2014年12月02日

借金している人は犯罪の予備軍 (格差社会の貧困化などで社会の転換期が来ている)



借金している人は犯罪の予備軍

(格差社会の貧困化などで社会の転換期が来ている)



筧千佐子青酸カリ殺人容疑者の生い立ち

最初の夫が死亡した時は、経営していた印刷会社は資金繰りに苦しんでいたという。

江崎グリコ」の社長に「商品に毒を入れられたくなければ、金を払え」などと書いた脅迫状を送り、現金を脅し取ろうとしたとして、男が恐喝未遂の疑いで逮捕されました

久保容疑者宅の近所の30代男性は「約2年前までは高級外車を乗り回していたが、最近、国産の小さな車になった。生活ぶりが変わったのでお金に困っているのかなと思っていた」と話した。

大手菓子メーカー「江崎グリコ」に脅迫状を送りつけ、現金を脅し取ろうとしたとして逮捕された男は、「映画関係の仕事がうまくいかず、借金があった」などと新たに供述していることがわかりました。

国内の自殺者の原因第2位は借金苦です。


日本の自殺者は、年間3万人以上もいます。原因の第一位は病気によるものですが、第二位は借金が原因です。返済に行き詰まり自ら命を絶つ債務者が大勢いることが分かります。

そして借金は自殺ばかりでなく、世の中に事件を引き起こす“理由”になることもあります。
大阪市淀川区の住宅で1月、浜田誠容疑者(42)が500万円の借金を苦に妻子3人を殺害。容疑者宅には約2,000万円の預金があったことが殺害後に判明。妻の早智子さん(42)が「子どもの学費に」と浜田容疑者に内緒で蓄えていたといい、同容疑者も借金を妻に打ち明けていなかった。

夫が保証人になったことで夫婦仲が悪化。男児5歳を餓死させた事件

動物園の入場引換券を換金。偽造の疑いで逮捕。犯行理由は借金の返済

愛知県で家族4人の変死体。借金1億円が事件の背景に

監禁されたとウソの被害届、男を誤認逮捕。理由は、「サラ金の借金をチャラにしたかった

連続殺人の容疑者、「60万円」の返済が犯行動機



身近に借金から犯罪でもなくても一家離散とかなっている人は実に多い。サラ金の過酷な取り立てが一時社会問題になった。今もその問題は継続している。
実際に自分の異父の兄も借金が原因で離婚とかなりサラ金に追われて交通事故で40歳で死んだ。もともと借金が原因となり悲惨な結果になった。
なぜサラ金から借りるようになったのかわからない、静岡とか離れていたので事情がわからなくなっていた。
借金は自分はしていないくても回りに甚大な迷惑をかける。親族だと特にそうなる。
親族でなくてもやはり借金は回りに迷惑をかける。
その人の事情はわからなかった。ずっと事業が成功していると思っていた。
みんな回りでもそう思っていたのである。それは誰もとれないむずかしい資格をもっていたからそう思っていた。
だから家族も知らなかったのである。田た借金している人の共通していることは必ず嘘をついている。金がないなど言わないであるとか言っている。
金がないと知れると事業もやたにくくなるから理由はいろいろある。
その人は見栄で借金していたし無理していた。やはり嘘をついていたのである。
ともかく人間は何か悪い方に落ちると嘘をつくようになる。
失敗していても成功しているように装って嘘をつく、嘘は泥棒の始まりというのもわかる

突然の病気になり自分が頼ったのが最悪の人だった。一人は凶悪犯罪者でありもう一人借金で首が回らなくなっていた借金していた人だった。
こんな人に頼っていたのだからどうにもならない、病気になったとたんにその弱みにつけこまれ大金を失った。火事場泥棒にあったのだ。
もう一人は借金で首か回らなくなっていたのだから人を助けるところではない。
これ幸いと借金を請求して簡単に断れないから怖かった。
入院しているときも借金を頼んでくるから怖い。
こいつは死んでもいい、金をとれればいいとまでなっている。
借金した人はもう人のことなどどうでもいい、非情になり殺人するまでに追い詰められているのだ。

