2014年09月10日

海老村の津波の分析 (津波はどこが高くなるかわからない)


海老村の津波の分析

(津波はどこが高くなるかわからない)



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坂の手前までは来ていない

だからネギ畑を作った

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ここから下は低く津波が流れ落ちて行った


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海老の海岸の道は通行止め




海老村は高い場所にあったから津波であれだけ被害があったのは意外だった。
津波はどこがたくなるかわからない。海底の状態にも左右される。
海老村ではんみに接した崖のところが避難所になっていたという。確かにあそこは高いがあの崖を軽く越えて津波が襲いかかった。
だからあそこがなぜ高くなったのかわからない。
津波は一様な高さでは来ない、あるところで高くなる。
崖の上の海に接していた家は悲惨だった。
三人くらい子供も死んだ。あの崖は高く感じていた。
あの崖を軽く越えてきたのだ。

テレビでも双葉の原発がある場所の崖に津波が高く襲って生きた映像は恐ろしかった。
三陸せも高い防波堤でも越えてきた。高くしても津波を防げない、
津波に効果的なの土を盛り人口の丘を作ることである。
それは低くても津波の勢いをそぐことができる。
松原は津波には弱かった。

ともかく鶏足神社の前の坂まで津波は来ていなかった。
あの坂で遮られたと思っていた。実際はそれより前までしか来ていない、だから坂の脇でネギを作っていた。
塩水はかぶっていないからネギを作り始めたのである。
今は天候不順で野菜が高いから農家でも畑を始めたところが多くなっている。
やはり人間は働いていあないと土地も自然も活きて来ない、
防波堤は高くしているからあそこは当分工事が続く、
海岸の道は立ち入り禁止になった。


タグ:津波
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2014年09月11日

ひまわりを見て写真をとっていた京都の若い女性 (やがて津波の跡も観光地になる)


ひまわりを見て写真をとっていた京都の若い女性

(やがて津波の跡も観光地になる)

京都から来た人が女性二人男一人が写真で紹介したひまわりバックにして写真をとっていた。
あそこのひまわり大きい、あそこはこはひまわりがずっと咲き続けているから大きくなった。
ほかのひまわり畑は枯れてさいていない、咲いているところも小さいひまわりである。
でも南相馬市がひまわりの市になったと書いたがやはり外から来た人もそのひまわりに注目したのである。

京都というそこに住んでいるだけでうらやましがられ所である。でも意外とそこに住んでいる人は京都のよさ知らないことがある。
京都にはなんでもあるから京都の人は旅はあまりしないともいわれる。
奈良の人に一作日はあったが若人は地元のことがわからない、いくら歴史があっても普通はわからない、そして若い時はただ外に憧れているのである。
要するに長年住んでいる場所に感動している人まれである。
京都には山ほど文化遺産があっても感動しない人もいる。
いつもみているから感動しないのである。

観光でも京都はわくりにくい、特に歴史的なものはわかりにくいのだ。どこでも歴史を感じることはむずかしいのだ。京都はありすぎてかえって文化的なものさえ興味がなくなるということも起きているだろう。
京都は街のなかでもきれいな水が流れているのがいい。
まわりが山に囲まれているからまだ自然はある。
ただ今日会った若い女性がここは広く感じるといって言っていたことがわかる。
京都も都会であり家が密集しているかそう感じる。東京よりはいいのだがやはり広々とした空間はないのである。
だから鰻の寝床もような町屋になった。

現代は医療関係は田舎と都会の差はあってもそのほかで差が感じられなくなった時代である。仕事面では都会中心でも文化的に東京や京都や大阪が中心とはならない時代である。むしろ自然がないのだから自然の感性はつちかえないということもある。平安時代の環境とはあまりにも違いすぎるのである。
要するに京都からはかえって紫式部や枕草子がうまれにくいのである。
現代は文化的面では都会に住むメリットが少ない、京都の日常は家が密集して狭い空間に押し込められている感じになるのだ。

「田舎の学問より京の昼寝」
これは今まではあった。でも交通が発達してインターネットで通販時代になると買い物でも不便を感じないのである。情報的にもそうである。
今ではかえって京で昼寝しても何にも得るものがないだろう。都会と田舎の環境がそれだけ似通ってきたからである。
むしろ田舎で都会をはなれて昼寝していると都会の喧騒から離れて人間的になり感傷的になる。物思うのは田舎の方が向いている。
兼好法師の徒然草の時代とはあまりに違いすぎるからでる。

結局人間はどこに住んでも感じるものがなければどこにすんでも同じである。名所に行っても同じである。
現代は何かに深く感じることができなくなっている。
情報社会になっても感受性は衰えている。人工的空間で機会に囲まれ生活しているから自然への感受性が衰退する。

