2014年12月01日

抽象画(冬紅葉の紋様)


抽象画(冬紅葉の紋様)

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冬紅葉の造形

冬紅葉という画像検索するといろいろ優れた写真は一杯でている。
それを基にして加工してゆくと冬紅葉の抽象画ができてくる。
だから抽象画の素材は今ではいくらでもあるのだ。
もちろんこれが絵画となるのかどうかわからないが
そもそもピカソが絵ではない、キュービズムは醜悪で美がないという批判もある
ただ絵というのを写真でも単純化して紋様化するという手法がパソコンから生まれた。
ピカソの時代はパソコンがなかった。
だからピカソはパソコンの手法を先取りしたのである。
技術が生まれていないとき先取りした手法だった。

今はパソコンから抽象画が無限に作れるのである。
だから「冬紅葉」という写真がインターネット上にあときその加工もまた無数に生まれる可能性が出ているのである。
紋様はいくらでもパソコンで作れるからである。
ただ冬紅葉ということをイメージするのは極めて四季があり季語がある日本的な抽象画になる
外国ではまず冬紅葉かどういうものかイメージしにくいからである。
紅葉すら日本のような紅葉がないから文化は風土から生まれるから理解しにくいのである。
タグ:紅葉の紋様

抽象画(冬紅葉2)


抽象画(冬紅葉2)

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抽象画はいくらでもできる。これが冬紅葉なのかといえばそうなのかともなる。
他にも変化はいくらでもできるからそこが具象画とは違っている。
ただこれが冬紅葉だとして鑑賞するとやはりそうなのかと鑑賞できるかもしれない。
何も題がないとどうみていいのかわからない、そういうのが抽象画には多いからだ。
他の写真でも抽象画にすると別な見方ができる。
それは別に著作権違反にならない、なぜなら元の絵がわからなくなっているからである
具象画として類似性があるとそれは著作権違反になってしまうが抽象化するとわからなくなる。
紅葉だと何か普通になるが冬紅葉には味わい深いものがある。
その季語を想い抽象画を鑑賞すると違って見えるのである。
タグ:冬紅葉変化

2014年12月02日

冬の短歌十首(鹿島から相馬市の城跡へ)


冬の短歌十首(鹿島から相馬市の城跡へ)

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しばらくは栃窪遠し町に住み大石こそや冬に鎮まる
五本松冬の夕暮れここにしも常にしあれば心静まる
誰か知る鬼越館に北風のここに唸りて砦守りぬ
日立木の細道あわれ冬の日や町場橋をわたり帰りぬ
街道の松並木かな冬の陽の没りて淋しも人も絶えなむ
赤々とと冬の紅葉や城跡に夕日のさしてたずぬ人かな
城跡に落葉を踏みて夕暮れや城下の細道めぐり帰りぬ
一杯の茶を飲みなむや城跡の冬の紅葉の心にしみぬ
大町に冬の柳の長々としだれて暮れぬ相馬の城下
大野にそ古き碑ありぬ小川そい我が来たりて冬の日暮れぬ



北山八景

山上春霞 真柴たく煙も空にうち消えて長閑にかすむ山上の里

芦沼微雨 芦沼のあしの若葉に波越えて汀ぞひろき五月雨のころ (黒木田-岡本-成田)

高松寒月 高松の山風寒く暮るるより面影すごき冬の夜の月

小野晴雪 分けのぼる小野の細道風さえて雪に晴れたるあけぼのの空

中野 飛雪 寒けしなゆき来も絶えてふりしきる雪の中野の冬の夕風

この八景の短歌は優れている。真柴たく・・とか芦沼とか高松寒月とか冬の景色が身にしみる。
中野飛雪とあるけどこれは相馬市内であり城下町からつづいているところでもこんなに淋しい場所だったのである。
相馬市は街自体がさぼと変わらず城下町の風情が残っている。
ただ城も城らしいものがないし城下町と言ってもどこがそうなのかわからない。
ただ細い路地が多いのは城下町の区割りが残っているからである。

何回も道の駅から日立木の細道を通り町場橋をわたり松並木の街道を通り城跡につく道は一番昔を感じる道なのである。
だからこの道のことは何度も書いた。
鬼越館の鬼は北に面した所で名付けられた。確かに北風が吹きつける場所であり今の時期にふさわしい。ただあそこに館があったことを知っている人は地元でもまれだろう。
標識すらないし自分も上ったこともない。
五本松はいつもあるしあの松はあれは確かに五本あるから心に残りやすい。
この辺はあまりにも変わりすぎたから変わらないことに意味を見いだす。
なんか変わることが嫌になっているのだ。
老人になると変わらないものがいいのである。
元のままにあるというのがいいがそれが自然まで津浪などで変わり果ててしまったのである。
相馬市で黒木になっているが昔の大野村辺りは城下町につづいていた。でもやはり農村であり城下町といっても回りは農村であり田んぼが広がっていたから淋しいのである。
今は繁華になっているが江戸時代は本当に淋しい風景だった。
ただその情景は今でも同じように感じるから風景が全部なくなったわけではない。
情緒的には冬紅葉がなんともなく心にしみる。その色がまたなんともなくいいのである。今日は北風が吹いて寒くなって冬らしい。


陸前浜街道は明治以降に名付けられたもの

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仙台藩では江戸浜街道。
中村藩では中村以北を仙台通、中村以南を水戸通。
磐城平藩では磐城平以北を相馬路、磐城平以南を水戸路。
水戸藩では水戸以北を磐城街道、水戸以南を水戸街道。

明治5年(1872年)4月29日に武蔵国の千住から陸前国岩沼までの太平洋岸の街道を今後「陸前浜街道」と呼ぶという通達が出されたことによる。結局、陸前浜街道の名が正式名称として用いられたのは明治18年(1885年)2月に国道に番号制度が導入されるまでのわずか13年間に過ぎなかったが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E5%89%8D%E6%B5%9C%E8%A1%97%E9%81%93

陸前浜街道という名がなじみがない、何かそぐわないと思っていたらそうだった。
中村藩では中村以北を仙台通、中村以南を水戸通
これは今に通じている。水戸は御三家だから水戸は基点になる。
東京から今でも六号線は水戸街道と呼ばれている。
つまり陸前浜街道という名称自体がそぐわないものだった。
浜街道はあっていても陸前となると何かわからなくなる。
陸中でも何かぴったりしない。陸奥となると青森になっていた。
陸前浜街道が伊達藩でもあまり利用しなかった。
だから相馬藩だけが磐城まで利用していた。
それでも相馬市の城跡から松並木が通って日立木を通り道の駅に出る所が街道の面影が残っているのである。


 
タグ:陸前浜街道

借金している人は犯罪の予備軍 (格差社会の貧困化などで社会の転換期が来ている)



借金している人は犯罪の予備軍

(格差社会の貧困化などで社会の転換期が来ている)



筧千佐子青酸カリ殺人容疑者の生い立ち

最初の夫が死亡した時は、経営していた印刷会社は資金繰りに苦しんでいたという。

江崎グリコ」の社長に「商品に毒を入れられたくなければ、金を払え」などと書いた脅迫状を送り、現金を脅し取ろうとしたとして、男が恐喝未遂の疑いで逮捕されました

久保容疑者宅の近所の30代男性は「約2年前までは高級外車を乗り回していたが、最近、国産の小さな車になった。生活ぶりが変わったのでお金に困っているのかなと思っていた」と話した。

