2014年10月03日

パソコンを初期化してすぐウィルスに感染したのはショック (パソコンの記録は紙に印刷して残すことも必要)


パソコンを初期化してすぐウィルスに感染したのはショック

(パソコンの記録は紙に印刷して残すことも必要)


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ウィルスに感染して初期化した、でもwindows8を一年間使ってそうなった。
今回は初期化して一週間くらいだろう。
それもプログを書き込むところが宣伝がはいったり
ビデオで外人が笑ってい動画がでてくる。
どこかをクリックするとでてくるから相当に今回は悪質である。
それでインターネットにはつないでいない
もう一台のxpのパソコンでプログにアップしている
今回のショックは外部への記憶媒体も感染しているから使うなと言われたことである。
usbからも外部へ感染してそれを使うとまた他のパソコンが感染する
そんなことしたらせっかく記録したものがゼロになるから全部消えるからショックである。
一応インターネットにつながないで記録したものの整理をしている

結局印刷しておかない限り記録したものが消える、一瞬にして全部消えるのがパソコンの恐怖なのである。
ただcdに記録されたものが呼びだすことができた。
新しいパソコンでは記録した古いものがソフトの関係で読み込めないことがある。
これもパソコンが記録するには危険がともなっている。
電子メディアは意外と記録するのには脆弱であり危険である。
なんらかの調子で全部一瞬にして消えることがある。
そうすると紙に記録させることが一番保存にはいいとなる。
紙に保存すれば本だったら50年くらいはもつ、パソコンはせいぜい10年くらいになる。
本では何百年とか前のも残っているし羊皮紙だったら中世から教会で記録されて今に残っている。
紙はどうしても劣化するからである。


記録がなぜ大事かというと例えばCDに記録されたとしても消えてしまいば何が記録されたかわからない。
これには何が記録されたのだろうともう探りえようがないのだ。
人間も同じであり記録が残らないとしたら過去の人間が何であったか探りえようがない
結局過去のことでも歴史でも名前だけ残っていればいい方だとなる。
エジプトがヒエログリフで記録を残すのに執念をもやしたのは記録の大事さを知っていたからである。
記録がなければ三千年のエジプトの歴史は不明になる。
何か探るときやはり記録が大事になる。そのことを知っていたから記録を残した。

相馬藩では400年前の慶長津波のことが700人溺死と一行しか記されなかったので津波のことが皆目わからないし探りえようがないのである。
400年前でも被害の状況が何かしら語られて伝えられていればこの辺にも大きな津波がきて被害があったことを意識できたのである。それがないからこの辺は津波が来ないのだということで危機感が全くなかったのである。
ともかく印刷してこれまで書いたものを記録する、詩が多いがこれでも千枚は軽くあるしどのくらいになるかわからない、印刷すると量が増えるのも困るのである。
本は何か固定されたものでる。一人の人間の記録や創造物でも固定化している。

しかしこの世の中のことは常に変化している。次から次と事件も事故も災害も起きてくる。
あらゆるものは流転をまねがれないし本でも解釈がいろいろにされて変わってくる。
要するにこの世に固定したものはないし固定した見方などないのである。
でも御嶽山噴火で若い男女抱き合って火山灰の中で死んでいたとかなるとポンペイでもそうした泥化して固まった同じような人間が発見されたからつくづく災害でも歴史は繰り返すとなる。
インターネットではこういうふうに今起きていることを話題にしやすいのである。
それはすぐにその事件をでも事故でも災害でも見て自らが発進する能力を得たからである。
だから今起きていることが何を意味しているのかいろいろ解釈する。
過去の歴史から深く考察もできる。それで時事問題の深層を最初はホームページで書いてきたのである。
プログは特に毎日のことだから今起きていることはその土地や個々によって発信しやすいということである。

自分はここ六年とか介護とかで家のことやら何やら毎日整理に追われている。
震災以後もさらに整理が増えた、家の整理というのがこれが大仕事だった。
毎日掃除するだけでも大変である。だから未だ震災以後でも整理できていない。
実家をたたむということなどが話題になったがその整理することは何年もかかる。
何を捨てて何を残すかとなるとすぐには判断できない、捨てて失敗したなというのもでてくるからだ。
何年かおいてやっともういらないとなるからである。
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捨てるこつは整理するこつは必要なものと必要なものでないものに分けてゆく。
本でも着るものでももうこれは着ないとなったら分類して捨てる
ともかく年取ったら身軽にして必要なものだけを選んで残すことである。
結局道具類でも今や買っても使えないものがかなりありそれですでに損したものがかなりある。
ものがそんなに必要でないし道具類でも使えなくなっているのだ。
自転車にビデオカメラをとりつけようとしたがこれもできていないとかいろいろなことができないのである。
そこで4万損したとかいろいろある。前だったらそんなこと自転車で一時していたがビデオは面倒なのでできなかった。手間のかかることは年取るとできないことがわかった。
つまり買っても利用できない、金があってもその金を有効に使えないということが起きているのだ。
その時間がないということが致命的だったのである。