石や岩を詩にしてきたがその石や岩は都会にない、それは具体的な像としてもてないから言葉も観念的なものとなる。言葉と具体的な事物が結びつかないのである。
だから今や人間は政治人間経済人間科学人間になり本来の人間はいない、トータルな人間もいない、ただ部品化した人間しかいないとなる。

郷土を考えるとき自分は全体としての郷土であり部分として機能するものではない、なんでも全体として機能するものとして見るのである。
小さい田舎だとそいうことがしやすいということもあった。福島県でもこれをアイデンティティ化することはむずかしいのである。
ともかく人間の充実した生は自然を離れてはない、なぜこれほどに殺伐として美のない世界になっているのか?
これが繁栄といえるのか、いずれにしろ都会の価値はここ十年くらいでインターネットの発達などでまた下がった。

南相馬市の将来像は描かれていない、まだ混乱状態にある。ただフクシマが世界的にも有名になった。
全国的にも有名になったから今までは南相馬市を観光する人は少ない、野馬追いくらいだった。
だから外から来る人少なかった。六号線で道の駅ではあっていた。でも自転車を借りて見て回る人は見かけなかったのである。
ひまわりが咲いているということでもそれが人を引き付けるものにはなるということである。
津波の被害地域はまだ観光にするのは無理である。でも現実は津波の被害地を見て回っている人がいる。
その人たちにとっては観光でしかないのである。
だんだんかいそうだというよりそいうふうにポンペイの遺跡見学のように時間がたてばたつほどなってしまうのである。


タグ:京都
posted by 老鶯 at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年09月12日

夏の終わりに死んだ揚羽蝶を見て思ったこと (人は生きたように死ぬ・・・・揚羽蝶の軽やかな死(詩)


夏の終わりに死んだ揚羽蝶を見て思ったこと


(人は生きたように死ぬ・・・・揚羽蝶の軽やかな死(詩)



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入れ替わりダリやにとまる揚羽蝶




揚羽蝶の軽やかな死


揚羽蝶は軽やかに野を飛び回り
道に美しい羽を残し死んだ
風に吹かれて光を一杯に吸い
蝶は花々を巡り舞いぬ
蝶にはただ花々が映じている
その美しい紋様を見せて
蝶は喜々として舞った
風は草原に吹きわたりかなたに
海の波が寄せて飛沫があがる
この世の労苦は限りない
蟻の労役は果てしなく続く
人の生は重く苦渋に満ちている
それはこの世の終わりまで続く
この世を生きることは苦役を課せられた囚人
なぜ無残な死があるのか
蝶の軽やかな死よ
そこに苦痛はなく軽やかな死
美しい羽を残した死
何も苦痛はなく惨めではない
それを手にとれば
また風にのり飛んで行きそう
蝶は死んでも野の花々の中を舞っている
神の庭園の花々の中を舞っている
風に吹かれて十分に光を吸った蝶よ
風に軽やかに舞い上がる蝶よ
なお眩しい夏の日は続く
そは来世でも天国で舞い続ける
軽やかに風に吹かれて喜々として
限りなき花々の中を・・・・・・



今年は暑つくなったり寒くなって秋だと思うとまた暑く夏になっている。
残暑なのだけど秋も既に来ているという奇妙な感じである。
揚羽が飛んでいるのは夏である。日ざしも夏である。
人間の生が苦だというとき病気になり死ぬときである。
それがあまりにも無惨なのである。それは別に金持ちだとか貧乏とは関係なく人間の最後は誰でも無惨なのである。最後の姿は無惨である。

今日道端に死んでいた揚羽蝶にはそういうことはない、そこになんら苦痛が感じられない美しい羽を残して息絶えている。そこにかわいそうだとも感じない、それを見て死んだように見えないのである。
人はよく生きたように死ぬというとき、まさに蝶は生きたまましんでいる。
またその羽を手に取れば風に乗り舞い上がう感じなのである。

自分もこのように生きた。自分は会社員とか向いていない、だから学校が特に中学とか高校が嫌だった。実際は高校でも卒業できないほどでありやめったかったのである。
受験勉強に興味をもてなかったからだ。
それ以後大学でも自由になり卒業しても一時仕事しても単純な流れ作業だったのでしていないのっだ。それで仕事の嫌悪感わ感じてしていない流れ作業やるなら家事の方が毎日していて面白いしやりがいもある。掃除するにしても我が家のためにしているのだから他人がやるのとはやるきがちがってくるのである。主婦は結構やりがいあるものにもなる。
今仕事にやりがい感じている人は少ないだろう。
そのことがニートが増えた要因もある。
ただはっきり言って会社勤めををしないとかしていると社会性が身につかないとか社会のこと知らないことでいつか苦しむようになる。
この七年の自分の苦しみがそうだった。社会的訓練を積んでいないから苦しんだのである。

自分は特殊な環境にありこういうふうに生きられたのである。幸運だっといえばそうだった。今でも金には困っていない、これまでは小遣いをもらっていたから贅沢はできなかった。旅行したとしても贅沢をしたことはない、千円以上の食事もしたことがないし温泉にとまっとことも安いのに一回くらいしかとまっていないのである。
ただ自由な時間が与えられたということだったのだ。

