2014年08月31日

背後にアメリカが圧力をかけ軍事のために推進される (原発事故⇒辺野古の米軍基地計画⇒リニア新幹線は一つにつながる)


背後にアメリカが圧力をかけ軍事のために推進される

 
 原発事故⇒辺野古の米軍基地計画⇒リニア新幹線は一つにつながる


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日刊現代8月30日


記事は(1)空母から艦載機を60秒間に1機という“高速発艦”が可能となる新技術「電磁カタパルト」
 (2)従来の火薬銃弾の発射速度の2.5〜3.5倍、秒速約5000〜7000メートルという
遠距離に弾丸を撃ち出す電磁銃「レールガン」――への軍事転用の可能性を指摘。

武器輸出三原則は、憲法と並んで平和国家日本の象徴です。これを緩和して日本製の武器が戦場で使われたら、日本は死の商人だと言われかねません。そうなれば戦後、長年かけて築き上げてきた平和国家という、日本のイメージが崩れ去る可能性があるため、見直すべきではないという根強い意見があります。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/300/181993.html

農薬散布や空撮などに使われる無人ヘリは、軍事転用が
容易である。また、偵察飛行に利用されたり、テロリスト
の手に渡る危険も高い。
http://blogs.yahoo.co.jp/karyudo111/45105827.html

日本を支配する米国覇権主義者(=D系戦争屋)は、日本が勝手に原子力プラント技術を核兵器開発に転用しないように、非核三原則で縛るのと引き換えに、日本全国に原子力プラントが分散立地するのを黙認したのではないでしょうか。もし、日本が米国に逆らったら、即、全滅させられるわけです。そのためか、日米安保と称して、日本全国に常時スクランブル(緊急発進)可能な米空軍基地が配備されています。なるほど、日本の原子力プラント建設黙認と在日米軍基地はペアになっているわけです
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/11583912.html



「日刊現代」の記事にリニア新幹線が実は軍事のために使われるから膨大な予算をかけて作られるという。技術は常に軍事転用される危険性があり現実に核の技術は核兵器となり日本で現実化したのである。
リニア新幹線は膨大な金がかかる、でも最近ではリニア新幹線が必要なのかどうかと疑問を呈する人がでてきている。それはそんなに膨大な金を使って本当に必要なのかどうか、採算がとれるのかどうかという疑問があるからだ。
そんな国家的な無駄なことをしてなになるのだという疑問がある。
でも技術は常に軍事転用されるから軍事の面からは無駄なものはないのである。
宇宙開発でもその技術は軍事転用されるからアメリカでは膨大な金をかけたのである。
技術や科学にうとければリニアが軍事に使えるなど思えないのである。
でもほとんどの技術は軍事にも使えるのである。
鉄道だってトラックだって軍事にロジステックとして使える。
戦争になればあらゆる技術は戦争のために使われたと同じである。
だからなぜリニアのような無駄なものを膨大な国家予算なみの金を使って作るのかという疑問もそれは軍事用にもなるしアメリカでも必要としているからだとなる。

原発にしても危険でも日本でも作られたのはアメリカの後押しがあったからである。
原発も核兵器になるのである。技術にはそうした善にも悪にも使用方法によってはなる。アメリカではなぜ戦争するのかというと武器を売るためだとか言われた。
アメリカは最大の武器生産国であり輸出国になる。武器は戦争がない限り売れないから
戦争を作り出しているのだということも言われた。
日本も経済が停滞すると企業は死活問題になり武器を作り売る他ないとまでなる。
そういう危険水域にも入っている。
平和憲法があり平和の国のイメージがそがれるとういのもわかる。
右から軍事無しで国を守ろうとするのは現実を知らないものだというのもわかる。
平和憲法を念仏や題目を唱えていても守れるのかとなる。
創価などはしきりに人間革命で「死の商人」のことを問題にしていた。
でも公明党は集団的自衛権に一時反対したが自民党に押し切られた。
その原因がアメリカからカルト認定させると自民党に脅された結果だった。
そもそも創価はただ利権団体だから得にならないことはしない。
「平和」「平和」と唱える団体はまた太平洋戦争のように戦争に転換する。
だから右も左も信用できないとなる。

ともかく日本はアメリカに占領された結果、アメリカの意向にそうように政治もなっている。アメリカ様には逆らえないということかある。だからユダヤ陰謀論もでてくる。
日本のような地震国になぜ原発が50数基も作られたのかというのも今からすると疑問があったがやはりアメリカの圧力もあってそうなった。
一見電力の需要が増えたからと見えるのだが原発には軍事用にもありまた技術先進国として世界で主導権をとるためにもある。だから原発の輸出をするためには原発をやめるわけにいかないのである。
ただ原発は戦争になったら最大の危険にさらされることになるのも確かである。
原発を攻撃されたら一貫の終わりである。
だから原発は軍事的にも危険なものともなっている。

