秋薔薇に菊(また厚寿苑にショートスティ)
それぞれに違ったように見える。
フラワーアレンジは前もフォトブックにしたけど絵になりやすい。
これは無料のフォトスケッチャーできる。
ソフトは無料であれ安いのであれそれを使いこなす方が手間なのである。
窓しめて三色の菊壺に挿す
十数輪老人増えて秋薔薇
買い物にいつもの道や秋薔薇
雨しとと夏も過ぎたり秋薔薇
なお生きぬ大正生まれの女(ヒト)語る我が町にあり新しき施設に
厚寿苑のショートスティに泊まりである。あそこでは介護色をだしているから家では食べないのに食べた。食べやすいからいいのである。
施設では無理に食べさせているがあういうふうにしないともう食べたくない人がいるからやがて体力がなくり死がはやまる。食べ物の点では施設がいいし長生きになる。
ただ施設には行きたくないという人が多い。
99になったらもうどこに行きたくない、動きたくないのは当然である。
そもそもこうして無理に食べさせたり介護しないと早く死んでゆく
それがまた寿命を伸ばしているのだ。
だから老人に金かかるのは介護ということが社会的にも金をかけてしているからである。家にいたら長生きだとはならない、自分はおかゆを作るのもめんどうでしていない。
介護食がないとだんだん弱り風邪などでも死ぬことはありえる
ショートスティでは意外大正生れが多いことにきづいた。大正生まれは九〇才以上である大正生まれはそれだげまだまだ生きている。大正生まれは明治生れはいなくなり貴重なものになっている。大正生まれかとなると年号の不思議は昭和生まれは区別される。
昭和はなにか戦後もつづいたので混同されやすい。
戦後と戦前の昭和はまるで違ったものである。
だから年号で時代を見るのもすべてがいいとは言えない。
大正生れの人は姉のいる蒲庭(かばにわ)まで原町から汽車できて歩いたという。
その頃街のうよになっていなかったとか言っている。
その時鹿島がどんな町だったのか?
いづれにしろ汽車があっても運賃が高くてのれないとか歩いた人が多いのである。
姉は下駄はいて葛尾(かつろう)村まで歩いた話しを良くしていた。
それだけ遠くても歩くのが普通だったのである。
汽車を利用する人はまだまだ少なかったのだろう。
明治とか大正とか戦前はまだ江戸時代の延長のようなところがあったから
長距離でも普通に歩いて移動していたのである。
厚寿苑は近いから便利である。街中にありすぐ隣の感じになる。福祉施設は近くにあると便利なのである。原町とかだったら体が弱っていると車で行くにも遠いし体に負担になる体が弱った人は行きずらくなる。福祉になると何でも近くがいいのである。
だから福祉施設は近くにありそこを利用できるといいのである。
ただ南相馬市では人口が多いのだから原町の人が多いのである。
厚寿苑は建物が立派である。あそこははじまったばかりでありまだまだ利用する面では歴史がない、ただ公共施設でありそこで南相馬市の老人が集まるからそこは一つの老人の社交の場になる。
でも介護士は地元の人ではないから同じ福島県でも蒲庭と言われてもわからないことが多い。地元の人でないとそうした過去の経験を言われても話を合わせられないということがある。それで介護士としては問題が生れる。
得に若い人が多いとそうした話しを聞かないし合わせるのがむずかしいとなる。
とどこから来たかというときその土地のことを知らないと話しが合わせられないのであるそれは日本全国でもそうなのだ。
自分が沖縄の辺野古のことを書いたのはそこに一回でも泊まったことがあり知っているからである。自分は全国を旅しているからたいがい住んでいる場所を聞くとあそこ行ったことがあるなと話しできるのである。
この前海老であった人はそうだった。白川郷に自転車で行ったからだいたいどいうところに住んでいるから実感としてわかっているから話を合わせることができたのである。
秋薔薇の季節である。その薔薇は夏からずっと咲いていた。十輪くらい咲いているので目立つ。そこは買い物に行く道である。
今年はやっぱり残暑はそれほどでなく秋が早いのだろう。
秋雨の季節にもなっている。秋薔薇はしんみりとしていい。
菊の季節でもあり暑ければ窓をあけているが窓をしめて花を飾る、秋はやはり芸術の秋でもある。ただ最近忙しくてフラワーアレンジはしていない、こういう趣味もまず時間がないとできないのである。
家事は意外と大きな家に住んでいるといろいろある。明日は一カ月一回の燃えないゴミを出す日だからこれを忘れるとまずいのである。
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