自分の母は子供の頃から働き詰めであった。親のためにも働かされたし何か遊ぶということさせられなかった。だから最後に庭はいらないとか狂気のようになり言い張った。
花にも興味もないし美しいとも思うものもない、その一生は働くだけだった。
こういう人生も悲惨だった。それはアリの一生だった。休むことなく働きつづける奴隷と同じだったのである。ただ食べ物にだけは贅沢だったのは豊かになってからはみんなと同じだった。
こんな人生だと百歳生きても幸福だったのか、生きたのかともなる。
ただそいう人生を選んだのではなく強いられたのである。
そういう人もまた多いのである。
ともかく自分は外の光を十分に吸って生きた。
毎日半日くらいは外で過ごしている。一日デスクワークしているのに耐えられない

ともかく自分の最後はこの蝶のようにありたいとも思うがむずかしい
こんなふうには人間は誰も死ねないのである。

タグ:揚羽蝶

2014年09月13日

夏の蝶の抽象画



夏の蝶の抽象画


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これは自分の写真が抽象画になってる。写真は明らかに絵なのである。
だから絵画風にも抽象画風にもできる。
これも加工する途中で変化したもの切り取ったのである。
これに蝶を見れるかというと普通は見れない
ただ写真を見てこれは蝶なんだよと言うとそうみえるのである。
もちろん別なふうに見るものもいる。
でも抽象画も具象画を基にしているから何かイメージできないと鑑賞できないことはある。
黄色が揚羽蝶と見れば鑑賞しやすいのである。
タグ:夏の蝶

金の貸す方の恐怖 (貸すと際限なく借りに来る恐怖)



金の貸す方の恐怖


(貸すと際限なく借りに来る恐怖)


金を貸す方の心理を借りる方は知らない、立場が変わると人間は相手のこと理解できない、患者と医者と看護師でも親と子でも上司と部下でも立場が違うから理解できなくなる。
正直親とならない人は親の気持ちがわからないということがある。
自分がそうだった。今親の介護をして世話する人の気持ちを理解した。
毎日食事の用意をすることが大変なのである。でも親もそうしてくれてきたことを理解したのである。
親は子供を世話してきた。そこには子に対する願いも生まれる。
子供が立派に育ってほしいとなる。その立派とは何か明確ではないにしろそいう気持ちを持つのである。
それは日々子供のために尽くすからそうなる。

人のために他人でも同じである。
特に看護師などや介護士でも人と直接向き合う仕事だから余計に感じるのだ。
「なぜこの人のために働き尽くさねばならないのか?」
金をもらっているから仕方がない、そう割り切れないのである。
だから病院とか介護関係では虐待も起きてくる。それは家族でも起きてくる。
家族も実際は様々な家族があり複雑なのである。
要するに世話する人と世話される人の立場の違いで問題が起きる。

金の貸し借りもそうだった。金を借りる人は金を貸す人の気持ちがわからないのである。
返すから貸してくれとはいうけど返すとは簡単に誰でもいうことができる。
一回貸すと必ずまた借りにくる。返さなくても借りにくる。
金を貸すとそれが延々と続くから怖いのである。要するに切りがないことがこわいのである。
延々と金をせびられのが金を貸す方にとっては怖いのである。
金を貸す方にすると延々とせびられる、たかられるということが恐怖になる。
そういうことは親族間で起こりやすい。
借りに来ても断りにくいからである。

恐喝事件では推理小説では延々と金を請求されるということで殺害するというのも切りがないことが恐怖になってそこまで金を与える方が殺害までにいたる。
金を貸す方もそういう恐怖がある。
なぜなら金を借りるような人は常に金に困っていて借りに来るからである。
金を借りに来ることに終りがないのである。

その金の貸し借りから信頼関係はこわれてゆく、金の借りる方は金にならないならと離れてゆくし金を貸す方は金を延々と要求されるということで恐怖となり縁も切れてゆく。
人間は限度がないことが怖いことになる。欲望にも限度がない、だからかえって一千万の月収があっても生活が苦しというのはそのためである。
収入が増えれば楽になるというのではないという。それ相応の生活ができないことが問題なのだというのは本当だろう。

なぜ金の貸し借りから人間関係が破綻するのか?
金を借りる人には必ず問題がある。そして知人であれ金を借りるとなるとどうして金を借りるようになったのか厳しくとわれる。ギャンブルでおおまけしたからだと言ったら誰も貸さない、貸すのはサラ金である。
金を借りることはその人の人間人格、人生まで問われることになるのだ。
おまえはいいかげんな奴だから借金するのだとみられる。