大手菓子メーカー「江崎グリコ」に脅迫状を送りつけ、現金を脅し取ろうとしたとして逮捕された男は、「映画関係の仕事がうまくいかず、借金があった」などと新たに供述していることがわかりました。

国内の自殺者の原因第2位は借金苦です。


日本の自殺者は、年間3万人以上もいます。原因の第一位は病気によるものですが、第二位は借金が原因です。返済に行き詰まり自ら命を絶つ債務者が大勢いることが分かります。

そして借金は自殺ばかりでなく、世の中に事件を引き起こす“理由”になることもあります。
大阪市淀川区の住宅で1月、浜田誠容疑者(42)が500万円の借金を苦に妻子3人を殺害。容疑者宅には約2,000万円の預金があったことが殺害後に判明。妻の早智子さん(42)が「子どもの学費に」と浜田容疑者に内緒で蓄えていたといい、同容疑者も借金を妻に打ち明けていなかった。

夫が保証人になったことで夫婦仲が悪化。男児5歳を餓死させた事件

動物園の入場引換券を換金。偽造の疑いで逮捕。犯行理由は借金の返済

愛知県で家族4人の変死体。借金1億円が事件の背景に

監禁されたとウソの被害届、男を誤認逮捕。理由は、「サラ金の借金をチャラにしたかった

連続殺人の容疑者、「60万円」の返済が犯行動機



身近に借金から犯罪でもなくても一家離散とかなっている人は実に多い。サラ金の過酷な取り立てが一時社会問題になった。今もその問題は継続している。
実際に自分の異父の兄も借金が原因で離婚とかなりサラ金に追われて交通事故で40歳で死んだ。もともと借金が原因となり悲惨な結果になった。
なぜサラ金から借りるようになったのかわからない、静岡とか離れていたので事情がわからなくなっていた。
借金は自分はしていないくても回りに甚大な迷惑をかける。親族だと特にそうなる。
親族でなくてもやはり借金は回りに迷惑をかける。
その人の事情はわからなかった。ずっと事業が成功していると思っていた。
みんな回りでもそう思っていたのである。それは誰もとれないむずかしい資格をもっていたからそう思っていた。
だから家族も知らなかったのである。田た借金している人の共通していることは必ず嘘をついている。金がないなど言わないであるとか言っている。
金がないと知れると事業もやたにくくなるから理由はいろいろある。
その人は見栄で借金していたし無理していた。やはり嘘をついていたのである。
ともかく人間は何か悪い方に落ちると嘘をつくようになる。
失敗していても成功しているように装って嘘をつく、嘘は泥棒の始まりというのもわかる

突然の病気になり自分が頼ったのが最悪の人だった。一人は凶悪犯罪者でありもう一人借金で首が回らなくなっていた借金していた人だった。
こんな人に頼っていたのだからどうにもならない、病気になったとたんにその弱みにつけこまれ大金を失った。火事場泥棒にあったのだ。
もう一人は借金で首か回らなくなっていたのだから人を助けるところではない。
これ幸いと借金を請求して簡単に断れないから怖かった。
入院しているときも借金を頼んでくるから怖い。
こいつは死んでもいい、金をとれればいいとまでなっている。
借金した人はもう人のことなどどうでもいい、非情になり殺人するまでに追い詰められているのだ。

筧千佐子青酸カリ殺人容疑者の生い立ちも印刷業がうまくいかなくなり資金くりで苦しんでいたとかやはり借金が原因であんな連続殺人犯人の容疑者になった。
事業の失敗から人生の歯車か狂う人などいくらでもいる。自分の母の実家も事業に失敗して一家離散になった。
グリコの脅迫事件もやはり事業がうまくいかなくなり借金して犯罪者になった。
一時は派手な暮らしをしていた。そういうことも似通っている。
一時は金の入りもよいがある時失敗して借金してどうにもなくなる。
このようなことは社会ではありふれたことでありどこかで毎日起こっていることなのてある。ただ様々な事件でも自分のみにふりかからないかぎり人間は無関心なのである。
津浪だって近くで家族が何人も一度に失うようなことがあっても何か切実に被害に会わない人は感じないのである。
自分が被害にあえば事件の被害者になればその傷は深く忘れられないものとなるのだ。
自分が借金しなくても犯罪者でなくても犯罪の犠牲になる人はいくらでもいるのだ。

推理小説でも犯罪の動機が借金になっていることが実に多い。金絡みの犯罪が一番多いのだが借金が大きな動機となる。だから警察ではまず借金のことを調べるのである。
借金していることはすでに大きな明確な動機を持つことになるからである。
金があればこんなことはないと思う人は金に執着する。
もちろん今の時代は金に執着しない人はいない。
ただすべての人が借金している訳ではない、だからそもそも借金して無理な生活していること自体に問題がある。贅沢するために見栄のために借金しているのである。
そんなこと他人であれば勝手だとなるがそれですまされない、誰かにそのとばっちりか必ずゆく。親族だったら逃れられないから怖いのである。

殺されるということも小説だけではない現実に常に起きている。
保険金殺人などでもそうである。
そもそもサラ金でもどんな事情で借りるのかわからないのに金を貸している。
ギャンブルで遊んで借金している人も関係なく貸している。
それまた社会問題なのである。親族だって親だって簡単に子供にも金を貸さない、うるさくその理由を問いただすから簡単に借りられないのである。
借金でも事情を聞いて本当に困った人なら貸すということもありうる、その時はあえて厳しいとりたてもしうないということも親族だったらありうるだろう。
もう死ぬほかないと泣きつかれたら親は金を出してしまうことも普通にある。

現代はサラ金など消費者金融から借りている人は8人に一人いるということはいかに無理した生活をしているかということである。
そして格差社会になり日本人が貧民化しつつある。
一方で昔のように何もものがない、買うものがないという社会ではない、いくらでも欲しいものがあるのだが買えないということが飢餓感を強くしているということもある。
つまり人間はなければないとしてあきらめる、一旦贅沢を覚えると借金しても贅沢をするようになるのである。それが借金している人が多い理由なのである。
そういう無理した生活が限界に来ている、アベノミックスはただ金融で景気を一時良くしているだけでありアメリカのようにシェールガスとかで景気が良くなっているのとも違うから限界がある。

ただ物が作っても売れない売れないということが昔の貧乏とは違う、買うべきものがいくらでもある。でも買う金がない、買うだけの金が稼げない、トヨタの期間工でも派遣でも働いてもトヨタの車を若者が買えないという矛盾がある。
ではなぜ金が回らないのか?賃金が上がらないのかとなる。
いくら商品を作っても売れない、それはある程度物が電化製品でも車でも飽和状態になっていることもある。みんなもっているから買わないということもある。
家となると高すぎるから買わないともなる。
物を買わない原因は必ずしも金がないからではなく家を買いたくても高すぎるとかがあり他のものはそれなりにもっているから買わないとなる。
老人は金をもっていても使わないというとき、使うべきものがないこともある。
病気と介護のためにそなえておくとかに超高齢化社会ではなりやすいからである。
その金をねらわれたのが青酸カリで殺された老人である。