パソコンは前から機械との格闘だったということがあった。最初は何かおかしくなると必ず初期化して使っていたのである。バイオス設定を一から個人でしていたのである。すぐに不具合になるからそうなった。
今パソコンの最大の敵はウィルスであることがわかった。
この恐怖は大きく安心してパソコンを使えないとまでなる。一瞬にして破壊される恐怖である。
完全に防御することもできない、ウィルスを防ぐソフトも完全ではないからだ。
第一初期化して一週間くらいで最も悪質なウィルスに感染していることが解せないからだ。
パソコンはどうしても三つくらい安全のために必要である。
その他記録するにも安全策を二重三重にしておく必要がある。
紙に印刷することも必要だからさらにめんどうになるのがパソコンだった。
タグ:ウィルス

人生はタイミングが大事、運命も決める (御嶽山で死んだのはタイミングが悪かったため)


人生はタイミングが大事、運命も決める

(御嶽山で死んだのはタイミングが悪かったため)


人間はタイミングが大事である。おそらくはこれは人生のあらゆる場面でそうである。
人と人が出会うことでもどういうタイミングで出会うかが運命さえ決めてしまう。
人の出会いでもタイミングによって人生が決まるとしたら怖いことである。
今回の御嶽山の噴火による不運な死者はタイミングが悪かったのである。
山が怒っている、爆発する状態のとき、山に登ったから不運だった。
山が静穏なのが普通なのだがよりによって山が怒って爆発するような時に登ったから不運だった。
それは人にも言えることである。その人がどんな状態の時、出会うかが重要になる。
相手がどんな状態にあるかを知らないと災いを受ける。例えば相手が明日食べるものがない、もうこの人から金を奪って食べるものを確保しないといけないとか切羽詰まっていたら恐怖である。
そういう切羽詰まった状態の人に出会うこと自体危険なのである。


会津美里で外部から入ってきた人に夫婦が残酷に殺されたのはなぜか?
出会うタイミングが悪かったのである。相手がどれだけ切羽詰まっていたかを判断できなかった。
普通の人のように接していたのかもしれない、知らない人だから借金を要求してきたので簡単に断った。それが命取りになった恐怖である。
借金をかかえている人や切羽詰まっている人は何をするかわからないのである。
その人が善人も悪人もない、切羽詰まった人は何でもする。殺人さえするように追い込まれているのだ。
要するに御嶽山のように爆発寸前になっていたのである。


タイミングが悪いとビジネスも成功しない、営業でも成功しないだろう。
相手の状態がどういうふうになっているのか知らないと成功しない
闇雲に契約をとろうとしてもできない、相手がそういう状態にないからである。
それは人にはそれぞれ様々事情があり成功しない。
つまり影響でもその人と出会うタイミングがよければさほど能力がなくても契約をとれるということがある。それも一つの運だとなる。
つまり人間には能力だけではない、常に運が不運が作用しているのである。
だからさほど能力がなくても成功する人はするのかもしれていのだ。


例えばカルト宗教でも勧誘に成功するのは相手が病気になったり何かで苦しんでいる時、勧誘されやすい、なぜこんなに苦しい目にあうのかとなり不可解になるからだ。
その時先祖が悪いとかあなたの運命を宗教で変えて見ませんかなどとなるとそれにのりやすいのである。
ちょうどガンが直る薬があるというとき、それが偽物でも藁をもつかむようにだまされまいきしてもだまされるのが人間である。もう一心で直りたいと思っているからそうなる。
そういうタイミングをねらっていれば相手をだましやすいのである。
そういうことを自分が家族が弱ったとき経験したから人間不信になったし人間は本当にむごいものだと思った。

相手が弱っているからとそこにつけこみ金がある人なら金をしぼりとろうとする。
ただそれはそういうタイミングで出会うから成功しやすいのである。
現実に自分は金は奪われるは借金に苦しむ人にも金を要求されてつけこまれた。
もし家族に何もなく自分も病気になっていなければそんなことはありえなかったのである。