まず事業している人などと付き合うのは怖い、こっちに弱みがあったりしたらさらに怖い、相手は金しか眼中にない、ちょっとでも何か頼めば百万単位で借金を要求するから頼めなくなった。だからかえって頼むときは法人会社がいいとなる。
要するにもう知人でもなにかしてもらうと際限なく要求されることが怖いのである。
「ただほど怖いものはない」の意味は報酬として決まった金でケリがつくことはわりきれていいのである。
なにかしてもらっていくらだと決まっているとかえって割り切れる。
いくらでもいいですよおいわれると一万から百万までまりうるのである。金持ちだったら百万払うこともあるからである。

いずれにしろこの金の問題も親から受け継いだカルマだった。いつも金を貸すことで返してもらうのに苦労していたからである。そのカルマも引き継いだのである。
カルマは親からのカルマ必ず引き継がされるのである。
そこにはいい面と悪い面がある。いい面だけを引き継ぐことはありえないのである。
いずれにしろ金の問題はやっかいである。自分はそんなことにかかわることがなかったからよかった。今やいろんな世俗的なことに関わらざるをえなくなった。
人間は世俗のカルマから逃れられないのである。
借金をすること自体がすでに具体的にカルマを背負うことになっているのだ。
だから借りた人に借金を返さなくても他の人から取立てがされそれは厳しくなるというのもありうる。そのカルマともかくどこかでまた返さない限り要求されるのである。

タグ:金を貸す

2014年09月14日

相馬市の道の駅で昨日の話 (補償金で分断されて絆がなくなった原発事故周辺)


相馬市の道の駅で昨日の話

(補償金で分断されて絆がなくなった原発事故周辺)



相馬市の道の駅ではいつも近くの老人が4、5人集まっている。話題にしていたのが1200万で売り出していた土地と家だった。広告がでてそれを見せていた。
家は築44年だから価値がないけど土地が140坪では広いと思った。
日下石であり街内ではないにしろ近くにスーパーもあり学校もある。
今では土地を求めている人が多いから買得ではないかと思った。
農家だった人などは広い土地を求めているからである。

そこには飯館の人が来ていた。相馬市の大野台の仮設にいるという。あそこには仮設が多く津波の被害者もいる。津波の被害者は地元に家を建てて仮設を出た人が多いという。
その人は飯館の飯樋であり墓が三つあり牛を飼っていたという。
牛を600頭も飼っていた家があったというのも驚きである。
それだけ飯館は広い土地だったのである。
米の耕作面積も広かったのである。山でも平地が広い所でもあった。
みんな帰るのかと聞いたら帰るのは老人だけだといっていた。
これは避難区域などではみんな同じである。

テレビで放送していたが川内村では原発に三分の一働いていたという。
川内村は原発でもっていたのである。辺鄙な村でも結構豊かに暮らしていた。
なぜなら原発で働くと給料が他よりいいからである。
それに比べて飯舘村は牛の村であり原発とは関係ない村だった
東電からの援助もなかったろうから悲劇だったのである。
南相馬市でも原発で働く人が多かったのには意外だった。
今回原発事故で被害にあった所では飯舘村は恩恵を受けていない村だった。

道の駅には外部からの人も出入りしている。自転車日本一周とかの若者もいた。
仕事できている人もいる。六号線がいわきまで通じていないのでどこを行けばいいのか
尋ねる人がいた。六号線は朝晩は許可証なしで通れるようになる。
それでもなかなか通りにくいのは変わりない。
この辺はまだまだ混乱が続いている。
大野台では仮設でも飯館村と津波の被害者の事情はかなり違っている。
津波の被害者は補償金を漁業関係者意外はもらいないからだ。
それで飯舘村の人がトマト栽培農家に雇ってもらおうとしたら断られた。
津波の被害者を雇うからだとnhkで放送していた。

この補償金問題もこの辺で内部対立を作り出した。
浪江の工場経営者も前の仕事仲間から補償金もらっているのだからと仕事をさせてくれないと嘆いていた。
一方では避難民は補償金で働かず遊んでいると非難される。
近くでも畑で野菜をつくっている人がキュウリをくらと仮設に住んでいる人に言われたが
小高の人にはやらない、金あるんだから、買えばいいだろうと言ったという。
それもそうなのである。
ただ南相馬市では小高の人は同じ南相馬市でありイワキや他の市町村とも違っている。
悪感情があってもそれがいわきのように露骨に嫌がらせまではならないだろう
車をパンクさせたというのは本当かどうかわからない

もし本当に困っていたら

「私は食べののがなくて困っています、一本でいいからキュウリわけてください」
「あなたたちが困っているの見ていてわかっています、どうぞもっていってください」
「ありがとう、ここの人は親切です 恩にきます」
「困ったときはおたがいさまです」

「キュウリ一本など買えばいくらでもあるよ」
「金はあるんだからそんなもの買えばいいんだよ」
「この土地のものには世話にはならん 俺たちは俺たちでやるうんだよ
金で遊ぼうが金あるんだから手伝いに雇ってもいいよ、金があるものが今に世の中では
ものを言うんだよ」

