2014年12月01日

抽象画(冬紅葉の紋様)


抽象画(冬紅葉の紋様)

fuyumomifiiiisese.jpg

fuyummm12344.jpg

fuyummm123445566677888.jpg

fuyummm678.jpg
冬紅葉の造形

冬紅葉という画像検索するといろいろ優れた写真は一杯でている。
それを基にして加工してゆくと冬紅葉の抽象画ができてくる。
だから抽象画の素材は今ではいくらでもあるのだ。
もちろんこれが絵画となるのかどうかわからないが
そもそもピカソが絵ではない、キュービズムは醜悪で美がないという批判もある
ただ絵というのを写真でも単純化して紋様化するという手法がパソコンから生まれた。
ピカソの時代はパソコンがなかった。
だからピカソはパソコンの手法を先取りしたのである。
技術が生まれていないとき先取りした手法だった。

今はパソコンから抽象画が無限に作れるのである。
だから「冬紅葉」という写真がインターネット上にあときその加工もまた無数に生まれる可能性が出ているのである。
紋様はいくらでもパソコンで作れるからである。
ただ冬紅葉ということをイメージするのは極めて四季があり季語がある日本的な抽象画になる
外国ではまず冬紅葉かどういうものかイメージしにくいからである。
紅葉すら日本のような紅葉がないから文化は風土から生まれるから理解しにくいのである。
タグ:紅葉の紋様

抽象画(冬紅葉2)


抽象画(冬紅葉2)

fuyummm12344555_FotoSketcher111.jpg

minamisomaaa11134555.jpg

minamisomaaa111345556666.jpg

minamisomaaa111345556666777.jpg

minamisomaaa111345556666777888999.jpg

抽象画はいくらでもできる。これが冬紅葉なのかといえばそうなのかともなる。
他にも変化はいくらでもできるからそこが具象画とは違っている。
ただこれが冬紅葉だとして鑑賞するとやはりそうなのかと鑑賞できるかもしれない。
何も題がないとどうみていいのかわからない、そういうのが抽象画には多いからだ。
他の写真でも抽象画にすると別な見方ができる。
それは別に著作権違反にならない、なぜなら元の絵がわからなくなっているからである
具象画として類似性があるとそれは著作権違反になってしまうが抽象化するとわからなくなる。
紅葉だと何か普通になるが冬紅葉には味わい深いものがある。
その季語を想い抽象画を鑑賞すると違って見えるのである。
タグ:冬紅葉変化

2014年12月02日

冬の短歌十首(鹿島から相馬市の城跡へ)


冬の短歌十首(鹿島から相馬市の城跡へ)

mapsoma111.jpg

fuyutannka123.jpg

しばらくは栃窪遠し町に住み大石こそや冬に鎮まる
五本松冬の夕暮れここにしも常にしあれば心静まる
誰か知る鬼越館に北風のここに唸りて砦守りぬ
日立木の細道あわれ冬の日や町場橋をわたり帰りぬ
街道の松並木かな冬の陽の没りて淋しも人も絶えなむ
赤々とと冬の紅葉や城跡に夕日のさしてたずぬ人かな
城跡に落葉を踏みて夕暮れや城下の細道めぐり帰りぬ
一杯の茶を飲みなむや城跡の冬の紅葉の心にしみぬ
大町に冬の柳の長々としだれて暮れぬ相馬の城下
大野にそ古き碑ありぬ小川そい我が来たりて冬の日暮れぬ



北山八景

山上春霞 真柴たく煙も空にうち消えて長閑にかすむ山上の里

芦沼微雨 芦沼のあしの若葉に波越えて汀ぞひろき五月雨のころ (黒木田-岡本-成田)

高松寒月 高松の山風寒く暮るるより面影すごき冬の夜の月

小野晴雪 分けのぼる小野の細道風さえて雪に晴れたるあけぼのの空

中野 飛雪 寒けしなゆき来も絶えてふりしきる雪の中野の冬の夕風

この八景の短歌は優れている。真柴たく・・とか芦沼とか高松寒月とか冬の景色が身にしみる。
中野飛雪とあるけどこれは相馬市内であり城下町からつづいているところでもこんなに淋しい場所だったのである。
相馬市は街自体がさぼと変わらず城下町の風情が残っている。
ただ城も城らしいものがないし城下町と言ってもどこがそうなのかわからない。
ただ細い路地が多いのは城下町の区割りが残っているからである。

何回も道の駅から日立木の細道を通り町場橋をわたり松並木の街道を通り城跡につく道は一番昔を感じる道なのである。
だからこの道のことは何度も書いた。
鬼越館の鬼は北に面した所で名付けられた。確かに北風が吹きつける場所であり今の時期にふさわしい。ただあそこに館があったことを知っている人は地元でもまれだろう。
標識すらないし自分も上ったこともない。
五本松はいつもあるしあの松はあれは確かに五本あるから心に残りやすい。
この辺はあまりにも変わりすぎたから変わらないことに意味を見いだす。
なんか変わることが嫌になっているのだ。
老人になると変わらないものがいいのである。
元のままにあるというのがいいがそれが自然まで津浪などで変わり果ててしまったのである。
相馬市で黒木になっているが昔の大野村辺りは城下町につづいていた。でもやはり農村であり城下町といっても回りは農村であり田んぼが広がっていたから淋しいのである。
今は繁華になっているが江戸時代は本当に淋しい風景だった。
ただその情景は今でも同じように感じるから風景が全部なくなったわけではない。
情緒的には冬紅葉がなんともなく心にしみる。その色がまたなんともなくいいのである。今日は北風が吹いて寒くなって冬らしい。


陸前浜街道は明治以降に名付けられたもの

rikuzennn123.jpg

仙台藩では江戸浜街道。
中村藩では中村以北を仙台通、中村以南を水戸通。
磐城平藩では磐城平以北を相馬路、磐城平以南を水戸路。
水戸藩では水戸以北を磐城街道、水戸以南を水戸街道。

明治5年(1872年)4月29日に武蔵国の千住から陸前国岩沼までの太平洋岸の街道を今後「陸前浜街道」と呼ぶという通達が出されたことによる。結局、陸前浜街道の名が正式名称として用いられたのは明治18年(1885年)2月に国道に番号制度が導入されるまでのわずか13年間に過ぎなかったが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E5%89%8D%E6%B5%9C%E8%A1%97%E9%81%93

陸前浜街道という名がなじみがない、何かそぐわないと思っていたらそうだった。
中村藩では中村以北を仙台通、中村以南を水戸通
これは今に通じている。水戸は御三家だから水戸は基点になる。
東京から今でも六号線は水戸街道と呼ばれている。
つまり陸前浜街道という名称自体がそぐわないものだった。
浜街道はあっていても陸前となると何かわからなくなる。
陸中でも何かぴったりしない。陸奥となると青森になっていた。
陸前浜街道が伊達藩でもあまり利用しなかった。
だから相馬藩だけが磐城まで利用していた。
それでも相馬市の城跡から松並木が通って日立木を通り道の駅に出る所が街道の面影が残っているのである。


 
タグ:陸前浜街道

借金している人は犯罪の予備軍 (格差社会の貧困化などで社会の転換期が来ている)



借金している人は犯罪の予備軍

(格差社会の貧困化などで社会の転換期が来ている)



筧千佐子青酸カリ殺人容疑者の生い立ち

最初の夫が死亡した時は、経営していた印刷会社は資金繰りに苦しんでいたという。

江崎グリコ」の社長に「商品に毒を入れられたくなければ、金を払え」などと書いた脅迫状を送り、現金を脅し取ろうとしたとして、男が恐喝未遂の疑いで逮捕されました

久保容疑者宅の近所の30代男性は「約2年前までは高級外車を乗り回していたが、最近、国産の小さな車になった。生活ぶりが変わったのでお金に困っているのかなと思っていた」と話した。

大手菓子メーカー「江崎グリコ」に脅迫状を送りつけ、現金を脅し取ろうとしたとして逮捕された男は、「映画関係の仕事がうまくいかず、借金があった」などと新たに供述していることがわかりました。

国内の自殺者の原因第2位は借金苦です。


日本の自殺者は、年間3万人以上もいます。原因の第一位は病気によるものですが、第二位は借金が原因です。返済に行き詰まり自ら命を絶つ債務者が大勢いることが分かります。

そして借金は自殺ばかりでなく、世の中に事件を引き起こす“理由”になることもあります。
大阪市淀川区の住宅で1月、浜田誠容疑者(42)が500万円の借金を苦に妻子3人を殺害。容疑者宅には約2,000万円の預金があったことが殺害後に判明。妻の早智子さん(42)が「子どもの学費に」と浜田容疑者に内緒で蓄えていたといい、同容疑者も借金を妻に打ち明けていなかった。

夫が保証人になったことで夫婦仲が悪化。男児5歳を餓死させた事件

動物園の入場引換券を換金。偽造の疑いで逮捕。犯行理由は借金の返済

愛知県で家族4人の変死体。借金1億円が事件の背景に

監禁されたとウソの被害届、男を誤認逮捕。理由は、「サラ金の借金をチャラにしたかった

連続殺人の容疑者、「60万円」の返済が犯行動機



身近に借金から犯罪でもなくても一家離散とかなっている人は実に多い。サラ金の過酷な取り立てが一時社会問題になった。今もその問題は継続している。
実際に自分の異父の兄も借金が原因で離婚とかなりサラ金に追われて交通事故で40歳で死んだ。もともと借金が原因となり悲惨な結果になった。
なぜサラ金から借りるようになったのかわからない、静岡とか離れていたので事情がわからなくなっていた。
借金は自分はしていないくても回りに甚大な迷惑をかける。親族だと特にそうなる。
親族でなくてもやはり借金は回りに迷惑をかける。
その人の事情はわからなかった。ずっと事業が成功していると思っていた。
みんな回りでもそう思っていたのである。それは誰もとれないむずかしい資格をもっていたからそう思っていた。
だから家族も知らなかったのである。田た借金している人の共通していることは必ず嘘をついている。金がないなど言わないであるとか言っている。
金がないと知れると事業もやたにくくなるから理由はいろいろある。
その人は見栄で借金していたし無理していた。やはり嘘をついていたのである。
ともかく人間は何か悪い方に落ちると嘘をつくようになる。
失敗していても成功しているように装って嘘をつく、嘘は泥棒の始まりというのもわかる

突然の病気になり自分が頼ったのが最悪の人だった。一人は凶悪犯罪者でありもう一人借金で首が回らなくなっていた借金していた人だった。
こんな人に頼っていたのだからどうにもならない、病気になったとたんにその弱みにつけこまれ大金を失った。火事場泥棒にあったのだ。
もう一人は借金で首か回らなくなっていたのだから人を助けるところではない。
これ幸いと借金を請求して簡単に断れないから怖かった。
入院しているときも借金を頼んでくるから怖い。
こいつは死んでもいい、金をとれればいいとまでなっている。
借金した人はもう人のことなどどうでもいい、非情になり殺人するまでに追い詰められているのだ。

筧千佐子青酸カリ殺人容疑者の生い立ちも印刷業がうまくいかなくなり資金くりで苦しんでいたとかやはり借金が原因であんな連続殺人犯人の容疑者になった。
事業の失敗から人生の歯車か狂う人などいくらでもいる。自分の母の実家も事業に失敗して一家離散になった。
グリコの脅迫事件もやはり事業がうまくいかなくなり借金して犯罪者になった。
一時は派手な暮らしをしていた。そういうことも似通っている。
一時は金の入りもよいがある時失敗して借金してどうにもなくなる。
このようなことは社会ではありふれたことでありどこかで毎日起こっていることなのてある。ただ様々な事件でも自分のみにふりかからないかぎり人間は無関心なのである。
津浪だって近くで家族が何人も一度に失うようなことがあっても何か切実に被害に会わない人は感じないのである。
自分が被害にあえば事件の被害者になればその傷は深く忘れられないものとなるのだ。
自分が借金しなくても犯罪者でなくても犯罪の犠牲になる人はいくらでもいるのだ。

推理小説でも犯罪の動機が借金になっていることが実に多い。金絡みの犯罪が一番多いのだが借金が大きな動機となる。だから警察ではまず借金のことを調べるのである。
借金していることはすでに大きな明確な動機を持つことになるからである。
金があればこんなことはないと思う人は金に執着する。
もちろん今の時代は金に執着しない人はいない。
ただすべての人が借金している訳ではない、だからそもそも借金して無理な生活していること自体に問題がある。贅沢するために見栄のために借金しているのである。
そんなこと他人であれば勝手だとなるがそれですまされない、誰かにそのとばっちりか必ずゆく。親族だったら逃れられないから怖いのである。

殺されるということも小説だけではない現実に常に起きている。
保険金殺人などでもそうである。
そもそもサラ金でもどんな事情で借りるのかわからないのに金を貸している。
ギャンブルで遊んで借金している人も関係なく貸している。
それまた社会問題なのである。親族だって親だって簡単に子供にも金を貸さない、うるさくその理由を問いただすから簡単に借りられないのである。
借金でも事情を聞いて本当に困った人なら貸すということもありうる、その時はあえて厳しいとりたてもしうないということも親族だったらありうるだろう。
もう死ぬほかないと泣きつかれたら親は金を出してしまうことも普通にある。

