2014年10月22日

南相馬市など介護が足かせになり衰退 (うば捨て山が現実化する)


南相馬市など介護が足かせになり衰退

(うば捨て山が現実化する)




南相馬市の高齢化問題は深刻である。そしてこれが放置された場合には、状況はさらに深刻化し、介護負担が大きい郷里に戻ることを躊躇する若年世代が増えることが予想される。




福島第1原発事故で約1200人が避難する山木屋地区を抱える
福島県川俣町。17日午前7時、町中心部に近い養護老人ホーム
「済生会川俣光風園」は喧騒(けんそう)に包まれていた。

事務室に通された。職員のスケジュール表が目に入る。
「午前5時48分−Aさんの排せつ介助」「同59分−Bさんの起床介助」。
スケジュールは分単位で埋まっていた。
「職員が足りなくて、これでもサービスを減らしているの」。

人手不足に拍車を掛けたのが原発事故だ。職員が避難したり、
定年退職者の補充ができなかったりして、52人いた職員は46人に減った。
そのうち半数はパートだ。逆に仕事量は増えた。
全町避難が続く浪江町などから避難した高齢者を受け入れ、
入所者は現在80人。定員を5人上回る。平均年齢は80.2歳。

福島労働局によると、介護職の有効求人倍率は2.84倍。
全体平均1.41倍の2倍近くになる。子育て世代の母親は避難し、
力仕事で頼りにしていた男性介護士たちは高給の除染作業に流れた。



この二つの記事は何を訴えているのか?

力仕事で頼りにしていた男性介護士たちは高給の除染作業に流れた。

介護する人が不足して介護できないということ起きている。川俣では浪江の人を施設で受け入れたことも大きな影響を及ばししている。それだけの老人を介護する余裕はもうない人手不足でありいない、除染作業が高給で介護の人手もいないというのも原発の複雑な影響が起きている。川俣町は山木屋をのぞいて東電から補償金などもらっていない、飯館などはもらっていても隣の川俣町は全然もらっんていない、すると当然金が欲しいから除染の仕事を選ぶ。川俣町は原発事故の影響を相当に受けた。飯館村が隣だということの影響が大きかった。でも補償金が入ってこないから除染の方に人が流れるのも必然だった。


介護負担が大きい郷里に戻ることを躊躇する若年世代が増えることが予想される。


南相馬市で起きているのは特に避難区域になった小高などは若い世代が帰らない人が多いという。女性から見ると姑とかと一緒に暮らさなくてもいいからかえって補償金をもらって他で若い人たちだげ暮らした方がいいとう選択になるという。
これも確かに女性から見たら今の時代は現実に姑とかとは離れて暮らしている人が多いから当然だとなる。かえってこの際チャンスだとなり帰らないとなる。
故郷への執着心もあまりないのが若い世代である。
ここでも補償金がもらえるかもらえないかがかなり影響している。
他で移り住むにもそれだけ資金が必要だからである。小高の場合はそれだけもらえるということもあるかもしれない、浪江とかなると一億もらえるとなる若い世代は余計に帰らない、そのことがすでに南相馬市でも65歳以上の割合が増えた要因である。

つまり原発事故周辺でも津波の被害地区でも高齢化ということが深刻なのである。
復興するにもその担い手の若い世代が流出しているからである。
姑と暮らさなくていい補償金もたんまりもらえるとなると余計に若い世代は流出してゆく若い世代が年寄りを介護したくないというのもわかる。だから帰らないというときまさにこの辺はうば捨て山になるのである。放射能廃棄物とうば捨て山になってしまう。
小高にしても復興がむずかしいというとき老人だけが残り若い世代が流出したら復興はできないだろう。80歳の老人が何かをしようとしてもこれから介護になるかもしれない、その若い世代がいなくなるとなるきそっちの方が心配になるのである。
そんなのでは復興などあり得ないだろう。
介護は自分もここ七年しているけど楽じゃないのだ。そして介護はつくづく長くつづくものだなと思った。だらだら何か生産性がなくつづくのである。
その介護の長さも負担になるのである。だから介護の負担したくないから若い世代が帰らないとなると一体誰が介護するのかとなる。
もう人も集まらないし介護する人なく捨てられるとなる。


