2014年12月11日

文明は計ることであり計りえないことで滅びる (津浪や原発事故はまさにそうだった)



文明は計ることであり計りえないことで滅びる


(津浪や原発事故はまさにそうだった)


計りえない世界


石は
たくらみ
計ることがない
故に疲れることがない
人は絶えず
たくらみ計り
故に疲れる
人はこの宇宙を
計ることができない
予期せぬことが起きる
人間のはかりごとは
あえなく御破算になる
人は神の計らい
決して越えることができない
人は神の掌にありて
神に計られしもの
人の計りごとは
常に予期せぬことで破綻する
石は未だに計ることなし
神の御意にただそこに在るのみ


文明とは結局計ることが文明だとも言える。だけど計りきれないから文明は滅亡した。
マヤ文明でありこれも実際は相当な高度な知的文明だったのだ。
高度な天文学を有した文明だった。
ではなぜ滅びたのか?
つまり天文であれ気候であれ計りえないことだったのである。
人間の心臓まで神に捧げて文明を維持しようとした
しかし最後は迷信に陥り太陽の光が弱ると恐怖して神殿は放置されて森に埋もれた。
文明とは基本的にこの宇宙を世界を自然を計るという営みである。

だから現代では文明は科学文明になったことがわかる
科学によってこの世界は宇宙は計り知り得るものだとなったのである。
それは人間の信仰であり神の信仰とは違う
人間の力でこの世界のことを計りしりえるという信仰なのである。
ところが人間の力には限界がありそのはかりごとは失敗する
予期せぬこと計り得ないことがこの世には起きるということである。
それをまざまざと見たのが津浪であり原発事故だったのである。
原発を擁護する科学者が百万年に一回しか事故の確率はないと真面目に言っていた。
そんなこと確率でわかるはずがなかった。

人間の未来は計ることはできない、だから未だ来たらずであり未だ来たことがないことが来る、それがこの辺の津浪や原発事故だった。
未来が予期できないということが人間にとって致命的なのである。
本当は歴史的にみれば津浪も予期できるものであった。
ただ一万年とかのサイクルになるともうお手上げになる
でも地球の歴史は何十億とあるとしたら一万年も短くなるのだ。
その間に何か起きるか予期できないのである
結局人間のはかりごとが御破算になったことの驚きである。
海側を干拓したのは自然破壊であり自然に反することだった
一見自然と調和しているようでも自然に反することだった
松原も全部破壊されて元の自然にもどってしまった。

個々人の人生でも金のことやらいろいろと計算する、しかしほとんど計算通りに人生はいかない、マイホームをローンで買った人は払えないと老後難民になったと嘆いている
人生も計った通りにはならない、いくら計画して計算しても計算通りにいかない、
大企業に就職すれば安全だ公務員は安全だとか安定たとか言ってもこれも将来はわからない、例えば夕張のように自治体自体が消失するということが現実に起きる。
南相馬市などもあと十年二十年で相当に衰退する、工事関係者が去ったら火が消えたようになり夕張のようになるとしたら公務員も職を失うのである。
だから人生そのものが計算できないのである。
社会的にも天変地異でも何が起きるかわからない、突然個人的にも病気になったりするのが常にある。
いくら人間側で備えてもそうした天変地異は人間の計ることを越えているから対処できない、津浪で三陸などの高い防波堤も越えて津浪に襲われた
人間がいくら図ってもそれ以上のことが天変地異で起きる

そもそも津浪であれ原発事故で人が住めなくなったなど全く予期できないことだった。
だからどう対処していいかもわからない、でも明治維新の黒船であれ戦争の災禍であれ
おそるべき変化が過去にもあった。それも何百年前ではない、だから六十年くらいで社会は大きな変化の時が来ている。それは予測できないことなのである。
人間の計りごとに限界がある。だから絶対に安全だというものはこの世にない
原発は絶対安全だという安全神話が権力で形成された
それはマヤ文明ともにているかもしれない、原子力文明でありそれは事故で廃棄され廃墟となりその回りが住めなくなった、神殿は元の森に覆われた。
原発事故周辺も人が住まなくなり元の森に覆われたともなる。


タグ:文明とは
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2014年12月12日

抽象画(南の海など)


抽象画(南の海など)


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南の海の底

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地震の巣

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海の紋章



南の海のそこというのもその変化させた原画はインターネットの抽象画にあった。
これもいろいろ変えてみたらこんなになった。
青い秘密の洞窟がうまく偶然にできた

地震の巣はある。三陸沖にあったし東海地震の巣もある。
だからそこから常に地震の驚異にさちされていたのである。

海の紋章は津波をイメージする
地震とか津波はこの辺ではなんでもテーマになりやすくなったのである。

タグ:海底の神秘

伊勢から名張から奈良へ(秋の旅路の短歌十首) (名張(なばり)の地名の不思議の考察)



伊勢から名張から奈良へ(秋の旅路の短歌十首)


(名張(なばり)の地名の不思議の考察)

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伊勢湾に秋の朝日のさし昇る波音ひびき我がたちにけり
なおあまた秋の燕の群れ飛びぬ名張を越えて奈良に向かわむ
名張にそしばしたちどまりその名にそ心に残す秋の朝かな
名張にそしばしたちよる旅人の影そとどめて秋の日あわれ
旅人の名張を越えむ奈良遠く飛鳥を目指す秋の夕暮
奈良に着き飛鳥に望む夕暮れの二上山や秋の夕映え
飛鳥にそ天武天皇の墓ありと伊勢より来る秋の夕暮
奈良に来て剣の池の古りにけるその謂われにそ秋深むかも
みちのくゆ伊勢に来たりて奈良に来ぬ陵大きく秋の夕暮
奈良に来てみちのく遠し誰とあふ古の人や秋深むかな



「那婆理稲置(なばりのいなぎ)」の記述があるので、名張の音としては「なはり」と「なばり」の両方について解析する必要がある。
@古くから名張の地が、鮎の産地として有名であったことから、漁師たちが縄を張って領域を独占したことから「ナワバリ」と意味され、鮎の縄張り的な習性、あるいは鮎漁猟者間の縄張り(なわばり)が転じたとする説。