現代はサラ金など消費者金融から借りている人は8人に一人いるということはいかに無理した生活をしているかということである。
そして格差社会になり日本人が貧民化しつつある。
一方で昔のように何もものがない、買うものがないという社会ではない、いくらでも欲しいものがあるのだが買えないということが飢餓感を強くしているということもある。
つまり人間はなければないとしてあきらめる、一旦贅沢を覚えると借金しても贅沢をするようになるのである。それが借金している人が多い理由なのである。
そういう無理した生活が限界に来ている、アベノミックスはただ金融で景気を一時良くしているだけでありアメリカのようにシェールガスとかで景気が良くなっているのとも違うから限界がある。

ただ物が作っても売れない売れないということが昔の貧乏とは違う、買うべきものがいくらでもある。でも買う金がない、買うだけの金が稼げない、トヨタの期間工でも派遣でも働いてもトヨタの車を若者が買えないという矛盾がある。
ではなぜ金が回らないのか?賃金が上がらないのかとなる。
いくら商品を作っても売れない、それはある程度物が電化製品でも車でも飽和状態になっていることもある。みんなもっているから買わないということもある。
家となると高すぎるから買わないともなる。
物を買わない原因は必ずしも金がないからではなく家を買いたくても高すぎるとかがあり他のものはそれなりにもっているから買わないとなる。
老人は金をもっていても使わないというとき、使うべきものがないこともある。
病気と介護のためにそなえておくとかに超高齢化社会ではなりやすいからである。
その金をねらわれたのが青酸カリで殺された老人である。

ではそんな事件でも他人事だとなり面白がっているのが普通である。
ところが自分の場合はそれとにた恐怖の経験をしているから他人事ではない
老人は特に身寄りのない子供のいない老人は本当に恐怖である。
青酸カリで後妻となり夫を殺した容疑者は子供がいなくて財産ある人を狙っていたのである。こういうことは高齢化社会で頻繁に起きてくることか予感される。
そういう老人が増えてくるからである。

金をもっていれば江戸時代でも平安時代でも強盗に襲われたり殺されることもある。
それが人間社会だから変わらないにしても現代は犯罪が飛躍的に増えてくるか可能性が大きくなっているのだ。
贅沢や見栄による借金の貧困にしろ派遣などの非正規労働で稼げない人の貧困であれ
貧困社会化してゆく、だから社会自体を根本的に見直す時が来ているのかもしれない
つまりこういう生活をもうつづけることができない、やがては社会の破綻に向かってゆく、それがどういうふうな結末になるかわからないにしろそういう危機であり転換期に来ている。
タグ:借金
posted by 老鶯 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2014年12月03日

冬紅葉 (写真俳句で写生俳句の追求がしやすくなった)



冬紅葉


(写真俳句で写生俳句の追求がしやすくなった)

fuyummmm123.jpg

風唸り硝子に写る冬紅葉

寒木の十本ほどやともに立つ

その跡の埋もれけるかな鬼越館北風唸り名のみ残りぬ


写俳という言葉が生まれたように写真と俳句は一体化した。
写生は写真と最も相性が良かったからである。
ありのままを写すのが写真だからである。
玄関の楓の木は今年は秋の紅葉がなく冬紅葉になっていた。
季節的に今年は秋の紅葉ではなく冬紅葉になっていたのが多いかもしれない。
写生というとき言葉だけだとなかなかイメージできないことがある。
言葉では俳句は短いから現すのがむずかしくなっている。
この写真を見ればわかりやすい、イメージしやすい。
イメージしやすくなってまずい場合もあるがとても俳句は短くて現しきれない

この写真は玄関でありその玄関の曇り硝子に冬紅葉が写っている、そして今日は北風がうなっている。これだけを俳句では現せない、写真からでもここが玄関だと言わないとわからないことがある。
ともかくデジタルカメラになって一般の人も写真に興味をもつようになった人は多いだろう。
写真の魅力は大きい、写真はそもそも才能とありま関係ないからだ。
だから一般向きの趣味になりうる。
これがデジタルカメラでなかったら一般の人は金もかかるし写真の魅力を知らずに終わっていた。
俳句は写生の中に深いものを見いだす芸術なのは間違いない
ただそれを鑑賞するとなるとむずかしい、でも写真と俳句が一体となったとき
わかりやすくなる、鑑賞しやすくなるのである。

今日は北風が一日唸り冬らしくなった。
何か自分はここ七年間は家事とか介護とかに追われている。
今日は母が施設から帰ってきたからまた忙しくなる。
窓から蔦が入ってきたので直したり水道の蛇口が壊れたので新しいのと取り替えたとか
何か次々に仕事が生まれている。家は築40年で老朽化しているためもある。
地震で壊れたところもまだ直していない

ただ毎日自分で家の中をかたずけて自分好みの家にすることをつづけている
今ままでは間借りしていたと同じだが今度は自分なりの家にする
ある程度は手作りでてきる。
手作りの方が使いやすくなることがある。
本棚とか書斎とかは作られたものを買うより自分の使いやすいように作れるといい
本はかさばるからたてて並べるのではなく重ねたりするのも手である。
本は何か整理しにくい、でも本も中味があるからある程度そろえていないとものは書けない、本は今や全部読むのではなく要点だけ読むのである。

ともかく一軒の家をその物理的なものとして維持するのとまた精神的なものとしても維持するのが苦労なことを知った。家は修繕も必要だしまた家には犯罪者も侵入するとか城だと思った。城が敵にのっとられるように家も油断しているとのっとられてしまう恐怖を味わった。この家は気丈夫な姉がいて守っていたかそれが認知症になり死んで総崩れになり自分が引き継いだのである。
日立木にある鬼越館というのでも中世には多くの館がありそこが城だった。
その館も常に他者から攻められる恐怖があった。
守ることが容易ではなかった。それと同じように家も守ることか容易でないのだ。
弱さを見せると敵が入りこんでのっとられる恐怖である。
だから家には槍や刀を備えて守るくらいの気概ないとのっとられる。
田舎も安心できない時代となった。困窮している人かいればやはり田舎でも危険になる。自分はあまりにも人間の悪い面を知らずにいた。
30年くらい人と交わらずに生活していたからである。

タグ:写生俳句

2014年12月05日

すべての富は呪われている (あらゆる文明は故に呪われているー原発事故もそうだった)



すべての富は呪われている


(あらゆる文明は故に呪われているー原発事故もそうだった)




日本有数の高原レタスの産地として知られる長野県川上村。平均年収が2500万円にものぼるとされ、
 「成功農家」のモデルともてはやされるが、一方で外国人技能実習生らに過酷な労働を課している、「ブラック農家」との評判もある。


 タイの食品会社なんてミャンマーの難民を奴隷として買い取って漁をさせて働けなくなったら魚のエサにしてるらしいから
 それに比べりゃ何百倍もましだな
 エビが安いのはミャンマー人奴隷のおかげらしい
 

 
 人間の歴史をふりかえるといろいろ見方があっても明らかに富を求めて豊かになるために文明を作り出した。人間を言葉をもつものとか道具を作るものとかいろいろ定義がある道具というものに焦点をあてれば縄文人の石の斧でも便利でもそれが人間を殺す道具にもなったかy便利でも呪いとなった。しかし明らかに道具は文明の基であり文明を発達させたのである。文明は道具を作り発展させるものだということもあった。
機械文明になったのはまさにそうである。
 ただ必ず石の斧で戦争に殺戮に使われたように道具の発達は戦争に使われ大量殺戮にもなった。その象徴が原爆の大量殺戮だった。
人間にとって道具は便利でもその道具には呪いがあり災いを生むのである。
技(わざ)は災いに通じている。
だから鉄が発見されたとき一時鉄の制限をしようとしたことがローマ帝国であった。
石から鉄になったときその殺戮力は飛躍的に増大したからだ。
鉄が文明の基になったことは東西文明で同じである。

最近いろいろネットを検索して関心のあるテーマを探る。
富が集中しているところに争いが起きている。例えば石油が出る中東は争いの場所になっていることでうなづく。また個人的にも富が過度に集中するところに争いが生まれる。
格差社会になると貧民化すると金持ちは相当に危険になる。
飢饉のときのように米をもっているだけで打ち壊しとか一揆のようなものが暴動が起きてくるかもしれない。
殺人の半分は家族や親族で起きているというのも遺産争いの結果である。
わずかの遺産でも今は争っているのはやはり貧困化しているからだろう。
貧困化すればわずかの遺産でも欲しいとなるからだ。

富が呪いになるというときそれはすでに貨幣が生まれたときから起きていたのである。貨幣がなぜ呪いとなるのか、それは貨幣は人間の欲望が集中するものだからである。
それですでに貨幣が発明された紀元前七世紀頃のギリシャで今と同じ嘆きの言葉が発していたのである。

人は金なりということわざは前七世紀から口にされていたという
「富には限りがない」ソロンの伝えているのも貨幣がすでに富の象徴となったのもそのためである。貨幣は無限の富を追求するものとものとなっていたのである。

貨幣は今と同じく富の象徴となっていたからである。貨幣により人間のあらゆる欲望がかなえられるとまですでになっていたから貨幣には呪いがずっとつきまとっている。
でも便利だから道具と同じように貨幣をなくすことを人類はできなかったのである。
富には呪いがあるというとき、インカ帝国では黄金の国とされその黄金を欲しくてスペインから侵略してきたのは実際は強盗団だったのである。
そして莫大な黄金をさしだして命乞いしたがインカの王は殺されたのである。
つまり黄金という富故に無惨に殺されたのである。
それは別に個々人でも常に事件として起きている。
家政婦を二人雇っていた不動産会社の社長が強盗に殺された。
家政婦は無事だったが社長は殺されたのである。
自分の東京の遠い親戚の人と縁を切った。
それは金を延々と要求されるから切りないから縁を切った。
一回では終わらない、そもそもその人は困窮する生活から脱するこもできないからであるそうして延々と金を要求する、ゆすりたかりともなるから怖くなり縁を切ったのであ。
こういうことは普通にある。縁をきりたいという人はいくらでもいる。
要求する人の欲望がきりがないからそうなるのである。

そもそも富がどこから生まれたのかを知るとその富そのものが呪われているとういことがあった。なぜアメリカがあれだけの富を生み出したのか?今もアメリカは景気がいい、しかしその富も南米から石油を搾取しているとかその富を独占するために私兵を派遣して政府を操作して庶民には富が回らないとかなるとアメリカの富もそこには他者の犠牲の上にもたらされている。
長野県のレタス農家でも中国人を奴隷のように使っているというこが明らかにされた。
するとそれも外国人の犠牲の上に富を得ているとなるのだ。
それよりグローバル化しているとき世界の富はアメリカに集まり日本もその世界支配に加担して富を得ているとなる。
第一自分にしてもアメリカが景気がいいからアメリカに投資しているというのもそうである。貧乏な国は投資すらできないだろうし金を得られないのである。
ローマ帝国でも奴隷がいて奴隷の上に富が築かれてそれで矛盾して繁栄は失われた。
富に呪いがあるというときそうした他者の犠牲の上にあるからそうなる。

ともかく文明に呪いがあるというとき便利な道具を発明して大規模に自然を破壊したのである。稲作文明は縄文時代からすると格段に生産量をあげて人口を増やした。
それは鉄器により道具と深く関係していた。
稲は鋳成りであり鉄のことだったことでもわかる。
弥生時代になったとき大規模な国家が生まれたというのもそれだけの富が作られたからである。
そして道具だけではない、人間の文明は稲作文明でも必ず災いを生む争いを生むのであるその争いも大規模になるのだ。弥生時代になり各地に小国家が生まれ争いになった。
不思議なのは初期の採集狩猟時代は争いがなかった。
なぜなら天候の異変であり何か争いでも生じれば移動していたからである。それだけ移動してもまた別な豊かな土地で暮らすことができたのである。

そして土地に執着しないから農民のように定着して富を貯えないから奪われることもなかった。富は何であれ貯えると奪われる可能性がでてくる。
モンゴルの遊牧民か中国の農民を襲ったのはそのためである。それで万里の長城が作られたことでもわかる。農民が貯えた富を守るためにあの長城が作られたのである。
今でも石油資源であれ必ず争いが起きている。
稲作文明が平和のように見えるがこれも一大文明でありだから富をめぐる争いとなる。
水争いが起きるのもそのためである。稲作にとって水が石油と同じ資源であり水が回らないと米は作れないからそうなる。
水自体が罪を争いを作り出すものでなくても人間が稲作文明でも生み出すと争いになり水は血に染まるのである。
文明そのものが呪いがあり平和を生み出すものでいなということがあった。
原発事故周辺の災いもまさに電気文明の原子力文明の結果として富を求めて惨たんたるものになったのである。

いづれにしろ文明そのものに呪いがありいくら改善しようとしてもできない、すでに文明は崩壊して滅びる運命にあるのだ。文明を改善すれば進歩すればそうはならないというけど結局同じである。文明を改善進歩してもまた新たな技(わざ)わいが生まれる運命にあるのだ。結局人間の欲望には限りないし欲望とともに文明があるから何をしても無力になる天からさずから神からさずかるマナのような食料でないと平和ありえないとなる。
原発も文明の進歩の結果にしても技わいとなった。原発に人間の欲望の象徴だったのである。それは基本的には人間の業とも言える文明を作るからそうなった。
だから老子は道具まで否定する思想を2千年前に説いた。
それは今日を予言したのものだった。原発でもその予言通りになったのである。

