2014年10月01日

復興とは何を復興させることなのか? (問い直された農業や漁業の価値)


復興とは何を復興させることなのか?


(問い直された農業や漁業の価値)

川内村では避難区域の解除になったけどあそこは実は原発で働いていた人が多かった。
なぜそんな辺鄙なところに住んでいるのだろうという疑問があった。
考えて見れば原発周辺の大熊と富岡に通う人が多い生活圏になっていた。
原発周辺には仕事があり豊かだったのである。
一方飯館村は辺鄙でも原発とは関係していないし働いている人はまれだったろう。
現代の生活の矛盾は農業だけではもう豊かな暮らしができない、みなんやめたい、跡継ぎがないと嘆くだけだだ嘆くだけだった。それは漁業でも同じだった。
福島県の漁業は宮城県の十分の一だからもともと農業中心だった。
大内村がそれなりに成り立っていたのは原発があったからだったともなる。゛

つまり川内村で生活していた人たちは昔のように農業している人たちではなかった。
原発で働いている人は三分の一くらいいたのかもしれない。
とするとあんな辺鄙な村でも意外と豊かな暮らししていたのかともなる。
それは三陸と宮城県の牡鹿半島などでも同じだった。零細な漁民だけの暮らしではない、近くに女川原発があり働いている人が多かったのである。
もしこの辺でも双葉でも大熊でも川内村でも原発がなかったら相当な貧しい生活に甘んじる他ないし強いられたのである。
だから漁業権だって売り物になり簡単に売り渡したのである。
それで破格の補償金を原発事故前からも事故後ももらっているのである。
そういうことが今回の事故でわかったのは東電があんなに巨大な会社だとは知らなかった。
つまり国並みの会社だったのである。

「米や野菜を作っても金にはならないよ、もうやりたくないんだ、息子も跡を継がないしな」
「漁業もとてもやっていけない、燃料費はかかるし、魚を獲るだけでは生活できないよ」
「農業も農機具にかかるから同じだよ」
「東電の補償金はありがたいよ、漁業権もっていても漁業では生活でとないんだから」

こういうことは常に言われてきたのである。まず農業であり漁業であれ山の林業であれ山もっていても木材が利用されないなので荒れていた。つまり津波原発事故の前からそういう不満だげが延々と言われてきたのである。
本当はこいうことが津波とか原発事故をもたらしたものかもしれない、それは文明の問題でもあり現代の文明中で生きていればそうなってしまうのである。

「米の実りを野菜の実りを魚の恵み海の幸を山の幸をわしは与えたが人間にはこれだけ与えているのに不平しかない、感謝することなど毛頭ない、ただたりない、たりない、金にならないしかない
それなら米も野菜も魚も貝も木材すら使いないものにしてやるぞ」

そんなふうに見ていたということもありうる。自然の法則で起きたというだけではない、海の恵みでも大地の恵みでも感謝していたらこういうことにはならなかったかもしれない。
だから農家の人は米の実りを手にしたとき新たな感動が生れた。船をだして海で魚をとった人もそうだった。
満面の顔で魚をとった喜びを現していた。
つまりそうした本来の神からの自然からの恵みをないがしろにしていた。
そんなことを金に追われている生活では普通は考えないだろう
実際小さい畑で野菜を作っている人は虫に食われたネズミやモグラに食われた、盗まれたとか、苗を買っても高かった。肥料に金がかかったとか草取りは毎日だし農業はそれだけ手間暇もかかるし肥料だとか農薬でも現代で金がかかる。そして年取って腰が痛いとかどこそこが悪いとかなりもらったのはキュウリ一本とかネギ数本だった。そもそもハウス栽培では燃料代や電気代がかかるから昔の農業とは違っているのである。
現実問題として農業をやりたくなるのもわかるのである。

だからこそ大内村でも牡鹿半島でも零細な漁民は女川の原発で働いていて今の生活が成り立っていたのである。原発の再稼働とか新しく作る場所はそううい農業や漁業で生活が成り立たない地域になっているから金の魅力に負けて原発が作られたのである。
だから大きく考えれば現代の豊かな文明自体の問題でもあったのだ。
石油でも原発でもそのほか過剰なエネルギーを消費して必要とする文明自体の疑問が生まれたのである。
では電気のない江戸時代に帰れとかではない、電気を否定することはできない
何か限度を越えた過剰なエネルギーの消費とかゴミを出す文明とかの問題がある。
そもそも原発に手を出すこと自体今回の事故でわかったように空恐ろしいものだったのである。
なぜそんな危険なものに手を出さねばならなかったのか?
それは核兵器がなければ国を守れないという理屈と同じである。
もう原発なしでは経済は成り立たないとか石油がなければ生きていけないとか、だからこそ戦争してまで石油がを確保しなければならないと言うのと同じである。
それは脅迫までになっている。
だからそもそも復興というとき何を復興なのかわからないともなる。
今確かに米でも野菜でも魚をとることが林業ですらそういうものが壊滅したときそれを復興させることなのか?
さんざん農業や漁業や林業に見切りをつけてきたのが現代である。
だから復興となったら原発再稼働すらいいとなる。実際に富岡とか大熊ではそんなことを主張していた。
なぜなら原発を復興させないと金も入らないからである
特に農業などはもう放射能で売れないともなると余計にそうなるのである。
だから復興復興というけど何を復興させるのかとなる。
原発の復興も必要だという議論になるのもそのためである。
何にも収入もなくなればますます東電や政府に頼る他なくなってくる。
それで補償金のあとは生活保護だという人がこの辺では老人が多いから言っている。
ただ米の実りがない風景は荒涼としている。それは単に景色ではない、その実りは生活の糧としての実りである。それが新鮮に見えたのも不思議である。
当たり前の風景が当たり前の風景でなくなったのである。
大地に実りがあってこそその土地土地の生活もありうる。

古代の詩と神話は農耕がかつて神聖な技であったことを示している。
われわれの目的はただ大きな農場と大きな収穫をもつことにあるからだ。
われわれは農夫が自分の職業の神聖さをの自覚を表現し、その神聖な起源を思いおこすための祭典も行列も儀式ももたない、彼を魅惑するのはそれによってあがる利益と祝宴のこちそうである。
彼は穀物の神シアリーズと大地の神ジュピターに犠牲を捧げるのではなく、地獄の富の神プルータスに犠牲をささげているのである
われわれはのだれもがもっている貪欲と利己心、そして土地、財産、あるいは主に財産を獲得する手段とみなしていす卑屈な習慣によって景観はゆがめられ、農耕はわれわれの手で堕落し農夫は最もいやしい生活を送っている。(ソロー森の生活)

この言葉がこの辺ではぴったりなのである。これは文明全体にあてはまる。

彼を魅惑するのはそれによってあがる利益と祝宴のこちそうである。

農業とか漁業とかではない林業でもそうである。要するに金になればいいんだということになる。

われわれはのだれもがもっている貪欲と利己心、そして土地、財産、あるいは主に財産を獲得する手段とみなしていす卑屈な習慣によって景観はゆがめられ

まさに原発は金になるからいいじゃないかと積極的に誘致したのがこの辺であった。それは他でも同じである。その金の魅惑に負けてしまったのである。
彼は穀物の神シアリーズと大地の神ジュピターに犠牲を捧げるのではなく、地獄の富の神プルータスに犠牲をささげているのである。
まさに地獄の富の神とは原発だったのである。人間の限りない欲望が原発を作り出したのである。
欲望は抑えることができないから危険でも誘致するようになる。
その結果としてこの辺の悲惨な状態がなある。それは天罰だったというときあながち否定できない、
人間のあまりの身勝手、その欲望をあくなく求めることが原発を作りだして災いを作り出したことは確かなのである。
タグ:復興
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2014年10月02日

帰る人と帰らない人で分断された原発避難者 (津波の被害者も残る人と残らない人に分断)


帰る人と帰らない人で分断された原発避難者

(津波の被害者も残る人と残らない人に分断)

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小高の人で鹿島区に家を建てた人にあった。家を建てたということは小高に帰らない人であり小高の復興をどうのこうのとは関係なくなっている。自分はそんなことめんどうだからまざらないと言っていた。
ということは小高に帰るということが嫌でありめんどうだからである。
だから今は避難者は二つに分断されている。
帰らないで他に生活をしていて子供が友達ができたとかになりその土地に定着するようになるともうその人は帰らない、それは宮城県でも岩手県でも津波の被害で町自体が壊滅したような地域も同じである。
若い人は流出しているし残るにも残れないという人もあの状態を見たらそうなる。
商売はじめようにも買う人もいないとなるとお手上げだと菓子屋の人が言っていた。
ただそれでもそこにとどまり住みたいという人はいる。
それは二つに明らかに分かれる。残る人と残らない人はそれぞれもう違った道を行くことになる。
残る人はより困難な道を行くのであり残らない人もまた他で生活するのだから厳しいともなる。
どっちにしろ二つに分断されて一つの町の住人ではなくなっているのだ。
これまではでは一つの町や村の住人として連帯意識をもっていたかというとそんなことを意識して生活はしていないだろう。

現代の社会はみんな会社員だとすると会社員という意識はあっても村とか町とか市の住人だという感覚は薄れている。
今回の津波とか原発事故はそういう市町村の住民として意識させられたのである。
補償金をえるためには他の市町村に戸籍を移すわけにはいかない、すると住民税などを払わないから避難者は嫌われる。
南相馬市では小高の人も南相馬市民だから原町に住んでも小高に住んでも同じであり税金は南相馬市に払うから他とは違っている。その点合併して良かった面である。
南相馬市でも原町と鹿島はやはり家を建てた人がそれなりにいてその分人口を減った分穴埋めできる。
もう小高の人でもみんな帰らない、帰る人はいろいろめんどうでありそういうことが嫌だというのがある。
特に高齢者は老人はそういう気力もなくなっているのだ。
老い先短いということは何かめんどうなことにかかわりたくないということがある。
静かに死を迎えたいとなる。老人はいざこざやもめごとにも弱くなる。
切れる老人が起こる暴力ふるう老人が増えたというのも老人特有の心理が働いている。
いろいろなめんどうなことにかかわりたくないということがある。
病人のように安静にさせておいてくれとかだけになってしまうのである。

小高復興祭とか18、9日あるから何かそういう復興の準備が整って帰るのかと思ってしまうが現実は帰る人と帰らない人に分断されているのだ。必ずしも小高を復興しようとする意気込みある人は少ないのだろう。
高齢化社会が影響していることもある。老い先短いのにその復興にどれだけの労力と時間がかかるかとなると面倒になるのである。
でも帰る人は復興を目指すからそこでは連帯意識が前と違ってもつようになるかもしれない。
帰る人は前とは違って不便な困難を強いられるからである。
鉄道の駅も回復しないしいろいろ不便になるし浪江が避難区域になっていることで嫌だというのもある。
だから帰る人は少数になってしまうのだろうか?
あと一年半くらいで避難区域が解除されると否応なく帰るのか帰らないのか決断が迫られる。
小高の人も新しい復興住宅に入っている。今度できた墓地の前の団地にも人が入り始めた。
復興住宅に入ればまた小高に帰らなくてもいいとなる。