ではそんな事件でも他人事だとなり面白がっているのが普通である。
ところが自分の場合はそれとにた恐怖の経験をしているから他人事ではない
老人は特に身寄りのない子供のいない老人は本当に恐怖である。
青酸カリで後妻となり夫を殺した容疑者は子供がいなくて財産ある人を狙っていたのである。こういうことは高齢化社会で頻繁に起きてくることか予感される。
そういう老人が増えてくるからである。

金をもっていれば江戸時代でも平安時代でも強盗に襲われたり殺されることもある。
それが人間社会だから変わらないにしても現代は犯罪が飛躍的に増えてくるか可能性が大きくなっているのだ。
贅沢や見栄による借金の貧困にしろ派遣などの非正規労働で稼げない人の貧困であれ
貧困社会化してゆく、だから社会自体を根本的に見直す時が来ているのかもしれない
つまりこういう生活をもうつづけることができない、やがては社会の破綻に向かってゆく、それがどういうふうな結末になるかわからないにしろそういう危機であり転換期に来ている。
タグ:借金
posted by 老鶯 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2014年12月03日

冬紅葉 (写真俳句で写生俳句の追求がしやすくなった)



冬紅葉


(写真俳句で写生俳句の追求がしやすくなった)

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風唸り硝子に写る冬紅葉

寒木の十本ほどやともに立つ

その跡の埋もれけるかな鬼越館北風唸り名のみ残りぬ


写俳という言葉が生まれたように写真と俳句は一体化した。
写生は写真と最も相性が良かったからである。
ありのままを写すのが写真だからである。
玄関の楓の木は今年は秋の紅葉がなく冬紅葉になっていた。
季節的に今年は秋の紅葉ではなく冬紅葉になっていたのが多いかもしれない。
写生というとき言葉だけだとなかなかイメージできないことがある。
言葉では俳句は短いから現すのがむずかしくなっている。
この写真を見ればわかりやすい、イメージしやすい。
イメージしやすくなってまずい場合もあるがとても俳句は短くて現しきれない

この写真は玄関でありその玄関の曇り硝子に冬紅葉が写っている、そして今日は北風がうなっている。これだけを俳句では現せない、写真からでもここが玄関だと言わないとわからないことがある。
ともかくデジタルカメラになって一般の人も写真に興味をもつようになった人は多いだろう。
写真の魅力は大きい、写真はそもそも才能とありま関係ないからだ。
だから一般向きの趣味になりうる。
これがデジタルカメラでなかったら一般の人は金もかかるし写真の魅力を知らずに終わっていた。
俳句は写生の中に深いものを見いだす芸術なのは間違いない
ただそれを鑑賞するとなるとむずかしい、でも写真と俳句が一体となったとき
わかりやすくなる、鑑賞しやすくなるのである。

今日は北風が一日唸り冬らしくなった。
何か自分はここ七年間は家事とか介護とかに追われている。
今日は母が施設から帰ってきたからまた忙しくなる。
窓から蔦が入ってきたので直したり水道の蛇口が壊れたので新しいのと取り替えたとか
何か次々に仕事が生まれている。家は築40年で老朽化しているためもある。
地震で壊れたところもまだ直していない

ただ毎日自分で家の中をかたずけて自分好みの家にすることをつづけている
今ままでは間借りしていたと同じだが今度は自分なりの家にする
ある程度は手作りでてきる。
手作りの方が使いやすくなることがある。
本棚とか書斎とかは作られたものを買うより自分の使いやすいように作れるといい
本はかさばるからたてて並べるのではなく重ねたりするのも手である。
本は何か整理しにくい、でも本も中味があるからある程度そろえていないとものは書けない、本は今や全部読むのではなく要点だけ読むのである。

ともかく一軒の家をその物理的なものとして維持するのとまた精神的なものとしても維持するのが苦労なことを知った。家は修繕も必要だしまた家には犯罪者も侵入するとか城だと思った。城が敵にのっとられるように家も油断しているとのっとられてしまう恐怖を味わった。この家は気丈夫な姉がいて守っていたかそれが認知症になり死んで総崩れになり自分が引き継いだのである。
日立木にある鬼越館というのでも中世には多くの館がありそこが城だった。
その館も常に他者から攻められる恐怖があった。
守ることが容易ではなかった。それと同じように家も守ることか容易でないのだ。
弱さを見せると敵が入りこんでのっとられる恐怖である。
だから家には槍や刀を備えて守るくらいの気概ないとのっとられる。
田舎も安心できない時代となった。困窮している人かいればやはり田舎でも危険になる。自分はあまりにも人間の悪い面を知らずにいた。
30年くらい人と交わらずに生活していたからである。

タグ:写生俳句

2014年12月05日

すべての富は呪われている (あらゆる文明は故に呪われているー原発事故もそうだった)



すべての富は呪われている


(あらゆる文明は故に呪われているー原発事故もそうだった)




日本有数の高原レタスの産地として知られる長野県川上村。平均年収が2500万円にものぼるとされ、
 「成功農家」のモデルともてはやされるが、一方で外国人技能実習生らに過酷な労働を課している、「ブラック農家」との評判もある。


 タイの食品会社なんてミャンマーの難民を奴隷として買い取って漁をさせて働けなくなったら魚のエサにしてるらしいから
 それに比べりゃ何百倍もましだな
 エビが安いのはミャンマー人奴隷のおかげらしい
 

 
 人間の歴史をふりかえるといろいろ見方があっても明らかに富を求めて豊かになるために文明を作り出した。人間を言葉をもつものとか道具を作るものとかいろいろ定義がある道具というものに焦点をあてれば縄文人の石の斧でも便利でもそれが人間を殺す道具にもなったかy便利でも呪いとなった。しかし明らかに道具は文明の基であり文明を発達させたのである。文明は道具を作り発展させるものだということもあった。
機械文明になったのはまさにそうである。
 ただ必ず石の斧で戦争に殺戮に使われたように道具の発達は戦争に使われ大量殺戮にもなった。その象徴が原爆の大量殺戮だった。
人間にとって道具は便利でもその道具には呪いがあり災いを生むのである。
技(わざ)は災いに通じている。
だから鉄が発見されたとき一時鉄の制限をしようとしたことがローマ帝国であった。
石から鉄になったときその殺戮力は飛躍的に増大したからだ。
鉄が文明の基になったことは東西文明で同じである。

最近いろいろネットを検索して関心のあるテーマを探る。
富が集中しているところに争いが起きている。例えば石油が出る中東は争いの場所になっていることでうなづく。また個人的にも富が過度に集中するところに争いが生まれる。
格差社会になると貧民化すると金持ちは相当に危険になる。
飢饉のときのように米をもっているだけで打ち壊しとか一揆のようなものが暴動が起きてくるかもしれない。
殺人の半分は家族や親族で起きているというのも遺産争いの結果である。
わずかの遺産でも今は争っているのはやはり貧困化しているからだろう。
貧困化すればわずかの遺産でも欲しいとなるからだ。

富が呪いになるというときそれはすでに貨幣が生まれたときから起きていたのである。貨幣がなぜ呪いとなるのか、それは貨幣は人間の欲望が集中するものだからである。
それですでに貨幣が発明された紀元前七世紀頃のギリシャで今と同じ嘆きの言葉が発していたのである。