A初瀬より山の中へ入り、三本松辺りの高地から名張を望むと、一大盆地が開け晴々した気持ちになることから、原始林などを開墾するという意味がある、新墾(にいばり)が転じたとする説。

(1)古事記 ⇒ 「那婆理」の表記
『古事記』安寧天皇の段には、皇子師木津日子命(安寧天皇の諱《いみな》=実名)の子の一人が、伊賀の須知の稲置、那婆理の稲置、三野の稲置の祖先であるとする伝承が記されている(「稲置」はヤマト政権の地方官で、屯倉(ヤマト政権の支配制度の一つ)や県の管理にあたる)。須知・那婆理・三野は、いずれも現在の名張市域の地名で、安寧天皇(正確には「大王」などと表記すべきだが、便宜上慣例に従う)の子孫が稲置としてこの地に配備されたという伝承は、かなり早い段階からヤマト政権の勢力がここまで及んでいたことを示唆している。
天万豊日天皇 孝徳天皇(二年春正月)
凡そ畿内は、東は名墾の横河より以来、南は紀伊の兄山より以来、兄、此をば制と云ふ。西は赤石の櫛淵より以来、北は近江の狭狭波の合坂山より以来を、畿内国とす。
A巻第二十八 ⇒ 「隠」の表記
天渟中原瀛真人天皇 上 天武天皇(元年六月)
夜半に及りて隠郡に到りて、隠駅家を焚く。因りて邑の中に唱ひて曰はく、「天皇、東国に入ります。故、人夫諸参赴」といふ。然るに一人も来肯へず。横河に及らむとするに、黒雲有り。広さ十余丈にして天に経れり。時に、天皇異びたまふ。則ち燭を挙げて親ら式を秉りて、占ひて曰はく、「天下両つに分れむ祥なり。然れども朕遂に天下を得むか」とのたまふ。即ち急に行して伊賀郡に到りて、伊賀駅家を焚く。伊賀の中山に逮りて、当国の郡司等、数百の衆を率て帰りまつる
天武天皇(?−686)の条。 天武元年(672)六月二十四日、総勢わずか三十余人で吉野を発った大海人皇子は、伊賀、伊勢、美濃をめぐって各地の豪族を糾合しながら大津宮に攻め入り、反攻をしのいで大津宮を陥落せしめた。七月二十三日、大友皇子は縊死を選ぶ。勝利した大海人は翌年、飛鳥浄御原宮で即位、天武天皇として律令国家の建設を推進する。 大海人軍は吉野を出た六月二十四日の夜半、名張に入り、駅家うまやを焼いて衆を募るが、誰一人として応えない。横河(名張川)に至り、空にかかる黒雲を見て、大海人は自分が天下を得ることを占う。一行は伊賀郡に入り、積殖で朝を迎える。

底本頭注は、「隠郡なばりのこほり」を「伊賀国名張郡。今の三重県名賀郡の西半部・名張市」、「隠駅家なばりのうまや」を「三重県名張市の地にあった駅家か。大宝・養老令制では、駅家は諸道三十里(約十六キロメートル)ごとにおかれ、一定数の駅馬を常置した」、「横河」を「現在の名張川か。大化改新当時の畿内の東端」
「名張は伊賀国名張郡。今、三重県名賀郡の西半部、名張市。厨司は天皇の食膳に供する鳥・魚・貝類などをとらえるためにおかれた施設。名張の場合は年魚(あゆ)・雑魚などをとらえるためのものか」とする。

吾勢枯波 何所行良武 己津物 隠乃山乎 今日香越等六
吾(わ)がせこは 何所(いづく)行(ゆ)くらむ おきつもの 隠(なばり)[名張]の山(やま)を 今日(けふ)か越(こ)ゆらむ



名張(なばり)という所に注目したのはなぜか、それは自分が確かにここを船で仙台から名古屋に来てそこから自転車で松坂と志摩を回って名張を通り奈良についた記憶がある。
ただこの記憶も定かでなくなった。旅でも記憶があいまいになる。
名張という名が何かめずらしく心に残った。そこでは確かに秋であったが燕がなぜこんなに飛んでいるのかといぶかったことを覚えている。すでに去ってもいい時期だったからである。こっちは温暖だからまだ残っているのかと思った。
その名張の意味も良くわからない、しかしこの地域が飛鳥時代はまだ東国であり飛鳥の時代に支配権が及んでいない、境目になっていた。それも古い時代だが奈良と伊勢の中間地帯にあるから地理的には納得がいく。


歴史でもこの地理感覚が大事なのである。これが車だとなかなかわかりにくいのである。徒歩の感覚だと歴史も体にわかるということがある。現代は便利すぎてかえって地理の感覚がわからなくなる。遠さの感覚がわからなくなる。車で飛ばせば遠い感覚も旅が苦労だということもわからない、自転車だと何とか遠さとか旅の苦労がわかる。
自転車だと相当に疲れるからだ。そして自転車だとあとで記憶に残っていて回想して短歌を作ったり詩を作ったりできる。これが車だとできない、あそこにとどまっていたなという記憶がなくなるのである。
そして旅は伊勢から奈良から飛鳥という行程、道行の中にある。だから旅の短歌は一連のものとして鑑賞するものとなる。その長い行程の中に旅がある。
だからその行程を記憶する旅をしないとあとでも記憶にも残らないのである。
確かに名張で秋の燕がなぜこんなに飛んでいるのだということが一つの記憶として残っていた。そのことが旅の貴重な記憶だったのである。
それは名張にふさわしいということもあった。なぜならそこは奈良に近く飛鳥に近いから古代でもここを越えれば東国から奈良や飛鳥へ入るという感覚になるからである。

名張の地名はナラーハリかもしれない、奈良は均す(ナラス)であり平らにするとか耕作するのに適したように均すことは開墾することでもある。つまり飛鳥や奈良から開墾に入ってきた人達がいたのかもしれない、そういう記録もあるからだ。
一大盆地が開けていたということもそうである。そこは開墾するのに適地だったのであるだから名墾という名にもなった。開墾するということである。
ただナワバリーナハリという説もある。

