2014年12月13日

抽象画(氷河)



抽象画(氷河)

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エーデルワイス(薄雪草)


これも偶然である。外国関係になると抽象画とか絵画が膨大にでている。
それをソフトで操作しているとそれらしいものができる。
これが一連のものとして連作としてできると一つの作品となる。
俳句でも短歌でも連作にすると厚みがててくる。
一つでは鑑賞するには孤立しているから単一になるから見応えがなくなる
エーデルワイス(薄雪草)も本当に偶然でできたのである。
何かそれらしい、白に変えたことはあったが何か薄雪草らしいので気にいった。
抽象画は何がでてくるかわからないということに魅力があるのだ。
開けてびっくり玉手箱なのである。
その素材はほとんど無限にインターネット上にある。
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平等を追求すると不平等になる (選挙もみんな一票でいいのかー老人が多いから不平等になる)



平等を追求すると不平等になる


(選挙もみんな一票でいいのかー老人が多いから不平等になる)


不平等こそが善であり、平等は悪なのである
http://www5d.biglobe.ne.jp/~anpoken/sub16.html

左翼の運動家が反省しているのもわかる。
平等を追求すると不平等になるという皮肉がある。それを証明したのが共産革命であり中国でありソビエト連邦だった。中国では一番格差大きいというのも不平等が最大になっているのもそうである。平等を追求すると結果的に不平等になる。
男女同権とかフェミニズムを追求した結果、苦しんでいるのは女性だとなる。
女性と男性は違っているのだから同じだとしたら仕事では競争しても勝ち目がない。
男性には男性の役目があり女性には女性の役割がある。
だから何でも平等を追求すると不平等になる。

第一なぜこの世の人は生まれたときから平等ではない、なぜそれぞれに違った親から生まれるのか?選んでいないのに生まれるのかということ自体不平等である。
親でも親と言えない人も普通にいる。ではなぜそんな親から生まれねばならなかったのかとなると結局カルマだとか運命論になってしまう。
そのひどい親から生まれるカルマだったとなる。
だからインドではカースト制が生まれた。それもやはりカースト制が生まれ何か必然性があったのである。合理的なものすらあったから制度にもなった。
江戸時代でも士農工商が不平等だとしてもやはりそこにそういう社会が生まれる必然性があったからそういう社会になった。それは必ずいい面と悪い面をもたらす。
カースト制や江戸時代がすべて悪いとはならない、そこにはいい面もあった。
もちろん悪い面を見ればきりないともなる。

例えば犬がいて猫がいて牛がいて猿がいる、それらがどうして俺は猫に生まれたのだと問うとき、それはカルマだったとしかいいようがない、猫に生まれカルマがあって生まれた俺が猫に生まれたくなかったとしても猫として生まれたら猫として生きる他ない、それが不平等だといってもどうにもならないのである。
だからインドではカースト制が何らかそうした必然性があって生まれたのである。
カースト制でも江戸時代の士農工商でも秩序を維持するために必要だった。
みんな平等だというとき秩序が破壊されてしまい社会が混乱するから分に応じた生活をしろとなった。
なぜ金持ちと貧乏人がいるのかというのもまた不可解なのである。
なぜその人は貧乏なのだろうとなると良くわからない、たいがい離婚している人は貧乏になりやすい、何かその人自身に貧乏になる要因がある。
一方なぜあの人は金持ちなのだろうとなるとこれもわからないのである。
金持ちの家に生まれる人と貧乏人の家に生まれる人がいるからだ。
金持ちの家があるのは不平等だから平等にしろというとき、それが今度はみんな貧乏人になってしまう。それが共産革命でもあった。
資本主義は欠陥があってもやはり平等主義とは違う。能力があるものか努力するものが成功するという建前があった。それが崩れてきているにしろそうして資本主義か世界のルールになったのはそれなりの訳があったのである。


特に地方で金持ちになるとしたら財産家になるとしたら昔だったらたいがいその土地から富を生み出している
するとその土地に富を生み出すとしたらその土地を富ませるものがあるということはいいことでありその土地の富者を否定したらその土地の富も否定することになる。
最初にその土地に富むものがあるとしたらそれに習い他の人も富むことができるとなる。それを富者を全部否定してしまうと結局富者から盗んでも富を分けるべきだとなる。
それが共産革命の原理である。
地主とか小作とかの問題にはそういう側面はあったことは確かである。
ただすべての富者を否定してその富は平等に分配すべきだというとき富者はこの世にいなくなる。そして結局それは全部を貧乏人にしてしまうということにもなる。

いづれにしろ今になると民主主義でも平等主義が極端になりその弊害が大きくなってしまった。才能も努力もしないのに平等を要求する。いろいろな差があってもいいのにみんな同じにしろという悪平等が民主主義をだめにした
それは選挙でもいえる。つまりみんな誰でも一票だというのも悪平等である。
選挙でも若者が少なく老人が多いからどうしても老人に有利になる結果になる。
これも悪平等なのだろう。これから国を背負うのは若い人であり老人ではない
その老人の票で選挙結果が決まるとなると国の将来も危ういとなる。
こうしてあらゆる所に今は平等が不平等になる結果を作り出しているのである。
民主党や共産党でもなぜ伸びないのか、共産党は今回伸びるにしても民主党は伸びない、民主党は貧乏人よりだとなると平等を追求する、するとそれがみんな貧乏になるという結果になる。
アベノミックスは金持ちのためのものだというのもわかる。ところが株は上下するしいつも株をもっているからといって得する訳でもないのである。
株をあげるのは経済を活性化するものでありそれは貧乏人にも影響するのである。

今回自分はどこに投票ししていいかわからない、株が上がったから自民党がいいともなるでも自分は自民党と公明党の独裁になるのが嫌なのである。
公明党も前から嫌いなのである。カルト宗教団体など政治にかかわるべきではないし自分が運動していたからわかる。これも民主主義に反している団体なのである。
結局公明であり共産であり体質は同じである。貧乏人を利用して政治にかかわり幹部が今度は権力を得てゆく構図である。幹部にとっては貧乏人は権力を得るための駒にすぎないのである。ただそうはいっても貧乏人は頼る所がないからそうなっているのである。

今回の選挙は何が争点なのかもよくわかはない、原発もそれほど争点になっていない、この辺ではやはり原発は嫌だとなる、それからアベノミックスの是非である。
これが成功したかどうかはわからない、これから株も暴落するかもしれてない、現実にアメリカの株が急激に大幅に下がった、石油が安くなり下がった。
だからそういう世界経済も影響してくる。
結果的には自分の利を考えれば円高で物価が安い方が良かった。
ただこれはデフレだから全体の経済を考えればやはり物価があがり円安の方が経済には良かったともなる。
どっちにしろ日本の経済はもう良くならない、限界状態に達しているからである。
自民にしろ民主にしろ経済を政治で良くすることはできない
だからどこの政党でも変わりないとなるが自民公明の独裁になることが嫌なのである。
それで民主に入れる他ないのかもしれない、野党がばらばらだから困るのである。
小選挙区制はアメリカのように二大政党の時に機能する、それがないのだから有権者にとっては選びにくい、何か民主主義自体が岐路に立っている。
その行き着く先は独裁になるということがサイクルとしてあるから民主主義の危機になっている。

 
タグ:平等
posted by 老鶯 at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層