筧千佐子青酸カリ殺人容疑者の生い立ちも印刷業がうまくいかなくなり資金くりで苦しんでいたとかやはり借金が原因であんな連続殺人犯人の容疑者になった。
事業の失敗から人生の歯車か狂う人などいくらでもいる。自分の母の実家も事業に失敗して一家離散になった。
グリコの脅迫事件もやはり事業がうまくいかなくなり借金して犯罪者になった。
一時は派手な暮らしをしていた。そういうことも似通っている。
一時は金の入りもよいがある時失敗して借金してどうにもなくなる。
このようなことは社会ではありふれたことでありどこかで毎日起こっていることなのてある。ただ様々な事件でも自分のみにふりかからないかぎり人間は無関心なのである。
津浪だって近くで家族が何人も一度に失うようなことがあっても何か切実に被害に会わない人は感じないのである。
自分が被害にあえば事件の被害者になればその傷は深く忘れられないものとなるのだ。
自分が借金しなくても犯罪者でなくても犯罪の犠牲になる人はいくらでもいるのだ。

推理小説でも犯罪の動機が借金になっていることが実に多い。金絡みの犯罪が一番多いのだが借金が大きな動機となる。だから警察ではまず借金のことを調べるのである。
借金していることはすでに大きな明確な動機を持つことになるからである。
金があればこんなことはないと思う人は金に執着する。
もちろん今の時代は金に執着しない人はいない。
ただすべての人が借金している訳ではない、だからそもそも借金して無理な生活していること自体に問題がある。贅沢するために見栄のために借金しているのである。
そんなこと他人であれば勝手だとなるがそれですまされない、誰かにそのとばっちりか必ずゆく。親族だったら逃れられないから怖いのである。

殺されるということも小説だけではない現実に常に起きている。
保険金殺人などでもそうである。
そもそもサラ金でもどんな事情で借りるのかわからないのに金を貸している。
ギャンブルで遊んで借金している人も関係なく貸している。
それまた社会問題なのである。親族だって親だって簡単に子供にも金を貸さない、うるさくその理由を問いただすから簡単に借りられないのである。
借金でも事情を聞いて本当に困った人なら貸すということもありうる、その時はあえて厳しいとりたてもしうないということも親族だったらありうるだろう。
もう死ぬほかないと泣きつかれたら親は金を出してしまうことも普通にある。

現代はサラ金など消費者金融から借りている人は8人に一人いるということはいかに無理した生活をしているかということである。
そして格差社会になり日本人が貧民化しつつある。
一方で昔のように何もものがない、買うものがないという社会ではない、いくらでも欲しいものがあるのだが買えないということが飢餓感を強くしているということもある。
つまり人間はなければないとしてあきらめる、一旦贅沢を覚えると借金しても贅沢をするようになるのである。それが借金している人が多い理由なのである。
そういう無理した生活が限界に来ている、アベノミックスはただ金融で景気を一時良くしているだけでありアメリカのようにシェールガスとかで景気が良くなっているのとも違うから限界がある。

ただ物が作っても売れない売れないということが昔の貧乏とは違う、買うべきものがいくらでもある。でも買う金がない、買うだけの金が稼げない、トヨタの期間工でも派遣でも働いてもトヨタの車を若者が買えないという矛盾がある。
ではなぜ金が回らないのか?賃金が上がらないのかとなる。
いくら商品を作っても売れない、それはある程度物が電化製品でも車でも飽和状態になっていることもある。みんなもっているから買わないということもある。
家となると高すぎるから買わないともなる。
物を買わない原因は必ずしも金がないからではなく家を買いたくても高すぎるとかがあり他のものはそれなりにもっているから買わないとなる。
老人は金をもっていても使わないというとき、使うべきものがないこともある。
病気と介護のためにそなえておくとかに超高齢化社会ではなりやすいからである。
その金をねらわれたのが青酸カリで殺された老人である。

ではそんな事件でも他人事だとなり面白がっているのが普通である。
ところが自分の場合はそれとにた恐怖の経験をしているから他人事ではない
老人は特に身寄りのない子供のいない老人は本当に恐怖である。
青酸カリで後妻となり夫を殺した容疑者は子供がいなくて財産ある人を狙っていたのである。こういうことは高齢化社会で頻繁に起きてくることか予感される。
そういう老人が増えてくるからである。

金をもっていれば江戸時代でも平安時代でも強盗に襲われたり殺されることもある。
それが人間社会だから変わらないにしても現代は犯罪が飛躍的に増えてくるか可能性が大きくなっているのだ。
贅沢や見栄による借金の貧困にしろ派遣などの非正規労働で稼げない人の貧困であれ
貧困社会化してゆく、だから社会自体を根本的に見直す時が来ているのかもしれない
つまりこういう生活をもうつづけることができない、やがては社会の破綻に向かってゆく、それがどういうふうな結末になるかわからないにしろそういう危機であり転換期に来ている。
タグ:借金
posted by 老鶯 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

冬の短歌十首(鹿島から相馬市の城跡へ)