名張市。厨司は天皇の食膳に供する鳥・魚・貝類などをとらえるためにおかれた施設。名張の場合は年魚(あゆ)・雑魚などをとらえるためのものか」とする。

ナワバリはこの由来なのか?川があったとするとその川で魚をとっていた人達がいてその名がついたのか?
ともかく新しく開墾された地が名張であり張るは開墾する意味である。田などを作る意味である。それで名張となった。吉隠(よなばり)ともにているからこれが有力になる。
地名の解読はむずかしい、でも自分は旅をして何か駅名とかこうした地名が心に残る不思議があった。名張というのも何か変わっていたから心に残るのである。
あまりにもありふれていると心に残らないというのもまた人間の心理なのである。

旅というのは奈良から伊勢へと旅するのと伊勢から逆に奈良へ旅するのは全く変わった感覚になるのだ。古代から江戸時代でも西から東の旅、京から陸奥への旅は枕詞などがあり旅をしているが逆に陸奥から西へ京へ旅することはしていない、そういう記録も文学もほとんどないのである。ほとんどの古典は西から東への旅なのである。
ただ万葉集でも防人の歌は西に向かう旅を歌っていたのである。
現代はむしろ東から西に向かう旅が普通なっている。
旅というのは福島県でも浜通りから会津にゆくのと会津から浜通りに来るのとは全く違ったものとなる。なぜなら浜通りから会津は山国への旅であり会津から浜通りになると海へ出るからまるで違ったものとなる。

この七年間は近くすら自由に行っていない、それまでは自由に旅していた。今は回想する旅である。それも自転車でしていたから回想して短歌などでも作れる。
回想するときの旅はその土地のことを歴史などをインターネットなどでも知ることができるからそこからその土地のことを思い出して作る。
でもやはり人間は忘れやすい、どこをどう行ったかもわからなくなる。
ただ旅はある一カ所にゆくのではない、一連のものとして旅がある。行程に旅がある。
そういう旅がない、江戸時代なら別に旅でなくても歩いていたのだから日常が旅なのである。度々ゆくから旅だともなる。現代から旅が消えたのは過程がないからである。


そして旅はつくづく今はかえって労力がかかる。自転車の旅でも相当に時間もかかるし労力もかかる。だから勤め人だったらできない、そして江戸時代だったら歩くことが旅なのだから別に作る必要はない、演出する必要はない、今は旅は演出する必要があるのだ。
便利すぎるからわざわざ不便な旅をするようにしないと旅にならないのである。
でも歩いて旅している人も必ず途中で電車に乗ったりしている、遍路の人もそうだった。だから歩き通す旅をしている人はほとんどいないのである。むしろできなくなっているのである。
ただ鹿児島から青森まで歩いて旅していた人には驚いた。公務員をやめて自由になり旅したのである。よほど自由な旅をしたかったことがわかる。
やはり勤めていれば自由な旅を今はできないのである。




 

2014年12月13日

平等を追求すると不平等になる (選挙もみんな一票でいいのかー老人が多いから不平等になる)



平等を追求すると不平等になる


(選挙もみんな一票でいいのかー老人が多いから不平等になる)


不平等こそが善であり、平等は悪なのである
http://www5d.biglobe.ne.jp/~anpoken/sub16.html

左翼の運動家が反省しているのもわかる。
平等を追求すると不平等になるという皮肉がある。それを証明したのが共産革命であり中国でありソビエト連邦だった。中国では一番格差大きいというのも不平等が最大になっているのもそうである。平等を追求すると結果的に不平等になる。
男女同権とかフェミニズムを追求した結果、苦しんでいるのは女性だとなる。
女性と男性は違っているのだから同じだとしたら仕事では競争しても勝ち目がない。
男性には男性の役目があり女性には女性の役割がある。
だから何でも平等を追求すると不平等になる。

第一なぜこの世の人は生まれたときから平等ではない、なぜそれぞれに違った親から生まれるのか?選んでいないのに生まれるのかということ自体不平等である。
親でも親と言えない人も普通にいる。ではなぜそんな親から生まれねばならなかったのかとなると結局カルマだとか運命論になってしまう。
そのひどい親から生まれるカルマだったとなる。
だからインドではカースト制が生まれた。それもやはりカースト制が生まれ何か必然性があったのである。合理的なものすらあったから制度にもなった。
江戸時代でも士農工商が不平等だとしてもやはりそこにそういう社会が生まれる必然性があったからそういう社会になった。それは必ずいい面と悪い面をもたらす。
カースト制や江戸時代がすべて悪いとはならない、そこにはいい面もあった。
もちろん悪い面を見ればきりないともなる。

例えば犬がいて猫がいて牛がいて猿がいる、それらがどうして俺は猫に生まれたのだと問うとき、それはカルマだったとしかいいようがない、猫に生まれカルマがあって生まれた俺が猫に生まれたくなかったとしても猫として生まれたら猫として生きる他ない、それが不平等だといってもどうにもならないのである。
だからインドではカースト制が何らかそうした必然性があって生まれたのである。
カースト制でも江戸時代の士農工商でも秩序を維持するために必要だった。
みんな平等だというとき秩序が破壊されてしまい社会が混乱するから分に応じた生活をしろとなった。
なぜ金持ちと貧乏人がいるのかというのもまた不可解なのである。
なぜその人は貧乏なのだろうとなると良くわからない、たいがい離婚している人は貧乏になりやすい、何かその人自身に貧乏になる要因がある。
一方なぜあの人は金持ちなのだろうとなるとこれもわからないのである。
金持ちの家に生まれる人と貧乏人の家に生まれる人がいるからだ。
金持ちの家があるのは不平等だから平等にしろというとき、それが今度はみんな貧乏人になってしまう。それが共産革命でもあった。
資本主義は欠陥があってもやはり平等主義とは違う。能力があるものか努力するものが成功するという建前があった。それが崩れてきているにしろそうして資本主義か世界のルールになったのはそれなりの訳があったのである。


特に地方で金持ちになるとしたら財産家になるとしたら昔だったらたいがいその土地から富を生み出している
するとその土地に富を生み出すとしたらその土地を富ませるものがあるということはいいことでありその土地の富者を否定したらその土地の富も否定することになる。
最初にその土地に富むものがあるとしたらそれに習い他の人も富むことができるとなる。それを富者を全部否定してしまうと結局富者から盗んでも富を分けるべきだとなる。
それが共産革命の原理である。
地主とか小作とかの問題にはそういう側面はあったことは確かである。
ただすべての富者を否定してその富は平等に分配すべきだというとき富者はこの世にいなくなる。そして結局それは全部を貧乏人にしてしまうということにもなる。