人間が作り出す富には何か必ず呪いがあるということである。
でも富を人間はあくことなく求めるからとめることはできない。
誰もパンを食えないような生活など求めないのである。
ただ原発事故にあって故郷にも住めなくなって蝋燭でも家族とともに暮らしたいとか言う人がでてきた。
そのことはやはり文明を停止させるものであり災いを生まない世界を真剣に求めさせることにもなったのである。
でも文明を停止したりはもうできない、電気かなくて暮らせるのか、車がなくて暮らせるのか、・・・・・お前は江戸時代に帰れとかなる。

要するにいいたいことは過度な富を求めることには危険があった。原発を生み出したのもそうした過度の富を無理して生み出そうとしたからである。
欲望を無制限に追求せずに欲望を制限することが平和な生活に通じている。
だからあくことなく富を欲望を求める資本主義は災いとなり世界的に災いとなり崩壊してゆくようになる。世界からの富の収奪が資本主義だとも言われるからである。

石でも道具となるとき人を殺す道具となる
故に石の道具の文明は呪われている
稲作文明は水が命だから
水争いがあり水が呪いともなる
入会権で木材の収奪戦ともなる
黄金だけではない
石炭も石油も人命を奪う
原発事故で人は故郷に住めなくなった
いかなる文明も呪いがあり
歯止めなき欲望の追求は呪いとなる
遺産争いは家族も引き裂き血にぬられる
富を求める欲望の争いは尽きることがない
それゆえにハルマゲドンの最終戦争で人類は終わる
その予言はいづれ現実化する

posted by 老鶯 at 01:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年12月06日

巨大会社化グローバル化経済や金融操作社会の悪 (江戸時代を見直して現代を考える)




巨大会社化グローバル化経済や金融操作社会の悪


(江戸時代を見直して現代を考える)


●社会は継続して築かれている

社会というのは今を見ているだけではわからない、なぜなら今は過去から生まれてきているし過去から連続してできてきたものである。どんな革命でも過去を一掃することはできない。社会は積み重ねでできているのだから過去を無視すると社会の平安は保たれない。例えばその土地の有力者が金持ちがいたとするとそれは地域の富を一人じめした悪者だとなるとその富を奪ってもいいとなる。
そういう家もあっても富を生み出すにはそれなりのその土地の理由があって富者になっている。
それを何でも平等の原理で平等であらねばならないのだからその富を奪ってもいいとなったときどうなるのか?その家が富んだ理由はそれなりにあり積み重ねが必ずある。
それを否定することは積み重ねで富を築いたその土地の歴史を無視することに通じる。

必ず草分けが百姓がありそこに人が会社のようになっていて集まり村が作られていた。
中世の館はそういう土地の中心として要としてあった。
だからその家が富んでいることは回りも富むようになるものがあった。
その家だけが富むということはありえないのである。
それぞれで富む家があれば回りもその富にあづかることがありうる
特に江戸時代などはその土地で生産したもので生活していればある家が富むのはその土地に由来しているからその家だけが富者となることはない
だからそうして富者になった家を不平等であるから奪えばいいとは回りでも必ずしもなっていなかったろう。
現代の富者はまた別になったから不平等感が強くなっているのである。

日本では江戸時代が鎖国であれ300年間もありその間に戦争が国内で起きていない、これも世界史からみればまれなことだった。そして鎖国だから他国に頼らない自給自足であり国自体もそうだが村自体も自給自足社会だったというのが理解できなくなっているのだ。どうしてそんな小さな村で経済が成り立っていたのか理解できなくなっている。
なぜならグローバル化したとき世界から物が入ってきて成り立っているからなぜそんな村のような社会で人間生活が成り立つのだろうかと理解できなくなったのである。
自分も毎日買い物であり通販でも毎日のように買っている生活になった。
こんなに物を買うのだから金がかかる生活なのである。
だから誰でも金金金が欲しいという生活になっている。
江戸時代からすれば百倍ものものを買う生活になっているだろう。
江戸時代はほとんど買うということは限られていて農家では納豆まで作っていた。
農家自体が一軒で自給自足的な生活をしていたのである。

●自給自足経済の江戸時代を見直す

ただ江戸時代のことは歴史でも明治維新以来急速に忘れ去られたということがある。
その一番いい例が身近にどうして小さな狭い村で自給自足できたのかということが理解できなくなったことにある。
その時はすべて燃料でも薪であり炭であり電気も使っていない、ほとんど自給自足であり外から買うことは極限られたものしかなかった。
だからその時代と比べると今の社会は何なのだろうととなる。
ただそれだからこそ極端な貧乏ということもあったし医者にかかれず早死にであり悲惨なものがあった。その暗黒面も大きいから江戸時代やヨーロッパの中世でもあ暗黒時代だったとされるのでてある。
この辺でも醤油を使うのは正月用だったと明治生まれの人が書いている。

小作の生活は悲惨であった。そうした生活からすると誰もそんな時代にもどりたいとは思わないことは確かである。醤油なんか捨てるくらいあるし塩分が多いから使わないようにしている時代である。だからその差も大すぎるから昔が理解できなくなる。
つまり明治維新後に醤油も使っていないとなると江戸時代は醤油を使っていないとなる。そんな生活があったのかとなりそんな暗黒時代にもどりたくないなとるのもわかるのである。
一方で江戸時代や中世でも見直されるのは現代のグローバル化社会と対比したとき、その矛盾が見えてくる。
現代は人間的社会から全く逸脱した非情化した社会になったとなる。
江戸時代の継続として戦後十年もあったのだ。なぜなら燃料は炭であり薪であり自給自足だったからである。それが急速に高度成長化したときグローバル経済化したとき
過去のものとなり理解できなくなったのである。
要するに確かに未曾有の豊かさに現代は生きている、でもまた失ったものも精神的には大きかったのである。
それを象徴していたのがこの辺の原発事故の災禍だった。まず故郷に住めなくなるなど想像もできなかった。それこそ最大の災禍である。故郷に住めなくなるなどかつてあったのかとなる。その範囲も広いから考えられないことだった。
現代文明の矛盾が自分の住んでいる所に極端化して現実となったのである。

●巨大会社が国家のように支配する社会

nnnnnnnnnn11.jpg

原発事故が起きた原因はいろいす語られる。それはすでに文明の災禍でありその矛盾が集中してこの辺に現実化したのである。
東電という会社があれほど巨大なものとは知らなかった。そもそも地方で生活している人は大きな会社のことを知らないだろう。社会自体どう動いているのかも見えないしわからない、だからかえって巨大会社でも国家でも大衆を操作しやすくなっているのだ。
それはあからさまな圧政ではない、何か国民に支持ささてやっているのだという感覚になる。巨大会社や国家に操作されているのではない、国民の支持の上に行っているという感覚にされているくのである。
でも実際は巨大会社が社会を支配しているのでありそれが現代の特徴でありだからこそロスチャイルトとかロックフェラーがアメリカを支配していると言われる。
国家を操作しているのはアメリカで日本でも巨大会社になっている。
今や小さな村社会に人は属しているではない、ほとんどなにがしかの会社に属している。だから昔は社に介する社会だったが今は会社員になったのである。その差も大きすぎるのである。巨大会社が何かということも東電でもそうだったが理解できないものなのである


会社とはそもそも自らの引き起こす結果に責任をうまく逃れるために作られたものである重役や社長はたとえ自分の過失で損害を出しても会社がかけた保険で守られているため
個人的に賠償する必要はない、会社の違法行為も罰せられない、個人的には死刑になるようなことでも会社が犯した場合には痛くもかゆくもない、罰する法律もない・・」
(グローバル経済という怪物ーデビットコーテン)

東電の会長であり社長はそうである、海外の支店で優雅な生活をしているという。何らこれだけの災厄をもたらしたのに罪は問われないのである。法律でそもそも会社は罰せられないのである。これもおかしなことであり会社だったら何でもしてもいいとさえなる。
会社が最大の権力者であり検察すら無視できるから国家よりも上だとなる。
小さな会社の事業で失敗したら自殺している人が多いけどこれだけ巨大会社になると誰も罰せられないし東電で何か深刻に今回の原発事故を反省する人もいないのも不思議なのである。
これだけの甚大な被害を与えても何ら罰することもできない、そして百円盗んでも刑務所に入れられるのである。かえって億の金を盗むような人は罰せられないようにいまのし会はなっているのだ。だから庶民は働くのも馬鹿らしくなるのである。

金融でもそうであり何ら実質的に富をもたらさないものが数字のやりとりで巨万の富を得ているのもそうである。そういう恩恵に株をもっている人はあづかっている。
自分もそういう社会にとりこまれているから矛盾している。
ただこの本では株が上がろうが実際は今や経済が良くなるのではない、ただ数字上でそうなっているのであり別に富は増大していないという。
だからアベノミックスもそうした金融のトリックに過ぎないのである。何ら実質の経済が良くなっていないのである。

●金融の操作では何ら実質的な価値も富も作り出せない

現代における開発とは貨幣経済にしかありえない生活をしている人々ー会社重役、マーケティング業者、弁護士、投資家、会計士、投資ブローカーなどであり彼らは金をあつかう人々であり本質的に価値あるものは何一つ生産していないが多額の報酬を得ている。
(グローバル経済という怪物ーデビットコーテン)

何ら価値すら生み出していない人々が巨額の富を得ている。ただでは東電などはどうかとなると電力を作っているのだからこれらの人たちとは違うともなる。
ビルゲイツとかバソコンを発明した人なども根本的に違っている。
ただ金を右から左に移して金融の操作でもうけている人たちのことである。
ただマネーゲームでもうけているにすぎない、アベノミックスも実はマネーゲームの延長の政策でありただ日本銀行が紙幣をばらまいても景気などよくならないのである。
紙幣をすって景気がよくならとしたらこれほど楽なことはないからである。

そもそも江戸時代の方が働くことが金のためだけではなかった。職人気質が形成されたのはただいいものを作るということに熱心であり自分だけの作品を作ることに励んでいたから職人は芸術家でもあった。ひたすら仕事に打ち込むことであり金のためではなかった。だから実際は多様なものが作り出されていた。下駄でも何でも作った人の名前が残っていたりする。その人だけが作れるものをその土地だけから作れるものがあり多様な社会であり文化的には豊かだったのである。貧乏などの暗黒面を語ればまたきりがなくなるが良い面を語ればまた今にはない職人の幸福があったのである。
江戸時代というのは何か否定的な面ばかり語られる。江戸時代300年は何であったのか?それを見直して現代を考える作業が必要になっている。

なぜならなぜ原発事故のような災禍がありこれから社会をどうするのかというとき江戸時代が参考になるからである。
現代の物を買っては捨てることや消費文明を見直すことに通じている。
ただそれだからといって江戸時代に貧乏にもどれとはらない。
結局歴史は全く同じような過去に戻ることはない、フィードバックして螺旋状に進む。
直線的には進まないのである。一旦過去をふりかえりもどったり停止したりして進んでゆくのである。だから江戸時代を見直すにしても同じ社会には戻らないのである。


これは「グローバル化という怪物」という本の要点
http://www.ne.jp/asahi/manazasi/ichi/keizai/globaleco.htm

虞美人草から地方の産物を読む
http://www.musubu.jp/jijimondai13.htm#gu

ここに自分が書いたように多様な産物が江戸時代にはあった。
その価値は大きいが忘れられたのである。
posted by 老鶯 at 20:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年12月07日

寒さしみいる石


寒さしみいる石


城の跡六万石や落葉かな
六万石城跡たずぬ冬紅葉
板塀や城下の細道冬紅葉
石の庭池に写せる冬紅葉
風吹かれ残菊あわれ夕暮れぬ

しんしんと石に寒さのしみいりぬここを動かずともにしあらむ

今日は寒い、外にも出歩きたくない、今まであたたかったから寒く感じる。北海道とか雪国だと外に出れなくなるだろう。ただ車もっていると中があたたかいから出歩ける
自転車だと寒いから外に出たくない、今日本当に出たくない
桂離宮の庭の池に冬紅葉が写っている写真が出ていた。
石と冬紅葉があっている。
自分のテーマは石なのである。
人間は自然でも認識するとき、なんでもそうだが人間化しているのである。


しんしんと石が冷えるというとき人間化している
石も人間と見ているのである。
石は動かず寒さに耐えているとかなる。石に気持がなくても人間が見るときそうなる。
だから不思議なのは飯館村とか人か住まなくなった村というのはどうなるのか?
あそこにも牛の背のような石がありあの石は見物である。
飯館村は牛と石の村でもあった。
でも人が住まなくなるとそこに人間がいなくなると石もただ自然の中の石になってしまうのか?
人間の思い入れがない石となってしまうのか?
みんな散り散りになってしったからである。

現代は昔のような村と違って人間の生活はグローバル化していると村で暮らすようなつながりが消失した。金の力が増大した。金さえあれば近くの人に頼る必要はない、生活するものが買えばいいとなる。
だから仮設に住んでいる小高の人でも何ら協力関係が生まれていない
金さえあれば別に助けてもらう必要もないからである。
かえって補償金が多くもらっていいなとかなるだけで関係ないのである。
「金にめんどうみてもらえ」と遠い親戚の人とと縁を切れたけど極端化するとそうなってしまう。


だから原発避難民はこれからそういわれるかもしれない、補償金をたんまりもらったんだからそれでやればいいと言われる、そしてもらわない人は俺たちはもらってもわずかだしもらえなかったんだからなとなる。
最初は絆とか言われたけどかえって広域社会化した世界は金の方が大事になる。
だから人と人は助け合わないのである。
それは別に原発事故があったからではなく前からそういう社会になっていたのである。
だから故郷でも市町村でもつながりがなく解体しやすいということがあったのだ。