いづれにしろリニアでもそうだが辺野古のアメリカ軍の基地移転もそうであった。
て七割りは反対しているというが実際はその辺の事情は報道されていない。
ただ一億円は軽くもらえるだろうということは報道されている。
それは原発の補償金とにていたのである。
基地を作る変わりに自分たちの故郷も自然も売り渡すことになる。
一回だけ山原を自転車で回って辺野古に基地のできる所にテントを張ってとまったのである。
あそこはジュゴンが発見されたとか山原は広大な自然が保存されている貴重な場所であるそこに基地ができるとそうした自然は破壊される、騒音も激しく静かな町はなくなる。
山原にもヘリコプターなどが飛んでいるのだ。
それにしてもそこはあまりにも辺鄙な町であるから福島よりも金でとりこむのは簡単だとなる。
原発事故周辺は常磐線が通っていたし六号線もあったしそんな辺鄙な場所とも違っていたのである。
むしろ東京に近いから工場を誘致するのにはいい場所だったのである。
そういう距離にあるから東電が原発を作ったともなる。

何か原発事故以降は周辺は沖縄とにていきたのである。補償金が最大の問題なのもにている。沖縄では絶えずアメリカの基地をおしつけられたことで補償金が注入されてきた。
それで一番金をもっているのが基地の地権者でありその人は東京で豊かな暮らしをしているというのもひっそりと書いている人もいる。
この辺では漁業権で原発御殿が建ったとかいうのも同じである。
今度は一億もらえるとか騒いでいるのもにているのである。
でもその代償は故郷に住めなくなったことである。
辺野古でももう一億円もらったら那覇のような都会に出てくる人が増えるだろう。
あそこは相当に辺鄙な場所だったからである。
福島県の浜通りは辺鄙な場所ではない、交通もそれなりに充実していたのである。

原発周辺でもそうだが辺野古のような辺鄙な場所ではまず金がばらまかれる。
反対してもその金の魔力に屈する。反対しているものも圧力がかかり賛成する。
そして故郷も自然も売り渡してそこは住んでいる人も去ってゆくとなる。
その町自体が米軍や国に買われてしまうのである。
この辺も実際は東電と国に買われていたのである。
だからついには放射性物質の核の廃棄場にされることになった。
その分また金は支払われることになったのである。
この問題は辺野古だけではない、沖縄全体の問題であるし日本全体の問題でもある。
でも権力者は政府側は辺野古のような極狭い一部の問題として処理することに危険があった。原発も地権者とか漁業権者だけを相手にしてあとはしない。
その狭い範囲で交渉で汚染水の海への流出も決められてしまう。
他の人はかかわることもできない、漁業権者が賛成すれば実行できるのもおかしいのである。
海は誰のものかというと漁業権者のものでもないのである。
汚染水は日本全国に世界的にも影響するのである。
魚には領海もないのだから自由に泳ぎ往き来するからそうなる。

ニュースを読む時、それぞれが別な問題としてみるとわかりづらくなる。
それぞれが別個だとなるとそれぞれの理由がありとか問題の所在がわかりにくくなるのだこれらの一連の問題は密接に関連していたのである。
関連していることがわかることで何がそのニュースの要点なのかわかるのである。
これは今やマスメデアからではわかりにくいのである。
そもそも取材では真実は探り得ない、なぜならテレビで漁業権者を取材していたけど
取材が許可するのは漁業権者の言い分を報道してくれることが条件になる。
それでないと取材は断れ拒否されるからそこからは真実はでてこない。
漁業権者が補償金が特別多額にもらっていることは報道されないのである。
そんなことを報道しないで漁業権者がいかにも東電の被害者だということを報道してくれるから取材を許しているのである。
それはNHKが中国を詳しく取材できるのは中国の政府の許可を得られるからでありでないと報道するできないんとにているのだ。だから中国の暗部はあまり報道しないのである。だからそもそも誰でも公平な報道はできないのである。




タグ:リニア
posted by 老鶯 at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

虫の音(介護の俳句)


虫の音(介護の俳句)


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家の中に虫の鳴きにつ介護かな

街離れ墓地にひびけり秋の蝉

今日も聞く我が家に一つ秋の蝉

木槿咲く白と紫や田舎かな

ノウゼンの一輪散りぬ玄関に夏の名残や街に住むかな

高齢化というのは様々な場問題を生む、それは人類が今だ経験していないことだからである。高齢化というとき昔でも高齢な人はいたけどそういう人は優れている人であり特別な人だったからかえって尊ばれたということがある。
今はその数が多いから問題なのである。

ただ百才まで生きるということは普通は信じられないことだろう。
大正生まれはすでに一世紀を生きたのである。
明治にしても一四〇年前とかなる、この歳月は相当に長い。
ただ人工的に見ると大正時代に六千万だったというのは意外だった
そういう人口規模で工業もあまり発達していないと風景としては農村風景が多く
何か今とは違って風景的には落ち着くものがあったろう。
東京だって今とはまるで違ったものとなっていたろう。