いづれにしろ今になると民主主義でも平等主義が極端になりその弊害が大きくなってしまった。才能も努力もしないのに平等を要求する。いろいろな差があってもいいのにみんな同じにしろという悪平等が民主主義をだめにした
それは選挙でもいえる。つまりみんな誰でも一票だというのも悪平等である。
選挙でも若者が少なく老人が多いからどうしても老人に有利になる結果になる。
これも悪平等なのだろう。これから国を背負うのは若い人であり老人ではない
その老人の票で選挙結果が決まるとなると国の将来も危ういとなる。
こうしてあらゆる所に今は平等が不平等になる結果を作り出しているのである。
民主党や共産党でもなぜ伸びないのか、共産党は今回伸びるにしても民主党は伸びない、民主党は貧乏人よりだとなると平等を追求する、するとそれがみんな貧乏になるという結果になる。
アベノミックスは金持ちのためのものだというのもわかる。ところが株は上下するしいつも株をもっているからといって得する訳でもないのである。
株をあげるのは経済を活性化するものでありそれは貧乏人にも影響するのである。

今回自分はどこに投票ししていいかわからない、株が上がったから自民党がいいともなるでも自分は自民党と公明党の独裁になるのが嫌なのである。
公明党も前から嫌いなのである。カルト宗教団体など政治にかかわるべきではないし自分が運動していたからわかる。これも民主主義に反している団体なのである。
結局公明であり共産であり体質は同じである。貧乏人を利用して政治にかかわり幹部が今度は権力を得てゆく構図である。幹部にとっては貧乏人は権力を得るための駒にすぎないのである。ただそうはいっても貧乏人は頼る所がないからそうなっているのである。

今回の選挙は何が争点なのかもよくわかはない、原発もそれほど争点になっていない、この辺ではやはり原発は嫌だとなる、それからアベノミックスの是非である。
これが成功したかどうかはわからない、これから株も暴落するかもしれてない、現実にアメリカの株が急激に大幅に下がった、石油が安くなり下がった。
だからそういう世界経済も影響してくる。
結果的には自分の利を考えれば円高で物価が安い方が良かった。
ただこれはデフレだから全体の経済を考えればやはり物価があがり円安の方が経済には良かったともなる。
どっちにしろ日本の経済はもう良くならない、限界状態に達しているからである。
自民にしろ民主にしろ経済を政治で良くすることはできない
だからどこの政党でも変わりないとなるが自民公明の独裁になることが嫌なのである。
それで民主に入れる他ないのかもしれない、野党がばらばらだから困るのである。
小選挙区制はアメリカのように二大政党の時に機能する、それがないのだから有権者にとっては選びにくい、何か民主主義自体が岐路に立っている。
その行き着く先は独裁になるということがサイクルとしてあるから民主主義の危機になっている。

 
タグ:平等
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抽象画(氷河)



抽象画(氷河)

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エーデルワイス(薄雪草)


これも偶然である。外国関係になると抽象画とか絵画が膨大にでている。
それをソフトで操作しているとそれらしいものができる。
これが一連のものとして連作としてできると一つの作品となる。
俳句でも短歌でも連作にすると厚みがててくる。
一つでは鑑賞するには孤立しているから単一になるから見応えがなくなる
エーデルワイス(薄雪草)も本当に偶然でできたのである。
何かそれらしい、白に変えたことはあったが何か薄雪草らしいので気にいった。
抽象画は何がでてくるかわからないということに魅力があるのだ。
開けてびっくり玉手箱なのである。
その素材はほとんど無限にインターネット上にある。
タグ:氷河

2014年12月14日

冬の日(今年の終わりも近いー短歌十首)


冬の日(今年の終わりも近いー短歌十首)

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庭の石旧家に落ち着く冬紅葉
柚木村月影さして冬菜かな
柚木村文久の墓や冬の月
朝日さし冬薔薇二輪赤にじむ
朝早み残月光り冬の雁
朝霜や未だ日のささず冬薔薇

松一本新築の家や海よりの太陽のぼり日のさしにけり
高々と白鳥二羽の飛ぶを見ゆ雲紅くそめ朝日昇りぬ
残月も欠けゆくものや冬の朝いくばくの余命あわれ深まる
99なお生きるものや冬の朝残月山に誰か見るらむ
冬の日に我が家のあわれ九十九母とともにしある時間かな
姉死して遠くならむや我が家に母の介護や年も暮れなむ
我が家の庭に一つ新しき石を置きにし冬日さしなじむ
我が町に味噌を作る家古りぬなお残りしも冬の日の街
しみじみと冬の日過ごす今はしもわずらいなきや石を見るかな
北風の戸をゆすり鳴りたずね人我が家になしも冬の日静まる
玄関の曇り硝子に今日もまた冬の紅葉の写り風鳴る

今年も終わりが近い、母はまだ生きている。人間百まで頭も普通に生きていたら死なないのではないかとすら思うだろう。
最近朝早く起きて外に出る、すると残月が光っている。その残月が日々欠けてゆくのも幽遠である。月は欠けてゆくのが特徴である。その欠けてゆくのが何かやがては病気になり死んでゆくとかの感じになる。
今年は仙台に一回しか行っていない、何かと忙しくていけない、家事に追われてまだ家がかたづかない、家が大きいと家に生きているという感じになる。
家を一つの自分の城のようになる。冬は特に家に籠もることが多いから余計にそうなる。だから川越の旧家のことを放送していたが何か昔が偲ばれる所が冬にはいい、自分の街でも古い家は残っているが街では味噌作りしている家である。
ただこの味噌も今ではスーパーにゆくと全国の味噌があるからどれを選んでいいかわからない、ところが昔は買う所は決まっていた。住んでいる街の店でしか買えなかったのである。味噌でもそれを全国に売れるのだが売るとなるまた競争になるから今は地元で作ってもそれだけでは商売が成り立たないとかなる。


