2014年11月21日

アメリカは景気がいいの? (グローバル経済は理解できない、でも今は金がアメリカに流れている)


アメリカは景気がいいの?


(グローバル経済は理解できない、でも今は金がアメリカに流れている)


170億円って、一生使い切れないですよね。

cis:いや、そんなことはないですよ。去年の生活費は、家賃など3000万円、みんなで飲食1億1000万円、個別で飲食1億3000万円、夜の飲み代1000万、ワイン購入5000万円、その他雑費5000万円で、だいたい4億円弱でした。使おうと思ったら使えるものです(笑)。ただ、稼げてない今年は、家賃など3000万円、みんなで飲食4500万円、個別飲食3000万円、ワイン購入1000万円、夜の飲み代1000万円、その他雑費3000万円で、1億5000万円くらいに抑えようとしてます。資産や収入に対して僕は一生稼ぎがなくても暮らせるペースでしか使ってないから、すごく倹約してるほうですね(笑)。これで200歳まで生きても大丈夫ですよ!


こんな生活している人が現代にいることが信じられないだろう。こういう人は田舎にはいない、いても住んでいられないだろう。田舎は何か何でも平等にしようとする。
目立つことができない、確かに金持ちはいても金がないようにもふるまわないといけないこんな桁外れの金持ちなどは住めない、よってたかってきて金くれとなって殺されるかもしれない。
田舎では一億もっていたら大金持ちだろう。公務員とかはそういう人がいてもこれだけの金を使う人は想像すらできないだろう。その差があまりにも大きすぎるからだ。
最低の人は毎日千円貸した返さないとかでもめている。東京だってそういう人が結構いるだろう。そうするとこれは何なのだとなる。


そもそも株は何なのだとなる。そういう自分も株に興味をもったのは株をもっていたからである。するとどうしても株に興味がててくるしどうして株があがるのだろとか下がるのだろうとか考える。それも自分に直接影響するから考える。
世界情勢に興味をもつのは実に利己的なものだなと思った。
自分がもうかるから世界情勢を見て株が揚がるうになるといいなと思う。
それは平和を願うのとは違う、どこかで戦争があったり災害があると株が日本でも外国でも下がるから自分が困るからそう思うようになった。
こういうことはグスローバルで普通に起きている。
中国と戦争になったら日本でも中国でも大損害になる時代である。
鎖国時代とは違うからどっちにとっても相互に経済で結びついているからそう思うようになる。だからすぐに戦争になりにくいのである。

そしてなぜ今アメリカが景気が良くなって株が上がっているのか?
ええ、アメリカってそんなに景気がいいのかというのがわからない。
なぜならたリーマンショックとかなったりしてアメリカが世界恐慌の引き金を引いたようなときがあったのは最近でもあるからだ。
だから今はこんなに景気がいいのか?それも変だ、わからないとなる。
何かまた級に下落するのかという不安がある。
日本の株も無理して上げているのを感じるからアベノミックスは失敗するだろう。
ではアメリカはどうなのだろうとなる。

アメリカに依存していればアメリカが傾いたら自分も一緒にやられます。
まして、アメリカの選挙権を持っていないのですから、自分の会社の運命はアメリカ人任せと言うことです。


こういうこともそうなのか?経済でもグローバル化するとそうした判断もなかなかできない。でもアメリカが景気がよければアメリカに物が売れとシチズンでも時計を売るためにアメリカにまた店をもち売ろうとする。アメリカという巨大市場があって日本の製品も売れて日本は高度成長できたのである。戦争では負けたが経済では負けないとかなっていたそれがバブルがはじけて日本はその誇りも高度成長も終わったのである。
明治時代から内村鑑三などはアメリカに留学したがアメリカは金しかない、金がすべてだとアメリカを嫌って日本に帰ってきた。アメリカをまねるべきではないと言っていた。
戦争に負けてアメリカ一辺倒になったとき日本も金だけを求めるものとなって日本人のもっていたモラルもなにもなくなった。内村鑑三の時代はまだ武士道などがあった。
ただその武士道というのも江戸時代の継続としてあったものであり武士道がなにかなど今になるとわかりえようがないものである。
明治時代は江戸時代の継続があったから日本文化の継続もあり魅力のある時代であった。漢詩が一番盛んになったのが明治時代だったということでもわかる。
明治時代は江戸時代三百年で培われていたものが生き続けていて日本が新しく作られていたのである。