こんなふうになるのはまさに現代を象徴していたのである。要するに原発事故は現代社会の矛盾を露骨にした場になったのである。

絆だとか最初はいわれたけど今では心もバラバラになってしまった。
人間は貧しいときは助け合うけど豊かになると助け合わない、それと広域社会になったとき、金の力が大きくなりすぎたのである。
このへんでは食料がとれなくても全然困らないのである。かえって補償金で贅沢をしているのだ。
そのことを象徴していたのがこの土地のものが作った野菜をくれろといったらもし保証金もなく苦しんでいたら分け与えていた。そうしなくても困らないから協力もないのである。
広域社会になり金の力が大きくなると近くでは協力しなくても生活できるからそうなる。
若い人が故郷から流出するの移動するのが容易な時代だからそうなる。
原発や津波の被害地はそうした現代の矛盾を露骨にしたのである。

タグ:原発補償金
posted by 老鶯 at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

田舎の路上でギターの演奏していた若者 (除染で名古屋から来たというが・・・・)



田舎の路上でギターの演奏していた若者


(除染で名古屋から来たというが・・・・)

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夏草や若者歌う田舎道


この辺では外部から人が入ってくるのは珍しくない、でもあれは変わっていた。
脇道で車もあまりと通らないところでギターとハーモニカで演奏していた。
あれは都会でよく歌っているストリートミュジシャンである。
それが田舎道でしていたから驚いたのである。

その若者は名古屋から車できたばかりだった。随分田舎だとか言っていた。
ホテルが用意してあるというがプレハブだった。
この辺にコンビニあるのかとか随分田舎だと思い何もないとか言っていた。
名古屋からすればそうなる。
名古屋に太平洋フェリーで何度も行った。
名古屋の人とはトルコのイスタンブールでも会った。その人は会社の派閥争いで敗れてやめて世界旅行していた50代の人だったろう。
その人はシリアにも行っていてあそこの人たちは純朴でいいよと言っていた。
外部からまだ人があまり入れない地域は昔のままであり汚されていないからである。
アジアでは元のビルマのヤンマーやラオスに行った人もそう行っていた。
だからシリアは悲劇だった。日本人はアラブに好感を持っている人がいるしアラブ人も日本人に好感を持っている。アラブ人は何か付き合いやすいところがあるからだろう。

そこであった名古屋の人は何かエネルギッシュだった。若者と交わり溶け込んでいた、名古屋人には信長や秀吉タイプがいるのかと思う、一般に大阪や西の人は積極性が全面に出る。近江の大津の人も値切るのがうまい、外国でもそんなことができていた。
近江商人の出た所だと今では思っている。
東北人はたいがい農民であり体質的に積極性がない、それはここに転勤してきた関西の人も言っている。
日本人は商人に向いていない、職人だというとき特に東北人はそうなのである。
ただ伊達政宗は例外だったのである。
前の親戚の人が事業に失敗したのも商人として失敗したのだろう。
職人のままだったら成功していたのである。ただ事業は20人一人しか成功していないとすると地域だけでは測れない、でも事業で成功しているのはやはり関西の方だろう

いずれにしろあの若者は除染とか建築関係の仕事ができるのかと思う
一週間で辞めるかもしれないというときそんな感じなのである。
飯場でギターひいている人はいないだろう。
人手不足でだれでもいいから人をあつめているからだろう
建築関係の仕事はアルバイトではやるべきではない、危険であり除染でも屋根から落ちたりすう。あれは相当な訓練が必要なのである。
ただあんなふうに積極性のある若者はこの辺ではすくないだろう。

今年はまだ夏でありまた秋になっている。
だから夏草でもある。一般にはこの辺の労務者は高齢化している。
若い人はどこでも少なくなっているのだ。
若人はやはり無鉄砲であるがエネルギーはあるから活気は出てくる。
田舎何もないというとき田舎もともと老人向きだった。
田舎の良さは本当は老人になってからわかる。
自然にとけこむのには木が育つように時間がかかるのである。

posted by 老鶯 at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2014年09月15日

虫の声 (敬老の日ー石のように動かなくなる老人の心境ー石の心(詩))


虫の声

(敬老の日ー石のように動かなくなる老人の心境ー石の心(詩))

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秋の蝉残り屋にひびく海老の村

朝の海望み揚羽や舞いにけり

露草や石一つ残る津波跡

老いゆくや夜更けに光る後の月


田舎なれ夜のふけて鳴く虫の声かすかなるも我が聞き入りぬ

秋となり声なき死者は何求む別れし人も遠くなりゆく


スーパーで掃除などしている退職した人は母親が92歳で息子の名前もわからないというから重症である。その人がだれかわからないのは認知症でもかなり重症である。
夜中に起きるのが困ったということも自分も経験している。
その人が早く死んでくれればなと何度も言っていたから認知症になるとみんなそうなる。
自分の場合は最後まで自分のことはわかっていたのである。
認知症は時々正気に帰ることがあり意識不明になり昏睡状態になるまえも正気にもおったことがあった。だから本当に認知症は不可解な病気だと思う。
90歳過ぎるともう半分は認知症になる。