自分は石をテーマにしている。だから石について百編以上の詩を書いている。
それらをまとめるのが仕事であるがなかなかすすまない、家事に時間がとられるのである寝る時間をのぞいて何かかにかすることがある。だから近くすら余裕をもって出れないのである。
でも田舎だと自然が近くにあるから毎日でもあきないものがある。白鳥がずいぶん高く飛んでいた。白鳥はあまり高く飛んでいない。それから冬の薔薇が霜を背景にして畑に二輪咲いていた。これも朝らしい、そして良く見ると赤い薔薇に白い点があり霜がおりたのかもしれない。これも写生だった。肉眼では見えないものがデジカメで見える。
今は本当に写真の時代である。氷河の写真を見たけどすごい風景だった。
あれをとれただけでもすごい、氷河となると見ることができないが写真で感動した。

今年も終わりが近い、今年は家の片づけ方で追われた。今もかたづいていない、自分は今いろいろと整理になっている。創作でもそうだし家のことでもそうである。
自分の家で最後に残ったのは自分一人である。自分の家をになっているのは自分一人なのである。
だから背負わされたものが重くもなる。
人間はやはり一軒の家でもそれぞれ事情があり外から計り知れないものがある。
自分の家は外からわかる人がいないだろう。
その複雑な事情をかかえて自分は長い間過ごしたのである。
それは自分だけではない、それぞれの家はその土地に根付いて何代もつづいている
二代つづいてもそれなりの歴史が生まれる。
だから避難して故郷から離れるとそうした家々のことが忘れられるとういことがある
他の土地に移るとそうして継続されたものがなくなる。
その土地でははじめからやり直すことになるからである。
だてからそもそも簡単に家を捨てることができるのかとなる。
それも町や村自体がなくなるということは精神的な面でも深刻である。
第一飯館村で6000人の数は多い、なぜなら廃村でも規模がもっと小さい百人単位でも多いくらいだからである。その規模が大きいからこんなことあったのかとなる。

自分はここ7年間は塗炭の苦しみの連続であった。今はなんとか落ち着いた。
だから体力も一年でトータルになるとかなり回復してきた。
一時的には弱ったときもあったがトータルではかなり体力が回復した。
二年間は身体障害者だったし本当に自分の家に来た人は自分を苦しめる人たちしかいなかった。
弱さにつけこんで苦しめられた。この恨みは本当は根深いし復讐したいとなる。
弱いとき攻撃されたりしたら絶対そのことは忘れられないものとなる。
その時弱くても今度はそうした奴らには全力で復讐するということがあるから気をつけるべきである。
ただ自分としてはそのことは忘れる、いくら憎んでも結局時間がたつと忘れるのが人間だからである。
ここ30年間は人とかかわらなかったのがやはり良かった。
人と関われば悪い人ととかかわることになる、人とかかわること自体何らか必ず問題が生まれてくのである。トラブルにきこまれてゆくのである。
そういうトラブルにまきこまれたことも今年もあったが大きなことにはならなかった。
選挙もしたがこれも適当だった。どうしても自民党にいれたくない、なぜなら自民一人勝ちになることが嫌なのである。他はだめでもそれが動機だった。
自民独裁になってしまうことが嫌なのである。独裁になったら民主主義はなくなる。
何でも自民の主張が現実に通ってしまうのである。それに対抗もできなくなるからである

 
タグ:冬の日

2014年12月15日

冬銀河、冬菜 (土地で作られたもらった野菜の料理は情がこもっていた)



冬銀河、冬菜


(土地で作られたもらった野菜の料理は情がこもっていた)

冬銀河閃光のごと流れ星

冬銀河宇宙の塵も星となる
冬銀河星とならざるもののなし
冬銀河みな光りあう宇宙かな

もらいにし冬菜にあたたむ田舎かな



昨日は双子座流星群を見た、それより冬銀河であり空が住んでいたから濃密な星雲が見えた。星の数は限りがない、宇宙となれば塵まで星となる、地上だったちどうしても汚れる二個だけみたが大きな流星だった。あのように流れ星になって消えたら気持いいだろう。二個だげでは物足りなかったが胃腸が悪くなって帰った

人間はその土地がいいというとき、まぶ回りの環境がある。自然環境があればいい、ただ自然環境なら田舎ならどこでもあるのだ。仙台ですら山が見えるし自然環境はある。
もう一つ重要なものがそこに住んでいる人間なのである。
田舎の人はかえって性が悪いというのも実際にある。
農家の人は汚いというのもある。田舎の人間はやはり何か閉鎖的でありとっつきにくいことがある。
田舎の人間はがそういうときそれは今でもポリネシアとかの島々では人間の原始状態が残っているから見知らぬ人をよせつけないというのはそういう閉鎖的環境で暮らしてきた名残である。

ただ現代は広域社会なったとき、どうしても金の力が田舎でも大きくなってしまった。
昔の村だったらとても金だけではその村では生活できない、原始状態の共同性があるからできない、そこでは金が否定される、ボリネシアなどでも貨幣がなかったことでもわかる貨幣ができると人間の関係は非情に冷たいものとなる。中世で商売は無縁の場を選び行われた。無縁化したとき共同体の拘束がなくなり商売ができたのである。そこには貨幣も生まれやすい。貨幣とは無縁化するものとして作られたのである。

その女性は小さな畑で野菜を作っていても趣味とほとんど変わらない、それでもほうれん草の料理をもってきてくれたときそれが買うのと何か違っていた。
スーバーで買うものには何か物に情がない、ただ買うだけである。
そのほうれん草の料理には情がこもっていた。それは何か家族が出す料理とにていた。
貨幣で買うものには人間の情を感じないのである。
畑でとってそれを料理して食べてみろといわれて食べてみるとそこに土地の情とか人間の情が感じられるのも不思議である。
そういうものが田舎ですら喪失したのが現代である。

その女性でも実際は貧乏の一生だから貧乏性になり問題が生まれた。あまりにも貧乏だとそこにも必ず貧乏故のマイナスの面が自然と身についてしまっているのだ。
何かちょっとごまかすとか工面するのはいいのだが嘘ついてごまかしたりする。
それはあまりにも貧乏な故にそういう性分になってしまったのである。
自分の母親もそういう性分がぬけなかった。だから花にも何にも興味を示さず働くだけだったのである。これも異常だったのである。