要するに小高に帰る人は復興の意気込みのある人は少ないとなる。
チェルノブエリでは老人だけ帰り細々と野菜などを作り生活していた。
避難区域は浪江でも飯館村でもそういうことになるかもしれない。
今になると帰って住むことがハードルが高いのである。
それは津波の被害地域でもそうである。
何もない町に帰ってももう絶望してしまうのである。
小高には高校があって仮設の高校から移るらしい。
でも小高駅が回復していないと通うにどうなるのかと問題がある。
町全体が崩壊するとそれを元のように取り戻す回復することはむずかしいものとなった。
村や町でも市でも当たり前にあったのでありそれをことさら意識する人はいなかった。
普通にあるものが大事なものだと意識されないのである。
それは家族の場合でもそうである。妻がいつでも食事を作ってくれる。
妻が死んだ結果全部自分で料理も作らなければならない
それで大の男が泣いたというのもわかる。
自分もそうだった。毎日食事はあるものだと思っていたのである。
今や今まで食べていたものは食べられない、全部自分で用意するほかないのである。
だから今になると食事を用意してくれたことはありがたかったなとつくづく思い
そのことに感謝する。
今までは普通にあるから感謝もしないのである。

何か人間にはそういうことがある。当たり前にあることはそれに感謝したり意識しないのである。
もしかしたら米をとることでも野菜がとれることでも魚がとれることでもそれは特別なものであり感謝すべきものだったのかもれない、そういうことができなくなったとき感じた人が多いからである。
神が海の恵みを与えるのはそれは実際は特別なことでありだからこそ感謝しなけれはならない。
それを米でも魚でもそれはとれるものだと普通にあるものだとなり当たり前になり軽んじる、あまりにも当たり前だから意識もしなくなる。それは妻でも空気のような存在になってしまうと同じである。
いちいちそうした空気を意識していたら生きていけないからである。
ともかく今の世の中広域社会だからどこどこの村や町や市の住人だなどと意識している人は少ない、村長とか町長とか市長なら絶えず意識している、それなくしてその役職にあることはできないからだ。
ではその他の人たちはそんな強い住民意識をもつかというともたない。
江戸時代の村辺りだったらそうした意識をもっていただろう。
それは今の社会とはあまりにも違っていたからである。
今回の津波や原発事故は今まで考えないこと意識もしないことが浮き彫りにされたのである。
故郷ととは何かなど考えた人もいないだろう。故郷は空気のようにあるものだった。
それがなくなる住めなくなるということなど考えようもなかったのである。
そこで始めて故郷は何かとか考えるようになったのである。
接辞に故郷が恋しいとかもなった。それは別に哲学者でなくても一般人でもそういうことを意識させられたのが今回の津波や原発事故だったのである。
タグ:小高
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2014年10月03日

人生はタイミングが大事、運命も決める (御嶽山で死んだのはタイミングが悪かったため)


人生はタイミングが大事、運命も決める

(御嶽山で死んだのはタイミングが悪かったため)


人間はタイミングが大事である。おそらくはこれは人生のあらゆる場面でそうである。
人と人が出会うことでもどういうタイミングで出会うかが運命さえ決めてしまう。
人の出会いでもタイミングによって人生が決まるとしたら怖いことである。
今回の御嶽山の噴火による不運な死者はタイミングが悪かったのである。
山が怒っている、爆発する状態のとき、山に登ったから不運だった。
山が静穏なのが普通なのだがよりによって山が怒って爆発するような時に登ったから不運だった。
それは人にも言えることである。その人がどんな状態の時、出会うかが重要になる。
相手がどんな状態にあるかを知らないと災いを受ける。例えば相手が明日食べるものがない、もうこの人から金を奪って食べるものを確保しないといけないとか切羽詰まっていたら恐怖である。
そういう切羽詰まった状態の人に出会うこと自体危険なのである。


会津美里で外部から入ってきた人に夫婦が残酷に殺されたのはなぜか?
出会うタイミングが悪かったのである。相手がどれだけ切羽詰まっていたかを判断できなかった。
普通の人のように接していたのかもしれない、知らない人だから借金を要求してきたので簡単に断った。それが命取りになった恐怖である。
借金をかかえている人や切羽詰まっている人は何をするかわからないのである。
その人が善人も悪人もない、切羽詰まった人は何でもする。殺人さえするように追い込まれているのだ。
要するに御嶽山のように爆発寸前になっていたのである。


タイミングが悪いとビジネスも成功しない、営業でも成功しないだろう。
相手の状態がどういうふうになっているのか知らないと成功しない
闇雲に契約をとろうとしてもできない、相手がそういう状態にないからである。
それは人にはそれぞれ様々事情があり成功しない。
つまり影響でもその人と出会うタイミングがよければさほど能力がなくても契約をとれるということがある。それも一つの運だとなる。
つまり人間には能力だけではない、常に運が不運が作用しているのである。
だからさほど能力がなくても成功する人はするのかもしれていのだ。


例えばカルト宗教でも勧誘に成功するのは相手が病気になったり何かで苦しんでいる時、勧誘されやすい、なぜこんなに苦しい目にあうのかとなり不可解になるからだ。
その時先祖が悪いとかあなたの運命を宗教で変えて見ませんかなどとなるとそれにのりやすいのである。
ちょうどガンが直る薬があるというとき、それが偽物でも藁をもつかむようにだまされまいきしてもだまされるのが人間である。もう一心で直りたいと思っているからそうなる。
そういうタイミングをねらっていれば相手をだましやすいのである。
そういうことを自分が家族が弱ったとき経験したから人間不信になったし人間は本当にむごいものだと思った。

相手が弱っているからとそこにつけこみ金がある人なら金をしぼりとろうとする。
ただそれはそういうタイミングで出会うから成功しやすいのである。
現実に自分は金は奪われるは借金に苦しむ人にも金を要求されてつけこまれた。
もし家族に何もなく自分も病気になっていなければそんなことはありえなかったのである。


人間は相手が余裕がある時だったら困った人がきても相談にのれる。余裕がないと相手の人のことなどより自分のことで精一杯だから相談も助けることもできないのである。
借金している人は相手が病気だろうがなんだろうが関係ない、なんとか金を工面しなければならないとしかない、そうして病気だろうが相手からしぼりとろうとする。
恐ろしいのは相手が死んだら金はいるとかなると死んだ方がいいとさえ思うのである。
現実にそういうことを自分はこの六年間の苦しみで経験してきたし事件でも保険金殺人にもなる。
そういう人はまず余裕がないのだから人を助けることはできないのである。


ともかくタイミングが悪いことは致命的なのである。恋愛だってただ若いなら欲望だけでそうなることもあるが年取ると男女の出会いは別なものになる。成熟して精神的なものになってゆく。
価値観もまるで変わってしまうことがあるのだ。
だからどういうセチューションで出会うかが大事になる。
例えば金がないとき、金がほしいというときは金のある男性の方に目を向きやすい、でも金に余裕があれば別な観点から男性を見ることになる。
出会うタイミングがそうした運命を決めているのである。


庭を作ってもらったのもその時なぜかちょうど仕事がほしい人が大工さんが庭師が自分の家に来たのである。相手も金で困りどうしても仕事が欲しかったのである
その人は一人親方で腕が良かった。庭で大工でも壁ぬりでも何でもできたから驚いた。
自分も遺産が入ったので金に余裕があり庭を作ってみたいと思っていたから作った。
そういうことでもいつでもできるとは限らないのだ。庭なんかいつでも頼めばできるじゃないかというが今になると介護して家に寝ている人がいるとできない、何か周りが忙しくてできない。
その時は庭を作るのにタイミングが良かったのである。
ビジネスでも営業でも何ら努力なしで成功するときがあるだろう。それは相手がそうしてもらいたいという状態になっているからなのだ。
大金が入ってきたら投資を進める人があればのってくる。それが危険でもそうなるのである。
金はいつでもあるものではない、でも遺産とかあるとき金がはいる時がある。
そういうときは金を使いたいのだからビジネスも営業も契約をとりやすい状態にあるのだ。


今回困った人の相談にのれたのは自分に病気も一段落して直ったからできた。
もし病気のままであり介護などでもっと苦しんでいたらできない。
そしてこちらで頼むこともありお互いが助け合うこともありできた。
相手も苦しい状態だったからこちらのことを思う余裕はなかった。
だから出会うタイミングが良かったのである。相手にとってそうであり運が良かったとなる。
つまり人間の出会いでもそうだが何でも人間には運が働いている。
ただ人間はいつも運がいいとは限らない必ず不運に見舞われるのである。
運が良かったり運が悪かったりを誰でも経験している。

人間万事塞翁が馬なるのが人間である

運が悪いことが運が良いことにもつながる。運が悪いことも運がいいことにはつながらない。
例えば悪運が強いとかあるのは本当である。たまたま泥棒にはいった家に大金があった。
しかしその大金が災いを生むということもある。
それは泥棒にとっては運が良かったが実際は運が悪い方になることもある。
病気は運が悪いことだが直れば健康を第一に考えるからそのあと病気しなくなったということもありうる。


ともかく爆発寸前のような御嶽山に上り実際に爆発して死んだのはタイミングが悪かったのである。人間にもそういう状態の人がいるから気をつけるべきである。
なにやかにや苦労が重なって爆発寸前の人がいてそういう人と接すると出会うと被害にあう。
だから火山は危険なのだからその危険を察知するための設備をしておくことが大事だとなる。
それで山の状態をみておくというのが必要になる。
今回もそういう兆候があったが警告を出さなかった。それが被害が大きいから問われることになったのである。普通の人はとても御嶽山が危険だと知り得ようがないからだ。
この山が爆発寸前の状態などと判定しようがないからだ。


でも人間の関係では相手がどういう状態にあるか見ることが必要である。
そのタイミングが悪いと最悪は殺されることもあるし被害が大きくなる。
健康な人に薬を進めても買わないが病気になればきかない薬でも売れるのとにているのだ。
薬を売るにしても健康な人にすすめている人が結構いるから売れないのである。
薬は例えでありその人にあったもの欲しいものがありそれを提供すればつまらないものでも売れることがあるのだ。要するにタイミングでありみんなの要求もそれぞれ違ったものだからものあまりの時代は余計に売れないとなるのだ。
そしてその人の要望は時々刻々変わっているのである。
ある時欲しいものは今は欲しくなくなり欲しくなかったものが欲しくなるとか年齢によっても場所によっても時々刻々要求するものが欲しいものが変わってくるのである。



