨てるだけではないかというのが大量消費時代の感覚になった。
毎日大量のゴミが捨てられている。食料も膨大な量が捨てられている。
一方で世界では子供でも飢えてまとも食がとれない人達も何千万といる。
だからそういう人達から見れば豊かな国は罰当たりだとなる。
日本でも戦前から千五十年くらいまでは「もったいな」とか物を大切にすることがあったそれは一重に貧乏故にそう強いられていたのである。
貧乏だったら物を粗末にしていたら生きられないからである。

そして意外なのは大正時代が六千万人くらいの人口だったとういことである。
明治になって3千万とか4千万とかになっていった。
ずいぶん日本は人口が少ないと思った。だから明治時代は日本の自然が残っていて景色的には江戸時代のつづきがあった。都会すら東京でも高層ビルなとないのだから
景観的には今よりいいものがあった。
日本が4千万くらいだったら田園風景がいたるところにあったのである。
その相違はあまりにも大きすぎる。
それじても啄木は故郷の自然を望郷する短歌を作ったから東京はやはり自然景観は消失していた。

「もったいない」というとき人口が多くなると人間の価値も減退する。
だから群衆とか大衆という感覚が生まれたのは明治以降だろう。
それまでも人間をそんなふうに物ののようには見ていないのである
だから明治になって鉄道ができたとき見知らぬ人と乗り合わせたときすら違和感を感じていたのである。
見知らぬ人同士が一つの車両に一緒にいるということになじめなかったのである。
鉄道ができたとき関所もなくなり切符が手形代わりになったというのもわかる。
切符さえあれば日本全国どこでも行けたということの変化は大きかった。
江戸時代は藩内とか村内の狭い範囲でしか生活していなかったからである。
鉄道ができたことで日本人は別な藩の人でも自由に交わることが飛躍的に増えたのである


自分の使った鍋はIH用でもあるから3000円以上しているから簡単に捨てられない事情もあった。それがなぜ汚れるかというとガスでつけっぱなしにすることが多いためだった。
台所と食事する場所が離れているからどうしてもガスを消すのが忘れるのである。
それで何度もこがしてしまっていたのである。
だからすでに十回くらいこがしてごしごし洗って落とした。普通だったら買い換えているだろう。千円くらいだったらそうした。
でも不思議なのはそれを捨てないで何度も洗うことは「もったいない」に通じていた。
何かその鍋が貴重に思えたし愛着を覚えた。
職人でも物や道具に愛着を覚えることがあるだろう。そういう感覚を経験したのである。人間は物を道具でも大事にしろと何度言っても現代では通じない、そもそもモラルとかはいくら説いても通じないのは経験から学ばないからである。
人間は本を読んだり人に教えられたりしてモラルが身に帯びることはなかなかないだろうモラルは日々の生活の中で身につけていたのである。
だから侍でも侍のモラルは日々の生活で身についていたからこそ本物だったとなる。

ただ現代でも仕事の中で身につくものが本物だということはありうる。例えば農業なとは趣味の範囲でもこれは自ら畑を耕して肥料をやり種をまきとかして経験しないと本当はわからない、そこに自然と深くかかわり多様な経験を体で覚えることになるからだ。
だからそうしてとれた地元の野菜もらってたべたとき単にスーパーで買うものとは違ったものとなる。そのものには人間の情がこもっていたのである。スーパーで買うものは確かに味はあっても何か情がこもっていない、冷たいものに感じた。
それは家族で食べるものが料理されるものが母親の愛情がこもっているとにていたのである。単に買うものには愛情が情がこもっていないのである。
だから江戸時代は自給自足の時代、その土地土地でとれるものを食べていたのだからその土地と人間に密着して情がこもっていたのである。
ただそうはいっても極端な貧乏もあったからそれも一面の見方ということはいえる

家事というのも実際は一つの仕事である。刀自(とじ)というのが女性であり家全部をきりもりするから力をもっていたのである。今でも刀自と墓に刻まれていることでもわかる。昔は家事が大仕事だったのである。機械がないから洗濯するだって大変な労力を必要とした。寒い時など水も冷たく辛かったろとなる。食器を洗うにしても自分の母親はいつも霜焼けになっていたのである。温水になってからはそうならなくった。
家事は中流の家庭でも女中を二人雇っていたとかそれだけの手間が必要だったのである。機械化したときその手間がはぶかれたのである。
だから自分でも何とか介護まで一人でやれるのである。
ただすべてが機械化するとき鍋洗うのも機械化するとき今回感じたような鍋一つに愛着を情がこめられるということはなくなる。

つまり人間は自らの手で子供でも育てたとき愛情を覚えるように自ら何でも経験して感じる覚えるものが本物なのである。職人でも体で覚えるということを師弟でもしてきた。
以心伝心などもそうだろう。今は何かそうして人間と人間でもその間に機械などコンピューターなど入ると人間から学ぶものはないとかなる。
するとそこには情が欠けてしまうのである。
それは鉄道が普及したとき見知らぬ人同士が膨大に交わるようになったのともにていたのである。機械化するということは人間の情的なものを希薄化して非情にしてしまう。
人間がしたのではなく機械がしたとなると仕事したとなると人間は重んじられなくなるのである。
例えば一つの石を苦労して運んだり積んだりするときその労働は人間しているのであり
ここまで自分がもってきたなとその労苦がその石に残る。
でも車で機械で運んだり設置するとしているのは機械だとなる。
その機械を使うことの方にエネルギーがそそがれるのが現代であり人間的なものがはぶかれてしまうのである。
現代は全般的に情には欠けた冷たい社会になってしまった。それは便利さを追求したり機械化したりグローバル経済になったとき必然的にそうなってしまったのである。

 
posted by 老鶯 at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題