人は金なりということわざは前七世紀から口にされていたという
「富には限りがない」ソロンの伝えているのも貨幣がすでに富の象徴となったのもそのためである。貨幣は無限の富を追求するものとものとなっていたのである。

貨幣は今と同じく富の象徴となっていたからである。貨幣により人間のあらゆる欲望がかなえられるとまですでになっていたから貨幣には呪いがずっとつきまとっている。
でも便利だから道具と同じように貨幣をなくすことを人類はできなかったのである。
富には呪いがあるというとき、インカ帝国では黄金の国とされその黄金を欲しくてスペインから侵略してきたのは実際は強盗団だったのである。
そして莫大な黄金をさしだして命乞いしたがインカの王は殺されたのである。
つまり黄金という富故に無惨に殺されたのである。
それは別に個々人でも常に事件として起きている。
家政婦を二人雇っていた不動産会社の社長が強盗に殺された。
家政婦は無事だったが社長は殺されたのである。
自分の東京の遠い親戚の人と縁を切った。
それは金を延々と要求されるから切りないから縁を切った。
一回では終わらない、そもそもその人は困窮する生活から脱するこもできないからであるそうして延々と金を要求する、ゆすりたかりともなるから怖くなり縁を切ったのであ。
こういうことは普通にある。縁をきりたいという人はいくらでもいる。
要求する人の欲望がきりがないからそうなるのである。

そもそも富がどこから生まれたのかを知るとその富そのものが呪われているとういことがあった。なぜアメリカがあれだけの富を生み出したのか?今もアメリカは景気がいい、しかしその富も南米から石油を搾取しているとかその富を独占するために私兵を派遣して政府を操作して庶民には富が回らないとかなるとアメリカの富もそこには他者の犠牲の上にもたらされている。
長野県のレタス農家でも中国人を奴隷のように使っているというこが明らかにされた。
するとそれも外国人の犠牲の上に富を得ているとなるのだ。
それよりグローバル化しているとき世界の富はアメリカに集まり日本もその世界支配に加担して富を得ているとなる。
第一自分にしてもアメリカが景気がいいからアメリカに投資しているというのもそうである。貧乏な国は投資すらできないだろうし金を得られないのである。
ローマ帝国でも奴隷がいて奴隷の上に富が築かれてそれで矛盾して繁栄は失われた。
富に呪いがあるというときそうした他者の犠牲の上にあるからそうなる。

ともかく文明に呪いがあるというとき便利な道具を発明して大規模に自然を破壊したのである。稲作文明は縄文時代からすると格段に生産量をあげて人口を増やした。
それは鉄器により道具と深く関係していた。
稲は鋳成りであり鉄のことだったことでもわかる。
弥生時代になったとき大規模な国家が生まれたというのもそれだけの富が作られたからである。
そして道具だけではない、人間の文明は稲作文明でも必ず災いを生む争いを生むのであるその争いも大規模になるのだ。弥生時代になり各地に小国家が生まれ争いになった。
不思議なのは初期の採集狩猟時代は争いがなかった。
なぜなら天候の異変であり何か争いでも生じれば移動していたからである。それだけ移動してもまた別な豊かな土地で暮らすことができたのである。

そして土地に執着しないから農民のように定着して富を貯えないから奪われることもなかった。富は何であれ貯えると奪われる可能性がでてくる。
モンゴルの遊牧民か中国の農民を襲ったのはそのためである。それで万里の長城が作られたことでもわかる。農民が貯えた富を守るためにあの長城が作られたのである。
今でも石油資源であれ必ず争いが起きている。
稲作文明が平和のように見えるがこれも一大文明でありだから富をめぐる争いとなる。
水争いが起きるのもそのためである。稲作にとって水が石油と同じ資源であり水が回らないと米は作れないからそうなる。
水自体が罪を争いを作り出すものでなくても人間が稲作文明でも生み出すと争いになり水は血に染まるのである。
文明そのものが呪いがあり平和を生み出すものでいなということがあった。
原発事故周辺の災いもまさに電気文明の原子力文明の結果として富を求めて惨たんたるものになったのである。

いづれにしろ文明そのものに呪いがありいくら改善しようとしてもできない、すでに文明は崩壊して滅びる運命にあるのだ。文明を改善すれば進歩すればそうはならないというけど結局同じである。文明を改善進歩してもまた新たな技(わざ)わいが生まれる運命にあるのだ。結局人間の欲望には限りないし欲望とともに文明があるから何をしても無力になる天からさずから神からさずかるマナのような食料でないと平和ありえないとなる。
原発も文明の進歩の結果にしても技わいとなった。原発に人間の欲望の象徴だったのである。それは基本的には人間の業とも言える文明を作るからそうなった。
だから老子は道具まで否定する思想を2千年前に説いた。
それは今日を予言したのものだった。原発でもその予言通りになったのである。

人間が作り出す富には何か必ず呪いがあるということである。
でも富を人間はあくことなく求めるからとめることはできない。
誰もパンを食えないような生活など求めないのである。
ただ原発事故にあって故郷にも住めなくなって蝋燭でも家族とともに暮らしたいとか言う人がでてきた。
そのことはやはり文明を停止させるものであり災いを生まない世界を真剣に求めさせることにもなったのである。
でも文明を停止したりはもうできない、電気かなくて暮らせるのか、車がなくて暮らせるのか、・・・・・お前は江戸時代に帰れとかなる。

要するにいいたいことは過度な富を求めることには危険があった。原発を生み出したのもそうした過度の富を無理して生み出そうとしたからである。
欲望を無制限に追求せずに欲望を制限することが平和な生活に通じている。
だからあくことなく富を欲望を求める資本主義は災いとなり世界的に災いとなり崩壊してゆくようになる。世界からの富の収奪が資本主義だとも言われるからである。

石でも道具となるとき人を殺す道具となる
故に石の道具の文明は呪われている
稲作文明は水が命だから
水争いがあり水が呪いともなる
入会権で木材の収奪戦ともなる
黄金だけではない
石炭も石油も人命を奪う
原発事故で人は故郷に住めなくなった
いかなる文明も呪いがあり
歯止めなき欲望の追求は呪いとなる
遺産争いは家族も引き裂き血にぬられる
富を求める欲望の争いは尽きることがない
それゆえにハルマゲドンの最終戦争で人類は終わる
その予言はいづれ現実化する

posted by 老鶯 at 01:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年12月06日

巨大会社化グローバル化経済や金融操作社会の悪 (江戸時代を見直して現代を考える)




巨大会社化グローバル化経済や金融操作社会の悪


(江戸時代を見直して現代を考える)


●社会は継続して築かれている

社会というのは今を見ているだけではわからない、なぜなら今は過去から生まれてきているし過去から連続してできてきたものである。どんな革命でも過去を一掃することはできない。社会は積み重ねでできているのだから過去を無視すると社会の平安は保たれない。例えばその土地の有力者が金持ちがいたとするとそれは地域の富を一人じめした悪者だとなるとその富を奪ってもいいとなる。
そういう家もあっても富を生み出すにはそれなりのその土地の理由があって富者になっている。
それを何でも平等の原理で平等であらねばならないのだからその富を奪ってもいいとなったときどうなるのか?その家が富んだ理由はそれなりにあり積み重ねが必ずある。
それを否定することは積み重ねで富を築いたその土地の歴史を無視することに通じる。

