2014年10月30日

除染は何のためにやっているのか? (一兆円の除染はゼネコンのためなのかー飯館村は除染できない)


除染は何のためにやっているのか?

(一兆円の除染はゼネコンのためなのかー飯館村は除染できない)


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人口6000人の飯館村の除染に3200億円かけて除染か?!
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1485319489

放射性物質は周辺の山林から飛んで来る。
除染で線量を下げるには山林までしっかり除染しなければならない。
膨大な時間と費用がかかる。
だが、
飯館村は長泥地区以外の地区の避難指示解除目標を16年3月とする復興計画案を示した。
1月末の村民意向調査によると
「現時点で村に戻りたい」は 60代以上 3割にとどまる。
「現時点で村に戻らない」は 30代以下 6割を超えた。
我々は今から何年か後に、村を捨てる決断をしなければならないかもしれません。可哀想なのは子ども達です。子ども達は飯館村というステッカーを一生背負って生きて行かなければなりません

【住民】それじゃあ、「除染のための除染」、「ゼネコンのための除染」じゃないか。きっちりした数値目標を出しなさいよ
さらに、村長は、「毎時1マイクロシーベルトでもいいよという人と、それではだめだという人がいる。それでいいよという人には、それで帰村してもらう」と、この日も発言している。毎時1マイクロシーベルトの放射線量の下で生活するということは、低く見積もっても年間5ミリシーベルト以上、単純計算をすれば年間8ミリシーベルト以上の被ばくをするということだ
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-83.html

モニタリングポストがあります。その表示は2〜3mはなれた周りの線量に比べて3分の1以下という状況がありました
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/ac821053624c96109f80a422d75e232b

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山積みとなっている除染した土

廃棄する場所もないという

土をとってもどれだけ効果あるのか?


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庭を除染して花もなくなっていた

なんか殺伐としてくる



飯館村の佐須方面を通った大倉では除染の人たちが全国から集まっていた。広島とかからも来ている。大手のゼネコンが共同で除染している。
その労力も金も天文学的である。鹿島区でも小池などが除染している。
除染した土がどこでも山積みになっている。その行き場もてないという。
確かに一時より半分くらいには下がっている。
除染しても効果は一時的なのかもしれない、特に飯館村は山林が70ハーセントでありほとんど不可能な地域である。回りの樹々を切ってもその後ろは山林である。
そんなところで除染が効果的なのかわからない、素人にしても不可能に思える。
除染にたずさわっている労働者も除染しても何か成果がないんだと言っていた。
確かに建物ができるわけでもない、道ができるわけでもないからそうなる。
やってもて何が成果なのかがわからないのである。
だから除染している方も何か虚しいとなる。


ではなぜそんな費用をかけて膨大な労力をつぎ込んでいるのだろうか?
すでに帰らないと言う人が多いのである。
帰らないというとき小高にすら帰らないという人が老人でも多い。
たいがい聞いてみると帰らないという。
飯館村などは小高と違ってさらに帰れるような状態にはないから住民もなぜそんなに除染に金かけているのだろうとなる。
それより一人一億円もらって他で生活させろと言っている。
この除染とかモニタリングポストなどもなぜ作ったのだろうか?
これもなんのためなのかわからない、その下は低くてもちょっと離れると倍とか放射線量が高くなっているのだ。これもごまかしなのである。
つまた放射能は低い、一マイクロでも住めるとか言って住民を帰らせて住まわせるのが意図なのか?


政府の意図が何なのか?放射能対策ではなにかちぐはぐなのである。
そもそも30キロ圏で線引きしたのもおかしいし南相馬市でも小高を避難区域にしたこと自体過ちだった。それから地域ごとに線引きして避難させたりしたのもただ補償金で地域が分断されて内部対立が生まれた。
土地はつながっているし空もつながっているから放射線量で地域を分断するようなことをするべきでなかった。
結局対立させて分断させて政府や東電の批判をそらす意図かあってやったのかともなる。
除染は徒労なのである。成果はなき徒労の仕事である。そんなものになぜ一兆円も費やすのかとなる。