アメリカに依存していれば・・・というのは何も経済だけではない、モラルとか文化の面でも日本はアメリカとともに腐敗して豊かになってもアメリカのよう人心は乱れる。
だからアメリカで起きることが日本で起きるというのもそのためである。
日本ではそんなことが起こらないよなとかいうことが実際は起きている。
田舎では東京のような残酷な事件は起きないよなというのも今はない。
田舎も東京であれ大都会と同じ信じられない残酷な事件が起きている。

いづれにしろ170億を株で得てそれを使う人がいるのだから信じられない。家賃が3000万の所があるのかというのも東京にあるのこと自体驚きである。普通はワンルームマンションとかに住んでいる貧乏人のことばかり紹介されているからそうなる。
特別金持ちの人はほとんど紹介ささないからみんな貧乏だなと比べて安心することもあるだからこういう人がいること自体何なのだろうとなる。
汗水垂らしてもわずかの収入しか得られない人が無数にいるからである。
テレビでも紹介されるのはそういう人ばかりである。


そもそも金が何なのかということ自体がわからない、巨額の金になると実感できないのである。ただ金は使っているとき実感できる。お手伝いさんに一時間ばかり手伝ってもらって二千円とか三千円とか払ったとき毎日払うから高いなと思った。
ところが百万とかの金を計算すると実感できないのである。一年で百万とか計算すると実感できなくなる。もちろん自分の生活はまず貧乏人の生活だったからそうなる。
貧乏人は金持ちになっても貧乏性からぬけられないのである。
人間はあることが習慣化するとぬけられないことが怖いのである。
金があって浪費癖がある人もそうでありそういう生活が習慣化したらぬけられない、麻薬でも酒でも何でも習慣化すると改めることがむずかしくなるのだ。


とにかくグローバル化経済というのは人間の実感することからかけ離れている。だから個人的には判断もなにもできない、そして突然リーマンショックのようなことが起きてくるから怖い。そもそも紙幣をすったり金をただ右から左と流して景気が良くなったり豊かにはならない。新しい資源が発見されたり何か景気が良くなる具体的なものが生まれない限り豊かにならない。
だからアベノミックスは疑問になるのだ。
ただ金は使ってみないとその金が何なのかわからないのである。
ちょっと家のことを手伝ってもらうのも金を払うことだからそこから金を具体的に実感する。今は自分の家を情報基地にしようとして金を使っている。
それは車を買うより安くできる。
そして発信するために本などは金を気にしないで買って参考にしている。
百億円使ってもいいよというとき何に使うのか問題になる。
家に使わないとしたら何に使いそれがみんなのためになるのかとなる。
つぐつぐこんな人にこんな巨額の金か入ること自体間違っている。
何かそこで生み出すものがあればいいが何も生み出さない、まさに消費するだけであり生産しないからである。
結局人間は何かを提供するかがその人の価値を決める。株でこれだけもうけても何も提供しないのである。金はただ消尽されるだけだとなる。



posted by 老鶯 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2014年11月23日

南相馬市鹿島区で開かれた東電に聞く会 (30キロで線引きしたことの不満が爆発)


南相馬市鹿島区で開かれた東電に聞く会


(30キロで線引きしたことの不満が爆発)


minamisomaaa11134.jpg

gennpatyyyy123.jpg

gennpatyyyy1234445.jpg
クリック拡大


新しくできた交流センターで開かれた東電に聞く会に出席した。
だいだい自分が思っていたことをあからさまに東電にぶつけていた。
ただ出席した人は老人が9割くらいいた。
ただ子供をもっている女性の発言が印象的だった。
なぜならその女性は泣きながら訴えていたからである。
川子か塩崎辺りに住んでいる女性だった。
夫が家族と離れて外で働いていて家族が分離してしまった。
それなのに高速も無料化されていない
同じ学校に通っているのにもらっている子供ともらえない子供がいる。
川子とか塩崎は30キロの線引きがされたので隣でもらっているのに
自分はもらえないとか前から不満が大きかった。
高速料金にこだわっているのは夫とも離ればなれになったからである。
その交通費が車代がガソリン代がかかるからそういった。

結局一番の焦点はなぜ30キロ圏内と圏外で線引きされたのか?