必ず草分けが百姓がありそこに人が会社のようになっていて集まり村が作られていた。
中世の館はそういう土地の中心として要としてあった。
だからその家が富んでいることは回りも富むようになるものがあった。
その家だけが富むということはありえないのである。
それぞれで富む家があれば回りもその富にあづかることがありうる
特に江戸時代などはその土地で生産したもので生活していればある家が富むのはその土地に由来しているからその家だけが富者となることはない
だからそうして富者になった家を不平等であるから奪えばいいとは回りでも必ずしもなっていなかったろう。
現代の富者はまた別になったから不平等感が強くなっているのである。

日本では江戸時代が鎖国であれ300年間もありその間に戦争が国内で起きていない、これも世界史からみればまれなことだった。そして鎖国だから他国に頼らない自給自足であり国自体もそうだが村自体も自給自足社会だったというのが理解できなくなっているのだ。どうしてそんな小さな村で経済が成り立っていたのか理解できなくなっている。
なぜならグローバル化したとき世界から物が入ってきて成り立っているからなぜそんな村のような社会で人間生活が成り立つのだろうかと理解できなくなったのである。
自分も毎日買い物であり通販でも毎日のように買っている生活になった。
こんなに物を買うのだから金がかかる生活なのである。
だから誰でも金金金が欲しいという生活になっている。
江戸時代からすれば百倍ものものを買う生活になっているだろう。
江戸時代はほとんど買うということは限られていて農家では納豆まで作っていた。
農家自体が一軒で自給自足的な生活をしていたのである。

●自給自足経済の江戸時代を見直す

ただ江戸時代のことは歴史でも明治維新以来急速に忘れ去られたということがある。
その一番いい例が身近にどうして小さな狭い村で自給自足できたのかということが理解できなくなったことにある。
その時はすべて燃料でも薪であり炭であり電気も使っていない、ほとんど自給自足であり外から買うことは極限られたものしかなかった。
だからその時代と比べると今の社会は何なのだろうととなる。
ただそれだからこそ極端な貧乏ということもあったし医者にかかれず早死にであり悲惨なものがあった。その暗黒面も大きいから江戸時代やヨーロッパの中世でもあ暗黒時代だったとされるのでてある。
この辺でも醤油を使うのは正月用だったと明治生まれの人が書いている。

小作の生活は悲惨であった。そうした生活からすると誰もそんな時代にもどりたいとは思わないことは確かである。醤油なんか捨てるくらいあるし塩分が多いから使わないようにしている時代である。だからその差も大すぎるから昔が理解できなくなる。
つまり明治維新後に醤油も使っていないとなると江戸時代は醤油を使っていないとなる。そんな生活があったのかとなりそんな暗黒時代にもどりたくないなとるのもわかるのである。
一方で江戸時代や中世でも見直されるのは現代のグローバル化社会と対比したとき、その矛盾が見えてくる。
現代は人間的社会から全く逸脱した非情化した社会になったとなる。
江戸時代の継続として戦後十年もあったのだ。なぜなら燃料は炭であり薪であり自給自足だったからである。それが急速に高度成長化したときグローバル経済化したとき
過去のものとなり理解できなくなったのである。
要するに確かに未曾有の豊かさに現代は生きている、でもまた失ったものも精神的には大きかったのである。
それを象徴していたのがこの辺の原発事故の災禍だった。まず故郷に住めなくなるなど想像もできなかった。それこそ最大の災禍である。故郷に住めなくなるなどかつてあったのかとなる。その範囲も広いから考えられないことだった。
現代文明の矛盾が自分の住んでいる所に極端化して現実となったのである。

●巨大会社が国家のように支配する社会

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原発事故が起きた原因はいろいす語られる。それはすでに文明の災禍でありその矛盾が集中してこの辺に現実化したのである。
東電という会社があれほど巨大なものとは知らなかった。そもそも地方で生活している人は大きな会社のことを知らないだろう。社会自体どう動いているのかも見えないしわからない、だからかえって巨大会社でも国家でも大衆を操作しやすくなっているのだ。
それはあからさまな圧政ではない、何か国民に支持ささてやっているのだという感覚になる。巨大会社や国家に操作されているのではない、国民の支持の上に行っているという感覚にされているくのである。
でも実際は巨大会社が社会を支配しているのでありそれが現代の特徴でありだからこそロスチャイルトとかロックフェラーがアメリカを支配していると言われる。
国家を操作しているのはアメリカで日本でも巨大会社になっている。
今や小さな村社会に人は属しているではない、ほとんどなにがしかの会社に属している。だから昔は社に介する社会だったが今は会社員になったのである。その差も大きすぎるのである。巨大会社が何かということも東電でもそうだったが理解できないものなのである


会社とはそもそも自らの引き起こす結果に責任をうまく逃れるために作られたものである重役や社長はたとえ自分の過失で損害を出しても会社がかけた保険で守られているため
個人的に賠償する必要はない、会社の違法行為も罰せられない、個人的には死刑になるようなことでも会社が犯した場合には痛くもかゆくもない、罰する法律もない・・」
(グローバル経済という怪物ーデビットコーテン)

東電の会長であり社長はそうである、海外の支店で優雅な生活をしているという。何らこれだけの災厄をもたらしたのに罪は問われないのである。法律でそもそも会社は罰せられないのである。これもおかしなことであり会社だったら何でもしてもいいとさえなる。
会社が最大の権力者であり検察すら無視できるから国家よりも上だとなる。
小さな会社の事業で失敗したら自殺している人が多いけどこれだけ巨大会社になると誰も罰せられないし東電で何か深刻に今回の原発事故を反省する人もいないのも不思議なのである。
これだけの甚大な被害を与えても何ら罰することもできない、そして百円盗んでも刑務所に入れられるのである。かえって億の金を盗むような人は罰せられないようにいまのし会はなっているのだ。だから庶民は働くのも馬鹿らしくなるのである。

金融でもそうであり何ら実質的に富をもたらさないものが数字のやりとりで巨万の富を得ているのもそうである。そういう恩恵に株をもっている人はあづかっている。
自分もそういう社会にとりこまれているから矛盾している。
ただこの本では株が上がろうが実際は今や経済が良くなるのではない、ただ数字上でそうなっているのであり別に富は増大していないという。
だからアベノミックスもそうした金融のトリックに過ぎないのである。何ら実質の経済が良くなっていないのである。

●金融の操作では何ら実質的な価値も富も作り出せない

現代における開発とは貨幣経済にしかありえない生活をしている人々ー会社重役、マーケティング業者、弁護士、投資家、会計士、投資ブローカーなどであり彼らは金をあつかう人々であり本質的に価値あるものは何一つ生産していないが多額の報酬を得ている。
(グローバル経済という怪物ーデビットコーテン)

何ら価値すら生み出していない人々が巨額の富を得ている。ただでは東電などはどうかとなると電力を作っているのだからこれらの人たちとは違うともなる。
ビルゲイツとかバソコンを発明した人なども根本的に違っている。
ただ金を右から左に移して金融の操作でもうけている人たちのことである。
ただマネーゲームでもうけているにすぎない、アベノミックスも実はマネーゲームの延長の政策でありただ日本銀行が紙幣をばらまいても景気などよくならないのである。
紙幣をすって景気がよくならとしたらこれほど楽なことはないからである。