相馬藩で飢饉のとき飯館村に小高であれ相馬藩内で援助していた。それも相馬藩だからであゃた伊達藩からなどは援助がない社会だからそうなった。
それも問題だが相馬藩内では助け合った。逆に今は外から来た人が働き助けている。
内部ではかえって助け合わないという矛盾も生まれているのだ。

 
タグ:寒さ

2014年12月08日

言葉は文化でありその背景に歴史と風土がある (尊敬語は今では相手を気づかう言葉に変化している)


言葉は文化でありその背景に歴史と風土がある

(尊敬語は今では相手を気づかう言葉に変化している)

近代以前は平安時代の京都の貴族語に基づく文語体が標準的な書記言語として広く通用し、口頭言語についても、江戸言葉が成熟する江戸時代後期までは京言葉が中央語であり、京都を中心に新語が日本各地に伝播していったとされる

日本語は複雑である。尊敬語とか謙譲語とか丁寧語があるというときこれも複雑である。尊敬語と丁寧語は普通に今も使われている。ただ謙譲語は使わなくなっているだろう。
その区別がむずかしいしめんどうである。
こういう言葉使いはそもそも意識してできるものではない
言葉使いは無意識的にしているのである。
そもそも尊敬語とか謙譲語はどうして生まれたのかといえば宮廷内で生まれた。
そこには上下関係があり敬うことが日常的にされていたから尊敬語が生まれた。
上の人にへつらうということも尊敬語にはあり反面本当に敬うということも言葉にある。言葉は同じ言葉でも言い方でも何か違ったように反応する。
言葉は数学と違って記号ではない、人の感情が入るからそうなる。
だから標準語にしたとき、何か味気ないものになった。何か記号を読んでいる感じになる方言には感情が入りやすいが標準語はまさに全国標準で伝えてわかるために明治維新後に普及させた。今では共通語としている。

言葉が京言葉が中心だというとき文語体の言葉が敬語が沖縄とか青森に残っているのもそうである。かえってそうした辺境に古い言葉が残っている。何か言葉の化石のようにも思える。沖縄は別な言語のように見えても京言葉があるように京都中心に広がった言葉であるから言葉的には日本文化を受け継いでいる。古代から京言葉が中心であり標準語だったとなる。方言と思えるものもたいがい京言葉を標準語として変化したものなのである。
それから武家の言葉と庶民の言葉が違っていた。武家の言葉がやがてまた庶民の言葉になった。江戸時代は地方でも武家と庶民は違った言葉使いをしていた。の言葉使いから階級かわかり身分がわかるようになっていた。言葉さらに職人言葉とかもありその仲間うちでも独特の言葉が生まれた。そういう特殊な言葉がマタギ言葉として残っている。
要するに江戸時代までは言葉すら多様であったということはそれだけ地方でも一地域でもそれぞれ独自の生活があったからそうなった。
もの作りにしても実際は地域地域でも同じ地域でも違ったものを生産していたのである。飯館村の凍み大根がうまいというとき飯館村は高原地帯で寒いからいいものができた。
凍み大根は寒ければ寒いほどいいものができるからである。つまりそうした地域地域にあったものが生産された。福島の桃がうまいのはあそこは夏は特別暑いからうまいものができる。

言葉というのはボリネシアとかでは百種類の言葉があるとか島ごとに言葉が違っているとかそういうのが普通だったのである。それは互いに交流が不便でできないということが影響していた。だから日本でも江戸時代まではそうであり明治維新後に標準語を必要としたのである。でもその結果として一様化画一化した。つまり文化は多様性であり画一化しにくいから文化なのである。みんな同じになったら文化ではない、現代文明は大量生産でものも世界規格で同じにして普及した。工業製品はそうすることが便利だからそうなる。
ただ文化となると言葉でわかるように画一化しにくいのである。
言葉は深くその土地に根ざして生まれてきているからである。
英語にしろというときそれはグローバル化社会ではその方が便利だからそうなる。
でも英語にしてもイギリス英語でもそもそもクェーンズイングリッシュがあり庶民の英語とは違っていた。それは日本の敬語が宮廷から生まれたのとにている。
アメリカ英語はそもそもイギリスに発した英語とは違っているという。
その相違をわかる人は相当に英語に通じている人である。

なぜイギリス英語とアメリカ英語が違ってきたのか?
それはアメリカに移住した人たちが長年その土地で使っていたら同じ英語でも違ったものになっていった。
アメリカの歴史は西部開拓とかで培われたものが根底にある。
西部というとグランドキャニオンとか見ればわかる。あそこはまるでどこか別の惑星とすら感じる光景なのである。
そういうアメリカの広大な世界で培われるものはイギリスのような狭い島国で培われるものとはあまりにも違っていたのである。
ただ不思議に西部開拓時代は日本の江戸時代ともにていたという不思議がある。
なぜなら農民であれ職人であれそうした働く人達が主役となった世界だからである。
それを詩にしたのがホイットマンの詩だったのである。

そこには日本の貴族も侍もいない、イギリスの貴族もいない世界でありその国を作るのは農民の開拓者と職人など手職をもった人達である。その時機械も発達していないから余計にそうなったのである。だからあれほど働く人達が賛美されたのである。
その人達はほとんど肉体労働者が多かったのである。
その人たち貴族などいないみんな平民だから平民の言葉となった。
アメリカ英語がイギリス英語と違っているというとき言葉はただ観念ではなく現実の生活が反映されて作られていたからそうなる。
西部のような広大な世界を詩にする言葉にするということ自体がそこにはもう言葉で現せないものがあった。それはもし別な惑星に行って地球と全然違った景色を見れば地球の言葉で現せないと同じような感覚になっていた。
ホイットマンの詩にはそういうものを感じる、とても日本のようにイギリスのように言葉がこじんまりと収まらない世界なのである。
アメリカ人が実際は野蛮人だというときあの広大な西部の風土を生きてきたとなればそうなるたろう。だから同じ英語でもその風土や歴史的経過で違ったものになってしまったのである。
アメリカには神秘主義とか哲学とか芸術は生まれない、ただ実用主義でありプラグマテズマの思想になる。西部開拓では実際にそこで役立つものしか重んじられないし観念的なことは無用になるし観念的では生きられない風土である。
それゆえにここでは技術が機械力が制限されることなく応用されるようにもなった。
巨大な機械力が自然を破壊するようにはなるようには見えなかった。
それでもソローなどは鉄道を批判したりしていたから自然を侵害するものを感じていたのである。

日本では微に入り細に入り季語を作って来たような言葉とはあまりにも違っている。
そこにはむき出しの荒野があり岩肌が迫る、あんなところではとても俳句も作れなかったそれは多少北海道とにていた。北海道でもアメリカと比べると小さいなと思ってしまう。それは中国にも通じている。中国でもあれだけ広いから大雑把なものが建築でも生まれるとてつもない巨大な意識が生まれのはアメリカとにているのである。
漢字にはそういう風土を反映したものがある。日本でかなが生まれたのもやはり日本的風土が関係していたのである。とても中国やアメリカのような大雑把な世界から生まれ得ない繊細なものが日本文化なのである。

いづれにしろ言葉の問題は言葉だけて終わらない、言葉の背景には歴史もありその国の風土もありまた言葉には感情が入るから言葉だけでは通じあえないというのも人間である。話す言葉になると必ず感情が入る、感情が入りやすいのは方言なのである。
標準語だと何か冷たい感じになってしまう。方言だとそれは西東関係なくあたたかいものを感じる。あったけえというのとあたたかいという感じからして違っている。
感情を入れるのには方言がないとできないのである。
尊敬語が必要だというとき言葉も常に時代とともに変化している。
尊敬語でも今や目上の人に対する言葉てはない、まず目上の人だから尊敬するなど今はない、若い人にはもう老人というだけで何も尊敬したりしない、ただ若い人でも会社の上役とか権力を持つものにはへつらうから尊敬語をやむなく使うかもしれない。
でも尊敬語は今では相手を気づかうものに変化しているのだ。
尊敬語の方が相手を気づかうトーンがあり感情が入るから使う、目上だと相手を敬うとかはなくなっているのである。現代ではそもそも人を敬うなどなくなっているからだ。
「心に青雲」で尊敬語の必要性を説いているのもわかるがその人の言っていることは対話でもコミニケーションでも相手を気づかうということをしきり言っている。
つまり尊敬語は相手を気づかう言葉に実際は変化しているのである。

現代は明治維新後強力な中央集権体制ができて欧米列強に対抗しようとした。
太平洋戦争後もそうである。東京中心にして高度成長を図ってきたのである。
それで今は地方は衰退して疲弊している。
高度成長時代が終わり日本はまた江戸時代のような地域の時代にもどる。
現実は地域自体なくなるとか言っているが地方の再生が模索される時代で起きている。
原発事故などは何かアメリカ的巨大技術の弊害の結果である。
原発は事故が起きてもロシアや中国やアメリカなら百キロ圏内でも移住できる広さがある日本ではそんなことしたら国自体を放棄して滅亡するほかなくなる。
だかち原発は日本のような狭い国には合わないものだったのである。



タグ:尊敬語
posted by 老鶯 at 16:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本(世界)文化文明論

2014年12月09日

大正まで醤油や味噌も使えない貧乏があった (現代も円安で物価が上がり昔の時代にもどってゆく)


大正まで醤油や味噌も使えない貧乏があった


(現代も円安で物価が上がり昔の時代にもどってゆく)



(鹿島町の女性)

私が話をうかがったのは平成三年で満95歳の高齢にもかかわらずかくしゃくとしてをり、記憶もはっきりしていた。

大正7年のとき二十三歳であり二十歳の
時、原町北泉のより嫁に来た。士族同士の結婚だった。
耕作地は自作地一町五反であり反あたり六俵の収穫があった
わりと当時としては裕福だった

夫は駄賃とりを一生懸命やりまた飯館村にたる引きに入れ大きいカツオは五本ずつ十本を馬にかけて運んだ
お正月の料理はもち、塩引きが最高の料理であった
電気などなくランプの暮らしでホヤみがきが嫁の仕事でありしょっちゅうこわれて町へそっと金をわたして町へ行ったとき買ってきてもらい交換した

(男性)

当時の反収は5俵から六俵くらいで小作料は二俵半だった。
当時の農作業などの日当は米三升が標準だった。
家計は子だくさんの上、いっぱい食べたので一日二升食べ、残り一升で暮らすのは大変だった。中以上の裕福な家では味噌を使い味噌がないときは塩でまにあわせた。
食用油、砂糖などは贅沢品で使えなかった。

収穫は反六俵で出に荷は駄賃取りがいてその人に頼み馬に二俵つけて町に売った
黒砂糖をこごりで買って砕いて使用、白砂糖はお正月に少し食べるくらいで醤油もほとんど使用しない、正月用だった、小作でないので他の人より楽であった


研究紀要二(1994)ー米騒動の研究


そもそも醤油が使えなかったら素朴な疑問として料理自体できないのではないか?
明治になっても大正でも醤油が使えないとなることが全くイメージできなくなっている。もちろん味噌も満足に使えないとなると味噌汁さえ作れないことになる。
明治以降もそうだったとすると江戸時代はどうなっていたのか?
それ以上に貧しかったとなるのとどんな暮らしになっていたのか?

反当たり5俵くらいとなると今は十俵だから倍になっている。この違いも大きいだろう。
だから米あまりになる。
それから運搬は馬でありもともと江戸時代から馬で運搬していた、だから駄賃という言葉が生まれたのである。

行き掛けの駄賃」とは、「ある事をするついでに、別の事をする」または、「ついでにほかの事をして、利益を得る」と言う意味である。特に"駄賃"には、"一寸した手間賃"というニアンスが強く、大人が子供を使いに出す時の手法であった。


農作業でも他の家の手伝いで手間賃をそのつどもらっていた。これは別に定期的にないからこんなふうになった。
飯館村に魚を運んでいたというのは興味深い、それは江戸時代からの塩の道の継続だけど明治以降は塩の道はなくなり八沢浦の峠の道が作られていた。

川俣まで天秤棒をかついで屋形から鰻を売りに行ったという話には驚いた。
当時の貧乏は今の暮らしからは想像できない極貧状態である。小作が多いから余計にそうなる。だから小作だというときそのこと自体が常に奴隷のようなものとしてイメージされたかもしれない、今日の派遣とかともにている。ただ食べ物に関しては貧乏でもさほど変わりないのが現代である。
士族同士の結婚とか書いてあるのもその頃まだ江戸時代の継続があり士族と平民は分かれていた。兵隊手帳にも士族と平民と記されていたのである。
自分の母親は九十九歳で大正生まれだけどその前となるとさらに貧乏になる。
だから製糸工場で女性が働くようになったとき月給ももらったのだからそれなり女性の収入も生まれたのだからその当時としては一つの進歩であり女性の地位の向上にもつながっていた。だから製糸工場に働く女性に対して反発があった。

戦後十年もこうした戦前からの生活の継続があった。それは江戸時代の継続でもあった。まず炭が燃料になっていたことがそうだった。あとはタンス一つとか飯台一つくらいしか家には物ののない時代だった。
でも不思議なのは醤油はあったし味噌汁もあったし塩引きは好物だった。
塩引きはそれほど贅沢ではなかった。日常的に食べていた。
ただ卵は贅沢であり食べていない、農家では鶏を飼っていたから食べていた。
だから自分の家で店をはじめたとき卵買いに行かされたのである。
明治以降の運搬は馬であり車などない、だからこそどこでも農家では馬を飼っていたのである。馬は農耕にも運搬にも欠かせないものとしてあったのだ。