それは別にここだけの問題ではない、全国的な問題でありだから東京ではもう施設に入れる余地がないから地方でめんどうみさせろとか言うのも納得できないのである。
そもそも介護の人手がないのにそんなに老人ばかりおしつけられたらどうなるのか?
いくら金が使うからいいといっても金だけでは解決しない問題が生まれているのだ。
「俺は億の金があるんだから田舎のものはめんどうみろよ」とか言ってもそもそもそのめんどうみる労働力がないのだから迷惑だとなる。
老人ばかり押しつけられてもどこでも歓迎はしないだろう。金を持っていても経済的効果を生むとは限らない、老人ばかりで仕事は介護ばかりだという街に住みたくないだろう。東京はだから高度成長の時は若い人を労働力と吸収して使えなくなったらまた地方にもどして若い労働力を吸収し続けるのも大きな弊害になっている。
そして何でも一極集中というとき今高齢化で60代の人が遺産相続している。
その金もまた東京とか大都会に集まっているというのも弊害である。
息子や娘が東京に集まり田舎には帰ってこないからである。
何かこれまでの日本の社会の矛盾が高齢化で極端化して現れてきたのである。



大相続時代で地方の金が大都市圏に流れる

今後20ー25年間に想像される金融資産は650兆円でこのうち120兆円が地域を越えて移転する
埼玉、千葉、神奈川に約50兆円がながれこむ
地方30県の家計の流出額は家計金融資産の二割に達する。
(福島民友ー2014-10月2日)

タグ:介護
posted by 老鶯 at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

心に青雲のユダヤ、キリスト教批判の疑問 (宗教団体自体がユダヤと同じではないか?)



心に青雲のユダヤ、キリスト教批判の疑問


(宗教団体自体がユダヤと同じではないか?)


バウハウストの創設した秘密結社イルミナティは、18世紀のことではあるが、それ以前にもユダヤは黒い貴族だとか悪魔主義だとかの秘密結社活動を行なってきた。それらがユダヤ教やキリスト教をつくりだしたものと思う。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/(黒死病の闇)

プログの主催者の言っていることは共感することが多い。ただそれがすべてユダヤやキリスト教批判になり悪の根源はユダヤとなっている。
確かにアメリカを動かしているのはユダヤだとかなり今の資本主義はユダヤ人が作り出したのだという説もいろいろ調べればそういうことはありうる。
ユダヤ人とは何かとなれば純粋の旧約聖書のユダヤ人ではないだろう。
ローマ帝国に敗れて離散してからはその末裔だとかではない、ユダヤ教を信仰する一団だとなる。
最近読んだ本で「一万年の進化爆発」で今の金融を担うユダヤ人はアシュケナージユダヤ人だという。これはドイツのユダヤ人という意味である。ドイツから東欧やロシアに移り住んだ人たちである。
その人たちはホワイトカラーになった。


ボーランド人のユダヤ人も金貸し業であり通行料取り立て人請負人、不動産管理人、工場や居酒屋の経営者になるものがでてきた。
14世紀の中頃、賃金や給料や報酬によって生計をたてたのは約15パーセントであり残りは独立した事業者であり彼らはポーランド、リトアニア共和国の管理階級だった。
読み書き能力に加え専門職であるにはビジネスマンと同じく複雑な取引の技能を必要とした。


つまりブルカラーではなくビジネスマン、ホワイトカラーであり頭脳労働者になっていたのである。それは官僚と同じように国の中枢を占めるようになるから移民でもその国に重きをなすようになる。ところがイスラム系のユダヤ人はそういう頭脳労働者ではなくブルカラーの肉体労働の下層民になっていたという。だからユダヤ人がどうのこうのというとこのアシュケナージユダヤ人のことなのである。
アメリカに移住した人たちもそうである。その人たちはそういう頭脳労働集団を形成していった結果、ノーベル賞をとる科学者を輩出してきたという、その原因が歴史的にたずさわった頭脳労働集団として形成された結果そうなったという分析も興味深い。
農業とか職人集団だったらそうはならなかったのかとなる。


天才がなぜ生まれるのか?とか問われるけど一人の天才が生まれるにはその背景にその天才を生み出す文化的パックグランドがあって生まれる。ヨーロッパに音楽の天才が生まれるのはそれだけの生まれる素地があったからである。そういう天才を生み出す集団が形成されているかだという。だからアシュケナージユダヤ人はそういう頭脳集団を形成しやすかったのかとなる。知能指数が他と比べて明確に高いとかそれは歴史的後天的に獲得されたものであったとなる。イスラム系ユダヤ人は全くそうなっていない、下層階級にしかならなかったのである。つまりユダヤ人だから頭脳的に優秀になるということではなかったのである。
これを日本で考えるとノーベル賞をとっているのは西がほとんどだというとき、大阪京都とかはもともと日本の文化の中心でありそういう頭脳集団を形成しやすかったからそうなっているともなる。大阪は商人の街であり京都は文化の中心だからである。
アシューケナーユダヤ人のように一つの歴史的文化的集団が形成されてそれが受け継がれてノーヘル賞級の科学者も生まれたのかともなる。なぜなら同じユダヤ人でもイスラム系は全くそうはならなかったからである。