田舎だと静かだから我が家にいて秋の蝉の声を聞いている。
これが騒音が激しい都会だったら秋の蝉の声がかきけされし聞こえないだろう。
田舎の風景は今でもやはり落ち着くのである。
木槿が咲いている風景もそうである。
木槿はやはり田舎的な花なのである。

介護というと実際は家で介護するのはかなりの負担になる。
病人でもそうだが家でかかえると病人に圧迫されるし何か重しのように
負担になる。
だから介護してから七年くらいたつ。介護していたりすると家が病院か施設のうよになるだから正常な家族の営みができなくなる
そして今は家族が少ないから特に負担になる
そして介護は長いのである。食べるものは極端に少ないから栄養不足になりもうだめなのかと思っているが生きている。
そんなに栄養とらなくて人間は生きていけるのかと思う。
もともと味噌汁とかご飯と梅干しとかたくわんとかしか大正生まれだと食べていない
だから介護でもそんなもの食べて生きていけるのかと思う。

ともかく家の中に虫が鳴いているというのはまさに介護の俳句である。
介護している人は本当に多いこれからも増える一方である。
ただ介護職というのは何か仕事としては不毛かもしれない
若い力あるとき介護して何か残るものがあるのかとなる。
若い人のエネルギーが老人に費やされるというのは
生物としてありえなことだろう。

これからもしかしたら一〇人に一人くらい百才まで生きるかもしれない
反面団塊の世代などは糖尿病などが増えて早死にかもしれない
先はわからないにしてもやはり高齢化になることは確かである。
ただ人類にとって未経験なことだから様々にいわれることになるのである。
自分にしても長く生きると金銭的にいろいろな問題が起きてくる。
まず国民年金では暮らせない、それも問題であるかほかにもいろいろな問題が起きてくるそれでもあと十年で死ぬとなれば意外と計算は楽になるのだ
そのくらいならなんとかもつなとかイメージできる。

でも二〇年だったらもうイメージできない、貯金も底をつきやっと食べるだけになっているから辛いし生きたくないとなる。
老人はある一面終わりから考えるから意外気分的には楽になっているのだ
どうせ終わりだとなると楽なのである。
若い人は先が長いからすぐに死ぬわけにもいかないから負担が大きく見えるのである。
どうせまもなく死ぬんだ終わりなんだとなると人間は楽になる。
その先延々と苦しい生活がつづくなとなると苦しさが倍増するのである。

今日は日立木に行ってきたがカメラをもっていかないので失敗した
相馬市の実りの季節であり何か南相馬市は原野化しているからその実りの風景が新鮮になっているのだ。
だから明日でも写真をとりにまたでかける。
日立木の道の駅までは近いから行けるのである。



タグ:虫の音

抽象画(abustract) (陸と海の地球ー何でも視点を変えると別なのも見える)


抽象画(abustract)

(陸と海の地球ー何でも視点を変えると別なのも見える)


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一億年前の地球

ヨーロッパ大陸のようなものが現れている

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陸と海の地球

海から見ればアジアの中心は日本である

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こういうふに中国大陸とか東南アジアから日本を見ると実は日本が海からみればアジアの中心にも見える。
日本の国の成立がもともとは様々な国からの移民が最初にあった。
それは回りが大陸に囲まれていて海の中にあったからだ。
日本は海からみればアジアの中心だったのである。
だから太平洋戦争は海をめぐる覇権争いでありその争いに日本は敗れた。
海を制したアメリカの支配下に入った。
戦艦大和が沈没したのが象徴的だった。

今また尖閣をめぐり今度は中国が海の覇権争いにでてきた
それは海を支配下に入れれば日本もまた支配下に入るからである。
日本という国の不思議は大陸ではない、海の中にーありそこでかえってアジアの中心にこの地図からは見えたのである。
イギリスが七つの海を支配した結果、大英帝国になったように海を支配しないとアメリカでも大国にはなりえないのである。
だから中国は海軍に力を入れるようになったのである。

この絵の作り方は一定のソフトの過程で作られる。
操作している内に会得した。
パソコンはいかにソフトを使いこなせるかが今や大事である。
いづれにしろ人間はつくづくその土地にしばられ固定した見方しかできない
アジアの大陸方面から日本をみれないのである。
視点を変えるとまるで違ったものとして世界は見えるのである。
世界というのは世界旅行したからと言ってわかるものではなかった。
あまりにも広いから一回くらい行っても何かわかりにくかったのである。

ともかく人間の視点は視界はその住んでる場所にありそこから世界をみている。
だからそこに偏見が生れてくるのである。
場所を変えると全く世界は違ってみえる。
地図でも同じ型にはまったものばかり見ていると固定観念化してしまうのである。
抽象画はそういう点自在に変化させられるからそこが強みである。
具象だったら山は山、家は家、机は机とかその具象化から逃れられないからである。
だから抽象画は自由の度合いが大きいのである。
視点を変えるというときデジカメでもそうであり視点変えると景色でも花でも違った様相を呈するのである。
そういう点で写真は絵と違っていくらでも視点を変えられるから今は写真の時代になったのである。
タグ:地球