2014年09月12日

夏の終わりに死んだ揚羽蝶を見て思ったこと (人は生きたように死ぬ・・・・揚羽蝶の軽やかな死(詩)


夏の終わりに死んだ揚羽蝶を見て思ったこと


(人は生きたように死ぬ・・・・揚羽蝶の軽やかな死(詩)



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入れ替わりダリやにとまる揚羽蝶




揚羽蝶の軽やかな死


揚羽蝶は軽やかに野を飛び回り
道に美しい羽を残し死んだ
風に吹かれて光を一杯に吸い
蝶は花々を巡り舞いぬ
蝶にはただ花々が映じている
その美しい紋様を見せて
蝶は喜々として舞った
風は草原に吹きわたりかなたに
海の波が寄せて飛沫があがる
この世の労苦は限りない
蟻の労役は果てしなく続く
人の生は重く苦渋に満ちている
それはこの世の終わりまで続く
この世を生きることは苦役を課せられた囚人
なぜ無残な死があるのか
蝶の軽やかな死よ
そこに苦痛はなく軽やかな死
美しい羽を残した死
何も苦痛はなく惨めではない
それを手にとれば
また風にのり飛んで行きそう
蝶は死んでも野の花々の中を舞っている
神の庭園の花々の中を舞っている
風に吹かれて十分に光を吸った蝶よ
風に軽やかに舞い上がる蝶よ
なお眩しい夏の日は続く
そは来世でも天国で舞い続ける
軽やかに風に吹かれて喜々として
限りなき花々の中を・・・・・・



今年は暑つくなったり寒くなって秋だと思うとまた暑く夏になっている。
残暑なのだけど秋も既に来ているという奇妙な感じである。
揚羽が飛んでいるのは夏である。日ざしも夏である。
人間の生が苦だというとき病気になり死ぬときである。
それがあまりにも無惨なのである。それは別に金持ちだとか貧乏とは関係なく人間の最後は誰でも無惨なのである。最後の姿は無惨である。

今日道端に死んでいた揚羽蝶にはそういうことはない、そこになんら苦痛が感じられない美しい羽を残して息絶えている。そこにかわいそうだとも感じない、それを見て死んだように見えないのである。
人はよく生きたように死ぬというとき、まさに蝶は生きたまましんでいる。
またその羽を手に取れば風に乗り舞い上がう感じなのである。

自分もこのように生きた。自分は会社員とか向いていない、だから学校が特に中学とか高校が嫌だった。実際は高校でも卒業できないほどでありやめったかったのである。
受験勉強に興味をもてなかったからだ。
それ以後大学でも自由になり卒業しても一時仕事しても単純な流れ作業だったのでしていないのっだ。それで仕事の嫌悪感わ感じてしていない流れ作業やるなら家事の方が毎日していて面白いしやりがいもある。掃除するにしても我が家のためにしているのだから他人がやるのとはやるきがちがってくるのである。主婦は結構やりがいあるものにもなる。
今仕事にやりがい感じている人は少ないだろう。
そのことがニートが増えた要因もある。
ただはっきり言って会社勤めををしないとかしていると社会性が身につかないとか社会のこと知らないことでいつか苦しむようになる。
この七年の自分の苦しみがそうだった。社会的訓練を積んでいないから苦しんだのである。

自分は特殊な環境にありこういうふうに生きられたのである。幸運だっといえばそうだった。今でも金には困っていない、これまでは小遣いをもらっていたから贅沢はできなかった。旅行したとしても贅沢をしたことはない、千円以上の食事もしたことがないし温泉にとまっとことも安いのに一回くらいしかとまっていないのである。
ただ自由な時間が与えられたということだったのだ。

自分の母は子供の頃から働き詰めであった。親のためにも働かされたし何か遊ぶということさせられなかった。だから最後に庭はいらないとか狂気のようになり言い張った。
花にも興味もないし美しいとも思うものもない、その一生は働くだけだった。
こういう人生も悲惨だった。それはアリの一生だった。休むことなく働きつづける奴隷と同じだったのである。ただ食べ物にだけは贅沢だったのは豊かになってからはみんなと同じだった。
こんな人生だと百歳生きても幸福だったのか、生きたのかともなる。
ただそいう人生を選んだのではなく強いられたのである。
そういう人もまた多いのである。
ともかく自分は外の光を十分に吸って生きた。
毎日半日くらいは外で過ごしている。一日デスクワークしているのに耐えられない

ともかく自分の最後はこの蝶のようにありたいとも思うがむずかしい
こんなふうには人間は誰も死ねないのである。

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