人間は相手が余裕がある時だったら困った人がきても相談にのれる。余裕がないと相手の人のことなどより自分のことで精一杯だから相談も助けることもできないのである。
借金している人は相手が病気だろうがなんだろうが関係ない、なんとか金を工面しなければならないとしかない、そうして病気だろうが相手からしぼりとろうとする。
恐ろしいのは相手が死んだら金はいるとかなると死んだ方がいいとさえ思うのである。
現実にそういうことを自分はこの六年間の苦しみで経験してきたし事件でも保険金殺人にもなる。
そういう人はまず余裕がないのだから人を助けることはできないのである。


ともかくタイミングが悪いことは致命的なのである。恋愛だってただ若いなら欲望だけでそうなることもあるが年取ると男女の出会いは別なものになる。成熟して精神的なものになってゆく。
価値観もまるで変わってしまうことがあるのだ。
だからどういうセチューションで出会うかが大事になる。
例えば金がないとき、金がほしいというときは金のある男性の方に目を向きやすい、でも金に余裕があれば別な観点から男性を見ることになる。
出会うタイミングがそうした運命を決めているのである。


庭を作ってもらったのもその時なぜかちょうど仕事がほしい人が大工さんが庭師が自分の家に来たのである。相手も金で困りどうしても仕事が欲しかったのである
その人は一人親方で腕が良かった。庭で大工でも壁ぬりでも何でもできたから驚いた。
自分も遺産が入ったので金に余裕があり庭を作ってみたいと思っていたから作った。
そういうことでもいつでもできるとは限らないのだ。庭なんかいつでも頼めばできるじゃないかというが今になると介護して家に寝ている人がいるとできない、何か周りが忙しくてできない。
その時は庭を作るのにタイミングが良かったのである。
ビジネスでも営業でも何ら努力なしで成功するときがあるだろう。それは相手がそうしてもらいたいという状態になっているからなのだ。
大金が入ってきたら投資を進める人があればのってくる。それが危険でもそうなるのである。
金はいつでもあるものではない、でも遺産とかあるとき金がはいる時がある。
そういうときは金を使いたいのだからビジネスも営業も契約をとりやすい状態にあるのだ。


今回困った人の相談にのれたのは自分に病気も一段落して直ったからできた。
もし病気のままであり介護などでもっと苦しんでいたらできない。
そしてこちらで頼むこともありお互いが助け合うこともありできた。
相手も苦しい状態だったからこちらのことを思う余裕はなかった。
だから出会うタイミングが良かったのである。相手にとってそうであり運が良かったとなる。
つまり人間の出会いでもそうだが何でも人間には運が働いている。
ただ人間はいつも運がいいとは限らない必ず不運に見舞われるのである。
運が良かったり運が悪かったりを誰でも経験している。

人間万事塞翁が馬なるのが人間である

運が悪いことが運が良いことにもつながる。運が悪いことも運がいいことにはつながらない。
例えば悪運が強いとかあるのは本当である。たまたま泥棒にはいった家に大金があった。
しかしその大金が災いを生むということもある。
それは泥棒にとっては運が良かったが実際は運が悪い方になることもある。
病気は運が悪いことだが直れば健康を第一に考えるからそのあと病気しなくなったということもありうる。


ともかく爆発寸前のような御嶽山に上り実際に爆発して死んだのはタイミングが悪かったのである。人間にもそういう状態の人がいるから気をつけるべきである。
なにやかにや苦労が重なって爆発寸前の人がいてそういう人と接すると出会うと被害にあう。
だから火山は危険なのだからその危険を察知するための設備をしておくことが大事だとなる。
それで山の状態をみておくというのが必要になる。
今回もそういう兆候があったが警告を出さなかった。それが被害が大きいから問われることになったのである。普通の人はとても御嶽山が危険だと知り得ようがないからだ。
この山が爆発寸前の状態などと判定しようがないからだ。


でも人間の関係では相手がどういう状態にあるか見ることが必要である。
そのタイミングが悪いと最悪は殺されることもあるし被害が大きくなる。
健康な人に薬を進めても買わないが病気になればきかない薬でも売れるのとにているのだ。
薬を売るにしても健康な人にすすめている人が結構いるから売れないのである。
薬は例えでありその人にあったもの欲しいものがありそれを提供すればつまらないものでも売れることがあるのだ。要するにタイミングでありみんなの要求もそれぞれ違ったものだからものあまりの時代は余計に売れないとなるのだ。
そしてその人の要望は時々刻々変わっているのである。
ある時欲しいものは今は欲しくなくなり欲しくなかったものが欲しくなるとか年齢によっても場所によっても時々刻々要求するものが欲しいものが変わってくるのである。



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