2014年09月27日

神戸の長田は地震で大火事、南相馬市は津波 (神戸の小1殺人事件、南相馬市は小学五年の自殺) そういう危険を自ら体験したしもはや田舎も都会も差がない時代だとつくづく思った。


神戸の長田は地震で大火事、南相馬市は津波

(神戸の小1殺人事件、南相馬市は小学五年の自殺)


先ず、袋小路は、静かで住環境は良いですね。又我が家の住人以外自宅の前を通る人はいません。知らない人が入って来たら怪しいと思います。

一方、通りに面しているところは足音や、車の往来の騒音が気になりました。人通りもあるので、どのような素性の人が歩いているのか判りません。防犯面は袋小路の方が有利だと思います。


神戸の長田地区の事件の起こった写真見たら家がこみあって袋小路になっていた。あういう風景は別に田舎ではめずらしくないだろう。神戸は平坦な土地が少ないから家で混み合っている。急な坂道もあった。あの風景を見ただけでなんか窮屈な感じになった。
日本は土地が狭いから袋小路が多い、通りより袋小路が安全だというのは外から来るものに対してはそうである。
ただ人間は一番怖いものは内部に地域でもそこに住むようになる人が実は一番怖いのである。家庭に入ってくる人もまた一番怖い。

これも都会だから地域に素性の知らない人が入ってきた。何か日頃から異様な行動をしていた。それで警察まで来ていた。しかしいったん住むようになったらその地域から追放することはできない。その人は知的障害者だというとき、かえって差別だとか今は異常にうるさい、障害者はある面特権階級にすらなっている。
その人はまず都会だから地域になじんでいない、知的障害者でも親がいてその地域になじんで暮らしている人はいる。田舎ではそういう人が多い。
神戸のような大都会だとそういう障害者も移動していることが多いからある地域になじむことができないのかもしれない、そういう人を受け入れるにも人間は必ず時間が必要になる。何でもすぐに人は親しくもなれないし関係を深めることはできない。

ただ現代は都会と田舎の差がなくなっている。東京で小学生が5年生だったか二人自殺した。そのすぐあとに南相馬市で小学5年生の女の子が自殺した。これも驚いた。
まず小学生が自殺することはほとんど聞かなかった。最近は起きているのも社会が相当に
劣化しているのだろう。
田舎でも本当に都会と変わりない、田舎は素朴で人のつながりがありあたたかいというのは昔のことである。
今は広域社会になったとき、金に頼る生活であり近隣とのつながりも希薄になっている。
毎日なぜこんなに買わなければ暮らせないのかと自分でも思う。
それだけ贅沢しなくても買う生活になると金が必要になり金に頼る生活になる。
金に頼る生活はかえって人と人は協力しなくなる。金さえあればいいとなる。
だからこの辺では仮設に暮らす人と補償金でもめて何ら協力しないし敵対さえしている。

最近の事件でもここでとりあげたのでも会津でも信じられない凄惨な事件が起きた。
母親を惨殺するとか起きた。会津というと何かまだ素朴な感じをしていたがそうではない、
それから会津では外部から入ってきた人によるこれまた凄惨な殺人が起きた。
それは神戸とはまた違っていて田舎の地域社会に受け入れられないことから起きたようだ。
金を貸せと入ってきた家で起きた。金に窮している人も怖い。それはどこにでもある。
金に窮すれば誰でも犯罪者になりうる。悪人も善人もない、金に窮して明日食べるものがないとなれば追い詰められるからそうなる。
そういう立場に追い詰められたらだれでもなる。
だから借金している人は追い詰められるから犯罪者になりすい。
相手のことを考慮する余裕などない、ただ金になればいいとだけなってしまう。
会津の美里夫婦強殺事件も金に追い詰められていたのである。
田舎に素性の知らないものが入り事件が起きた。
ただ田舎にそうした人を拒否するから簡単には入れない
そのことでかえって恨まれて殺人事件になった。

金を借りに来る人間もまた怖い、貸さないからと殺人になることもある。
その人は金がなくて追い詰められているから殺人にもなる。
こいつは何で金あるのに金を貸さないのだとなる。
他でも金貸せと言ってきた人に貸さないことで殺された人がいる。
だからこういう人とかかわるときは慎重になる必要がある
10万貸せとと言ったら一万やるとかなんか非情にだけすると危険になる。
特に田舎の人間関係では金もっているだけで金を分けろと平気でなっているのだ。
田舎では金持ちは金持ちでいられない、都会だったらとんでもない金持ちも住めるが田舎では住めない、金もっていれば分けろとなるのだ。
田舎ではうまく生活するのにはどうしても平等性が追求されるからその点を考慮しないといけない。