自分としては飯館村には住んでもらいたい、いったん人が住んだ地域は住まないと幽鬼が彷徨ようすさまじいものとなる。そうした廃村をめぐるのがブームにもなっている。
でも飯館村はそうした廃村にはなっていない、何かちょっと留守したよという感じなのである。人が帰ってきて手入れしたりしているからだろう。
本当に人も全く入らず放置されたら幽霊がでてくるようで怖くなるだろう。
家が空屋になるといたむのが早くなる。
飯館村ではまだ人が出入りしているからそうなっていないのだろう。
庭に紅葉が咲いていたのに人が住んでいないというのはやはり庭も死んでいるとなる。
その紅葉は人ともにあったものであり山の紅葉とは違っていたからである。
「ともに燃えて咲きなむ」というとき人間がいてそうなるのである。
人間がいて自然も人間化されているのである。
津波の跡の樹も何か人間に見えたことが不思議である。
未だにそこを離れがたく立っている姿は人間なのである。
人間の気が移ってそうなったのかわからないけど不思議な現象に見えたのである。


あれだけの大がかりな除染をするのは徒労だというときなぜしているのか?
住民も帰らないとういのになぜしているのか?
自分としても残念だけど一億円与えて他で住むようにするほかないのかもしれない。
ただ佐須までのドライブコースの道路は新しくそこで自然は楽しめる。
もう家がなくなってもどうにもなないのかもしれない。
それにこだわりつづけても無理なのかもしれない
でも自分の予想では百年後でも飯館村でも浪江でも住む人はでてくる。
日本は狭いからやはり土地の価値だ高いから住むようになる。
その時はどうなっているかわからないがだダッシュ村とか自給自足の自前の発電とかで自然と共生する生活を目指すような人がやはりでてきて住むようになる。
自然はやはり前と同じく美はそこなわれていないからでてある。

だから百年は放置してその時また住む人が出てくるまで待つほかないのかもしれない。
まず農業とか林業とか牛を飼うということができないことが致命的なのである。
ただ南相馬市や鹿島区でも花の栽培はいつまで通りしているし増えている。
花は放射能と関係ないから飯館村でも作れるのである。
竜胆などは作っていた。だから農業と関係することができないということではない、
だから除染より放射能と関係ないもので生活する方法を考える他ないのである。
別にキコリの宿でもできないことはない、放射能でも森はもとのつまであり
例えば「瞑想の森」とかで湯にひたりリラックスする場所、保養の場所などとして活用できないことはないのである。
だから今までの発想を変えなければ住めないのである。
そういうアイディアは外部からはしやすい、内部だと今までの生活にこだわるから出にくいのである。
自分としては残念だけど保養の森とか癒しの森とか瞑想の森とか森を活かす方法がある。森はもう除染できないのである。
だから一兆円かけて除染しても一体何のためにしているのか?
ゼネコンのためなのかと住民が言っていることがわかるのである。
タグ:除染
posted by 老鶯 at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

霊山まで秋の俳句十句 (鹿島→栃窪→大倉→佐須→霊山→玉野) 霊山まで秋の俳句十句 (鹿島→栃窪→大倉→佐須→霊山→玉野)



霊山まで秋の俳句十句


(鹿島→栃窪→大倉→佐須→霊山→玉野)

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秋日さし老木保つ齢かな
老木に晩菊映えて介護かな
土壁の蔵や黄落に日のさしぬ
柿なりて土蔵に映えぬ畑に人
晩菊に石の動かじ門の脇
晩菊や栃窪村を過ぎにけり
碧水に紅葉写りて巌かな
この家に紅葉燃ゆるも人住まじ
空は澄みともに燃えなむ紅葉かな
峰々の連なり高く秋霞
みちのくの吾妻連邦秋霞
晩菊にコスモス映えて日のさしぬ
旧道をたどりて秋の昼の月
秋日さし玉野に古りぬ碑の四つ
三日月や夜に影なす五本松