タグ:出会い

パソコンを初期化してすぐウィルスに感染したのはショック (パソコンの記録は紙に印刷して残すことも必要)


パソコンを初期化してすぐウィルスに感染したのはショック

(パソコンの記録は紙に印刷して残すことも必要)


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ウィルスに感染して初期化した、でもwindows8を一年間使ってそうなった。
今回は初期化して一週間くらいだろう。
それもプログを書き込むところが宣伝がはいったり
ビデオで外人が笑ってい動画がでてくる。
どこかをクリックするとでてくるから相当に今回は悪質である。
それでインターネットにはつないでいない
もう一台のxpのパソコンでプログにアップしている
今回のショックは外部への記憶媒体も感染しているから使うなと言われたことである。
usbからも外部へ感染してそれを使うとまた他のパソコンが感染する
そんなことしたらせっかく記録したものがゼロになるから全部消えるからショックである。
一応インターネットにつながないで記録したものの整理をしている

結局印刷しておかない限り記録したものが消える、一瞬にして全部消えるのがパソコンの恐怖なのである。
ただcdに記録されたものが呼びだすことができた。
新しいパソコンでは記録した古いものがソフトの関係で読み込めないことがある。
これもパソコンが記録するには危険がともなっている。
電子メディアは意外と記録するのには脆弱であり危険である。
なんらかの調子で全部一瞬にして消えることがある。
そうすると紙に記録させることが一番保存にはいいとなる。
紙に保存すれば本だったら50年くらいはもつ、パソコンはせいぜい10年くらいになる。
本では何百年とか前のも残っているし羊皮紙だったら中世から教会で記録されて今に残っている。
紙はどうしても劣化するからである。


記録がなぜ大事かというと例えばCDに記録されたとしても消えてしまいば何が記録されたかわからない。
これには何が記録されたのだろうともう探りえようがないのだ。
人間も同じであり記録が残らないとしたら過去の人間が何であったか探りえようがない
結局過去のことでも歴史でも名前だけ残っていればいい方だとなる。
エジプトがヒエログリフで記録を残すのに執念をもやしたのは記録の大事さを知っていたからである。
記録がなければ三千年のエジプトの歴史は不明になる。
何か探るときやはり記録が大事になる。そのことを知っていたから記録を残した。

相馬藩では400年前の慶長津波のことが700人溺死と一行しか記されなかったので津波のことが皆目わからないし探りえようがないのである。
400年前でも被害の状況が何かしら語られて伝えられていればこの辺にも大きな津波がきて被害があったことを意識できたのである。それがないからこの辺は津波が来ないのだということで危機感が全くなかったのである。
ともかく印刷してこれまで書いたものを記録する、詩が多いがこれでも千枚は軽くあるしどのくらいになるかわからない、印刷すると量が増えるのも困るのである。
本は何か固定されたものでる。一人の人間の記録や創造物でも固定化している。

しかしこの世の中のことは常に変化している。次から次と事件も事故も災害も起きてくる。
あらゆるものは流転をまねがれないし本でも解釈がいろいろにされて変わってくる。
要するにこの世に固定したものはないし固定した見方などないのである。
でも御嶽山噴火で若い男女抱き合って火山灰の中で死んでいたとかなるとポンペイでもそうした泥化して固まった同じような人間が発見されたからつくづく災害でも歴史は繰り返すとなる。
インターネットではこういうふうに今起きていることを話題にしやすいのである。
それはすぐにその事件をでも事故でも災害でも見て自らが発進する能力を得たからである。
だから今起きていることが何を意味しているのかいろいろ解釈する。
過去の歴史から深く考察もできる。それで時事問題の深層を最初はホームページで書いてきたのである。
プログは特に毎日のことだから今起きていることはその土地や個々によって発信しやすいということである。

自分はここ六年とか介護とかで家のことやら何やら毎日整理に追われている。
震災以後もさらに整理が増えた、家の整理というのがこれが大仕事だった。
毎日掃除するだけでも大変である。だから未だ震災以後でも整理できていない。
実家をたたむということなどが話題になったがその整理することは何年もかかる。
何を捨てて何を残すかとなるとすぐには判断できない、捨てて失敗したなというのもでてくるからだ。
何年かおいてやっともういらないとなるからである。
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捨てるこつは整理するこつは必要なものと必要なものでないものに分けてゆく。
本でも着るものでももうこれは着ないとなったら分類して捨てる
ともかく年取ったら身軽にして必要なものだけを選んで残すことである。
結局道具類でも今や買っても使えないものがかなりありそれですでに損したものがかなりある。
ものがそんなに必要でないし道具類でも使えなくなっているのだ。
自転車にビデオカメラをとりつけようとしたがこれもできていないとかいろいろなことができないのである。
そこで4万損したとかいろいろある。前だったらそんなこと自転車で一時していたがビデオは面倒なのでできなかった。手間のかかることは年取るとできないことがわかった。
つまり買っても利用できない、金があってもその金を有効に使えないということが起きているのだ。
その時間がないということが致命的だったのである。

パソコンは前から機械との格闘だったということがあった。最初は何かおかしくなると必ず初期化して使っていたのである。バイオス設定を一から個人でしていたのである。すぐに不具合になるからそうなった。
今パソコンの最大の敵はウィルスであることがわかった。
この恐怖は大きく安心してパソコンを使えないとまでなる。一瞬にして破壊される恐怖である。
完全に防御することもできない、ウィルスを防ぐソフトも完全ではないからだ。
第一初期化して一週間くらいで最も悪質なウィルスに感染していることが解せないからだ。
パソコンはどうしても三つくらい安全のために必要である。
その他記録するにも安全策を二重三重にしておく必要がある。
紙に印刷することも必要だからさらにめんどうになるのがパソコンだった。
タグ:ウィルス

2014年10月04日

秋の短歌(津波から三年半過ぎた心境の短歌)


秋の短歌(津波から三年半過ぎた心境の短歌)


津波跡残れる庭の石一つ形見と残る秋の夕暮
海老村の津波に消えぬ沖を行く船影見えぬ秋の夕暮
津波跡残る形見や一本松沖に船行く秋の夕暮
津波跡なお残りし家の跡秋風吹きて海の見ゆるも
我が庭の石に心をよするかな虫の音かすか母なお生きぬ
我が庭の山茶花はやも咲きにけり薄紅のほのかなるかも
蝉一つなお鳴きにける我が里やその声聞きて秋の夕暮
厚寿苑我も通いめあわれかな老いにし人や秋の山暮る
仮設住む人も長きや虫の鳴く隣を思い小高を思ふ
真野川の岸辺に薄なびきつつ三年半過ぎ仮設も暮れぬ

津波はあまりりにも大きな変化でありこの影響は大きすぎたから例え被害にあわなくてもなかなか消えるものではない、ただ荒野化した景色でも長くなればなじんでくる。
海老村の跡が草に埋もれ沖に船が行くのをいつも見るようになった。見晴らしがいいから船も違ったように見える。荒野と化した風景は自然に還ったのだから余計に心にしみる。
海老村はあまりそこにあることを意識していいなかったが津波で消えた時、常にそこが意識する場所になった。右田村は家が少ないし散在していたからそんなに思わない。
ここには家が集中していたから違っていたのである。ここはまた高いから見晴らしが良くなったから眺めがいいから何度もくるようになった。人間は見晴らしの良いところを好むのである。

自分は石をテーマとしてきた。津波跡にも石が残っている。庭の石が残っているのもあわれである。でも石はかたずけられたのが多い。母が百歳まで生きるだろう。どういうわけか山茶花がすでに咲き始めた。
何か季節がおかしくなっているのかもしれない。今年は結構咲いているが冬はまだ早いのである。
厚寿苑は近いから通えるのがいい、近くに施設があるのはいい、利用しやすい、車がないから余計にそうなのである。何か老人になると近くがなんでも大事になる。
だから便利なのは都会の方である。近くにいろいろものがそろっているし人口も多いからいろいろなサービスも受けられるからである。都会の老人を田舎に移せといういうが田舎だと不便になるのだ。
土地がないからやはり街から離れたところに住むようになるからだ。

ともかく仮設暮らしももすでに三年半過ぎた。仮設に住んでいる人はどなん気持ちなんだろうと思う。
仮設は長屋とにている。隣を意識せざるをえないだろう。一軒家とは違うから江戸時代の長屋とにているのだ。だから隣同士が親しくなるということもあるだろう。また隣が嫌だということも反面はある。
小高はあと一年半以上いるとか五年もいるということは長いと思った。
実際は小高は帰れるのだから帰ればいいというのが鹿島区の人は思っている。
補償金をもらうために仮設にいるだけだと言っているし自分もそう思う。
小高に帰る人は帰るでそこでの生活を始めた方がいいし帰らない人は帰らないで新しい生活をはじめる。
いつまでも仮設に補償金もらうためにいるのはおかしいのである。

ただ帰るにしても何かニートとかもともと働かない人もいたがそういう人は帰っても何にも役にたたないだろ
やはり小高に帰ったら前とは違い人口が半分とかなると何らか町を支えるために働かないと町自体が成り立たないだろう。だから仮設暮らしはニートとかにとってはいいものだったのである。
小高に老人だけ帰ってもこれまた町自体を支えていけなくなるだろう。
そういうめんどうなことをしたくないともうあきらめて帰らないで原町とか鹿島に家を建てた人もいる。
いづれにしろ帰る人と帰らない人は全く別の道を行くことになる。
もう心も別々に分離してしまう。一方小高に帰る人は連帯感をもつようになるだろう。
なんとか小高を復興させようとすることで連帯感をもつようになる。


真野川の岸辺に薄がなびいているがここを仮設の人も毎日通っているから親しんだ道となる。
人間はやはり時間がたつとなんでもなじんでくる。仮設の風景もなじんでくるし
津波の跡の荒野でもなじんでくる。三年半という歳月はそれなりに長かったとなる
五年はさらに長くなりいついた感じにさえなるだろう。
そして小高であれ双葉であれ浪江であれ飯館であれ遠くなってしまう感覚になる。
それは時間が長くなればなるほどそうなってしまうのである。



タグ:秋の短歌

2014年10月05日

建礼門院右京大夫集の歌と津波の無常 (世の中の大きな変化は共通した無常があり歌が生れる)


建礼門院右京大夫集の歌と津波の無常


(世の中の大きな変化は共通した無常があり歌が生れる)


作者は承安2年(1172年)より右京大夫の女房名で中宮時代の建礼門院(平徳子)に出仕したが六年足らずで辞し、のち後鳥羽上皇とその生母七条院に合わせて二十年以上仕えたが、昔が忘れがたいという本人の希望で勅撰集には「建礼門院右京大夫」の名で称された。天福元年(1233年)頃、『新勅撰集』撰進に際し藤原定家に選考歌の提出を求められ、詠歌を纏めたのがこの家集である(右京大夫の歌で『新勅撰集』に選ばれたのは二首に止まるが、のちの『玉葉集』には十首採られた)。