そのことを東電の人に強く問い正しても東電では正直どこかで線引きしなければないと言っていた。
ある人は80キロで線引きすれば良かったのだとも言っていた。
そしてこれは南相馬市をばらばらにしていがみあいさせて賠償金を少なくするための東電と政府の策略だったとも怒って言っていた。
それは前も自分が書いていたがそれをあからさまに東電に向かってしかりつけるように言っていた。
それはわかっていたのだが今回さらになぜ30キロ圏で線引きしたのか?
盛んに鹿島の市役所のモニタリングポストの方が小高や原町より放射線量が高いと言っていた。放射線量から決めるならこれも変だとなる。
結局なんで30キロで線引きしたのか?

そして原町がなぜ25カ月分一人十万で鹿島区は7カ月分しかないのか?

このことは本当にどうして決められたのか?
これは南相馬市を分断して補償金の要求をおさえるためだった
小高と原町は高くすれば多数決で鹿島区はおさえられると東電で見込んだのである
原町区の人も出席していたが一番の不満は鹿島区の人たちがなぜ差別されたかということであった。
原町区の人も確かに今でも賠償金が払われていないということがあり不満をぶつけていたそれでもやはり25カ月分ももらえれば原町区は人口が多いからここの不満をおさえれば
鹿島区もおさえられると見込んだから原町区には25ケ月分を払った。
その分鹿島区を低くおさえたのである。原町区にそれだけ払えば鹿島区は低くせざるを得ない、そして南相馬市全体では一致して東電でも政府にも抗議できないからである。

この会を主催したのは共産党だったのか、二人の共産党議員が出席して司会役もしていた東電に補償を求める会も結成されている。
ただ結局何度も社長なり部長なり課長なりを出して賠償を約束しろと問いただしても
また実際に東電の会社に行って社長に部長に言って賠償を約束しろと言ってもとりあわないと言っていた。
この会でいくら不満をぶつけても結局何も解決できない
司会の人も裁判するほかないから協力してくださいととも言っていた。
なぜ東電の社長や部長や幹部がでてきて謝らないのかとも問い正した
しかしそもそも前の会長や社長や部長は海外の東電の子会社で何の罪になることもない、罰せられることもない、前と変わらない優遇された生活を海外でしているとされるのである。検察も動かないし罰せられない、だから謝りもしないのである。
要するに戦争と同じく国の犯罪だからそなっているのである。
誰も前の戦争でも謝る人などいないからである。

そして盛んに因果関係があることが被害者で証明してくれれば補償する
その因果関係をどうして被害者が証明しなければならないんだと問い詰めた
因果関係を証明するのは東電だろうと問いつめた。
「放射能の影響はありません」と証明するのは東電なのである。
そんなことを被害者が説明できるわけがないのである。
ともかく定期的にこうした会を開く被害者の声を聞くべきだと訴えた。
ただこれも東電が不満を聞きガスぬきするだけで何ら肝心の補償は実行されない
たからこんな会開いても無駄だとなる。
何か効力が発するのは裁判であり浪江でも東電が罰せられるべきだと裁判にしているが
それも国もかかわり検察すらかかわっているのだからできない