木を叩くキツツキの音霊山の高きに重くひびきけるかな
玉野より相馬市遠き古き碑のここに残りて秋の日さしぬ

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真野側渓谷

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ここまでクリック拡大してください

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今日は風もなく晴れたのでひさしぶりに大倉から佐須を通り霊山まで行ってきた。
最初に見たのがこの生きているのか死んでいるのかわからない老木である。
そこに晩菊が咲いているのもあっている。
この木はまるで百歳生きた老人にも見える。自分の母親にも見える。
晩菊はまさに自分のことであり介護しているのである。
今親を介護している人も老人になっているのだ。
ただ現代では本当の老人は70以降になっているかもしれない、70まで元気な人が多いからである。自分も病気になったがもともと軽いものだった。
ただ看護するものもなく辛いものとなったのである。
それでも時々異常に筋肉痛になって自転車に乗れないのではないかと心配だった。
今日はそさほど疲れていないかもしれない
この辺は田舎の暮らしが途絶えてことで風景も殺伐としている。
ただ畑を羽しめた人は多くなっている。
ただ風景でそこに暮らしが野に働く人がいないと活きてこないのである。

大倉からは除染の人が一杯いた。あそこは道が良くなりドライブコースになっていた。
でも人は住んでいないから淋しいとなる。
猿が出てきた、小猿もかなりいて親の背にのっている。器用に木の枝を伝う。
まず小猿でも子猫で親より機敏なのである。子猫は親より柔軟性がある。
野生の子供でも適応力があるものだと思った。
そうでないと生きていけないということだろう。
動物を観察していると本当は面白い、でも動物の写真は一瞬をとらえるのがむずかしい。動いているからその一瞬がとれないのである。

紅葉は佐須辺りでとったのか一番きれいだった。あとは真っ赤になっていない、霊山も紅葉ではない、紅葉はほとんど見れないのが残念である。
あそこも人が住んでいていから淋しい、でも除染して人が住むようになるのか?
空屋とも違っている一時留守にしているという感じである。
ただ除染してもどれだけ効果あるのかは疑問なのである。
霊山の上でキツツキが木を叩いていた。それも大きなキツツキでありコゲラとかではない、その叩く音が重く響いていたのが印象的だった。クマゲラは一番大きいがそういう種類ではない。でもやはり山に来るとこうしたものに出会うからいいのである。
あそこからは吾妻連邦の峰々が浮かぶように見えた。
あれは秋霞なのだろう。山は遠くから見る方が感動的である。
山がきれいに見える場所は高い山から見るときれいに見えるのである。
それはヒマラヤでもそうであり3000メートル登ると天をつくような8000メートルの山が見える。
山の魅力が本当に大きいから山で死ぬという人がある。山に魅せられるのである。

ただ山は登らなくて見るだけで十分山を知ることができる。
そさでもやはり見る場所が問題になる。富士山でもそうなのである。
富士山も何か見る場所によってこれが富士山かとがっかりする。
それは見る場所によっているからなのである。
自分は山はそんなに登っていないし山もあまり見ていない
山をもっと知りたいなと思っているが今はせいぜい霊山まで行って吾妻連邦を望むことはできる。
春に行った時の方が残雪の吾妻連邦を見たからきれいだった。
その時のことは写真もとったが報告していない。
毎日書き切れないのである。

福島市から相馬市まで高速道路を作っている。高速道路ができると三つの道になる。一番古い旧道と今の道路と高速道路になるのである。
だから古道という地名があるのは昔も新しい道が常に生まれていたからそうなったのである。古町もそうである。
玉野から相馬市は意外と遠い、玉野は相馬藩内で伊達との境だけどずいぶん城からは遠い所だと思う。
あそこで米沢藩と伊達藩と相馬藩の森林資源をめぐって争いがあったことは有名である。玉野が相馬藩になっていたのは森林資源を得るために相馬藩の領内になっていたのであるそこに境目付が配置されたのである。それは森林資源を確保するためだったのである。

相馬市街か離れた田んぼで白鳥が群れなして飛んで行った。
今年の天気は変則的である。今日はあたたかいからまだ秋である。
昨日は冬だった。白鳥が来たということは冬になるのである。


タグ:霊山