いづれにしろ田舎に人情があるというときそれはその人だけでのことではなくやはり昔の村がそういう人情を育んでいたのである。広域社会になると物はいくらでも入ってきてもその物に何か人の情が感じない、味は感じるけど人間の情を感じることができないのである。そこに現代の社会の問題がある。
グローバルな貨幣経済は情なき無縁化の社会にするのである。
そうはいっても金の力を大きくなったときそれも無視できないし否定もできないのである自分にしてもアメリカの株に投資しているということはグローバル経済の一員になっている。そこからまた払うものも払うとなっているのだ。
これも深刻な現代社会の矛盾なのでありそれはこのままつづかない、やがてグローバル経済は限界が来てしまう。またそうあるべきなのかもしれない、情なき人間社会もまた異常だからである。

タグ:冬菜

2014年12月16日

年の瀬ー雪ー冬の雨 (盆栽が目立つ仮設住まいも四年にもなる)


年の瀬ー雪ー冬の雨


(盆栽が目立つ仮設住まいも四年にもなる)

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枯菊や盆栽の木の根露かな
盆栽の手入れの人や年の暮
盆栽や仮設に四年冬の雨
盆栽の根元に雪や手入れかな
年の瀬やカラスに肉を食われけり
年の瀬や一軒また急ぎ建つ
寒雀三羽やみな一人者
冬の雨今日も買い物介護かな
冬の雨老いて作れる畑かな
葉牡丹に実る野菜や雪の朝
今朝の雪新し石に映えにけり

それぞれに盆栽見ればその形様々なれや冬の日暮れぬ
仮設住みはや四年にもなり盆栽のここに見につつ年も暮れなむ

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プログはその時々を書くのに向いている。こういうメデアはもてなかった。
俳句とか短歌だと毎日変化を書けるから向いていたのだ。
もう原発事故から四年にも来年はなる。仮設に住む人も長いと思う。
仮設の前に盆栽を並べている所がある。あればどうしても日々往き来すると見る。
あの盆栽は相当に価値があるだろう。
一つ一つを見ると良くできているなと思う。みんな違っていて個性がある。
盆栽に興味がなくても毎日あのように見ていると人間は自ずと興味を持つようになるのも不思議である。
盆栽が外国で人気だというのもわかる。ただ盆栽作りは相当にめんどうだから誰でもできるわけではない。日本人の感覚として庭でもそうだが盆栽でもミニチュア化するのが得意であり文化なのだろう。大陸のような広さではまず盆栽というものが生まれようがないからだ。茶室にしてもそうである。
なんかあのような長屋のような仮設に向いているということを発見した。
日本には長屋文化というものがあったからである。
今日は朝わずかに雪が降った。盆栽を手入れしていた。

ただもう四年にもなると仮設もそろそろ終わってもいいとなる。
仮設は一人くらい風流の人が住んでいるならいいがあんなに多いと回りから見ても嫌になる。
だから新しく建った家はんの前に松一本が立ち朝日が海の方から昇るとき、新しい生活がはじまったなとなる。それでも新しい家を建てた人は少ないだろう。
だから仮設すまいの人はその後どうなるのか?
小高に帰らない人はどうなるのか、そういう問題が切迫してくることは確かである。
やっぱり田舎では家と田畑があり資産をもっているのが安定している。
だがこの家に金がかかる、家を維持するのに金がかかる、リホームしたりするとさらに金がかかるし古くなるといたんでくる。
家というのは資産でありこの資産を維持するのに金がかかるのである。
田舎で普通に暮らすにはある程度の資産がないとできない
田舎でアパート暮らしなどは向いていないしみじめである。

ともかくこの辺の仮設で印象に残ったのはあの盆栽が並んでいる風景だった。
今日は雪が朝ふった。でもすぐにやんだ。それから冬の雨になった。
人間はどうしも同じ境遇の人が集まりやすい、男性も女性も独り者だと集まる。
男性で困るのは家事のこと特に料理がわからないことなのだ。
簡単なことがわからないのである。家事にも年季か必要なのである。

今年は結構寒いのか年もおしつまった。
コンビニに自転車とめて二回カラスに食われた。カラスは抜け目がない、常にねらっていたのである。人間もぬけめがない、油断もできない、田舎ももう今は信用できない。
はっきり言って人間の方がどれほど怖いかわからない、カラスの盗み食うのは知れてい人間だと財産を奪われてしまう、そういう経験したから本当に人間は怖い、あまりにも警戒しなさすぎだった。
とにかく年の瀬になったなと思う。今年も終わりだが今年も家事に追われたかたづけに追われた一年だった。未だに家がかたづけられない、本のかたづけが一番の問題なのである本は物のように捨てられないのが困るのである。本は中味の書かれたものが大事である。それを捨てるわけにはいかないから捨てられない。時々また読み返したりしているからである。でも本も増えるともう読みきれないし利用できないし整理できない。
通販でまた本を買うことが増えたのである。通販でいろいろ必要になり毎日のようにアマゾンで買っている。
やはり何か書くにはそれなりの本かそろっている必要があるのだ。


今年は一回しか仙台に行かないし近くでもほとんど原町相馬市しか行っていない。
家で過ごすことがほとんどである。そうなると家が居心地いいようにしたいとなる。
介護もしているとなるとなかなかその余裕がない
ただ老後はもし家にいる時間がこんなに長くなると住み心地がいいようにしたくなる。
そういうことは自分の家は広いからできる。ただ家が広いと掃除だけでも手間であり
毎日家の中をめぐっているだけで時間が過ぎるものだと思った。
冬は特に冬ごもりになるから余計に外に出ないからそうなるのである。



タグ:盆栽 年の瀬

秋篠寺を想像で訪ねる (インターネットで編集の試み)


秋篠寺を想像で訪ねる


(インターネットで編集の試み)


本堂は国宝である。穏やかに手を広げた瓦屋根の勾配、白い壁と精緻な柱、格子戸のバランスは見ているだけで心が軽やかになるのを感じる。鎌倉時代の大修理を経ているが奈良時代の単純素朴な美しさがあると評されているようだ
http://blogs.yahoo.co.jp/geru_shi_m001/64310523.html

