2014年11月16日

東歌の富士山の歌の解釈が間違っていた (木の暗とは青木が原の樹海だった)



東歌の富士山の歌の解釈が間違っていた


(木の暗とは青木が原の樹海だった)


天(あま)の原富士の柴(しば)山木(こ)の暗(くれ)の時移(ゆつ)りなば逢はずかもあらむ

柴山の木の暗(くれ)とは青木ヶ原(あおきがはら)の樹海だったと説明する人がいた。
木の暗(くれ)とは(木の下の暗い茂り)てはないが此の暗の時刻がすぎたら会わなくなるであろうかという意味だった。
ということは柴は確かに燃料として使うものとしてと青木が原にとりにいった。
しかしそこは今も広大な樹海であり昼なお暗いのである。
だからその暗さは今も変わりない、確かにここでは暗いということをイメージする必要があった。それは今でも昼なお暗いから変わっていないのである。
これだけ広い樹海で一度会って別れたらもう会えないということを暗示していた。
今の時代とは違って歩きであり離れていれば会えなくなる。
当時はもっと暗いしその樹海はさらに広がっていたのである。
今も怖いが当時はそういう樹海に行くことは怖いということもあった。
道に迷ったりしたら出てこれないという恐怖もあった。
まともな道すらない時代だからである。
そういう経験を丸森でしたから樹海は出れなくなるということで怖いのである。
日本は森が深く今でも道に迷うことがあり近くでも遭難している人も多いことでわかる。
この歌は解釈が間違っていたけど何かやはり当時の自然の広大さを偲ぶものである。
万葉時代は二百万人しか住んでいないから広大なの原野とか開拓されない土地が広がっていた。それは今では想像を絶するものとなっていた。

天地の別れし時ゆ、神さびて、高く貴き駿河なる富士の高嶺を、天の原振り放け見れば、渡る日の影も隠らひ、
照る月の光も見えず、白雲もい行きはばかり、時じくぞ雪は降りける


富士山はこんな感覚で歌われていた。その下は原野であり樹海の上にそびえていたのである。
東歌は男女の生々しい土着的な赤裸々な表出である。
だからこの歌は何か自然の広大さを歌にしているから何か異質なのである。
もちろんこれも男女の相聞歌にしても何か違っている。
樹海になると昼なお暗いとする本当に太陽が傾き暗くなったら本当に怖いとまでなる。
この歌はまだ手つかず広大な自然の中の逢瀬があってもそれが自然によって会えなくさせられる。自然によって人間の生活は覆われて別れさせられてしまうことを暗示していたのである。
つまり万葉集時代の自然というのをイメージできないから何か間違った解釈になる。
この解釈の間違いは言葉通りに読んでいなかったことにあった。
言葉の正確な解釈をしていなかったことの失敗だった。

この歌は逢はずかもあらむ ・・・とあるときもう会わないだろう、会うこともないだろう・・・という深刻な歌かもしれない、それが現代にも通じていたのである。
青木ヶ原樹海は自殺の名所であり今も行方不明者が白骨化して埋もれていた。
それを考えると何かこの歌は不気味なのである。
別れるは万葉時代は死別でありまた二度と会わなくなるという深刻なものがかなりあった今のように一回別れたもう二度と会えないということがあった。
それは江戸時代でも一旦別れたらなかなか会えない、飛行機で帰るというわけにもいかないからである。だから別れるということは今とは全く違っていた。

「幼くして母と別れる」

◇『万葉集』八九一「一世にはふたたび見えぬ父母をおきてや長く吾(あ)が和加礼(ワカレ)なむ」(山上憶良)

別れるは死を意味していたし一旦別れたらなかなか会えないということがあった。
だから別れるというのは今とは全然違ったものだった。

武藏野の小岫が雉(きぎし)立ち別れ去にし宵より夫ろに逢はなふよ(3375)

戦争でも別れて二度と会えないということが無数にあった。現代は会うとか別れることの意味が浅薄になったのである。簡単にどこでも会えるとなれば会うことも別れることもそんなに意味がなくなってゆくからである。

陰々と昼なお暗き青木ヶ原
誰そ埋もれて知らじ
相別れて跡もなしかも
その闇深くヅクの鳴く声木霊す

何かこの歌は謎であり不気味なものを感じる歌である。要するに万葉集に解読できないものがあるのはその背景がわからなくなくなったからである。


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posted by 老鶯 at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 万葉集