そもそも江戸時代の方が働くことが金のためだけではなかった。職人気質が形成されたのはただいいものを作るということに熱心であり自分だけの作品を作ることに励んでいたから職人は芸術家でもあった。ひたすら仕事に打ち込むことであり金のためではなかった。だから実際は多様なものが作り出されていた。下駄でも何でも作った人の名前が残っていたりする。その人だけが作れるものをその土地だけから作れるものがあり多様な社会であり文化的には豊かだったのである。貧乏などの暗黒面を語ればまたきりがなくなるが良い面を語ればまた今にはない職人の幸福があったのである。
江戸時代というのは何か否定的な面ばかり語られる。江戸時代300年は何であったのか?それを見直して現代を考える作業が必要になっている。

なぜならなぜ原発事故のような災禍がありこれから社会をどうするのかというとき江戸時代が参考になるからである。
現代の物を買っては捨てることや消費文明を見直すことに通じている。
ただそれだからといって江戸時代に貧乏にもどれとはらない。
結局歴史は全く同じような過去に戻ることはない、フィードバックして螺旋状に進む。
直線的には進まないのである。一旦過去をふりかえりもどったり停止したりして進んでゆくのである。だから江戸時代を見直すにしても同じ社会には戻らないのである。


これは「グローバル化という怪物」という本の要点
http://www.ne.jp/asahi/manazasi/ichi/keizai/globaleco.htm

虞美人草から地方の産物を読む
http://www.musubu.jp/jijimondai13.htm#gu

ここに自分が書いたように多様な産物が江戸時代にはあった。
その価値は大きいが忘れられたのである。
posted by 老鶯 at 20:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年12月07日

寒さしみいる石


寒さしみいる石


城の跡六万石や落葉かな
六万石城跡たずぬ冬紅葉
板塀や城下の細道冬紅葉
石の庭池に写せる冬紅葉
風吹かれ残菊あわれ夕暮れぬ

しんしんと石に寒さのしみいりぬここを動かずともにしあらむ

今日は寒い、外にも出歩きたくない、今まであたたかったから寒く感じる。北海道とか雪国だと外に出れなくなるだろう。ただ車もっていると中があたたかいから出歩ける
自転車だと寒いから外に出たくない、今日本当に出たくない
桂離宮の庭の池に冬紅葉が写っている写真が出ていた。
石と冬紅葉があっている。
自分のテーマは石なのである。
人間は自然でも認識するとき、なんでもそうだが人間化しているのである。


しんしんと石が冷えるというとき人間化している
石も人間と見ているのである。
石は動かず寒さに耐えているとかなる。石に気持がなくても人間が見るときそうなる。
だから不思議なのは飯館村とか人か住まなくなった村というのはどうなるのか?
あそこにも牛の背のような石がありあの石は見物である。
飯館村は牛と石の村でもあった。
でも人が住まなくなるとそこに人間がいなくなると石もただ自然の中の石になってしまうのか?
人間の思い入れがない石となってしまうのか?
みんな散り散りになってしったからである。

現代は昔のような村と違って人間の生活はグローバル化していると村で暮らすようなつながりが消失した。金の力が増大した。金さえあれば近くの人に頼る必要はない、生活するものが買えばいいとなる。
だから仮設に住んでいる小高の人でも何ら協力関係が生まれていない
金さえあれば別に助けてもらう必要もないからである。
かえって補償金が多くもらっていいなとかなるだけで関係ないのである。
「金にめんどうみてもらえ」と遠い親戚の人とと縁を切れたけど極端化するとそうなってしまう。


だから原発避難民はこれからそういわれるかもしれない、補償金をたんまりもらったんだからそれでやればいいと言われる、そしてもらわない人は俺たちはもらってもわずかだしもらえなかったんだからなとなる。
最初は絆とか言われたけどかえって広域社会化した世界は金の方が大事になる。
だから人と人は助け合わないのである。
それは別に原発事故があったからではなく前からそういう社会になっていたのである。
だから故郷でも市町村でもつながりがなく解体しやすいということがあったのだ。

相馬藩で飢饉のとき飯館村に小高であれ相馬藩内で援助していた。それも相馬藩だからであゃた伊達藩からなどは援助がない社会だからそうなった。
それも問題だが相馬藩内では助け合った。逆に今は外から来た人が働き助けている。
内部ではかえって助け合わないという矛盾も生まれているのだ。

 
タグ:寒さ

2014年12月08日

言葉は文化でありその背景に歴史と風土がある (尊敬語は今では相手を気づかう言葉に変化している)


言葉は文化でありその背景に歴史と風土がある

(尊敬語は今では相手を気づかう言葉に変化している)

近代以前は平安時代の京都の貴族語に基づく文語体が標準的な書記言語として広く通用し、口頭言語についても、江戸言葉が成熟する江戸時代後期までは京言葉が中央語であり、京都を中心に新語が日本各地に伝播していったとされる

日本語は複雑である。尊敬語とか謙譲語とか丁寧語があるというときこれも複雑である。尊敬語と丁寧語は普通に今も使われている。ただ謙譲語は使わなくなっているだろう。
その区別がむずかしいしめんどうである。
こういう言葉使いはそもそも意識してできるものではない
言葉使いは無意識的にしているのである。
そもそも尊敬語とか謙譲語はどうして生まれたのかといえば宮廷内で生まれた。
そこには上下関係があり敬うことが日常的にされていたから尊敬語が生まれた。
上の人にへつらうということも尊敬語にはあり反面本当に敬うということも言葉にある。言葉は同じ言葉でも言い方でも何か違ったように反応する。
言葉は数学と違って記号ではない、人の感情が入るからそうなる。
だから標準語にしたとき、何か味気ないものになった。何か記号を読んでいる感じになる方言には感情が入りやすいが標準語はまさに全国標準で伝えてわかるために明治維新後に普及させた。今では共通語としている。

言葉が京言葉が中心だというとき文語体の言葉が敬語が沖縄とか青森に残っているのもそうである。かえってそうした辺境に古い言葉が残っている。何か言葉の化石のようにも思える。沖縄は別な言語のように見えても京言葉があるように京都中心に広がった言葉であるから言葉的には日本文化を受け継いでいる。古代から京言葉が中心であり標準語だったとなる。方言と思えるものもたいがい京言葉を標準語として変化したものなのである。
それから武家の言葉と庶民の言葉が違っていた。武家の言葉がやがてまた庶民の言葉になった。江戸時代は地方でも武家と庶民は違った言葉使いをしていた。の言葉使いから階級かわかり身分がわかるようになっていた。言葉さらに職人言葉とかもありその仲間うちでも独特の言葉が生まれた。そういう特殊な言葉がマタギ言葉として残っている。
要するに江戸時代までは言葉すら多様であったということはそれだけ地方でも一地域でもそれぞれ独自の生活があったからそうなった。
もの作りにしても実際は地域地域でも同じ地域でも違ったものを生産していたのである。飯館村の凍み大根がうまいというとき飯館村は高原地帯で寒いからいいものができた。
凍み大根は寒ければ寒いほどいいものができるからである。つまりそうした地域地域にあったものが生産された。福島の桃がうまいのはあそこは夏は特別暑いからうまいものができる。