それにしても大正時代はランプだったのか?ランプの明かりで粗末な家で暮らしていた。これも不思議である。
でもランプでも江戸時代にはなかった。江戸時代は蝋燭だったのである。ランプはそれより発達して文明の利器だったのである。
戦後十年も裸電球一つだったけど電気は通っていたのである。大正時代は電気もないということがあった。
電車も電気ではない、だから蒸気機関車だったのである。これも今からふりかえるは錯覚している。
汽車は死語になった。汽車は蒸気機関車のことだったからである。電車は電気で走るから電車なのである。
常に今と昔は何か錯覚してみる。それが江戸時代あたりになると余計にそうなる。
現代からは想像もできないから何か誤解して錯覚してみるようになるのである。

ホヤは一晩で煤けてしまい、日常の手入れは大変だったようです。普及するにつれて、明るい五分芯は部屋に、三分芯は台所で、厠へ行くときには豆ランプを持ってなどという使い分けもあったようですが、普通の家はランプは一つしかありませんでした。
町にはランプ商、ホヤ商、油商という商売が生まれました。特に油商は行商も多く、家々を廻って桝で量り売りをしていました。

ランプ屋が街にあった。種油とは菜種油とか椿油とかだろう。それを売り歩く人もいた

日本は今曲がり角に来ている。円安とかになり経済も変わる、物価が高くなったと思う。魚でも倍になっている。何でも二割くらい高く感じる。この物価高は貨幣の価値を低くする。貯金していても金の価値はかなり下がってゆく、だから老人が金をもっていてもその価値はかなり下がってしまったのである。
でも円高と違い円安は物の価値をあげる、日本で生産するものが安くなるから外国に売りやすくなる。日本は先進国から後進国へ逆戻りする。輸入するものが馬鹿高くなりバナナでも高くなるかもしれない、それは戦後十年でもそうだった。バナナは高級品で買えなかった。仙台に売っていたが自分の家では家族が病気になったとき仙台まで買いに行った。なんかそういう時代に逆戻りするかもしれない。
一方で地元で国内でとれるものは海外から入るものより買いやすくなることもある。
ただ野菜も高いし一般的に食料も高い、つまり貧乏人だと底辺だとさらに貧乏感が増すし金持ちでも株などに投資して上がらないと金をもっていてもその金の価値が半分とかに下がってくるようになる。
それがまだ実感しにくいが金の価値が下がってきているかことは確かである。

今まで百円で買っていたものが百五十円の感覚になるのも近い、円安とはそういうことである。
これまでの物価安は後進国が安い労働力で物を作りそれを輸入していたから安かった。
これからはむしろ自国で生産した方がいいとなる。海外で生産しても円安だと割安感がなくなるからである。
日本の農産物にとってはいいのかもしれない、何でも物が高くなり紙幣より金より物の価値が高くなるのである。
だからいくら老人が金をもっていてもその金は相当に目減りしている。
物の価値が高くなるとともに賃金も高くなるから労働する人の価値が高くなる。
金をもっているだけではその価値がなくなる。インフレになるとそうなる。
円安は金を持っている老人には不利である。若者にはいいのだろう。
ということはアベノミックスの狙いはあたったのかともなる。


ただ物価高でも賃金が上がらないと貧乏人にもこれは答える。
ともかくこれからは江戸時代のような質素倹約の時代になる、贅沢な消費社会は終わる。物の価値が高くなり贅沢できない、物を粗末にできない、なんとか工夫して料理でも工夫しけ安上がりにしないとやっていけなくなる。
それでも醤油や味噌すら使えない時代が大正まであったのだからふりかえればそれよりはずっと恵まれている。でも高度成長からバブルからそうした日本の繁栄の時代は終わったのである。だから高度成長時代にもどったりまたもう一度復活することはない
質素倹約でありそれはモラル的にはいい方向に向かうということがある。
ただこれまでの贅沢な消費から生活を落としてゆくことはかなり苦痛になる。
ただそういうことが否応なく強いられる。日本の成長贅沢の時代は終わったのである。
タグ:貧乏
posted by 老鶯 at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2014年12月11日

文明は計ることであり計りえないことで滅びる (津浪や原発事故はまさにそうだった)



文明は計ることであり計りえないことで滅びる


(津浪や原発事故はまさにそうだった)


計りえない世界


石は
たくらみ
計ることがない
故に疲れることがない
人は絶えず
たくらみ計り
故に疲れる
人はこの宇宙を
計ることができない
予期せぬことが起きる
人間のはかりごとは
あえなく御破算になる
人は神の計らい
決して越えることができない
人は神の掌にありて
神に計られしもの
人の計りごとは
常に予期せぬことで破綻する
石は未だに計ることなし
神の御意にただそこに在るのみ


文明とは結局計ることが文明だとも言える。だけど計りきれないから文明は滅亡した。
マヤ文明でありこれも実際は相当な高度な知的文明だったのだ。
高度な天文学を有した文明だった。
ではなぜ滅びたのか?
つまり天文であれ気候であれ計りえないことだったのである。
人間の心臓まで神に捧げて文明を維持しようとした
しかし最後は迷信に陥り太陽の光が弱ると恐怖して神殿は放置されて森に埋もれた。
文明とは基本的にこの宇宙を世界を自然を計るという営みである。

だから現代では文明は科学文明になったことがわかる
科学によってこの世界は宇宙は計り知り得るものだとなったのである。
それは人間の信仰であり神の信仰とは違う
人間の力でこの世界のことを計りしりえるという信仰なのである。
ところが人間の力には限界がありそのはかりごとは失敗する
予期せぬこと計り得ないことがこの世には起きるということである。
それをまざまざと見たのが津浪であり原発事故だったのである。
原発を擁護する科学者が百万年に一回しか事故の確率はないと真面目に言っていた。
そんなこと確率でわかるはずがなかった。

人間の未来は計ることはできない、だから未だ来たらずであり未だ来たことがないことが来る、それがこの辺の津浪や原発事故だった。
未来が予期できないということが人間にとって致命的なのである。
本当は歴史的にみれば津浪も予期できるものであった。
ただ一万年とかのサイクルになるともうお手上げになる
でも地球の歴史は何十億とあるとしたら一万年も短くなるのだ。
その間に何か起きるか予期できないのである
結局人間のはかりごとが御破算になったことの驚きである。
海側を干拓したのは自然破壊であり自然に反することだった
一見自然と調和しているようでも自然に反することだった
松原も全部破壊されて元の自然にもどってしまった。

個々人の人生でも金のことやらいろいろと計算する、しかしほとんど計算通りに人生はいかない、マイホームをローンで買った人は払えないと老後難民になったと嘆いている
人生も計った通りにはならない、いくら計画して計算しても計算通りにいかない、
大企業に就職すれば安全だ公務員は安全だとか安定たとか言ってもこれも将来はわからない、例えば夕張のように自治体自体が消失するということが現実に起きる。
南相馬市などもあと十年二十年で相当に衰退する、工事関係者が去ったら火が消えたようになり夕張のようになるとしたら公務員も職を失うのである。
だから人生そのものが計算できないのである。
社会的にも天変地異でも何が起きるかわからない、突然個人的にも病気になったりするのが常にある。
いくら人間側で備えてもそうした天変地異は人間の計ることを越えているから対処できない、津浪で三陸などの高い防波堤も越えて津浪に襲われた
人間がいくら図ってもそれ以上のことが天変地異で起きる

そもそも津浪であれ原発事故で人が住めなくなったなど全く予期できないことだった。
だからどう対処していいかもわからない、でも明治維新の黒船であれ戦争の災禍であれ
おそるべき変化が過去にもあった。それも何百年前ではない、だから六十年くらいで社会は大きな変化の時が来ている。それは予測できないことなのである。
人間の計りごとに限界がある。だから絶対に安全だというものはこの世にない
原発は絶対安全だという安全神話が権力で形成された
それはマヤ文明ともにているかもしれない、原子力文明でありそれは事故で廃棄され廃墟となりその回りが住めなくなった、神殿は元の森に覆われた。
原発事故周辺も人が住まなくなり元の森に覆われたともなる。


タグ:文明とは
posted by 老鶯 at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年12月12日

抽象画(南の海など)


抽象画(南の海など)


womannnhamonn1234.jpg

南の海の底

eathqqq1234444.jpg

地震の巣

wavesssss123.jpg

海の紋章



南の海のそこというのもその変化させた原画はインターネットの抽象画にあった。
これもいろいろ変えてみたらこんなになった。
青い秘密の洞窟がうまく偶然にできた

地震の巣はある。三陸沖にあったし東海地震の巣もある。
だからそこから常に地震の驚異にさちされていたのである。

海の紋章は津波をイメージする
地震とか津波はこの辺ではなんでもテーマになりやすくなったのである。

タグ:海底の神秘

伊勢から名張から奈良へ(秋の旅路の短歌十首) (名張(なばり)の地名の不思議の考察)



伊勢から名張から奈良へ(秋の旅路の短歌十首)


(名張(なばり)の地名の不思議の考察)

nabariiii123.jpg



伊勢湾に秋の朝日のさし昇る波音ひびき我がたちにけり
なおあまた秋の燕の群れ飛びぬ名張を越えて奈良に向かわむ
名張にそしばしたちどまりその名にそ心に残す秋の朝かな
名張にそしばしたちよる旅人の影そとどめて秋の日あわれ
旅人の名張を越えむ奈良遠く飛鳥を目指す秋の夕暮
奈良に着き飛鳥に望む夕暮れの二上山や秋の夕映え
飛鳥にそ天武天皇の墓ありと伊勢より来る秋の夕暮
奈良に来て剣の池の古りにけるその謂われにそ秋深むかも
みちのくゆ伊勢に来たりて奈良に来ぬ陵大きく秋の夕暮
奈良に来てみちのく遠し誰とあふ古の人や秋深むかな



「那婆理稲置(なばりのいなぎ)」の記述があるので、名張の音としては「なはり」と「なばり」の両方について解析する必要がある。
@古くから名張の地が、鮎の産地として有名であったことから、漁師たちが縄を張って領域を独占したことから「ナワバリ」と意味され、鮎の縄張り的な習性、あるいは鮎漁猟者間の縄張り(なわばり)が転じたとする説。

A初瀬より山の中へ入り、三本松辺りの高地から名張を望むと、一大盆地が開け晴々した気持ちになることから、原始林などを開墾するという意味がある、新墾(にいばり)が転じたとする説。

(1)古事記 ⇒ 「那婆理」の表記
『古事記』安寧天皇の段には、皇子師木津日子命(安寧天皇の諱《いみな》=実名)の子の一人が、伊賀の須知の稲置、那婆理の稲置、三野の稲置の祖先であるとする伝承が記されている(「稲置」はヤマト政権の地方官で、屯倉(ヤマト政権の支配制度の一つ)や県の管理にあたる)。須知・那婆理・三野は、いずれも現在の名張市域の地名で、安寧天皇(正確には「大王」などと表記すべきだが、便宜上慣例に従う)の子孫が稲置としてこの地に配備されたという伝承は、かなり早い段階からヤマト政権の勢力がここまで及んでいたことを示唆している。
天万豊日天皇 孝徳天皇(二年春正月)
凡そ畿内は、東は名墾の横河より以来、南は紀伊の兄山より以来、兄、此をば制と云ふ。西は赤石の櫛淵より以来、北は近江の狭狭波の合坂山より以来を、畿内国とす。
A巻第二十八 ⇒ 「隠」の表記
天渟中原瀛真人天皇 上 天武天皇(元年六月)
夜半に及りて隠郡に到りて、隠駅家を焚く。因りて邑の中に唱ひて曰はく、「天皇、東国に入ります。故、人夫諸参赴」といふ。然るに一人も来肯へず。横河に及らむとするに、黒雲有り。広さ十余丈にして天に経れり。時に、天皇異びたまふ。則ち燭を挙げて親ら式を秉りて、占ひて曰はく、「天下両つに分れむ祥なり。然れども朕遂に天下を得むか」とのたまふ。即ち急に行して伊賀郡に到りて、伊賀駅家を焚く。伊賀の中山に逮りて、当国の郡司等、数百の衆を率て帰りまつる
天武天皇(?−686)の条。 天武元年(672)六月二十四日、総勢わずか三十余人で吉野を発った大海人皇子は、伊賀、伊勢、美濃をめぐって各地の豪族を糾合しながら大津宮に攻め入り、反攻をしのいで大津宮を陥落せしめた。七月二十三日、大友皇子は縊死を選ぶ。勝利した大海人は翌年、飛鳥浄御原宮で即位、天武天皇として律令国家の建設を推進する。 大海人軍は吉野を出た六月二十四日の夜半、名張に入り、駅家うまやを焼いて衆を募るが、誰一人として応えない。横河(名張川)に至り、空にかかる黒雲を見て、大海人は自分が天下を得ることを占う。一行は伊賀郡に入り、積殖で朝を迎える。