女院(建礼門院)が大原にいらっしゃるとだけはお聞き申し上げていたけれど、しかるべき人に了解をなしには、お参りする方法もなかったのを、女院に思い申し上げる深い真心を道案内にして、無理やり尋ねてお参りしたところ、次第に近づくにつれて、山道の景色からまず涙が先にたって、言いようもなく、御庵室のありさまや御住まい、事柄、すべてが、目も当てられない。
昔の御様子を知らないものでさも、ここの大体の御生活を拝見すれば、どうして普通のことだと思われよう。まして、昔のことを知っている身には、夢とも現実とも言いようがない。秋深い山おろしが、近くの梢に響きあって、筧の水の音、鹿の声、虫の音、どこでも同じことであるけれど、例のない悲しさである。
錦を裁ちかさねたような美しい着物を着て、お仕えしていた人々は六十余人もいたけれど、顔を見忘れるほどに衰えた墨染めの尼姿をして、わずかに三、四人ほどがお仕えされる。その人々にも、「それにしてもまあ」とだけ、私も人も言いだした。むせぶほどの涙が溺れて、言葉も続けられない。

あはれされば此(これ)はまことか猶もただ夢にやあらむとこそ覚ゆれ(家集212)

【通釈】[詞書] その年(寿永三年)の春、ただもう驚くばかり恐ろしい噂が耳に入ってきたが、親しく顔を合わせていた(平家の)人々で亡くなった人が大勢いて、変わり果てた姿で都大路を引き回されるなどと、何かと辛く言いようもない話が聞えて、「誰それが…」など、人々が噂しあったのも、例のない酷いことに思えて。


何か津波の跡や原発事故の後に感じたことはそれが本当のように思えないことだった。夢のようであり現実と思えなかったことである。それは急激な世の中の変化に生きた人たちは過去にもそう思っていたのである。
平家が滅亡したときもその変化の中で生きた人たちもそうだった。
平家物語ができたのもそのためだった。
大原に行ったことあるけど京都の街から相当に離れている。こんなに遠いのかと思ったことを記憶している。
バスで行っても相当に遠いのである。観光地化していてもそこは鄙びた山里になる。
西山という所に住んでいた頃、身の暇なさにかこつけてか、久しく音沙汰がない。枯れている花があったので、

とはれぬはいくかぞとだに数へぬに花の姿ぞしらせがほなる

訪ねてくれないのはもう何日だとは数えないが、枯れた花の姿が教えているような様子です。
この花は、10日余りほど前に訪ねてきたときに、手折って持っていた枝を、簾に挿して出ていったのだ。
問われないということはそういう山里だからそうなっている。都にいたときは60人も仕える女性がいた。
それが三四人になった。それでも四五人でも仕える女性がいたことが不思議である。
一人でもいたらそれでけでも十分である。家事をやってくれる女性が一人でもいたら十分だからである。
現代ではその一人を雇える人は相当な金持ちなのである。その分機械が召使の代わりになっているのである。

この歌集は建礼門院(平徳子)の歌ではなく建礼門院(平徳子)に仕えていた中宮の女性だった。その人が建礼門院を大原に訪ねて同情して歌にした。同じ平家一門だから同じ境遇にありこれだけの深い歌ができた。
そのことは何か津波と原発事故を経験した人に言える。あまりの無常の変化をやはり経験したからだ。
平家とは違う自然災害や原発事故でもその無常は同じである。仮設に住むとなるとそうした流離の境遇ともにている。もちろん補償金をたんまりもらっていい暮らししているといのもありかなり違ったものである。
それでも故郷を離れよその土地で暮らすということはまた思いも寄らぬことだっ。
ただ川内村とか辺鄙な村では郡山市に避難した人たちはかえって都に来たとなり帰りたくなったというのも
平家の落人とはまるで違ったものになったのも現実である。
東京辺りに避難して東京暮らしで補償金で贅沢しているというのもまた違っている。

何か深い歌ができるのは文学が生れるのは普通のことではない、世の中が激変して無常が生れた時である。
平家物語もそうして必然的に生れた。奢れる平家一門が零落してゆく無常だったのである。
そういうことは繁栄した家にもあるし個々人にもある。没落した家などめずらしくなく無数にあるからだ。
本当に繁栄は長つづきしないのである。それは一国単位でもある。日本などはすでに高度成長の繁栄の時期が終わり零落してゆく国になっているのだろう。だからどうあがいても高度成長のような時代は来ないのである。

歴史を文学でも理解するにはとにかくその場を踏むことである。そうするとそこから自ずと実感するものが生れる。だから俳句でも短歌でも子規が写生が基本だとしたのはやはり空想ではなくまずその場に立って実感することが芸術の基本だからである。
大原はそういう場にいかにもふさわしいというのを感じた。それもすでに三〇年前以上とかになんているが意外と一回行っただけでもその場を踏んでいるからあとで思い出してその場をまたイメージできて深化した短歌でも作れるのである。その時感じないものが三〇年たってもさらに深く感じる。
日本だとそういう古典が残されているからそういうものを参考にしてその場をさらに深く感じるのである。

自分はそうして訪れた全国のことを今詩にしている。それはその時書いたのもあるがそれを深化したものとして書いている。やはり今になって思い出して書くものがいいものになっている。
ただ旅で記憶に残るものは京都ととか繁華なところは記憶に残りにくい、記憶が分散されて集中できないのだろう。大都会はいろいろなものがありすぎて心が散って残りにくい。
でも大原のようなところは何もないからかえって辺鄙であり記憶に残りやすいのである。
だから近江なども琵琶湖があり自然があるからあそこは四回くらい行っているから今になると紀行文でも詩でもいいものが書ける。それだけ場数を踏めばそうなる。
そして西の方は古典に残っているからそれを参考にして昔と今を書きやすいのである。
だから関が原を越えた西は都会化してもまだ魅力があるのである。
とにかく六〇年間旅していたのだからその成果が今になって出てくるということがある。
旅だけではなく人生をふりかえり何であったのかを知るのは実際は還暦すぎてからだともなる。
そのころからしきりに人は自分の人生をふりかえり語ることになるからだ。

山深くとゞめおきつるわが心やがてすむべきしるべとをなれ

古典がなぜ味わい深いものとなるかというとやはり今の自然とはまるで違っていたからである。
京都であれどこであれ回りは草深い自然におおわれていたのである。そこから感性が磨かれていたのである。
今の京都や大阪辺りでももうそうした自然はないから感性はみがきにくいのである。
庭の石と自然の中にある石はまるで違ったものなのである。
まず自然の中の石をみて庭の石をみることが順序なのである。
ところが今は京都に行ったら庭の石をみる、でもその石はまず自然の中にある石を知ってみればさらに深いものとして感じるものがある。
自然の中にある石こそが原点でありすべて文化はそうした自然から生れたのである。
この歌にしても山深く住んでいれば自ずとこういうものになる。石でもしるべとなるのである。
しるべとなるとは自然とアイディンティ化するのでありそういう詩を自分は膨大に書いてきた。
ただまだプログにも詩集の部を出したがだしていない、それだけの余裕がなかった。

大原に夕べかそけく花のちり闇の深くもおおいけるかな
大原の清き流れに赤々と椿のちるやいにしえの女(ヒト)の姿浮かびぬ
大原に閉ざさる女や山の端に春の夕日やあわれ深まる

2014年10月06日

原発事故で見直された極貧時代の農民詩人 (三野混沌などイワキの農民)


原発事故で見直された極貧時代の農民詩人

(三野混沌などイワキの農民)

●昔の貧乏生活をふりかえる

前に書いたのは山尾三省である。この人はもともと農民ではなかったがあえて屋久島に移り極貧生活をして六二歳くらいで死んだし妻もその前に死んだ。過酷な生活がたたったのだろう。
まずパンが贅沢などということは今の時代に考えられないのである。
よく貧乏生活を試しにしてみることをテレビで放送しているけどそれは貧乏をネタにするほど貧乏生活が今の時代ではめずらしくなったからである。
だからそういう人が時々とりあげられて放送される。つまりそうした極貧となると変人になるのである。
だから山尾三省はなぜわざわざそんな極貧生活をするのだという疑問が今だと生れる。
変人を装って世の注目をあびるためなのかまでとかんぐられるのはあまりの時代の相違からそうなった。
でもその貧乏が現実だった普通の生活だった時代が日本では戦前から戦後十年くらいまであったのだ。
江戸時代がいいとしてもやはり貧乏であり満足に米の飯も食べていない。
だから江戸では白い米が食えるからと江戸にでたいともなる。それで江戸では脚気が多くなったのも皮肉である

貧乏というものがどういうものか現代では実感できないしわからなくなったのである。
最低限の生活をしている生活保護の人でも食べるものは普通であり白米を毎日食べているし刺身も食べている変わらないのである。刺身を自分の町で一軒だけ魚屋があり新鮮なの売っているからそこで買って食べているという。自分の父親は「刺身食えるようになったけど食えたくない・・・」と病気になって死んだ。戦後一〇年くらいたってからだった。その時この辺でバナナもなかったので姉が仙台から買ってきてくれたのである。
バナナはその時高級品だったのである。今はバナナは一番安いものとなっている。
父は味噌を焼いたものを酒のつまみにして飲んでいた。つまり刺身を食べて酒を飲むことなど普通の庶民していない、それが今では普通になっているのだからその相違は大きいのである。
卵すら戦後十年は食べていない、卵は贅沢品だったのである。ただ農家では鶏を飼っていたから食べていた。
農家では納豆まで作っていたから自給自足がつづいていたからかえって街に住んでいるより贅沢だった。
自分の家で店をはじめたときその農家から卵を買いにやらされたのである。糠に卵を入れて自転車で運んだ。
道が悪いので必ず卵を一個か二個を壊すのである。その時道も舗装されていなかったのである。
燃料は炭であり戦後十年は江戸時代のつづきだったのである。電球は裸電球一つであり一応電気が通っていてもほとんど使用されていなかった。ラジオを聞いたり家にあるのは飯台一つだった。
それは自分の家だけではないその時代はそもそもモノが極端にない時代だったのである。
だから自家生産していた農家の方が豊かだったのである。
要するに戦後はギブミーチョコレートからはじまったのであり物欲追求の時代になった。
それが団塊の世代から高度成長になり可能としたのである。物欲を充たすために猛烈に企業戦士となり働いたのである。