要するに最後は補償金の問題になる。
それ以外精神的損害でも何でも補償できるものが具体的にないからである。
高速料金で30キロと30キロ圏外とかで差別するのはひどいと泣いて訴えていた女性がいたようにそういう差別するのは本当に腹ただしい
でも結局東電の人が線引きせざるを得ないとと正直に言っていたように
割りを食ったのは30キロ圏外であり南相馬市なら鹿島区だったのである。
80キロで線引きしろというとき相馬市も実際放射線量では変わらない
市内で計ったら0・5もあった、これも高いなと思った。
だから相馬市でも相当に不満なのである。
福島県内でも別に福島市なら南相馬市よりずっと高い放射線量の所があっても補償はない
その不満がまた福島県内でも分断する要因になっているのだ。


あとがき

原町区の人も半分くらい参加していたようだ。
原町の人も払われないで不満の人がいる
ただ原町区と鹿島区の人が協力しにくいということがある
それが一致できないことであり強力に東電に要求できなくさせている

タグ:東電補償金
posted by 老鶯 at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年11月24日

精神的損害は金では賠償できない (原発事故でも犯罪でも他でも同じ)



精神的損害は金では賠償できない


(原発事故でも犯罪でも他でも同じ)



良く原発事故の精神的損害ということがこの辺では嫌というほど聞いた。
今もこの精神的損害のことで賠償金のことで原発自己周辺はもめている。
では精神的損害とは何なのか、何か抽象的である。
でも今回の事故ではこのことこそが一番の焦点となっていたのである。

30キロ圏で線引きされた母親が泣いて訴えていたことを書いた。
おじぃちゃんやおばあちゃんが畑で作った野菜を孫に食べさせることができない
米でもそうであり金で買うからその分金がかかりすぎる

このことが原発事故の精神的損害を一番象徴していた。
何も金もらって買えばいいじゃないかとなるが違っていた。
このことは実際に野菜を作っている人でないとわからないものがある。
例えれば母親が子供に愛情こめて作った弁当とか料理である。
それは単に買うというのではない、そこには母親の愛情がこもっているから違っている。それはおじぃちゃんおばあちゃんでも同じである。
苦労して作った野菜を孫においしいと食べてもらうことがうれしいのである。
そこにおじぃちゃんおばぁちゃんの愛情があり孫に伝えられてゆく
もしただ金あるからといって買って与えているだけならそうした愛情は伝わらない
それはまたその土地で故郷でとれたものを与えるということも違っている
そこに故郷からとれものを与え食するのだから故郷に愛着をもつ

だから避難した人で農家の人はそうした一番愛着が故郷にあるだろうと思った
ただ最近はみんな何でも買って生活しているからそうしたものが失われていた
お袋の味なども喪失していた。
だから原発事故で特別起きたということでもなかった。
ても一番の精神的損害がこういうところにあった
それは飯館村でも孫に飯館村で作った野菜を子供に孫に食べてくれと与えたか
親は捨てたということでも象徴されていたのである。
自分も介護していてそもそも食欲ない人に食べさせてているからうまいとは言わないことは淋しいとなる。
ただディサービスに出た料理はおいしいと珍しく言っていたのである。
自分で作って与えるということは与えられているだけとは違ったものとなる。

いづれにしろこうしたことが一番の精神的損害でありこれは金では補償できないことがわかった。家族か実際に離ればなれになっただけではない、心までばらばらになりつながりを失ってしまった。それは原発事故だけではない、その前から社会的にあった現象だったが事故でこの辺は極端化したものとして現れたのである。
つまり何でも金があるからといって愛情は伝わらない、そういうことは現代社会の問題として露骨に現れていた。

ともかく原発事故だけではない、そもそも精神的損害は金では償いないものがあった。
例えば犯罪で傷ついた人はいくら補償金をもらってもその心がいやされない
家族が殺されたりまた女性なら強姦されたとかまた様々な酷い犯罪の犠牲者は金で補償されてもいやされることがない、精神的損害というのは消えないしいやされないのである。確かに金で解決すものもあるが人を信用していたのに裏切られたということなどの精神的損害は消えることがない、こんなに信用して対処していたのに裏切られたことなどは人間不信になってしまう。そういうことを二回も経験したから人間を信用することができないものと痛切に思った。
ところがそうして相手を傷つけた人はさほど相手に与えた精神的損害を考えない
たいしたことじゃないと思っているのである。反省すらしない人だっていくらでもいる。罪を許せというときそこまでに至るには相当な時間と紆余曲折した感情の問題がわだかまり残る。家族を殺されたりした人はそんな簡単に許す気持ちにはなれないのである。
傷つけられ人はその心はいやされない、金でもいやされない、金で解決したとしてもそれでいやされることはない、そのことは原発事故にも通じていたのである。