底本頭注は、「隠郡なばりのこほり」を「伊賀国名張郡。今の三重県名賀郡の西半部・名張市」、「隠駅家なばりのうまや」を「三重県名張市の地にあった駅家か。大宝・養老令制では、駅家は諸道三十里(約十六キロメートル)ごとにおかれ、一定数の駅馬を常置した」、「横河」を「現在の名張川か。大化改新当時の畿内の東端」
「名張は伊賀国名張郡。今、三重県名賀郡の西半部、名張市。厨司は天皇の食膳に供する鳥・魚・貝類などをとらえるためにおかれた施設。名張の場合は年魚(あゆ)・雑魚などをとらえるためのものか」とする。

吾勢枯波 何所行良武 己津物 隠乃山乎 今日香越等六
吾(わ)がせこは 何所(いづく)行(ゆ)くらむ おきつもの 隠(なばり)[名張]の山(やま)を 今日(けふ)か越(こ)ゆらむ



名張(なばり)という所に注目したのはなぜか、それは自分が確かにここを船で仙台から名古屋に来てそこから自転車で松坂と志摩を回って名張を通り奈良についた記憶がある。
ただこの記憶も定かでなくなった。旅でも記憶があいまいになる。
名張という名が何かめずらしく心に残った。そこでは確かに秋であったが燕がなぜこんなに飛んでいるのかといぶかったことを覚えている。すでに去ってもいい時期だったからである。こっちは温暖だからまだ残っているのかと思った。
その名張の意味も良くわからない、しかしこの地域が飛鳥時代はまだ東国であり飛鳥の時代に支配権が及んでいない、境目になっていた。それも古い時代だが奈良と伊勢の中間地帯にあるから地理的には納得がいく。


歴史でもこの地理感覚が大事なのである。これが車だとなかなかわかりにくいのである。徒歩の感覚だと歴史も体にわかるということがある。現代は便利すぎてかえって地理の感覚がわからなくなる。遠さの感覚がわからなくなる。車で飛ばせば遠い感覚も旅が苦労だということもわからない、自転車だと何とか遠さとか旅の苦労がわかる。
自転車だと相当に疲れるからだ。そして自転車だとあとで記憶に残っていて回想して短歌を作ったり詩を作ったりできる。これが車だとできない、あそこにとどまっていたなという記憶がなくなるのである。
そして旅は伊勢から奈良から飛鳥という行程、道行の中にある。だから旅の短歌は一連のものとして鑑賞するものとなる。その長い行程の中に旅がある。
だからその行程を記憶する旅をしないとあとでも記憶にも残らないのである。
確かに名張で秋の燕がなぜこんなに飛んでいるのだということが一つの記憶として残っていた。そのことが旅の貴重な記憶だったのである。
それは名張にふさわしいということもあった。なぜならそこは奈良に近く飛鳥に近いから古代でもここを越えれば東国から奈良や飛鳥へ入るという感覚になるからである。

名張の地名はナラーハリかもしれない、奈良は均す(ナラス)であり平らにするとか耕作するのに適したように均すことは開墾することでもある。つまり飛鳥や奈良から開墾に入ってきた人達がいたのかもしれない、そういう記録もあるからだ。
一大盆地が開けていたということもそうである。そこは開墾するのに適地だったのであるだから名墾という名にもなった。開墾するということである。
ただナワバリーナハリという説もある。

名張市。厨司は天皇の食膳に供する鳥・魚・貝類などをとらえるためにおかれた施設。名張の場合は年魚(あゆ)・雑魚などをとらえるためのものか」とする。

ナワバリはこの由来なのか?川があったとするとその川で魚をとっていた人達がいてその名がついたのか?
ともかく新しく開墾された地が名張であり張るは開墾する意味である。田などを作る意味である。それで名張となった。吉隠(よなばり)ともにているからこれが有力になる。
地名の解読はむずかしい、でも自分は旅をして何か駅名とかこうした地名が心に残る不思議があった。名張というのも何か変わっていたから心に残るのである。
あまりにもありふれていると心に残らないというのもまた人間の心理なのである。

旅というのは奈良から伊勢へと旅するのと伊勢から逆に奈良へ旅するのは全く変わった感覚になるのだ。古代から江戸時代でも西から東の旅、京から陸奥への旅は枕詞などがあり旅をしているが逆に陸奥から西へ京へ旅することはしていない、そういう記録も文学もほとんどないのである。ほとんどの古典は西から東への旅なのである。
ただ万葉集でも防人の歌は西に向かう旅を歌っていたのである。
現代はむしろ東から西に向かう旅が普通なっている。
旅というのは福島県でも浜通りから会津にゆくのと会津から浜通りに来るのとは全く違ったものとなる。なぜなら浜通りから会津は山国への旅であり会津から浜通りになると海へ出るからまるで違ったものとなる。

この七年間は近くすら自由に行っていない、それまでは自由に旅していた。今は回想する旅である。それも自転車でしていたから回想して短歌などでも作れる。
回想するときの旅はその土地のことを歴史などをインターネットなどでも知ることができるからそこからその土地のことを思い出して作る。
でもやはり人間は忘れやすい、どこをどう行ったかもわからなくなる。
ただ旅はある一カ所にゆくのではない、一連のものとして旅がある。行程に旅がある。
そういう旅がない、江戸時代なら別に旅でなくても歩いていたのだから日常が旅なのである。度々ゆくから旅だともなる。現代から旅が消えたのは過程がないからである。


そして旅はつくづく今はかえって労力がかかる。自転車の旅でも相当に時間もかかるし労力もかかる。だから勤め人だったらできない、そして江戸時代だったら歩くことが旅なのだから別に作る必要はない、演出する必要はない、今は旅は演出する必要があるのだ。
便利すぎるからわざわざ不便な旅をするようにしないと旅にならないのである。
でも歩いて旅している人も必ず途中で電車に乗ったりしている、遍路の人もそうだった。だから歩き通す旅をしている人はほとんどいないのである。むしろできなくなっているのである。
ただ鹿児島から青森まで歩いて旅していた人には驚いた。公務員をやめて自由になり旅したのである。よほど自由な旅をしたかったことがわかる。
やはり勤めていれば自由な旅を今はできないのである。




 

2014年12月13日

平等を追求すると不平等になる (選挙もみんな一票でいいのかー老人が多いから不平等になる)



平等を追求すると不平等になる


(選挙もみんな一票でいいのかー老人が多いから不平等になる)


不平等こそが善であり、平等は悪なのである
http://www5d.biglobe.ne.jp/~anpoken/sub16.html

左翼の運動家が反省しているのもわかる。
平等を追求すると不平等になるという皮肉がある。それを証明したのが共産革命であり中国でありソビエト連邦だった。中国では一番格差大きいというのも不平等が最大になっているのもそうである。平等を追求すると結果的に不平等になる。
男女同権とかフェミニズムを追求した結果、苦しんでいるのは女性だとなる。
女性と男性は違っているのだから同じだとしたら仕事では競争しても勝ち目がない。
男性には男性の役目があり女性には女性の役割がある。
だから何でも平等を追求すると不平等になる。

第一なぜこの世の人は生まれたときから平等ではない、なぜそれぞれに違った親から生まれるのか?選んでいないのに生まれるのかということ自体不平等である。
親でも親と言えない人も普通にいる。ではなぜそんな親から生まれねばならなかったのかとなると結局カルマだとか運命論になってしまう。
そのひどい親から生まれるカルマだったとなる。
だからインドではカースト制が生まれた。それもやはりカースト制が生まれ何か必然性があったのである。合理的なものすらあったから制度にもなった。
江戸時代でも士農工商が不平等だとしてもやはりそこにそういう社会が生まれる必然性があったからそういう社会になった。それは必ずいい面と悪い面をもたらす。
カースト制や江戸時代がすべて悪いとはならない、そこにはいい面もあった。
もちろん悪い面を見ればきりないともなる。

例えば犬がいて猫がいて牛がいて猿がいる、それらがどうして俺は猫に生まれたのだと問うとき、それはカルマだったとしかいいようがない、猫に生まれカルマがあって生まれた俺が猫に生まれたくなかったとしても猫として生まれたら猫として生きる他ない、それが不平等だといってもどうにもならないのである。
だからインドではカースト制が何らかそうした必然性があって生まれたのである。
カースト制でも江戸時代の士農工商でも秩序を維持するために必要だった。
みんな平等だというとき秩序が破壊されてしまい社会が混乱するから分に応じた生活をしろとなった。
なぜ金持ちと貧乏人がいるのかというのもまた不可解なのである。
なぜその人は貧乏なのだろうとなると良くわからない、たいがい離婚している人は貧乏になりやすい、何かその人自身に貧乏になる要因がある。
一方なぜあの人は金持ちなのだろうとなるとこれもわからないのである。
金持ちの家に生まれる人と貧乏人の家に生まれる人がいるからだ。
金持ちの家があるのは不平等だから平等にしろというとき、それが今度はみんな貧乏人になってしまう。それが共産革命でもあった。
資本主義は欠陥があってもやはり平等主義とは違う。能力があるものか努力するものが成功するという建前があった。それが崩れてきているにしろそうして資本主義か世界のルールになったのはそれなりの訳があったのである。


特に地方で金持ちになるとしたら財産家になるとしたら昔だったらたいがいその土地から富を生み出している
するとその土地に富を生み出すとしたらその土地を富ませるものがあるということはいいことでありその土地の富者を否定したらその土地の富も否定することになる。
最初にその土地に富むものがあるとしたらそれに習い他の人も富むことができるとなる。それを富者を全部否定してしまうと結局富者から盗んでも富を分けるべきだとなる。
それが共産革命の原理である。
地主とか小作とかの問題にはそういう側面はあったことは確かである。
ただすべての富者を否定してその富は平等に分配すべきだというとき富者はこの世にいなくなる。そして結局それは全部を貧乏人にしてしまうということにもなる。

いづれにしろ今になると民主主義でも平等主義が極端になりその弊害が大きくなってしまった。才能も努力もしないのに平等を要求する。いろいろな差があってもいいのにみんな同じにしろという悪平等が民主主義をだめにした
それは選挙でもいえる。つまりみんな誰でも一票だというのも悪平等である。
選挙でも若者が少なく老人が多いからどうしても老人に有利になる結果になる。
これも悪平等なのだろう。これから国を背負うのは若い人であり老人ではない
その老人の票で選挙結果が決まるとなると国の将来も危ういとなる。
こうしてあらゆる所に今は平等が不平等になる結果を作り出しているのである。
民主党や共産党でもなぜ伸びないのか、共産党は今回伸びるにしても民主党は伸びない、民主党は貧乏人よりだとなると平等を追求する、するとそれがみんな貧乏になるという結果になる。
アベノミックスは金持ちのためのものだというのもわかる。ところが株は上下するしいつも株をもっているからといって得する訳でもないのである。
株をあげるのは経済を活性化するものでありそれは貧乏人にも影響するのである。

今回自分はどこに投票ししていいかわからない、株が上がったから自民党がいいともなるでも自分は自民党と公明党の独裁になるのが嫌なのである。
公明党も前から嫌いなのである。カルト宗教団体など政治にかかわるべきではないし自分が運動していたからわかる。これも民主主義に反している団体なのである。
結局公明であり共産であり体質は同じである。貧乏人を利用して政治にかかわり幹部が今度は権力を得てゆく構図である。幹部にとっては貧乏人は権力を得るための駒にすぎないのである。ただそうはいっても貧乏人は頼る所がないからそうなっているのである。

今回の選挙は何が争点なのかもよくわかはない、原発もそれほど争点になっていない、この辺ではやはり原発は嫌だとなる、それからアベノミックスの是非である。
これが成功したかどうかはわからない、これから株も暴落するかもしれてない、現実にアメリカの株が急激に大幅に下がった、石油が安くなり下がった。
だからそういう世界経済も影響してくる。
結果的には自分の利を考えれば円高で物価が安い方が良かった。
ただこれはデフレだから全体の経済を考えればやはり物価があがり円安の方が経済には良かったともなる。
どっちにしろ日本の経済はもう良くならない、限界状態に達しているからである。
自民にしろ民主にしろ経済を政治で良くすることはできない
だからどこの政党でも変わりないとなるが自民公明の独裁になることが嫌なのである。
それで民主に入れる他ないのかもしれない、野党がばらばらだから困るのである。
小選挙区制はアメリカのように二大政党の時に機能する、それがないのだから有権者にとっては選びにくい、何か民主主義自体が岐路に立っている。
その行き着く先は独裁になるということがサイクルとしてあるから民主主義の危機になっている。

 
タグ:平等
posted by 老鶯 at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

抽象画(氷河)



抽象画(氷河)

hyouga12356.jpg

hyouga12356777.jpg

iceeee123.jpg

usuyuki111.jpg

エーデルワイス(薄雪草)


これも偶然である。外国関係になると抽象画とか絵画が膨大にでている。
それをソフトで操作しているとそれらしいものができる。
これが一連のものとして連作としてできると一つの作品となる。
俳句でも短歌でも連作にすると厚みがててくる。
一つでは鑑賞するには孤立しているから単一になるから見応えがなくなる
エーデルワイス(薄雪草)も本当に偶然でできたのである。
何かそれらしい、白に変えたことはあったが何か薄雪草らしいので気にいった。
抽象画は何がでてくるかわからないということに魅力があるのだ。
開けてびっくり玉手箱なのである。
その素材はほとんど無限にインターネット上にある。
タグ:氷河

2014年12月14日

冬の日(今年の終わりも近いー短歌十首)