イスラム教も一神教だからアブラハムから別れて生まれた宗教だからユダヤ教の基の旧約聖書から生まれたのである。だから同系統の宗教である。結局イスラム系でも分派したように宗教は分派してまた争うことになった。カトリックとプロテスタントでもそうである。仏教でもそうである。ともかく宗教は集団化したとき負として作用したことが大きくなりすぎたのである。それはキリスト教だけではない、仏教だってそうであり結局政治化して世俗化して権力とかかわることで問題が起きてきた。だから政教分離の法律がヨーロッパから生まれたのは必然だったのである。
日本の神道だって神社本庁が戦前の天皇制の復帰を唱えている。それも天皇教は宗教でありカルトでありそのために300万人も死んだともなる。そうした恐るべき災いが宗教から生まれたとなるから政教分離が生まれたのである。
宗教の悪しき利用は国を滅ぼすと日蓮が言っていたけどまさに今も創価をはじめカルト宗教は国を滅ぼすものであることは変わりないのである。


内村鑑三は明治にキリスト教が解禁されたとき日本はヨーロッパのキリスト教文明を根幹にすえないと日本は崩壊すると言っていた。つまり西欧文明を明治にどう解釈したのか?
日本では便利なものとして科学技術として取り入れた。キリスト教は取り入れなかった。西欧文明の基がキリスト教であるということを否定したのである。西欧文明を取り入れるにしてキリスト教を取り入れなかったら成り立たないと言っていた。
それはなせイスラムであれだけ宗教にこだわっているのかともにている。イスラム教がなければ国も成り立たないからあれだけ主張している。
ただキリスト教でもカトリックやプロテスタントがあるように一つではないのである。
内村鑑三は武士道的キリスト教を唱えたり手島郁朗氏は神道的キリスト教を唱えたのもわかりにくいのである。


ユダヤ人が世界を支配している、金融で支配しているというのは資本主義を牛耳っているというのはやはり金融業に従事する人が多いからだろう。マスコミ関係もそうである。
何か現代の中枢にかかわるからそういわれるのだろう。
それは創価でも裏で金で支配しているというのとにている。実際ほとんどの地方新聞が聖教新聞をすっているからユダヤの支配とされるのとにているのである。
でも創価だって結局自民党に使われているということもありとても世界を支配てきるような力をもつことはありえないのである。
宗教が一つの政治的集団と化したとき世俗化したのでありそれは何の宗教でも間違いの元ととなる。イスラム教でもそうである。政治は権力を行使できる。宗教がカトリックのように政治化したとき堕落した。宗教が権力をもてば権力として工作して日本も支配するようになる。それはカルト宗教団体はそこに莫大な金を集まることでその金を利用して国を支配できるとなるからである。
そういうことが目に見えているから宗教が嫌悪され危険視されるのは当然なのである。
だから内村鑑三が無教会を唱えたのはそううい集団宗教を拒否したからである。


どんな宗教にしてももともと人を殺すことは否定している。そしたら戦争などできないはずである。でも宗教の名のもとに神の名のもとに戦争でも人を殺してきたのだからそれは宗教のせいではない、人間のせいなのである。神もそんなことを命じてはいない、だから宗教が悪いのではなく人間が争いの元を作り出している。その原因はあくなきこの世に対する欲望だったり不満だったりであり宗教そのものがそうしているのではない、悪人が宗教に触れると最悪になるともいわれる。
なぜなら自分の欲望を達成するためであり怨念であり不満であり神や仏の名によって断罪して殺すこともできるからである。
正義の名のもとに膨大な人間が戦争で死んだのと同じである。
だから人間の悪意から発したものでも神の名のもとにカトリックでも死刑にしてきた歴史がある。カルト宗教はほとんどそうなのである。
「あいつは地獄に落ちる」とか絶えず言っているけどその本人がどんな人間が見ればわかる。それは普通の俗人となんらかわりない、どろどろした欲望の持ち主でありその本人が地獄に落ちるような人柄なのである。ただ宗教はそうして恐怖を与えるだけだとなるから拒絶反応だけがでるようになる。悪人が宗教をもつとき最悪になるというのはそのことである。サタンが宗教を巧みに利用するというのもそのことである。
カルト宗教団体もこの世からなくならないのは必ず不満分子がいてそれに頼る人がいるからである。それを利用して政治化して権力を左右しようとする野心家が常にいるからそうなる。またそこには大衆の大きな無知も作用しているからなくならないのである。


 
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