ただ原発事故の補償金問題は具体的に補償されるのは金しかないから訴える。
でもまた金だけでいやされない、償いないものが残る。
それを象徴していたのがおじぃちゃんやおばぁちゃんが作った野菜を孫に食べてもらえないということだったのである。
その傷が深く大きく長引くし金でも償いないものがあったのだ。
それをもたらしたものは何か、そこまで考えるのは被害者しかないだろう。
では加害者は一体誰なのかとなると戦争の時と同じくむずかしくなる
地元の人も恩恵受けて原発を積極的に受け入れたじゃないかとも言われる。
漁師は漁業権を楯に多額の補償金をもらったではないか、今ももらっているじゃないかとか言われる
おじぃちゃんやおばぁちゃんの世代が原発を誘致したのだから責任があるともなる

いづれにしろ原発事故周辺は内部でも亀裂が生じてばらばらになり家族もばらばらになりつながりを失った。そういう精神的損害は簡単には修復できない、それはいつまでも残ってしまう。ただ具体的に金しかないから金をくれとなる。
でもそうなるとまた外からはお前たちにも責任がありそんなに国の税金にたかるなとか言われるのである。
とにかく別に限発事故でなくても普通の生活で人間は深刻な精神的損害を受ける。
犯罪は日常的に起きているしそうして精神的損害を受けたからと償えることは少ないだろう。加害者はそんな精神的損害まで深く考えなのである。
東電の人も考えない、だから東電の人も原発事故周辺に住んでみて同じ経験するばいいとなる。その痛みを共有すればわかるとなる。
すべてが金では解決しないのである。かえって金で解決しようととすると傷が深くなるということも犯罪ではある。
ただ鹿島区などは補償金が少なかった。原町区が25カ月分だとして鹿島区は一人十万で7ケ月分しかもらっていない、その差は大きかった。
だから客観的に見れるという立場にもあった。お前らも多額な補償金もらっているじゃないかとなるとあまり言えなくなる。小高や原町はそうなっている。
確かに不満を言っているが鹿島区とは違うし他の相馬市でも不満が大きいのである。
鹿島区だと客観的になり発言しやすい立場にあったともなる
自分もそういうことで発言しやすいから正直な心で発言してきたのである。


タグ:精神的損害
posted by 老鶯 at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年11月25日

冬の雨(墓は特定の一人のことを想うことが普通である)


冬の雨


(墓は特定の一人のことを想うことが普通である)


冬の蝶二羽や田舎に老ゆるかな
墓一つ誰か想うや冬の雨
我が家も老々介護や冬の雨

冬の蝶というときこれも老人をイメージする。都会だとなかなか老人をイメージできない、田舎だとやはり老人がふさわしい場所だともなる。若い人はとうしても都会があっているのだ。
墓も何か自分のテーマだった。墓もやはり都会より田舎があっている。
だんだん親もしんでゆく人が多くなると墓も身近になる。
墓守になってしまうのも老人である。
だから故郷から家とか土地とか墓をもっていると離れにくくなるのである。
若いときはむしろ故郷を離れたいという気持血か強かった。
しかしだんだん人間はとしとれば定着思考に自然となってしまう。

実際ここ七年は遠くに行っていないし行けない
今年は本当に行かなかった。仙台にも一回しか行っていないのだ。
そうなると回りとか家での暮らしになる
それでも介護して家事をしていると忙しい。
家事は何を買うのかからむずかしい。
買うから楽に見えても買うことが結構手間なのである。
毎日のように通販で買っている。
車がないから通販は便利である。
なぜかというと必要なものが必ずでてくる、その時即座に調べて買えるから便利なのである。
それをこの辺では探して買うこと自体手間になるのである。