冬の日(今年の終わりも近いー短歌十首)

clouddddd1111222.jpg

winroseee123.jpg

newstone_FotoSketcher.jpg

moontreee111.jpg


庭の石旧家に落ち着く冬紅葉
柚木村月影さして冬菜かな
柚木村文久の墓や冬の月
朝日さし冬薔薇二輪赤にじむ
朝早み残月光り冬の雁
朝霜や未だ日のささず冬薔薇

松一本新築の家や海よりの太陽のぼり日のさしにけり
高々と白鳥二羽の飛ぶを見ゆ雲紅くそめ朝日昇りぬ
残月も欠けゆくものや冬の朝いくばくの余命あわれ深まる
99なお生きるものや冬の朝残月山に誰か見るらむ
冬の日に我が家のあわれ九十九母とともにしある時間かな
姉死して遠くならむや我が家に母の介護や年も暮れなむ
我が家の庭に一つ新しき石を置きにし冬日さしなじむ
我が町に味噌を作る家古りぬなお残りしも冬の日の街
しみじみと冬の日過ごす今はしもわずらいなきや石を見るかな
北風の戸をゆすり鳴りたずね人我が家になしも冬の日静まる
玄関の曇り硝子に今日もまた冬の紅葉の写り風鳴る

今年も終わりが近い、母はまだ生きている。人間百まで頭も普通に生きていたら死なないのではないかとすら思うだろう。
最近朝早く起きて外に出る、すると残月が光っている。その残月が日々欠けてゆくのも幽遠である。月は欠けてゆくのが特徴である。その欠けてゆくのが何かやがては病気になり死んでゆくとかの感じになる。
今年は仙台に一回しか行っていない、何かと忙しくていけない、家事に追われてまだ家がかたづかない、家が大きいと家に生きているという感じになる。
家を一つの自分の城のようになる。冬は特に家に籠もることが多いから余計にそうなる。だから川越の旧家のことを放送していたが何か昔が偲ばれる所が冬にはいい、自分の街でも古い家は残っているが街では味噌作りしている家である。
ただこの味噌も今ではスーパーにゆくと全国の味噌があるからどれを選んでいいかわからない、ところが昔は買う所は決まっていた。住んでいる街の店でしか買えなかったのである。味噌でもそれを全国に売れるのだが売るとなるまた競争になるから今は地元で作ってもそれだけでは商売が成り立たないとかなる。


自分は石をテーマにしている。だから石について百編以上の詩を書いている。
それらをまとめるのが仕事であるがなかなかすすまない、家事に時間がとられるのである寝る時間をのぞいて何かかにかすることがある。だから近くすら余裕をもって出れないのである。
でも田舎だと自然が近くにあるから毎日でもあきないものがある。白鳥がずいぶん高く飛んでいた。白鳥はあまり高く飛んでいない。それから冬の薔薇が霜を背景にして畑に二輪咲いていた。これも朝らしい、そして良く見ると赤い薔薇に白い点があり霜がおりたのかもしれない。これも写生だった。肉眼では見えないものがデジカメで見える。
今は本当に写真の時代である。氷河の写真を見たけどすごい風景だった。
あれをとれただけでもすごい、氷河となると見ることができないが写真で感動した。

今年も終わりが近い、今年は家の片づけ方で追われた。今もかたづいていない、自分は今いろいろと整理になっている。創作でもそうだし家のことでもそうである。
自分の家で最後に残ったのは自分一人である。自分の家をになっているのは自分一人なのである。
だから背負わされたものが重くもなる。
人間はやはり一軒の家でもそれぞれ事情があり外から計り知れないものがある。
自分の家は外からわかる人がいないだろう。
その複雑な事情をかかえて自分は長い間過ごしたのである。
それは自分だけではない、それぞれの家はその土地に根付いて何代もつづいている
二代つづいてもそれなりの歴史が生まれる。
だから避難して故郷から離れるとそうした家々のことが忘れられるとういことがある
他の土地に移るとそうして継続されたものがなくなる。
その土地でははじめからやり直すことになるからである。
だてからそもそも簡単に家を捨てることができるのかとなる。
それも町や村自体がなくなるということは精神的な面でも深刻である。
第一飯館村で6000人の数は多い、なぜなら廃村でも規模がもっと小さい百人単位でも多いくらいだからである。その規模が大きいからこんなことあったのかとなる。

自分はここ7年間は塗炭の苦しみの連続であった。今はなんとか落ち着いた。
だから体力も一年でトータルになるとかなり回復してきた。
一時的には弱ったときもあったがトータルではかなり体力が回復した。
二年間は身体障害者だったし本当に自分の家に来た人は自分を苦しめる人たちしかいなかった。
弱さにつけこんで苦しめられた。この恨みは本当は根深いし復讐したいとなる。
弱いとき攻撃されたりしたら絶対そのことは忘れられないものとなる。
その時弱くても今度はそうした奴らには全力で復讐するということがあるから気をつけるべきである。
ただ自分としてはそのことは忘れる、いくら憎んでも結局時間がたつと忘れるのが人間だからである。
ここ30年間は人とかかわらなかったのがやはり良かった。
人と関われば悪い人ととかかわることになる、人とかかわること自体何らか必ず問題が生まれてくのである。トラブルにきこまれてゆくのである。
そういうトラブルにまきこまれたことも今年もあったが大きなことにはならなかった。
選挙もしたがこれも適当だった。どうしても自民党にいれたくない、なぜなら自民一人勝ちになることが嫌なのである。他はだめでもそれが動機だった。
自民独裁になってしまうことが嫌なのである。独裁になったら民主主義はなくなる。
何でも自民の主張が現実に通ってしまうのである。それに対抗もできなくなるからである

 
タグ:冬の日

2014年12月15日

冬銀河、冬菜 (土地で作られたもらった野菜の料理は情がこもっていた)



冬銀河、冬菜


(土地で作られたもらった野菜の料理は情がこもっていた)

冬銀河閃光のごと流れ星

冬銀河宇宙の塵も星となる
冬銀河星とならざるもののなし
冬銀河みな光りあう宇宙かな

もらいにし冬菜にあたたむ田舎かな



昨日は双子座流星群を見た、それより冬銀河であり空が住んでいたから濃密な星雲が見えた。星の数は限りがない、宇宙となれば塵まで星となる、地上だったちどうしても汚れる二個だけみたが大きな流星だった。あのように流れ星になって消えたら気持いいだろう。二個だげでは物足りなかったが胃腸が悪くなって帰った

人間はその土地がいいというとき、まぶ回りの環境がある。自然環境があればいい、ただ自然環境なら田舎ならどこでもあるのだ。仙台ですら山が見えるし自然環境はある。
もう一つ重要なものがそこに住んでいる人間なのである。
田舎の人はかえって性が悪いというのも実際にある。
農家の人は汚いというのもある。田舎の人間はやはり何か閉鎖的でありとっつきにくいことがある。
田舎の人間はがそういうときそれは今でもポリネシアとかの島々では人間の原始状態が残っているから見知らぬ人をよせつけないというのはそういう閉鎖的環境で暮らしてきた名残である。

ただ現代は広域社会なったとき、どうしても金の力が田舎でも大きくなってしまった。
昔の村だったらとても金だけではその村では生活できない、原始状態の共同性があるからできない、そこでは金が否定される、ボリネシアなどでも貨幣がなかったことでもわかる貨幣ができると人間の関係は非情に冷たいものとなる。中世で商売は無縁の場を選び行われた。無縁化したとき共同体の拘束がなくなり商売ができたのである。そこには貨幣も生まれやすい。貨幣とは無縁化するものとして作られたのである。

その女性は小さな畑で野菜を作っていても趣味とほとんど変わらない、それでもほうれん草の料理をもってきてくれたときそれが買うのと何か違っていた。
スーバーで買うものには何か物に情がない、ただ買うだけである。
そのほうれん草の料理には情がこもっていた。それは何か家族が出す料理とにていた。
貨幣で買うものには人間の情を感じないのである。
畑でとってそれを料理して食べてみろといわれて食べてみるとそこに土地の情とか人間の情が感じられるのも不思議である。
そういうものが田舎ですら喪失したのが現代である。

その女性でも実際は貧乏の一生だから貧乏性になり問題が生まれた。あまりにも貧乏だとそこにも必ず貧乏故のマイナスの面が自然と身についてしまっているのだ。
何かちょっとごまかすとか工面するのはいいのだが嘘ついてごまかしたりする。
それはあまりにも貧乏な故にそういう性分になってしまったのである。
自分の母親もそういう性分がぬけなかった。だから花にも何にも興味を示さず働くだけだったのである。これも異常だったのである。

いづれにしろ田舎に人情があるというときそれはその人だけでのことではなくやはり昔の村がそういう人情を育んでいたのである。広域社会になると物はいくらでも入ってきてもその物に何か人の情が感じない、味は感じるけど人間の情を感じることができないのである。そこに現代の社会の問題がある。
グローバルな貨幣経済は情なき無縁化の社会にするのである。
そうはいっても金の力を大きくなったときそれも無視できないし否定もできないのである自分にしてもアメリカの株に投資しているということはグローバル経済の一員になっている。そこからまた払うものも払うとなっているのだ。
これも深刻な現代社会の矛盾なのでありそれはこのままつづかない、やがてグローバル経済は限界が来てしまう。またそうあるべきなのかもしれない、情なき人間社会もまた異常だからである。

タグ:冬菜

2014年12月16日

年の瀬ー雪ー冬の雨 (盆栽が目立つ仮設住まいも四年にもなる)


年の瀬ー雪ー冬の雨


(盆栽が目立つ仮設住まいも四年にもなる)

bonnsaiii1234.jpg

bonnsaiii123.jpg


枯菊や盆栽の木の根露かな
盆栽の手入れの人や年の暮
盆栽や仮設に四年冬の雨
盆栽の根元に雪や手入れかな
年の瀬やカラスに肉を食われけり
年の瀬や一軒また急ぎ建つ
寒雀三羽やみな一人者
冬の雨今日も買い物介護かな
冬の雨老いて作れる畑かな
葉牡丹に実る野菜や雪の朝
今朝の雪新し石に映えにけり

それぞれに盆栽見ればその形様々なれや冬の日暮れぬ
仮設住みはや四年にもなり盆栽のここに見につつ年も暮れなむ

habotannnn11111.jpg

snowstoneee111.jpg


プログはその時々を書くのに向いている。こういうメデアはもてなかった。
俳句とか短歌だと毎日変化を書けるから向いていたのだ。
もう原発事故から四年にも来年はなる。仮設に住む人も長いと思う。
仮設の前に盆栽を並べている所がある。あればどうしても日々往き来すると見る。
あの盆栽は相当に価値があるだろう。
一つ一つを見ると良くできているなと思う。みんな違っていて個性がある。
盆栽に興味がなくても毎日あのように見ていると人間は自ずと興味を持つようになるのも不思議である。
盆栽が外国で人気だというのもわかる。ただ盆栽作りは相当にめんどうだから誰でもできるわけではない。日本人の感覚として庭でもそうだが盆栽でもミニチュア化するのが得意であり文化なのだろう。大陸のような広さではまず盆栽というものが生まれようがないからだ。茶室にしてもそうである。
なんかあのような長屋のような仮設に向いているということを発見した。
日本には長屋文化というものがあったからである。
今日は朝わずかに雪が降った。盆栽を手入れしていた。

ただもう四年にもなると仮設もそろそろ終わってもいいとなる。
仮設は一人くらい風流の人が住んでいるならいいがあんなに多いと回りから見ても嫌になる。
だから新しく建った家はんの前に松一本が立ち朝日が海の方から昇るとき、新しい生活がはじまったなとなる。それでも新しい家を建てた人は少ないだろう。
だから仮設すまいの人はその後どうなるのか?
小高に帰らない人はどうなるのか、そういう問題が切迫してくることは確かである。
やっぱり田舎では家と田畑があり資産をもっているのが安定している。
だがこの家に金がかかる、家を維持するのに金がかかる、リホームしたりするとさらに金がかかるし古くなるといたんでくる。
家というのは資産でありこの資産を維持するのに金がかかるのである。
田舎で普通に暮らすにはある程度の資産がないとできない
田舎でアパート暮らしなどは向いていないしみじめである。

ともかくこの辺の仮設で印象に残ったのはあの盆栽が並んでいる風景だった。
今日は雪が朝ふった。でもすぐにやんだ。それから冬の雨になった。
人間はどうしも同じ境遇の人が集まりやすい、男性も女性も独り者だと集まる。
男性で困るのは家事のこと特に料理がわからないことなのだ。
簡単なことがわからないのである。家事にも年季か必要なのである。

今年は結構寒いのか年もおしつまった。
コンビニに自転車とめて二回カラスに食われた。カラスは抜け目がない、常にねらっていたのである。人間もぬけめがない、油断もできない、田舎ももう今は信用できない。
はっきり言って人間の方がどれほど怖いかわからない、カラスの盗み食うのは知れてい人間だと財産を奪われてしまう、そういう経験したから本当に人間は怖い、あまりにも警戒しなさすぎだった。
とにかく年の瀬になったなと思う。今年も終わりだが今年も家事に追われたかたづけに追われた一年だった。未だに家がかたづけられない、本のかたづけが一番の問題なのである本は物のように捨てられないのが困るのである。本は中味の書かれたものが大事である。それを捨てるわけにはいかないから捨てられない。時々また読み返したりしているからである。でも本も増えるともう読みきれないし利用できないし整理できない。
通販でまた本を買うことが増えたのである。通販でいろいろ必要になり毎日のようにアマゾンで買っている。
やはり何か書くにはそれなりの本かそろっている必要があるのだ。