言葉というのはボリネシアとかでは百種類の言葉があるとか島ごとに言葉が違っているとかそういうのが普通だったのである。それは互いに交流が不便でできないということが影響していた。だから日本でも江戸時代まではそうであり明治維新後に標準語を必要としたのである。でもその結果として一様化画一化した。つまり文化は多様性であり画一化しにくいから文化なのである。みんな同じになったら文化ではない、現代文明は大量生産でものも世界規格で同じにして普及した。工業製品はそうすることが便利だからそうなる。
ただ文化となると言葉でわかるように画一化しにくいのである。
言葉は深くその土地に根ざして生まれてきているからである。
英語にしろというときそれはグローバル化社会ではその方が便利だからそうなる。
でも英語にしてもイギリス英語でもそもそもクェーンズイングリッシュがあり庶民の英語とは違っていた。それは日本の敬語が宮廷から生まれたのとにている。
アメリカ英語はそもそもイギリスに発した英語とは違っているという。
その相違をわかる人は相当に英語に通じている人である。

なぜイギリス英語とアメリカ英語が違ってきたのか?
それはアメリカに移住した人たちが長年その土地で使っていたら同じ英語でも違ったものになっていった。
アメリカの歴史は西部開拓とかで培われたものが根底にある。
西部というとグランドキャニオンとか見ればわかる。あそこはまるでどこか別の惑星とすら感じる光景なのである。
そういうアメリカの広大な世界で培われるものはイギリスのような狭い島国で培われるものとはあまりにも違っていたのである。
ただ不思議に西部開拓時代は日本の江戸時代ともにていたという不思議がある。
なぜなら農民であれ職人であれそうした働く人達が主役となった世界だからである。
それを詩にしたのがホイットマンの詩だったのである。

そこには日本の貴族も侍もいない、イギリスの貴族もいない世界でありその国を作るのは農民の開拓者と職人など手職をもった人達である。その時機械も発達していないから余計にそうなったのである。だからあれほど働く人達が賛美されたのである。
その人達はほとんど肉体労働者が多かったのである。
その人たち貴族などいないみんな平民だから平民の言葉となった。
アメリカ英語がイギリス英語と違っているというとき言葉はただ観念ではなく現実の生活が反映されて作られていたからそうなる。
西部のような広大な世界を詩にする言葉にするということ自体がそこにはもう言葉で現せないものがあった。それはもし別な惑星に行って地球と全然違った景色を見れば地球の言葉で現せないと同じような感覚になっていた。
ホイットマンの詩にはそういうものを感じる、とても日本のようにイギリスのように言葉がこじんまりと収まらない世界なのである。
アメリカ人が実際は野蛮人だというときあの広大な西部の風土を生きてきたとなればそうなるたろう。だから同じ英語でもその風土や歴史的経過で違ったものになってしまったのである。
アメリカには神秘主義とか哲学とか芸術は生まれない、ただ実用主義でありプラグマテズマの思想になる。西部開拓では実際にそこで役立つものしか重んじられないし観念的なことは無用になるし観念的では生きられない風土である。
それゆえにここでは技術が機械力が制限されることなく応用されるようにもなった。
巨大な機械力が自然を破壊するようにはなるようには見えなかった。
それでもソローなどは鉄道を批判したりしていたから自然を侵害するものを感じていたのである。

日本では微に入り細に入り季語を作って来たような言葉とはあまりにも違っている。
そこにはむき出しの荒野があり岩肌が迫る、あんなところではとても俳句も作れなかったそれは多少北海道とにていた。北海道でもアメリカと比べると小さいなと思ってしまう。それは中国にも通じている。中国でもあれだけ広いから大雑把なものが建築でも生まれるとてつもない巨大な意識が生まれのはアメリカとにているのである。
漢字にはそういう風土を反映したものがある。日本でかなが生まれたのもやはり日本的風土が関係していたのである。とても中国やアメリカのような大雑把な世界から生まれ得ない繊細なものが日本文化なのである。

いづれにしろ言葉の問題は言葉だけて終わらない、言葉の背景には歴史もありその国の風土もありまた言葉には感情が入るから言葉だけでは通じあえないというのも人間である。話す言葉になると必ず感情が入る、感情が入りやすいのは方言なのである。
標準語だと何か冷たい感じになってしまう。方言だとそれは西東関係なくあたたかいものを感じる。あったけえというのとあたたかいという感じからして違っている。
感情を入れるのには方言がないとできないのである。
尊敬語が必要だというとき言葉も常に時代とともに変化している。
尊敬語でも今や目上の人に対する言葉てはない、まず目上の人だから尊敬するなど今はない、若い人にはもう老人というだけで何も尊敬したりしない、ただ若い人でも会社の上役とか権力を持つものにはへつらうから尊敬語をやむなく使うかもしれない。
でも尊敬語は今では相手を気づかうものに変化しているのだ。
尊敬語の方が相手を気づかうトーンがあり感情が入るから使う、目上だと相手を敬うとかはなくなっているのである。現代ではそもそも人を敬うなどなくなっているからだ。
「心に青雲」で尊敬語の必要性を説いているのもわかるがその人の言っていることは対話でもコミニケーションでも相手を気づかうということをしきり言っている。
つまり尊敬語は相手を気づかう言葉に実際は変化しているのである。

現代は明治維新後強力な中央集権体制ができて欧米列強に対抗しようとした。
太平洋戦争後もそうである。東京中心にして高度成長を図ってきたのである。
それで今は地方は衰退して疲弊している。
高度成長時代が終わり日本はまた江戸時代のような地域の時代にもどる。
現実は地域自体なくなるとか言っているが地方の再生が模索される時代で起きている。
原発事故などは何かアメリカ的巨大技術の弊害の結果である。
原発は事故が起きてもロシアや中国やアメリカなら百キロ圏内でも移住できる広さがある日本ではそんなことしたら国自体を放棄して滅亡するほかなくなる。
だかち原発は日本のような狭い国には合わないものだったのである。



タグ:尊敬語

2014年12月09日

大正まで醤油や味噌も使えない貧乏があった (現代も円安で物価が上がり昔の時代にもどってゆく)


大正まで醤油や味噌も使えない貧乏があった


(現代も円安で物価が上がり昔の時代にもどってゆく)



(鹿島町の女性)

私が話をうかがったのは平成三年で満95歳の高齢にもかかわらずかくしゃくとしてをり、記憶もはっきりしていた。

大正7年のとき二十三歳であり二十歳の
時、原町北泉のより嫁に来た。士族同士の結婚だった。
耕作地は自作地一町五反であり反あたり六俵の収穫があった
わりと当時としては裕福だった

夫は駄賃とりを一生懸命やりまた飯館村にたる引きに入れ大きいカツオは五本ずつ十本を馬にかけて運んだ
お正月の料理はもち、塩引きが最高の料理であった
電気などなくランプの暮らしでホヤみがきが嫁の仕事でありしょっちゅうこわれて町へそっと金をわたして町へ行ったとき買ってきてもらい交換した

(男性)

当時の反収は5俵から六俵くらいで小作料は二俵半だった。
当時の農作業などの日当は米三升が標準だった。
家計は子だくさんの上、いっぱい食べたので一日二升食べ、残り一升で暮らすのは大変だった。中以上の裕福な家では味噌を使い味噌がないときは塩でまにあわせた。
食用油、砂糖などは贅沢品で使えなかった。

収穫は反六俵で出に荷は駄賃取りがいてその人に頼み馬に二俵つけて町に売った
黒砂糖をこごりで買って砕いて使用、白砂糖はお正月に少し食べるくらいで醤油もほとんど使用しない、正月用だった、小作でないので他の人より楽であった


研究紀要二(1994)ー米騒動の研究


そもそも醤油が使えなかったら素朴な疑問として料理自体できないのではないか?
明治になっても大正でも醤油が使えないとなることが全くイメージできなくなっている。もちろん味噌も満足に使えないとなると味噌汁さえ作れないことになる。
明治以降もそうだったとすると江戸時代はどうなっていたのか?
それ以上に貧しかったとなるのとどんな暮らしになっていたのか?