墓はやはり明治以降家族墓になったけどその墓に埋まっている家族全部を偲ぶことはない、ましてや他人だったら余計にそうなる。
江戸時代が個人墓だったように墓はもともと個人を偲ぶものだったのである。
墓も何だろうと考えるとこれせきりなくある。
墓は明らかに物体ではない、石というものが大事なのではない
死んだ人を偲ぶのが墓である。人を偲んでいるのであり墓ではない
だから母の実家の墓は墓だけ残っている。
そこに25歳で死んだとあるとき、肺病で死んだことは知っている
するとその人にんのことを墓にゆくと必ず想うのである。
家族墓として何人も想うのではなく誰か特定の一人を想うことが多いのである

俳句はともかく何か深く背景を読まないと鑑賞できない、この三句は平凡でも何か深いものがあるかもしれてい、自分で言うのもなんだが簡単なものに深いものがあった。
写生俳句は一見平凡なもの月並みのものが多いがまた何か深いものがある。
ただそれを読み込むことがかえってむずかしいのである。


 
タグ:冬の雨

2014年11月27日

冬紅葉(新田川は浅瀬にひびく川)


冬紅葉(新田川は浅瀬にひびく川)

fuyummmm123.jpg


新田川浅瀬のひびき冬紅葉
橋一つ夕べ渡るや冬紅葉
誰が守る社一つや冬紅葉
落葉踏み社一つの謂われかな
月細く夕べい出にし冬紅葉
夕月に道一すじや冬紅葉
幾匹や夕べの森に残る虫
今日もまた老人集まり残る虫
短日や慣れ知る道を帰るかな

この辺の川は大きな川ではないから特徴がないようでもある。
新田川は浅い川であり川としては小さいから浅瀬を流れるから瀬音がする川である。
川としてそういう特徴がありそれが情緒になっている。
真野川は長い川だから川としては大きい方である。
高瀬川はダムがないから一番景勝の地だった。
そして浪江はは二つも川が流れていたから川の町でもあった。
ただ浪江は遠いのでなかなか行けないから二つの川がどういうものだったか知り得なかった
新田川はしょっちゅう行っていたから特徴がわかった。
相馬市の宇多川は何か特徴がない、川のようにも見えない、ただ宇多川の上流は源流は副霊山の方にあったのが意外だった。
川というのは源流をたずねることも必要である。川は源流を知って一つの川として認識できる。

浪江の高瀬川の奥は深い、あそこはやっぱり一番いい川である。
別にその川がなくなったわけではないけど入れないのが残念なのである。
この辺は浜通りで変化ないようでもあった。
日本の地形はどこでも複雑であり狭くてもあきないのである。
外国だったらどこまでも平坦でありただ一本川が流れているとかになり単調になる。
日本は海あり山ありで変化に富んでいるから旅してはあきない土地なのである。

今は冬紅葉の季節である。夕べ月がでていた。森には残る虫が鳴いていた。
日は短くすぐ暗くなるけど自転車でゆっくり走るのが気持いい。
道は知っているので暗くなっても危険ではない。
マウテンバイクだから安定しているから段差に強いから走り安いのである。
何か冬紅葉というと貧しい時代だったら別な諷に感じていたろう。
貧しい生活に冬紅葉が映えていた生活だった。
今は農家といっても別に貧しくないしみんな勤め人なのである。
ただこの辺は原発事故以来耕作していないから農村風景を失っているのである。

タグ:冬紅葉

2014年11月30日

冬紅葉 (貧しき人と交わる・・すでにインターネットで14年書いていたから整理する)



冬紅葉

(貧しき人と交わる・・すでにインターネットで14年書いていたから整理する)


