2014年09月16日

東京の危機迫るー貞観津波の時と同じ傾向 (茨城から千葉、埼玉と地震が頻発)



 東京の危機迫るー貞観津波の時と同じ傾向


(茨城から千葉、埼玉と地震が頻発)

これまでの地震は散発的に起きていた。東日本震災から違っている。周辺に集中的に起きているのはやはり東日本震災の影響である。埼玉に震度5弱が起きたのは不気味である。
東京は東電が原発を福島に浜通りに作った。それは一千万の東京を維持するために作られた。東京は自らの危険を避けて東京に作った。そして原発事故の災禍をもたらしフクシマでは浜通りでは人も住めなくなった。
この災いをもたらしたのは東京のような巨大都市がありそれが負荷となり原発事故がもたらされたのである。東電や政府は東京から離れたところで安全策を図ったのである。
そして飯舘村のような原発とは関係ない自然と共生を図って暮らしていた村に住めなくさせたのである。その罪は余りにも大きすぎたのである。
そのカルマを支払わせるために東京に危機が迫っているのだ。
貞観津波の時も陸奥は大被害を受けた。それはそのとき大和王権が陸奥の蝦夷をふみにじり虐殺していたのである。

そうして人心が乱れるとき自然も乱れる。その乱れを蝦夷の怨霊を鎮めるために祇園祭が始まったという。そのときの政権は奈良から京都に移っていた。
そのときは首都は京都だったが今は首都は東京である。
そういう人間の歴史とも災害は関係して起きてくる。
大災害はまた人間社会の根本的変革をうながす強制するものとしても易姓革命を起こすものとしても起きる。
原発事故も天の警告であり変革をうながすものとして津波が襲ったのである。
東京一局集中も国土利用では間違っている。天の配剤がありそれに反するとまた天変地異が起きてくる。東京はすでにもうそうした自然から見れば異常に肥大化した自然に天の理に反したものとなっている。
だから天の理に従って大災害が起きて新たな日本の国造りを強いるのである。
それはとても人間の力ではできるものでないから天が関与するのである。
原発事故でもその悪が暴いたのは人間ではない、国家的犯罪になると人間では裁けないから天が神が自然を動かすともなる。

蝦夷の怨念と同じものが今回も起きている。貞観津波では京都だったが今度は東京になる。
東京では常にに地方を軽んじてきた。第一次産業を食料を提供する地方を軽んじることは自然を軽んじることに通じているのだ。
大きく見ればグローバル経済というのも日本を起点にして見直される時期に来ている。
食料は国内で自給するのが基本であり外国に頼るのは天の理に反するのである。
だらこそ天から罰を加えられる天変地異が起きてくる。
tppもアメリカの第二の属国化なのである。

都会には都会のカルマがある。関東大震災があったが東京では必ずそういう地震災害が起きる。都会は災害に弱いからである。だからカルマを繰り返す、東北でも津波は繰り返されてきた。日本自体がそうした国土のカルマをもっている。その運命から逃れられないのである。歴史を振り返ってもその地理が歴史を作るように災害も繰り返される。
ただ日本人は忘れやすい民族なのである。何か一過性で台風のように荒らされてもその後の青空のように忘れる。
神戸の地震でも都会の被害は甚大になる。それを考えたら普通はあんなに密集して住んでるのは地獄を作り出すためにお膳立てしているとしか思えない、それは津波でなぜ危険な海岸に家が密集していたのかと言われるのと同じなのである。
高層ビルに住むということはやはり人間の危険に対する感覚がマヒしているとしか言い様がないのだ。

東京が大被害受けることは日本の国土再建計画が起こり地方に危険を分散させる政策が取られる。東京オリンピックは中止され国土再建に向かう。東京遷都も具体化するそれだけの衝撃がない限り本気の改革はできないのである。

窮まれば変じ、変ずれば通ず(易経)

正に被害地はこうなっている。原発事故ではそもそも町や村がなくなった、住めなくなったのである。これ以上の変化ない、これに対処するには変じるしかないのである。
これはまた明治維新とか戦後の焼け野原と似ているのだ。
東京に大地震が起きたら全国規模で国土再建をせざるを得ない、それはそうしいられるのである。 その後にまた新しい日本国土の天の理にかなった再建が行われる。
そうでないければとても大きな根本的改革はできないのである。
そのときまた荒廃の極点に達していた日本人のモラルの再建もありうるのである。
つまり人間の力だけではモラルもあらためることができないのである。
だからそこに天の力が働き国土の改革が行われる。そのための犠牲として津波原発の犠牲があったともなる。戦争の犠牲者があって戦後の復興があったと同じである。
時期的に明治維新から70年で戦争へ戦後約70年で大災害になった。そいう節目に自然災害も起きてくる。それも天の理だったのである。



posted by 老鶯 at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

火災保険、10年超引き受け停止へ 損保大手 自然災害増加で収支悪化 (国民年金も保険であり支払いきれなくなっている)


火災保険、10年超引き受け停止へ 損保大手 自然災害増加で収支悪化

国民年金も保険であり支払いきれなくなっている)


  損害保険大手が、10年を超える期間の火災保険の新規契約引き受けを来年秋にも停止する方針を固めたことが13日、分かった。異常気象による建物被害が増加傾向にあり、長期契約での収支予測が難しくなったためだ。現在、最長で36年の保険契約は、 ...
MSN産経ニュース