反当たり5俵くらいとなると今は十俵だから倍になっている。この違いも大きいだろう。
だから米あまりになる。
それから運搬は馬でありもともと江戸時代から馬で運搬していた、だから駄賃という言葉が生まれたのである。

行き掛けの駄賃」とは、「ある事をするついでに、別の事をする」または、「ついでにほかの事をして、利益を得る」と言う意味である。特に"駄賃"には、"一寸した手間賃"というニアンスが強く、大人が子供を使いに出す時の手法であった。


農作業でも他の家の手伝いで手間賃をそのつどもらっていた。これは別に定期的にないからこんなふうになった。
飯館村に魚を運んでいたというのは興味深い、それは江戸時代からの塩の道の継続だけど明治以降は塩の道はなくなり八沢浦の峠の道が作られていた。

川俣まで天秤棒をかついで屋形から鰻を売りに行ったという話には驚いた。
当時の貧乏は今の暮らしからは想像できない極貧状態である。小作が多いから余計にそうなる。だから小作だというときそのこと自体が常に奴隷のようなものとしてイメージされたかもしれない、今日の派遣とかともにている。ただ食べ物に関しては貧乏でもさほど変わりないのが現代である。
士族同士の結婚とか書いてあるのもその頃まだ江戸時代の継続があり士族と平民は分かれていた。兵隊手帳にも士族と平民と記されていたのである。
自分の母親は九十九歳で大正生まれだけどその前となるとさらに貧乏になる。
だから製糸工場で女性が働くようになったとき月給ももらったのだからそれなり女性の収入も生まれたのだからその当時としては一つの進歩であり女性の地位の向上にもつながっていた。だから製糸工場に働く女性に対して反発があった。

戦後十年もこうした戦前からの生活の継続があった。それは江戸時代の継続でもあった。まず炭が燃料になっていたことがそうだった。あとはタンス一つとか飯台一つくらいしか家には物ののない時代だった。
でも不思議なのは醤油はあったし味噌汁もあったし塩引きは好物だった。
塩引きはそれほど贅沢ではなかった。日常的に食べていた。
ただ卵は贅沢であり食べていない、農家では鶏を飼っていたから食べていた。
だから自分の家で店をはじめたとき卵買いに行かされたのである。
明治以降の運搬は馬であり車などない、だからこそどこでも農家では馬を飼っていたのである。馬は農耕にも運搬にも欠かせないものとしてあったのだ。

それにしても大正時代はランプだったのか?ランプの明かりで粗末な家で暮らしていた。これも不思議である。
でもランプでも江戸時代にはなかった。江戸時代は蝋燭だったのである。ランプはそれより発達して文明の利器だったのである。
戦後十年も裸電球一つだったけど電気は通っていたのである。大正時代は電気もないということがあった。
電車も電気ではない、だから蒸気機関車だったのである。これも今からふりかえるは錯覚している。
汽車は死語になった。汽車は蒸気機関車のことだったからである。電車は電気で走るから電車なのである。
常に今と昔は何か錯覚してみる。それが江戸時代あたりになると余計にそうなる。
現代からは想像もできないから何か誤解して錯覚してみるようになるのである。

ホヤは一晩で煤けてしまい、日常の手入れは大変だったようです。普及するにつれて、明るい五分芯は部屋に、三分芯は台所で、厠へ行くときには豆ランプを持ってなどという使い分けもあったようですが、普通の家はランプは一つしかありませんでした。
町にはランプ商、ホヤ商、油商という商売が生まれました。特に油商は行商も多く、家々を廻って桝で量り売りをしていました。

ランプ屋が街にあった。種油とは菜種油とか椿油とかだろう。それを売り歩く人もいた

日本は今曲がり角に来ている。円安とかになり経済も変わる、物価が高くなったと思う。魚でも倍になっている。何でも二割くらい高く感じる。この物価高は貨幣の価値を低くする。貯金していても金の価値はかなり下がってゆく、だから老人が金をもっていてもその価値はかなり下がってしまったのである。
でも円高と違い円安は物の価値をあげる、日本で生産するものが安くなるから外国に売りやすくなる。日本は先進国から後進国へ逆戻りする。輸入するものが馬鹿高くなりバナナでも高くなるかもしれない、それは戦後十年でもそうだった。バナナは高級品で買えなかった。仙台に売っていたが自分の家では家族が病気になったとき仙台まで買いに行った。なんかそういう時代に逆戻りするかもしれない。
一方で地元で国内でとれるものは海外から入るものより買いやすくなることもある。
ただ野菜も高いし一般的に食料も高い、つまり貧乏人だと底辺だとさらに貧乏感が増すし金持ちでも株などに投資して上がらないと金をもっていてもその金の価値が半分とかに下がってくるようになる。
それがまだ実感しにくいが金の価値が下がってきているかことは確かである。

今まで百円で買っていたものが百五十円の感覚になるのも近い、円安とはそういうことである。
これまでの物価安は後進国が安い労働力で物を作りそれを輸入していたから安かった。
これからはむしろ自国で生産した方がいいとなる。海外で生産しても円安だと割安感がなくなるからである。
日本の農産物にとってはいいのかもしれない、何でも物が高くなり紙幣より金より物の価値が高くなるのである。
だからいくら老人が金をもっていてもその金は相当に目減りしている。
物の価値が高くなるとともに賃金も高くなるから労働する人の価値が高くなる。
金をもっているだけではその価値がなくなる。インフレになるとそうなる。
円安は金を持っている老人には不利である。若者にはいいのだろう。
ということはアベノミックスの狙いはあたったのかともなる。


ただ物価高でも賃金が上がらないと貧乏人にもこれは答える。
ともかくこれからは江戸時代のような質素倹約の時代になる、贅沢な消費社会は終わる。物の価値が高くなり贅沢できない、物を粗末にできない、なんとか工夫して料理でも工夫しけ安上がりにしないとやっていけなくなる。
それでも醤油や味噌すら使えない時代が大正まであったのだからふりかえればそれよりはずっと恵まれている。でも高度成長からバブルからそうした日本の繁栄の時代は終わったのである。だから高度成長時代にもどったりまたもう一度復活することはない
質素倹約でありそれはモラル的にはいい方向に向かうということがある。
ただこれまでの贅沢な消費から生活を落としてゆくことはかなり苦痛になる。
ただそういうことが否応なく強いられる。日本の成長贅沢の時代は終わったのである。
タグ:貧乏
posted by 老鶯 at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)