現代は贅沢になれて貧乏のことがわからなくなったのである。それは最低レベルと思える人でもそうである。
食べているものはさほど変わりないのである。フランス料理とか美味いものをグルメを楽しむとなるときりがないが最低限の食生活でも貧乏な時代よりは格段にいいのである。もともと戦前から戦後十年は贅沢しようにもモノがないのだから贅沢できない、店屋に卵を売ってないなという時代だったからである。
ふりかえるとこの辺では松川浦で魚がとれたがこれを食べていたことは相当な贅沢だった。
なぜなら山の方では会津では新鮮な魚を食べられないのである。だからこの辺でとれた石鰈を送ったら喜ばれたのがわかる。身知らず柿を会津から送られてきたが魚の方がずっと贅沢だった。
「石鰈」は特に贅沢だった。これは大晦日にこの辺では食べるもので特別なものだった。
松川浦の魚は新鮮だからうまいのである。鮮度が落ちると魚はまずくなるのである
松川浦の漁師が言っていたけど二三日たつ古い魚は食べないというのはそれだけ漁師はうまい新鮮な魚を食べていたから贅沢だとなる。塩鮭は良く食べていたけどあれはおかずとして贅沢だった。
ただ不思議なのは自分の父親は鮎とか鰻をとっていたのでそれが一番の子供時代の御馳走だった。
当時肉というのはまだそんなに食べていない時代だったのだろう。
「大鵬、巨人、玉子焼き」というのがはやったが玉子焼きを食べられるようになったことが贅沢だったのである

自分の家は二軒あって隣の物置小屋のうような所を前に貸していた。
その借りていた人は店をやっていたのが売れなかった。その店は店のように見えなかった。
何も置いてない店のように見えた。それで家賃も払えないと自分の家に小銭をもってきた。
何も売れなかったとか言っていた。子供のときでわからなかったがその家のじさまとばさまが住んでいて
嫁がいたのがこの嫁が無慈悲でその貧乏を放置していたので最後は餓死したみたいなのだ。
センベイ布団に寝て食べるものもなく着るものもなく死んだのである。
今だったら生活保護があり餓死することはなかったろう。その時生活保護がなかったのである。
そういう人が他にもいたし餓死する人がいるような貧乏時代があったのである。
ただその時息子がいて息子は事業していて金はあったから助けることができたけど嫁が無慈悲でさせなかったのでそうなったから助けることはできた。でもそういう極貧の人が昔は結構いたことは確かである。
布団もない、着るものもない、食べるものもない、家あっても家賃も払えない、・・・・
そういう極貧の人がかなりいた時代なのである。

●原発事故は過度な富や贅沢の追求から起こった

なぜ原発事故が起きたのか?この辺ではいろいろなことが問われることになった。原発はやはり貧乏と関係していた。より豊かになりたいという願望があり原発は誘致され作られたのである。なんとか地方でも豊かになりたいために危険な原発が作られた。そのころ出稼ぎの時代であり出稼ぎしないで暮らせることを望んでいた。
原発ができて出稼ぎをしなくてもよくなったと地元の人が喜んでいたのである。
ただ豊かになりたいというのは別に悪いことではない、でも高度成長時代からは何か過剰な富を追求してきたことがあった。その欲望は無限大になっていった。
結果的にどうなったかというと個々人をみても八人に一人はサラ金などから借金しているというから借金してまで贅沢をしたいというのが現代である。そこから何かゆがんだものが生れたのである。
個々人をみてもいかに欲望が強いかその欲望の強さが原発事故を引き起こす原因ともなっていたから今になると昔の貧乏がなんだったのかと見直されようになったのである。
つまりそんな貧乏時代があったのかということなのである。

自分も三野混沌とか猪狩満直などの農民詩人に着目していなかった。
そんな極貧の生活はもう実感できない、かけ離れたものとなっていたしそんな生活を望む人などいない、むしろいかにそうした貧乏から脱するかが課題となり高度成長時代になった。
実際原発事故周辺などでは田舎ではかえって都会より豊かな生活をしていた。
車を一人一台とかもっているし庭は広いし家も広いし悠々と暮らせる。
今は別に都会にあるものはたいがい買える、通販もあるし情報的にも差がないのである。
だから実際は田舎に住んでいる人は貴族だともなる。なぜなら資産があり家もありそれなりの収入もある。
農家だって会社員が多いし専業農家はまれである。だから農家に嫁いだという女性はまるでモデルのような格好していてこの人が農家の女性なのかと思った。今は機械を使うから重労働ないし農家も変わってしまったし
まず専業農家はまれであり農作業をしている女性も少ないのである。

ところがそういう贅沢な生活を過剰な贅沢な生活を望んだ結果として原発事故がこの辺では起きた大きな原因になっていたのである。
なぜなら農業では漁業では林業では食っていけない、やっていけいない、もうやめたい、跡継ぎもいない、金にならない、金にならない・・・・こうした嘆きだけしかなった。実際は農業は金にならない、手間ばかりかかり肥料とか殺虫剤でありいろいろなものがかかりすぎるのである。ハウス栽培になればまた石油や電気代がかかるだから割りに合わないのが農業になった。
ただそのことが極端化したものとして原発が誘致されたのである。原発の富が地元にしてもあまりにも大きな富をもたらすものだったのである。今でも避難者が仮設に住んでいるにしてもいかに食べ物では贅沢しているみてもわかる。毎日マグロの刺身だとか言っているのも食生活ではかえって贅沢しているのである。
金さえあればモノがいくらでも入ってくる時代だからそうなっている。
ただそういう豊かな生活をもたらしたものが何なのか?それが原発事故の原因になっていたから昔の貧乏生活がなんだったのかと見直され問われるようになった。
そういう過剰な富の贅沢の追求が原発事故をもたらし危険なものを悪さえ肯定するものとなっていったことがあった。金のためなら何をしてもいいというモラルもない社会になった。

だから三野混沌や農民詩人の詩か訴えるものとなり見直されたのである。
その時の農民の不満は小作が多く地主に対する不満が大きかった、地主が金持ちとして一番やり玉にあげられる社会だったのである。小作との差が歴然としていたからである。
今だと金持ちがいても誰に不満を向けるかとなると明確ではない、だから公務員がやり玉にあげられている。
あいつらは楽して得するばかりだとなる。地方では特に公務員は貴族になっているというの本当である。
自分の家も公務員の人がいたから恩恵を受けたのである。ともかく原発事故をもたらしたのは過剰な富の贅沢の追求ちあったことは確かである。

小高の大工兼庭師の一人親方は腕がいいしそれだけでも成り立つが他にもホテルを経営したりそれで家も新築して借金しているとか言っていた。その時仕事がなくて困っていて自分の庭を作ってくれた。
何でもできる人だからすごいと思った。でも仕事がないということで原発できたら景気良くなるよとか盛んに言っていた。小高に東北電力で原発を建てられることが決まっていたのでる。すでに工事もはじまるようになっていた。それを意外と南相馬市の原町と鹿島とか相馬市では知らない人がいたのである。自分も知らなかったのである。原発は意外と知らない内に建てられるものだということである。
地権者とか狭い範囲で決められてしまう。他の人は関係できないというのも今からすると恐ろしいことだったのである。個々人をみてもいかに贅沢を追求しているかわかる。それが原発事故に結びついていたのである。
事業起こして実際は失敗していたのに成功を装っていた人もいた。借金していたのに成功を装っていた人もまた現代を象徴していたのかもしれない、借金しても贅沢をしたいというのが現代だからである。
そのことは回りに甚大な迷惑をかける。それでも贅沢したいというのが現代なのである。
そういう過剰な富の追求が原発事故をもたらす要因だったから昔の貧乏生活がなんだったのかと見直されるようになったのである。

●三野混沌の詩が訴えるもの、その言葉が重みを増す

深夜ばたばたと俺はこのみすぼらしい百姓家を叩き起こした
みちはくきたから
これからだ
祖父(じじい)は起き出してきた
そうし俺を家へ入れた
鋸屑(おがくず)を燃やした
炬燵を真ん中に二三枚の布団を着て
もたもたと子供がいた
それにまた乳呑児をもっていた嬶(かかあ)
底震いする二人の親たち
三十円の小作料が払えねえ
腐れた雨、酸性土、くうら虫
くろつち、
つくつくつくる
ひょろんとやせさらばえたよろよろよろめく親父
またその嬶
壁紙の震えるそばで語った

「洟をたらした神」吉野せい著より三野混沌の詩

鋸屑(おがくず)というのは何か昔は使っていた。何か燃やすときたきつけに利用されていた。
これはまさに自分の隣のじさまとばあさまの姿だった。
栄養失調のような状態でありまともに立っていられない、よろよろとしていた。
ここに虫がでてくるのは畑の作物はよく虫に食われるから今日も青虫とりだとか小さな畑を作っている女性は言っている。まず農業はいろいろなものに悩まされるのである。芋泥棒のことなども書いているが必ず畑の作物は盗まれやすいのである。そこにはさまざまな難儀なことが起きてくるのが農業である。
昔はもっとそうでありみんな極貧の生活だった。
着るものものをまともにない時代だった。だから今はあるゆるものを捨てている時代だからもったないということもなくなったのである。そういうふうにモノを大事にしないこともやがて呪いとなってくることもある。
小作料が払えねえとか家賃が払えねえとは常にあった。

こういう生活は別に三野混沌だけではない他の農民も同じであり農民でなくてもそういう極貧の生活を大正生まれであれ戦前であり普通に経験していた時代なのである。
だから意外と製糸工場で働いて女工哀史とか悪いイメージが作られているが現金収入になって良かったという面もあった。当時にすれば女性が働く場所がないからそうなった。
こういう情景は別に三野混沌の家だけでないし農家では小作が多かったから普通にあったのである。
猪狩満直のことを書いたがその人のことも仲間であり「洟をたらした神」に書いてある。
その頃土地を求めて北海道に開拓にゆく人はまだいた。それは明治からつづいていたし農民が八割とか日本は農業国家でありだからこそ土地を求めて満州まで移民した。農民だったから広い土地に憧れたのである。
それが戦争の基にもなっていたのである。

いちばんむずかしいことで、誰にできること

ふしぎなコトリらがなく
花が咲いている
どういうものか ひとのうちにゆくものではない
ひろいはたけにいけ
きんぞくのねがいするヤマはたけにいけ
まっしろいはたけへいけ
そこでしぬまでととまれ
あせってはならない
きたひとにははなししろ
それでいい
クサをとりながらつちこにぬれろ
いきもはなもつかなくなれ
これはむずかしいことだが
たれにもできることだ
いちばんむずかしいことをのこしておけ
いちばんむずかしいなかでしね