冬紅葉貧しき人と交わりぬ

夕日さし城下の暮れぬ冬紅葉

冬柳長々としだれ城下町


冬紅葉というとき何か貧しさを現している。ただ今の時代貧しいといってもその貧しさの内容が違っている。食べ物は贅沢であり変わりないのである。
現代の貧しさ食べるものがないとかではない、それ意外の贅沢の結果貧しいとなる。
サラ金から8人に一人も借りているということはそれだけ無理している。
家もローンだと無理して退職して今になって困っている人がいる。
自分の知っている人は立派な家を建てて借金して困っていたとか贅沢して教育でも留学させてとか食べ物ではない、そうした家とか教育とかで贅沢して借金している。
車だってそうである。車が一台あればいいと思うが一人一台とかなっている。
車使わないと30年とかの年月で計算すると一千万はかかるという。

なぜ自分の家である程度の金がたまっていたのかというと幸運もあったが結局車もないし金を使わないからある程度残ったというだけだった。
子供もいないかちら教育費にも使わない、旅はしてもそれは一年に二三十万くらいだろう最低の旅行しかしていない、外国に行った時でもかえって円高で日本より安上がりだっただからふりかえるとつくづく金を使っていなかった。
家族でもそうである。母は一切金を使わない人だった。
茶碗一つ買わない、年金も3万くらいもらっても一銭も使っていない
自分が何か買うとそんなものいらないと怒っていた。
これを馬鹿げているがその金も盗まれて何にもならなかった。
ただ働くだけだったとなる。

現代は過剰に金を使いすぎるのである。ないのに借金しても使っている。
それが怖いのは自分だけならいい、回りにも影響するから怖い。
原発事故だってそういう過剰な借金生活になることも間接的にな原因だった。
金になるならなんでもいい、原発も金になるから積極的に誘致しろとかなっていたのである。
それから借金した人が自分の困ったときをこれ幸いと責めてきた。
借金を入院しているときでも催促してきたときほど辛かったたことはない。
なぜなら頼るものがないからそうなった。
借金している人はもう他人のことなどどうでもいい、病気だろうが何だろうが金をとればいいとしか考えないから怖いのである
借金に追い詰められているからそうなる。
相手がどういう状態にあるか全く考えられないのである。
こいつが死ねば金になるぞとしか頭にない、今の世の中はみんな現実はそうなっているからもう金金金しかないから怖い世の中である。
こういう資本主義の世界は終わりにきているというのも本当なのかもしれない。
人間が金によって非情化が極端化してしまったからである。
資本主義社会が自壊してゆくとき世界が一つの終わりを迎えるとき極端な現象が起きてくる。末世には何でも極端化するし天変地異も起きてくる。
マヤの文明では2015が終末だというのも本当かもしれない。
とにかく貧しい人と交わるのはいろいろ問題が起きる。だから金持ちは貧しい人と交わらない。自分は別に金持ちではない、中流であり金にそんなに余裕あるわけでもない
ただたまたま使わなかったかことと家族が残してくれたので余裕があったというだけである。

今年も終わりに近づいた。自分はインターネットでホームページを書き始めたのは2000年でありプログをはじめて7年すぎた。合計で14年くらい書いていた。
この7年間は家族の病気の介護やらで大変な苦労をした。回りも津浪や原発事故で混乱した。それで書くことが多かった。
ここにきて疲れたのか、または今まで書いてきたことを整理する時期になった。
ずいぶん書いたからこれをまとめる必要が出てきた。
何とか本のようにして小冊子にしてまとめたい、だからどう印刷するとか
インターネットで頼むとか考えている。
詩も膨大なものを書いたが出せなかった。
なんかすらすらと書けたのが不思議だった。
だから詩集としてまとめたいのである。
そういう整理の段階になっていてしばらくは休みになるかもしれない。
明日はまた母が施設に二日の泊まりである

あと二カ月で百歳だ・・・・・

そこまで生きるみたいが、なんだ死なないのか死ねないのか不思議になる。
百歳を生きるということがイメージできない、これから30年も生きたらどんな気分になるんだろうとかなる。
でも津浪のことも原発事故のこともわからなくなっている。
だから百歳生きてもそうなると何か生きている意識もなにかあるのかとはなる。




タグ:貧しき人