2014年11月15日

北風唸る家 (家は城であり守るのも命懸け)


北風唸る家


(家は城であり守るのも命懸け)


北風の今日は吹きつけ
独り身に買い物あわれ
寒さ身にしむ
川の面に鴨の浮きにつ
芒は枯れて寄り合いぬ
母はい寝につ我は台所にまかなふ
北風は家にし鳴りぬ
我が勤めて我をあたたむ
我が家を支えるものは
今や我のみなりき
風に鳴る屋台骨かな
この家を残せしは姉に父かな
我が母の百歳にもなれや
長くもあれや石は動かず
我はこの家を継ぎて支えむ
我も老いしもなおしばらくは
我が家に勤め果たさむ


今日は寒かった。北風が吹きつけた。本格的な冬が来た。けんちん汁を作った。
里芋がちょうと川むいたのが売っていた。里芋は川むくのがめんどうなのである。
すでにお膳立てできているばせのを買ったからできた。
けんちん汁は好きだし野菜が入っているから体にはいい
鍋物は一人だと損である。一人分のものがなかなか売っていない
今は一人暮らしでも何とかやれるようにできている。
機械を使い料理もできているから楽である。
ただ野菜をとるようにしないと一人暮らしは栄養的にかたよる

今やここ7年は家を維持するための格闘だった。姉が気丈夫で家を支えていたけど認知症になり崩れ去った時、全部自分に責任がのしかかった。
家は城と同じだった。家が傾けば油断を見せれば家自体乗っ取られる。
この世とは同情したりしない、相手が弱ればチャンスだと思って盛んに責めてくるだけである。
犯罪にもあい財産はのっとられかかり今度は借金のチャンスだと病気の時に責められて
散々な目にあった。ちょうど保険金殺人のようにな目にあったのだ。
「こいつが死ねば財産が入る」それしかなかったのである。
だから今はそういう奴らに復讐したくなる。
弱いとき責められたから今度はこっちから責めてやろうとなる。
弱いとき責めるのだからこれほど相手にとって楽だし責められる方にとってはこれほど苦しいことはなかった。

もうはっきり言ってもう自分の家を城を守るために刀をもって襲ってきたら刀で抵抗して相手と戦わないかぎり家も城ものっとられるという状態になっていた。
それがこの世の現実だった。
姉は一倍気丈夫だったから守られていたのである。男でも姉を怖がっていたのである。ただ認知症になりすべて崩れさったのである。
どんな強い人でも最後は弱くなる。老人るなるということは弱者転落することなのである

ともかく家は城と同じであり弱体化したとき責めてくる。同情などしない。
そのことが今でも憤りになっている。弱者になったから責めるのが容易である。
相手を従わせることも容易である。それで親戚の人が親が認知症なったとき
介入してきてさんざんな目にあったことが書いていたがそさと同じだった。
そういう家が弱体化したときカルト宗教も入りやすいのである。
先祖がどうのこうのとか何らかいいがかりをつけられると信じやすいのである。
いづれにしろ弱者を責めてきたやつらは本当に許せない
そういうことは絶対怨念となり忘れられないのである。
人間は甘いとつけいれられる。それは国でもそうである。
中国の船でもなんでもやり放題になってしまう。
だから果たして平和憲法があっても守れるのかとなる。
軍備がないと守れないというのもまた厳しい現実を経験したから考え方も変わる。
日本でも外国にやり放題に蹂躪されたから変わるのである。
何もされないなら相手もいい人だと思ってしまうのである。

アメリカでは今でも銃をみんなもっているのは家に入ってきた人はすぐ殺すという準備をしている。それほど自分を守るために備えている。
そもそも侍がなぜ生まれたのか?それは自分の家を守るためだった。
自分の家が襲われるから回りを堀で囲み刀であり槍であり備えていたのである。
その家に仕える人も一体となり家を守っていた。それが館となり城となったのである。
極端にしろ何かそんなふうにしてまでも守る意識がないと家が守れないと思った。
相手もまた金がなくて金をとろうと必死になっていたのである。
そういう人は相手のことなどかまわない、自分が苦しいのだから相手が弱るとチャンスだと責めてきたのである。それがこの世の現実でもあった。
この七年間経験したことを書いてきたけど信じられないことの連続だった。
回りもそうである。それは今も継続している。

屋台骨とか大黒柱とかの言葉があるけどまさに屋台骨がぎしぎしと北風にもゆらぐように自分が屋台骨となり必死で支えていたのである。
北風が家にずっと唸っていた。最近はようやく楽にはなってきた。ただ一人だから苦しいことはある。

タグ:家を守る

万葉集東歌二題の鑑賞 (空間と時間の感覚が現代とあまりにも違っていた)



万葉集東歌二題の鑑賞


(空間と時時間の感覚が現代とあまりにも違っていた)