この二つの事件は何か共通性がある。会津の美里の殺人事件は外部から入ってきた人が地域に拒否されて事件が起きた。神戸の事件は簡単に移り住んだ人が事件を起こした。
一方は拒否して一方は簡単に移ってきても受け入れるから拒否できないから起きた。
田舎と都会の差があったのだか別に幼児殺害は田舎でも起きていた。
それは都会だけの問題ではなく広域社会でもどこでも起こりうるようになった。
田舎と都会の差がなくなっているのが現実なのである。
南相馬市の小学生の自殺も原因はわからないがやはり田舎ではむごいいじめなどないとなるが今やどこでもいじめは全国共通なのである。
それだけ大人社会がいじめを生む要因を作っている。地域でもつながりが薄くなっている。
丸森出身の女性の殺人事件もこれも凶悪だったが丸森は相当な田舎なのである。
だから凶悪犯も田舎からでる時代なのである。
田舎も凶悪犯罪は常に起きている、起きやすくなっているのだ。
金の社会になれば金にからむことがら事件が起きやすいのである。

そもそも現代の社会が複雑化して袋小路化している迷路化している。そこで犯罪の温床にもなる。都会では隣に誰が住んでいるかもわからない、田舎でも農家以外は小さな町でもそうなりやすい、人と人の関係が見えずに金さえあれば暮らせるという社会なのである。
だから金がなくなるともう何もできないとまでなる社会である。
おにぎり食べたいと死んだ人がいたけど昔ならそのくらいくれただろう。
今は金がないとそうなってしまうのである。
ともかく都会はもともと犯罪の温床になりやすいけど田舎だって今は広域社会で金中心の社会であり凶悪な事件が起きる。
そして現代に犯罪が増えるのは格差社会も関係している。貧乏の人は極端に貧乏であり金持ちは金持ちだとなると反感が大きくなる。金持ちからは盗んでいいんだという社会になる。それを容認さえされるから怖い。高度成長期のように中産階級が増えた時代はみんなが豊かになるということでそういうことはなかった。子供まで満足に食べられないとなるとその格差が犯罪に結びつきやすいのである。

世界的にもグローバル経済になると貧乏国の不満が大きくなる。
なぜ先進国だけが豊かになり後進国は貧乏なのだと知るからである。
それで豊かな国の欧米に不満が高まりイスラム国のような不満分子がテロになる。
不思議なのは欧米の若者が参加していることである。
それも格差社会で欧米でも貧乏なものは貧乏になり職もないとか国内でも格差社会になっているからである。一種のマルクスの言う世界的新しい階級闘争になっているのかもしれない。
ともかく自分もアメリカに投資していると得している。アメリカにドルが世界の貨幣であるようにアメリカに富が集中するようにグローバル経済はなっている。
まだ中国があれだけ台頭してもまだまだアメリカ中心の世界なのである。
だから貧乏なの国は人はアメリカに反発するのである。
それは別に宗教とは関係ない、宗教は別な次元の問題である。

そしてこういうふうにモラルが荒廃すると何が起きるのか?
神戸の長田では地震で火事があり大被害があった所だった。あの時アナウサーが燃えた熱い骨を手にしていたときはショックだった。そこが長田だったのである。
そして南相馬市でも津波の前にも凶悪な犯罪があり自分も被害者だった。
そのあとにも小学生が自殺した。
だから何か自然もそういう人間のモラルの荒廃に起こり災害が起こしたのだとというのもあながち否定できない、そういう異常な犯罪がモラルの荒廃が今回のような大きな災害をもたらしたのかもしれないともなる。
神戸と南相馬市が何かそういうことで共通しているのかもしれない。
昨日も二回つづけて地震が起きたから何か自然の怒りが治まっていないような恐怖を感じるのである。


福島会津母親殺害事件

福島会津美里夫婦強殺事件

丸森の女性がインタ-ネットで知り合った68才の男性を殺害

南相馬市小学五年生女子自殺

会津美里でも会津の奥であり田舎である。丸森も田舎である。ただ丸森は仙台に通勤している人も多いだろう。でも丸森は森の深い田舎のなのである。
これは高齢者が餌食になったがこうした事件はどこでも増えるだろう。
南相馬市は原町は5万くらいの市であり今は一万くらい減っている。
原因は何なのか不明である。
ただ小学生が田舎で自殺するというのは聞いたことないし異常である。
他でも起きているから田舎と都会の差は犯罪ではないのである。
ともかく田舎でも凶悪の事件が起きている。
そういう危険を自ら体験したしもはや田舎も都会も差がない時代だとつくづく思った。

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posted by 老鶯 at 10:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層