2014年09月17日

なぜ老人は金を使わないかモノを買わないのか? (老人は消費すること自体が大きな負担になる)



なぜ老人は金を使わないかモノを買わないのか?

(老人は消費すること自体が大きな負担になる)



なんか通販では大きさとか重さわからなくてかなり買い物に失敗した。今回も背負うリュックサックを買ったが大きかった。前は重くて使えなかった。そのリュックを買ったのは下に弁当など入れられからいいと思った。弁当は一つにすると生ものは汚してしまうからである。
通販でムダが多いのは買いないものが買えるからである。
田舎では売ってないものが無数にあるからである。でも手に取ってみないと使えないものがかなりあった。っだから通販は無駄な買い物が多くなりやすい。

そもそもそいうものを買っても老人になると利用する頻度が少なくなる。
登山でもキャンプでも今簡単にできなくなっていた。介護で離れられなくなっているからだ。 そしてこの辺はバスになった結果仙台に行くのにも面倒になったのである。
バスは何か疲れるのだ。最近既に半年以上も仙台に行っていない。
出不精になってしまったのだ。
自転車でも自分は若い時からツーリングなどしていないから50以上になりスポーツタイプの軽いの買った。でもこれもわずかしか乗りこなせていない、つまりモノを道具を買ってもそれを使いこなす体力や気力や時間がなくなってきたのである。
最近小型のいいビデオカメラがでたので自転車にとりつけようとしたがそれもできなかった。いいものがでても買っても使いこなすことができない、老人は金があってもモノを道具を買っても使いこなすことができなくなる。

人間の生きる時間は本当に短い、高齢化で寿命が長くなったといってもやはり老人は若い人のようになんでも取り入れて使いこなすことができないのである。
趣味だってこれも相当な年季を必要とするから簡単にはできない。
60の手習いだなどというけどその負担は若い時の何倍もの労力になる。
読書だってそうであり厚い本は硬い本は読みにくくなる。
だから読書でも若い時は別に理解しなくても読んでいた方がいいとなる。
その意味を老人になると深いものとして理解できるようになるのだ。
素読とか子供の時暗唱させるのがいいというのはそのためである。その時意味がわからなくてもあとでわかるときがあるからである。

老人になると何かをするということはすでになんでもかなりの負担になる。それは遊びでもそうであり金があるから何でも買えてもそうである。第一パソコンやろうとしたらその労力は若い人の何倍もの負担であり使いこなせない、だから老人はモノを買わなくなる。
もしパソコンを買うなら大金持ちなら教える人を雇うことも必要になってくる。それでもパソコンを覚えることは容易ではないのだ。
その手間と時間が若い人が覚えるより負担になるから買っても使いこなせないとなり買わないとなる。老人になるとそいうことが多くなるのである。

人間は年をとればとるほだモノがいらなくなる。みんないっているだろう。
「もう何もいらない」と死ぬころになるとそうなる。
立派な着物をいれる箪笥があったけど着物を着たのわずかだった。
悲惨なのは認知症になりモノがありすぎると整理できなくなり忘れた忘れたと騒いでパニックになっていたことである。
認知症になると部屋には避けなものがない方が整理しやすいからいいのである。

老人になると何が必要なのか?何が買いたいのかとなるとモノではなくなる。
逆に金で買えないものが価値お帯びてくる。そもそも親切とか優しくしてくれるとかは
金では買えないものだったのである。
特に介護はモノを与えることではない、親切に接してくれるとかの精神的なものであり
モノを買うのとは違っているのである。
老人になるとそうしたモノではないものが価値をましてくる俺はいくらでも金をもっているだから俺に親切にしてつかえろといってもそうはならない、施設では嫌々ながらそんな老人をめんどうみている。でも施設では金だけではどうにもならないから不幸だというのもわかる。モノは買えても心は買えないのである。

認知症の不思議は何が最後に大事になってくるかを象徴している。
『殯の森』(もがり の もり)という映画は認知症のことがよくわかっていて作られたいいからいい映画だった。認知症の人が大事にしていたのは一つのバッグだった。
肌身離さず持ち歩いていたのである。それをとったとき激しく怒った。
なぜか、そこには思い出の品が死んだ妻の遺品や日記が入っていたのである。
自分の姉もみすぼらしいバッグを肌身離さず持ち歩いていたのである。
それはシンガポールで従軍慰安婦を4年間していて辛酸をなめた戦友が作ってくれたものだった。死ぬ間際までその戦争のことが忘れれず語っていた。
戦争の体験はそれほど忘れられないものとなっていたのである。
何が価値あるものとして残ったかというと「思い出」でありそれは形にはならないのである。それも人生を象徴していたのである。

baggggggg123.jpg

戦友が作ってくれたこのバッグをいつも肌身離さず持ち歩いていた

タグ:老人