冬の短歌十首(鹿島から相馬市の城跡へ)

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しばらくは栃窪遠し町に住み大石こそや冬に鎮まる
五本松冬の夕暮れここにしも常にしあれば心静まる
誰か知る鬼越館に北風のここに唸りて砦守りぬ
日立木の細道あわれ冬の日や町場橋をわたり帰りぬ
街道の松並木かな冬の陽の没りて淋しも人も絶えなむ
赤々とと冬の紅葉や城跡に夕日のさしてたずぬ人かな
城跡に落葉を踏みて夕暮れや城下の細道めぐり帰りぬ
一杯の茶を飲みなむや城跡の冬の紅葉の心にしみぬ
大町に冬の柳の長々としだれて暮れぬ相馬の城下
大野にそ古き碑ありぬ小川そい我が来たりて冬の日暮れぬ



北山八景

山上春霞 真柴たく煙も空にうち消えて長閑にかすむ山上の里

芦沼微雨 芦沼のあしの若葉に波越えて汀ぞひろき五月雨のころ (黒木田-岡本-成田)

高松寒月 高松の山風寒く暮るるより面影すごき冬の夜の月

小野晴雪 分けのぼる小野の細道風さえて雪に晴れたるあけぼのの空

中野 飛雪 寒けしなゆき来も絶えてふりしきる雪の中野の冬の夕風

この八景の短歌は優れている。真柴たく・・とか芦沼とか高松寒月とか冬の景色が身にしみる。
中野飛雪とあるけどこれは相馬市内であり城下町からつづいているところでもこんなに淋しい場所だったのである。
相馬市は街自体がさぼと変わらず城下町の風情が残っている。
ただ城も城らしいものがないし城下町と言ってもどこがそうなのかわからない。
ただ細い路地が多いのは城下町の区割りが残っているからである。

何回も道の駅から日立木の細道を通り町場橋をわたり松並木の街道を通り城跡につく道は一番昔を感じる道なのである。
だからこの道のことは何度も書いた。
鬼越館の鬼は北に面した所で名付けられた。確かに北風が吹きつける場所であり今の時期にふさわしい。ただあそこに館があったことを知っている人は地元でもまれだろう。
標識すらないし自分も上ったこともない。
五本松はいつもあるしあの松はあれは確かに五本あるから心に残りやすい。
この辺はあまりにも変わりすぎたから変わらないことに意味を見いだす。
なんか変わることが嫌になっているのだ。
老人になると変わらないものがいいのである。
元のままにあるというのがいいがそれが自然まで津浪などで変わり果ててしまったのである。
相馬市で黒木になっているが昔の大野村辺りは城下町につづいていた。でもやはり農村であり城下町といっても回りは農村であり田んぼが広がっていたから淋しいのである。
今は繁華になっているが江戸時代は本当に淋しい風景だった。
ただその情景は今でも同じように感じるから風景が全部なくなったわけではない。
情緒的には冬紅葉がなんともなく心にしみる。その色がまたなんともなくいいのである。今日は北風が吹いて寒くなって冬らしい。


陸前浜街道は明治以降に名付けられたもの

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仙台藩では江戸浜街道。
中村藩では中村以北を仙台通、中村以南を水戸通。
磐城平藩では磐城平以北を相馬路、磐城平以南を水戸路。
水戸藩では水戸以北を磐城街道、水戸以南を水戸街道。

明治5年(1872年)4月29日に武蔵国の千住から陸前国岩沼までの太平洋岸の街道を今後「陸前浜街道」と呼ぶという通達が出されたことによる。結局、陸前浜街道の名が正式名称として用いられたのは明治18年(1885年)2月に国道に番号制度が導入されるまでのわずか13年間に過ぎなかったが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E5%89%8D%E6%B5%9C%E8%A1%97%E9%81%93

陸前浜街道という名がなじみがない、何かそぐわないと思っていたらそうだった。
中村藩では中村以北を仙台通、中村以南を水戸通
これは今に通じている。水戸は御三家だから水戸は基点になる。
東京から今でも六号線は水戸街道と呼ばれている。
つまり陸前浜街道という名称自体がそぐわないものだった。
浜街道はあっていても陸前となると何かわからなくなる。
陸中でも何かぴったりしない。陸奥となると青森になっていた。
陸前浜街道が伊達藩でもあまり利用しなかった。
だから相馬藩だけが磐城まで利用していた。
それでも相馬市の城跡から松並木が通って日立木を通り道の駅に出る所が街道の面影が残っているのである。


 
タグ:陸前浜街道