そこでしぬまでととまれ
いちばんむずかしいなかでしね

この言葉はいかに土着的になっているか、農民の深い心情を現しているかわかる。土と一体化した人間の姿である。それ以上にそうした狭い土地で小作でも生きていかねばならない、そしてその狭い土地で死なねばならないという強いられた運命の生活を現している。
それ意外の生活は望めないのである。ただ今この詩の言葉が非常に重く感じられるのはこの辺の原発事故のことをみているからである。
こういう生活からしたら農民ですらどれほど贅沢しているのか。車も一人一台、家は広く立派で庭も広いし食べるものは魚でも肉でも食べ放題、お菓子も果物でも何でもうまいものは外国からいくらでも入ってきて農家の人だって食べている。栄養過剰でメタボで糖尿病患者の数が膨大になんてる。
よろよろ栄養失調で歩いている老人とは違いすぎる。みんな栄養ありすぎて糖尿病になっている。
昔はごはんと梅干しと味噌汁だけが普通だった。なんか母も介護してそんなものしか食べずに生きているのはそのためなのか?そもそも若いうちはそんな生活だったからである。
そもそも人間はそんな栄養でたりていたのか?だからよろよろしていたというのがわかるのである。

今になるとこうした昔の生活が重いものとして感じる。それはあまりにも贅沢であり楽な生活になったからその比較でそうなる。
昔のそうした貧乏をしれば今の生活は極楽だとなるのだ。
それでもさらなる贅沢を求めて不満ばかりなのはまさに罰当たりだとなり原発事故を呼び込んだのである。
だから昔の貧乏時代の人が残した言葉をかみしめる必要がでてきたのである。
こんな苦しい生活していたのか今の生活は極楽だ、何で不満ばかりなのだとかなるのだ。
農家の人さえ本当に不満しかなかったし漁師でもそうである。でも実際は会社勤めをしていたり昔の貧乏生活とは違っていたのである。
ともかく何かこうした鬼気迫るような貧乏から出た言葉が今ひしひしと重く感じるし感じるべきものとなったのだ。つまりあまりにも楽な生活が現代にありその恵まれた生活が当たり前となりそれでも金がたりないたりないと不満ばかりになっていた反省が強いられているのだ。
だからそんな貧乏など感じることもイメージすらできない時代になっていたのである。
だから今までは自分もそんな貧乏など今に語っても無駄だと思っていたし注目していなかった。
自分の一生が旅であり遊びであったことでもそうだった。働かない人が若者でもニートとか膨大になっているのだ。それもまた恵まれた時代だからありえるのである。

その詩の言葉は建物を支える
地下の鉄の柱か礎石のように
苦しい時代の中で生きた重い言葉
人々は今を支える建物の礎には注目しない
火の中をくぐって生れた言葉
そういう体験の重さがひしひしと感じるもの
それも過剰な贅沢の暮らしで忘れられていた
しかしカルマは繰り返し
この言葉の重みを思い知らされる
貧乏がまた国土に強いられる
試練の日が再びやってくる
いちばん苦しいときを耐えたものは
その時も耐えられ生き残る
その言葉の重みをかみしめる時が来る

このことは上野霄里(しょうり)氏などが言っていたことである。貧乏な時代を体験しているから共感するものがあった。実生活に裏付けられた詩の言葉は重いと言っていた。ただそれだけの過酷な体験には今は耐えられないし望むことはできない。ただ今の時代の過剰な富の贅沢の追求は実は非常に危険なものをはらんでいたのであるそれが原発事故で具体的にわかったのである。
もし三野混沌のような生活に裏付けされたものが現代にも生きていたら原発など誘致しないのである。
そういう極貧の暮らしを思いばいくら双葉辺りが貧乏だったといっても全く違ったものである。
結局過剰な富の贅沢の追求はモラルを荒廃させた。もう金しか眼中にない人が多数になった。
そのことを嫌というほど自分が自ら体験した。病気でも請求されるのは金でありこの人は死んだら金になるだろうしかない、それは親子の間でも遺産しか眼中になくなるのと同じである。他人ならこの人が金を奪えばいいとなる。現実にそういう体験した。人をあわれむとかさえもなくなったの現代なのである。
だからそうした貧乏な時代よりモラルが荒廃しているのもまた逆説である。
この辺では原発被害地域は補償金でもめて互いに敵対しているのもそうである。
とにかく津波であれ原発事故であれ現代文明をそのものを問うものとなったことは確かなのである。

醤油もまともに使いなかった昔の貧乏と今の貧乏の相違
posted by 老鶯 at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年10月07日

金とは何なのか (思いがこもっている金とこもらない金)


金とは何なのか


(思いがこもっている金とこもらない金)


金というのは何なのかこれも実際毎日使っていてわからないものである。金の重みは使うときとそれを労働など得る時わかる。労働していればこれだけ働いてやっと自給が七〇〇円とか不満になるのがわかるのだ。
何かしらの労働の代価として金が得られる。その時金の重みがわかる。
一方で全然金の重みがわからないで金を得られることも資本主義社会ではある。
株とかで億とか一気にもうけたとかギャンブルでもうけたとか遺産が入ったとか何か金の重みを感じないで得る金もかなり現代ではある。グローバル経済化したとき、世界に人間の思いから離れた金が莫大に流通してマネーゲームで稼いでいることが批判される。でも金の力は大きいから金は金になるところに流れてゆく。
今はアメリカが景気がいいからアメリカに投資される傾向が大きくなる。
グローバル経済とはアメリカ中心になっていることは変わりなかった。
もし中国が中心になれば中国の貨幣が世界のマネーになるからだ。依然としてドルが世界のマネーなのはアメリカが世界を動かしているからである。政治経済の中心はアメリカなのである。

金はともかくグローバル経済になるとマクロになると人間の思いから離れて人間の経済から離れて動いているから金が何かわからなくなってしまう。金はミクロ的になると金がどう働いているのかわかりやすいのである。
例えば家族の金として使うときなど一番わかりやすいのである。子供のためとか妻や夫のためとか親のためとかその金が誰のために何のために使うか明確でありそこに思いがこめられているからである。
それは親戚でも入学祝いとか何かの記念に送る時はやはりそこに思いがこめられている。
立派に育ってもらいたいとかの願いもある。親ならもっとあるだろう。
自分は子供を育てたことがないからそういう感覚がなかった。でも親戚の子供に金を渡したときそれを感じた。個人単位と家族単位とかで使う金には必ず思いがこめられているのである。
そういうことをもらっているときは意外と感じないしありがたいとも思っていなかった。
それが親になれば親の気持ちがわかる。今は親を介護しているから食事を作りだして洗ってとか結構大変だと思い親の苦労がわかった。

金というのは例えば雇うものと雇われるものでも思いがこもる。雇う人はやはり金を支払うのにはそれなりに苦しい時がある。経営が苦しいときでも支払うということがある。人を雇うということでもそこで金には雇い主の思いがこめられるている。よく働いてくれたから加算したとか働いてもらうことに感謝して払う場合もあるし
これからも長く働いて会社のために尽くしてもらいたいとか家で働く人だったら家のことを思い働いてもらいたいとかなる。一方で雇われている人はただ金がもらっているから働いているだけだともなる。
だからもらう給料には常に不満になるのだ。ただ雇い主からすると本当に苦しくても過分に払っている場合もある。それはその人を見込んでそうなる場合もある。その支払う金にはそれだけ思いがこめられているのである。ただ給料をもらうだけの人はそんなことは思わない、給料が少ないし働かせすぎだと思っている。
ブラック企業などになると確かにそうなる。
だけど中小企業とかでは従業員のために苦しいやりくりをして経営している人もいる。
つまりかそ家族経営とか何でも小規模だと金がどう働いているか実感としてわかりやすいのである。

商品には本当は多くの人の労働がかかわっているとすると単に金があれば買えるというものでは本来なかったのだろう。小さな村社会などでは物々交換とか小規模な社会だったらそうだった。品物を売買するにもどうしてその品物がもたらされたかをその苦労などを語るからその物の価値にこもっている思いが見えていたのである。
つまり人間の思いから離れた経済は何か暴力的になり侵略的でもあり人間の思いなど無視されている。
非常な無機的な世界的市場経済で人間の思いは排除されて物だけが流通して金が支配する社会になる。
まさにこれはマルクスの言う物神化というとき、その思想が宗教のようになったのは今の社会の矛盾を的確に指摘したからである。物によって人間の心が疎外され無視される社会だということは確かだからである。

人間はものを考えるとき卑近なことからミクロ的なことからマクロ的なものと思考を拡大すべきである。
金にしてもそうなのである。思いがこもっている金には単に金だけでなく人の思いがこめられているからそれを無視することはできない、無視された方もその思いが無視されたことで傷つくのである。
だから苦労して子供を育てた、金を使ったというときそれに親の思いがこもっている。その親の思いを無視されることは親にとって辛いのである。
ただ金を権利として要求するような人が増えてきた。民主主義は権利の主張のみをあらゆる欲望も是認されるものだとなりモラルが喪失した。
遠い親戚の人に金をやっても全く感謝しない、その子供にやっても感謝しない、なぜなら権利だと思っていたからである。複雑な事情があっても権利として要求しているのだから感謝などしないわけである。
「俺の金をよこせ」しかないのである。だから裁判に訴えるとまでなって関係は切れたのである。

何かこうして今は金の問題で人間の関係が切れることが本当に多い。金の切れ目が縁の切れ目になることが多すぎるのである。そういう自分もそれでもう人間関係は次から次と切れてしまったのである。
金を与える人の思いを理解しない人が多い。人間はもらうだけではない与える方になると違った観点から人もみるようになる。子供などはただ与えられるだけだから愛されるものだから愛のことはわからない。
愛とは与える愛になってはじめて愛だというのもわかる。
それは金というものにも思いや愛や労働の汗や期待もこもっているのである。
だから金を盗むということはそうした思いも盗むし裏切るから罪深いとなる。
強盗とか殺人までして得た金がどうなるのか?それがまともに機能する金とはなりえないだろう。
その金は呪われた金となる。その金には殺されたもの奪われたものの強い怨念がためられているからそうなる。いい思いがこもった金とそうでない悪い怨念がこもった金もあるのだ。

金というのは何か具体的なものとして現れるからわかりやすいから金を通して人間性も現れてくる。
生活保護の人と二組ばかり知ったが生活保護の人がモラルが頽廃している人が多いのはなぜか?
貧乏ということもあるがまず生活保護の人は金をもらっていてもそれを権利だと思っているから感謝などしない、遠い親戚でも権利だと思っているから金をやっても何の感謝もしない、強引に俺の金をよこせとなるだけである。その権利もないのに誤解してそうなっていてもそうである。
今の人間は特に団塊の世代以上はまず権利を主張するのが民主主義だとして育ったから共通性がある。
生活保護も権利であり憲法にも条文があるから当然だなとる。
ではなぜ生活保護の人がモラル的に頽廃しているのだろうか?