、私たちはその柔らかな物腰から視線をそらせなくなる。そこから微動だにしなくても、後ろの漆喰に映る濃い影──高く結い上げられた髪のかたち、抱きつきたくなるような丸い肩のフォルム──は仏の気配そのもので、その影がふいに壇上からおりて「さあ、なにも怖くない。いっしょに行きましょう」と寄り添ってくれるような気がしてならないのである。
http://nara.jr-central.co.jp/campaign/akishinodera/special/


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秋篠寺の伎芸天女

その体全体に満ちるふくよかさ、やさしさ、優美さ
その胸はほどよくふくらみ受容する愛の表出
なだらかな線は胸から脚の先まで作ることなく
まろやかに流れるように体全体をつつむ
その手は軽く繊細に指を合わせる
何を思ふやその顔は穏やかさに満ちて
その内発からその体躯には毒のなし
大輪のおおらかな花のように
微笑みは深く内面から表出される
それは一つの完結した美の典型
その脚も手も腕も胸も顔も頭も
未だ血がめぐり生きているように人を迎える

奈良に京めぐり年の瀬鐘の音
簡素なる秋篠寺かな前庭に冬の日さしてたずぬ人かな
秋篠寺屋根にとまれる鳩の二羽穏やかなれや冬の日さしぬ
秋篠寺伎芸天見て味わいぬ懐石料理や京の年の暮
京都なれ鐘の音の聞きて東京へ帰れる人や年の暮かな



インターネットの利用の仕方はまだ定まっていないし有効に活用されていない、それだけ活用される範囲が広いからそうなる。
文化的にはやはりインターネットで広がる世界があった。
自分は今はただ回想する旅をしているがその時インターネットが役たつのである。
なぜなら訪れた場所でもその謂われとかわかりにくいからである。
また訪れない場所でも想像をふくらませてその場を旅することがある。
秋篠寺はたずねたことがない、それでも写真が一杯でているしそこから想像で書ける。
常に言っていることだがインターネットは自分なりに編集しつつ読むことなのである。

インターネットから秋篠寺についてプログでもかなりの人が書いてある。
今回は三つくらいしか読んでいないがもっと読めばまた違った感想が書ける。
一つは「心に青雲」で書いていたので秋篠寺のことについて検索して読んだ。
著者は秋篠寺については感心している。
それはあまり観光化していないのと他の寺とは何か趣が違うものを感じたからなのだろう写真を見ると確かにずいぶん簡素な建物だと一見してわかる。
冬の日がさしている写真があったがそれもふさわしい。
ことさら伎芸天女に感心していたが確かに見ればこの伎芸天女は秀作である。
自分は仏像には感心したことがほとんどない、感心する感性がないともなる。
そもそも日本ではギリシャの彫刻とかの芸術がないと思っていた。
でも仏像はギリシャからインドへ伝わったものなのである。

この伎芸天女は彫刻として特に優れている。
女性の持っている良さをあますことなく顕している
女性の場合は心も体に顕われやすいということがある。
体と心が一つになるということがある。これはギリシャのビーナスとは違って女性を顕したものでは傑作である。
ただはっきりいって自分には鑑賞力が不十分である。
結局奈良とか京都は日本文化の伝統の場所だがそれがなかなかわかりにくい。
何回か旅したけどわかりにくいのはやはり文化とか伝統は簡単に身につかないものだからである。時間の中で徐々に身につくものでありそれも何代にもわたって受け継いで身につけるということもあるからだ。
そういう点東北となるとそうした文化の蓄積がないから日本文化が身につかないことがある。
それでも仙台から名古屋に船で行き自転車で奈良まで行ったように距離的には短縮化されているから精神的にも近くなっているのである。
それで旅の短歌なども思い出して書いているのである。

奈良京都というととにかく寺が多すぎるのだ。だから一方で寺はもはや何か仏教を追求するような場でなくなっている。観光化して修行の場でもない、それでも伝統があるから違っているとは言える。それは信長の時代からの継続なのである。
寺というのはそのときから実質的な支配階級だった現実に権力ももっていたから信長と敵対して戦争にもなったのである。大阪だった秀吉が治める前は本願寺があり真宗の拠点となっていたしそれで激しい戦争になったのである。
宗教でも権力化するとすでに宗教ではない、政治化して権力追求になる。
今のカルト宗教団体とか団体化した宗教はすべてそうである。
だから団体化した宗教は政治団体であり何ら宗教とは関係ない俗世の団体である。
だから自分はそういう所は信じない、それでもこの世にはそういう悪場所でも頼らざるをえない人達がいる。だからいくら否定してもそういうものは消えないということである。第一真宗とか日蓮宗が今でもこれほど勢力をもっているのは何なのかというと結局拝めば何でもかなえられるという大衆への洗脳に向いていたからである。
最悪の貪欲な人間でもその貪欲な欲望がかなえられるために祈っているのだから異常なのである。

秋篠寺は平安時代後期から寺領を増大させ、南に位置する西大寺との間にはたびたび寺領をめぐる争論があったことが、西大寺側に残る史料からわかる。
保延元年(1135年)には火災により講堂以外の主要伽藍を焼失した。現存する本堂(国宝)は、旧講堂の位置に建つが、創建当時のものではなく、鎌倉時代の再建である。


このようにすでに平安時代から土地争いで勢力争いになっている。
土地をもつということは権力をもつことであり土地に執着することは権力に執着することである。禅僧はだから一所不住であり旅していたことでもわかる。
寺をもつことはすでに権力をもつことに通じていたのである。
カトリックでも土地を所有したことが権力を持つことになったから宗教の歴史もまた東西でにている所はあるのだ。
結局奈良や京都は信長の時代と変わらずに今でもそうした宗教によってかえって汚された地でもある。だから修行には実際は向いていないのである。
そこには祇園で遊ぶ金持ちの坊主がいるとかなる。
今修行に向いているのはやはり荒野であり自然のある田舎なのである。
もちろん今は田舎も都会のように汚されているが自然がありそこで精神形成をすることが修行になるのである。
東京のようなところではもう精神形成は不可能である。
奈良や京都はまだ自然がないということではない、東京はもう人工化した荒野だからもう精神形成はできない、だから言葉もそこではすでに詩語は失われ死んでいるのである。
摩天楼のような世界で言葉も通じなくなっているのである。