今日はは敬老の日といってもこれだけ高齢化になると社会で祝うというより負担に感じる人がふえるだけである。
福島県では会津の方で65歳以上が50パーセント越えている村がある。
そういうところは村自体維持できなくなってゆく、そして津波原発事故は高齢化で復興できないとなっている。
避難区域になっているところはどこも若い人は帰らないとなり帰るのは老人だとなると
復興はできない、老人は先のことは考えない、まもなく死んでゆくものとして在るから
先の長いことは考えられないのである。

そして老人は動くこと変化に対応できなくなる。老人は本当にだんだん石のようになってゆく。 老人は死に場所を求めているのだ。その場所は先祖代々生きてきた場所がふさわしいのである。だから老人はどうしても故郷に家に帰りたいとなる。それが奪われたことはいくら補償金をもらっても償いないとは言える。ただ補償金はまわりからどう見られるかも問題になるからそれはまた別問題である。

ともかく老人の心境は詩にすれば次のようになるだろう


 石の心

在るべき所に人はあらじ
在るべき所を人は知るべし
巌のように固く重く
在るべきと所を悟り
その場を動かざるべし
在るべき所に人は死ぬべし
汝は在るべき所に安らかなるべし
その死後もまたしか在るべし
巌のように固く重く
そこに花のまた咲くべし
巌とは夫であり花は妻なれ
花はその巌の上に安らかに咲くべし 

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巌の石のように在るべき所に在るということ悟りのように自覚する。それはなにかというと自分の人生をふりかえっても在るべき所になかった。
いろんなところ無駄に彷徨っていた。カルト宗教団体などで活動していたのも在るべき所になく時間が浪費されただけだった。都会の生活は何かその繁華街であり本当の生活があるように思えないのである。現実ならざるものにも見える。それは自然から全く離れた人工的空間になっているからである。
人間は死ぬ場所がどこになるのかも大きな問題だろう。ここが死ぬ場所だと納得して死ねる所である。仮設で死ぬようなことがあれば本望にはならないだろう。
女性だったら嫁ぎ先の家で死ぬのが本望だろう。そう思わない人はやはり結婚が失敗だったともなる。 

海老村の津波の跡に石が残っていて露草が咲いていた。石と露草が在るべき所に在り咲いているとなる。津波とか原発事故はその在るべき所を奪われたことが最大の悲劇であり理不尽だっともなる。
一方で若い人は一億円もらって便利な都会で暮らした方がいいとなるおも現代では避けられないのである。
皮肉だったのは「絆」とは外部との絆だった。広域社会になると外部との繋がりが大きくなり金の力が増大する。つまり地球の裏側からもものが入ってくるからである。
一方で肝心の内部の絆は繋がりは助け合いはない、補償金でいがみあっているというのもつくづく現代社会の矛盾がここで露骨に表れたのである。
広域社会では外との繋がりで絆が生まれたのもそういう社会になっていたからである。
一方で近くはかえって繋がりがないというのは現代社会ではそういう構造になっていたからである。金さえあれば食糧にこまらないということがそのことを象徴していたのである。そして広域社会でも交通が遮断されたとき危機に陥ったことでわかる。
外部から食糧が入らなければ現代では万事休すになるのである。

ともかく敬老の日ということ自体が全くそぐわない時代にもなった。
早くしんでくれというのが悲鳴のようになっている時代でもあるからである。        
タグ:石の詩

2014年09月16日

火災保険、10年超引き受け停止へ 損保大手 自然災害増加で収支悪化 (国民年金も保険であり支払いきれなくなっている)


火災保険、10年超引き受け停止へ 損保大手 自然災害増加で収支悪化

国民年金も保険であり支払いきれなくなっている)


  損害保険大手が、10年を超える期間の火災保険の新規契約引き受けを来年秋にも停止する方針を固めたことが13日、分かった。異常気象による建物被害が増加傾向にあり、長期契約での収支予測が難しくなったためだ。現在、最長で36年の保険契約は、 ...
MSN産経ニュース

若い世代はまともな職にも就けず、安定収入もなく、結婚もできず、ジリ貧。 
一方、老人世代が雇用延長して会社に居座り、高給を得て、裕福な生活をおくる。 
自分たちだけ良ければ後はしらねえ、って感じがぷんぷんする。 
政治家も自らの懐にカネが転がり込む仕組み作りに腐心しているだけで、表向きは 
キレイ事をいっているだけで、将来の日本がどうなろうと知ったことではない。 
だいたい、余命幾ばくもない70才の老人がまともに将来を考えるかっての。 