信濃(しなの)なる須賀(すが)の荒野(あらの)にほととぎす鳴く声聞けば時過ぎにけり

天(あま)の原富士の柴(しば)山木(こ)の暗(くれ)の時移(ゆつ)りなば逢はずかもあらむ


万葉集の歌はその後の古今集との歌の相違は大きい。
古今集になると宮廷内の歌になり一般の農民の生活とは離れた感覚の歌になった。
宮廷人の歌であり源氏物語のように宮廷内のことが話題の中心になる。
万葉時代はそうした宮廷内とは全然違ったものとして歌われている。
東歌は土地に根ざした歌であり方言ば使われいるから余計にそうなる
万葉集の歌は何を意味しているのか理解しにくいというとき
短歌の歴史で万葉集と古今集の相違が大きいから理解しにくくなる。
古今集になると生々しい庶民の土の匂いのようなものがなくなり
何か宮廷内の遊びごとになり日々の生活から離れてしまった。
そもそも庶民の歌はなくなり宮廷人の歌しかなくなったのだから当然だとなる。
自然でも宮廷内の庭を見ている自然とか何か自然を人工化した自然を歌うようになる。
それは現代にも通じている。
とても狭い庭では自然を現し得ないのである。
だから京都に庭の文化があるとしてもそれは雄大な自然とはあまりにも違う。
人工化したし自然である

信濃(しなの)なる須賀(すが)の荒野(あらの)・・・万葉集には地名が歌われることが多いというときその場所に特別な思いがあり歌われている。
信濃という全体があり須賀の荒野がある。当時は荒野がどこでも広がっていたから珍しくない。その広大な荒野にホトトギスが鳴く、それか時を告げる声として広大な荒野に響いている。
現代の時は機械で一分一秒が刻まれている機械の時に酷使されている。
万葉時代は広大な自然空間がありそこに過ぎてゆく時である。
要するにここでは空間と時が一体化している。
現代ではこうした広い空間で時を意識することはない
例えば常に時は学校であれ事務所であれ工場であれ家庭ですら何か狭い範囲で時は意識されている。常に時に追われているのが現代人なのである。
それは空間の感覚が失っているからである。
働く場所でも工場とか事務所とか狭い範囲で過ごしているからそうなる。
そういう中で一分一秒で時が刻まれて酷使される時間の中に生きている。
奈良時代は200万人くらしか日本全国で住んでいなかったというのも意外である。
その時日本が広大な原野の部分が広がっていたのである。
だから空間の認識も違っていたのである。
ここでは時は広大なな空間にありホトトギスが鳴くことによって時の移るのを知る。
雄大な自然が時を知らせている。

天(あま)の原富士の柴(しば)山木(こ)の暗(くれ)・・・

これもそうである。天の原というときさらに広い空間を視野に入れている。
冨士山の壮大な姿が望まれ柴山というのは柴は燃料として使うものとして生活がある。
そういう雄大な空間があり生活があり人と人が会うのである。
文明はそうした雄大な自然の空間も奪ったのである。
絶えず空間が建物でさえぎれさまざまなものでさえぎられている。
人間があうというときそれは雄大な自然空間の中で会うのではない、林立するビルの下とか狭い路地とか狭い家の中とか何か狭い押し込められたような所で会う。
万葉人は広大な自然空間で合い別れる。
すると人間が会い別れるとしてもその後に広大な自然がそこに広がっている。

単に人間が会う別れるにしても今とは感覚的に相当違っていた。
ただ会う別れるにしても深い余韻を自然の中に反映されていたのである。
時の流れも悠長である。

時移(ゆつ)りなば逢はずかもあらむ

時が移ればあわてなくてもまたあなたと会えるでしょうという感覚であり追われて会うのとは違う。この広大なの天地でまた会うことがあるでしょうという時間感覚なのである。
ここには不思議なのが言葉の感じから例え別れても必ずこの広大な天地の中に二人は会うというたことを暗示している。合わなということはないでしょう・・・という確信みたいなものが歌われている。だから何か会う別れるにしても悲哀感が感じられないのも不思議なのである。
要するに現代ではこうした空間感覚でも時間感覚でももてなくなった。
だから万葉集のような歌は一見なんでもないようでも今になると作れないし理解できないものとなっているのだ。

この二つの歌は調べ自体が日本語の大和言葉でまるで水が流れるように自然に歌われている。言葉がよどみなく詩となっているのだ。
つまりその国にはその国から生まれた言葉があり言葉はまず詩語であったというとき万葉集の歌はまさに日本人の原点となるものがあった。
万葉集の歌は多様であり古今集とか宮廷人の歌とはあまりにも違っていた。
タグ:万葉集東歌
posted by 老鶯 at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 万葉集