もちろん貧乏な人も現代ではそうなりやすい、それは生活保護の金にはどういう思いがこめられているのか考えればわかる。生活保護の金を国民が出しているのはしかたがない、出したくないのに出している、何かそこにはマイナスの思いしかこもっていない、本当は出したくない、何の思いもないのだがしかたなく出している。
そんな生活保護の人などいなくなった方がいいと思っている。
つまりそういう金で養われているから生活保護の人のモラルは頽廃しているのである。
そんな金をもらっても感謝などしないのもそのためである。
生活保護で誰かに世話になったという感情も生れないのである。誰に感謝していいかもわからない、国民に感謝しろと言っても感謝しようがない、やはりマクロになると人間の思いというのは働かない、ミクロだと働きいやすいのである。人間の思いは人間と人間の個々の間では一番働きやすいのである。
そこに金に対しても思いがこめられることになるのだ。


 
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2014年10月08日

金とは何なのか(2) 人間の思いがこめられたものは価値は金では公平に決められない


金とは何なのか(2)
人間の思いがこめられたものは価値は金では公平に決められない

人間の思いというものが意外と作用して影響が大きいことを意識しない。
ある人が殺したいとか強く思ったとき関係ない人にも影響して殺人起こるというのはそれだけ念が影響しているからそうなる。もしそういう悪い念が満ちてくると何か自然災害でも今回の津波でも起きてくるというのはそれが人間界だけではなく自然界にも影響してくるということもありうるのだ。
清浄な自然界で耐えられなくなりその悪い念を打ち消そうとして巨大災害が起きる。
どうしても今は田舎も都会もないのだが都会に悪い念が集まりやすい。
だから都会で大災害が起こると被害も甚大になる。
東北の大震災は津波はなぜ起きたかとなるとおそらく今後来る東京などの大都会の災害が起きる前兆かもしれないのだ。
思いは念は距離を越えて働く、だから外国からでもその念が影響することはありうる。一種の強烈な電波のようにもなる。ある人のことを常に思っていたらその人と会うということがよくあるだろう。
それも思いが通じているからそうなる。ある人を思ったとき電波が発信され相手に届き会うということもある。念は距離とか空間を越えて働いている。
そして金というのは一見人間の念とは関係ないように見える。
日々使っている金にどんな念が思いがこめられているか意識する人はいないだろう。
金にもそうした思いが働いているのだがその思いが普通は感じられない。
ところがよく箱に寄付金などに金を入れるとき一〇〇円でも何かすごくその金を意識しないか?
「俺は百円入れた、寄付したぞ」となるがその金は全く個人として記録されないし匿名なのである。
でも寄付金にその金には特別な思い入れがこもる。それは普通の生活で使う金と違っているからだ。
そこには何も代価を得られないから無償だからこそかえって思いと願いがこめられているのである。
だからそういう金を取り扱うことになると相当な注意が必要である。
寄付金というのは実際はどういうふうに流れてゆくかわからないのである。
そこで寄付金を管理する団体がその寄付金を私用するということもかなりある。
なぜならそこには普通の経済生活で行われている監査などされないからである。
つまりどこにどう金が流れて使われたのかわからないのである。
ただその集められた金には人々の思いが強くこめられているから百円でも普通に使うのとは違うのである。

だからそれを管理する団体は相当な信用がないとできないのである。
本当は収支をはっきりするのがいいのだが集めれた金がどれくらいあるかなども明確にされなくてもいい。
営利事業でないのだからかえってずさんになり金の行方がわからなくなる。
この辺の東北の震災の義援金を五万くらいもらった。それもこの辺では感謝すべきものだったのだろう。
原発補償金はまた別でありこれは義援金でなく補償金だから権利だから違っている。
だから義援金なぎ寄付金を集める団体が赤十字ですら何か疑われるのは収支がはっきりしないからである。
不正に使われてもわからないし私腹こやされてもわからない、そういうのは相当な罪になるだろうけどかえって善人にされる。でもそういう強く人間の思いがこめられた金を悪用するとそれは犯罪にもなり社会自体がゆがめられる。その影響も大きいのである。

大きな金を集めるとなると税金があるけどそこにも人間の思いがためられている。だからこそ税金を無駄使いしているのではないか、官僚や公務員だけがいい思いしているとか常に批判がある。税金にもなんらかの人間の思いがのりうつっているからである。だからそういう金を正当に利用しないと国すら腐敗し頽廃してゆく。
現代は金の世界だと常に言うとき金のあること自体がすでに責任を課せられている。金をもっている人が現代では一番偉いとされているからである。江戸時代は別に武士は貧乏でありそれでも偉いとされたのは庶民とは違い高いモラルを追求するものとしてあったからである。今は金をない人を誰も相手にしないし偉いともしない。
金があらゆる価値の基準になった時代だからである。だからどんな人であれ金をもっている人が偉いのでありまた責任も課せられている。億の金を持っている人は億の責任を課せられている。百億もっている人は百億の責任が課せられている。それだけの責任を負えるかとなるとかえって重荷になるから拒否する人さえでてくるだろうすでに金のあるところには人がよってきて金を有効にもっていな人のために使うことを要求さているからだ。
その金をためこんでいたりすると盗まれたり強盗にあったり殺されることまでされるのが現代である。
それは金中心の社会だからそうなっているのである。江戸時代でもそういうことがあっても別な価値基準もあったのである。今は全くその価値基準がないのである。だからみんな金だけを追求しているのである。

思いがこもる金として例えは年金は保険金だという人もいるが普通の保険金なら何かあったとき災害であれ事故であれ病気であれ払ってもらえるから払っている。保険は相互に協力するものとしてあった。災害のときなどは被害者が保険金を受けるとるが何もない人は受け取らない、みんなで助け合いとして資金を出し合ってリスクに備えている。
それがわかたっのは近くで同じ農協の保険に入って人が津波の被害で五〇〇万もらっていたのでわかった。自分は三〇万くらいしかもらっていない、でも被害が大きい人は高いのしょうがない、それでもその差が大きいと思った。それは互いの助け合いだからそうなっていたのである。ただそれを意識しないのが意識できないのが現代なのである。保険に入っている人は膨大でありそんな人同士がつながっているなど思わない、ところが江戸時代の講などは顔の見えるものであり協力していることが具体的に見える
現代のような広域社会は保険でもグローバルになると巨大であり数も膨大なにるから顔が全く見えなくなってしまうのである。

ともかく人間は思いが念が常に影響している。個々人でもそうであり社会でもそうである。誰か思っているとき念が働いている。そして意外と人は思うことは簡単であり目に見えないから注意しないのである。
それでも思うということはそれぞれの個人でも思うことは結構なエネルギーを使うものだということを知る。
なぜならたいがい思うというときその思いの働く対象が限られている。
ある人を思うとなってもその思いを働かせる人が極めて少ない、だからある人を思ったり思われることは得難いことだともなる。奇妙なことは憎しみも相手を思っていることなのである。何も関心がなければ憎しみもない、憎むことは相手を強烈に思うことなのである。だかち愛の反面は憎しみであり憎しみが愛に変わることもありうる。
無関心から愛も何も生れないのである。

「あなたは今誰のことを思っていますか」こう問う時、愛であれ憎しみであれ思いで通じ合っているというのも不思議である。なぜならこの世に数十億の人間がいても思っている人は数人にととまるだろう。
とくに老人になると交わる人が減ってくるから余計にそうなる。たださよならだけが人生だとなりやすいのである。もう思う人が死者だったりするわけである。だから墓が一番親しいものとなっているのが老人なのである。思っているのは墓に入っている死者だとなってしまうのである。
ただ死者を思い続けることも反応がないのだからやがて忘れやすい、いつまでも思いつづけることはそれだけ愛していたからだとなるだろう。
祈るとか願うとか宗教と関係してきたけどそれも思いが現実に働くから実際に効能があるからこそ今でも祈るのである。

ともかく金は単なる金属でもないし紙でもない人間の思いがこめられたものでありそれが金属となり紙となっているものである。ただその思いが感じられないのが問題なのである。
毎日買っている無数の商品にも作る人の思いがこめられているだろう。単に売れればいいというだけではない、自分の苦労して作ったものが使われて喜ばれたとなるとうれしいとなる。そういう思いが商品にあってもただ金で媒介されるとき市場原理だけが働くだけになりその思いが消失してものの物神化になり疎外されるというのがマルクスの理論であった。

だから金というのは何か極端な不公平をみんな感じている。金持ちが例えば百万円使ってもなくしても何にも感じない、一方で貧乏人はそれで自殺もするし相手も殺すことも平気でする。金の重みが貧乏人と金持ちでは全く違うのである。ものの値段であり労働の値段でありあらゆる値段はそれがその価値に相当するかというとそうではない、ただ便宜上便利だから金に換算しているにすぎない。物の価値であれ人の価値であれ人間の価値観は刻々変わっているからだ。今価値あってもすぐに一年も一カ月もたたないうちにもう一日でも価値が変わるのが現代である。江戸時代は土地とか山の木材とか価値の変わらないもので生活していたから価値観がさほど変わらないが現代はめまぐるしく何でも変わる。
もともと商売だったら中国人や外国では物の値段は決まっていない、値切って決めるのが普通だというとき物の値段はその時その人その場によって一定していないからである。
だからポランニーの言う人間の経済というのが現代から見るとそんなことありうるのかというけどあういうのが本当の経済だったのである。

この世にはものがあってもそのものは常に人間の思いがこめられている。だからものは心と同じ意味になっていたのが日本語だった。ものが憑くとかになるからだ。
自然の石でも古い伝説となっている石などは何か本当に違っている。何かまさに心が憑くような感じになっている。全くの自然の石とは違って見えるのである。
実際にすでに何からの人間の心がついてものなのである。津波の跡の不思議を常に書いてきたけど庭の石とか樹が残っていたけど家がなくなったときそれが主人がなくなったがその忠実な家来が残っている感じになっていたのである。それはまるで人間だったのである。普通の自然の樹とは違っていたから何度見ても不思議だなと思ったのである。それは何か言いようがないものだったのである。


金とは何なのか(2)


人間の思いがこめられたものは価値は金では公平に決められない

人間の思いというものが意外と作用して影響が大きいことを意識しない。
ある人が殺したいとか強く思ったとき関係ない人にも影響して殺人起こるというのはそれだけ念が影響しているからそうなる。もしそういう悪い念が満ちてくると何か自然災害でも今回の津波でも起きてくるというのはそれが人間界だけではなく自然界にも影響してくるということもありうるのだ。
清浄な自然界で耐えられなくなりその悪い念を打ち消そうとして巨大災害が起きる。
どうしても今は田舎も都会もないのだが都会に悪い念が集まりやすい。
だから都会で大災害が起こると被害も甚大になる。
東北の大震災は津波はなぜ起きたかとなるとおそらく今後来る東京などの大都会の災害が起きる前兆かもしれないのだ。
思いは念は距離を越えて働く、だから外国からでもその念が影響することはありうる。一種の強烈な電波のようにもなる。ある人のことを常に思っていたらその人と会うということがよくあるだろう。
それも思いが通じているからそうなる。ある人を思ったとき電波が発信され相手に届き会うということもある。念は距離とか空間を越えて働いている。