今年は一回しか仙台に行かないし近くでもほとんど原町相馬市しか行っていない。
家で過ごすことがほとんどである。そうなると家が居心地いいようにしたいとなる。
介護もしているとなるとなかなかその余裕がない
ただ老後はもし家にいる時間がこんなに長くなると住み心地がいいようにしたくなる。
そういうことは自分の家は広いからできる。ただ家が広いと掃除だけでも手間であり
毎日家の中をめぐっているだけで時間が過ぎるものだと思った。
冬は特に冬ごもりになるから余計に外に出ないからそうなるのである。



タグ:盆栽 年の瀬

秋篠寺を想像で訪ねる (インターネットで編集の試み)


秋篠寺を想像で訪ねる


(インターネットで編集の試み)


本堂は国宝である。穏やかに手を広げた瓦屋根の勾配、白い壁と精緻な柱、格子戸のバランスは見ているだけで心が軽やかになるのを感じる。鎌倉時代の大修理を経ているが奈良時代の単純素朴な美しさがあると評されているようだ
http://blogs.yahoo.co.jp/geru_shi_m001/64310523.html

、私たちはその柔らかな物腰から視線をそらせなくなる。そこから微動だにしなくても、後ろの漆喰に映る濃い影──高く結い上げられた髪のかたち、抱きつきたくなるような丸い肩のフォルム──は仏の気配そのもので、その影がふいに壇上からおりて「さあ、なにも怖くない。いっしょに行きましょう」と寄り添ってくれるような気がしてならないのである。
http://nara.jr-central.co.jp/campaign/akishinodera/special/


akishinooooo123.jpg

gigeiii1234.jpg

gigeiiiten1.jpg

 mama123.jpg
秋篠寺の伎芸天女

その体全体に満ちるふくよかさ、やさしさ、優美さ
その胸はほどよくふくらみ受容する愛の表出
なだらかな線は胸から脚の先まで作ることなく
まろやかに流れるように体全体をつつむ
その手は軽く繊細に指を合わせる
何を思ふやその顔は穏やかさに満ちて
その内発からその体躯には毒のなし
大輪のおおらかな花のように
微笑みは深く内面から表出される
それは一つの完結した美の典型
その脚も手も腕も胸も顔も頭も
未だ血がめぐり生きているように人を迎える

奈良に京めぐり年の瀬鐘の音
簡素なる秋篠寺かな前庭に冬の日さしてたずぬ人かな
秋篠寺屋根にとまれる鳩の二羽穏やかなれや冬の日さしぬ
秋篠寺伎芸天見て味わいぬ懐石料理や京の年の暮
京都なれ鐘の音の聞きて東京へ帰れる人や年の暮かな



インターネットの利用の仕方はまだ定まっていないし有効に活用されていない、それだけ活用される範囲が広いからそうなる。
文化的にはやはりインターネットで広がる世界があった。
自分は今はただ回想する旅をしているがその時インターネットが役たつのである。
なぜなら訪れた場所でもその謂われとかわかりにくいからである。
また訪れない場所でも想像をふくらませてその場を旅することがある。
秋篠寺はたずねたことがない、それでも写真が一杯でているしそこから想像で書ける。
常に言っていることだがインターネットは自分なりに編集しつつ読むことなのである。

インターネットから秋篠寺についてプログでもかなりの人が書いてある。
今回は三つくらいしか読んでいないがもっと読めばまた違った感想が書ける。
一つは「心に青雲」で書いていたので秋篠寺のことについて検索して読んだ。
著者は秋篠寺については感心している。
それはあまり観光化していないのと他の寺とは何か趣が違うものを感じたからなのだろう写真を見ると確かにずいぶん簡素な建物だと一見してわかる。
冬の日がさしている写真があったがそれもふさわしい。
ことさら伎芸天女に感心していたが確かに見ればこの伎芸天女は秀作である。
自分は仏像には感心したことがほとんどない、感心する感性がないともなる。
そもそも日本ではギリシャの彫刻とかの芸術がないと思っていた。
でも仏像はギリシャからインドへ伝わったものなのである。

この伎芸天女は彫刻として特に優れている。
女性の持っている良さをあますことなく顕している
女性の場合は心も体に顕われやすいということがある。
体と心が一つになるということがある。これはギリシャのビーナスとは違って女性を顕したものでは傑作である。
ただはっきりいって自分には鑑賞力が不十分である。
結局奈良とか京都は日本文化の伝統の場所だがそれがなかなかわかりにくい。
何回か旅したけどわかりにくいのはやはり文化とか伝統は簡単に身につかないものだからである。時間の中で徐々に身につくものでありそれも何代にもわたって受け継いで身につけるということもあるからだ。
そういう点東北となるとそうした文化の蓄積がないから日本文化が身につかないことがある。
それでも仙台から名古屋に船で行き自転車で奈良まで行ったように距離的には短縮化されているから精神的にも近くなっているのである。
それで旅の短歌なども思い出して書いているのである。

奈良京都というととにかく寺が多すぎるのだ。だから一方で寺はもはや何か仏教を追求するような場でなくなっている。観光化して修行の場でもない、それでも伝統があるから違っているとは言える。それは信長の時代からの継続なのである。
寺というのはそのときから実質的な支配階級だった現実に権力ももっていたから信長と敵対して戦争にもなったのである。大阪だった秀吉が治める前は本願寺があり真宗の拠点となっていたしそれで激しい戦争になったのである。
宗教でも権力化するとすでに宗教ではない、政治化して権力追求になる。
今のカルト宗教団体とか団体化した宗教はすべてそうである。
だから団体化した宗教は政治団体であり何ら宗教とは関係ない俗世の団体である。
だから自分はそういう所は信じない、それでもこの世にはそういう悪場所でも頼らざるをえない人達がいる。だからいくら否定してもそういうものは消えないということである。第一真宗とか日蓮宗が今でもこれほど勢力をもっているのは何なのかというと結局拝めば何でもかなえられるという大衆への洗脳に向いていたからである。
最悪の貪欲な人間でもその貪欲な欲望がかなえられるために祈っているのだから異常なのである。

秋篠寺は平安時代後期から寺領を増大させ、南に位置する西大寺との間にはたびたび寺領をめぐる争論があったことが、西大寺側に残る史料からわかる。
保延元年(1135年)には火災により講堂以外の主要伽藍を焼失した。現存する本堂(国宝)は、旧講堂の位置に建つが、創建当時のものではなく、鎌倉時代の再建である。


このようにすでに平安時代から土地争いで勢力争いになっている。
土地をもつということは権力をもつことであり土地に執着することは権力に執着することである。禅僧はだから一所不住であり旅していたことでもわかる。
寺をもつことはすでに権力をもつことに通じていたのである。
カトリックでも土地を所有したことが権力を持つことになったから宗教の歴史もまた東西でにている所はあるのだ。
結局奈良や京都は信長の時代と変わらずに今でもそうした宗教によってかえって汚された地でもある。だから修行には実際は向いていないのである。
そこには祇園で遊ぶ金持ちの坊主がいるとかなる。
今修行に向いているのはやはり荒野であり自然のある田舎なのである。
もちろん今は田舎も都会のように汚されているが自然がありそこで精神形成をすることが修行になるのである。
東京のようなところではもう精神形成は不可能である。
奈良や京都はまだ自然がないということではない、東京はもう人工化した荒野だからもう精神形成はできない、だから言葉もそこではすでに詩語は失われ死んでいるのである。
摩天楼のような世界で言葉も通じなくなっているのである。

タグ:秋篠寺

2014年12月18日

鍋一つもったいなということを家事して思った (労働通じてしかモラルなども身につかない)



鍋一つもったいなということを家事して思った


(労働通じてしかモラルなども身につかない)


この鍋を幾度洗ふ大切に捨てずに使う年の暮かな


人間の不思議は鍋でも物でもそれに愛着というか愛情を感じてくることがある。
物なんか使って捨てるだけではないかというのが大量消費時代の感覚になった。
毎日大量のゴミが捨てられている。食料も膨大な量が捨てられている。
一方で世界では子供でも飢えてまとも食がとれない人達も何千万といる。
だからそういう人達から見れば豊かな国は罰当たりだとなる。
日本でも戦前から千五十年くらいまでは「もったいな」とか物を大切にすることがあったそれは一重に貧乏故にそう強いられていたのである。
貧乏だったら物を粗末にしていたら生きられないからである。

そして意外なのは大正時代が六千万人くらいの人口だったとういことである。
明治になって3千万とか4千万とかになっていった。
ずいぶん日本は人口が少ないと思った。だから明治時代は日本の自然が残っていて景色的には江戸時代のつづきがあった。都会すら東京でも高層ビルなとないのだから
景観的には今よりいいものがあった。
日本が4千万くらいだったら田園風景がいたるところにあったのである。
その相違はあまりにも大きすぎる。
それじても啄木は故郷の自然を望郷する短歌を作ったから東京はやはり自然景観は消失していた。

「もったいない」というとき人口が多くなると人間の価値も減退する。
だから群衆とか大衆という感覚が生まれたのは明治以降だろう。
それまでも人間をそんなふうに物ののようには見ていないのである
だから明治になって鉄道ができたとき見知らぬ人と乗り合わせたときすら違和感を感じていたのである。
見知らぬ人同士が一つの車両に一緒にいるということになじめなかったのである。
鉄道ができたとき関所もなくなり切符が手形代わりになったというのもわかる。
切符さえあれば日本全国どこでも行けたということの変化は大きかった。
江戸時代は藩内とか村内の狭い範囲でしか生活していなかったからである。
鉄道ができたことで日本人は別な藩の人でも自由に交わることが飛躍的に増えたのである


自分の使った鍋はIH用でもあるから3000円以上しているから簡単に捨てられない事情もあった。それがなぜ汚れるかというとガスでつけっぱなしにすることが多いためだった。
台所と食事する場所が離れているからどうしてもガスを消すのが忘れるのである。
それで何度もこがしてしまっていたのである。
だからすでに十回くらいこがしてごしごし洗って落とした。普通だったら買い換えているだろう。千円くらいだったらそうした。
でも不思議なのはそれを捨てないで何度も洗うことは「もったいない」に通じていた。
何かその鍋が貴重に思えたし愛着を覚えた。
職人でも物や道具に愛着を覚えることがあるだろう。そういう感覚を経験したのである。人間は物を道具でも大事にしろと何度言っても現代では通じない、そもそもモラルとかはいくら説いても通じないのは経験から学ばないからである。
人間は本を読んだり人に教えられたりしてモラルが身に帯びることはなかなかないだろうモラルは日々の生活の中で身につけていたのである。
だから侍でも侍のモラルは日々の生活で身についていたからこそ本物だったとなる。

ただ現代でも仕事の中で身につくものが本物だということはありうる。例えば農業なとは趣味の範囲でもこれは自ら畑を耕して肥料をやり種をまきとかして経験しないと本当はわからない、そこに自然と深くかかわり多様な経験を体で覚えることになるからだ。
だからそうしてとれた地元の野菜もらってたべたとき単にスーパーで買うものとは違ったものとなる。そのものには人間の情がこもっていたのである。スーパーで買うものは確かに味はあっても何か情がこもっていない、冷たいものに感じた。
それは家族で食べるものが料理されるものが母親の愛情がこもっているとにていたのである。単に買うものには愛情が情がこもっていないのである。
だから江戸時代は自給自足の時代、その土地土地でとれるものを食べていたのだからその土地と人間に密着して情がこもっていたのである。
ただそうはいっても極端な貧乏もあったからそれも一面の見方ということはいえる

家事というのも実際は一つの仕事である。刀自(とじ)というのが女性であり家全部をきりもりするから力をもっていたのである。今でも刀自と墓に刻まれていることでもわかる。昔は家事が大仕事だったのである。機械がないから洗濯するだって大変な労力を必要とした。寒い時など水も冷たく辛かったろとなる。食器を洗うにしても自分の母親はいつも霜焼けになっていたのである。温水になってからはそうならなくった。
家事は中流の家庭でも女中を二人雇っていたとかそれだけの手間が必要だったのである。機械化したときその手間がはぶかれたのである。
だから自分でも何とか介護まで一人でやれるのである。
ただすべてが機械化するとき鍋洗うのも機械化するとき今回感じたような鍋一つに愛着を情がこめられるということはなくなる。

つまり人間は自らの手で子供でも育てたとき愛情を覚えるように自ら何でも経験して感じる覚えるものが本物なのである。職人でも体で覚えるということを師弟でもしてきた。
以心伝心などもそうだろう。今は何かそうして人間と人間でもその間に機械などコンピューターなど入ると人間から学ぶものはないとかなる。
するとそこには情が欠けてしまうのである。
それは鉄道が普及したとき見知らぬ人同士が膨大に交わるようになったのともにていたのである。機械化するということは人間の情的なものを希薄化して非情にしてしまう。
人間がしたのではなく機械がしたとなると仕事したとなると人間は重んじられなくなるのである。
例えば一つの石を苦労して運んだり積んだりするときその労働は人間しているのであり
ここまで自分がもってきたなとその労苦がその石に残る。
でも車で機械で運んだり設置するとしているのは機械だとなる。
その機械を使うことの方にエネルギーがそそがれるのが現代であり人間的なものがはぶかれてしまうのである。
現代は全般的に情には欠けた冷たい社会になってしまった。それは便利さを追求したり機械化したりグローバル経済になったとき必然的にそうなってしまったのである。

 
posted by 老鶯 at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題