年金は保険だから。得する人もいれば損する人もいる。最も公的年金は、政府が出資してるから得する割合が高い。

 自動車保険は事故を起こさないと貰えませんよね。健康保険は病気や怪我をしないと 
貰えませんよね。保険金を貰うような事態にならないほうが幸せなんです。それを、 
「掛け金が無駄になった。私も事故を起こしたかった。病気になりたかった。」と悔やむ 人はいません。 

国民年金「保険」も、厚生年金「保険」も同じこと。貰うような事態にならないほうが幸せ なんです。保険金をもらえなかったら、「無駄に長生きして生活に困らなくてよかった」と
喜ぶべきなんです。 

そういうわけで、年金の支給は90歳からにしますのでよろしくお願いいたします。 



一般にも保険が「危険を分担」し合う契約であることの認識は薄く、自らに保険事故が発生し、経済的保障を受けなければ保険の効用、仕組みについて理解がされないことが
多い。

保険というのがこれもそもそもわかりにくい。親が農協の保険の火災保険い入っていた。それで今回の地震で30万くらいはもらった。
でも津波に被害があった人は500万もらったという。床上浸水で被害が大きかった。
それでもその額が大きいと思った。その人は1200万くらいの保険だった。
自分は600万だったのである。それも積み立てたのが戻ってくる保険だった。
ただ自分は少ないと感じたが保険は何かあった場合のために助け合うことが保険だということを理解した。そういう助け合いだということを自覚している人は少ない。
保険会社に一任してその保険会社から支払われるのであり互いに保険金を納める人が協力してなりったていることがを自覚していないのである。
それが近くで同じ農協だったから自覚したのである。
正直農協は一年に5万であり高いと思った。でもこれは掛けたものが返ってくるから高かったのである。

現代は保険の時代でもあるが保険とは何か理解している人が少ないと思う。

年金は保険だから。得する人もいれば損する人もいる。最も公的年金は、政府が出資してるから得する割合が高い。

 自動車保険は事故を起こさないと貰えませんよね。健康保険は病気や怪我をしないと 
貰えませんよね。保険金を貰うような事態にならないほうが幸せなんです。それを、 
「掛け金が無駄になった。私も事故を起こしたかった。病気になりたかった。」と悔やむ 人はいません。 

年金が保険と理解している人もまれだろう。若い人が年金を払うのが馬鹿らしいというのはわかる。
自分もそう思っていたが払うのは親だったので苦しいとは思わなかった。
年金は保険だとすると老後のために何かあった時にもらうものであり月給のようにもらうものではない。
それは病気とかになった時もらうものだとなる。そうなると定期的に死ぬまでもらうのはないとなる。
国民年金などはこうした保険というよりは国の社会保障になっている。半分は国で保証しているのである。健康保険でもそうである。アメリカでは健康保険が馬鹿高いから貧乏人は入っていないから病気の時はいい医者にみてもらいない、日本では平等にみてもらえるのがいいと評価される
でも国でその負担が増えるとはらいきれなくなり消費税などの増税になるのである。
それはこれも保険でありみんなでなにかあったら負担しあうという思想があり成りたっている。
生活保護でもそういう思想があり成り立っている。ただ税金で納めるから保険だという感覚がないのである。

若い人が年金に不満なのは今の団塊の世代などは少なく払ってももらえるが自分たちが老人になるときはもらえるかどうかわからないという不満である。現実に今の90代は年金をはらわなくても三万くらい国から支給されたのである。年金は国で保証されるから支払われるとしても今払っている年金は今の世代に支払われるから不満なのである。
考えてみれば火災保険などは支払う額はそうした世代間で差はない、みんな同じ額を払って維持している。今の若い人は多く払ってももらえるかどうかわからないというのは当然だとなる。
厚生年金や企業年金も国民年金とは違っている。
公務員はなぜ年金が高いのかと不満がある。その差があまりにも大きすぎるからである。
そもそも国民年金にしてもそれが保険なら病気とかの時支払われるのであり月給のように支払われるのではない、そうしたいなら貯金の年金に入り老後にもらえるようにしひた方がいいとなりそうしている人もいる。

いずれにしろ社会保障費も増大すれば消費税などあげねばならない、少子高齢化でその負担が若い人にかかるから不満が増大する。最近火災地震保険でも払いきれないから募集を保険会社で取りやめたことも同じことなのである。支払う額が大きくなるともう維持できなくなるのだ。
それは社会保障費でもそうだし年金でもそうだし民間でも維持できなくなる。
そういう限界状態が社会全体に生じているのである。

現代社会が理解しにくいのは何でも規模が大きくなっているからである。少人数の頼母子講などなら理解しやすいが巨大化すると人間はなんでも理解しにくくなる。
でも今回のような大災害になると巨大化しているから巨大なシステムを構築した保険会社でないと対処できない、その一番巨大化したのが国の保障なのである。これだって税金で成りたっているのだから
保障しきれない事態になっている。
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東京の危機迫るー貞観津波の時と同じ傾向 (茨城から千葉、埼玉と地震が頻発)



