2014年10月17日

南相馬市鹿島区の状況(写真三枚ー2014-10-17)


南相馬市鹿島区の状況(写真三枚ー2014-10-17)


trackkk123.jpg

ローソンの前でトラック横転

flowerplant.jpg

海老への道で花栽培

danchiii12.jpg

街内の復興団地に人が入る




この三枚の写真は今を南相馬市の今を象徴している。
ローソンの前でトラックが横転したのも今でもトラックがひっきりなしに通っているからこういう事故があっても不思議ではないし十分にありうると思っていた。
とにかくトラックで毎日まだ復興のために運ぶものがあるからだ。

次に海老に行く道に新しく花を栽培する場所ができた。ここでは生産者がじかに売っている。これはいいなと思った。前から書いていたけど花は放射能の影響を受けないからである。だから寺内でも花を栽培している所は前と同じように作っていたのである。
川内村でも花を栽培しようとしたのもわかる。
だからこの際こういう新たなことに転換するのはいいことである。
ただソーラーパネルはいろいろ問題が起きてきた。何かあまりにも過剰になり無理があったのだ。
景観も破壊するのでは嫌な面もあった。だから花栽培はいいなと見た。

街内の復興団地はほとんど部屋がうまった。すぐに予定した人が入ったのだろう。
子供のいる家族もいるし小高の人もいた。
何かあういうのを見ていると復興していると感じる。
まず仮設は早く出るべきなのである。仮設は何か中途半端だし小高に帰るでもないまた別に住むでもない中途半端でありこれからはそれでは困るのである。
かえっていい加減な人には仮設というのは住み心地がいいみたいだ。

いつまでも補償金暮らしとかはもう終わらないといつまでも復興などないだろう。
花栽培と復興団地に人が入ったことはまた復興を感じた。

タグ:震災復興
posted by 老鶯 at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

秋薊(介護も家事も七年間になると長いーみんな重荷を負わされている)


秋薊


(介護も家事も七年間になると長いーみんな重荷を負わされている)



故郷や今日も買い物秋薊

秋薔薇見る暇なきに散りにりけり

秋の灯や復興団地人入る

何人も重荷負わされる生きるかなあざみ根を張り秋風の吹く



人間は誰でも重荷を負わされている。ある人は確かに生涯貧乏で障害者の世話とかで苦しんできたことを語るけどその人だけではない、何らか重荷を負わされて生きている。
仕事すること自体重荷である。もう7年間も介護や家事に追われてきた。
七年間となるとやはり長いから苦労したなと我ながら思う。
人間も仕事でも十年くらいしていると苦労して仕事したなとかなるだろう。
そこに生活の実感が生まれることは確かである。
やはり長くなればなるほど苦労してやったなとかなる。
自分はこれまでそうした苦労からまねがれていたのは幸運だったのである。
だから旅も自由にできた。他の人はみんな苦労を背負って生きてきたのである。
自分の母親90年間苦労の連続だったとなる。それが人生であり何の楽しみもない
ただ食べるものだけは贅沢したのである。
だから庭はいらないとか花も興味ないとかそんなもの無駄だとか狂気のように騒いだのである。それもまた異常だった。

ただ何も苦労もない人もまた人間としてまともでないことは言える。このバランスがうまくとれていればいいのである。一方に偏るからおかしくなるのである。
駅前の秋薔薇は散っていた。前は見ていたけど見ない内に今年は散った。
それもそれだけの余裕がないから見る暇がないからそうなる。
今日は北風が吹いていた。急に寒くなった。
いづれにしろこの七年間本当に苦労の連続だった。
まず人を雇うのは本当に苦労である。家の中で働いてもらうほどめんどうなことなはい。家事などしてくれる女性は何か問題を金銭的なもので必ずかかえているのである。
今では昔の人のようなモラルが正直な人とかいないからあまりにも金だけに目をつけられている。それが露骨になっている。


俺に金くれ、俺は金とりにきたんだとばかりに入ってきてその通りにした女性がいたことには驚いた。こんな女性がいるのかと信じられなかったし他にも「おばちゃんは金があるから金でめんどうみろ」とか血相変えて遠い親戚の女性は去った。
その女性は金持ちだったのである。あとは金がなかった。一人は裁判にすると切れた。
これほど金に困窮して異常になっているのが現代である。
もう一人は借金でおいつめられて自分に入院しているときも要求してきた。
それは脅迫だったのである。これらの人は犯罪の一歩手前であり実際は犯罪者でもあったのだ。
こんな女性が近くに田舎でも普通にいると考えられなかった。
そういう考えられないことが自分にはこの七年間起きてきたのである。
津波も原発もこれも考えられないことだった。
こんなに次々に異常なことが起こることが信じられないとなる。
つくづくこの世も末だというのを感じた七年間だったのである。

街中の墓地の前の復興団地には人が入りはじめた。ほとんど部屋は埋まっているから待っていた人が多かったのだろう。子供のいる家族もかなりいる。
小高の人も入っていた。津波の被害を受けた人が優先なのだろう。
復興住宅でも団地でもまさに復興したという感じを受ける。
仮説とは違いここで生活してゆく基盤できたとなるから違っている。

タグ:秋薊