タグ:秋篠寺

2014年12月18日

鍋一つもったいなということを家事して思った (労働通じてしかモラルなども身につかない)



鍋一つもったいなということを家事して思った


(労働通じてしかモラルなども身につかない)


この鍋を幾度洗ふ大切に捨てずに使う年の暮かな


人間の不思議は鍋でも物でもそれに愛着というか愛情を感じてくることがある。
物なんか使って捨てるだけではないかというのが大量消費時代の感覚になった。
毎日大量のゴミが捨てられている。食料も膨大な量が捨てられている。
一方で世界では子供でも飢えてまとも食がとれない人達も何千万といる。
だからそういう人達から見れば豊かな国は罰当たりだとなる。
日本でも戦前から千五十年くらいまでは「もったいな」とか物を大切にすることがあったそれは一重に貧乏故にそう強いられていたのである。
貧乏だったら物を粗末にしていたら生きられないからである。

そして意外なのは大正時代が六千万人くらいの人口だったとういことである。
明治になって3千万とか4千万とかになっていった。
ずいぶん日本は人口が少ないと思った。だから明治時代は日本の自然が残っていて景色的には江戸時代のつづきがあった。都会すら東京でも高層ビルなとないのだから
景観的には今よりいいものがあった。
日本が4千万くらいだったら田園風景がいたるところにあったのである。
その相違はあまりにも大きすぎる。
それじても啄木は故郷の自然を望郷する短歌を作ったから東京はやはり自然景観は消失していた。

「もったいない」というとき人口が多くなると人間の価値も減退する。
だから群衆とか大衆という感覚が生まれたのは明治以降だろう。
それまでも人間をそんなふうに物ののようには見ていないのである
だから明治になって鉄道ができたとき見知らぬ人と乗り合わせたときすら違和感を感じていたのである。
見知らぬ人同士が一つの車両に一緒にいるということになじめなかったのである。
鉄道ができたとき関所もなくなり切符が手形代わりになったというのもわかる。
切符さえあれば日本全国どこでも行けたということの変化は大きかった。
江戸時代は藩内とか村内の狭い範囲でしか生活していなかったからである。
鉄道ができたことで日本人は別な藩の人でも自由に交わることが飛躍的に増えたのである


自分の使った鍋はIH用でもあるから3000円以上しているから簡単に捨てられない事情もあった。それがなぜ汚れるかというとガスでつけっぱなしにすることが多いためだった。
台所と食事する場所が離れているからどうしてもガスを消すのが忘れるのである。
それで何度もこがしてしまっていたのである。
だからすでに十回くらいこがしてごしごし洗って落とした。普通だったら買い換えているだろう。千円くらいだったらそうした。
でも不思議なのはそれを捨てないで何度も洗うことは「もったいない」に通じていた。
何かその鍋が貴重に思えたし愛着を覚えた。
職人でも物や道具に愛着を覚えることがあるだろう。そういう感覚を経験したのである。人間は物を道具でも大事にしろと何度言っても現代では通じない、そもそもモラルとかはいくら説いても通じないのは経験から学ばないからである。
人間は本を読んだり人に教えられたりしてモラルが身に帯びることはなかなかないだろうモラルは日々の生活の中で身につけていたのである。
だから侍でも侍のモラルは日々の生活で身についていたからこそ本物だったとなる。

ただ現代でも仕事の中で身につくものが本物だということはありうる。例えば農業なとは趣味の範囲でもこれは自ら畑を耕して肥料をやり種をまきとかして経験しないと本当はわからない、そこに自然と深くかかわり多様な経験を体で覚えることになるからだ。
だからそうしてとれた地元の野菜もらってたべたとき単にスーパーで買うものとは違ったものとなる。そのものには人間の情がこもっていたのである。スーパーで買うものは確かに味はあっても何か情がこもっていない、冷たいものに感じた。
それは家族で食べるものが料理されるものが母親の愛情がこもっているとにていたのである。単に買うものには愛情が情がこもっていないのである。
だから江戸時代は自給自足の時代、その土地土地でとれるものを食べていたのだからその土地と人間に密着して情がこもっていたのである。
ただそうはいっても極端な貧乏もあったからそれも一面の見方ということはいえる

家事というのも実際は一つの仕事である。刀自(とじ)というのが女性であり家全部をきりもりするから力をもっていたのである。今でも刀自と墓に刻まれていることでもわかる。昔は家事が大仕事だったのである。機械がないから洗濯するだって大変な労力を必要とした。寒い時など水も冷たく辛かったろとなる。食器を洗うにしても自分の母親はいつも霜焼けになっていたのである。温水になってからはそうならなくった。
家事は中流の家庭でも女中を二人雇っていたとかそれだけの手間が必要だったのである。機械化したときその手間がはぶかれたのである。
だから自分でも何とか介護まで一人でやれるのである。
ただすべてが機械化するとき鍋洗うのも機械化するとき今回感じたような鍋一つに愛着を情がこめられるということはなくなる。

つまり人間は自らの手で子供でも育てたとき愛情を覚えるように自ら何でも経験して感じる覚えるものが本物なのである。職人でも体で覚えるということを師弟でもしてきた。
以心伝心などもそうだろう。今は何かそうして人間と人間でもその間に機械などコンピューターなど入ると人間から学ぶものはないとかなる。
するとそこには情が欠けてしまうのである。
それは鉄道が普及したとき見知らぬ人同士が膨大に交わるようになったのともにていたのである。機械化するということは人間の情的なものを希薄化して非情にしてしまう。
人間がしたのではなく機械がしたとなると仕事したとなると人間は重んじられなくなるのである。
例えば一つの石を苦労して運んだり積んだりするときその労働は人間しているのであり
ここまで自分がもってきたなとその労苦がその石に残る。
でも車で機械で運んだり設置するとしているのは機械だとなる。
その機械を使うことの方にエネルギーがそそがれるのが現代であり人間的なものがはぶかれてしまうのである。
現代は全般的に情には欠けた冷たい社会になってしまった。それは便利さを追求したり機械化したりグローバル経済になったとき必然的にそうなってしまったのである。

 
posted by 老鶯 at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題