 東京の危機迫るー貞観津波の時と同じ傾向


(茨城から千葉、埼玉と地震が頻発)

これまでの地震は散発的に起きていた。東日本震災から違っている。周辺に集中的に起きているのはやはり東日本震災の影響である。埼玉に震度5弱が起きたのは不気味である。
東京は東電が原発を福島に浜通りに作った。それは一千万の東京を維持するために作られた。東京は自らの危険を避けて東京に作った。そして原発事故の災禍をもたらしフクシマでは浜通りでは人も住めなくなった。
この災いをもたらしたのは東京のような巨大都市がありそれが負荷となり原発事故がもたらされたのである。東電や政府は東京から離れたところで安全策を図ったのである。
そして飯舘村のような原発とは関係ない自然と共生を図って暮らしていた村に住めなくさせたのである。その罪は余りにも大きすぎたのである。
そのカルマを支払わせるために東京に危機が迫っているのだ。
貞観津波の時も陸奥は大被害を受けた。それはそのとき大和王権が陸奥の蝦夷をふみにじり虐殺していたのである。

そうして人心が乱れるとき自然も乱れる。その乱れを蝦夷の怨霊を鎮めるために祇園祭が始まったという。そのときの政権は奈良から京都に移っていた。
そのときは首都は京都だったが今は首都は東京である。
そういう人間の歴史とも災害は関係して起きてくる。
大災害はまた人間社会の根本的変革をうながす強制するものとしても易姓革命を起こすものとしても起きる。
原発事故も天の警告であり変革をうながすものとして津波が襲ったのである。
東京一局集中も国土利用では間違っている。天の配剤がありそれに反するとまた天変地異が起きてくる。東京はすでにもうそうした自然から見れば異常に肥大化した自然に天の理に反したものとなっている。
だから天の理に従って大災害が起きて新たな日本の国造りを強いるのである。
それはとても人間の力ではできるものでないから天が関与するのである。
原発事故でもその悪が暴いたのは人間ではない、国家的犯罪になると人間では裁けないから天が神が自然を動かすともなる。

蝦夷の怨念と同じものが今回も起きている。貞観津波では京都だったが今度は東京になる。
東京では常にに地方を軽んじてきた。第一次産業を食料を提供する地方を軽んじることは自然を軽んじることに通じているのだ。
大きく見ればグローバル経済というのも日本を起点にして見直される時期に来ている。
食料は国内で自給するのが基本であり外国に頼るのは天の理に反するのである。
だらこそ天から罰を加えられる天変地異が起きてくる。
tppもアメリカの第二の属国化なのである。

都会には都会のカルマがある。関東大震災があったが東京では必ずそういう地震災害が起きる。都会は災害に弱いからである。だからカルマを繰り返す、東北でも津波は繰り返されてきた。日本自体がそうした国土のカルマをもっている。その運命から逃れられないのである。歴史を振り返ってもその地理が歴史を作るように災害も繰り返される。
ただ日本人は忘れやすい民族なのである。何か一過性で台風のように荒らされてもその後の青空のように忘れる。
神戸の地震でも都会の被害は甚大になる。それを考えたら普通はあんなに密集して住んでるのは地獄を作り出すためにお膳立てしているとしか思えない、それは津波でなぜ危険な海岸に家が密集していたのかと言われるのと同じなのである。
高層ビルに住むということはやはり人間の危険に対する感覚がマヒしているとしか言い様がないのだ。

東京が大被害受けることは日本の国土再建計画が起こり地方に危険を分散させる政策が取られる。東京オリンピックは中止され国土再建に向かう。東京遷都も具体化するそれだけの衝撃がない限り本気の改革はできないのである。

窮まれば変じ、変ずれば通ず(易経)

正に被害地はこうなっている。原発事故ではそもそも町や村がなくなった、住めなくなったのである。これ以上の変化ない、これに対処するには変じるしかないのである。
これはまた明治維新とか戦後の焼け野原と似ているのだ。
東京に大地震が起きたら全国規模で国土再建をせざるを得ない、それはそうしいられるのである。 その後にまた新しい日本国土の天の理にかなった再建が行われる。
そうでないければとても大きな根本的改革はできないのである。
そのときまた荒廃の極点に達していた日本人のモラルの再建もありうるのである。
つまり人間の力だけではモラルもあらためることができないのである。
だからそこに天の力が働き国土の改革が行われる。そのための犠牲として津波原発の犠牲があったともなる。戦争の犠牲者があって戦後の復興があったと同じである。
時期的に明治維新から70年で戦争へ戦後約70年で大災害になった。そいう節目に自然災害も起きてくる。それも天の理だったのである。



posted by 老鶯 at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係