そして金というのは一見人間の念とは関係ないように見える。
日々使っている金にどんな念が思いがこめられているか意識する人はいないだろう。
金にもそうした思いが働いているのだがその思いが普通は感じられない。
ところがよく箱に寄付金などに金を入れるとき一〇〇円でも何かすごくその金を意識しないか?
「俺は百円入れた、寄付したぞ」となるがその金は全く個人として記録されないし匿名なのである。
でも寄付金にその金には特別な思い入れがこもる。それは普通の生活で使う金と違っているからだ。
そこには何も代価を得られないから無償だからこそかえって思いと願いがこめられているのである。
だからそういう金を取り扱うことになると相当な注意が必要である。
寄付金というのは実際はどういうふうに流れてゆくかわからないのである。
そこで寄付金を管理する団体がその寄付金を私用するということもかなりある。
なぜならそこには普通の経済生活で行われている監査などされないからである。
つまりどこにどう金が流れて使われたのかわからないのである。
ただその集められた金には人々の思いが強くこめられているから百円でも普通に使うのとは違うのである。

だからそれを管理する団体は相当な信用がないとできないのである。
本当は収支をはっきりするのがいいのだが集めれた金がどれくらいあるかなども明確にされなくてもいい。
営利事業でないのだからかえってずさんになり金の行方がわからなくなる。
この辺の東北の震災の義援金を五万くらいもらった。それもこの辺では感謝すべきものだったのだろう。
原発補償金はまた別でありこれは義援金でなく補償金だから権利だから違っている。
だから義援金なぎ寄付金を集める団体が赤十字ですら何か疑われるのは収支がはっきりしないからである。
不正に使われてもわからないし私腹こやされてもわからない、そういうのは相当な罪になるだろうけどかえって善人にされる。でもそういう強く人間の思いがこめられた金を悪用するとそれは犯罪にもなり社会自体がゆがめられる。その影響も大きいのである。

大きな金を集めるとなると税金があるけどそこにも人間の思いがためられている。だからこそ税金を無駄使いしているのではないか、官僚や公務員だけがいい思いしているとか常に批判がある。税金にもなんらかの人間の思いがのりうつっているからである。だからそういう金を正当に利用しないと国すら腐敗し頽廃してゆく。
現代は金の世界だと常に言うとき金のあること自体がすでに責任を課せられている。金をもっている人が現代では一番偉いとされているからである。江戸時代は別に武士は貧乏でありそれでも偉いとされたのは庶民とは違い高いモラルを追求するものとしてあったからである。今は金をない人を誰も相手にしないし偉いともしない。
金があらゆる価値の基準になった時代だからである。だからどんな人であれ金をもっている人が偉いのでありまた責任も課せられている。億の金を持っている人は億の責任を課せられている。百億もっている人は百億の責任が課せられている。それだけの責任を負えるかとなるとかえって重荷になるから拒否する人さえでてくるだろうすでに金のあるところには人がよってきて金を有効にもっていな人のために使うことを要求さているからだ。
その金をためこんでいたりすると盗まれたり強盗にあったり殺されることまでされるのが現代である。
それは金中心の社会だからそうなっているのである。江戸時代でもそういうことがあっても別な価値基準もあったのである。今は全くその価値基準がないのである。だからみんな金だけを追求しているのである。

思いがこもる金として例えは年金は保険金だという人もいるが普通の保険金なら何かあったとき災害であれ事故であれ病気であれ払ってもらえるから払っている。保険は相互に協力するものとしてあった。災害のときなどは被害者が保険金を受けるとるが何もない人は受け取らない、みんなで助け合いとして資金を出し合ってリスクに備えている。
それがわかたっのは近くで同じ農協の保険に入って人が津波の被害で五〇〇万もらっていたのでわかった。自分は三〇万くらいしかもらっていない、でも被害が大きい人は高いのしょうがない、それでもその差が大きいと思った。それは互いの助け合いだからそうなっていたのである。ただそれを意識しないのが意識できないのが現代なのである。保険に入っている人は膨大でありそんな人同士がつながっているなど思わない、ところが江戸時代の講などは顔の見えるものであり協力していることが具体的に見える
現代のような広域社会は保険でもグローバルになると巨大であり数も膨大なにるから顔が全く見えなくなってしまうのである。

ともかく人間は思いが念が常に影響している。個々人でもそうであり社会でもそうである。誰か思っているとき念が働いている。そして意外と人は思うことは簡単であり目に見えないから注意しないのである。
それでも思うということはそれぞれの個人でも思うことは結構なエネルギーを使うものだということを知る。
なぜならたいがい思うというときその思いの働く対象が限られている。
ある人を思うとなってもその思いを働かせる人が極めて少ない、だからある人を思ったり思われることは得難いことだともなる。奇妙なことは憎しみも相手を思っていることなのである。何も関心がなければ憎しみもない、憎むことは相手を強烈に思うことなのである。だかち愛の反面は憎しみであり憎しみが愛に変わることもありうる。
無関心から愛も何も生れないのである。

「あなたは今誰のことを思っていますか」こう問う時、愛であれ憎しみであれ思いで通じ合っているというのも不思議である。なぜならこの世に数十億の人間がいても思っている人は数人にととまるだろう。
とくに老人になると交わる人が減ってくるから余計にそうなる。たださよならだけが人生だとなりやすいのである。もう思う人が死者だったりするわけである。だから墓が一番親しいものとなっているのが老人なのである。思っているのは墓に入っている死者だとなってしまうのである。
ただ死者を思い続けることも反応がないのだからやがて忘れやすい、いつまでも思いつづけることはそれだけ愛していたからだとなるだろう。
祈るとか願うとか宗教と関係してきたけどそれも思いが現実に働くから実際に効能があるからこそ今でも祈るのである。

ともかく金は単なる金属でもないし紙でもない人間の思いがこめられたものでありそれが金属となり紙となっているものである。ただその思いが感じられないのが問題なのである。
毎日買っている無数の商品にも作る人の思いがこめられているだろう。単に売れればいいというだけではない、自分の苦労して作ったものが使われて喜ばれたとなるとうれしいとなる。そういう思いが商品にあってもただ金で媒介されるとき市場原理だけが働くだけになりその思いが消失してものの物神化になり疎外されるというのがマルクスの理論であった。

だから金というのは何か極端な不公平をみんな感じている。金持ちが例えば百万円使ってもなくしても何にも感じない、一方で貧乏人はそれで自殺もするし相手も殺すことも平気でする。金の重みが貧乏人と金持ちでは全く違うのである。ものの値段であり労働の値段でありあらゆる値段はそれがその価値に相当するかというとそうではない、ただ便宜上便利だから金に換算しているにすぎない。物の価値であれ人の価値であれ人間の価値観は刻々変わっているからだ。今価値あってもすぐに一年も一カ月もたたないうちにもう一日でも価値が変わるのが現代である。江戸時代は土地とか山の木材とか価値の変わらないもので生活していたから価値観がさほど変わらないが現代はめまぐるしく何でも変わる。
もともと商売だったら中国人や外国では物の値段は決まっていない、値切って決めるのが普通だというとき物の値段はその時その人その場によって一定していないからである。
だからポランニーの言う人間の経済というのが現代から見るとそんなことありうるのかというけどあういうのが本当の経済だったのである。

この世にはものがあってもそのものは常に人間の思いがこめられている。だからものは心と同じ意味になっていたのが日本語だった。ものが憑くとかになるからだ。
自然の石でも古い伝説となっている石などは何か本当に違っている。何かまさに心が憑くような感じになっている。全くの自然の石とは違って見えるのである。
実際にすでに何からの人間の心がついてものなのである。津波の跡の不思議を常に書いてきたけど庭の石とか樹が残っていたけど家がなくなったときそれが主人がなくなったがその忠実な家来が残っている感じになっていたのである。それはまるで人間だったのである。普通の自然の樹とは違っていたから何度見ても不思議だなと思ったのである。それは何か言いようがないものだったのである。


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秋の蝶(俳句は写生だから平凡でも価値が生れる)


秋の蝶(俳句は写生だから平凡でも価値が生れる)


秋の蝶飛び来る一羽朝に見ゆ

静けさや秋の日さして石二つ

なお一羽帰らざるかな秋燕

畦道を歩みて農家秋薊


秋の蝶が一羽飛んでくるのを朝に窓から見ていた。これは全く写生の俳句なのだ。
蝶が一羽が飛んでくるではこれは外国では理解できない、まず秋の蝶という季語ゆえに俳句文学生れたのである外国だったら蝶といえば春であり夏であるが秋は意識しないし区別しないだろう。

そしてこれが何を意味しているかというと田舎では誰か歩いていても見てないようで見ているのである。
あの人どこにゆくのだろうかと見ている。だから地元の女性はこの道をゆくのが嫌だなとというとき誰かに見られることを意識するからである。
その女性はどこでも見られていることを意識して何かを言われるのを嫌がっていた。
田舎は人間が監視カメラのことには変わりなかったのである。

田舎は人間関係ではこのように狭隘なものになるのだが自然を見ていれば一羽飛んでくる蝶はきれいだしそれを見ているのは心和むのである。自然を観察するには空間的にもリズム的にもいいのである。
でもこれはあまりにも平凡だから俳句とはなりえないと思うだろう。
それが写生俳句でありその写生に価値と意味を見いだすのである。
秋の蝶がひらひら一羽は飛んでくる。それをゆっくりと見ている。
その余裕がないと俳句もできないのである。

石二つとなるとこれは想像の句である。ただそういう場面を田舎ではどこでも見ているだろう。
人間つくづく年になれば落ち着きたいということがある。
だから仲のいい老夫婦などはいいなと思う。
老人はそうして長年一緒に暮らしてきた人や土地と一体化するからはなれがたくなる。
だから原発事故で避難した人たちは老人は辛いし帰りたいとなるのである。

燕が一羽飛んでいるのみた。まだ帰らないと思った。夜は寒かったにしろ昼になると何か日ざしが暑い、やはり何か今年も暑くなっているのだろう。これも温暖化の影響なのだろう。
暑く感じるからまだ燕も帰らないということがある。

薊は畦道に咲いているのがふさわしい花である。ところがこの辺では田んぼが草ぼうぼうになっている。
だから田んぼがないということは荒れ果てた感じになるのだ。
小山田の辺りで除染していた。あの辺もしていたのかと思う。山側からしている。でも草を刈り取っているだけであり土はとっていないからまた草は生えたら同じじゃないかと思った。
庭の土はとっている。除染というのはまず大変な労力であり人手がかかる。一兆円もかかるというのもわかる。でもその成果は少ないだろう。草を刈っても土をとらない限り同じである。
その土をとることは膨大なものとなり不可能になる。捨てる場所だって確保できない、だから放射線量が低ければあきらめて暮らすほかないという感じもする。
それよりそこで生活する方が大事に思える、いつまでも荒地になっていたら心まで荒地になってしまうからだ。
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