若い世代はまともな職にも就けず、安定収入もなく、結婚もできず、ジリ貧。 
一方、老人世代が雇用延長して会社に居座り、高給を得て、裕福な生活をおくる。 
自分たちだけ良ければ後はしらねえ、って感じがぷんぷんする。 
政治家も自らの懐にカネが転がり込む仕組み作りに腐心しているだけで、表向きは 
キレイ事をいっているだけで、将来の日本がどうなろうと知ったことではない。 
だいたい、余命幾ばくもない70才の老人がまともに将来を考えるかっての。 


年金は保険だから。得する人もいれば損する人もいる。最も公的年金は、政府が出資してるから得する割合が高い。

 自動車保険は事故を起こさないと貰えませんよね。健康保険は病気や怪我をしないと 
貰えませんよね。保険金を貰うような事態にならないほうが幸せなんです。それを、 
「掛け金が無駄になった。私も事故を起こしたかった。病気になりたかった。」と悔やむ 人はいません。 

国民年金「保険」も、厚生年金「保険」も同じこと。貰うような事態にならないほうが幸せ なんです。保険金をもらえなかったら、「無駄に長生きして生活に困らなくてよかった」と
喜ぶべきなんです。 

そういうわけで、年金の支給は90歳からにしますのでよろしくお願いいたします。 



一般にも保険が「危険を分担」し合う契約であることの認識は薄く、自らに保険事故が発生し、経済的保障を受けなければ保険の効用、仕組みについて理解がされないことが
多い。

保険というのがこれもそもそもわかりにくい。親が農協の保険の火災保険い入っていた。それで今回の地震で30万くらいはもらった。
でも津波に被害があった人は500万もらったという。床上浸水で被害が大きかった。
それでもその額が大きいと思った。その人は1200万くらいの保険だった。
自分は600万だったのである。それも積み立てたのが戻ってくる保険だった。
ただ自分は少ないと感じたが保険は何かあった場合のために助け合うことが保険だということを理解した。そういう助け合いだということを自覚している人は少ない。
保険会社に一任してその保険会社から支払われるのであり互いに保険金を納める人が協力してなりったていることがを自覚していないのである。
それが近くで同じ農協だったから自覚したのである。
正直農協は一年に5万であり高いと思った。でもこれは掛けたものが返ってくるから高かったのである。

現代は保険の時代でもあるが保険とは何か理解している人が少ないと思う。

年金は保険だから。得する人もいれば損する人もいる。最も公的年金は、政府が出資してるから得する割合が高い。

 自動車保険は事故を起こさないと貰えませんよね。健康保険は病気や怪我をしないと 
貰えませんよね。保険金を貰うような事態にならないほうが幸せなんです。それを、 
「掛け金が無駄になった。私も事故を起こしたかった。病気になりたかった。」と悔やむ 人はいません。 

年金が保険と理解している人もまれだろう。若い人が年金を払うのが馬鹿らしいというのはわかる。
自分もそう思っていたが払うのは親だったので苦しいとは思わなかった。
年金は保険だとすると老後のために何かあった時にもらうものであり月給のようにもらうものではない。
それは病気とかになった時もらうものだとなる。そうなると定期的に死ぬまでもらうのはないとなる。
国民年金などはこうした保険というよりは国の社会保障になっている。半分は国で保証しているのである。健康保険でもそうである。アメリカでは健康保険が馬鹿高いから貧乏人は入っていないから病気の時はいい医者にみてもらいない、日本では平等にみてもらえるのがいいと評価される
でも国でその負担が増えるとはらいきれなくなり消費税などの増税になるのである。
それはこれも保険でありみんなでなにかあったら負担しあうという思想があり成りたっている。
生活保護でもそういう思想があり成り立っている。ただ税金で納めるから保険だという感覚がないのである。

若い人が年金に不満なのは今の団塊の世代などは少なく払ってももらえるが自分たちが老人になるときはもらえるかどうかわからないという不満である。現実に今の90代は年金をはらわなくても三万くらい国から支給されたのである。年金は国で保証されるから支払われるとしても今払っている年金は今の世代に支払われるから不満なのである。
考えてみれば火災保険などは支払う額はそうした世代間で差はない、みんな同じ額を払って維持している。今の若い人は多く払ってももらえるかどうかわからないというのは当然だとなる。
厚生年金や企業年金も国民年金とは違っている。
公務員はなぜ年金が高いのかと不満がある。その差があまりにも大きすぎるからである。
そもそも国民年金にしてもそれが保険なら病気とかの時支払われるのであり月給のように支払われるのではない、そうしたいなら貯金の年金に入り老後にもらえるようにしひた方がいいとなりそうしている人もいる。

いずれにしろ社会保障費も増大すれば消費税などあげねばならない、少子高齢化でその負担が若い人にかかるから不満が増大する。最近火災地震保険でも払いきれないから募集を保険会社で取りやめたことも同じことなのである。支払う額が大きくなるともう維持できなくなるのだ。
それは社会保障費でもそうだし年金でもそうだし民間でも維持できなくなる。
そういう限界状態が社会全体に生じているのである。

現代社会が理解しにくいのは何でも規模が大きくなっているからである。少人数の頼母子講などなら理解しやすいが巨大化すると人間はなんでも理解しにくくなる。
でも今回のような大災害になると巨大化しているから巨大なシステムを構築した保険会社でないと対処できない、その一番巨大化したのが国の保障なのである。これだって税金で成りたっているのだから
保障しきれない事態になっている。
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